| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

至誠一貫

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第一部
第六章 ~交州牧篇~
  七十三 ~碧眼児~

 数日後。
 思春率いる船に乗り込み、一路呉を目指す。
 この頃は州都は建業ではなく、あくまでも呉。
 とは申せ、このまま水路を行く方が効率が良く、そして速いようだ。
「歳三」
 甲板で行く手を眺めていると、雪蓮がやって来た。
「黄河とは違うものだな。同じ大河でも」
「そうね。わたしは、見慣れているこっちの方が好きだけどね」
「南船北馬、か」
「何、それ?」
 首を傾げる雪蓮。
「北部では山や平野が多いから馬で、南部は川が多いから船で移動する事が多い。そんな意味の言葉だ」
「へぇ、相変わらず博識なのね。歳三って」
「そんな事はないが。あまり使わぬ言葉なのか?」
「う~ん、わたしは知らないなぁ。帰ったら、冥琳に聞いてみようかな」
「知らぬ名だが。誰の事だ?」
「ああ、周公瑾の事。わたしの親友よ」
 そうか、孫策がいるのであれば当然、周瑜もいるか。
 真名がある、という事は恐らく女子なのであろう。
 そして、間違いなくこの世界でも、優秀な軍師と見て良い筈だ。
 ……ただ、夭折する人物でもある事は気がかりだが。
「そう言えば、シャオはどうしたのだ?」
「ああ、あの子なら一足先に呉に戻したわ。今頃、母様にたっぷり絞られているでしょうね」
 苦笑する雪蓮。
「何とも、奔放な娘だな。末娘らしいと言えばそうだが」
「そうね。まぁ、母様譲りなんじゃない?」
「ふっ、そうだな。雪蓮にも良く似ているしな」
「ぶーぶー、酷いわよ。わたしは、あそこまで自由気儘じゃないわよ?」
「どうだか、な。少なくとも、子供のような膨れ方をしているうちは、シャオと変わらぬぞ」
「シャオと同じって、あんまりよ歳三?……なんなら、違いを証明してあげましょうか、今夜にで……」
 そう言いかけた雪蓮の背後から、殺気が漂ってきた。
 恐る恐る振り返る雪蓮の先に、彩(張コウ)が立っている。
 顔は笑いつつも、額に青筋を浮かべながら。
「孫策殿。違いを証明するのに、何故夜でなければならないのでしょうか?」
「え? い、いや、その……あはは」
「生憎、私は武骨者でしてな。宜しければ、具体的にお話いただけると幸いです」
「そ、そうね……。あ、そうだ。わたし、思春の手伝いがあったんだ、それじゃあね!」
 形勢不利と悟ったか、雪蓮は逃げ出した。
「全く。孫家の方々は一体、どうなっているのだ」
「……あまり、気にせぬ事だな。身が持たぬぞ」
「しかし、あまりにも殿を誘惑しようとする向きが強過ぎます。間違いがあれば、呉で待つ皆に申し訳が立ちませぬ」
 その懸念は無用、そう断言して良い。
 ……さしあたり、我が身が持たぬ事もあるからな。


 船足は思いの外速く、その日の夕刻には呉の城が見えてきた。
 その景色を眺めていると、思春がやって来た。
「土方様。一足先に上陸なさいますか?」
「しかし、もう指呼の距離ではないか」
「はっ。ですが、この楼船は大型なので、接舷にも刻を要します。艇を用意しますので、そちらに移乗していただければ」
「わかった。彩、愛里(徐庶)は残って下船の指揮を執れ。山吹(糜竺)は私と共に参れ」
 皆、黙って頷いた。
 そして、川岸から数艘の舟が近づいてくるのが見えた。
「あれか?」
「はい。艇と言いまして、普段は河川の警備などに用いています」
「なるほど」
 漕ぎ手は二人のみだが、船足は速そうだ。
 みるみるうちに距離が縮まっていく。
 それに合わせて、楼船も速度を落とす。
 そして、甲板から縄梯子が投げられ、準備が整ったようだ。
「揺れますので、お気を付けて」
「そうしよう。心遣い、感謝するぞ」
「……は」
 移乗は滞りなく終わり、艇は岸へと向かう。
 なるほど、見た目の通り、とても動きが軽快だ。
 無論、漕ぎ手の力量もあるのだろうな。
「歳三さま。船着き場で、誰かが手を振っているようですね」
「……皆、揃っているようだな」
 愛紗に星、鈴々、疾風(徐晃)。
 当然、稟、風、朱里の姿も見える。
 ……漸く、皆が一堂に会す日が来たか。
 そう思うと、感慨深いものがあるな。
 その間にも、艇は岸へと近づいていく。
 艫綱が結ばれ、一日ぶりに土を踏む事となった。
「歳三様、よくぞご無事で」
「道中、大変だったみたいですねー。ちょっとだけ、心配だったのですよ」
「皆、積もる話もあるだろうが、後にしようぞ。まずは、睡蓮(孫堅)に礼を述べねばならぬ」
「はっ。では主、私がお供仕ります」
「何を言うのだ、星。ご主人様は私が」
「いや、歳三殿、私がお供を」
「むー、お兄ちゃんは鈴々が守るのだ!」
 ……案の定、こうなったか。
「山吹さん、いつもこうですからあまり気にしない方がいいですよ」
「そ、そうなんだ……」
 朱里の言葉に、苦笑するばかりの山吹だった。

