ソードアート・オンライン〜Another story〜
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ALO編
第143話 闇との邂逅・開かれた記憶
キリトの剣は、リュウキの魔を纏い……この世界の頂にたどり着いた。
その場所は、入口の石の大扉とは比べ物にならない程の巨大な建造物。恐らく、まるで花が開くかのように、四分割された石版が四方に割れ、プレイヤー達を天の国……、アルンまで導くのだろう。キリトの頭の中ではそんな事は考えていない。この閉ざされた扉の先に、彼女が待っている。
……アスナが待っている。
アスナを助ける事ができたら、レイナも救うことが出来る。なぜか、そう思えた。……彼女の魂が戻り、そして レイナを、リュウキを。皆が帰還出来たその瞬間から、自分達の現実が始まるんだ。
だが、……ここで思いもかけない事が起こった。
キリトは、剣を何度か突き刺し、手を翳し、考えうる出来る事の全てをした。だが、扉は全く反応はしない。システムメッセージも何も発生しない。
「……なぜだ? 開かないっ!?」
キリトは、何度も何度も剣を腰だめに構え、扉を打壊す勢いで叩きつける。だが、衝撃音は響いても扉はビクともしなかった。それどころか、傷ついた様子もまるでないのだ。
「まさか……っ」
キリトより、やや遅れて頂上の扉に到着したリュウキ。その扉に手を当てて、そして目を見開いた。
「ユイ……、どういうことだ!?わかるか!?」
キリトは、胸ポケットの中にいるユイにそう聞く。『何が足りないのか?』 『キーアイテムか?』 『敵の撃破数か?』 『イベントか?』 考えられる事の全てを頭の中で再生をさせ、ユイの言葉を待つ。
「パパっ」
ユイもリュウキと同じように、この扉を軽く触り、そして早口で言った。
「この扉は、クエストフラグによってロックされているのではありません!」
「なっ、なら一体何にっ……!?」
キリトは目を見開いてそう聞く。この先に彼女がいる筈なのだ。こんな所で、立ち止まっている訳にはいかないのだ。そんなキリトの焦りと苛立ちを体現するかの様に、扉に拳を叩きつけたのはリュウキだった。
「プレイヤーには開けられない。此処のシステムの管理者が、この扉を閉ざしているんだ!」
「なっ……!?」
リュウキの怒号に、ユイも頷き……、そしてキリトも絶句した。つまり、このグランドクエストを制した先には……何も待っていない。
『真の妖精に生まれ変わる』
と言うそれは、プレイヤーの鼻先にぶら下げられた、永遠に手の届かないものだと言う事なのだ。……難易度を極限にまで、理不尽にまであげておきながら、血反吐を吐き、決死の想いで到達したプレイヤーに更に奈落に突き落とすかの様に、システム権限という名の鍵をかけているのだ。
キリトは、全身から力が抜けるのを感じていた……が。
「ちっ!!」
リュウキは先に行動をした。現れたのは、この扉付近のエリアにも、あの守護騎士達が湧出する箇所が存在するらしく、飛びかかってきたのだ。
〝がきぃぃぃぃ!!〟
魂が抜けたかのように、力が抜け、隙だらけのキリトに迫っていたが、リュウキが叩き落とした。どうやら、このエリアにまで、プレイヤーが到達する事など、考えもしなかったのだろうか、ここの湧出は下のエリア程理不尽ではない。……それでも、このゴールが閉ざされている以上、運命は変わらないだろう。
妖精の亡骸になると言う運命は。
――……アスナ、ここまできたのに、ここまで……きたのに……、もう少しで、手が届く所まできたのに……。
こんな状況でも、後少しで殺されてしまう状況だったと言うのに、キリトが動く気配はなかった。
キリトも、ユイもこれを……、恐れていた。希望が絶望に変わる時のそれは、想像すら出来ないと言う事。
全ての光を飲み込み、残るのは闇。一切の光の存在さえも赦されない。絶望という名の闇。
それに変わるのが怖かったからこそ、ドラごと初めて会ったあの時、言えなかったし、聞けなかった。そんな時だ。
