剣の丘に花は咲く
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第四章 誓約の水精霊
第六話 凍りつくもの
前書き
士郎 「シエスタそこでくるっと回って」
シエスタ 「こ、こうですか?」
士郎 「う~ん……いいですなぁ」
シエスタ 「もうっ、シロウさんのスケベ」
士郎 「ムフフフ……良いではないか、良いではないか」
うららかな陽光の下、膝上十五センチの制服姿のシエスタを鑑賞する士郎……さて、その頃キュルケはと言うと……
本編始まります。
※ 本編には関係ないです……本当ですよ?
士郎がセーラー服姿のシエスタを鑑賞していたころ、キュルケはタバサと共に馬車の上で揺られていた。馬車の中では、キュルケがタバサを膝の上に乗せている。学院の男なら、躊躇いもせず大金を払うだろう、柔らかなキュルケの膝の上にいるのもかかわらず、タバサは相変わらずの無表情で、本を読んでいる。そんないつも通りのタバサの頬を、キュルケは詰まらなさそうな顔をしながら、指で摘むと、左右に交互に引張ていた。
「むに~……むにょ~ん……ふよよ~ん…………はぁ……」
暫らくの間、タバサの頬を弄んでいたキュルケだが、何の反応を示さないタバサの様子に、小さく溜め息をつく。そして、タバサの背中に、しなだれかかるように抱きついた。タバサの頬に、甘えるように自分の頬を擦り付けながら、横目でタバサの顔を見つめる。
(やっぱり……ちょっと変ね……)
何故、今キュルケがタバサと共に馬車に揺られているのかというと、それは二日前、キュルケがタバサの部屋に遊びに行った時のことだった。キュルケがドアを開けると、バッグの中に服を詰めているタバサがいたのだ。どうしたのかと聞いてみたところ、実家に帰るといつも通りの無表情で答えたタバサに、何か引っかかるものがあったキュルケは、タバサについていくことにしたのだ……理由はそれだけでは無かったが……。
そして今日の朝、タバサと共に学院の外に出てみると、そこにはタバサの実家から派遣されてきた馬車が待っていた。シルフィードに乗って帰るのかと思っていたキュルケだが、乗って帰らないということをこれ幸いと、シルフィードの上にフレイムを乗せ、自分はタバサと一緒に馬車に乗り込んだ。
それから数時間後、今もキュルケとタバサは馬車に揺られている。
いつもと変わらないようでありながら、何処かおかしいタバサの様子に、タバサの身体に回す手に少し力が込もる。
キュルケは最近、自分が不安定であることを自覚していた。
いつも余裕を持って、好きに、自由に生活していたキュルケだったが、最近、その生活に楽しくなくなってきたのだ。ハンサムな男子生徒達から愛の言葉を投げかけられても、高価なプレゼントを渡されても……全くといって心が動かないのだ。
飽きたのではない……と思う。愛を囁かれるのは快感だし、美しい宝石を貰えば嬉しいのだが……何かが違う……そう、心が動かないのだ。
だからといって、無感動になっているわけではないのだ、それどころか、反対に不自然な程に心が騒ぐことがある。
しかしそれは……たった一人の男に対してだけだった。
彼に話しかけられると、それがたわいのない詰まらない話しでも、極上の美男子からの愛の囁きよりも心が騒いだ……。
単に頭を撫でられただけでも、百戦錬磨の女たらしの愛撫以上の快感が身体を走った……。
彼が他の女と話しをすると、胸が切り裂かれるような、鋭い痛みを胸に感じた……。
恋多き女であると自他共に認める自分だ……原因は分かっている。
自分は恋をしているのだ……。
彼に……。
エミヤシロウという男に……。
「はぁ……」
もちろん今まで恋したことは何度もあった。年上も、同い年も、年下も……いろんな男と付き合ったことがある。そのどれも楽しかったし、面白かったし……胸も高鳴った。
それが恋だと思っていた……なのに、違うのだ。シロウは違うのだ。
もちろん楽しいし、面白いし、胸も高鳴る……だけど違う、それだけじゃない……。
痛いのだ。
苦しいのだ。
胸が……心が……。