 宿舎に落ち着いた私は、皆から近況の報告を受けた。
「睡蓮が不在だと?」
「はい。山越が侵入したらしく、昨日慌ただしく出陣されました」
 稟によると、雪蓮に祭、明命も同行したらしい。
 うむ、皆を預けた事への礼を述べたかったのだが。
 ……だが、無為に留まる事は許されまいな。
「お兄さん。甘寧さんが、お話があるとお見えですよー」
「わかった。通してくれ」
 思春は、一人の少女を連れていた。
 桃色の髪、褐色の肌、そして意志の強そうな眼。
 睡蓮や雪蓮、小蓮に似ている点で、予想はつくが。
「お目通りいただき、ありがとうございます」
「うむ」
 件の少女が、私に一礼し、口を開いた。
「お初にお目にかかります。私は姓を孫、名を権、字を仲謀と申します。いつも、母や姉がお世話になっています」
 ふむ、やはりそうか。
 後の、呉皇帝。
 ……だが、今はまだ、睡蓮の次女に過ぎぬ。
 無論、上に立つ者としての素養は感じられるが。
「拙者は姓は土方、名は歳三。此方こそ、造作をかける」
「いえ。只今母と姉が不在ですので、代理としてご挨拶に伺いました」
「わざわざ忝い。本来であれば、睡蓮殿に礼を述べねばならぬところだが、急ぎ交州に参らねばならぬ身。数日中にはお暇しようと存ずる」
「はい。……それから、この思春の不始末の事、母に成り代わりお詫び申し上げます」
 思春と二人、頭を下げる孫権。
 かなり、律儀な性格のようだ。
「もう済んだ事。後は、睡蓮殿にお任せする」
「……その事ですが。思春は母ではなく、私の直属なのです」
「……なるほど。では孫権殿にお任せ致す」
「はい。それから、私の事も以後、蓮華とお呼びいただいて構いません」
「蓮華様!」
 孫権は、思春を手で制した。
「配下の不始末は、上司たる私の不始末でもあります。そうでなくては、私の気が済みません」
「……なるほど。貴殿なりの謝罪、と言う訳か」
「そうです。それに、聞けば母だけでなく、姉も妹も、貴公に真名を預けているとの事ではありませんか。私だけ許さない、というのもおかしな話です」
 筋の通らぬ事は出来ぬ、か。
 ならば、断る理由もなかろう。
「わかった、真名は預かろう。拙者、いや私には真名がない。好きに呼ぶが宜しかろう。……それから」
「まだ、何か?」
「いや、然したる事ではないが。雪蓮や小蓮と同じ、普段通りの口調で話すがいい」
「……しかし」
「礼を尽くすのは構わぬが、それで自らを押し殺す事はない。私は高貴な生まれでもないのだ、自然体の方が寧ろ望むところだ」
「……わかったわ。では、歳三と呼ぶわ」
 何処か、安堵したような面持ちの蓮華であった。


