ワンピース~ただ側で~
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おまけ2話『師弟』
インペルダウンにはその存在を秘匿にされているフロアが存在している。
それがレベル6、無限地獄。
ハントがいたレベル5、極寒地獄よりもさらに深いエリアに位置するそのフロアには、度を超える残虐な事件、もしくは政府にとって不都合な事件を起こしたような囚人たちが収容されており、囚人たちの質はレベル5までとは一線を画している。もちろんフロア自体も、そうだ。
レベル5までは囚人にとって過酷な環境が供えられていたが、このフロアの人間たちに与えられる環境はそれらとは趣が違っており、暇というそれ。ただ捕まって、そこにいることした許されていない。おそらくレベル2や3の囚人たちからすれば天国だと思われるような環境こそが、このフロアの人間たちにとっては地獄。
一般的に見ればおおよそに理解のしがたいものだが、それだけこのフロアの人間たちが異質ということだ。とはいえレベル6の囚人はそのすべてが死刑囚。地獄のような環境を与える必要すらないということなのかもしれないが。
「……」
そんな異質な人間たちが収容されているフロアへと連れてこられたハントは、目の前で捕まっている人物たちの顔を見て、ただひたすらに目を丸くしていた。
なぜならそこに――
「なんでお前さんがここにおるんじゃ!?」
「なんでてめぇがここにいるんだ!?」
――彼の師匠ジンベエと、友であるエースがそこにいたのだから。
あまりにも思わぬ再会すぎて、3人ともひたすらに動揺の表情を浮かべており、そのせいかハントは二人の質問をほとんど無視する形で、よろよろと檻へと近づいたかと思えば枷をはめられた両手を格子へとかけて、二人の顔を覗き込んだかと思えば急に叫びだした。
「なんで……二人がそこにいるんだよ……っなんでだ!」
目の前の光景が余程に信じられないのか、ハントの叫びは止まらない。
「エース! お前ティーチは……黒ひげはどうしたんだっ!? なんでこんなとこで捕まって……お前あんなに気合入れてたのにっ! こんなところでっ……それに師匠も! あんた王下七武海で! 海侠のジンベエでしょうが! なんで海軍に協力する側の人間がそんなところにいるんだよっ! 何で――」
悔しげに肩を震わせて、そしてハントは二人へとさらに言葉を叩きつける。
「なんで、そんなに二人とも傷だらけの体してるんだ!?」
「……ハント」
確かに傷だらけの体をしている二人が顔を引きつらせて、僅かに顔を俯かせた。数秒ほどそうしていたが、黙っているわけにはいかないと二人とも考えたようで、同時に顔を上げて、まずはエースが口を開いた。
「悪ぃ。あいつに負けて……おれはここにいる……体の傷はあいつにやられたもんだ」
「なっ!?」
驚きの声を漏らすハントに、続けてジンベエが言う。
「わしはエースさんの処刑に反対し続けた結果が今じゃ。あくまでも協力せんと言い続けたらここに放り込まれてしもうた。この傷はここでも頷かないワシへの拷問で、といったところかのう」
「はぁっ!?」
いきなり色々と放り込まれてどうやらハントの思考が停止したらしく、動きを止めた。とりあえずは二人がここにいる理由に関してはハントも理解した。となればもちろん、ハントの思考を停止させたのはエースの処刑という言葉だ。
「……」
――え、エースの……しょ、しょけい? え? んっと……は?