あたしが今まで経験してきた恋愛は、いつもコントロール出来ていた。主導権はいつも自分。振り回すのがあたしで、振り回されるのは相手。最初は一人で手一杯だったが、今では六、七人を片手であしらえるまでになったのに……。
シロウは駄目なのだ。
シロウはあたしの思い通りにならない。振り回すはずのあたしが、気付けば振り回されている。その結果、初めての感覚、経験に振り回され、今までの生活が次第に崩れて行った。おかげで、付き合っていた男子達とは段々と疎遠となり、自然消滅してしまった。それに関しては、全く気にしていないのだが……。今までの自分との齟齬に、自分のペースが掴めなくなった。
だから、タバサが実家に帰ると言った時、チャンスだと思ったのだ。
少しでも学院……違う、シロウと離れることで、自分のペースを取り戻したかったのだが……。
「まさかあなたの実家が、トリステインじゃなくって、ガリアだったなんてね……」
オスマン氏に、タバサが国境を越えるための通行手形を発行した際に知った事実について、独り言のように呟いたが、やはりタバサは答えなかった。元々答えを期待している訳ではなかったので、気にはならないが……。
「……ま、いっか」
タバサとは確かに友達だが、それは何でも話し合うような関係ではなく、着かず離れずの関係だ。話したくないことなら、無理矢理聞き出そうとは思わない。しかし……
(訳有りなのは、確実みたいなんだけど……ね……)
キュルケは気付いていた。タバサの視線の先の本は、自分が知る限り一枚としてめくられることは無かったことを。それを指摘することは無かったが、代わりにタバサを抱えると、膝の上に乗せ、構ってやることにしたのだ。
今から行くタバサの故郷たるガリアは、政治に興味のない自分でも、内乱の危機を孕んでいるという噂を耳にするほどだ。そんな国に、いつもとは違う様子のタバサと共に向かっている。そのことに対し、あまりいい予感はしない。
胸の位置にあるタバサの頭を優しく撫でながら、キュルケは馬車の外を眺める。
タバサの瞳にも似た、雲一つない青い空を見上げながら小さく呟く。
「友達だしね」
返事を期待していた訳ではないが、やはりその呟きにタバサが応えることはなかった。それでも、何処か寂しさを感じてしまい、思わず顔が垂れると、丁度馬車とすれ違う一団が目に入った。
全員がスッポリとフードが付いているマントを着ているため、顔も服装も何もかも分からなかったが、マントから突き出ている杖が出ていた。どうやら貴族の様だ。それも、杖の造りから、どうやら軍人だろう。戦時中だしね、と思いながらも、その姿を目で追っていると、
「へえ」
思わず感嘆の声が上がった。
一団の先頭にいる者の顔が、フードの隙間から見えたのだ。美形なら見慣れているキュルケでも、思わずため息が漏れる程のいい男だった。しかし、いや、やはりと言うべきか、以前ほど胸が踊ることは無かった。知らず苦笑いを浮かぶ顔を、手でそっと撫でると、去って行く一団から目を逸らした。
「ん? ……あれ?」
視線を馬車の中に戻した時、キュルケはふと先程顔が見えた男を、何処かで見たような気がしたのだ。あの涼しげな目元が印象的な男……何処だったかしら? 思い出せそうで思い出せない、そのもどかしげな感覚に、段々と眉間に皺が寄っていく。
「ま、いっか」
いくら考えても思い出せず、眉間の皺を消してしまう。相も変わらず本に視線を落としているタバサの身体を、軽く抱きしめると、馬車の中の暗い天井を見上げる。
「……何か……最近多いわね、こういうの」
思い出せそうで思い出せないと言う感覚は、キュルケにとっては、実を言うと最近馴染み深いものであった。と言っても、それは人のことを思い出せないというものではなく、
「……どんな夢だったのかしら……」
夢なのだ。最近、キュルケは朝泣きながら目が覚めることが度々あった。そしてそれは、涙だけでなく、激しい動悸や荒い呼吸、原因は多分、夢だと思うだけど……。
「……やっぱり、思い出せないわね」
先ほどよりも、深い皺が眉間に刻まれるが……やはり思い出せない。
しかし……その夢がとても悲しく、辛く、痛々しいものだったというのは、何となく覚えている。
ゆっくりと目を閉じる。
馬車の暗い天井から、暗い目蓋の裏に視線を移すと、ぼんやりと浮かんでくるものがある。
