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大切な一つのもの

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28部分:第二十八章


第二十八章

「御前はこの騎士殿に声をかけるな」
「すいません」
 娘はそう言われてすぐに謝りました。
「つい」
「わかればいい。そうだ」
 主はふと思いついたように言葉を出しました。
「騎士殿」
「はい」
「若し剣を抜けたらですな」
 そう彼に言うのです。
「一つだけ願い事を適えるということでどうでしょうか」
「願い事をですか」
「そうです」
 その言葉に頷きます。
「それでどうでしょうか」
「宜しいのでしょうか」
 騎士と少し戸惑いが入ったような目で主に問いました。
「それで」
「はい、何でもです」
 主は敵視していながらも毅然として言いました。
「その剣はあくまで抜けない。それを抜いたとならば」
「それだけの価値があると」
「ですから。よいのです」
 思った以上に強くはっきりとした声になっていました。
「もっとも抜ければ、の話ですが」
「わかりました」
 騎士もその言葉に頷きました。
「ですがまずはこの剣を抜いてから」
「ええ、どうぞ」
 騎士に抜くように声をかけます。手で木を指し示しながら。
「抜いて頂きたい」
「では」
 ゆっくりと剣に近付きます。そうして柄に手をかけ。
「むんっ」
 渾身の力を込めました。そのまま一気に引くと。
 抜けたのです。まるで全く刺さっていなかったかのように。それを見た屋敷の者達は皆驚きの顔になりそれと同じ声をあげました。
「何とっ」
「抜いたかっ」
「抜けたのか」
 抜いた狼の騎士も驚きを隠せませんでした。
「私が。本当に」
「まさか本当に抜いてしまうとは」
 主も驚きを隠せませんでした。その声と顔で言うのです。
「あの剣を」
「確かに」
 騎士はその手に持っている剣を掲げながら述べます。両手で持ってもまだ長い、騎士の身の丈程もある巨大な剣です。その刀身が銀色に眩いばかりに輝いています。
「抜けました。この剣を」
「御見事と申し上げましょう」
 主は素直にそう述べてきました。目は別の色を映し出していましたが。
「その剣を抜かれたことを」
「有り難うございます」
「それで約束ですね」
 いささか不愉快な声の色ながらまた述べたのでした。
「貴方の願いを一つですね」
「それですか」
 言われてようやく思い出しました。騎士は剣を抜くことだけを考えていてそのことを完全に忘れてしまっていたのです。それだけ集中していたのです。
「はい。どういったものでしょうか」
「そう言われましても」
 主の言葉に困惑した顔を見せます。
「私も。わかりかねています」
「どういうことですかな、それは」
「そこまで考えていませんでした」
 その困惑した顔で述べます。
「それで何を頼めば」
「困りましたな、それは」
 主は騎士のその言葉を聞いて眉を顰めさせてきました。
「我が家の家訓ですが」
「はい」
「約束は必ず守るのです」
 そうしたことには厳しい主でした。騎士を快く思っていなくとも家訓も決まりも厳しく守る人でした。そうしたところは実に凄いです。
「ですから。貴方もまた」
「そう言われましても」
 騎士はそう言われても困惑したままでした。
「私も何を願えばいいのか」
「しかしそこで一つを」
「ううむ」
「あの」
 騎士が困り果てているとそこに先程の娘がそっと出て来ました。そうして騎士と兄である主の間にやって来てそっと言うのです。
 
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