完全に混乱してしまい、固まって動けずにいるハントだったが「それでお前さんは? たしか麦わらのルフィという男と一緒におったんじゃなかったか?」というジンベエの言葉でふと我に返り、師匠の言葉とあって慌てて頷いた。
「あ、はい。俺はちょっとルフィのじいちゃん……あ、エースのじいちゃんでもあるのか? とりあえず海軍のガープにいきなり捕まえるって言われて、それで」
「お前さんだけを、か?」
「はい」
「あのじじい、なんでハントだけを?」
ジンベエ、エース。ともに首をひねり、ハントも「それは俺も知らなくて」と少しばかり困ったような声をあげる。
3人がしきりに首をひねりはじめたところで、ハントをここに連れてきたマゼランの声が3人へと降りかかった。
「そろそろ再会の挨拶はいいだろう。さて、海侠のジンベエ。海軍からの伝令を伝えよう」
「海軍からの伝令じゃと?」
「……?」
ジンベエが不思議そうに呟き、エースとハントも無言で首を傾げる。
「海侠ジンベエ、あくまでもエースの処刑に反対するというのならば、海坊主ハントには終身ここのレベル5、極寒地獄へと落ちてもらうことになる。だがエースの処刑に協力するというのであれば王下七武海の特権として海坊主ハントに恩赦を与えて解放する……以上だ」
「なん……じゃと!?」
「なっ!?」
「……」
驚きのあまり怒号の声を吐きだしたジンベエと、絶句したエース。そして、なぜかその言葉にあまり反応を示さないハント。
お前、当事者だろうが、と突っ込みを思わず入れたくなるような表情をしているハントだが、残念ながらジンベエもエースもマゼランへと視線が夢中になっているため、そんなハントの様子に気付くことはなく、突っ込むこともなかった。
とはいえ、当然だろう。
「――要するに海坊主ハントがここにいる理由はお前だ、海侠」
マゼランの言葉で、ジンベエの表情がついに苦痛なソレへと変化した。
ジンベエにとってハントはおそらくは誰よりも一緒にいた時間が長い人間であり、唯一の弟子。そして息子のような感覚すら覚えている人間だ。そんな人間を自分のせいでこのインペルダウンへと幽閉させてしまったという事実は、苦痛以外の何ものでもない。
「それで、どうするのだ」
「……っぅ」
なんとも納得しがたい要求を突き付けられたジンベエに浮かんでいるのは怒りではなく、残酷なまでのそれ。苦痛な顔を浮かべるジンベエは、だがマゼランの言葉に唸り声すらも漏らし始める。
元々エースの処刑を止めるならば自分の命すらも惜しくなかったジンベエだ。それほどの大恩が、白ヒゲにはある。
「……ハントの自由と……白ヒゲさんの大恩に反してエースさんの処刑の天秤じゃという……のかっ」
「そうだ」
もはや絞り出すような声に、それでもマゼランの声は歪まずに、それを肯定する。ハントとエースを何度も交互に見つめて、それで苦しそうな表情を浮かべるジンベエ。
「……」
それを見て驚いていたのは他の誰でもない、ハント。
――師匠のこんな表情って初めて見たなぁ。
もしかしたら現実味を感じていないのかもしれない。そんな風にすら思えるほどに呑気な感想を胸に、それでもハントは驚いていた。いや、流石に実際に目の前の現実を理解はしている。ただ、感情が追い付ていない。だからこそ、まるでそれが他人事であるかのような反応をしている。
それも、ある意味では仕方のないことだろう。いきなり再会した二人が捕まっていて、エースの処刑を聞かされて。そしてジンベエが苦しんでいて。
少し、ハントにとっては受け入れるには決して容易ではない事実の連続すぎる。
ただ、例えこれがハントにとっての夢のように思えるような現実であっても、やはり目の前の師匠で親でもある人物が苦しんでいる人物を見るのは忍びないらしく、ハント自身気づかない内に口を開いていた。
ただし――
「……師匠」
「っハント」
「いくら俺でも怒りますよ?」
――それは少し意外な形で。
「な、なに?」
「ハント?」
確かにハントの声には幾分かの怒りが感じられて、だからこそジンベエとエースが固まった。
「エースの命と俺の自由……師匠風にいうなら、エースの命には白ヒゲさんへの恩もあるでしょう……それでなんで迷うことがあるんですか?」
「し、しかしお前はワシのせいでここに。やっとできたお前さんの仲間とも一緒にいられんように――」
ハントには仲間がいた。懸賞金になった時も、どこか楽しそうな顔が映っていた。だからこそ、仲間との絆があるのだろうとジンベエは思っていた。だからこそ、尚更今ハントがここにいるのが自分のせいだという事実がジンベエにとっての苦痛となっている。だが、ハントはそんなジンベエの言葉を遮り、笑う。
