至誠一貫
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第一部
第五章 ~再上洛~
六十 ~蠢く影~
用意された政庁には、兵のための宿舎も併設されていた。
ならば、疲労の溜まる野営を何時までもさせておく必要はあるまい。
華琳や馬騰らに密かに諮ったところ、同意を得られた事もあり、奏上して許可を得る事とした。
本来、我らは皇帝陛下の直属、即ち裁可は陛下直々に戴く事となる。
……だが、取り次ぐ役目は宦官、つまり十常侍ら。
ただでさえ、我らを厄介者と考えている連中が、素直に認めるとは到底思えぬ。
「上軍校尉の蹇碩殿は宦官。今の陛下に忠誠を誓うとは思えませんね」
「稟もそう思うか。となればこの制度そのものが、やはり信用に足らぬ事となる」
「はい。本来ならば蹇碩殿が率先し、この八校尉をどう扱うのか、統括しなければならないのですが」
「不可能……そうだな?」
「ええ。歳三殿は勿論ですが、曹操殿も孫堅殿も馬騰殿も、生粋の軍人です。建前上はともかく、心底相容れる事はあり得ないかと」
やはり、蹇碩を通さずに、裁可を戴く他ないな。
淳于瓊らは面識がなく、どのような御仁かもわからぬ。
だが、華琳らには今一度、話しておくべきやも知れぬな。
「稟。月に頼もうと思うが、どうか?」
「私もそれが一番かと存じます」
「よし、では疾風(徐晃)に行って貰おう」
「お呼びですか、歳三殿」
私の声に、当人が姿を見せた。
全く気配に気付かせぬとは、流石だな。
「今の話、聞いていたな?」
「はっ。では月殿のところに早速参ります。曹操殿や孫堅殿にも、その足で」
「頼む。杞憂とは思うが、くれぐれも十常侍らに気取られるな?」
「お任せ下さい。では」
疾風を見送ると、
「歳三様。一息入れられては如何ですか?」
「そう申すが、私は何もしておらぬ」
「ふふ、その割にはお疲れのご様子。今、お茶の仕度をします」
慣れぬ事で、気疲れしたようだな。
しかし、顔にそれが出るとは……ふっ、私も若くはない、という事だな。
月の奏上で裁可は即座に下り、全員が入城する運びとなった。
一切の乱暴狼藉を固く戒めたせいか、兵らはどことなく、緊張を浮かべているようだ。
だが、元は黄巾党に賊していた者も少なくない。
皆を信じぬ訳ではないが、律すべきところは律する、これは徹底するつもりだ。
「ご主人様、只今到着しました」
愛紗が、報告のため姿を見せた。
「ご苦労。ひとまず兵は休ませよ。当分、戦闘もあるまい」
「御意。外出の許可は如何なさいますか?」
「暫くは控えさせよ。やむを得ぬ場合は申し出よ、と伝えるが良い」
「はっ!……ところで、ご主人様」
と、愛紗は眼を細める。
「何か?」
「……最近、つれなくありませぬか?」
「霞の事か?」
「それだけではありません。先日も稟と疾風だけをお連れになったり……何やら」
「寂しい、か。愛紗?」
「せ、星? いつから、そこに?」
「ん? 愛紗が、主に愚痴り始めたあたりからだが?」
にやつきながら、星が入ってきた。
「ぐ、愚痴などではない!」
「おや、誰が聞いても先ほどのは愚痴と思うが。主はどう感じられましたかな?」
「愚痴、とは申さぬが。愛紗が不満を持っているのは良くわかった」
