黒魔術師松本沙耶香 紅雪篇
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
4部分:第四章
第四章
「もう来ていたのですか」
「そうだ。彼女に連絡を取ってな」
「色々と連絡の取り方があるようですな、彼女に関しては」
「そうだな。それは一つではない」
知事もそれは言う。
「私は今回そのうちの一つを使った。中には酒場でワインを飲んで呼び出すという方法もある」
「それはまた洒落ていますな」
「ただしだ」
だがここで彼は悪戯っぽく笑ってきた。実際の年齢よりも若く見えるその端整な顔がさらに若く見えた。
「その場合呼び出したのが美女ならば彼女の相手を一晩させられることになる」
「また厄介な話ですな」
官僚はそれを聞いて顔を思いきり顰めさせてきた。
「少なくとも娘にはそれは絶対にさせたくはありません」
「私の場合は新宿公園の鳩に対して言ったのだ」
「何と」
「すぐに来てくれとな。私の名で」
「鳩にですか」
彼はそれを聞いて今度は怪訝な顔を見せてきた。それから問うてきた。
「それで話がいくのですか?」
「ただしだ」
知事はそこに付け加えてきた。
「普通の鳩ではない。黒く赤い目を持つ鳩だ」
「はあ」
話を聞いただけで尋常な鳩ではないのはわかる。明らかに異形の存在である。
「鳩の群れの中にな。必ず一匹はいる、それに対して言うのだ」
「来てくれと」
「そうだ。そうしたら来てくれるというわけなのだ。これでわかったな」
「わかりました。では妻や娘には注意するように言っておきます」
彼は沙耶香を女性をたぶらかす妖しい女と思っていた。それは事実であり彼の警戒もまた妥当なものであるのが沙耶香という女の嗜好と人柄を如実に現わしていた。
「さもないと恐ろしいことになりますからな」
「君には息子もいたな」
「ええ」
知事の質問に答えた。
「それがどうかしましたか」
「では御子息に関しても注意しておき給え。彼女が好きなのは女性だけではないぞ」
「そうでした」
言われてそれを思い出した。さらに嫌そうな顔になりまるで真夜中に腐ったゴミの山に飛び込んでそこから出たような、そんな顔になっていた。
「彼女はそうでした」
「とりわけ美少年が好きらしい」
「ええ、私に似ない美少年ですよ」
息子自慢をここで口にしてきた。
「妻に似て。まあ娘もそうですが」
「何だ、奥方も危ないではないか」
「そうです。全く世の中にはけしからん輩もいます。まあ男でないだけはましですが」
何故か自分の妻や彼女が浮気をしたり誘惑されたりする場合その相手が女ならば気持ちはかなりましになる。中には女との浮気ならば一向に構わないという者までいる。この辺りはかなり微妙である。異性を愛するのと同性を愛するのとでは違うという者がかなり多いのだ。もっとも沙耶香にとってはどちらも同じことなのであるが。
「とにかく以後気をつけます」
「そうした方がいいな。気になるのなら」
「はい」
官僚はその言葉に頷いてきた。完全に本心からであった。
「それではそのようにします」
「本気なのだな」
「家族を守る為ですから」
この点では中々感心な御仁であった。仕事にかまけて家庭を顧みないような人物ではないということだ。
「その為には容易いことです」
「そうか。まあ私はまずこの紅い雪をどうにかしたくてな」
「何なのでしょう、これは」
「それも調べてもらう」
「彼女にですか」
「そうだ。まあここはプロに任せておこう」
「はあ」
彼は知事の言葉に答える。すぐに頭は普段の切れ者に戻り冷静な考えを導き出してきた。
「そうですな。こういうことはやはり専門家に」
「そういうことだ」
こうして沙耶香はこの件に関して全てを任されることになった。彼女は雪の降る新宿を歩いていた。
新宿もまた紅の景色であった。素直に雪化粧と言えない状況であった。
「参ったよな」
「本当よね」
彼女の横を若いカップルが通り過ぎる。傘をさしているがどうにも雪には慣れていないらしい。それが如何にも東京の人間らしかった。
「こんなに降るなんて」
「しかも紅い雪がね」
女の子が彼氏に言う。口を尖らせて不平たらたらであった。
「何なのよ、これ」
「さあ」
彼氏はそれに答えるが彼も何が何なのかよくわかってはいない。
「普通の雪じゃないのはわかるんだけれどな」
「これが普通なわけないわよね」
女の子はまた言う。
「紅い雪なんて」
「妖怪か何かじゃねえかな」
彼氏もまた不平たらたらの口でこう言ってきた。
「さもないとこんなのねえぜ」
「そうよね」
女の子はその言葉に頷く。確かに紅い雪なぞ見てはそうも思いたくなるだろう。雪は白いから雪なのだ。これが紅いとなっては普通の雪とはとても考えられない。
「しかもこんなに降って」
「もう何日もだろ。ずっと降り積もってよお」
彼氏は上を見上げて実に忌々しげであった。本当にこの雪が嫌らしい。
「最近家に帰った時と朝にはいつも雪かきだぜ」
「あたしの家もよ」
女の子も言う。
「お父さんだけじゃ手が足りないからあたしまで」
「俺の家も一家全員でな。東京だろ、ここ」
「そうよ」
女の子は憮然とした声で答える。答えれば答える程不機嫌になってきているようであった。
「しかもここ新宿」
「嘘だと思いたいな」
「けれど嘘じゃないのよね」
「だよな」
ここで二人は都庁を見上げた。ビル街も今は完全に紅い雪世界だが都庁もそれは同じであった。巨大な高層ビルが完全に紅に化粧していた。美しくはあるが何か得体の知れない妖しさを湛えた美しさであった。この世にあるというよりは別の世界、少なくとも人の世界ではない世界にある美しさであった。それは周りも同じでこの街全てが紅に妖しく化粧されていた。魔都が突如としてその白と黒の美を紅だけに変えてしまったかのような。そうした世界になっていた。
「全部紅ね」
「ああ。足元も空も」
「やっぱり変よ」
女の子は辺りも足元も見てまた述べた。
ページ上へ戻る