「――確かに仲間と離れたのは辛かったけど、それでも俺は脱獄してでもあいつらに会いに行ってみせる。だから、そんなことはどうだっていいんだ」
「だ、脱獄? い、いやそれよりも……ど、どうだっていい……じゃと?」
「うん、どうだっていい。俺は師匠の弟子だからこそ今があるって思ってる」
ちらりとジンベエへ視線を送り、次いでエースに。そして、遠いどこかを見るような視線で天井を。
「師匠が俺を弟子にしてくれたからエースと友達になれた、故郷を救えた、仲間に出会えた。師匠のせいでここにいるんじゃない。師匠のおかげでここにいるんだ。むしろ師匠が理由で捕まったなんて弟子としては最高だろ? だから迷う必要なんてないんだ、師匠」
「ハント……お前さんはっ」
親指をたててサムズアップしてみせるハントへと、ジンベエは思わず言葉を紡ごうとして、ただ何故だかそれを口にするのが憚られて慌てて呑みこんだ。
――あのハントが。
男子三日会わざれば刮目して見よ。
そういうことわざがあるが、ジンベエにするならまさに今こそそんな気分だろう。どこか甘ったれの雰囲気がぬぐえなかったハント。もちろんその雰囲気は今もぬぐい切れていないが、それでも今やジンベエに息を呑ませるほどの言葉を平然と吐けるような人物として目の前にいる。
――これも麦わらのルフィという男のおかげかのう。謝らんといかんことだけでなく、礼も、か。あの男には頭があがらんかもしれんな。
誰にも聞こえないような声で呟いたジンベエは、相好を崩して視線をマゼランへと返す。
「やはりワシはエースさんの処刑には――」
「――そういえば先ほどの海坊主の『仲間』という言葉で思い出したが、海坊主は――」
ジンベエの協力を拒否しようとした言葉を、あえて遮ったマゼランが何やらの資料を懐から取り出し、それを見ながら呟く。
「――ふん、もう何を言っても無駄じゃ。ハントをいくら引き合いに出そうとも協力は――」
腰を据えたらしく、もはや呆れたような声色にすらなっているジンベエ。ハントが無駄な気遣いなどいらないと言った以上、ジンベエにとってそれは板挟みにすらならない。完全に毛決意と自信を取り戻したジンベエだったが、またもや自分の言葉を遮ったマゼランの言葉により、一気にその顔色を変えることとなった。
「――海坊主は故郷をアーロンにより支配されていた人間だったそうだな。そう、お前の仲間だったアーロンに」
「っ!?」
「なんじゃと!?」
息を呑んだのはハントと、ただ耳を傾けるだけに留めていたエース。そして血相を変えて驚いたのは当然だがジンベエ。
息を呑んで驚いたハントだが、もちろんハントはそれを知っている。故郷でそれは聞かされていたからだ。嘘であってほしいと思っていた彼だったが、それが事実だった時の覚悟も、ある程度はある。そもそもまだジンベエがどういうつもりでいたのか、それをハントは聞けていないのだからそれに関してはまだハントにとって息を呑むほどの驚くべきそれではない。
だから驚いたのはその事実に対してだけではなく、その事実を何故今マゼランが言うのか、ということだ。
――……なんでだ?
考えるも、ハントにはやはりわからず、どうせ拘束されている身ではそれを止めることもできないため、首を傾げるだけで特にアクションを起こすこともないのだが、ジンベエは違っていた。
「それは本当か、ハント!? 本当にお前さんの故郷を襲ったのは……アーロンかっ!?」
「えっと……その……はい」
ジンベエという魚人の師匠に教わったにも関わらず、師匠と同じ種族である魚人を倒すために修行をしていた。しかも、その事実をずっと師匠に言わずにいた。だからこそそれに関しては罪悪感があり、謝らなければいけないと考えていたため、言いづらそうにハントは頷いてみせる。
とりあえず聞きたいことと謝らなければならないことがあり、マゴマゴと口を開こうとするハントがどうにか話し出すその前に、ジンベエが顔面を蒼白にしてどこか片言で声を出す。
「で、では……お前、さん……が倒した……のは?」
「……アーロンです……その、本当に――」
「――じゃ、じゃが……それは……」
ぐっと言葉につまったジンベエが、それを認めたくなさそうに頭を振る。だが、ハントが自分に嘘をつくわけがないということも、ジンベエはわかっている。ハントが慌てて謝罪をしようと頭を下げる前に、またジンベエが声を発してハントの謝罪の機会は失われる。
――し、師匠?
