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Fate/stay night -the last fencer-

作者:Vanargandr
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黒守黎慈とフェンサー(4) ─交錯する心─



 微睡みから覚める意識。目を開ければ、映るのはいつもとは違う天井。
 窓に掛かるカーテン越しに差し込む朝日を見て、夜が明けたのだと認識する。

 頭がボーっとする……ろくに眠れなかった。
 それもこれも、昨日のフェンサーとの会話のせいである。

 その願望の内容など知らぬまま、平行線を辿る話し合いは不毛極まるものだったが、既に譲れない境界線を越えた彼女の言葉に我慢出来なかった俺のせいでもある。
 聖杯戦争を勝ち抜いたとして、『私の願いを令呪を使ってでも止めろ』というのは、共に戦う相棒への言葉として余りに一方的ではなかろうか。

 願いを教える気はない。その叶え方とやらを変えるつもりもない。
 彼女の願いは黒守黎慈の矜持に反するから、気に入らなければ令呪を以て律せよ。

 昨晩の数時間に及ぶ話し合いにもなっていない主張のぶつけ合い、そこで得られた確実な答えはこの二つだけだ。
 さすがに俺も頑固ジジイというわけではない。あれだけ話し合おうとして拒絶されたのならば、こちらがいくらか柔軟に、考え方を変える必要がある。

 まず現状のフェンサーの頑なさの理由を知る手段はある。

 それこそ令呪を以て願いに関する情報を話させることだ。
 ただ原則として彼女の嫌がること、不本意な命令はしないと誓っているのでこれは最終手段である……最終的にでも使いたくない手段である。

 もう一つは条件は不明だが、時折夢に見る彼女の記憶…………覗き見は趣味が悪いが、そこから答え、あるいはヒントでも得られないかというもの。
 この手段も出来れば使いたくない────というより、彼女の記憶を夢見する方法がわからないので、ほとんど偶然的要素に頼る形になるのも確実性がない。

 既に夢見した内容からいくらか推察することはできるが、全て憶測に過ぎない。 
 あの青年に纏わる願いだというのが一番有力だが、これすらも100%とは言い切れない。
 自己救済なのか他者救済なのかすら分からないし、万が一誰かを救うなんて願いですらない可能性だってある。

 一つ不可解なのは夢がフェンサーの記憶だとして、それがフェンサーの視点で見るものと青年の視点で見るもの、二つあることだ。

 他者の記憶を覗く魔術はあるが、青年と俺の繋がりは一切存在しない。
 共有に類する魔術で、フェンサーが彼の記憶を保有しているというのが妥当なところだろうか。
 だが共有だの共感だのの魔術は一時的なもので、他者から略奪でもしなければ完全なる保存は不可能だ。
 保持者に影響を与えず保存する中では、優れた記憶媒体に情報転写するのが一般的だが、その手段が使われることは稀である。

 そうでなければ封印指定を受けた魔術師が幽閉されることも、死した後に脳をホルマリン漬けにされて保管されることもないのだから。

(いかん、思考が脱線した)

 ともかく夢で見た限りにおいて、フェンサーが青年を害するとは思えない。
 やむを得ない事情によって青年に生命の危機が訪れ、苦肉の策で記憶を保存したとか…………なんだこの妄想は、少年漫画かっての。

 ──────いや、記憶ではなく魂の保存?

 魔術的観点で言えば、記憶は肉体ではなく魂に依存する。
 魔術回路なども魂に存在するが、魔術において必要不可欠とされながらも魔術において扱うことは至難とされる第二要素(たましい)
 利用するのは難しいが、魂自体を取り扱う術は普通に存在している。記憶を覗く魔術も、云わば魂の表層情報を掬っているようなもの。フェンサーが青年の魂を、何らかの手段で保存している可能性はある。

 というより魔術的契約によって繋がっているだけで記憶の流入が起こるのならば、保存媒体は外ではなく内、フェンサーの肉体に保存されていることになるのではないか。

 聖杯戦争によってサーヴァントが現界するにあたって、宝具は当然として、かつての衣服や装飾品、英雄本人の記憶・人格(・・・・・・・・・・)も再現されている。
 その再現の精度は言うまでもなく、ライダーのケースで考えても、召喚という形とはいえ彼女の愛馬である天馬さえも宝具(持ち物)として顕れたのだ。

