竜騎を駆る者
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序章2 ユン・ガソルの王
「此処は……ッ?!」
目を覚まして最初に感じたのは激しい痛みだった。全身が万遍なく痛むのだが、特に左腕の痛みが酷い。動かして直に見ようと思い、行動に移すが左手が動く事は無く痛みがより酷くなっただけであった。仕方がないので痛む上体を動かし確かめる。
「……これはまた、随分手ひどくやられたものだ」
見れば、左腕は大袈裟なほどに包帯が巻かれており、それだけでは無く医療用の魔導具が何個も取り付けられていた。よくよく見れば、全身も包帯が巻かれており、無事なところなど直ぐには見当たらない。
極め付けに、左腕の手首から先がなかった。我ながら、よく生きていた物だと感心すると同時に、不思議にも思った。
「しかしまぁ……、物好きもいたものだ」
自身の状態を確認したところで出たのは、そんな言葉だった。現状から察するに、どうやら誰かに助けられたのだろう。普通なら敗れたことを思い涙したり、手がなくなった事に悲観したりするのだろうが、元々死ぬと思っていた自分が生き残ってしまったことの方が気になってしまい、どこかずれたことを言ってしまう。要するに、相応の混乱をしていたのだが、この時はそんな事には思い至らなかった。
「敵にかける情など、必要あるまいに……」
医療用の器具を見て、他国製のものだと言う事に見当がついた。自国のモノとは違っていたのだ。医療用の道具については衛生兵ほどではないにせよ、学んでいたのである。戦場で負傷した時、衛生兵が直ぐ傍にいるとは限らないからだ。それ故、医療器具の扱いについてはそれなりの心得を持っていたというわけである。そういう都合から、自身に施されている器具が他国のモノだと見当がついたのだった。
そこから解るのは、敵国の人間が俺の事を助けたと言う事だ。だからこそ、解せない。他国に名の知れ渡った将ならばいざ知らず、自分のような無名の人間を助けるなど、物好きを通り越して違和感しか感じないのである。捕虜にするにしても死にぞこないを態々治療して捕虜とするメリットが思い当たらない。放って置けば死ぬような敵国に所属する人間を助ける義理などないのだ。となれば、思い当たるのは人体実験に素材として使うのではないか、と言う事だが、それでも死にぞこないを態々治療して使うぐらいなら、捕虜でも何でも使う方が明らかに効率的と思える。どういう都合にせよ、死にぞこないを治療する理由が解らなかった。
「私を助ける意図が解らない。まさか、よほどの阿呆なのだろうか?」
「おいおい。助けて貰っておいてその言いぐさは何だ? くく、流石の俺も傷付くぜ」
思わず口を出た言葉に、予想外のところから返事が来た。豪快に笑いながらそういう声は、一定の威厳を持ちつつも、どこか愛嬌を感じさせる。驚きを表に出さないように注意しつつ、視線を向けようと体を動かす。直後、体を内側から抉るような鋭い痛みが走り、声にならない叫びをあげてしまう。驚きを顔にこそ出さなかったが、此れでは動揺していると言っているようなものであった。
「ッ?!」
「ああ、待て待て。お前さんかなりの重傷だからな、そのまま動くな」
そんな此方の様子をさも可笑しそうな響きを滲ませつつ、そう言いながらこちらが相手の顔を見て話せるように声の主は場所を移した。
「貴方は……ギュランドロス・ヴァスガン、か」
「ほう? 俺の顔を知っていたのか、なら話は早いな」
その顔を見て、先ほどとは別の意味で驚く。赤い鎧に、赤い外套。炎のように猛髪。そして豪快な笑みを浮かべた男。ギュランドロス・ヴァスガンであった。内心で驚き、表情に出すまいとするも、動揺して怪我の事を考慮せず動いてしまい、痛みに声にならない声を上げてしまった。そんな俺の様子に、声の主であり、敵の総大将であるギュランドロスはにかっと嬉しそうな笑みを浮かべている。王でありながら、どこか少年のような笑みであった。
見間違う筈など無い。ギュランドロスは今でこそ敵国の総大将と言う立場であるが、それ以上にユン・ガソル連合国の王であったため、仕官する前に諸国を見聞していた時に顔を覚えていたのだ。
