儚き運命の罪と罰
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第八話「高町なのは」
次元艇アースラはとても清潔だ。かれこれ一日たって、部屋を変えさせられたリオンだったが医務室は勿論、元々ただの空き部屋だったというこの部屋にもネズミの影すらない。シャルティエに『坊ちゃん』などと呼ばれていることからもわかるとおりリオンは結構な富裕層の人間だ。なのでそれは歓迎すべきことだった。話に聞いただけだがこの世界には埃を吸うだけで咳が止まらなくなる様な病気もあるらしいのでその点はリオンも認めた。
ただ、家具の質に関してはやはりリオンの求める物には遠く及ばない。ベッド一つを取ってみても寝心地が悪いと思った。そう考えると海鳴の彼女たちと過ごしていた部屋にあったソファーはどれ程に高価なものなのだろう、ソファーのはずなのにリオンは寝心地が悪いとはちっとも思わなかった。やっぱりあの家族は無駄に家具に金を使い過ぎていると思った。
クロノとの取調べは昨日に引き続き今日もあった。昨日と同じ様に、クロノを怒らせるようにして尋問を有利に進められるように彼は受け答えをしていた。それから数十分たって廊下に聞き耳をたてていたリオンが管理局内の胃薬を買い占めた人物がいて困ると言う噂話を聞いたのだがそれとこれが関係があるかどうかは定かではない。
ただリオンはクロノのことを実際にはかなり高く評価していた。あの年で...あくまでも耳に挟んだだけだが14歳と言う年齢であそこまで自分をコントロールできているのはたいした物だ、例え胃薬をそのあと大人買いするような真似をしても。と、それを僅か16歳と言う年齢であしらったリオンは考えてた。ついでに身長についてコンプレックスがあるという話をチラッと聞いた時にはかなり親しみが持てそう...とも。リオンにとっても背の低さは悩みの種だ。立場こそ敵対しているが、もしそうでなければクロノと彼は良き友人になれたのかもしれない。
…当然それには長い年月を必要とするだろうが。ただ一つだけ言えるとしたら。
(あの女よりはましだな...)
正直に言ってリオンはプレシアがどうにもこうにも好きになれそうになかった。彼女が娘にやらせていることがヒューゴがリオンにやらせていたことと似ている...と言うのも理由の一つではあるが、何と言うか、こう人間的に好きになれそうになかった。どうせ働くなら管理局の方がいい...珍しくリオンはそんな大衆的な事を考えていた。その理由はともかくとして...いやこう言いかえればとても大衆的だ。自社の上司に対して不満を持っている、他社の上司は態度がいいからこっちの方で働きたいーと、まあそんな所だろう。ただ仕事内容が『ジュエルシードの収集』と、カタカナが混じってしまっている時点で大衆と言うか、世間一般からは天と地ほどかけ離れているだろうが。
リオンはクロノに頼んで置いてもらった暇つぶしのための本を広げた。地球の日本語で記された本だ。クロノに「ミッド語か地球か、どちらがいい?」と訊かれて、今はもう身近な地球の本を選んだ。それをクロノに伝えたとき彼は嫌味ったらしい顔になって「言語主張か?」と言った。どうやらミッドチルダの事を知らないと言う事をアピールするために地球の本を指定したと思ったらしい。リオンにそんなつもりは無かったがこれまた若干皮肉を効かせたように「何の事かさっぱりわからんな」とだけ返した。その後クロノが自室に戻ってチッとでも舌打ちするところを想像してここにいる間一番愉快な気分になった。よく拘留されるのでされた人間が感じるのに『孤独』があると言う。孤独感に潰されそうになって自供を始めるケースもある...だがリオンの傍にシャルティエがいる以上そんな心配もない。ゆえに本を落ち着いて読めるほどリオンは気楽だった。