謝るどころか心配になってしまうほどに、ジンベエの顔色は蒼白でまるで幽霊であるかのような現実味のない顔をしており、怒っているよりも衝撃を受けているという様子だ。
「む、麦わらのルフィ、という男……が……お前さんの仲間のその男が……アーロンを、と……聞いておったが」
「あ、えっと……それは、その時はまだ俺が海賊じゃなかったことと、アーロンとつながってた海軍をルフィたちがブッ飛ばしてくれたから、その海軍に恨みを買っちゃったせい、かと」
恐縮しながらのハントの言葉に、だがジンベエは「なん……と」と言葉を漏らしたかと思えば、即座にハントへと頭を下げた。それにより「え? し、師匠?」と驚くハントを尻目に、ジンベエは一度頭をあげて、今度はエースへと頭を下げて言う。
「すまん、エースさん!」
「えっと、師匠?」
いきなりなぜエースに謝るのかがわからずに戸惑うハントとは対照的にエースはそれが何かをもう理解しているらしく「いや、気にすんな。それ以上に大きな理由はねぇだろ」となぜか小さな笑顔のままで言う。
「? ……?」
先ほどからただ首を傾げるハントへと、ジンベエはまた頭を下げる。
「元々、ワシとアーロンは同じ海賊におった。お前さんの故郷を襲ったアーロンは……ワシの弟分じゃ。アーロンがナニか起こせばすぐにでも飛んでいくつもりじゃったが、アーロンが海軍を買収して『海軍本部』へと手が届かんようにしておって、気付けんかった」
「へー」
ハントの気の抜けたような、ただ一応本人的には真剣らしく真顔で頷き、そこから何かに気づたようで「あ」と呟いたかと思えば、どこか嬉しそうに首を傾げた。
「……じゃあ師匠はアーロンに俺の故郷を襲わせるためにアーロンを放ったわけじゃないってことですよね」
「当たり前じゃ! じゃが……スマンかった! お前さんが倒したいという男がアーロンだったことも気づかずに8年も! ……謝っても謝りきれるもんでもないが……本当にスマン!」
――よかった。
ジンベエは、やはりハントのよく知るジンベエだった。人間の島をアーロンに襲わせるようなそんな真似はしない人物だった。ジンベエの話を聞いて、それを再確認できたハントは心の底から安堵の息を漏らした……のだが、さらに続く次の言葉に、ハントのその耳を疑った。
「だから……せめてもの償いをワシにさせてくれ。これで償われるとは思ってはおらんが、それでもこうでもせんと気が……収まらん」
ジンベエが今にも泣き出しそうな、それでいて今にも暴れまわりそうな、そんな悲しみと怒りを同居させた、ハントには複雑すぎて理解の出来ない表情をもってマゼランに言う。
「ワシは行く」
「えっと……行くってどこに?」
言葉を挟む。だがこの場でジンベエのそれを理解できていないのはハントのみらしく、周囲の人間はジンベエの短い言葉だけで着々と準備を進めていく。
「なぁ、どこに?」
マゼランもジンベエも答えてくれそうになく、ならばとハントはエースに疑問をぶつけてみる。そんな、どこまでも呑気とすらも思えるようなハントの態度がエースの笑みを誘い「あのなぁ」と困ったような顔を浮かべた。
「エースさんの処刑に協力するという意味じゃ」
答えたのはそんな二人のやりとりを見ていたジンベエ。
「ああ、そうですか……なるほど」
答えをもらえて、納得。何度も頷いて、それから沈黙したかと思えば今度はいきなり大声をあげる。
「――は~~~~~~~っ!? いやいやいや、意味がわからないから、それ! なんで今の会話の流れでそうなった!? 明らかに処刑に反対するっていう流れだったじゃないですか!? 痴呆!? 師匠はその年齢でもう痴呆ですか!? それとも単なるバカですか!」
今にもつかみかからんばかりの勢いでジンベエと怒鳴るように言うハントへと、そっと横から言葉が入った。
「バカはてめぇだよ、ハント」
「なんでいきなりお前にバカ呼ばわりだよ、エース!」
「さっきジンベエが言ったろうが。『お前への償い』だ。お前という弟子をずっと苦しめていたのが自分だってわかったんだ、そりゃこういうことになるだろ」
「本当にスマン……エースさん、ハント」
声が涙ぐんでいる。
今にも泣きそうにすら見えるジンベエ。そんな彼を拘束する鎖がマゼランの側に控えていた職員により解かれようとしている。そんな光景を、ハントは理解が追い付かずにぼんやりと眺めていた。
――……ん? えっと?