それは……
……炎
……血
……剣
……そして
「……赤い……男……」
小さく、小さく呟いたその言葉は、膝の上にいるタバサの耳にも届くことはなかった。
馬車に揺られること、二泊と三日。国境の石の門を潜ると、そこはガリアだった。
「でも、原因は何なのかしらね?」
向かいに座っているタバサに、小首を傾げながら尋ねてみる。
「……ま、いいけどね」
ピクリとも反応しないタバサの様子に、視線を落としながら小さくため息をつく。ガリアに近づくにつれ、タバサの様子は明らかに変化していった。良い方ではなく、悪い方にだ。始めの方は、まだ小さな反応はそれなりにあったのだが、ガリアの国境を超えた頃には、このようにピクリとも反応することがなくなったのだ。
まるでと言うよりも、人形そのもののタバサの姿が見ていられなく、視線を窓の外に移動させると、先程の会話のネタが目に入った。
「……綺麗な湖ね」
キュルケの視線の先には、太陽の光を反射させ、キラキラと水面が輝く大きな湖があった。向こう岸が見えない程の巨大な湖の美しさに、思わず感嘆の声が漏れる。湖の水辺には、様々な種類の花が、色鮮やかに咲いていた。そして、不思議なことに、その水面には、水辺に咲いている花が見えた。
ガリアの関所で、衛子がラグドリアン湖の水位が上がっていると言っていたが、どうやら本当のようだ。それも水面に咲く花が萎れていないことから、かなりの速度で上がっているようだ。
衛子もそんなに雨が降っているわけでもないのにと、不思議な顔をしていたが……。
(……何が原因なのかしら)
馬車が湖から離れ、森の中を進んでいると、空けた場所で、農民たちが休んでいる姿が見えた。赤々としたリンゴで一杯の籠が目に入ったキュルケは、馬車を止めさせると、窓を開けて農民に声を掛けた。
「ねえっ! その籠の中のリンゴを売ってちょうだいっ!」
帰属から声を掛けられ、慌ててリンゴで一杯の籠を抱えて、一人の農民が馬車に向かって走ってきた。
「へ、へえっ! い、いくつでしょうか?」
「二個ちょうだい」
頭を下げ、見上げてくる農民に、銅貨を渡しながら言うと、目を見開き、驚きの声を上げた。
「お、多すぎでさあ、これじゃあ、籠の中のリンゴ全部でも足りなくなっちまいやす」
「そう、なら釣りは取っといていいわよ」
「へ、へえ」
恐縮そうに頭を再度下げる農民に手を振って答えると、渡された二つのリンゴの内、一つをタバサの膝上の本の上に置く。タバサは本の上に乗ったリンゴを動かすことなく、今度は赤いリンゴを見つめ始める。そんなタバサを横目で見ながら、キュルケは手に持ったリンゴを齧った。
「ふうん……美味しいじゃない。ねえ、ここの領主は誰なの?」
「へえ、その、領主はいやせんです。この辺は、ラグドリアンの直轄領なんで」
「直轄領?」
予想外の言葉に、キュルケは戸惑い顔を、リンゴを見つめるタバサに向ける。
「そうでさあ。王様の所領ってことで、こんなわしらも、王様のご家来っちゅうことになりますな」
笑う農民に顔を戻すと、キュルケはその形のいい唇を人差し指でなぞった。確かに、これだけ美しい土地であれば、王様の食指が伸びてもおかしくない。
しかし。
細めた目で、タバサを横目で見やる。
顔を伏せているため、どんな表情が浮かんでいるか見えない。
(まさか……ね……)
「まさかとは思ったけど……」
農民から別れ、十分程度進むと、旧くも壮麗なお屋敷が姿を現した。いつの間にか、直轄領から出ていたと言うわけがなく、最後の望みとばかりに、段々と近づいてくる門に刻まれた紋章を目を細め見つめると、
「……はぁ……」
交差した二本の杖、そして『さらに先へ』と記された銘。それはガリア王家の紋章。
初めてタバサに会った時から、余りにも適当に思えるその名前に、それが偽名ではと疑っていたが。精々それなりの地位にある貴族の庶子ではないかと思っていたが、まさかガリアの、それも王族だったとは。
ふとタバサに視線を向けると、タバサも窓に目を向けていた。窓の向こう、ガリア王家の紋章を見つめていた。冷たく、凍りついたような瞳からは、何の感情も伺えない。そのことに心の中で嘆息すると、同じように視線を窓の外へ向ける。
(……あれ?)