「ご、ご主人様!」
真っ赤になる愛紗。
「ですが、主。不満なのは愛紗だけではありませぬ」
「おうおう、良い事じゃねぇか、姉ちゃん」
不意に机の下から、宝慧が顔を覗かせた。
「……風。何時の間に、そこに忍び込んだ」
「風は何かと一流ですから。このぐらい、朝飯前なのですよ」
だが、私だけならいざ知らず、愛紗まで気付かぬとは。
少なくとも尋常ではないぞ、風。
「でもでもお兄さん、愛紗ちゃんや星ちゃんの言う事、尤もだと思いませんかー?」
不満なのは、風も同様のようだ。
そのようなつもりは無論ないが、確かに結果としてこの三人とは共に過ごす時間が少なくなっていたのも事実。
皆を平等に、と申しておきながらこれでは、何を言われても仕方あるまいな。
「どうやら、私に非があるようだ。済まぬ」
「ご主人様……」
「ふふ、主は素直ですな。決して、上から押さえ込もうとはなさらぬ」
「だからこそ、みんなお兄さんの事が大好きなんですけどねー。ねぇ、愛紗ちゃん?」
「な、何故私に振るのだ!……そもそも、当然ではないか」
相変わらず、賑やかな事だ。
だが、悪くない、何度でもそう思う。
夕方。
さしたる職務もなく、届いた書簡に目を通していた。
ギョウの時は様々な書簡が日々山積していた事もあり、却って拍子抜けする程の量しかないのだが。
件の三人は、何をするという訳ではないのだが、ずっと私の傍から離れようとせぬ。
……流石に、人目も憚らずに纏わり付くような真似はしておらぬが。
とは申せ、仮にも公の場。
用もないのに居座るのも不自然、という事で、愛紗と星は衛兵の如く入口に立ち、風は私の隣で書簡の処理を手伝っていた。
風はともかく、愛紗と星がこのような真似をする必要は無論ないのだが、さりとて他に割り当てる仕事もない。
「お兄さんへの面会申し込みが結構ありますねー」
呆れたような、風の声。
「そのようだ。だが、何らかの企みがあるものが大半だな」
「でしょうねー。お兄さんは諸侯の間でも目立っていますし。月さんとの事もありますから、誼を通じておいて損はない、そんなところかと」
人付き合いを避ける訳ではないが、少々煩わしいのは事実。
「ところで主。少々、不穏な噂を耳にしたのですが」
立ち番に飽いたのか、星が口を開いた。
「不穏な噂だと?」
「はっ。その月殿の事ですが……陛下の信頼を傘に着て、専横を振るおうとしている、と」
「確かに聞き捨てならぬな。星、何処でそのような噂を?」
愛紗も話に加わる。
「二人とも、立ったままで話す事もあるまい。それに、雑談で済ます内容でもないであろう」
頷いた二人は、手近の椅子を引き寄せた。
「風。集めた情報にそのような類いの物はあったか?」
「ないですねー。あったら、真っ先にお兄さんに知らせていますから」
「ふむ。それで星、その噂、何処で耳にした?」
「は。城外で陣を張っている間に、その者が曹操軍に出入りしていた行商人が、兵士に話したようです。たまたまその兵の知己が我が軍にいて、それで知らされたとの事です」
「埒もない。あの月殿の何処に、野心があると? 大方、月殿の立身出世を妬んだ輩の流言であろう」
愛紗が吐き捨てるように言う。
……だが、一笑に附すだけで良いのであろうか?