 魂も魔術においては第二要素、物質と定義されている。
 特殊なものとはいえ、その英霊の持ち物として見做されたとしたら、同じように他者の魂を抱えた状態をも再現される可能性は高い。
 ならば俺が夢に見る青年側の記憶と思しきものは、フェンサー自身ではなく彼女が抱えている青年の魂からの情報の流入であるという推論が立つ。



「…………もしそうだとして、それがなんだってんだ」



 思わず独り言が漏れるほどにどうしようもなかった。

 結局のところ確信はないし、事実そうだとしてもその情報をどう役に立てればいいのか見当もつかない。
 ここまでの考察が無意味だったわけではないので、今後役に立つことを期待しつつ今は頭の片隅に追いやる。

 とは言っても、これ以上考えても得られるものはなさそうだ。

 フェンサーがポロっと情報を漏らすのを期待するか、また記憶の夢見が起こることを期待するしかない。
 記憶の夢見は正直フェンサーの過去に無断で踏み入る行為なので、本来なら彼女に相談してでもやめるべきことだと思っていたんだが、こっちにも引けない理由がある。

 俺は彼女の言葉を止めてくれと受け取ったが、実際に彼女が言ったのは『殺してくれ』だった。
 それは願いを叶える瞬間が来たら、例え何が立ちはだかろうと、他の何を踏み潰してでも止まらないという意思であり決意表明だ。

 令呪を以てすれば、サーヴァントであるフェンサーの行動を抑制する方法はいくらでもある。
 しかし令呪も魔術の一種である以上、永続的な効力は得られない。最後には三画全てを使い果たして彼女に束縛のない自由を与えるか、最後の一画を使うまでに彼女の命を断つしかない。

 フェンサーを殺してでも止めなきゃいけないような願いなんて、もはや俺には想像もつかない。
 ただ彼女の願いの内容が本当に俺にとって許せないものであったとしたら、俺は彼女を止める為に殺せてしまうことが分かるからこそ受け入れられない。

 俺とフェンサーが契約関係にあり、令呪がある以上殺すことは簡単だ。
 それこそ自害させるなり捨て身で特攻させるなり、無抵抗を命じて手を下すなりいくらでもやり方はある。
 何よりも容易に過ぎるからこそ、絶対にそうしたくないと思うのは当たり前だ。サーヴァントではなく人間としての彼女を尊重し、蔑ろにしたくないからこそ認められない。

 互いに譲れない部分とか以前に、そこが既に譲れないのだから。

「考えはまとまった。まとまってないけど腹は決まった」

 聖杯戦争が終わるまでにはまだ時間はある。
 現状では他の陣営が動くまで様子見なんて状態だ、長引けば長引くほど個人的には猶予が出来て有難いくらいだ。

 何とかもう少し情報を引き出して、彼女の願いに見当を付けて、事情を話させる。

 説得出来る可能性があればいいし、最悪でも互いに妥協できるところまで持って行けなければ今の関係を続けられないし共に戦えない。










「……朝風呂でも入るか」

 二人で決めた方針の上でも、今日は休みのようなものだ。

 せっかく新都近郊に居るのだし、フェンサーを連れて散歩でもすればこの陰鬱とした気分も晴れるかもしれない。
 何においても割り切るのは得意だ。昨晩フェンサーと少し言い争ったからといって、いつまでも引きずるようなことはしない。

 せっかく小さい安いホテルとはいえ、家よりも広い風呂があるのだ。

 間を空けることなく戦闘が続いたせいで疲労も溜まっている。
 たまにはのんびり、ゆったりする時間くらいあってもいいだろう。

「そして俺は抜かりないぞ」

 浴室前を入念に調べ、フェンサーが居ないことを確認。

 ついこないだ、風呂上りらしきフェンサーとバッタリ、があったところだ。
 あのおバカサーヴァントは平時における行動が読めない。下手なラブコメがしょっちゅう起こってもたまらないので、予防出来るときはしておく。

 ササッと服を脱ぐ。寒くても着込む方ではないのですぐに全裸状態。
 気配を感知したところフェンサーは近くに待機しているようだが、まさか主の裸を覗く趣味などあるまい。