目の前の光景がただただハントには理解が追い付かない。
ハントは知ってる。
師匠ジンベエがどれだけ白ひげという人間に恩義を感じているかを。
ハントは知っている。
師匠ジンベエがどれだけその恩義に反する行為を嫌っているかを。
ハントは知っているのだ。
師匠ジンベエが白ヒゲという人間のためならば自分の命すら惜しまないことを。
だから今、ジンベエはインペルダウンに閉じ込められた。
それなのに、そのジンベエが白ヒゲを裏切ろうとしている。エースの処刑に加担しようとしている。
ありえない。
いくら鈍いハントでもそんなありえない行為をジンベエにさせた原因は理解できた。
――……俺のせい、か?
そう、原因はハント。
ジンベエの唯一の弟子であるハントだ。
弟子である自分が、師匠の重荷になっている。それを思った時、ハントはいつの間にか言葉を吐きだしていた。
「師匠はそれで……いいんですか」
「……本当にスマンかった」
だが、返ってきた言葉はそれに対するものではなく、謝罪。よほどジンベエも今の決断に耐えがたいものがあるのだろう。肩が震えている。それがハントですらも見ていてもわかってしまうほどで、だからこそそんなジンベエに、ハントは大声を張り上げていた。
「師匠! あんたはそれでいいのかって聞いてるんだ!」
「……っ」
ジンベエが息を呑んで、ハントと一度ぶつかったはずの視線をそらす。それすらも、ハントにとっては気に入らない。
「もう怒った……本当に怒ったぞ! 俺だって師匠に謝らないといけないって思ってたことがあったけど、もう謝らないからな!」
本当に怒っているのか疑いたくなるような口ぶりだが、一応ハントの表情は真剣そのものだ。
「……謝る? なんのこと――」
首を傾げたジンベエをハントは睨み付けて、その言葉をまるで聞いていないかのように大音量で遮って叫ぶ。
「――俺はあんたの弟子で良かったって心の底から思ってる、師匠! さっき言ったばっかりなのにもう忘れたのかよ! 俺はあんたの重荷になりたくてあんたの弟子になったわけじゃない! あんたに助けられて、あんたの強さに憧れて、故郷を救いたいと思ってあんたに弟子入りをして、そして俺はあんたみたいな強さが欲しいと思った。師匠がいなきゃ今の俺はいないんだよ! なんで、迷惑かけたとか償いだとか……そんなことばっかり考えるんだよ!」
目じりに浮かぶ涙。
今にも泣きだしそうな震えた声。
必死なハントの願いが、ジンベエの視線をさまよわせる。
「俺に申し訳ないなんて思うなよ! 俺の自由とエースの命ならどう叶えてもエースの命の方が重いだろうが! エースは師匠の恩人である白ヒゲさんの息子で、俺の一番の友達で……そんなエースの命を見捨てるような真似を……白ヒゲさんを裏切るような真似を……俺のせいでそんな……師匠にとって死ぬよりも辛い選択をするなんてことはやめてくれよ!」
「じゃ、じゃがワシはお前さんだけでなくお前さんの故郷の者たちまで」
「……確かに俺が魚人である師匠に何も思わないのは俺が師匠に世話になってきたから、かもしれない。なら……けど!」
ハントにとってジンベエという存在には師匠というフィルターがかかっている。ずっとハントは彼に師事してきたのだから当然だろう。最初、アーロンを放ったのがジンベエだと聞いた時も、ジンベエへの信頼はほぼ揺らぐことは無かった。
だから、ハントがジンベエに対して何らかの嫌悪感を覚えないこととハントの故郷の人間たちがジンベエに対して嫌悪感を覚えないことは決してイコールではない。