心の中に闇が広がり、光を……、思い浮かべていたアスナの顔すら覆い尽くしてしまうかの様な闇が蔓延していたその時だ。キリトの身体に僅かながら衝撃があった。
「こんな所で諦めるのか? 諦められるのか!?」
そして、耳元で大声が聞こえてくる。闇の中で、一筋の光が差し込むかの様に。そして、リュウキはすっと、キリトを離した。ここから先の言葉は考えていったものではない。……自分でも、何を言ったのか、覚えていないだろう。いや、言ったのかすらも定かではない。
『あの時のお前の言葉があったからこそ、オレの中で諦めると言う言葉は無くなったんだぞ……』
まるで、頭の中に直接流れ込んでくる様に、キリトの中に入ってきた。
キリトは、はっと顔を上げた。
だが、前にはリュウキはおらず……このエリアの中心にある扉から離れていた。
「……ユイ、キリトを頼むぞ」
軽く手をあげて、リュウキはそう答えた。
「お、お兄さんっ!?」
「……リュウキっ!!」
ユイもキリトも、リュウキの行動は予期できなかった。だから、1人で行かせてしまったのだ。
キリト達から、離れた場所で、リュウキは無数に湧き出たガーディアン達を見据えた。もう、場には数え切れない程のガーディアンで溢れている。もうほんの数秒でキリトや自分に襲いかかってくるだろう。そうれなれば……もう、此処へ来るチャンスはもう無いのかもしれない。
リュウキは、静かに、大きく息を吸い込んだ。
まるで、この空間の全ての空気を吸い尽くすかのように。
キリトは、その姿に見覚えがあった。あの世界で、見た事がある姿だった。
『少し無茶をする。……今皆を助けるにはこれしかない』
その姿形こそ別人だが、その人物の本質は見えた。あの世界の真の勇者の姿。あの時の、台詞が再びこの場に流れる。
『お前らの相手はこのオレだ!かかってこいやァァァァァ!!!!』
ごうっ!!と言う、とてつもない声量がこの空間の中で轟いた。ユイは、思わず両耳を塞ぐ。キリトは、……ただただ、あの時の光景が鮮明に湧き上がっていた。あの時は皆を助ける為に。そして、今は自分を助ける為に。
〝きゅいんっ!!〟
ガーディアン達1体1体のアルゴリズムは違う。だが、それをもリュウキに強制的に変更されたかの様にあの数のガーディアンの悪意は全てリュウキへと向けられた。
「おにいさんっ!!!」
ユイは、思わず手を伸ばすが、リュウキはそれを見て首を振り、そしてキリトを指さした。今、システムを打ち破る事が出来るとすれば自分かユイだけだ。そして、この数のガーディアンを相手に出来るのは、自分とキリトだけだ。……今のキリトには心許ない。
「リュウキっ……」
力の抜けていたキリトだったが、リュウキの行動に、言葉に、再び力を取り戻すことが出来た。……最後の最後まで、抗ってやろう。強い気持ちが戻ってきた。
――……あの時のリュウキの様に。
キリトは、何か無いか、と考えを張り巡らせた。ここまで来て、システム管理者なんかに、負ける訳にはいかない。もう一度、皆であの空を見るまでは。
「っ!!」
キリトは、ある事を思い出した。それは、空から落ちてきた物。ユイがアスナのコードを見つけて、そしてその場所に向かって空高く翔んだ時に、見つけた、空から落ちてきた……、アスナから託されたもの。
小さなカード。
ユイは、システムアクセス・コードだと言っていた筈だ。
「ユイっ!」
キリトは、まだリュウキの方を心配そうに見ているユイに声をかける。そして、腰ポケットに入っていたあのカードをユイに見せた。
「これは、使えないか!? たしかシステム・コードだと言っていた筈だ!」
ユイは、その言葉を聞いてキリトに言われたあのシルバーのカードを見た。目を丸くさせていたが、直ぐに頷いた。小さなユイの手がカードの表面を撫でる。
光の筋がいくつかカードからユイへと流れ込む。
「コードを転写しますっ!」
一声叫ぶと、ユイは両の手のひらでゲートの表面を叩いた。その瞬間、ユイの手が触れた箇所から放射状に青い閃光のラインが走り、そしてゲートが開く代わりに、そのゲートそのものが発光を始めたのだ。
「これで、中に入れますっ!! おにいさんっ!!!」