門が間近に来たことから、門に刻まれたガリア王家の紋章がハッキリと見えるようになり、遠目では見えなかったものが目に入った。
「不名誉印?」
小さく口の中で呟く。紋章の上にはバツ印が刻まれていた。それは王族でありながら、その権利を剥奪されているということだ。
馬車が止まると、一人の老いた執事が馬車の扉を開け、恭しく頭を下げてくる。
「お帰りなさいませ」
たった一人だけの、寂しい出迎えを受けながら、タバサの後に続いてキュルケも馬車を降りる。屋敷の客間まで、老僕に案内されたキュルケは、居間に辿り着くまで、結局老僕以外の人間の姿を見かけなかった。綺麗に掃除はされているようだが、全く人気がなく、静まり返った屋敷は、まるで幽霊屋敷のように感じた。
しばらく客間の様子を眺めていたキュルケだったが、飽きたのかソファーの背に体重をかけながら、タバサに話しかけた。
「タバサのお父上に挨拶したいんだけど、今日は留守なの?」
返事はあまり期待していなかったのだが、予想に反してタバサはソファーから立ち上がると、キュルケに顔を向けることなくここで待つよう言った後、ゆっくりと歩いて客間から出て行った。
さっさと出て行った客間の扉をポカンと見つめていると、出向かいにいた老僕が、ワインとお菓子が乗ったトレーを持って現れた。
老僕は洗練された手つきで、キュルケの前にワインとお菓子を置くと、頭を下げ、立ち去ろうとしたが、その前にキュルケはその背中に声をかけた。
「ねえ、このお屋敷には、あなたしかいないのかしら?」
振り返った老僕は、恭しく頭を下げると、笑いながらも探るような目をキュルケに向けた。それに気付きながらも、キュルケは艶然とした笑みを向けている。
「いえ、シャルロットお嬢様のお母上がいらっしゃいます」
「そう」
顎を軽く引いて頷いたキュルケに、老僕は頭を下げたままの姿で声をかけた。
「失礼ですが、シャルロットお嬢様のお友達でございますか?」
「そうだけど……」
執事はタバサではなく、シャルロットと言った。オルレアンと言う家名に聞き覚えがある気がしたキュルケが、小さく口の中で呟いていると、はたと思い出す。オルレアン家とは……。
「王弟家じゃない」
軽く目を見張りながら、声を漏らすと、背を伸ばし、笑みを浮かべながらも目が笑っていない執事を見上げる。
「ねえ、どうして王弟家の紋章じゃなく、不名誉印を門に飾っているのかしら」
「それは、そのミス……」
「ツェルプストー。ゲルマニア貴族のフォン・ツェルプストーよ。それで、事情はお聞きしてもよろしいかしら? この家のことや、あの子……タバサが何故偽名を使って留学してきたのかを」
言いよどむ執事に、ニッコリと笑いかける。
「ゲルマニアの……そう、ですか」
笑みが浮かんだ顔を一瞬歪めた執事だが、すぐに元の笑みを浮かべた。しかし、その目には、悲しげな色がハッキリと見える。
「お嬢様は、ご自身のことを『タバサ』と名乗っていらっしゃるのですか……。今のお嬢様が、お友達をお連れになるのは、初めてのことです。分かりました。ツェルプストー様を信じ、お話しましょう」
そして丁重に頭を下げると、胸に手を当てる。
「それでは、このオルレアン家の執事である。このわたくし、ペルスランが知る限りのことをお話します」
薄暗い天井を一度仰ぎ見ると、決意の秘めた目を、笑いながらも真剣な目をしているキュルケに向けた。
「……この屋敷は牢獄なのです」
タバサの目の前には、人形を抱えた女性が立っている。
人形を抱えた女性は、人形を守るように両腕でしっかりと抱きしめ、タバサを睨みつけている。五十代に見えるその女性が、まだ三十代であることをタバサは知っていた。
鈍く澱んだ目で向ける女性に、タバサは深く頭を下げる。
「ただいま帰りました……母様」
いつも通りの抑揚のない声は、しかし微かに震えていた。
帰りの挨拶に対する返事は……
「下がりなさいっ無礼者ッ!」
「っ」
グラスを投げつけられるというものだった。
下げていた頭に当たったグラスに入っていた水が、頭と背中を濡らす。
「誰が……誰が王位を狙うなどと……っ! 出て行きなさいッ!! さあっ早くッ!! 早くッ!!」
髪を振り乱し、唾を飛ばしながら喚く母の声を受けながら、頭を上げる。
「ああ、シャルロット。わたしの大切な、可愛いシャルロット。安心なさい、決してあなたに寂しい思いをさせはしません……何をしているのですか」
愛おしげに人形に頬をすり寄せながら、女性は蔑んだ目をタバサに向ける。
その様子に、タバサは小さく笑みを浮かべた。
優しく、そして愛おしげに笑うタバサ。
濡れた髪から垂れた水滴が目尻に滴る。水滴は涙のように目尻から頬を伝い、あご先から地面に落ちていく。