「俺の母さんも姉妹も、俺を強くしてくれたアンタに会ってみたいって言ってくれた。一番魚人に苦しめられた俺の好きな人も、そう言ってくれた! 故郷のみんながどれだけ辛い生活を送ってきたかっていうのは俺も話で聞いたから簡単に許してもらえるなんて思ってないし、思わない!」
ハントの故郷の皆は魚人に苦しめられた。その元凶も、確かにジンベエだと思っていし、実際そうかもしれない。故郷の人々にとって魚人は消せないトラウマだ。彼らほど魚人のことを憎んでいる人間はめったにいないだろう。それほどの苦痛を彼らは……ナミは受けたのだから。
「だからっ!」
ジンベエという人を知っている。
故郷のみんなという人を知っている。
そんなハントだからこそ震える声を振り切って、声を張り上げる。
「だから俺も師匠と一緒に故郷のみんなに謝る! 許してもらえるまで一緒に謝るから! アーロンを開放したことが師匠にとっての罪なら、故郷を救うのに8年もかかったのは師匠に本当のことを全部を言えなかった俺の罪だ! それを許す許さないは俺が決めるんじゃない、故郷のみんなが決めるんだ!」
けれど、だからこそハントは言うのだ。
それはジンベエだけが悪いとかいうレベルの問題ではない。
王下七武海にジンベエが加入して、アーロンが解放された。そのアーロンがハントの故郷の人々を苦しめた。それがジンベエの罪だというのなら8年間もそれを見逃すことになったのは間違いなくハントの罪だ。
もしもジンベエに素直にそのことを告げることが出来ていたら、それだけでもっと故郷の人々は早くに解放されて、きっと失われた命も少なかっただろう。
だから、一人だけで背負おうというジンベエは間違っている。少なくともそれはハントも一緒に背負うべき問題で、だからこそハントはとりあえずの今はその問題を棚上げにしてジンベエへと言葉を紡ぐ。
「だから! まだみんなに謝る前からそんな、そんな自分を傷つけるようなことはやめてくれよ! 謝って謝って、償おうとして……それでも許してもらえない時に、それからのこととかの難しいことを考えるんじゃだめなのかよ!」
「……」
ぐ、と言葉を呑みこんだジンベエに、ハントは悲鳴のような声で叫ぶ。
「あんた、俺の師匠だろうが! 変なところで弱気になるなよ! 勝手に一人で変な荷物を背負って大事な荷物を捨てようとすんなよ! 俺はそんな背中に憧れたんじゃないんだよ! 最後まで自分の守るべき筋を守れよ! 師匠!」
泣いてはいない。
けれど、ハントの心が悲鳴をあげている。
それは故郷の人々への罪の意識でもあり、師匠のジンベエが自分のせいで白ヒゲを裏切ろうとしていることへの罪の意識でもあり、何よりもそんな自分が何もできないことへの罪の意識でもある。
「……」
長い。
「…………」
長い沈黙の後。
「………………はぁ」
ジンベエの無言の溜息が落ちて、それが答え。
「やはり反対させてもらおうかのう」
「師匠!」
「なに!?」
聞こえた言葉に、ハントとマゼランの二つの感情が交差した。
以降、ジンベエは再びエースの処刑に協力するようにと拷問される日々を送り、ハントはまたレベル5の極寒地獄。そこの檻に収容されて凍りゆくような冷気を見つめる日々を送る。
フロア一つを挟んでそれぞれの日々を送る師弟の顔は、真剣そのもの。その胸に秘める思いは、エースの処刑を止めること。
脱獄してでもそれを成し遂げようという彼らの日々は、ただしそれでもインペルダウンは脱獄不可能な監獄で。
彼らはただただ脱獄へと結びつかない日々を送っていく。
時間は冷静だ。ハントやジンベエたちの感情など全く関係なく時は流れていく。
淀まず、溜まらず、下っていく静かな水のように。
それは止まらない。
止まることを知らない。
流れる時の中で、それは往々にして穏やかで落ち着いたものだが、時というものはその時によって姿を変える。