ユイは、手をかざしながらリュウキの方を見た。今なら、入れる。ここから先へと進める。最後まで一緒に……!と想ったのだ。
「リュウキっ!!」
キリトも、そちらへと飛ぼうと翅を羽ばたかせるが……。
「来るな!!!」
リュウキの一声でキリトは思わず翅を止めた。今もまだ、無数のガーディアンがリュウキを取り囲み、襲いかかっている状況だ。今、キリト達の方にタゲを取られてしまえば、万が一にもユイにも及ぶかも知れない。そして何よりも。
「っっ! ぱ、ぱぱっ」
ユイは叫んだ。光の筋が……、消えかかっているのだ。管理者権限で閉鎖されている門が開けられた。その状態を、システムが長く放置している筈もなく……、異常を排除する様に コードを書き換えている様だ。
それも全て判っていたかの様にリュウキは、キリトを見て笑った。そして、拳を突き出す。
『行ってこい』
そう言っている、かの様だった。
「くそぉぉっ……!!!!」
キリトは、歯を食いしばった。
また、アイツを1人にしてしまうのか……? アイツに頼ってしまうのか……?
だが、そう考える時間も、嘆く時間も無い様だ。
「ユイっ! 頼むっ……!!」
「わ、判りました……っ!!!」
光輝くスクリーンへと変貌していたゲートの中へと流れ込む波の中へとキリトとユイは飛び込んだ。
「お兄さん……っ どうか、どうかご無事でっ……」
ユイはそう言い、願っていた。この世界では、あの世界と違い、命を落とす様な事は無い。だが、ここの悪意の塊の様なシステムを見て、そしてこの上に到達しても、まるで蔑んでいるかの様な姿を見て。とても、心配になったのだ。だから、無事を祈らずには……想わずにはいられなかったのだ。
「リュウキ……。っ」
キリトも同様だった。だが、心では強く誓っていた。
――……必ず、この世界の根幹を突き止めてくる。
そして、アスナもお前自身の真実もこの上にあるのだとすれば、それも救い出してみせる。そう、リュウキに誓いを込めた。それが、リュウキに対する礼なのだから。そして、リュウキの最愛の人……レイナの事もそうだ。あのタイミングで、あの彼女が再び囚われるなんて、おかしすぎる。何かあったとすれば……、身近な者の犯行だろう。脳裏に浮かぶのはあの男の姿だった。
そして、キリトとユイは、膨大なデータの流れに乗り、データの奔流となって突入していった。
キリト達が光となり、あの扉を超えたのを確認したリュウキは、笑っていた。2人なら、必ずあの扉を超えられると信じていたからだ。キリトとユイの2人なら。
「さて……と。オレも行かなきゃいけないんだ。このままここで殺られる訳にはいかないんで……な!!」
〝ずばぁぁぁっ!!〟
剣を扇状にスライドさせた。正面180度の位置にいたガーディアン複数を一網打尽に切り裂く。壁を背に戦っている為、背後から襲われる事は無い。だが、その分回避出来るスペースも少なくなっていると言うリスクもあった。
数は、下のエリアと比べれば少ない、だがそれでも……、いつまで耐えられるかわからない。そして、先へと進むとなれば……。
「ちっ……」
リュウキは剣を握る手の力を上げた。切り裂いても、吹き飛ばしても、その倍増しの数が再び湧出するのだ。だが、それでもここから先に、この先に行かなければならない。……必ず行かなければならないのだ。
「邪魔を……するなぁぁぁ!!!」
背の壁を思い切り蹴り、一本の槍になったかの様に無数のガーディアンの群れへと飛び込んだ。あの時の二刀流のキリトとリュウキの魔力の時の様な突破力は出なかったが、それでも、中心へと少しだけ近づく事が出来た……が。
〝がきぃぃぃんっ!!!〟
「がぁっ!?」
固い壁の様なものに衝突し、弾き返されてしまった。強烈なノックバックが発生し、数m飛ばされてしまう。そこをすかさず、天から槍を降らす様に突撃してくる。
「ちぃっ!!」
身体を捻らせ、回避をするが……、続けざまに湧き出てくるそのガーディアンの数は全く減らず、そして 中央の扉に到達する事も出来ない。
それに、到達した所で、視て、解析して、書き換える時間があるのだろうか?
