黒魔術師松本沙耶香 人形篇
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9部分:第九章
第九章
「学園内を見て回られていたんですね」
「はい」
二人はとりあえず食事を採ることになった。沙耶香は並んで歩きながら絵里にこう言った。
「何かありましたか」
「シスターミカエラに御会いしました」
「彼女にですか」
「はい」
ミカエラの言ったことは事実であった。絵里の顔が明るくなった。どうやら二人は本当に幼馴染みであるらしい。
「静かで真面目な方ですね」
「はい、子供の頃からそうなんですよ」
絵里はそれに応えて言った。
「大人しくて真面目で。それで凄く優しくて」
「そうなのですか」
「昔から彼女には何かと助けてもらってます。いい娘ですよ」
「どうやらそのようですね」
何故か絵里もシスターミカエラと似たようなことを言っている。この二人は案外似ているのかも知れないと心の中で思った。
「それで彼女からは何と」
「あちらとしても捜査に協力して下さるそうです」
「そうですか、それは何よりです」
「それに。可愛らしい方ですね」
「松本さん」
だが絵里はその言葉には怖い顔をしてみせた。
「何か」
「彼女はシスターですからね」
「それが何か」
「私に対してみたいなことは。許しませんよ」
「わかってますよ」
口の両端だけで笑ってそれに応えた。どうやらこれは戒めではなく嫉妬の様であった。女同士でも嫉妬というものはある。絵里は自分ではそれに気付いてはいなかったがその少しムッとした顔にそれが現われていた。それまでの清楚な顔とは全く違った女の、それも少女の頃の顔であった。
二人は食堂に着いた。そして食事を注文した。
「何にされますか?」
「チキンカツでももらいましょうか」
沙耶香は食堂の前のメニューを見てこう言った。
「セットで」
「では私はコロッケを」
見ればコロッケもあった。それもクリームである。
「頂きます」
「また豪勢ですね」
「何がですか?」
「いえ、こうした学生食堂でクリームコロッケなんて」
沙耶香は言った。
「普通はジャガイモのコロッケばかりだというのに」
「そうなんですか」
「他の学校ではね」
彼女はこう述べた。
「大抵そんなものですよ」
「はあ」
だが絵里にはその実感はないようであった。やはりここはお嬢様学校であった。食べ物一つとってもそんな調子であった。沙耶香はあらためてそれを認識することになった。
並んで料理を受け取る。見れば素材も調理も非常にいい。普通の大学のそれとはまるで違っていた。
沙耶香はとりあえず何も考えることなくただ自分の番を待っていた。だがここで一人のシスターが奇妙な注文をしていることに気付いた。
「いつものでお願いしますね」
「いつもの?」
それに気付いてそのシスターを見た。絵里やシスターミカエラとは全く違った雰囲気の大人の女性がそこにいた。髪は隠しているがその顔は日本人離れしたものであり彫りが深く、そして鼻も高かった。目は切れ長でまるで描いたかの様にはっきりとした二重であった。口は少し大きく、そして唇は赤い。日本人にスペイン人の感じが入ったような顔立ちであった。背もスタイルも鮮やかなものであり、普通のシスターには見えなかった。
「わかりました、シスター」
調理の者がそれに応える。そして肉も魚もないメニューを彼女に差し出した。
「どうぞ」
「有り難うございます」
そのシスターは微笑んでそれを受け取った。そしてそのままレジに向かった。
「あの」
沙耶香はそれを見て絵里に声をかけた。
「何でしょうか」
「ここはカトリックですよね」
「はい」
彼女は沙耶香のその言葉に頷いた。
「確かカトリックは肉食は禁じていなかったと思いますが」
「ああ、あの方ですね」
それを聞いて絵里の方でもピンときたようであった。
「あの方は特別なんです」
「特別」
「シスターデリラですよね」
「あの方デリラと仰るのですか」
「はい。あの方はベジタリアンなんですよ」
そしてこう説明した。
「何でもお肉やお魚は受け付けないらしくて。それで」
「そうだったのですか」
どうやら教義の問題ではなく個人の趣向であったらしい。
「それでいつもああした特別な食事を注文されているのですよ」
「成程」
こうした人物はやはりいるものである。菜食主義はやはり殺生を禁じるという考えから昔から存在していた。日本でも古くからあり、江戸時代まで肉は食べなかった。猪の肉を当時鳥の仲間だと考えられていたモモンガの仲間だと強引にこじつけて食べたりしていた。徳川幕府の最後の将軍徳川慶喜は豚を食するという理由で大奥であまり好かれていなかったという話も残っている。
菜食主義自体はやはり清らかに見えるものだ。だがだからといってそれを行う人物までもが清らかとは限らない。あのヒトラーは肉も魚も口にしない菜食主義者であった。彼は酒も煙草もやらず、そして女性に対しても清潔であり、服や住居、蓄財にも興味がなかった。住居や蓄財はともかく酒や煙草、そして女に対しても清潔だったとは沙耶香から見ればそれだけで人生の意義がないものであるが。
「ですから御気になさらずに」
「わかりました」
だが沙耶香はここであるものを感じた。それはそのシスターデリラから妙な気を微かに感じたからだ。それは彼女がよく接する類のものであった。
だがそれは微かであり、なおかつ一瞬のことであった。その気は忽ちのうちに感じられなくなり、完全に消え失せてしまったのであった。
沙耶香は気にはなったがそれから離れるしかなかった。そして食事を受け取り絵里と向かい合って席に就いた。食べながら今後のことについて話した。
「午後はどうされるのですか?」
「また学園内を見て回ります」
沙耶香は答えた。
「まだ細かく見ていないところもありますので」
チキンカツをフォークとナイフで切りながら言う。なおライスではなくパンを頼んでいた。
「そうなのですか」
「今日はそれで一日を潰すことになると思います」
「まずは下準備ですね」
「そうですね。本格的な捜査は明日からです」
彼女は言った。
「それで宜しいでしょうか」
「朝に理事長も言われましたが」
「はい」
「捜査に関しては全て松本さんにお任せしておりますので。是非それで」
「わかりました。では」
こうして彼女は午後も学園内を見回った。それからまた一通り見回した後で今度は高等部に戻った。細かい部分をもう一度見回していた。
それぞれの部活の部室の前も通った。そこで面白い部を見つけた。
「こんな部活もあるのね」
部室の扉には人形部と書かれていた。沙耶香はそれを見て呟いた。
「一体何なのかしら」
だが細かいところはわからない。一体何をする部活なのか。少しわかりかねていた。
「あの」
ここで右手から彼女に声がかけられた。
「何かしら」
「人形部に何か御用ですか」
そこには高等部の制服を着た一人の少女が立っていた。茶色のポニーテールに大きな瞳を持つ清楚で美しい少女であった。
「用はないのだけれどね」
沙耶香はうっすらと笑ってこう応えた。
「ただ。どんな部活か興味があって」
「人形に興味がおありなんですか?」
「ええ、まあ」
社交辞令でこう答えた。自分が何者かを隠す為でもあった。
「どんなことをしてるのか気になって」
「わかりました、それじゃあ」
少女はそれを聞いて部室の扉の前にやって来た。
「是非お邪魔して下さい。お茶でも飲みながらお話しましょう」
「いいのかしら、はじめてここに来るのだけれど」
「ええ、それでも。人形に興味を持って頂けるのなら」
それでも少女は構わないと言った。そして沙耶香を部室に招き入れた。こうして彼女はその部室で少女と人形について話をすることになった。
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