 湯船に湯は張られていない。シャワーを浴びるだけでいいか。
 10分程度で終わる。まさかその間に事件が起こるはずもない。

「どうせならゆっくり湯に浸かりたかったなぁっと」

 最初は水が出るお約束を回避し、十分水を流しお湯になったところで頭からかぶる。

 洋式のバスルームだが、さすがに風呂椅子なども設置されている。
 海外では風呂はシャワーメインで、浴槽の中で頭や体を洗ってそのまま流すスタイルが多い。
 海外旅行者に合わせてホテルは基本洋式が多く、道具で日本人にも対応しているような場所がほとんどだ。
 日本特有の様式美に浸りたいなら、ホテルではなく旅館などを利用すれば檜風呂や露天風呂といった風情も堪能出来る。

(温泉とか行きてぇなぁ)

 海外と言わず、国内でさえも旅行に出かけたことはない。
 学校行事の修学旅行や校外学習での長距離オリエンテーションなどは話は別だが、一個人として療養や慰安目的での旅行はしたことがなかった。

 黒守の財産に手をつければ世界中どこにでも行けるが、俺個人としてアルバイトして稼いでるような額では到底無理な話だ。

(行くとしたらなんだ……学園での卒業旅行くらいか?)

 卒業旅行は学園の義務で行くわけではないので、もしも友人間でそういう企画があれば行ってもいいかくらいの心持ちで。
 それもまだ一年以上先の話だし、付き合いのある友人は何人も居るが旅行に行くような仲の友人はあまり多くない気がする。

 自分が企画して誘うような性格でもない。
 リーダーシップを取るよりも場を賑やかす方が性に合っている。

(先のことなんて誰にもわかんねえしな)

 顔の水気を払い、一度視界をクリアにしてから、シャンプーを適量手に取る。
 リンスならまだしもボディソープと間違えれば髪がガジガジになってしまうので、身嗜みを整えるという意味では避けたいところ。

 髪は長い方ではないが、しばらく散髪していなかったので少し伸びてきたかな。
 プライベートで外出するときはワックスを使うときもあるが、形はまだ整えられるしそこまで気にするような長さでもない。

 思考散漫に色々と考え事をしながら、頭をワシャワシャしていると浴室の扉がガチャガチャと──────

(は? 扉が開く音がしたぞ?)

 待て待て、この状況で侵入者はありえないだろ。

 扉の開閉音がした後、物音はない。

 物音を立てて俺をからかっているのか、予想の斜め上を行けば浴室内に侵入者が存在する可能性もある。
 洗髪しているところだったので目を開けられず、当然といえば当然だが今の俺は全裸だ。これ以上ない無防備を晒しているといっても過言ではない。

 更に何を隠そう、侵入者はフェンサー以外に有り得ない。
 というよりフェンサーじゃなかった場合を考える方が恐ろしい。

 その場合、フェンサーは何者かの侵入を許したということになるのだが。

 マジであのサーヴァント、今度は何を仕出かそうというのか。

「おい、フェンサーだろ! 何のつもりだ!?」

 思わず声を荒げる。

 正直信頼しているといっても、無防備なところに不意を突かれるのは不愉快である。
 さすがに害意を持っている訳ではないのは理解するが、意図不明な行動は説明を要する。

 つまり『なんなんだおまえ!』ってことである。

 ただこのままオロオロしていてもしょうがない。
 そんな様を見て面白がっているかもしれないしな。

 浴室内に居なければ特に問題はないんだ。

 洗髪中で視界が塞がっているとはいえ、そこまでだだっ広い浴室という訳ではない。
 適当に手を泳がせて周囲を確認しつつ、壁伝いに調べれば人の有無はすぐに分かる。

 そして予期せぬタイミングで、泳がせていた手がナニかを鷲掴みにした。

「やんっ」

 可愛らしい声と共に、俺の右手が不可解なモノに触れた。
 今まで生きてきて触れたことのないような、極上の柔らかさを備えた物体。

 なんだこれは。

 なんだこれは。

 頭が理解に追いつく前に男の本能がソレを察知しているが、理解した瞬間頭がオーバーヒートするのは分かっているので冷静に頭を冷やす。

 おちちけ、いや落ち着け。

 中に居ることは確認できたのだからすぐにでも離せばいいのに、右手が全く言うことを聞かない。
 この馬鹿、戦っているときと同じレベルで頭を冷やせ、平常心を保て。心を、感情を殺すことに徹しろ。
 魔術師は自らをコントロールすることに長けているものだ、間違っても理性より優先される事象があってはならない。

 このままでは股間に硬化の魔術がかかってしまう!