さらに言えば、戦場で将と言うのは兵士の中心にいることが殆どで、部隊の指揮をしていたりするため顔を知らなくとも大体わかるものなのだが、将の顔は覚えておいて損は無い。総大将となればなおさらだろう。何より、一度だけだがその首に手が届く距離まで肉薄したこともあった。それ故、目の前にいる人物が敵国の王だと言う事が理解できた。
「問いたいことは多々ありますが、今は一つだけ聞かせてもらっても構いませんか?」
「ああ良いぞ。言ってみな」
「では。放って置けば死ぬ私を助けた意味が解りません。何を企んでいるのかお聞きしたい」
現状では駆け引きなどするだけ無駄である。自身は死んでいないだけで動く事すらまともにできず、生かされているだけなのだ。目の前の男の気分次第で成す術もなく殺されるだろう。ならば、交渉の余地もない。殺されるにしても、せめて死に際の疑問ぐらいは解消しておきたいと思った。思えば、雨の中で倒れ伏していた時、自分は既に死んでいたのかもしれない。
「くく、随分と単刀直入に来るな」
「こんな状態では駆け引きをする余地もありませんからね。私が生きるも死ぬも貴方次第。つまり、私は貴方に従わざる得ない。ならば、駆け引きなどするだけ時間の無駄と言う訳です」
そんな俺の返答が余程面白かったのか、ギュランドロスは少年のように屈託なく笑った。裏表のないように思えるソレは、こんな状態でなければ主君と定めていたかもしれないほどに惹かれる何かを感じた。ある種の、器と言うモノだろうか。ギュランドロスに自身には無いモノを見て、そんな事を思う。尤も、今となっては詮無きことだろうが。
「いや、まったくだ。確かにそうだが、そう簡単に割り切れる者でもない、か。成程、これは思った通り拾い物をしたかもしれんな」
「どういう事でしょうか?」
俺の返答に、ギュランドロスはにやりと笑みを深める。新しい玩具を見つけた少年。そんな王らしからぬ顔に、どこか惹かれた。主君である、ノイアス元帥には感じる事が無い類のモノであった。
「お前の才が欲しい。俺に付いて来ないか?」
そう言って、にやりと笑いながら、ギュランドロスはこちらに手を差し出した。
「……」
言葉が出なかった。相手の意図が読めなかったのだ。
我が方の軍は一度ユン・ガソルを打ち破った。それは事実である。献策をし、自身が成した事が大きいという自負もあった。だが、それは戦いが終わった直後のギュランドロスが知るところではないのだ。幾らなんでも、情報が速すぎるのである。
確かに、自分は騎馬隊を指揮し、ギュランドロスを討つと言うところまで迫ることはできた。だが、それも一瞬でしかない。自分の場合は事前に顔を知っていたし、敵軍の総大将でもあるため覚えているのは当たり前なのだが、ギュランドロスからすれば俺の事など突如現れた刺客に過ぎないのである。戦場に在ればその程度の事は日常茶飯事にあるだろうから、顔を覚えられているとも思えなかった。
尤も、あくまでそれは将校のみが知る情報が漏れていないという前提の話であるが。
「それは、ユン・ガソルの王としての意思なのですか?」
それだけ尋ねた。自分が唯の将として捕えられたのならば勧誘もないとは言い切れないが、まったくと言って良い程名を知られていない自分を、死にかけのところから態々治療してまで命を繋いだのである。ユン・ガソルにとって、自分がそれだけの価値を持つとはとても思えなかった。それ故問う。
「いや、ユン・ガソルの王としてと言うよりは、ギュランドロス・ヴァスガン個人の意思だな。お前が率いる騎馬隊が向かって来た時、不覚にも敵の動きに見惚れた。此奴の軍略の才が欲しいと思った」
「成程。やはり、個人的な理由でしたか」
ギュランドロスの言葉を聞き、ある程度は納得できた。国としての意見では無く、個人の我儘を押し通したと言うのであれば、この無駄も理解できた。一瞬の交錯でしかなかったが、それでも王の眼鏡に適ったと言うのならば、それは光栄な事である。例えそれが、敵国の王だったとしても。そう、思った。
「ああ、俺の夢には、才のある者がたくさん必要だ。俺自身天賦の才を持っていると自負しているし、三銃士と言う自慢の矛と盾もある。だが、それだけではとても足りん。だからこそ、才が欲しい。誰の目にも光って見えるような、天賦の才がな。そして、その一人がおまえだったと言う訳だ」