 その夜。
 皆との再会と、新たに加わった山吹の歓迎を兼ねた宴を開いた。
 軍師と文官に、稟、風、朱里、愛里、そして山吹。
 武官は、愛紗、鈴々、星、彩、疾風。
 ……この時代に劉備がいるのかどうかはわからぬが、私が知る限り、それを上回る顔触れが揃っている。
 そして、その全員と確かな信頼関係がある、そう断言して良い。
「山吹、なかなかいい飲みっぷりではないか」
「そういう星さんこそお強い。ささ、愛紗さんもどうぞ」
「ああ。今宵は久々に気持ちよく飲めそうだ。ひっく」
 山吹も、どうやら無事に溶け込めているようだな。
 ……愛紗の飲む勢いが、いつもよりも早いような気はするが。
「ご主人様、これ、召し上がってみて下さい」
「ほう。天麩羅か」
 朱里が差し出した皿には、野菜や魚の天麩羅が盛られていた。
 この時代、私が知る食材が手に入るのも不可思議な話だが、今更気にしてもどうにもなるまい。
 僅かに塩をつけ、口に運ぶ。
「……うむ、美味い」
 衣の厚さも程良く、何より素材の旨味が損なわれていない。
 これならば、江戸で店を開いても十分繁盛する事は請け合っても良い。
「エヘヘ。良かったです」
「朱里。それは何ですか?」
 稟達が、興味を惹かれたのか寄ってきた。
「天麩羅、って料理です。ご主人様に教えていただいたんです」
「それは興味深いですねー。お兄さん、風にもいただけますか?」
「無論だ。朱里」
「はいっ!」
 朱里と愛里、心底料理が好きなのであろう。
 次々と伸ばされる箸を、嬉しそうに眺めている。
「殿。これもお一つ」
「む。いただこう」
 差し出された箸を、何の気なしに咥えた。
 ……ほう、この味は。
「これも美味い。里芋の煮っ転がしか」
「はい」
 こちらも、笑顔の彩。
 醤油がない故、完全なる再現は無理かと思ったが……彩の奴、かなり試行錯誤したようだ。
 ……ふと、背筋に寒気を感じる。
「彩。……あなた、少し自重する気はないのですか?」
「風もそう思うのですよ。彩ちゃん、お兄さんをずっと独り占めしていたのですしねー」
「そうら! ごひゅひんさまをよこすのりゃ!」
 呂律が回っておらぬぞ、愛紗。
「何だ? 私が作った物を、殿に味見していただいただけではないか」
「だが、それならば主に勧めるだけで良いではないか。お主だけ、新妻気取りではないのか?」
「まぁ、待て。彩にも他意があった訳じゃないだろう?」
「ひゃやて! おまえはくやしくにゃいのきゃ!」
 ……うむ、確かに収拾がつかぬな、これでは。
「あはは……。なんか、本当の家族みたいですね」
 家族、か。
 ……久しく、そのような事も考えなかったが。
 だが、山吹の申す通り、我らは家族同然なのであろうな。
 ならば、さしずめ家長……とも言うべき私は、それを収めねばならん。
「これ、喧嘩は止さぬか」
 が、どうやら火に油を注ぐだけだったようだ。
「……歳三様。申し訳ありませんが、少し黙っていていただけますか?」
「そうですねー。元はと言えば、お兄さんがいけないのですよ?」
「しょんなごひゅひんさまには、おしおきにゃのれす!」
 あっという間に押し倒され、唇を奪われてしまう。
 口の中に、何か生暖かい物が流れ込んできた。
 ……これは、酒か。
「にゅふふー。くちうつしなのれすー」
「ああっ! あ、愛紗! 何をするのですか!」
「おい! 自重しろと言っておいて、自分はそれか! 殿から離れろ!」
「いやりゃー。もう、はなれないのりゃー」
 酔っている癖に、何と言う力だ。
 押し退けたくとも、びくともせぬぞ。
 息が出来ぬ……。
「……お、おい。愛紗」
 と、星が不意に声を震わせた。
「にゃんら? ごひゅひんさまなら、わたさないにょ!」
「い、いや……お前の隣を見ろ? 何か、いるぞ……?」
「……ふえ?」
 愛紗が、視線を動かす。
「うにゃー! 恨めしやー、なのだーっ!」
「……ぎ……ギャーッ!」
 途端に、金切り声を上げ、飛び起きる愛紗。
 そのまま、脱兎の勢いで部屋を出て行った。
「にゃはは、相変わらず、愛紗はお化けに弱いのだ」
「……鈴々か」
 何処から持ってきたのかは知らぬが、海藻を鬘のように被っていた。
 ふう、危うくくだらぬ事で、再び黄泉路に旅立つところであったな。
「主。私の機転が利きましたな」
「……星。よもや、責任がない、と申すまいな?」
「は、はて。何の事やらさっぱり」
「惚けても無駄だ。明日より暫し、禁酒を命ずる」
 みるみるうちに、顔面蒼白になる星。
「お、お待ち下さいませ!」
「駄目だ。どう見ても、愛紗がああなったのは、お前が調子に乗って呑ませたからに他ならぬ」
「そ、そんな……」
 崩れ落ちる星。
 ……自業自得だ、少し反省させる他あるまい。
 だが、機転の礼もせねばなるまい。
「星」
「……は」
「その代わりではないが、今宵は私の傍にいるがいい」
「ま、真でございますか!」
 ずい、と詰め寄ってくる星。
「二言はない。……皆も、それで良いな?」
 不承不承と言った風情ながら、稟らは頷く。
「心違い致すな。これは、礼代わりだ」
「それでも構いませぬ。……やはり、主は素晴らしき御仁だ」
 全く、現金な奴だ。
 ……まぁ、それでこそ星なのだがな。