 恐らく全裸をまともに見られているがこの際どうでもいい。
 まかり間違っても────に触れたくらいで反応してしまっては、情けなくて立ち上がれなくなる。
 別のところが立ち上がれば問題ないとか言ったの誰だ、もう一人の俺か? わるいれいじくんは封殺だ、出番はない引っ込め。

「ふふふ」
「うぇっぷ!?」

 頭からシャワーをぶっかけられた。

 突然浴びせられた驚きで手を離してしまう…………名残惜しいわけじゃない、むしろ離せて良かったんだ。
 だが頭の泡が全て流れ落ちても、目を開けることはできない。目の前には恐らく俺と同じく、全裸のフェンサーが立っているはずだ。

 だってさっき触れた感触は生肌だった。
 まず間違いなくタオルも何も巻いてはいなかった。

 つまり状況は何も変わっていない。

 俺の方からどうすることもできない以上、話して聞かせるしかないのだ。

「で、なんなんだフェンサー、何が目的だ」
「いえいえ、マスターのお背中でもお流ししようかと」
「何か企んでるとしか思えない。直ちに回れ右して出て行きなさい」
「ひどーい、疲労困憊のご主人様を労うのも従者の務めですことよ」
「言い方が完全におちょくってる。大体今までこんなことしたことなかっただろうが」

 素直な厚意であれば受け取るに否はないが、どう考えても不自然だ。

 こんなことをしてくるあたり、フェンサーも昨晩のことは特に引きずってないようで安心したが、この状況は安心するしないどころの騒ぎではない。
 一歩間違えればとんでもないコトになる。相応しいシチュエーションでならば望むところだが、今はそういう状況じゃないし気分でもない。

 アレか? 『パパぁ、お小遣い欲しいのー、代わりにサービスしてあげるからぁ』みたいなものか?

 いけません、お父さんそんなの許しません。

「私のルートに入ったのでイベント発生なのです!」
「意味わからん! 健全男子の前に軽々しく肌を晒すんじゃありません、精神衛生上よろしくないです!」
「あらあら? 私が肌を晒していると、レイジはどうかしちゃうのかしらぁ? そんな度胸ありましてー?」
「おまえ……あんまり嘗めてると、今に泣くハメに────」
「んーふっふー、火遊びしちゃう?」
「ッ!?!?」

 あろうことか、俺の手を掴んで再び触れさせようとするフェンサー。

 咄嗟に全力で腕を引こうとするも、人間とサーヴァントは単純な身体能力差も計り知れず、力を込めた腕は震えるだけで僅かたりとも引くことができない。
 ゆっくりと引っ張られる右腕。ともすると体ごと引きずられてしまいかねないほどの膂力が働いており、それでなくとも男なら逆らえない引力がそこにはある。

 魅了の魔術にでも掛かったように、体は本気の抵抗をしない。

 このままではフェンサーの思う壺、何を考えてこんなことをしているのかは分からないが、術中に嵌められていることに疑う余地はない。
 今の状況全部含めて単に俺をからかっているだけの可能性すらある、マスターとして男として、これ以上の狼藉を許すわけにはいかないのだ。

 けれど悲しいかな、右腕は言うことを聞きません。

「ちょ、待てフェンサー! マジで洒落にならんぞ!!」
「ほぉら、もうすぐだよー?」
「っ……くっそ、マジで……待て……!!」

 腕の肘関節部分はもうすぐ伸びきろうとしていた。

 それはもう手の届くところに、フェンサーの裸体があることを意味している。
 意図的に越えてはならない一線、彼女に触れるのだとしてもこんな不本意な形でなど望んではいない。
 もういっそ開き直ってしまってもいいが、まだその時ではない。精神を集中し、心体ともに静めなければ。

「どう? どこに触れてるか、わかる……?」

 気づけば掠める程度ではあるが、指先が何かに当たっている。
 そのまま体のラインをなぞるように、フェンサーの手がゆっくりと指先を誘導していく。

 目を閉じているせいで、正直どこをどう触っているかは分からなかった。
 どこに触れていても彼女の柔肌は沈むように、弾き返すように俺の指に感触を伝えてくる。
 手の位置で大体どのあたりかは予想出来るが、どこを触れているのかは軽くなぞっているだけの状態では詳しくわからない。

