蒼き夢の果てに
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第6章 流されて異界
第131話 太極より……
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第131話を更新します。
次回更新は、
12月30日。 『蒼き夢の果てに』第132話。
タイトルは、 『異邦人』です。
障子と襖により外界との境界が作られ、畳と木の香りに支配された部屋。
その部屋の中心……。固まったかのように、ただ無言で見つめ合うふたり。まるで夜の静寂がこの部屋にだけ凝固したかのような雰囲気。
閉じられた障子を背にして長方形のテーブルの、長い一辺のサイドに腰を下ろす俺。
部屋に備え付けられたテレビを背に、テーブルの短い一辺。向かって左側の一辺に腰を下ろすハルヒ。
長い黒髪を自然に流し、少し横座りになった姿が……何と言うか、妙に女性で艶めかしく感じる。
視線はハルヒの瞳に固定したまま。更に、考えている内容がかなり深刻な内容だけに、必要以上に強い瞳で見つめていたような気もする。
俺の視線を受けて、一瞬、怯んだかのようにハルヒが視線を外し、その微かな動きで背中まである長い黒髪がふわりと揺れ、胸元に光る銀が蛍光灯の光を反射する。
但し……。
但し、それも一瞬の事。まるで、俺の視線に怯んだ事が恥で有るかのように、彼女自身も俺と同じような瞳で見返して来た。
一瞬の空白。俺と彼女の間では珍しい静寂の空間。
……いや、これは睨んでいる訳ではない。おそらく真剣な表情と言うヤツ。
「ねぇ、ひとつ聞いても良い?」
ゆっくりと、一音一音を区切るように発音するハルヒ。但し、当然のように、その中に揶揄するような雰囲気はない。ただ少し気に成るのか、顔に掛かる長い髪の毛を少し掻き上げては後ろに流す。こんな動きを繰り返している。
成るほど、何となく伝わって来る物があるな。
「あの夜、あんたの言った事の意味を教えて欲しいの」
あの夜……。彼女の言葉の中で一番明瞭に発音されたのはこの言葉。
今の俺に、ハルヒを相手。それも夜に重要な会話を交わした記憶は、……昨夜交わした内容ぐらいしか覚えがない。しかし、その時の会話の内容を問い返して来た訳ではないだろう。
あの夜と言うのはおそらく、ハルヒが世界を再構成しようとした夜。その時に、異世界同位体の俺と有希が彼女の夢の世界へと侵入して――
その際に、俺とハルヒが【指向性の念話】によって何か約束を交わしたらしい。
そう。交わしたらしいのだ。但し、その詳しい内容までは資料には記載されては居らず、また、【指向性の念話】であったが故に、有希もその内容までは知らなかった。
成るほど。やや自嘲的な溜め息を心の中でのみ吐き出す俺。
何故ならば、この期に及んでも尚、俺は彼女から完全な信用を得られなかった、と言う事ですから。
それだけ強く、俺の異世界同位体はハルヒから信用されて居た、そう言う事なのかも知れないのですが……。
一瞬、何かを考えるかのように瞳を閉じる俺。手は自然な形で自らの左胸に。
その瞬間に、何故か自分で経験した訳でもない夜の映像が俺の脳裏に浮かぶ。
いや、確かに似た経験を俺はしている。但し、その時に俺と意識を繋げた少女……湖の乙女が言う『彼女』と交わした会話の中に、これから話す内容はなかったはず。
大きく深呼吸をひとつ。これから話す内容はそう言う物。何処にも茶々を入れる事の出来ない……世界の命運に直結する重要な話。
正直に言うと、この部分を俺だけの判断で話して仕舞うと後々問題となる可能性もある。そう言う内容。
「ハルヒ、世界……この宇宙はどうやって出来上がったか知っているか?」
彼女に取っては意味不明。しかし、俺としては全部繋がっている内容。
今宵の会話から、あの夢の世界での約束。果ては、異世界の涼宮ハルヒが起こした情報爆発と言う事態すべてに。
そしておそらく、俺と有希。それに、目の前の涼宮ハルヒと言う名前の少女が出会った出来事に付いても……。
「定説ではビッグバン理論。何かが爆発したらしいわね」