 全ての準備を整え、数日後には我らは呉を後にした。
 一路、南へと向かう。
 最短距離を行くならば、揚州から荊州を経る事になる。
 だが、疾風と風が、聞き捨てならぬ報告をもたらしていた。
「益州牧の劉焉殿が、密かに交州を切り取る算段を行っているとの噂が流れているようです」
「それだけではないのですよ。荊州牧の劉表さんが、交州を狙っているとの噂もありまして」
「どういう事だ。州牧には、他の州を侵す権利などあるまい?」
「いえ、先般の曹操殿と同じ名目を利用する気なのでしょう」
 と、稟。
「救援、という事か?」
「はい。交州は僻地、つまり他国と接している地です。異民族が度々侵入する、という事です」
「なるほどな。そして、州牧である私は未だ赴任しておらず……という事か」
「ええ。一時的にせよ、実効支配すれば、交易で利益を上げられますから。それに、庶人を保護するという名分があれば、朝廷から咎め立てされる事もありませんしね」
「何だか、空き巣みたいな連中なのだ」
「鈴々の言う通りだな。全く、卑劣な奴らばかりだ」
 彩だけではなく、愛紗も憤慨している。
 いや、程度の差はあれど、皆が怒りを覚えているのは確かであろう。
「やはり、一刻も早く交州入りする必要がありそうですね。今の朝廷では、地方まで目が届きませんから」
「私も朱里ちゃんに同感です。……ただ、問題は事実上の州都、交趾までの道のりがあまりにも遠い事です」
 広げた地図を前に、皆が溜息をついた。
 広大な漢王朝の版図。
 実際に移動する事で、それを痛感する日々だが、それにしても遠い。
「しかし、その調子では荊州を通過するのは危険ですな、主」
「うむ。劉表に野心があるとなれば、何らかの妨害が予想される。そう考える方が自然であろうな」
「…………」
 ふと、地図を食い入るように見つめる山吹に気がついた。
「如何致した、山吹?」
「あ、はい。名目とは言え、庶人の保護の為に出兵させるのは止められませんが、それを何とか利用出来ないものでしょうか?」
「利用?」
「そうです。劉表様にしろ劉焉様にしろ、救援名目でご自身が出馬する事はないでしょう。お二方とも、武官の出ではありませんから」
 山吹の言葉に、三人の軍師が顔を見合わせた。
「あ、なるほど。その手がありましたか」
「ですねー。思いつかなかったのですよ」
「はい。ご主人様、何とかなるかも知れません」
「ちっともわからないのだ。愛紗、一体どういう事なのだ?」
「わ、私に聞くな、鈴々。……私にも、さっぱりだ」
 同様に、彩らも首を傾げている。
 ……だが、この三人がいれば、誤った策を立てる事はまずあるまい。
「よし。稟、風、朱里。お前達に任せる、見事この状況を乗り切る策を立ててみせよ」
「はっ!」
「御意ですー」
「御意です!」
 うむ、良い返事だ。
 稀代の軍師らが立てる策、見せて貰うぞ。 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