ちなみにリオンが広げた本の題名は『科学探偵ガリレオ冬川』と言う。作者の名前は『火我視乃毛意後』だ。リオンも先日行った書店で眼にしていた。その本はシリーズになっていて作者ともども非常に人気があるとクロノは言った。日柳と言う警察官が難事件にぶつかり友人の科学者である冬川と言う男に協力を求め事件の謎を解き明かすーとそこの直前まで読んだ所で突然呼び鈴が鳴った。来客のようだ。タイミングが悪い、そう苦虫を噛み潰したような顔になってドアのほうへ歩いていった。開ける前にこんな声が聞こえた。
・・・すみません...今、いいですか?・・・
・・・多分寝てるんだよ。また今度出直そう・・・
・・・でも・・・
聞いた事があった声だったので誰だったか、と思い出そうとしてたらドアから離れていく気配がしたのであわてて開けた。
「何だ、何か話でもあるのか?」
諦めて引き返そうとしていた二人は驚いたようでビクッと肩を震わせた。彼女たちは恐る恐るリオンのほうに振り向いた。リオンはそれをみて思い出した、少女のほうは二回も顔を合わせている。少年にも見覚えがあった。少女のほうは名前も記憶していた、確かー
「なのは、と言ったか。」
意外そうな顔をした後首を縦に振った。どうやらリオンが名前を覚えているとは思わなかったらしい。
「でもどうして?私フェイトちゃんには名乗ったけど貴方には...フェイトちゃんから私の事聞いたの?」
まあこれが一般人の対応だろう。リオンは「アイツからは聞いていない」と否定した。
「お前の名前は海上決戦のときに何回か呼ばれていたからな。聞いたのを言っただけだ。」
「あの乱戦の中でそんな余裕があったなんて...」
と少年は絶句していた。彼はリオンの名前は勿論聞いていないからわからないにしても、後で映像を見るまではしっかりと顔すら覚えていなかった。
ただ流石のリオンも彼のことは知らなかった。その事をボソッと呟くと彼が名乗ろうとしたのでとりあえず部屋に二人を上げる事にした。先程アースラが非常に清潔だといったが...まあこれはリオン部屋が特別なのかもしれないがおそろしく殺風景なのだ。花の入った花瓶一つすらない。あるのは真っ白いシングルベッド一人分と小さいクローゼットと後はこれまた真っ白い机と椅子が四脚あるだけだ。染み一つない事が部屋と言うよりも独房を思わせた。もっとも管理局員の大半がここはリオンの独房だと認識しているだろうが。まあ実態はそんなに違わないので間違ってはいない。監視できないならせめて押し込めようと言う事なのだろう。
二人は座った。少年の名前はユーノ・スクライアと言うらしい。その名前を聞いたリオンはプレシアが言っていたジュエルシードを発掘した一族の名前を思い出していた。その考えに至ってやれやれと思った。どうやらこの一件は自分の知らないところでも複雑に絡まっているらしい。
そこでリオンは不思議に思って思考を中断した。目の前の少女は傍目から見てもわかる位にガチガチに固くなっていた。これじゃあ対話にならないので発言を促す事にした。
「訊きたい事があるなら訊いたらどうだ?」
「え...あ、はい。」
その態度と同じく、声も裏返っていた。その隣でユーノと名乗った少年は吹き出していた。ジトッとした眼でなのはがにらんだのを見るやすぐに止めたが。半ば呆れながらリオンは助け船を出すことにした。
「話しづらいなら普通に話せばいい。僕もやりづらい。」
「え...あ、はい...じゃなくて、うん。ありがとう。」
これには思わずリオンも笑ってしまった。直せと言う風なことを言ったはずなのに途中まではさっき言ったことと全く同じだったのだ。ユーノはユーノで我慢しながら笑っているようで、クックックと怪しげな声を漏らしていた。
「なのは...声、裏返って...しかもさっきまで全く同じ...クク...」
「ユーノ君酷いの!ってああ!リオンさんまで笑ってる!二人とも酷い!」
