101番目の哿物語
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第七話。千夜一夜夢物語②素直な転入生
気づけばまた景色が変わっていた。
ふと、鼻をついたのはは塩素の香り。
辺りを見渡すと、左右にロッカーが立ち並んでいる。ここはロッカールームか?
「転入初日からプールなんてねー、楽しみー!」
状況確認をしていると。
制服姿のスナオちゃんが、満面の笑みを浮かべながら、制服のリボンを解こうとしていた。
これは⁉︎
「スナオさんはプールが好きなのですか?」
「泳ぐのは大好きよ! 水の中って、なんか全身リラックス! みたいな気分なるし」
シュルリと首もとのリボンを抜き取り、辺り前のようにスカートのホックを外すスナオちゃんの姿が見えた。
これって……まさか!
「リアは?」
「私は人前で水着になるのは抵抗がありますが、泳ぎ自体は嫌いではありませんね、本日のように女子のみの場合は問題ないのですが、男子も一緒の際は毎回見学しています」
などと、言いながら理亜は自分の制服のリボンを外しながら返事をする。シュルリ、と布が擦れる音が聞こえる。
まさかと思ったが……やはり______これは。
「そう? 男子にその綺麗な体を魅せつけてあげればいいじゃない!」
「確かに、綺麗にしているつもりですが。見せる為ではありませんから」
ついに、理亜のその手が制服スカートのホックにかかる。
って、ちょっと待てくれー!!!
理亜の夢は何でこんなに地雷原が多いんだ⁉︎
他の人には天国かもしれないけど、あっちの俺にとっては地獄だぞ。これは。
ああ、でも……理亜やスナオちゃんはいつ見ても美しいね。まだ幼いながらも、女性としての魅力がぎゅっと詰まっているね。例えるなら、そう。可憐な花。まだ蕾かもしれないけど将来的には綺麗な花が咲き乱れることは間違いないね。その花の中には、甘い蜜がたっぷり入っている。そんな、魅力がこの2人にはある! そして、こっちの俺は彼女達と共存関係にある働き蜂かな?
もっとも甘い蜜は他の蜂には渡さないけどね!
などと思っていると。
リアの手がスカートを下ろして……いったところで俺は視界を塞いだ。
自分自身で目を閉じたのだ。
プールの着替えを覗くのはまずいからね。
普通の体育の着替えでもまずいけど。
プールは確実に素肌が見えてしまう。
許可なく女性の肌を見ることはこっちの俺ではできない。
いや、あっちの俺もしないが。
しかし、理亜の視界と同調しているはずなのに自分自身目を閉じることが出来るとは、中々便利なようで、人によっては不便を感じるスキルだな。この『夢覗きスキル』は。
ともあれ、今はそのスキルは自分自身の意思によって、視界は真っ暗に包まれている。
目を開けたら見えてしまう。なら、見なければいい。
ここから先は音声のみだ。
『ふーん。まあ、でも解らなくはないわねっ。やっぱ、どっちかって言うと、好きな人に見せたいもんだもんねっ』
『好きな人に見せるのはもっと嫌です』
『あれ、そうなの?』
『緊張して死にそうになりそうですから』
『へええ! リア、好きな人いるのね!』
ざわり!