それがどうしたって言うのよ。
俺の意味不明の問い掛けに怒り出す事もなく、普通に答えを返してくれるハルヒ。おそらく、俺が一見意味不明な事を言い出したとしても別に茶化している訳ではない、と言う事が分かっているからなのでしょうが。
「易に太極あり。太極より両儀を生じ、両儀より四象を生じ、四象は八卦を生ず」
そこから先にも六十四卦とか三百八十四の爻辞とかが有るけど、その辺りは無視して構わない。
「重要なのは太極から両儀が生じた、と言うトコロ」
相変わらず要領を得ない俺の言葉。もっとも、こんな説明で判れば誰も苦労はしない。
実際、良く我慢をして茶々も入れず、更に怒り出す事もなく聞いているよ、ハルヒは。彼女の整った右の横顔を見つめながら、そう考える俺。
何処からどう考えて見ても、この会話の内容に彼女が求めている答えの内容は含まれていない。
表面上は……。
「お前、あの日の夜、一体どう言う気分で眠りに就いた?」
ようやく、ここまで話しが辿り着いた。但し、ハルヒ本人にはこれでも謎だろう。ましてこのへそ曲がりが、あの夜の自らの心情を正直に答えるとも思えない。
要はあの日の自分の状態を……。あの時に自分が何を求めて居たのかを思い出して貰えれば良いだけ。
あの日は確か……。
小さく独り言を呟き、そして何故か額に縦皺を二本も三本も浮かべるハルヒ。何と言うか、何か思い出したくもない事を思い出しているような表情。
……この日に何があったのか、詳しい説明を俺は受けていない。ただ、世界の書き換えを行うほどの事態に発展するのだから、彼女に取ってはソレに相応しい出来事があったのでしょう。
但し、それは別の世界の涼宮ハルヒの記憶。本来、この世界の涼宮ハルヒがその夜に何か事件を起こした、と言う事実はない。
二〇〇二年。つまり、今年の七月七日の夜に世界は一度歴史を改変されている。より正確に言うのなら、一九九九年の七月七日の夜に歴史を改変させなかった為に、その分岐から発生していた二〇〇二年七月七日までの歴史が、本来の改変される前の歴史に準拠される形で書き換えられた、と言う事。
その歴史。一九九九年にハルヒと名付けざられし者の接触によって起きたと言われる情報爆発。その現象が起こらなかった事により発生したこちら側の歴史では、ここまでの間にハルヒが何か危険な事件――霊的に危険な事件を発生させた、と言う説明を受けてはいない。
それでも尚、彼女は俺との出会いを覚えていた。
そして……。
自然な仕草で彼女が触れている銀の首飾りに視線を移す俺。
そう。彼女はその首飾りを手に入れた経緯もある程度覚えて居る。
……それぐらい彼女に取って俺とのあの夢の中での邂逅は大きな出来事だったと言う事。
「何かムシャクシャした気分のまま眠りに就いて、気が付いたら夢の中に自分が居た。そう言う事だったはずやな」
俺の問い掛けに無言で……更に、非常に不機嫌な様子で首肯くハルヒ。
右手が自然な雰囲気で触れている銀の十字架。その仕草はまるで敬虔な尼僧の如し。
これで表情がもう少し穏やかで、物腰が柔らかなら俺の好みの女性となるのだが。
もっとも、俺の周りには何故か気の強い……こうと決めたら絶対に後ろに引かない少女しか集まって来ないので……。
少し思考が明後日の方向に進み掛け、一度感情をリセット。そんな、理想通りの相手が目の前に現われたとしても、今の俺に出来る事がない事も分かっているから。
何時かは絶対に帰らなければならないから。産まれた故郷ではなく、タバサの住むあの世界に。
「あの夜は今宵と同じ状況やった、と言ったら信用してくれるか?」
今宵と同じ。世界が何らかの危機に晒された夜だったと……。
それも核戦争や、現実的ではないにしても今年の二月に発生し掛けた巨大彗星激突などの物理的、科学的な手段で回避可能だ、と思えるような危機などではなく、非現実的な……。如何にも魔法や邪神が絡んで来ている事が分かるような危機。
「何を馬鹿な事を言い出すのよ」
それに、例えあんたが言う事が事実だったとしても、それと、夢の中であんたが言った内容となんの関係が有るって言うの?