 山をなぞるような動作の時だけは、どこをなぞっているか否が応にもわかってしまうけども。

「んっ……ふぅ……」

 上下左右に縦横無尽、好き放題に俺の腕を操り、自らの体を余すところなく、俺の指先に感じさせる。
 視覚を遮断しているせいで触覚に意識が向き、普段以上に触れているものを強く深く認識してしまう。

「は、ぁ……っ……」

 自分でやっていることとはいえ、多少くすぐったいのだろう。
 吐息と共に漏れる声はくぐもっており、意識して発しているわけではない。

 からかうような言葉は既になく、ひたすらに指先の感覚に没頭していた。

 ただその音は、あらぬ感情を沸き立たせる。

 わざとやっているのか無自覚か、雄の情を掻き立て、雄の欲を掻き毟る魔性の聲。
 研ぎ澄まされているのは触覚に留まらず、聞こえてくる音全てが目の前の光景を想起させる。
 見ないがゆえに頭の中で想像され映されるフェンサーの姿。声は浴室内で反響し、塞ぐことのできない耳から侵し、体も心も蝕んでいく。



 放っておけば暴走しかねないほど混乱と興奮の最中にある黒守黎慈と、それを覚めた視点で傍観するもう一方の黒守黎慈の意識。



(よし。肉体に付随する意識と、自己を俯瞰する意識との切り分けは出来た)

 ずっと精神制御を行い、意識を分断することに集中していた。
 我を忘れて動き出しかねない自分の身体を、遠隔操作するようにして抑えつけ、雑念や過敏になった感情、膨張した欲求反応を順に消却、処理していく。

 こうなればこっちのものだ。
 自分の体だの意識だのを自分でコントロールするのは簡単だし、出来て当たり前のことだ。
 まさかお風呂でシャワーを浴びているだけだったのに、こんなことを強いられるとは思わなかったがそれも終わりだ。

 後は一人で盛り上がってるこのアホを止めなければならん。

「おい、フェンサー」
「んぅ……ふぇ?」

 もう夢中になりすぎて前後不覚に陥っているようにしか見えないが、俺のサーヴァントがそれでは困る。
 未だに目を瞑ったままなのは褒めて欲しいところだが、散々あちこち触らされたおかげでフェンサーの姿の凡その感覚は掴めている。

 計測に従って、好き放題されていた右腕を少しずつ上に掲げて。

 思いっきりデコピンをかました。

「いぃッ!? たぁい!!!」

 バチコーン! といい音が響いた。

 会心の一発。
 心眼でもあるのかというくらい、視覚を封じた状態でのデコピンは強烈な一撃となった。
 精神的にも大丈夫だと判断したので目を開けると、そこには銀髪の美少女が全裸で額を押さえながら蹲っていた。

 もう惑わされんぞ、このおバカサーヴァントめ。

「うぅ……なんなのよぉ」
「そりゃこっちのセリフだ! 十中八九、からかおうとしたんだろうが、おまえ自分が策に溺れてどうすんの」
「う、うるさいっ! むしろ何でレイジはそんな冷めてるの!? 私の裸見て何とも思わないの!?」
「やかましいわ! ぶっちゃけ一時は押し倒してもいいかくらいに心迷ったけど、俺はそんな簡単に欲に溺れたりしねえよ!」



『向こうから来てるんだからもうよくね、据え膳食わぬは男の恥とか言うじゃん』



 先程までの内心を表すならこんな感じだ。
 精神制御して自分を抑制しようとするのがもう少し遅ければ、間違いは起こっていたやも知れぬ。

 口には出さないけど女性としてみれば、黒守黎慈の人生で一番と言える美人さんですよ?
 多分この先どれだけの女性と出会っても、フェンサー以上の美人さんは現れない。個人的な好みも含めて俺の中でダントツだ。

 決して本人には言わないけどな!

「ほら、開き直ったぞこっちは。背中流すってんなら流せ、まだ頭しか洗ってねえし。からかうの失敗で引き上げるならさっさとここから出ろ」

 目を開いてフェンサーの目を見つつ、キッチリと言い放った。

 いつまでもこんなことをしていては体が冷えてしまう。
 俺としてはさっさと風呂を上がって、新都の方へ出かけたいんだ。

 ホテルのチェックアウトの時間までまだ余裕があるが、時間ギリギリまで部屋でのんびりすることもない。
 適当に風呂を済ませて、1階にある朝食バイキングにでも行って、それから出発すれば十分だろう。