スナオちゃんの声がロッカールーム内に響き渡り。
ざわつきが起きる。
『え、須藤さん好きな人いるの⁉︎』 『こないだサッカー部の部長さんフッてたのは、好きな人がいるからだったのね!』 『誰、理亜さんに好かれるなんて恐れ多いのは誰⁉︎』
『私、理亜さんに憧れていたのに! どこの男よ!』
女子達の驚きと、困惑、嫉妬の声が響き渡る。
『え、ええと……』
困惑気味な理亜の声が聞こえる。
『ねえねえ、リアの好きな人ってどんな人⁉︎』
『……もし、いたらの話、です』
スナオちゃんが名前の通り、素直な性格を活かして直球にリアに聞いた。
兄として、理亜に想い人がいるのは気になってしまう。
俺はいけない、と思いつつもその会話に耳を傾けてしまう。
もし、なんて言っているが、その口ぶりはいると公言しているようなものだからだ。
『いいや、今のはいるっぽい言い回しだったぜ?』
と、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
俺はいけないと思いつつも、薄めを開けて見てしまう。
そこには、学校指定の水着、俗にいうスク水を着用しているアリサが腕を組んで立っていた。
スラリと細長く見える体つきは、健康的だが、妙な色気を含んでいる。
「アリサさん」
「よう、リア。いいじゃないか、ここでドバッとぶちまけてしまえよ」
恨みがましい視線をアリサに向ける理亜。
アリサはその視線を受け流し、リアに続きを話すように囃し立てている。
「そうそう、言っちゃいなよ!」
スナオちゃんはスナオちゃんで、続きが気になるのか、リアに催促を始める。
周りの女子達は瞳を輝かせて、今か今かと、理亜がぶちまけるのを待っている。
理亜の味方はこの場にはいないようだ。
そんな状況に置かれた理亜は、小さな溜息を吐くと。
「ええと……好みのタイプなら」
「うんうん!」
それが誰かを直接言うのではなく、漠然とした情報を伝えるという手段に出た。
苦肉の策だったのだろう。
「こう、背は高い方がいいですね」
ふむ、元々の俺は身長170㎝ほどだが。
今のこの身体。一文字疾風は割と背は高い方だ。
「後は優しくて、頼りがいがあって、頭は良くなくてもいいのですが、お話をして面白い人がいいかもしれません。それと……」
この辺りの理想は、普通の女の子っぽいな。
なんだか安心した。
「浮気しない、一途な人がいいです」
ズキン。
それはすごく辺り前な条件なのだが。理亜の言葉は俺の胸を深く抉った。
違うんですよ、理亜さん⁉︎
浮気は文化なんです。
「あはは、リアもフツーの女の子なのね!」
「クールだからもっと変わったヤツが好きなのかと思ったぜ」
「私は普通です。スナオさんやアリサさんみたいに普通じゃない人とは違いますから」
『なーんだ。普通だね〜』 『須藤さんの好みは普通な人……』 『浮気男には死を……』
理亜の好みが普通だったせいか、一部を除いて周りの女子達も騒ぎ立てるようなことにはならず。
理亜がほっと胸を撫で下ろしたタイミングでアリサは。
「で、本命はお前の兄さんだったりするのか?」
爆弾を投下しやがった。
「っ⁉︎」
アリサの不意打ちな発言のせいで、理亜は露骨に反応してしまい。
「あっ、顔が真っ赤になった‼︎」
スナオちゃんのダメ出しにも反応してしまい。
「なっ、なってません⁉︎ に、兄さんはその、そういうんじゃ!」
『反応が本当っぽーい‼︎』
途端に、女子更衣室の中はチャイムが鳴るまで、大騒ぎとなった。
気づけばまた景色が変わっていた。
ふと、鼻をついたのはは塩素の香り。
辺りを見渡すと、そこは室内プールだった。
プールサイドで体育座りをしながら、理亜はみんなが自由に泳いでいるのを眺めていた。
「ぷはぁーっ‼︎」
理亜が眺めるプール。その水の中から現れたのはスナオちゃんだった。
トレードマークのドリルヘアも水に入ると張り付いてしまうようで。
一瞬、誰か解らなかった。
「あー、リアは泳がないの?」
彼女はリアのいるプールサイドまで水を滴らせながらペタペタと歩いてきた。
「どなたですか?」
「ぶふーっ、スナオだよ、スナオ!」
「ああ……すみません、ドリルではなかったもので、つい」
「ドリル以外にも特徴的だよねわたし⁉︎ 他に金髪の子とかいないよね⁉︎」
「大丈夫、全て冗談ですよ」
「もう、変な冗談言う子にはぷんぷんがおー、だぞ?」
「ふふ、気をつけますね」
「リアは転入初日のわたしにも容赦ないなー! わはは‼︎」
ん?