もうそろそろ呆れるか、それとも怒り出すか。そう言う雰囲気を発し始めたハルヒ。どうにも気が短いと言うか、我慢が出来ないと言うか。
もっとも、この辺りの事情。妙に話が長く成って居る事情が、涼宮ハルヒと言う人物に対する評価が、俺たちのような魔法の世界の住人と、ハルヒ本人の評価が違い過ぎる事に端を発して居るのですが……。
おそらくハルヒ本人は、自らの事を世界の中で埋没する程度の、極々一般的な女子高生だと考えている。
確かにそれはある意味間違いではない。しかし、それでも矢張り、彼女は術者の間でならばかなり目立つ……有名な人間である事も間違いない。
少なくとも、ある程度の名の知られた組織の幹部クラスなら、彼女の事を知らない人間はいないでしょう。……そう言うレベル。例えば、兵庫県警に置かれた特殊資料課。昔で言うなら陰陽寮と言うべき部署の人間ならば全員が知っているでしょう。
それが彼女の望んだ結果と言うよりは、邪神に選ばれた贄だったから、……と言う点が問題だとは思いますが。
但し、そうだからと言って、ハルケギニアのアルマン・ドートヴィエイユやシャルル・アルタニャンなどのレコンキスタの三銃士や、異世界の人間に憑依していた悪霊ジュール・セザールのように、自らが神に選ばれた英雄だ、などと思い込まれるのも問題があるので……。
矢張り、少々、自らが卑小な存在である。世間一般の人間と何ら変わりない普通の人間だと思って居て貰った方が良いでしょうか。
しかし……馬鹿な事か。
「信用出来ようが、出来まいが、あの夜に世界の危機。それまでの歴史がすべて否定され、新たな――しかし、大半の地球産の生命体にとっては不幸しかもたらさない歴史が作り上げられようとした。それは事実」
そもそも、俺がハルヒの夢の中へと入って行ったのは、俺とオマエさんが友人関係だったから、だけが理由やない。
少しの哀しみにも似た感情を押し殺しながら、それでも表面上は何食わぬ顔でゆっくりと事実をありのままに告げる俺。そう、異世界同位体の俺がハルヒの夢の世界へと侵入したのは、それだけが理由ではなかった。
……はず。
ひとつは……俺がコイツを死なせたくなかった。あのまま、もしハルヒが世界を自分の思うままに改変しようとして、その際に誰も助けに行こう……思いとどまらせようとしなければ、彼女は間違いなく世界の防衛機構によって排除――つまり殺されて居たでしょう。
いや、邪神の一柱として滅せられる、が正しい表現か。
但し、この部分は今のハルヒに教える必要はない事。
もっと重要な事は……。
「昨夜、現われたあいつ。あの犬神使いの青年は普通に考えたら、メチャクチャ強い、と言う事は理解出来ているか?」
ほぼ不死に近い回復能力を示し、壁抜けを行い、地下を、ハルヒを抱えたまま時速三〇キロ程度でずっと走り続け、複数……ドコロか、ハルヒの見ている目の前で十頭以上の犬神を使役して見せた。
旅館の方の状況から考えると、最低でも三百頭以上の犬神を同時に操ったのは間違いないでしょう。
「こんなヤツ、自衛隊の戦車や戦闘機が出て来ても倒す事は出来ん」
おそらく、その気になれば、あいつ自身がありとあらゆる通常兵器を無効化出来ると考えても、強ち大げさとは言えない。そもそも、その程度の実力がなければ壁抜けや地行術など行使は出来ませんから。
おそらく、感覚としては分子と分子の間をすり抜けるような感覚となるのでしょうが……。魔法と言う特殊な技術を行使しなければ、現在の科学技術でコレを再現する事は不可能です。
更に、使役している犬神の数にも因りますが、日本の自衛隊すべて……表の部分に属する、通常兵器を使用する部隊すべてを同時に相手にしても勝てる可能性もあると思います。
魔法と言うのは徹頭徹尾、そう言う能力。科学は同じ事が、誰にでも簡単に再現出来る技術や、同じ物を大量に生産して見せるなど、現状でもある面では魔法を凌駕していますが、未だ万能と言う訳ではありません。
例えば、現状の俺なら、ちゃんと準備をしてさえ置けば、例え核兵器の直撃であったとしても無効化して見せますから。
「俺はそいつを相手に、ハルヒを抱えた状態で戦って簡単に勝てる存在だ、と言う事」