「……くそっ」
思わずそう言ってしまうリュウキ。その時だった。
「!!!」
突然、凄まじい光がこの空間を照らした。それは、ユイがコードを転写した時に発生したあの青い発光とは比べ物にならない光で埋め尽くされた。無数のガーディアンも、リュウキ自身も光が包み……そして 何も見えなくなってしまった。
~????????~
その光景を、最初からずっと見ていた者がいた。グランド・クエストを誰かが開始すれば、勿論それは上に伝わる。グランド・クエストを突破するのは不可能……のそれ相応の戦線を配備しており、そして、このゲームの性質上ではクリアする事などは不可能なのだ。 だが、……それを覆す者が現れたとしたら? システムの力をも覆す可能性のある者がいたのだとすれば?
『……来るとは思っていたが、このタイミングで、とはな。……ふふふ、面白くなってきた』
舌なめずりをするかの様に、視線を細め、下界を見下ろしていた。
『このまま、足掻く様を、無力感を見て楽しむ事も良いが……、やはり直接会いたいからなぁ……お前とは』
嘗ての栄光も地位も全てを奪われた。絶望の中で憎しみを育て続け、そして今に至る。
あの時、あの男は全てのデータを消去した。……そのため、全てを失った。せめてもの救いは、証拠もなにも残さず、全てを真っ白にした為、証拠不十分となり重刑には至らなかった。だが、それでもこれまで積み上げてきたもの、その全てが足元から崩れ落ちたのだ。
『……あの時、あの餓鬼を始末していれば……。ふん。たられば、か』
そう一笑、過去の事はどうでもいい。今は男にとっては、待ち望んだ時が来たのだ。
『……来るがいい。絶望へと案内してやろう』
そして、世界は真っ白な空間に包まれた。
~????????~
白い光に包まれ、意識が翔んだのは一瞬だった。宙に飛んでいた筈の自分が地に足をつけている感触を覚え、目を開ける。そして、数回頭を振り、何度か瞬きをして、転送された感覚の余韻を払い落とした。何処かに飛ばされると言うこの感覚、初めてではない。この世界に最初に飛ばされた時もそうだ。……あれは、突き落とされた様な感覚だったが、根っこは変わらない。
「……ここは」
リュウキは、辺を見わたす。何とも言えない……、一言で言うならば奇妙な場所だった。VR世界と言う別の世界が生まれてから今日、過剰とまで言っていい程、精緻な装飾を与えられた街並みとは大きく異なる。ただただ、真っ直ぐな通路があるだけ。色も白い板だけだ。他の色はないのか?と一瞬探しそうになった程だった。
「……一先ず、歩いてみるか。ここには……。待ってる筈、だから……」
リュウキは、この未知の通路を進みだした。直線だったのは、初めだけで、ゆるく右に湾曲していたりしている。歩いている内に、大体の構造は掴めてきた。かなり巨大な建造物だが、円形の形をしている様だ。辺を視てみるとこの通路の先、上にも下にも広大な空間が広がっている様だ。
そして、更に進んだ先に漸く、無機質な空間が変わっていた。
それは、このファンタジーな世界の幻想的な物ではなく、近代的な建物、通路。まるで鏡の様に光り輝いている窓。横へのスライド式の扉もあった。
「……これは」
何処か、リュウキには見覚えのある空間だった。見覚え……どころじゃない。自分は……知っている。これらの空間、この世界を。
「ココは……」
ゆっくりと扉に手を伸ばした。そして、ゆっくりと開く。その場所に広がっているのは、無数の机と椅子と、そしてコンピュータ。それ以外に部屋の中には、飾り気のない無機質なもの。
だけど……、この場所は。
「…………」
リュウキは、立ち尽くしていた。この場所は……、自分がかつて、過ごしてきた場所だから。悪夢の始まりにして、終わりの場所。
『おかえり、リュウキ』
「っ!!」