……気のせいか。
スナオちゃんの姿が一瞬、知り合いに重なってみえたような……。
「と、隙をついて、えーい、ハグー‼︎」
「あっ」
スナオちゃんは理亜に勢い良く飛びつこうとして、理亜は反射的にそんなスナオちゃんの体をドン、と押していた。
スナオちゃんの後ろは当然ながらプールで。
ドボーン‼︎
上がってきたばかりのプールに突き落とされたスナオちゃんによって、水柱が立つ。
「ぷはぁーっ、な、何すんのよー⁉︎」
「すみません、つい、体が勝手に動いてしまいまして」
「どう体が勝手に動けば水に突き落とすのよ⁉︎」
悪態を吐きながらも、ザバァ、と水を滴らせながらプールから出るスナオちゃん。
「いつか絶対にハグしてやるんだからっ!」
彼女は握り拳を作りながらそんな決意をしていた。
そんな彼女の姿を見ていると。先ほど感じたあの既視感はただの思い過ごしだったのか、と思ってしまう。
『ぷんぷんがおー、だぞ?』
……元気だろうか。あの子達は。
「よーう、リア。転入生!」
などと、感傷に浸っていると。
理亜とスナオちゃんの所にアリサがやってきた。細い銀髪は光を反射しているせいか、キラキラ輝き幻想的な美しさが醸し出されている。
「アリサさん」
アリサの名を呼ぶ理亜の声には緊張以上に、恨みがましい空気が含まれていた。さっき爆弾を投げたアリサに対し、不満があるのだろう。
「さっきのような話は困ります」
「ま、いいじゃないか。リアがブラコンだって話は有名なんだし」
「え、そうなんだ? キンダンの恋ってヤツ?」
「いんや、リアと一緒に住んでんのは従兄弟らしい。高校二年だ」
「おおー! 三つ上のお兄さん! しかもイトコなら結婚も出来ちゃうわね! なるほどね。リアのお兄さんならなんだか落ち着いたクールなイケメン! って感じなのかしら?」
ごめんよ。クールかどうかは自信ない。
「いえ、子どもっぽくてヤンチャで格好つけたがりなお調子者です」
「きっとその内、ネクラで、昼行灯で、女の子をすぐに口説くような駄目人間になる、そう予兆したぜ!」
理亜は一文字の性格を的確に表現し。アリサはアリサで予言めいた事を言い放つ。
事実だが、それはそれで凹むぞ。お二人さん。
「なぁんだ、なら別に会わなくていいわー」
がっかりした表情を浮かべるスナオちゃん。
そこまでがっかりされると流石に傷つくんだが。
「それに、わたしは可愛い女の子の方が好きだし?」
「そこで手をわきわきして私を見るのはやめて下さい、スナオさん」
スナオちゃんにさらりとクールに告げると理亜はアリサを見上げて。
「それにしても、アリサさんは私の事情にも詳しいですね?」
「そりゃあな。この学校にはとっくに溶け込んでいたことになっているし。噂に聞くクールビューティーな理亜の話はちょくちょく耳にしてたぜ」
なるほど……ことになっている、ね。
それをバラす辺り、アリサはいい加減な魔女なのかもしれないな。
「そうでなくても、お前さんの情報収集はちゃんとするさ。今後はもしかしたら私の相方になるかもしれないしな?」
「そうですか」
やや緊張を含む返事をする理亜。無理もない。
『もうすぐ死ぬ』なんて言ってきた人物に話しかけられれば、警戒して当然だろう。
「それで、何をしに来たんですか?」
「隣のクラスの友達が、休んでいる友達に話しかけにきただけじゃないか」
警戒感を丸出しする理亜に対し、アリサは腕を組んでケラケラ笑いながら告げる。
特に意に介した様子ではなさそうだが、『魔女』の逸話には『真実の話を信憑性にかける話のように語りかけて、相手を惑わす』とか。『いつの間にか生活の中に紛れ込んでいる』という話があるから、目の前のこの『予兆の魔女』も油断は出来ない。
「しかし……」
アリサは視線をスナオちゃんに向けると。
「ん?」
「面白そうな娘だよな、こいつ」
興味深そうにスナオちゃんを見つめた。
「あは! わたしも貴女みたいな綺麗な銀髪の子は大好きよ!」
「そうだろそうだろう。私の髪は天下一品だからな?」
「テンカイチなのね! グレートだわ! わたしは転入してきたスナオよ!」
「隣のクラスの銀髪美少女、アリサだぜ」
「よろしくね、アリサ!」
「ああ。フォロー・ミー、だぜ。スナオよ?」
いきなり仲良くなっていた。
このフレンドリーさ。
理子系女子なら標準装備しているのかな?