そう言ってぷうっと頬を膨らませていた。如何にも『怒ってます!』と言った感じに。彼女の意図とは反対に全く怖くなかった。何はともあれ緊張はすっかりほぐれたようだった。
「まあ落ち着いたらどうだ。ほら、椅子を直して。」
そう言って宥めると膨れっ面のままだったが、立ち上がった反動で後ろに押された椅子を直して座った。この時にはリオンは既に読みかけの文庫本があることを忘れていた。
「それで?僕と何を話しに来たんだ、まさか世間話じゃあないだろう?」
リオンのその言葉でようやく、膨れっ面も止めて平静を取り戻したようだった。それに応じてユーノも笑うのを止めて真顔になっていた。
「フェイトちゃんとは何時、どこで知り合ったの?」
リオンは思わず眼を丸くした。
「アイツと知り合った時...そんな事が気になるのか?」
「うん。」
そうなのははしっかり頷いた。嘘を吐いている様にはとても見えなかった。
その事を踏まえてリオンは考えた。一体何が知りたいのだろうか。知り合った時...で推測できるのはこの世界に来た日付...だがそれはクロノにも伝えている。今更聞く必要もあるまい。確かに正確に伝えたわけじゃあ無いがそれはリオン自身も来た当初は半分死にかけていたし意識も無かったので特に嘘を吐いたつもりも彼には無いから不信に思われる事は無い筈だ。
「リオンさん、どうかしたの?」
「…いや、なんでもない。思い出していただけだ。」
思い出せば彼女とはある意味二回出会っている。お互いの顔を見たのは(もっともむこうがそのときしっかりと認識したかどうかはわからないが)リオンが目覚めて時の庭園を歩いていてアルフに助けを求められてプレシアに虐待されている彼女とであった。
言葉を交わしたのは地球に来て部屋に行った時だ...その時のことを思い出してリオンは左頬に手をあてた。両方とも方向性は違うがそれぞれに中々にショッキングな出会いだった。なのはには後者のほうを伝えた。とは言ってもプレシア関連につながりそうな事とあの『事件』は省いたが。
「そうだったの...」
「ああ、それがどうかしたか?」
その答えもまたリオンにとっては意外なものだった。
「それがどうって訳じゃないんだけど...でも良かった。」
「良かった?」
「うん、フェイトちゃんを初めて私が見た時すっごく寂しそうな顔をしてたから。おまけにジュエルシードの事もあって、もっとこう...なんて言ったら良いのかな、私みたいに戦っている時に会ったって訳じゃないみたいだから。」
リオンはなのはが言いたかったのは『血なまぐさい』だったのだろうと思った。まあ確かに戦っている時に敵として出会ったらそれはいい出会いとは言えないだろう。そう言う意味ではまあ確かに『良かった』のかも知れない。
だがリオンはそれ以上にこの少女の人を見る眼には舌を巻いた。寂しそう...確かに彼女の本質を表す事の一つだろう。彼女があんな仕打ちを受けてもプレシアを慕うのは実は他にいないから何じゃないかとはリオンも考えていた。
無論なのはとリオンの条件が同じだったらここまでリオンも驚く事はないだろう。まあ少しはすごいと思うだろうがなのはの方が時間は多いのだ。だがなのはがプレシアの事も全く知らずにその考えに辿り着いたのだとしたら...驚嘆に値する事だ。勿論アースラの上の人間...例えばリオンの取調べの相手のクロノ等が教えた可能性もあるが...リオンは彼女を試すためにこんな質問をぶつけた。
「初めて戦ったときに僕たちと話がしたいと言っていたな、どうしてだ?」
逆にリオンから質問をされるとは思っていなかった様で、困惑が顔に表れていた。だがそれでもしっかりと答えた。
「フェイトちゃんにも言われたんだけどね、『話しただけじゃあ伝わらない事もある』...けど話さなきゃそれが伝わらない事かどうかもわからないの。」
「つまりお前はフェイトのことが知りたくてこの戦いに参加してるのか?
