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黒魔術師松本沙耶香  人形篇

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8部分:第八章


第八章

「これ」
「おっと」
 それを聞いて慌てて煙草をしまった。
「ここは喫煙場ではありませんよ」
「それは失礼」
 沙耶香はそれを受け煙草を完全に身体の中に隠した。それから声がした方に顔を向けた。
 そこには一人のシスターがいた。楚々とした顔に見るからに清らかなシスターであった。黒い法衣にその全身を包んでいる。
「神聖な教会の前ですから」
「そうですね」
 沙耶香は応えながら実は心の中で舌を出していた。黒魔術師である彼女は教会とは無縁の存在であるからだ。かってローマ=カトリック教会が一方的に決め付けた様に魔術はキリスト教の敵ではない。むしろ異教であるかキリスト教のローマ=カトリックのそれとは違った形の信仰であると言っていい。魔術にも色々あり沙耶香のそれは古代ゲルマンやケルト等の流れに入る異教的なものである。
「申し訳ありませんがそうしたことはお控え下さい」
「喫煙場所はどちらですか?」
「あちらのベンチででも」
 そのシスターは前を指差した。見ればそこには木製のベンチがありそこに灰皿もあった。
「宜しければあちらをお使い下さい」
「わかりました。それでは」
「あの」
「まだ何か」
 そのベンチに向かおうとした沙耶香にまた声をかけてきた。沙耶香はそれを受けて彼女に顔を戻した。
「見慣れない方ですが一体」
「探偵です」
 沙耶香は先程理事長に名乗った偽りの身分をまた名乗った。
「探偵さんですか」
「はい。実はこの学園でのある事件に関して捜査を依頼されましてね」
「高等部のことですね」
「御存知でしたか」
「はい。外では何ですから」
 シスターは周りを見回してから言った。
「教会の中ででも」
「わかりました。それでは」
 煙草を吸いそびれたのが残念であったが事件に関する話が聞けるというのなら別であった。沙耶香は教会の中にシスターと二人で入った。
 教会の中は礼拝堂とステンドガラスで飾られていた。青や黄色のまばゆいガラスが教会の中を照らしていた。礼拝堂の中央にはあの人物がいて二人を見下ろしていた。
 沙耶香はその人物があまり好きではない。そして教会も実は好きではない。そもそもこの教会の為にどれだけの者が死に、どれだけのものが失われたのか。沙耶香はその失われたものを使う立場にいる者でありそれを考えるととても好きにはなれなかったのである。
 だがそれは心に隠しておいた。黒魔術師というものは古来よりあらゆるものを隠しておかなければならなかった。その為彼女もここではその心を隠したのである。そしてシスターの話を聞くことにした。
「まずは名乗らせて頂きますね」
 シスターは教会の最前列の椅子で二人並んで座るとまずは名乗ってきた。
「私はシスターミカエラといいます」
「ミカエラさんと仰るのですか」
「はい。以後この名前で御呼び下さい」
「わかりました。私は松本沙耶香といいます」
 沙耶香の方も名乗った。
「こちらの学園の理事長と高等部の森岡先生の頼みでこちらに参りました」
「高等部の森岡先生ですか」
「ええ。御存知で?」
「はい。同級生でしたので」
「これはまた」
 意外なことであった。見れば確かに彼女と同じ位の歳である。
「ここの幼稚園の頃から一緒でした。時には同じクラスだったことも」
「幼馴染みというわけですね」
「ええ。大学で彼女は文学部に進み国語の先生となりましたが私は神学部に進み」
「シスターになられたと」
「そうです。そして今こちらにおります」
「そうだったのですか」
「昔から優しくて大人しい子でした。それに清純で」
「はあ」
 沙耶香はその時その話を聞いて内心思った。昨夜その清純な心が穢されたということを。そしてそれを誘い、穢したのは他ならぬ自分であることを。だがこれもまたあえて言わなかった。
「すごくいい子なんですよ」
「よく御存知なんですね」
「理事長もそうなんです」
「理事長も」
「ええ。私達の二年上の先輩でして」
 語るその言葉に憧れが入っていた。どうやら彼女はあの理事長に先輩としての尊敬の念を抱いているようである。
「昔からしっかりとして真面目な方でした。それでいて面倒見がよくて」
「そうなのですか」
「立派な方ですよ、本当に」
「成程」
 表向きは参考に聞いていた。だが彼女の語り口から実はあまり参考にするつもりはなかった。どう見ても客観的なものではなかったからだ。
「理事長にもお願いされたのですね」
「そうです」
 沙耶香は答えた。
「わかりました。では及ばずながら私も協力させて頂きます」
「それは有り難い」
 社交辞令ではあったが少しは本気も入っていた。やはり内部事情に詳しい協力者がいてくれるというのは非常に有り難いからである。
「ではこれから何かとお話をお伺いさせて頂きますね」
「はい」
 こうしてシスターミカエラと知り合いになった。とりあえず彼女と別れると沙耶香はまたキャンバスを見に回った。そしてあることに気付いた。
 木が多いのである。そして花も。学校にこうしたものが多いのは何処でもそうであろうがこの学校は特にそれが多かった。至る所に木々があり、中には林みたいな場所まであった。
「林、ね」
 沙耶香はそこに注目した。若し殺人事件ならば死体をこうした森や林の中に隠すこともあるだろう。ケースとしてはオーソドックスなものであると言えた。
 だが彼女はそれはすぐに自分で否定した。よく考えればわざわざ学校に隠す位なら何処か山奥にでも捨てればいいことである。ここでは人目につきやすい。夜でも当直の教師達の目がある。よってこの線は捨てた。
 だが興味深い林であった。針葉樹が生い茂り、そしてその中にはベンチが置かれている。そして灰皿も。彼女はそれを認めて先程しそこねた一服をしようとした。
 ベンチに腰掛け煙草を取り出す。そして火を点けた後で大きく煙を吐き出した。
「まずは一通り見回ったけれど」
 それからこう呟いた。
「とりあえず学園の地図は頭に入れたわね」
 それだけでもまずは大きかった。頭の中で地図が描けるのと描けないのとでは捜査にあたって大きな違いがある。沙耶香はまずはそれを押さえたのである。
 一服し終えたところで昼のチャイムが鳴った。ここで彼女は空腹に気付いた。
 煙草を吸い終わったところで席を立った。そしてその足で高等部に戻る。戻ってみると絵里が彼女を待っていた。
 
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