ハルヒ、忘れたのか。俺はオマエさんの夢の世界で奇形の君主アトゥと戦って、倒した男だと言う事を。
本来ならあり得ない記憶の内容を口にする俺。いや、この記憶の出所も既に分かっている。そう考えながら、自然な形で自らの胸に手を置く俺。
今の俺の記憶ではない、ここに刻まれた記憶――
その時の想いに。何が起こり、何を考えながらその場に向かったのか。そんな細かな事が、まるで自分が経験した事のように、脳裏に蘇え――
その瞬間、今の俺の記憶ではない、過去の俺であった存在の想いに連れて行かれそうになる俺。あの時に俺の腕の中に居た少女への想い。
ただ一度の別れになるなどと考えず、それまでと同じように何気なく、自然な――
鼻の奥に強く感じた何かを無理矢理押し止め、少し強く瞳を閉じて、彼女に気付かれないように不自然な潤みを取り除く。
大丈夫、気付かれていない……はず。
そんな事ぐらい判って居るわよ。
珍しく俺の事を肯定するかのようなハルヒの言葉。但し、
「でも、その事と、あの夜のあんたが言った言葉の意味と何の繋がりが有るって言うのよ」
適当な事を言って煙に巻く心算なら、そんな小細工は通用しないわよ。
それに続く普段通りの言葉。大丈夫。俺の不審な行動に彼女は気付いてはいない。
少し崩した形になって居た足を、再びちゃんとした正座の形に整え、腕は綿入り袢纏の袖の中に入れるハルヒ。おそらく、普段なら胸の前に組んだ腕を見る事が出来るのでしょうが……。
但し、現在の服装では、ゆったりとした袖の中にその両腕を隠す形と成って居るので、どうにも締まらない見た目と成って居るのは仕方がない。
妙に緊張した表情なのに、服装自体に余裕があり過ぎて、緊張感を緩和して居る……と言うか、何と言うか……。
ただ、その緊張した雰囲気と表情から、彼女が本当の事を知りたい、と考えて居る事は強く伝わって来ているのは間違いないでしょう。
但し、彼女が知りたがっているのがあの夜の真実なのか、現在の――。あの夜の、ではなく、現在の俺の感情なのか、……は分からないのですが。
何にしても、もう隠して置いても意味はない。……と言うか、これ以上、隠していると彼女が俺の言葉に信を置かなくなる可能性が出て来る。
まして、水晶宮と言う組織はそう言う組織。基本的に秘密や欺瞞により成り立っている組織ではない。少なくとも、望むのならある程度の情報は明かされる組織であるのは事実。
国家と言う枠組みでもなければ、世界征服を企む悪の秘密結社などでもない。基本は宗教を捨てた大陸から追い出された神族や、日本で日陰に追いやられた地祇系の一部が寄り集まって出来た互助会。
血の盟約、などと言うキツイ縛りはない。
後は、その得た情報を信用するか、信用しないかは、その人間の判断に任せる、と言う事でも有るのですが……。
心の中でそう考え、
「ハルヒ、お前、俺の話を全然、聞いていなかったな」
あの夜、世界は邪神の召喚に因る危機を迎えていた。
その事件を解決する為に俺がハルヒの夢の世界に侵入して、お前と三カ月ぶりに再会した。
「世界に破滅をもたらせようとしたのは――。歴史を改竄して、自分の思うままの世界を作ろうとしたのはハルヒ、お前や」
事実をありのままに伝える俺。
静かに流れる時間。ゆっくりと回る時計の秒針。
重い、重い空気と気配。そして、乾いた彼女の視線。
そうして、薄氷を踏む彼のような時間が……時計の秒針が軽く一周出来るぐらいの時間が経った後……。
ゆっくりと立ち上がるハルヒ。これは間違いなく交渉決裂――
口先や表面上で表す態度では分からない。けど、俺の事を、心の奥では完全に信用していたはずの彼女。
その彼女が――
「あの日の昼間に何があったのか、詳しい話を俺は知らない」
しかし、ハルヒ、お前が感じて居たのは「世界を書き換えて仕舞いたい」そう言う、強い感情だったはずや。
立ち上がり、そのまま回れ右をしようとしたハルヒ。その彼女の横顔に対して話し続ける俺。すべてはありのままの事実。
但し、それは俺の知っている事実にしか過ぎない。