その...ジュエルシードが目的ではなく?」
そう聞き返すと慌てて首を振った。
「ジュエルシードも勿論大事だよ!?ユーノ君も困ってるし...」
「なのは。」
そう言ってそのユーノ本人がそれ以上言わなくてもわかってるよ、と言う風になのはをとめた。それを見たリオンは彼が隣にいるのに今のは少しばかり意地が悪かったかと反省した。
「まあいい。それよりも...それがお前の考えなんだな?」
頷いたなのはをみてそれは子供の理屈だと思った。
リオンにはそれに反論できる論理が幾らでもあったーのだができなかった。そうするには彼女の話に引き込まれすぎていた。彼女もまたリオンの探す答えの手がかりをくれそうな気がした。「変な質問をしてもいいか?」と尋ねた。「いいよ」と返してきたのを聞いてその質問をした。
「友達とは...なんだと思う?」
一瞬キョトンとして、直ぐに満開の花を思わせる笑顔になった。
「簡単だよ...名前で呼び合えればそれで友達。」
・・・この馬鹿野郎!どうしてそんなに頑固なんだよ!・・・
リオンは思わず目に涙を浮かべた。
「え?どうしたの、大丈夫?」
泣き出すとは思っていなかったのか、なのはは困惑している様だった。
なのはにはまだわかるまい、子供は平常的に泣くが大人は平常的に泣かない代わりに心の一転を少し動かされるだけで涙に咽るのだ。
「何でも...ない。」
そう言って涙を拭いた。
「最後にもう一つだけ良いか?」
「え...うん、いいよ。」
「一人でいることは、間違いだと思うか?」
言ってからしまったとリオンは思った。質問が余りに抽象的過ぎる。これじゃあ彼女にはわからないのじゃないかと思って説明するために口を開きかけたが彼女のほうが先手を打っていた。
「間違ってるとかよくわかんないけど...一人は寂しいと思うの。」
・・・どうして何も相談してくれなかった!俺たちは仲間だろう!友達だろう!・・・
「…似てるな、お前たちは。」
「ふぇ?似てないよ。ねえユーノ君。」
「うん。似てないと思うよ。」
どうやらユーノとの事を言ったように聞こえたらしい。確かにあれだけ聞けばそう取るのが普通だろう。
そしてその事をなのはに教えてやる必要も彼女が知る必要もあるまい。だからリオンは一言だけ
「ただの独り言だ...きにするな。」
そう言った。
なのはの方は何か言いたげだったが、そう言った彼の目を見て「じゃあまた来るね」と言って部屋を出て行った。
リオンは彼女が来るまで自分は何をしていたか直ぐには思い出せなかった。
視界の端に本が映ってそれを読んでいる途中だった事を思い出して再び開いた。
だが今度は集中できなかった。読んでいてもなのはの言っていた事が頭に浮かんでは消えていった。別になのはや『彼』が言った事だけが正しい訳じゃないだろう。…勿論正面からだけ見れば正しいのかも知れないがそれを押し通すだけで超えて行けるほど『生きる』と言うのは甘くはないとは思う。
どんな人間だって80年やそこらたてば終わってしまう。リオンはとりあえず今生きている事は置いておくとして16年でその人生に幕を下ろした。それだけ壮絶な人生だったと言うのはある。
だがそんじょそこいらの別に物語にされた事もないような人々は全く苦労していないのだろうか、80年生きれたからその人生は楽な物なのだろうか。そう言った意味でリオンも別になのはや彼と変わる事は何も無いのだ。だからそれはリオンにとっても真実であっていいのだ。だがそれで納得するには手軽すぎた...少なくとも前の世界で生きてきた16年に比べたら。
「簡単に手に入ったからそれが嘘と言う訳じゃあないんだろうな。」
その事はリオンも重々承知していた。泥を飲み、血を吐いて、歯を食いしばって求めても何も変わらないのかも知れない。
だがリオンはそれにたいしてこう答えるだろう。
それがどうした、と。
簡単に手に入ったからと言って...いや手に入ったなら尚更それを確かめる努力をする必要がある。
その事に思い至らせてくれたなのはには心から感謝していた。何より彼女との話は懐かしい気持ちにさせてくれて楽しかった。
彼女こそは今回の事件で最も潔白な人間だと言う事も理解していた。直感だったがリオンにはわかった。
彼女が嘘を一つも吐いていない事を、本心からフェイトのために戦っているのだと。
聞くとまだ彼女の年は二桁にもならないらしい。年端もいかない少女の何と言う優しさだろう。
だが、そういう気分の良い話をしていたはずなのに
「すまないな、高町なのは。」
そう言ったリオンの表情はなぜか苦悶に満ちていた...
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