「むぅ……わかったわよ、普通に背中流してあげるわ」

 むくれた表情で渋々タオルを手に取る。
 洗体用のタオルしか取らないあたり、どうやら自分の体を隠すつもりは毛頭ないようである。

 不意打ちを食らった時と違って落ち着いているので、彼女の裸体も意識しなければ大丈夫だ。
 俺も全裸なのは若干恥ずかしいものの、弛まないように適度に鍛えているのでむしろ胸を張ろう。

 以前にフェンサーも言っていた。見られて恥ずかしい身体してないから、と。

 そこまで割り切ってしまえば楽だろうな。
 こんなハプニングはフェンサーとの間でしか起こらないだろうけど、今後はもっと肉体に自信を持てるよう鍛錬しておこう。

 とりあえず風呂椅子に腰掛け、フェンサーに背中を任せる。

「で、なんで唐突にこんなことしたんだ。からかうだけならもう少し違った方法があっただろ」
「昨夜、ちょっと諍いになっちゃったから。怒ってないかなーと思って」
「裸なのは無条件降伏か何かか? あれで気持ち引きずってフェンサーへの態度を変えたりしねえよ」

 何でもない理由に思わず苦笑する。
 それほど気にするなら口に出さなければ良かったものを。

 互いに少しだけ踏み込んだ部分に触れた話をしたのは確かだが、それはフェンサーが俺を信用してのことだと思っている。
 昨晩のフェンサーの話をそのままの意味で受け取るなら、出来る限り早い段階で話し合わなければならない内容だった。
 この問題についてはまだ進展は無理だろうが、もう少し信頼が深まれば、俺から聞けるかもしれないしフェンサーから話してくれるかもしれない。

「最初におまえのことを聞いたとき、ほとんどのことが秘密だったが……あの時聞けば、願いが何なのかは教えてくれたのか?」
「どうでしょうね……当たり障りのないことを言ったかもしれないし、全てを話しはしなかったと思うわ」
「そうか。でも話してくれたってことは、必要だと思ったからだろ? そのうち詳しく話してくれるのを待つさ」
「貴方が考えているような理由ではないのよ。ただ、いずれ知られることだと思ったから」

 その言葉にドキッとした。

 俺がフェンサーの記憶を垣間見ていることを知られているのかと。
 望んではいなくとも無断で覗いている事実に変わりはなく、彼女に対して内心後ろめたく思うのは当然だ。
 パートナーに対して誠実であろうとしている分、自らの不実は不信感となって返ってくるだろう。

 だから続くフェンサーの言葉は、想像していた通りのものだった。

「レイジ、私の過去を夢に見てるでしょう?」
「っ……それは……」
「特に思うところはないのよ? 知られると困ることもあるけどね。それに私も、貴方の過去を夢に見ているから」
「え?」

 それは、考えてもいなかった。

 サーヴァントは既に死んだ身だ。霊体であるが故に、彼らに夢を見るという事象は発生し得ない。
 フェンサーの話を信じるなら、契約したことにより霊的に繋がっていることで、睡眠中に互いが互いの記憶層に沈んでいる感じか。

 俺の過去なんて誰かに見せられたもんじゃない。

 聞かせるような話ですらないというのに、直接見られているのは申し訳なさすら感じてしまう。
 冬木に引っ越してきてからは多少マシな人生だとは思うが、幼少期の黒守黎慈は文字通り波瀾万丈。
 正直自分でも進んで思い出したいようなモノではなく、自分の過去についてなど誰にも話したことすらないのだ。

「すまないな、しょうもないもん見せちまって」
「なんで貴方が謝るの?」
「いやいや、つい最近の記憶ならまだしも、俺の子供の頃なんてろくでもねえ出来事しかなかったからな」
「……昨晩も含めて、何度か見た中には確かに信じられない内容はあったけれど」

 物心つかぬ内に黒守家から逃げ出し、物心ついてしばらく後に両親が他界。
 黒守家に引き戻され、魔術師としては遅すぎる時期から拷問のような教育が始まった。 わざわざ記憶の底から引っ張り出したくはないが、第三者からは目を覆うような世界だったはずだ。