そう言って語るギュランドロスの目は子供のように輝いていた。我が主君であるノイアス元帥に戦を仕掛けたのも、宿敵であるメルキア帝国を討ち滅ぼすためだろう。だからこそ、人材は幾らあっても足りないと言う事なのだろう。言葉の端々から、ギュランドロスが自身を求めていると言う事は実感できた。
「私には、そのような才があるとは思えません。他者よりも少し戦う事が得意なだけです」
だが、自分にそこまでの才があるとは思えなかった。確かに、自分ではできると言う自信を持っていたが、つい先ほど敗れたのである。警戒していたにも関わらず、完全な敗北だった。だからこそ、目の前の男が言うような才があるとは思えないのだ。
「いや、ある。お前には、確かに才気を感じる。特に軍事に関する才をな。実際ぶつかった時、その統率された動きに見惚れた。あの時、エルミナが割って入らなければこの首を取られていたかもしれん。もしくは、騎馬隊同士で正面から直接ぶつかっていたら、数を見て少数と侮り驕りを突かれ討たれたかもしれん。素直にそう思う。それ位お前に脅威を感じたし、だからこそ欲しいとも思った」
「……」
俺の言葉にギュランドロスは、静かに答えた。自身が指揮した騎馬隊を見事だった、と。脅威に感じた、と。だからこそ欲しいとも。
その言葉はギュランドロスの表情を見る限り演技とは思えず、相手が本心からでた言葉のようであった。だからこそ、胸を打たれた。自身が完膚なきまでに打ち破った相手でありながら、恐ろしいと言い、欲しいとも言ったのだ。将として、これほど光栄なことはあるまい。
「それでも、私はその手を取れません」
数舜考え込み、静かに告げた。答えはもう決まっていたのだ。
「ほう? ならばこの場で死ぬしかないと解っているのか? 俺はお前が確かに欲しいが、降らないと言うのならば、その才を用い再び敵として現れる前に手を打たねばならん」
ギュランドロスは少しだけ意外そうにしながらも、言葉を続ける。どうやら、俺が自分の手を取ると想定していたからだろう。
「はい。例えそうだとしても、私にその手は取れないのです」
念を押すように言うギュランドロスに、穏やかに告げる。無理なものは無理なのだ。だが、自身を心底欲しいと思っていてくれる事が伝わってきて、嬉しく思えた。
「……それは何故だ? と聞いても良いか?」
残念そうにしつつ、理由を尋ねてくる。だからこそ、正直に答えた。
「そもそも手が動かせませんので、取りたくても取りようがないのですよ」
「……は?」
俺の返答にギュランドロスは、雷に打たれたように固まった。どこか呆けたような顔をしていて、こちらの思惑通りに事が進んだために、自然と笑みが浮かんだ。先ほどから良いようにしてやられていたが、どうやら一矢報いれたようだった。
「……くく、だぁーはっはっは!! そりゃそうだ。その怪我じゃ手なんか取れる訳ないな!」
「そう言う事です」
心底愉快だと言わんばかりにそういったギュランドロスに短く答えた。返答の意図に気付いたようである。
「くく、面白い奴だよお前は。だが、その場で斬られるとは考えなかったのか?」
「私は一度死んでいますからね。この場で斬り伏せられたとしても、あまり変わらないと思います。そして、なんとなく確信もありました」
口元に笑みを浮かべるギュランドロスに言葉を続ける。この人物の人となりは、事前にある程度調べていたのである。豪放磊落にして、大胆不敵。自分をどこまでも信じており、思い付きの意見を押し通し、配下の者を困惑させることも多々ある愉快犯。通称バカ王。そんな噂が届いており、細部の差はあれど、大まかにはそのような人物だった。
「ほう……どういうことだ?」
「好きでしょう? ああ言うの」
「くく、ふははは。いやいや、まったくだ。大した奴だよお前は」
自身は既に死んだ身であった。だが、生きていた。ならば、その数奇な運命を受け入れ、新たな主に仕えるのも悪くは無いかもしれない。そう感じた。
無論、誰が相手でも良いと言う訳ではなかった。配下になれと言って笑ったギュランドロスの器に、どこか惹かれたのである。こう言ってはアレだが、この男こそ主として戴くに値する人物だと、そう直感してしまったのだ。だからこそ、尋ねた。
「王よ私に才を見たと言いましたが、それは今でも変わりませんか?」
この男に忠誠を尽くそう。そう決めた。だからこそ、改めて聞いておきたかった。
「ああ、お前たちの軍が俺たちの本陣を襲った時、刃を重ねた。その時に感じたのさ。此奴は、俺とは別の才を秘めているってな」