「俺が水晶宮の方に掛け合って承認させた仕事。それは、夢の世界を通じて異世界への道を開こうとしているオマエの阻止」
当然、その方法も俺に一任されていた。そう言う約束を交わしていたから。更に言うと時間的な制約もあった。
後腐れなくさっさと殺して仕舞っても良い。昨夜のあの犬神使いの様に宝石に封じても良い。
すべての判断は、オマエの友人である俺に一任された。
世界の運命と共に……。
その為に水晶宮が他の神族。特に日本を霊的な意味で支配している天津神と、世界を支配しているヘブライ神族に払った対価がどれほどの物になったのか、俺は聞いてはいない。
そして、俺自身が背負わされた対価に関しても。
「もっとも、俺が選んだのはまったく違う選択肢やったけどな」
先に挙げたふたつは、俺に取って容認出来る方法ではなかったから。
勝手に話を進めて行く俺。しかし――
「そもそも、あんたや昨夜の妙なヤツと違って、あたしにはそんな摩訶不思議な能力なんてないわよ」
そんな能力があるのなら――
自分に能力がない事を悔やむ者の台詞。普段の彼女からは考えられない声音。
……普段はどんなに強気な振りをしていたとしても、本当は自分の事を普通の人間だと考えている彼女なら、これは仕方がないか。
「今夜、俺と一緒に行ける――いや、これから先は誰も危険な目に遭わせる必要もなくなる、か?」
誰だってそう考える。俺にもっと力が有れば。もっと頭が良ければ……。
俺が能力に目覚めた最初もそんな感情からだった。但し、俺の場合は死の半歩手前。倒れた俺を見下ろす地獄の獄卒たちと、その背後に存在した墨染の衣。
都合六つの敵対的な瞳に囲まれた状態だったのですが。
「そもそもオマエが今日一日、妙に不機嫌だった理由は、この辺りが原因なんやろうが」
俺の感覚から言うのなら、何故か遙か昔の記憶。しかし、実際にはたった四年前。十三歳の頃の思い出。其の頃の俺と、そして今のハルヒ。その類似点と差異に対して皮肉な……口角にのみ浮かべる笑みを発して仕舞う俺。
この辺りが、俺が精神的に成熟していない証。未だ成長過程で、性格の悪い策士としては二流以下と言う事になる、と思う。
故に、その表情の効果を百パーセント生かす為、
「矢張りオマエは俺の言う事を何も聞いていない。俺はあの犬神使いをどう呼んでいた?」
軽く首を振り、やれやれ、……と言う感情を表に出しながら、言葉を続けた。
「もしかすると日本の自衛隊全員を相手にしても勝てるかも知れない相手を、魔法に関しては完全に素人だ……と、こき下ろして居なかったか?」
珍しく俺の方が上目使いになりながら、ハルヒに対して話し続ける俺。もっとも、この際の上目使いは、有希やタバサが行う時のソレと効果が違い過ぎるが。
少なくとも俺の上目使いは思わず抱きしめたくなる物ではない。
「確かに、あいつの体術や驚異的な回復力は凄いと思う。せやけど、本当に恐ろしいのは壁抜けや地下を走りぬける能力。それに、大量に使役している犬神。これは、どう考えても魔法に分類される能力だ」
これらは普通、かなりの修業の成果として使用出来る能力。少なくとも俺には地行術を使用する事は出来ないし、使役出来る式神の数も桁が違い過ぎて話しに成らないレベル。
「邪神の中には、その人間が望めば何の裏付けもなく――表向きは何の対価も求めずに望む物。金品や地位、能力などを与えるヤツが居る」
あの犬神使いは剣術を齧った、と言う程度の能力を示していたが、魔法に関しての知識は完全に素人だった。しかし、行使していた術は超一流。
まして、あいつが行っている邪神召喚術はかなり大がかりな術式。やり方が判って居るからと言って、おいそれと実行出来るような術式ではない。
「あの夢の中で、俺とオマエが直接出会う事を阻止しようとした魔物の別の……本当の姿。そいつの事を知っているのなら、俺の言っている事が理解出来るな」
奇形の君主アトゥとは、這い寄る混沌ニャルラトホテプの化身。特に重要な、まして強力な化身と言う訳でもないが、それ故に数多く見られて来た化身でもある。
いくらハルヒの夢の中の世界とは言え、俺が所属している水晶宮を始め、天の中津宮が強い影響力を及ぼしている『日本』と言う世界に繋がっているハルヒの夢の中に、自分の半身と言える分身を送り込むのは危険過ぎる。