十常侍や何進らはともかく、今の月は紛れもない朝廷の高官。
諸侯の中でも、その地位は群を抜いている。
確かに、愛紗の申す通りに、嫉妬から良からぬ噂を流した輩の仕業という可能性はある。
……だが、この流れは私の知る歴史に何処か、通じているように思えてならぬ。
「他愛もない話と、最初は聞き流していたのですが……やはり、気になりましてな」
「星。その噂を聞いたという兵、探して連れて参れ」
「御意。早い方が良いですな?」
「うむ。素性を確かめねばなるまい、急げ」
「はっ!」
普段は疾風の影に隠れがちだが、星もかなり身軽だ。
「ご主人様。この事、月殿には知らせましょうか?」
「いや、まだ噂の段階だ。真偽を確かめぬうちは耳に入れぬ方が良かろう」
「はっ。ただ、詠には確かめておくべきかと」
愛紗の言う通りだな。
詠ならば不用意に月に知られるような真似もすまい。
「では、ここの方が良かろう。愛紗、頼めるか?」
「お任せ下さい。ねねにも声をかけますか?」
「……いや、良い。事は慎重を要する、ねねでは些か心許ない」
「御意!」
「ああ、待て」
出て行こうとする愛紗を、呼び止めた。
「は。何か?」
「この刻限に詠のみを呼び出してみよ。月が怪しむぞ」
「……確かに。では、明日にしますか?」
「いや、そうもいくまい。早い方が良いのだが」
とは申せ、詠は常に月の傍にいる。
月に悟られずに、詠と話す方法か……。
「風、何か良い手立てはないか?」
「それなら簡単かとー。月さんはお兄さんの娘さんなのですから、理由をつけて連れ出せばどうかと」
「ふむ。それでその間に、という訳か?」
「御意ー」
風は、眠たげな顔のまま、頷く。
「だが、詠に対する説明はどうする?」
「それなら、風と愛紗ちゃんにお任せ下さいですよ」
「な? わ、私もか?」
戸惑う愛紗だが、風はいつもと変わらぬ様子で続けた。
「乗りかかった舟ですよ。それに詠ちゃんは、月さんの事になると見境がなくなりますからねー」
「……そうなったら、私に抑えろ、そう言いたいのか?」
「それも否定しませんよー。ただ、愛紗ちゃんがどうしても嫌、と言うのなら無理強いはしませんけどね」
横目で、私を見る風。
「愛紗。私の代わりとして頼めぬか?」
「ご主人様の代わり……ですか?」
「そうだ。事は急を要する、本来なら私がやらねばならぬのだが。それに、お前達二人が出向けば、それだけで詠もただ事ではないと悟るであろうしな」
「わかりました。では大任ですが、お受け致します」
……大仰なのは些か気になるが、風もついている以上、大丈夫であろう。
「では、先に私は月のところに参る。お前達は四半刻程後に向かえ」
「はっ!」
「はいー」
屋敷を出てすぐ。
何者かに、尾行されている事に気付いた。
私と知っての事か、それとも別の意図があるのか。
以前にも、似たような事があったが、素性は不明なままであったな。
やはり、捕らえるべきか。
とにかく、暫し様子を見る事とする。
人気のない路地を選んで歩きたいところだが、そこまで地理に明るくはない。
大通を進むより、他になさそうだ。
此方も気配を探りにくくなるが、やむを得まい。
「おい、このガキ! 何処に目をつけてやがる!」
「ガキとは何ですか! ねねは子供ではないのです!」
何やら人だかりが出来ているところに出くわした。
その輪の中で、誰かが言い争いをしているようだ。
しかも、片方の声と口調には聞き覚えがある。
周囲を見渡すが……警備兵の姿は見えぬな。
「済まぬ。道を開けてくれ」
野次馬を掻き分け、前に出る。
……やはり、そうか。
柄の悪そうな男数名と睨み合う、小柄な少女。
紛れもなく、ねねだ。
「おい、ガキ! テメェがぶつかってきたせいで、骨折したじゃねぇか。どうしてくれるんだ?」
「ふざけるななのです。そのぐらいで骨折する訳ないのです」
「あ~? まだわかっちゃいねぇようだな、コラ?」
「とにかく、落とし前つけて貰おうじゃねぇか。来い!」
