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紅葉

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1部分:第一章


第一章

                     紅葉
 信濃の荒倉山。そこに今貴人とその一行がやって来ていた。先頭にいるのは青い見事な衣と赤い冠で飾った見事な貴人であった。整い流麗な顔立ちをしており立ち居振る舞いも実に優雅だった。しかしそれだけではないものがこの貴人には確かに漂っていた。
 彼の名は平維茂。ただの貴人ではなく当代きっての武芸者でもある。弓だけでなく剣にも長け今はこの信濃を朝廷より預かっている。その彼は少し鋭い雰囲気も漂わせつつ進んでいたのである。
「のう」
 彼は後ろにいる供の者達に対して声をかけてきた。
「どの辺りにするか」
「宴の場所ですか」
「この辺りでよいのではないのか」
 辺りを見回しながら述べる。見れば周りは楓の木が生えており紅葉が眩いばかりだ。彼はこの紅葉を見てそれを楽しむ為にここに来たのである。
「もうな」
「そうですね。この辺りで」
「宜しいかと」
 供の者達も彼の言葉に頷いた。
「ではそろそろ」
「はじめますか」
「うむ。それではな」
「しかしですな。どうにも」
「思ったより平穏ですな」
「確かに」
 供の者達はここで周囲を見回した。周りにあるのは紅葉だけで木々もその下の土も紅く染められていた。他には何も見えはしなかった。
「ここにいるあの女の影は」
「全く見えませんな」
「出たら出たらでよい」
 だが維茂は彼等に対して平然と返した。
「私が相手をしてやるからな」
「維茂様がですか」
「左様」
 落ち着いた声での返答だった。
「その為に剣も持っておる。安心せよ」
「左様ですか」
「それでは」
「弓もあろう?」
 維茂は弓のことも彼等に問うた。
「それも。持って来ておるな」
「はい、それも」
「ここに」
 供の者の一人が実際に弓矢を出して彼に見せてきた。見れば実に見事な弓矢であった。
「確かに」
「そうか。あるのだな」
「はい」
「まずはよい」
 弓矢があるのを見て満足した顔になる維茂だった。
「やはりまずは弓矢じゃからな」
「その通りです」
 この当時武芸といえばまずはこの弓矢だった。これは戦国時代まで変わらない。彼にしろ弓矢においてその名を知られた者であったのだ。
 だがここで。彼はあえて言うのだった。
「しかしじゃ。あの鬼相手には使わぬかも知れぬのう」
「といいますと」
「聞けばここの鬼は不意打ちが得意と聞く」
 語る維茂の目が光った。
「ならば弓矢を手にする時間もあるまい」
「それは確かに」
「相手がそう来たならば」
「それでじゃ」
 彼の目が光る。
「ここはこれに頼ろうと思う」
「それですか」
「左様、これじゃ」
 己の腰にあるその太刀を見ての言葉であった。
「古来より鬼を討つのは刀らしいからな」
「それでですか」
「そしてこれもある」
 次に懐から五寸程度の小さな小太刀を出してきた。
「これがな」
「むっ、まさかそれは」
「そうじゃ。小烏丸」
 その小太刀を右手に見つつ周りの者達に告げた。
「これもあるからのう」
「それを持って来られたのですか」
「元よりこの国に鬼がおるのは聞いていた」
 小烏丸を見つつの言葉だ。
「それで持って来たのじゃ。鬼め、来るなら来るがよい」
 言葉にこれまでになく強い意志が宿る。
「私が成敗してくれるわ」
「左様ですか」
「しかしじゃ。今は鬼はおらぬ」
 一転して優雅な顔になる維茂だった。
「だからじゃ。ここは」
「宴ですな」
「そうじゃ。酒はあるな」
「無論です」
 明るい返事がすぐに返って来た。
「充分持って来ております」
「肴も」
「肴は何じゃ?」
「この辺りで採れた鳥です」
「鳥か」
「はい、山鳥です」
 どうも種類はよくわからないらしい。
 
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