その時だった。……この一室に入った背後で、声が聞こえてきたのだ。
「ぁ………」
リュウキは、振り返る。そして、声をかけられた本人を見て……絶句した。赤みがかかった茶色の髪で、すらっと肩まで伸びている。あどけなさが残るブラウンの瞳に、口元はまるで三日月の様に開いて笑っている。あの時の姿のままの……女性。
「さ、……サニー……?」
自然とリュウキはその名前を口に出していた。全ての始まりだと言っていい彼女の名を。
『ふふ……。待ってたよ?ずっと、ずっと此処で……』
笑顔のまま、リュウキに声をかけ続けていた。リュウキは動けない。まるで、時が止ったかのように固まってしまっていた。
「な、なん……で?そんな……、そんなの……って。サニーは……あの時に……」
『うん。そうだったね。……最後にキミに送ったメール。今でも覚えてるよ』
にこりと笑って、近づいてくる《サニー?》当時は身長は殆ど変わってなかったが、アバターと言う事もあるが大分違う。丁度、腰辺りにすっと抱きつく《サニー?》
『あの後……、私の為に戦ってくれてたんだよね?』
「……でも、でも 君は……」
『ふふふ……そうだね。だから……』
《サニー?》はそのまま抱きついたまま、笑っていた。……いつものリュウキであれば、この時に気づいただろう。その笑顔と声に、騙される事などなかった。
――他人の悪意に敏感になっていたリュウキなら。
『私……、とっても寂しいんだ。……だから、リュウキも【来て】』
「っっ!!!」
突如……、何かが自分の身体を突き抜けた。そして、鈍い痛みが信号となって脳髄に叩き込まれる。
「さっ……」
リュウキは、その得体の知れない痛みを感じながらも、目の前の彼女の肩に手宛てがっていた。
『私はとっても、寂しい。リュウキ。私、寂しい……さみしい……サミシイ……キテ……コッチニ……ズット、イッショニ……』
そのサニーの身体がどんどん変わっていく。笑っていた顔が、あの時と変わらない笑顔だったものが、崩れ、醜悪で不気味な笑顔になっている。笑顔と、とれない表情になっている。
どう、言えばいいのだろうか? 同じ人間とは思えない表情だった。
「ぐ……ぁ……」
その瞬間、身体に電流が流れたかの様に、びくんっ!と脈動した後、動けずその場で蹲ってしまっていた。麻痺状態、それを理解するのには時間は掛からなかった。
そして、この空間そのものが歪み周囲の壁は音を立てて崩れていく。
現れたのは、まるで宇宙空間にいるかの様な星星の輝きを放っている空が見える空間。
それ以外にはなにもない。
《無》と言っていい空間だった。
「う……ぐ……」
リュウキは、必死に顔を起こし、《サニー?》がいた場所を見た。そこには、誰もおらず……無の空間が広がっている。そして、その直後、まるで無が開く様に光の筋が縦に入ったかと思うと……扉が開く様に左右に分かれた。
「……どうだ、見事なものだろう?」
その光の中から、誰かが出てきたのだ。声も、聞こえてきた。
そこは、本能的に光だとは形容したくなかった。
「あの時の彼女の姿だ。寸分たがわずに再現したつもりだ。……今のお前を見てると、まさに効果覿面だったと判るな」
リュウキは、その声は、忘れる筈もない。
10年程だった筈なのに、まるで寄生虫の様に、脳の端に残っていたモノが鮮明に思い浮かんだ。悪夢の様に。
「ここまで……長かったな。漸くオレも先に進めるな。くくく、あの時から時が止まったままだ」
含み笑いをしながらそう言う男。下半身部分までしか、まだ見えていないが、黒の衣を纏っていると言う事は判る。黒が連想するものは、キリトの様に良いものばかりじゃない。
暗黒、黒幕。……そしてイメージから、『悪』『死』『恐怖』『災禍』と意味を付与される例も多い。
圧倒的に後者なのが、この男だった。
「お、お前……は……!」