人間の夢の世界の一番深い部分には民族や集団、更に人類すべてに繋がる集合的無意識が存在して居り、そこの最深部には自然や世界その物に繋がる部分が存在する。
その部分を通じて俺はハルヒの夢の世界に侵入したのだし、這い寄る混沌の方も、そこからアトゥを送り込んだ。
おそらくあの時、同時に現われた黒き仔山羊たちも同じように黒き豊穣の女神が送り込んで来た存在なのでしょう。
彼女……涼宮ハルヒを護る為に。
「例えそうだとしても、それと、あの時のあんたの言葉との関連性は……」
かなり弱い言葉による反論。同時に、少し浴衣の裾を気にするかのように、元の座布団の上へと座り直した。
……ここまで言っても分からないのか。
微苦笑と言うヤツを浮かべる俺。いや、もうハルヒも分かっているはず。ただ、その答えをどうあっても俺の口から言わせたいだけ、なのでしょう。
ほんの少し。左手を目一杯伸ばせば届く位置関係から、少し……ごく自然に左腕を伸ばせば彼女に届く距離まで近づく俺。
そして……。
「最初に言わなかったか、太極より両儀が生じ――と」
世界がつまらないから。自分の思った通りにならないから、全部、ガラガラポン。何もかもなかった事にして、自分好みの世界に作り変える。
確かに本気でこんな事が出来ると思わなかったから。更に、夢の中であったから。所詮は夢の中の出来事だから、……と考えて世界の改変などを行い掛けたのでしょう。
矢張り、こいつも被害者だな。そう考えながら、口から出る言葉はその思考とはまったく違う内容。
「あの時、俺はこう言わなかったか。もし、世界がつまらなくなって、どうしても作り変えたいと思ったのなら俺を呼べ。その時は、俺が世界の種子を用意してやるから――」
一人よがりの考えで、今そこに存在している世界を種子として新しい世界へと作り変えようとするから邪神扱いされる。そもそも、太極から両儀が生じ、其処から更に四象、八卦、六十四卦と増えて行く。
この辺りはビッグバンでも大きくは変わらない。ほぼ倍々ゲームの形でドンドンと膨らんで行く。この辺りに関してはそう詳しいと言う訳でもないので、少しニュアンスは異なるかも知れないが、宇宙のインフレーションと言われる現象と似ている状態かも知れない。
もっとも、この部分は、今は差して重要な部分ではない。これは宇宙の謎を科学的に、もしくは仙術的に解き明かす作業。
今重要なのはもっと下世話で、庶民的な内容。
それは……。
「――ふたりで創ろうやないか。新しい世界と言うヤツをな」
そう言いながら、そっと右手を彼女の前に差し出す俺。これはあの夜のやり直し。
彼女の目を見て、直接声を聞いて伝える事の出来なかった言葉。
もう笑うしかない内容。こんなの、誰がどう聞いても愛の告白。
ただ、ハルヒの方は夢から目覚める前のドサクサに告げられた言葉。まして、最初は妙な夢を見た、……ぐらいにしか感じなかったと思う。事情が変わったのは、ふたりの出会いの場所に行け。其処に行けばコレがただの夢でない事が分かる、の言葉を信じて図書館に行き、其処で彼女宛てのプレゼントを受け取った後。
彼女の求めていた世界は、彼女自身が知らなかった。……気付かなかっただけで、割と近くにその口を開けて待っていた、そう言う事ですから。
但し、俺の方はそんなのんびりとした状況ではありませんでしたが。
目の前にはアトゥ。そして、あの夢を見て居たのはハルヒで、その彼女が最初は夢から目覚める事を拒否して居たのですから。
例え目の前のアトゥを倒したトコロで、ハルヒ自身を目覚めさせなければ、再び世界の改変を行うのは間違いない。その為には、夢の世界よりも、現実の世界の方がわくわくして、ドキドキする事が待っている、彼女に取っての望みの世界なんだ、と言う事を理解させて、納得させる必要があった。
その為に、俺の正体を彼女に教え、世界の裏側には未だ神話の時代から続く魔法に彩られた世界が広がっている、と教えたのですから。
それに――