そう――
「……」
エースが処刑されるということを知ってからいったい何日が経ったのかわからない。少なくとも1週間はたった気がする……いや、経ってないかもしれないけど。
ここはずっと明るさが変わらないから体内時計がもう完全に狂ってる。出される食事の時間もけっこうバラバラっぽいから、なおのことで、そのせいで今がどれぐらいたったのか全く分からない。流石に一か月は立っていないはずだけど。それぐらいにしかもう俺にはわかっていない。
だからこそ尚のこと思う。エースはまだ無事なのだろうか。
一刻も早く脱獄をして、エースの処刑を止めるために来るだろう白ヒゲさんのところに駆けつけたい。俺はよそ者だけど流石にエースの命がかかってる状況なんだから、それぐらいは手伝わせてもらえるはずだ。
多分時間はあまり残されていないというのに、それなのに脱獄をできそうにない。エースの処刑を止める力になれそうにない。
苛立ちが収まらなくて、感情のままに格子を全力で蹴り飛ばす。
「っ」
全くだめ、びくともしない。
後ろで同じ檻に捕まっている3人が体を縮こませているのを感じる。怖がらせて悪いとは思うけど、別に危害を与えるつもりはないからそのあたりは勘弁してほしい。
苛立ちの原因は、もちろん今この時にただ捕まっている自分の無力さのせいだけど、もう一つある。
それが、ずっと体にある違和感。
さっきの蹴りの時もそう。
まるで俺の苛立ちにそれが関係しているんじゃないだろうかって思えるぐらいに、ここに来て魚人空手陸式に体の感覚がどんどんとずれてきている。発動自体は問題ない。威力にも問題ない。だからこそ余計にわからない。
凍ったパンを食べている時も、トレーニングをしている時も、軽く眠ろうとする時も……ずっとだ。
「くそ」
だめだ、少し寝よう。
きっとこの苛立ちは最近寝不足のせいだ。そのせいでイライラしやすくなっているに違いない。
そう思わないとやってられない。
檻の奥の方へと体を寄せる。まるで俺を化け物とでも思っているかのように俺から逃げるように3人が動く。この3人はもう俺が蹴り飛ばした初日からずっとこんな感じで全く会話もしていない……俺に服を奪われるとかを警戒しているんだろうか。
とはいえ、俺もいつこいつらに服を奪われるかわからないからあまり深くは眠らない。まぁ、そもそもこの凍えそうな空気の中で熟睡する勇気もないけど。眠ったまま凍死とか嫌すぎるし。
少しだけ風が弱くなった檻の奥で軽く目を閉じる。
目が覚めたらどうか少しだけでもこの苛立ちが収まっているといいと思いながら、意識がすぐに薄くなっていった。
ハントが薄く眠りについたその時。ハントが杞憂していた通り、エースへの処刑が始まる時は既に30時間ほどしか残されていない。
このままではまず間違いないくハントにはエースを助けることは出来ない。
……ただし、このままならば、だ。
「む、麦ちゃん戦っちゃだめよーーーう! そいつはインペルダウンの監獄署長マゼラン! ドクドクの実の能力者なのよぅ! 逃げるのよ! そいつだけはやばいのよーーう!」
「ドクドク……毒か!」
通称、Mr.2ボンクレー。クロコダイル率いるバロックワークスにおいてその名の通りの地位にいたオカマ。そのオカマが、慌てて友である麦わらのルフィへと声を張り上げる。
インペルダウンレベル4、焦熱地獄。
ハントたちのいるフロアの、まさに一つ上。
そこに、まぎれもなくハントの船長ルフィが、史上初の侵入者としてそこにいた。
――激流が氾濫しようとしていた。
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