麻痺で動けない身体を必死に起こし、顔を見ようと藻掻くリュウキ。そして、そんなリュウキに態々視線を合わせる様に屈むと。
「久しぶりだな。……隼人君。キミに会いたかったよ」
心底嫌悪する笑顔を向けてくる男。あらゆる悪意を向けられているかの様な顔だった。
「狭、山……っ!」
ギリッ……と歯を食いしばらせながら、睨みつける。あの時と何ら変わっていない。この世界、ALOの世界だと言うのに、アバターは現実のそれを忠実に再現していた。
……サニーの様に。
《狭山》
もう判るかと思われるが、この《狭山》と言う男こそ、リュウキが嘗て所属していた《能力開発研究所》の場所の所長。例の事件が明るみに出る前までは、個々の能力が高い人材を育成・輩出してきたと言う事もあり、企業にはそれなりに名も通っていた。
それは、裏表問わずだった。
その優秀な技術者を使い、違法な行為にも手を染めていた。裏の方が入る金額も桁が違う。だから、のめり込んでいったのだ。リュウキが止めるその時まで。
「……おいおい、オレの事を覚えてるんだろ?オレはあの場所の長であり、そして人生の先輩、大先輩だ」
醜悪な笑顔だったそれが途端に、崩れ、憤怒の塊となってリュウキを射抜く。立ち上がり、力を込めて思い切りリュウキの腹部へと蹴りを叩き込んだ。
〝どすんっ!!〟
「ぁぐっ!!」
「口の利き方に気を付けろ、糞餓鬼がぁ!」
動けないリュウキに、2度、3度と蹴り喜々と見舞う狭山。動けず、そのまま腹を押さえて蹲るリュウキ。なぜ、動けないのだろうか? ここは、現実世界ではなく、仮想世界。デジタル・データの世界。自分自身の土俵だ。
なのに、動けない。……身体が震えて動けない。
「多少頭は切れる様だ。能力もそう。……が、所詮お前は何も出来ない糞餓鬼なんだよ。これまでも、そしてこれからもな?……この餓鬼がいい例じゃねえか」
そう言って、指をさした。その先には、彼女がいた。目を瞑り、立ち尽くしている。命令があるまで動けない人形の様に……。
「全部救える気になっていた餓鬼だ。あの時も綺堂のヤツがいなけりゃ何も出来なかった。今も昔も、お前はただ無力な餓鬼だ。何一つ救えない。……見てみろ」
手を翳した瞬間、この世界の地面、無の世界が再び開きある場所を映し出した。この場所に負けない程、どろりと濃い闇の中。その場所には3人の人物がいた。1人は、鎖で拘束された女性、そしてもう1人は、剣を突き立てられ、動けず貼り付けられた男。そして最後に、もう1人。
「くくく、須郷の方も随分と楽しんでる様だ。……あんな女の何処が良いのか判らんがね」
眺めながら笑みを浮かべる狭山。
「キリ……と」
「そうそう、キリトと言う名だったな。そしてあの女がアスナだったか」
ニヤニヤと笑いながらそう言う狭山。そして、リュウキに顔を近づけ。
「お前が潰してくれたあの研究。お前自身が作ったと言っていい研究……。須郷にチラつかせたら喜んで飛びついたよ。何でも同じ様な研究をしていたが、実用段階には程遠かった様だからな?……ああ、研究のアレだが、貴様が攻撃したメインサーバーの全てを根こそぎ壊されたが、残っていたモノもあってね。……だから、出来たんだよ。こんなに早く」
「キサ……がっ!!」
その掴みかかろうとした瞬間、凄まじい重力がリュウキに覆いかぶさった。それはまるで、巨大な岩を押し付けられているかのように。だが、そのまま潰れる事は出来ない。痛みを最大限に感じたまま、意識を保つ絶妙な力加減で。
「そして、これが重力魔法。デザインしたのはオレだ。……他人を屈服させるのにこれ程良い魔法は無いだろ?」
得意げな顔で、そう言う狭山。
「ほら、あのガキの自由を奪ってるのもオレの魔法だ。まぁ、剣で磔刑ている事もあるがな」
「……っぁ」
目を背けたくなる光景だ。あそこで苦しんでいるキリト、そして……アスナと言う少女。