それに、仙術の究極の目的のひとつがコレ。完全に世界と同化……ハルヒの夢の世界に到達する前にも通ったはずの場所。あそこは元々、何処かの世界で究極へと辿り着いた仙人であったと言う事。世界に存在するありとあらゆるモノ……意識がある物も、ない物も関係なく……そのすべてと融合。集合的無意識と言う物へと変化、以後は他の存在に対して直接干渉出来なく成り、ただ自らが創り出した世界を維持する為だけの存在となる。
自ら=世界を守る為に因果律を操る場合を除き。
このレベルに至る存在を表現する言葉は……おそらく『悟り』と言う言葉になる。そう言う状態。
もしかするとグノーシス派の唱えるソフィアと言う存在も、ソレに近いのかも知れませんが……。
まぁ、何にしても俺が思うにこれ以上の目的はないと思うのですが、其処はそれ。人がふたり集まれば二人分の意見が出て来る。そして、それぞれの考えを俺たちは否定しない。
それに、それなりの……。もっとも、俺の目から見ると駆け出しの魔術結社が目標と掲げている究極の叡智、とか呼ばれている物が本当に欲しいのならヨグ=ソトースを呼び出して、それに触れるだけで得られるはずです。
もっとも、その後に正気を保って居られるのならば、なのですが。
もしくは、見てはならない世界の未来を視て仕舞い、その究極の叡智を得た存在毎、世界自体が滅ばなければ……。
まして、ハルヒが世界を作るのが、今回が初めてとは限らない。彼女に与えられている神性がシュブ=ニグラウスなら、それは破壊神にして大地母神。転生を繰り返す度に同じような事を行って居る可能性は……高いと思う。
世界と言うのは世界中の想像力……歴史上で想像力を持つ存在が生きた総数以上の数。それこそ無限に近い数だけ存在しているはず。その中には、ハルヒにより創造され、ハルヒにより終末を迎えた世界があったとしても何も不思議ではない。
すべての会話が終わり……。衝撃の事実にハルヒからの反応はない。
差し出された右手は空を掴み、言葉は空しく虚空を彷徨う。
何と言うか……世界のすべてがこの温泉旅館の和室の中に再現され、その凝縮された圧迫を直に感じているかのような雰囲気、と言えば伝わりますか。そう言う、非常に重苦しい雰囲気。
まぁ、これは想定していた結果でもあるのですが。少なくとも、この場で俺が差し出した手を簡単に掴めるような人間ではないでしょう、涼宮ハルヒと言う人間は。いや、むしろ、この場でハルヒが俺の手を取られた時の方が厄介でしたから。
それに……。
それに、このタイミングですべてを話しても良かったのか、それとも早過ぎたのか。今の俺には分かりません。でも、何時かは話さなければならなくなったのも事実。
……俺がこの世界に帰って来てから、俺の周りに起こりつつある事件が、無意識の内にハルヒが招き寄せている事件ならば、その力をコントロール出来るようにならなければ、何時かはもう一度……いや、俺の感覚からすれば三度目の破滅を招き寄せる可能性が高いから。
会話が終わる。
世界は相変わらず夜の静寂に支配され、冬の属性の風の音すらこの部屋には聞こえては来ない。
さて、それならば。少しわざとらしく左腕に巻いた腕時計に目をやる俺。
俺の準備は出来ている。
それに、矢張りここには居られない。しばらく、彼女一人の時間が必要でしょう。
俺が傍に居て、彼女が気付かないように意識を誘導してやる事も出来ます。ですが、それは流石に……。
俺の仕草に気付いたハルヒがノロノロと立ち上がろうとする。何故か、その時に彼女が発して居たのは強い哀しみ。
理由は分からない。分からないが、このまま彼女を彼女の部屋に帰すのは色々とマズイ。それだけは分かる。
「あ、いや、そんな必要はない」
言葉と、そして、左手で彼女の肩を押さえ、立ち上がろうとするのを阻止。
そして、彼女の代わりに立ち上がり、
「俺はこれから出掛けたら、戻って来るのは明日の朝。その間、この部屋には誰も居なくなるから、ここで寝たらええ」
その方が守り易いから。
少し笑いながら最後に一番もっともらしい理由を付け足す俺。
昨夜、犬神使いの青年に襲撃された理由は、ハルヒの部屋に施してあった全ての結界を……おそらく相馬さつきに解除されたから。そして、今朝にその事が分かってから新しく、より強固な結界を施してはあるのですが。