 感性の狂った物好きなら話は別だが、虐待に近い手段で人間が身体を弄りまわされ、魔術の刷り込みを行っている光景など好んで見たいと思わないだろう。

 一般論にしたくはないが、長く続く魔術家系であるほどその育成や造成は陰惨を極めていることが多い。
 魔術の業は一子相伝。受け継ぐべき者が自壊しては全てが無に帰す為、あらゆる手法を以て、本来なら人の身に余る魔術因子を後継者に伝授する。
 個人的には嫌いな思考とはいえ、優秀な血統であればあるほど適合するものだが、無理矢理にでも完全適合させる場合、後継者作りへの着手が遅れた場合等、通常では考えられない術を使ってでも受け継がせようとする。

 その術技法の中身は家系それぞれで変わるだろうが、一つだけ言えるのは真っ当な人間としての機能を残していられるのはどれほどの低確率か、というものだ。

「滅茶苦茶だっただろ? 俺だってよくもまあ普通に生活出来る身体で居られてるなと思うからな」

 あっはっは、なんて笑い話にしようと思ったのだが、生憎と背中を流すフェンサーから伝わってくる雰囲気は笑い話では済まない。

 多分俺の過去に対する憐憫や憤り、果ては憎悪に近い感情が渦巻いているのが分かる。
 マスターとサーヴァントは互いの状態をある程度感じ取れるが、そこから伝わってくるほど彼女が抱いている思いが強烈に感じ取れる。

 けれど彼女にそこまで想ってもらうほど、俺は自分の過去について悲観していないし、現在に引きずってもいない。

「気にするなよ。魔術師なんて誰でもそんなもんだ。一緒にするのもどうかと思うが、英霊になるようなサーヴァント達の過去だって似たようなもんだよ」
「貴方は、本当に聖杯に願いたい事はないの? 過去についてでも、未来についてでも構わない。少しの幸福を願うだけでも、意義はあるでしょう?」
「俺の過去を覗いての意見なら、それは余計なお世話だぜ?」

 彼女が俺に抱く諸々の感情、全てを不要だと言い切った。

 はっきり言っておかなければ、フェンサーに負わなくていいものを預けてしまうと思ったから。





「どんな人生だろうと幼い頃は両親の愛情受けて、まあ曽祖父さんからも魔術師としての愛情……愛憎受けてきた。他にも俺と関わった人間全員まとめて、俺の人生の一部だ。
 それらがあるから今の俺がある。受け入れて背負ってるからこそ今の俺なんだ。否定も拒絶もしないし、憎いだとか辛いだとかも思っちゃいない」

「これからのことは……ま、分からないことだらけだが、悪いようにはならないと思ってる。俺は俺のまま面白おかしく、楽しく生きていく。涯てのことなんて考えても仕方ないし。
 だから聖杯に願うような事、頼るような事は何もないのさ。俺の世界は過去も未来も俺で完結している」





 想像もつかない生涯を生き抜いただろうフェンサーに、まだ四半世紀も生きていない俺の言葉がどこまで届くのかは分からない。
 けれど俺が黒守黎慈として生きていく上で大事にしていること、決して曲げず歪めず最期まで貫くべき指針を示したつもりだ。

「──────レイジは強いね(・・・・・・・)

 手を止め、背中にしなだれかかるようにしがみつくフェンサー。

 初めて聴く声色に若干戸惑う。
 俺の過去を垣間見たせいで、彼女に何らかの迷いを与えてしまったのかと不安になる。
 サーヴァントは座から映し出された存在。本人ではないが、この聖杯戦争においては限りなく本人に近い形で再現される。

 ならばその思考や精神性、抱いている無念や願いも本物であり、俺のような人間一人の影響でフェンサーが揺らぐことはないはずだ。

 ただ彼らも、もとを正せば人間だ。影響がゼロなんてことはないのかもしれない。
 それが座に居る本体とも言うべきモノには何も関係しないとしても、今ここに現界している彼らには響くものがあるのだろうか。

「どうしたんだよ、ホント。朝かららしくないぞフェンサー」

 背中越しのフェンサーの表情は伺えないが、ギリギリ後ろに回した手で彼女の頭をわしゃわしゃと撫でる。

 珍しいと評すると失礼かもしれないが、彼女のしおらしい姿など初めてだ。
 もしや昨晩見たという俺の過去が、フェンサーの琴線に触れるような内容だったのだろうか。
 俺のような人間のくだらない過去も、先ほど述べたばかりの生き方も俺個人の話なので、フェンサーが気にかける必要はないというのに。