この金髪と銀髪の水着少女達を見ていると、国際交流を見ている気持ちになってくる。
「アリサさん」
そんな二人が仲良く笑い合っているのを止めるかのように理亜はアリサに話しかけた。
「私はまだ大丈夫なのですか?」
理亜がストレートに尋ねると、アリサはその口元を歪めて返答した。
「みたいだな。今日辺りに一回山が来るかもしれないが」
『予兆の魔女』に尊大に告げられた理亜は口元を引き結ぶ。
「ん? ナニナニ、なんの話?」
事情が解っていないスナオちゃんは首を傾げて二人に尋ねる。
「なあに」
アリサはこれから語る言葉が面白くて仕方ない、とでも言うかのように『ククク』と含み笑いをしてから。
「運命的な話さ」
意味ありげに、そう呟いた。
……。
……⁉︎
景色がまた変わった。
「あちらが美術室で、その隣が音楽室ですよ」
「んー……」
放課後になり、理亜はスナオちゃんを連れて校内を案内していた。
他所のクラスのせいか、アリサの姿は何処にもない。
校舎の窓からふと外を見ると、あかね色に染まるグランドが見える。太陽が沈もうとしている時間帯というのが解る。
下校時間が近いせいか、校舎の中は閑散としており、寂しい雰囲気が漂っている。遠くから聞こえる運動部の掛け声やブラスバンド部の楽器の音が、妙に郷愁を誘っている。
「スナオさん?」
「あ、うん、何?」
隣を歩く金髪ドリルの少女に校内の説明をしていた理亜だが、そのスナオちゃんはぼんやりしていて、先ほどまでの元気がないような様子だった。
「いえ、元気がなくなっていましたから」
「そんなことないって。わたしはいつでも元気だよっ」
小さくガッツポーズをするスナオちゃんだが、さっきまでの突き抜けるような元気さがなくなっているのは明らかだった。
「ん? ああ、須藤にミレニアムか」
と、そんな二人のもとに、校内を見回っていたらしい四条先生が話しかけてきた。
「あ、四条先生。こんにちは」
「こんにちは。学校案内ご苦労様だね」
四条先生は柔和な笑顔を浮かべて理亜とスナオちゃんを見る。
女子の視点から見てるせいか、この先生が生徒達からの人気が高いのもなんだか解るような気がした。
「ふぅー」
しかし、スナオちゃんは先生の存在に気づいていないかのように大きな溜息を吐いた。
「ミレニアム?」
「どうかしましたか、スナオさん?」
「うえ⁉︎ あ、ううん。別にどうもしてないわよ⁉︎ あ、センセ、こんにちは!」
明らかに何か考え事をしていました、と言わんばかりの態度だが。理亜と先生はお互いの顔を見合わせてからスナオちゃんの顔をマジマジと見つめるが、スナオちゃんは、バツが悪そうに視線を横に向けて何かを思い悩んでいるような、そんな顔をしていた。
「ふむ、流石に水泳の授業もあったから疲れたのかな?」
「そうかもしれませんね。そろそろ帰りましょうか、スナオさん」
「あ、あぅ……ごめん」
気遣われたのが解ったのか、スナオちゃんは申し訳なさそうに頭を下げた。
「転入初日で、あんなに元気に頑張っていたのですから。疲れたりしてしまうのも無理はありません。それよりも明日からもずっと長いのですから、初日はほどほどにして帰りましょうね、スナオさん」
「あぅ……ありがとう。リアってばほんと、気遣いさんよね……」
「そんなことありません。世話のかかる兄がいるから出来るようになっただけです」
「確かに一文字は世話のかかる兄だろうなぁ」
何気に酷い事言ってませんかね、お二人さん⁉︎
まあ、否定はしないけどさ。
「と、いうわけで帰りましょう、スナオさん」
「うん……」
優しく微笑んでスナオちゃんを諭す理亜。
しかし、スナオちゃんはそれでも思い悩んでいる様子だった。
「ああ、そういえば」と四条先生が思い出したかのように話し始める。
「最近……というわけでもないが、どこかの町で下校中に攫われてしまった女子中学生がいたらしい。須藤も、ミレニアムも気をつけるようにな」
「攫われる、ですか?」
「事件としてニュースにはなっていないものの。先生達の間ではちょっとした噂になっているからな。こうやって注意を呼びかけているんだ」
「あくまでも気休めだけどな」と四条先生は笑う。