「今すぐここから出て行けッ!!」
窓ガラスが揺れる程の怒声を浴びたタバサは、それに従うように母に背を向け、扉に向かって歩き始めた。扉に手を掛けると、振り返ることなく、タバサは小さく声を零す。
「あなたの夫を、心を殺した者共の首を、いずれここに並べてみせます。それまで、どうかお待ち下さい」
タバサが扉から手を離すと、開いた窓から吹き込んできた風が、扉を勢いよく閉める。首の後ろに触れた風は、初夏にもかかわらず、寒気がするほど冷たかった。
「――『タバサ』とは、お嬢様が奥様から贈られた人形にお付けになった名前です」
「……そう」
執事――ペルスランから聞かされた話しは、キュルケの想像以上のものだった。
継承争いで殺された父親。
身代わりに水魔法の毒を呷った母親。
失った言葉と表情。
狂った母親と自身の身を守るため、絶望的な王家の命に従う日々。
雪風という二つ名を持つ少女。
あの小さな身体に宿る心に吹き荒れているだろう雪風は、いつか止むことがあるのだろうか。
目の奥がじんわりと熱くなる。流れ用とするものを耐えるように、そっと目尻を抑える。
「お嬢様」
扉が開く音共に、ベルトランが声を上げる。
首を動かすと、こちらに向かってタバサが歩いてくる。ベルトランは一礼すると、懐から一枚の手紙を取り出す。忌々しそうに手紙を睨みつけた後、その手紙をタバサに手渡した。
「王家からの指令でございます」
「そう」
無造作に封を切って、内容を確認すると、タバサは何でもないことのようにペルトランに声をかけた。
「明日から取り掛かる」
「かしこまりました。使者にはそのように取り次いでおきます……御武運をお祈りいたします」
タバサの言葉に、静かに一礼すると、ペルトランは部屋から出て行った。
タバサがキュルケに顔を向けると、その小さな口を開き。
「あなたは――」
「あたしもついていくわ」
タバサの言葉を遮るように、キュルケはタバサに話しかける。
「……危険」
「分かってる。実はさっきの執事から、あなたのことを全部聞いちゃったの」
「……そう」
「ごめんね」
「……いい」
互いに言葉は少なかったが、気分は悪くはなかった。
軽く頭を下げているタバサの頭を優しく撫でながら、キュルケはタバサに笑いかける。
「そう……ありがとう」
何度も寝言で母を呼んでいたタバサも、ようやく穏やかな寝息を立て始めた。
自分の胸に顔を埋める、タバサの頭を撫でながら、キュルケはこの小さな友人のことを想う。
スッポリと腕の中に収まる、この小さな身体で、これまで一体、どれだけの重荷に耐えてきたのか……想像すら出来ない。
この子は今まで何を選び、何を捨て、何を手に入れたのか……。
……母を守るため、自身を危険に晒すタバサ。
……心配する者……同情する者はいても、助けてくれる者はいなかったのだろう。
ふと、土くれのフーケの隠れ家に馬車で向かう時のことを思い出す。
シロウが全てを救う正義の味方になりたいと言った時、いつもらしからぬ様子を見せたタバサ。
救われずにいる自分の目の前で、全てを救いたいとのたまうシロウに頭に来てもおかしくはないと、小さくため息を吐く。
「シロウ……」
目を瞑ると、ハッキリと彼の姿が脳裏に浮かぶ。
出身も素性も何も分からない、何もかも不明瞭な男。
だけど……彼が優しく、暖かく、強い男だと言うことは知っている。
彼にこのことを伝えれば、きっと力になってくれるだろう……。
でも……何故か伝える気が湧かない……。
薄く目を開けて、眠るタバサの顔を見つめる。
心と表情を凍てつかせた少女。その姿に何かが重なる。ぼんやりとしたそれは、ハッキリと形を取らない。
うとうとと瞼が落ちていき、まどろみに身を任せながら、優しく胸に縋りついてくる少女を抱きしめる。凍てついた少女の心を溶かすように……。
眠りに落ちる直前。
夢と現の狭間。
朧げだった影が、男の姿を取った――――――
「ッッッ!!!!」
一瞬にして目が覚める。
恐怖に目を見開く。
身体が小刻みに震える。
ぞっとするほど、身体が冷え込む。
「あ、れは……」
赤い外套。
黒い甲冑。
灰色の髪。
浅黒い肌。
「だれ」
吐き気をもよおすほどの……
……ガラス玉のような……瞳……
後書き
士郎 「……あれ? 出番これだけ?」
シエスタ 「みたいですね」
士郎 「ふむ、えらい短いな?」
シエスタ 「絡みづらい話ですから」
士郎 「ま、その通りだ。今日のところはこれで終わろうか」
シエスタ 「そうですね」
士郎 「それでは、お疲れ様でした」
感想ご指摘お待ちしております。
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