「アス……ナ……?」
状況は最悪な中で、記憶の扉が再び開きつつあった。あの少女はそう……、あの世界でキリトと想いを交わしあった間柄だった。
――……オレは、オレ達は、一緒になって喜んでいた筈だ。
「あの連中もそうだ。全てはお前のせいだ。隼人。……何もかも中途半端なお前が全てを招いたんだよ。お前が作り上げたモノのせいで、あいつらは真の意味で助からない。ここから出られるとしたら、別人になってしかないな」
「っ!!」
途端に泣き顔になってしまったのはリュウキだ。この世界で、あの世界ですら見せた事のない表情。
「は……」
それを見た瞬間、再び狭山の表情が変わった。口元に手を当て、朗らかに、狂乱の笑みをあげる。
「ははははは!!! そう、その表情! その表情だ! それが見たかったんぞ! はやとぉぉぉ!!!」
〝ずしぃぃぃぃ!!!〟
身体を縫い付けられている力が更に一段階増した。ミシミシ……とアバターの全身の骨に亀裂が入ってるかの様な、鈍く嫌な音がする。
「徐々に潰してやろう!! ははははは!!! 仲間達が殺られゆく姿を、苦しめられていく様を見ながら、絶望のままにな!!」
そう言い、指を振りウインドウを呼び出した。管理者のみが扱うことが出来るウインドウ。
「ペインアブソーバーも徐々に下げてやる。最高値に達すれば、現実世界にも影響が程のモノになるんだ。……楽しみだろ?それに、お前はアミュスフィアを使っている様だが、安心しろ。ここはVR世界の中でも更に隔離された世界。不正侵入した悪意あるプログラムやユーザーを捉えて逃がさない為のプログラムも組み込んでいる。アミュスフィアの安全装置でも、逃げる事は叶わないぞ。はははは!!」
ある一定の心拍数、血圧が上がり、身体に影響がある程にまで行く手前で、アミュスフィアの安全装置が働き、強制ログアウト措置に入る。……が、狭山が言う様に、侵入したハッカー等の者達を逃がさない様なプロテクトを組み込んであれば、強制ログアウトで逃げる事は出来ないのだ。
現に、精神に多大なるダメージをおってしまっているリュウキがログアウトにならないのがいい証拠だった。
――……僕は、何も、誰も、守れない。あの時の様に……最後には失ってしまう。全てを。
自分がずっと1人だったのは何故か。裏切られた経験があるからもある。だが、それ以上に……失う事が怖かったから。サニーの様に。失うことが何よりも怖かったから。
――……なんで、なんて、無力なんだ……。そう、何も出来ないんだ。僕は、誰1人助けられない。キリトも、アスナも……そして……
リュウキの中で、名が浮かび上がる。浮かび上がりかける。あの人の名前が。
『……そんな事、無い』
その時、だ。声が……再びあの声が響いてきた。愛しい人の声が……。
『だって、リュウキ君は……私を、皆を、助けてくれた。……私を愛してくれた』
何度も何度も……響く声。
『心も、身体も、助けてくれた』
それは、まるで泣き叫んでいるかの様だった。
「おっと、そうだったなぁ。……ここにはもう1人、ゲストがいたんだったよ」
「っっ!!」
狭山は指を鳴らした。そして、リュウキの傍に、現れたのは……。
「………ぁ」
アスナの様に鎖で繋がれた少女がいた。何も無い暗黒の空から、彼女がゆっくりと降りてきたんだ。
「愛しのリュウキ君に会えたぞ? 最後に会えて良かったなぁ?」
そう言うと、狭山は彼女の髪をぐいっと上に持ち上げ、無理矢理にリュウキを見せた。その顔は……。
「………」
リュウキは、表情が固まった。彼女の顔を見た瞬間。最後まで閉ざしていた鋼鉄の扉が崩れ落ちる様に崩壊し、開いた。
堅く閉じられていた彼の最後の記憶の扉が、今、開かれた瞬間だった。
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