まだこの町で直接的な被害が出ていない現状、注意を呼びかけるくらいしか手のうちようがないのだろう。
『攫われる』と聞いて、俺は何かを思い出しそうになる。
だが、頭の中に霞がかかったかのようにそれが何なのかは思い出せなかった。
夢の世界では記憶とかが曖昧になるのかもしれないな、などと思いつつ、三人の会話に耳を傾ける。
「スナオさんは目立つので、いかにも攫われそうですよね」
「え、そんなことないわよ⁉︎ まだ一回も攫われたことないしっ」
「一度でも攫われていたら、それはとっくにアウトだからなあ」
「あ、そっか」
先生のツッコミに頬を赤くするスナオちゃん。
その様子は非常に可愛らしかった。
「それじゃまた明日な、須藤、ミレニアム」
「はい、また明日」
「うん、先生バイバイっ」
廊下を歩いて去っていく四条先生。
その後ろ姿を見送ってから、理亜はスナオちゃんの背に手を当てて帰宅を促そうとする。
「さ、それでは私達も帰りましょう。スナオさんの家の場所によっては、近くまで送れるかもしれませんし」
「あっ! ええと……」
スナオちゃんは視線をうろつかせると、そのまま理亜をじっ、と見つめた。
「ん? どうかしましたか?」
「ううん。わたし、やっぱり一人で帰るよっ」
「え、ですが……」
「わたしは絶対大丈夫! でもね……」
夕焼けに滲む表情をしたスナオちゃんは、どこか寂しそうな空気を出しながら。
「リアは、本当に気をつけてね?」
意味深げに告げると、パタパタと逃げるように走り去ってしまった。
「……スナオさん?」
とても追いかけられる速度でも雰囲気でもなく、残された俺と理亜は途方に暮れる。
「本当に気をつけて、ですか」
その言葉の意味は解らない。
だが、不安を過ぎらせるには充分なものだった。
場面はまた変わり、一人で下校する理亜。
「はふぅ。『もうすぐ』というのはいつなのでしょうか」
アリサに告げられた『死』の予兆。
そして、スナオちゃんに言われた『気をつけて』という言葉。
今まで『死』に対する不安な気持ちなんかを見せなかった理亜だが、やはり独り言を零すくらいには不安を感じていたようだ。
それもそうだよなぁ。クールに振舞っているせいか、そうは見えないが理亜はまだ中学二年の女の子。
『死』に対する耐性などあるはずないのだから。
「気は抜けませんけど、ずっと張り詰めいるのも疲れてしまいますね。はふぅ」
理亜の癖になっている溜息。
元々、理亜が吐く『はふぅ』は『もうしかたないなあ』みたいな軽いもの。
しかし、今の『はふぅ』は困った内心を吐き出すかのような、幸せを逃しそうな重みがある溜息だった。
「それより、今日は兄さんに何を作るかを考えましょう。冷蔵庫に残っているものはなんだったでしょうか……」
勇気を奮いたたせる為に独り言を零しているような理亜の姿を見て、胸が締め付けられる。
なんで俺は彼女の様子が違うのに気づかなかったんだ!
過去の自分を殴りたくなる。
「こんにちは、お姉さん」
その言葉が聞こえた瞬間、世界は凍りついた。
俺はその言葉をかける人物と、この世界を知っている。
だが、理亜は全く知らなかったようで、ビクッと肩を震わせ慌てて背後を振り返った。
振り返った理亜の視線の先______1mも離れていない距離に。
そこには、大きな白い帽子を目深に被った白いワンピース姿の女の子が立っていた。
少女の存在に気づくと同時に、どこか甘い、花のような香りが漂ってくる。
「私はヤシロだよ、お姉さん」
そう、目の前には実在する都市伝説だけを集めたサイト。
『8番目のセカイ』の案内人にして、そのサイトに唯一繋ぐことが出来る端末『Dフォン』を配る存在のヤシロちゃんがいた。
「こんにちは、ヤシロさん。私は理亜です」
「うんうん、よろしくね、理亜お姉さん」
クスクス笑ったヤシロちゃんは「はい、これ。お姉さんの」といかにも渡すのが当たり前なように掌に乗ったソレを両手を掬い上げる形で差し出した。
「私の?」
「そう。お姉さんのDフォン」
ヤシロちゃんの掌にはかつて俺が手渡されたのと同じ特殊な端末。
漆黒の携帯端末機。
Dフォンが乗っていた。
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