そう言って、別の男がねねに近寄る。
「ちんきゅうキーック!」
素早く躱したねねは、男に飛び蹴りを浴びせた。
……が、
「効かねぇなぁ」
あっさりと男に、捕えられてしまった。
「は、放せなのです!」
「うるせぇ! へっへっへ、たっぷり思い知らせてやるぜ」
「そうだな。身体に教え込んでやるぜ」
……下衆共は、絶えぬものだ。
野次馬はただ、戦々恐々とするばかり。
警備兵はどうやら、間に合いそうにもないな。
やむを得まい、見過ごす事が出来よう筈もない。
「待て」
私が声をかけると、連中はジロリと睨んできた。
「何だぁ、テメェ?」
「優男さんよ、怪我したくなけりゃ、引っ込んでな!」
凄む男達。
ねねは何か言おうとしたが、私はそれを目で制した。
「貴様。骨折したと言う割には、随分と元気そうだが?」
「うるせぇ! ああ、痛ぇ痛ぇ」
わざとらしく、足をさすり出す。
「ほう。だが、ぶつかったという脚と反対が痛むとは、奇妙な骨折があったものだな」
「……な」
「そうですぞ! ねねがぶつかったのは左脚なのに、何故右脚をさすっているのです!」
ねねが叫ぶと、周囲にいた野次馬から忍び笑いが上がる。
「てめぇら……ぶっ殺す!」
顔を真っ赤にした男が、剣を抜いた。
他の男も、思い思いの得物を手にする。
取り巻いていた野次馬は、一斉に悲鳴を上げて散って行く。
「先ずは、その者を放すが良い」
「ああん? 俺様に命令する気かよ?」
男はにやりと笑い、ねねに剣を突き付ける。
「放して欲しけりゃ、それなりの誠意ってモンがあんだろ?」
「ほう。誠意とな?」
「そうだ。まずは有り金と、その剣を寄越しな。そうしたら考えてやってもいいぜ?」
「…………」
「おい、どうした? 急に惜しくなったのか、優男さんよ?」
野卑じみた男の声。
……武士の魂を、何とも思わぬのか。
「もう一度だけ言う。今すぐ、その娘を放せ。そして、この洛陽より立ち去れ」
「ああん? おい、こいつ頭おかしいんじゃねぇか?」
「どうせ空威張りだろうさ。ちょいと脅かしてやりゃ、泣いて命乞い始めるに決まってるさ」
如何にも切れ味の悪そうな剣を、別の男が突き付けてきた。
「止めておけ。今ならまだ、死なずに済むぞ?」
「ほざけ!」
いきり立った男は、私に襲いかかってきた。
力任せの、剣の何たるかも理解しておらぬ攻撃。
兼定を抜くまでもない。
男の一撃を躱すと、伸びきった腕を捉える。
そして足払いをかけ、そのまま投げ飛ばした。
「うぉぉぉぉっ!」
ドスン、と地響きを立てて、男は大の字に伸びた。
男共は一瞬、呆気に取られていたが、
「や、野郎! ぶった切ってやる!」
皆、怒り心頭といった風情だ。
「ふむ。どうやら、命の要らぬ者ばかりのようだな」
「しゃらくせぇ!」
一人の男が、剣を振り上げた。
……が。
「ぐ……ぐはっ!」
次の瞬間、大量の血を吐きながら、前のめりに斃れた。
「……ねね。大丈夫?」
「れ、恋殿っ!」
方天画戟を手にした、赤髪の少女。
無表情のように見えて、微かに怒りが浮かんでいる。
だから、止せと申したのだが、な。
「り、呂布だ……」
「そそ、そんな馬鹿な」
「……お前ら、死ね」
恋は、方天画戟を振りかざした。
少し前まで、人間であった筈の肉塊が転がり、野次馬が騒然とする中。
その場から足早に立ち去ろうとする者を、私は見咎めた。
「恋。ねねを頼むぞ」
「……(コクッ)」
私も恋に頷き返すと、不審な男の後を追った。
……だが。
路地裏に逃げ込まれ、探している最中。
「ギャッ!」
短い悲鳴が上がる。
駆けつけると、背に矢を受けた男が、事切れていた。
……どうやら、毒矢にやられたようだな。
これで、私を付け狙う何者かがいる、その事だけは明らかだ。
……だが、私を甘く見ぬ方が良いぞ。
まだ見ぬ黒幕に対し、私はそう独りごちた。
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