「別に聖杯を求めることを非難したわけじゃないぞ。人が一生を終えた後に残るモノなんて、俺なんかじゃ想像もできない」

 彼女が生きた年月は、俺の年齢と比べれば少なくとも倍以上はある。

 人生何があるかなんて分からないし、遣り残した事、叶わなかった事なんてきっと誰にでもありふれている。
 フェンサーだけじゃなく、英霊たちの人生など現代では及びもつかないものだろうし、彼らほどの者が成せなかった事なら聖杯の一つくらいなければ不可能だ。

 たとえその願いが余人には取るに足らないことであったとしても、俺たちに貶めるような真似は絶対にできない。

「レイジ、一つだけ答えて」

 一転して真剣な声。

 有無を言わせぬ迫力すら込めて、フェンサーが問う。

「運命なんてものが存在するとして、それが絶対に不幸な結末に繋がっているとしたら。
 本人にも他人にもどうしようもなくて、変えられない悲劇があるとしたら、貴方はどう思う?」
「どうする、じゃなくてどう思う、か? そうだな……言っておくと、運命って言葉は嫌いなんだが…………
 己の命に真摯に向き合って精一杯生きたのなら、結果の幸不幸を問わず満足するんじゃないか? 残していく者には申し訳ないが、全力で走り抜いた先が崖の向こうだとしても、きっと納得して落ちていくだけだよ」
 
 俺に聞かれた以上、俺の意見を言わせてもらおう。

 もしもこの答えがフェンサーの願いを全否定するものであったとしても、これが今の黒守黎慈を形成する根幹、譲れない部分に他ならない。
 フェンサーにとって譲れないものと正面から衝突する価値観だとしたら、確かにいつかはぶつかり合わなければならない話だったと思える。

 こんな質問をしてくる以上、この話が彼女の願いに関わらないはずはない。

 しかしこれ以上の問答はないだろう。
 一つだけと彼女が言ったのだ、恐らく俺の答えがフェンサーにとっても答えになる。

 俺はフェンサーを否定したい訳じゃない。
 結局は俺個人の価値観の話で、自分かまたは誰かの不幸な運命(結末)を変えたいというなら別にいいと思う。
 言い換えれば誰かの幸福を切に願っているということで、世の中に溢れる下卑た欲望とは比較にならないほど清純な願いだ。

 ────────だけどそんな単純な話なら、きっとフェンサーは今。

「やっぱり、レイジは強いね。でもだからこそ、私は私の願いを叶えなきゃいけないって再確認出来た」
「………………」
「ごめんね、サーヴァントがマスターの手を煩わせて。きっと私の願いはレイジを否定するモノだと思う。
 秘密の多い女で申し訳ないけど、もう少し付き合って。記憶を覗くことは止めないから、もし私の願いに気付いたらそのときは──────」

 昨夜と同じことを言いかねないフェンサーを、頭を軽くはたくことで止めた。

 振り返ってしっかりと彼女の顔を見つめる。

 本来マスターとサーヴァントは聖杯を獲得する上で、利害が一致しただけの協力関係に過ぎないだろうに。
 何故彼女はこんなにも俺のことを信じて優先するのか。その答えもこれから知ることが出来るのだろうか。

 たとえ何一つわからないままだとしても、俺の考えは変わらない。

「昨日も言ったろ。納得できないなら話し合おうってよ。妥協じゃない、納得して解決するためにだ。俺もおまえも自分を曲げる気はない、なら目指す先だけじゃなく、その道程さえも同じになるよう努力するんだ」

 他人を拒絶するのなんて簡単だ。
 自分を曲げたくないのなら、一番手っ取り早いのは相手を曲げてしまうこと。。

 けど自分を曲げたくないから他人を曲げようだなんて、思い違いも甚だしい。
 他人を変えるのだとしたら、それは既に曲がっている相手を正しい形に戻すときだけ。
 自分の都合のいいように他人を変えようだなんて思い上がりは、自分自身すらも歪める愚行に過ぎない。

「せっかくお互い好きな奴と組めてるんだぜ? どうしても譲れない時は、全力でぶつかってやる。派手に喧嘩してでも気持ちぶつけあおうぜ」

 仲が良いからこそ喧嘩だってするもんだ。
 今までどうしようもないほどの衝突はなかった俺たちだが、最後までこのままってわけにはいかないんだろう。

「どんだけキッツい喧嘩してもさ。おまえとなら、仲直り出来るって信じてるよ」

 だから最後まで信じててくれよ。

 オレもおまえを最後まで────── 
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