「成程。つまり直感と言う訳ですか?」
聞き返す。正直に言うと、この男の言葉でなければ信じられないだろう。常人に理解できる明確な理由など、ないのだから。
「ああ。俺の直感がそう確信した。それだけで充分だろう?」
「……くく、あはははは。これは、勝てないわけだ。器どころか、規格が違う……ッ、くくく……」
自身を信じて疑わない、目の前の男に呆れをゆうに通り越して、親しみを感じた。盛大な馬鹿だったのである。自身を信じて疑わない、大馬鹿者。だからこそ、仕えるに値する。そう、思った。王と言うのは、常人の尺では測れないのである。そういう意味では、ギュランドロスはどうしようもなく『王』であったのだ。この男を支える。それは、どうしようもなく魅力的な事に思えた。
「ひとつお願いしてもよろしいか?」
「おう、言ってみな」
「貴方を主とするのは承知させてもらいます。ですが、元々私が居た軍と戦いたくはありません。それ故、私の主である、ノイアス殿との戦には出さないで貰えないでしょうか?」
目の前の男を主と定めたとはいえ、その点だけは明確に決めておきたかった。自分は裏切り者となるが、以前の主と戦うのだけは躊躇いが生まれたのである。幸い、自身はメルキア帝国に仕えていたのでは無く、ノイアス元帥に仕えていたのだ。つまりノイアス元帥の私兵である。自分はメルキア軍として戦いながら、正式なメルキア軍属ではないのである。だからこそ、メルキアと戦うのは構わないが、ノイアス元帥とはたたかいたくなかった。裏切者が何を言うかと罵られても仕方がない事だが、私も人の子である以上は、譲れない線があったのだ。
「あー、それなんだがな」
「はっ」
ここにきて初めて歯切れが悪そうにする王を促す。その様子になんとなく、予想はついた。自分たちは、敗北を喫した直後なのである。
「敵元帥ノイアスはセンタクス敗残兵の中にいるという情報が来て居ないんだが、奴に致命傷を負わせたと言う報告は来ているんだ。つまり……」
「十中八九討たれた、と?」
「そう言う事だ」
「そうですか」
容易に予想できることだった。そもそも、本陣を死守しようとした自分が、それほど間を置かず破られたのだ、そういう結果はある程度予想できていたのだ。とはいえ、主だった人物が死んだというのにここまで何の感慨もわかないとは思わなかった。寧ろ、兵たちの事を考えてしまう。自分は彼らを死なせた者たちと組みするのである。それは酷い裏切りだろう。そんな自分を冷静に分析すると、嫌悪感が込み上げてきた。それを表情に出すことなく、心の中で自身に誓った。
――もし、次があると言うのならば、この身が果てようと、この男を裏切らない。
それが、私にできる唯一の事だった。一度だけ過ちを犯した。次は、ない。軽く目を閉じ、そう心に刻みつける。その思いだけは、何があろうと曲げない。そんな意志を灯し、目を開いた。
「吹っ切れたのか?」
「まさか。ただ、一つだけ決めたことがあります」
「そうか。なら、大丈夫だな」
「はい」
必要以上に問われることはなかった。そんな心遣いが、有りがたかった。例え聞かれたとしても、こたえる気はないのだ。先ほどの誓いは、自身の内にさえ秘めておけばいいのである。何より降った者が何を言ったところで、説得力などないし、態々誰かを前に口にすることとも思えなかった。
「じゃあ、ゆっくり傷を癒すといい。回復したら、詳しい事を伝える」
「はい」
王は満足そうに笑みを浮かべた後背を向け、そう告げた。それに短く答えると、軽く手を挙げ退出していった。
「っと、そうだった。最後に聞いておくことがある。お前、名は?」
と、思ったのだが戻ってきた。と言うか、この人は名前も知らない相手を欲しいと思ったのか。いろんな意味で器の違う王に苦笑が漏れた。
「我が名はユイン・シルヴェスト。お好きなようにお呼びください」
「おう、これからよろしく頼むぞ、ユイン」
名乗ると、はっはっは。と、楽しそうに笑いながら、去って行った。まったく、仕えがいのある主だ。そうしみじみと思った。だが同時に、いまだかつて相対した事の無かった器を前に、柄にもなく気分が高揚しているのも感じた。
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