それでも、それが絶対ではない。
まして、ハルヒの存在が相手に取って重要であればあるほど、彼女に向かって来る戦力は増える。
「一応、かなり念入りに調べたけど、それでも尚、霊道のような物を通されている可能性はある」
巧妙に隠されていて気付かない可能性はゼロではない。昨夜の失敗を続けるのは余りにもマヌケ過ぎますから。
その点、この部屋に関しては問題ない。誰も居なくなったハルヒの部屋には罠を仕掛けて置く方が良いでしょう。
表向きの理由を説明する俺。
裏の理由は……。この部屋は今現在、俺の部屋と言う属性を得ている。彼女の中で俺と言う存在がどのような存在なのか分からない。それでも、俺が彼女に感じている程度の感情を持って居るのなら……。
この部屋で眠るのは悪い結果をもたらせる事はない。
じゃあ、行って来るから。短くそう告げ、そのまま部屋の入り口に向かってゆっくりと、しかし、大股で歩み行く俺。
しかし――
「待ちなさい。未だ、話は終わった訳ではないわ」
何故か未だ呼び止められる俺。不意に捉えられた右手は、強く引かれる訳ではないが、流石に振りほどく訳には行かない状況及び相手。
確かに、俺が全速で向かえばあの場所……。城跡に存在している庚申塚までならそれほどの時間は掛からないとは思いますが。
それでも、戦闘までに出来るだけ気力は温存して置きたいのですが……。
ただ……ハルヒが俺の手を握って来たのは、今回が初めてかも――
そう考え、その時の彼女の手から感じた柔らかさと、そしてその冷たさに小さくない驚きを覚える。
「何よ、その不満そうな顔は」
振り返った俺。その俺の顔を見つめた瞬間に、ハルヒが発した言葉がコレ。
但し、俺が感じていたのは不満などではなく驚き。それまでは一定の距離を置いて、俺のテリトリー内には絶対に入り込もうとしなかった彼女の方から距離を詰めて来た事と、表面上は現していない、しかし、おそらく感じている不安などを示すかのような手の冷たさに対する驚き。
そして、彼女にすべてを話して良かったのか、と言う後悔……。
彼女が望んだ事とは言え、適当にお茶を濁す方法や、嘘を吐く方法さえあったはずなのに、バカ正直に事実をありのままに伝える必要が本当にあったのか。その辺りをしっかりと考えた上での言葉だったのか、と言う後悔。
振り返り、ハルヒの顔を見つめる俺。
ただ、彼女が真実を強く望んで居たのも事実。そして、嘘が通用しない相手で――
他人に対して思いやりのない人間。自分の事しか考えていない連中の事を嫌っているのは、ハルヒの属性の元となっているシュブ=ニグラスとも共通しているはず。
あの球技大会の決勝戦前に彼女が勢い余って口にした内容。他人がどう考えているのか無関心のヤツは嫌い、……と言う言葉は、へそ曲がりのハルヒとしては珍しく本心からの台詞だったのでしょう。
ハルヒを見つめたまま、少し固まる俺。すべての会話が終わったと思い込んでいた為に、少し不意を衝かれた感覚。
そんな俺を上目使いに見つめるハルヒ。
そして、こう話し掛けて来た。
「最後にひとつ聞きたいだけ。そんなに時間は取らせないわよ」
後書き
何も馬鹿正直にそこまで話す必要はないのでは、と考える方も居られるでしょうが……。
でも、ハルヒ自身の能力。王国能力が多少、世界に影響を与えるようになって来ている可能性が出て来た以上、主人公が隠し通したとしてもまったく別のルートからハルヒの耳に入る可能性を考慮した上での、主人公の判断です。
まぁ、組織の判断を仰いでいないので独断だ、と言われる可能性もあるのですが。
但し、彼女を騙し続けるのなら、わざわざ二次小説など書く必要はありませんから。それなら、原作と同じ流れです。
それでは次回タイトルは『異邦人』です。
追記。
本来、第131話の後書きとして挙げるべき内容をつぶやきの方にUPします。
少し文字数が多く成り過ぎましたから。
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