ロード・オブ・白御前
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踏み外した歴史編
第9話 新世界は始まらない
巴は紘汰にロックビークルの後部座席に乗せてもらい、鎮守の森跡地へ向かった。
ただっぴろく、あちこちに雑草が生えた空き地に、かつての神域の面影はない。
巴はロックビークルを降り、紘汰に礼を告げてから、スマートホンで碧沙に電話した。
「もしもし? どう? お兄さんたちは来られそう?」
《ええ。今、貴虎兄さんの車でそっちに向かってるとこよ。途中で光実兄さんも拾っていくから、ちょっと遅くなっちゃったら、ごめんなさい》
「いいわ。わたし、碧沙が来るまで待つから。あなたが見守ってくれてなきゃ、意味ないもの」
《――本気なのね》
「ええ。本気」
通話を終え、再び電話番号を探して発信し、耳に当てた。今度は初瀬だ。
「亮二さ」
《トモ! お前今どこほっつき歩いてんだ! まだ湊とやり合った時のケガ治ってねえだろ!? はーやーくーもーどーれーっ!》
耳が、きーんと、した。
それだけ初瀬は巴の身を案じてくれていた。
「……残念ながら戻れないんです。亮二さん、迎えに来て下さらない?」
《は? まさか、そこまでひどい傷、なのか?》
「いいえ。動くことに差し障りはありません。ただ、わたしが亮二さんや皆さんに来てほしい用事があるんです。今いる場所に」
《今どこにいる?》
「昔、鎮守の森があった場所に。紘汰さんによると、舞さんの生家跡でもあるそうです」
スピーカーの向こうが沈黙した。巴には分かった。初瀬は巴の意図を察してくれたことを。巴が、舞にゆかりある地で舞に呼びかければ、あるいは、と考えていることを。
《分かった。迎えに行ってやるから動くなよ》
「ありがとうございます」
通話が切れたので、巴はスマートホンの画面を落としてポケットに入れた。
恐ろしくもあり、けれどやはり待ち遠しい気持ちを抱いて、巴は全員が集まるのをただ待った。
全員が集まった。
碧沙もいる。初瀬もいる。それをしかと巴は確かめた。
自由研究のプレゼンテーションでも始めるかのように、巴は全員の前に立った。
「わたし、気づいちゃったんです。陳腐な話だけど、世界って男と女がいて命を産み出して、初めて成立するんですよね。だったら“始まりの女”が“男”を選ばなかった場合は? 揃うべきアダムとイヴが、イヴとリリスになってしまったら? もうジ・エンドですよね。世界終了のお知らせじゃありません?」
困惑する者ばかりの中で、初瀬だけが巴の言わんとするところを理解したらしく、巴に向かって大きく踏み出した。
「トモ。お前、まさか」
巴は人差し指を初瀬の唇に当て、雅やかな笑みを刷いた。
「舞さん。知恵の実をわたしに下さい」
下さい、と口では言いながら、すでに知恵の実を得るのは自分だと言わんばかりのオーラが、巴からは立ち昇っていた。
――碧沙は親友の目論見を知っていた。教えられていた。
それでもあえて止めなかった。
ずっと碧沙のことばかり優先していた巴が、初めて自ら発した願いなのだ。それも、碧沙以外の誰かのために。どうして止められよう。
その結末が碧沙の心を裂かんばかりのものであっても、どうして邪魔などできよう。
“新世界なんて始めさせない。今この世界にいる、あなたと、亮二さんのために。だから碧沙は見守って。わたしの選ぶ、紘汰さんとも戒斗さんとも違う、3つ目の未来を”
「わたしたちは女同士。どんな神話も紡げない。どんな世界も始められない。旧世界を塗り潰すことはない。このふざけたイニシエーションを終わりにしましょう」
駆紋戒斗が求めたのは、弱者が虐げられない、ヒトとは異なる生命体で満ちた世界。
葛葉紘汰が求めたのは、異物を自分ごと除き、今在るものは在るままに維持した世界。
――関口巴が望んだのは、親友と恋しい人が健やかであり続ける世界。
旧世界を滅ぼそうとしている戒斗に任せるのは論外。
紘汰のやり方は一見して問題はないが、碧沙と初瀬が異物と見なされ地球を追放される可能性を孕んでいる。
確実に呉島碧沙と初瀬亮二が地球で生きていけるように。
それが関口巴の描く、完成された世界。
「さあ。舞さん」
風に吹き上がる砂のように、金の微粒子が集まっていく。金砂は、巴が伸べた手に重なった手を最初に造形し、徐々にヒトの形――舞の姿を結んでいった。
「ありがとう。そして、ごめんなさい」
巴は苦笑して首を横に振った。
「謝らなくていいんですよ。わたし、あなたを、わたしのワガママに巻き込んだんですから」
舞は巴と手をほどくと、両手に黄金のリンゴを顕し、巴に差し出した。
巴はためらわずその果実を受け取り、齧りついた。
しゅわしゅわと巴の体を濃緑の葉が覆っていく。
やがて葉が落ちて、そこに立っていた巴は大きく様変わりしていた。
「白無垢……?」
誰かが呟いた。
舞が洋の祭司なら、巴は和の祭司だ。全身を白い和服に包みながら、頭に被る白布にだけ青い花を飾ってある。
誰に嫁ぐでもない、見てくれだけの花嫁。
「碧沙。わたし、綺麗?」
「っ……ええ、とても。世界中で一番綺麗な花嫁さんよ。わたしが保証する」
「それなら安心ね」
次に巴の視線は初瀬に向いた。
「亮二さん」
見惚れていた初瀬は、他ならぬ巴からの呼びかけで我に返った。
「できるなら将来、あなたの隣でこの服を着たかった」
彼女のまなざしに込められたのは、愛情。ひたすらに、あなたがいとしい、という想い。
「トモ……!」
初瀬は急いで巴に手を伸ばしたが、時すでに遅し。
巴は舞に手を取られ、透明化していき実体をなくした。
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