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Holly Night

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第2章
  ―4―

「随分と喋れるようになったな。」
雛子と名前を付けられた筆談少女は、職員の努力で、言葉を出せるようになった。元から雛子は言葉を知っており、出せる機能が無かったに過ぎない。菅原が云ったように、喋るには歯が要る。其の費用を全て拓也が出し、職員が発音の仕方を教えた。
雛子、と名前を付けたのも拓也である。
雛祭りの時着物を着せたのだが、其の姿が妙にお雛様っぽかったのだ。だから“雛子”と名付けた。
此れが不思議な偶然で、拓也が付けた名前と、出生名が一致した。課長が頼んだあの女、最後に素性が判ったのが雛子で、「井上雛子って名前だね」と、拓也が“雛子”と付けた後に報告した。
一番驚いたのは拓也で、拓也の名字も又井上である。
瓜実顔の一重の目に陶器のように真っ白な肌、絹のような漆黒の髪、硝子細工のような繊細な体躯……雛子は、拓也の実子だと云われたら納得する風貌だった。もう御前、俺の娘になるか、等と拓也は笑う。
「ダディ、ダディ。」
「其れ以外聞いた事無いけどな。」
“ダディ”と云うのは、各施設での拓也の愛称だ。拓也さん、は変だし、井上さん、も奇妙、先生、は以ての外である。一人の混血少女が拓也の事を“ダディ”と呼んだ時、其れ採用、と満場一致した。偶に職員から“パパさん”とからかわれたりもするが、子供達は一貫して“ダディ”と呼んでいる。
俺にも何か付けて、とヘンリーは云うが、誰一人として思い浮かばない。敢えて付けるとしたら“ブロンドさん”辺りだろうか。
雛子の手を引いた拓也は職員を見、七時迄に帰る、と約束した映画を見に施設を出た。
雛子は食い入るように其の映画を楽しみ、夕食と買い物を済ましてから約束通り七時前に雛子を送り届けた。御前だけ狡いぞ、と他の子供から批難されたが、雛子だから贔屓した訳では無く、全員にクジを引かせたら雛子が当たりを引いてしまっただけである。
本郷は、いい加減煙草吸いたいから帰る、と二人が映画に出掛ける時一緒に出たので居らず、残ったヘンリーと柳生がクリスマスパーティに参加した。其れが終わるのが六時。クリスマスパーティには参加するは映画は見るはでは余りに不公平だろうと、雛子へのパーティ参加は認めず、片付けを終えた施設に戻した。
サンタの格好をするヘンリーの写真を見た拓也は、此のサンタは子供じゃなくて女が来て貰いたいだろうよ、猥褻サンタ的なので、とからかった。
「又な、雛子。」
頭を撫でられた雛子は嬉しそうに片目瞑り、又な、と拓也の言葉を復唱した。
「拓也、今日来るかい?」
「いや。」
実に十時間ぶりの煙草を吸った拓也は、雲と煙を同化させた。
「自粛。」
「OK、判った。セツコさんは来るかい?」
「え?何処にです?」
ぴょこぴょことお団子を楽しそうに揺らす柳生は聞いたが、其れが酒場だという事を知り、お団子の威力を弱らせた。
「お酒飲めないので…」
「アー、じゃあつまんナイだろうネ。」
じゃあ此処で解散だな、と三人は挨拶済まし、濃紺の空を見上げた拓也は車を走らせた。
一時間程車を走らせた拓也は、閑静な住宅街の中で車を停め、歩いた。
足元の見えない暗さ、住宅街にある電灯は此の敷地から一切無く、鉄門を押し開けた拓也は身体を滑り込ませた。
なだらかな傾斜、鉄門周辺にあった緑は足を進める毎に減って行き、遂に暗黒の空間が広がった。
焼け落ちた建物は何年もの間雨に晒され、所々緑が見える。白石膏で出来た其れだけが、明暗を教えた。此処にあるのは月明かりだけで、日中に此の白石膏の像を見るとかなり汚い。白石膏なのに、緑なのだ。
洗ってやれよ、と思うのだが、洗うとなったら此処迄放水車を入れなければならない、其れ程此の石膏像は高い位置にある。
然し、実行には移されない。
移せない、と云った方が正しい。其れが実行出来るなら、此の場所はこんな暗黒では無く、白亜の教会で今でもあった。
「黒は。」
其の声に拓也は見上げていた其れから視線を逸らし、声に向いた。
「悪魔の色だと、シスターは云ったわ。」
ゆっくり微笑む女に拓也は薄く笑い、オメェも真っ黒じゃん、と笑った。
「だけど私にとって黒は、何よりも尊い色なのよ。」
女はきちんと拓也の横に立つと同じにキリストを見上げた。
「一年振り。」
「此の日の為に生きてんだよ、私。」
剥き出しの汚れたキリスト像、五年前の今日、養護施設を併用した教会が火に呑まれた。原因は、蝋燭の転倒。あっという間に火は木造の教会を包み込み、就寝時間を回っていた事為、生き残ったのが此の女だけだった。
拓也を一番最初に“ダディ”と呼んだ、其の少女である。
被害の拡大は、鉄門と其処から教会迄の道にあった。
鉄門の狭さに消防車が敷地内に入れなかったのだ。状況を知った消防側は梯子車を呼び出したが、今度は其の梯子車が鉄門に迄さえ来られなかった。極め付け、敷地内に放水管が無かった。放水車からホースを極限に伸ばしても届かず、赤い悪魔は人間を嘲笑うが如く威力を増した。
其れを、十二歳だった女が呆然と見上げていた。
悪魔は、赤い。
女は確信した。
女が外に居たのは、サンタを見付ける為、だから生きていた。

サンタは、誠の悪魔よ。赤い服を着て、私の全てを奪ったのよ。

大嫌い、と女は吐き捨てる。
「CD、買ったぜ。後、i tunesで落とした。」
「ふふ、有難う。」
「世界一のファンだぜ、俺。」
女は漆黒の毛皮を揺らし乍ら朽ち果てた椅子に座り、アコースティックギターを取り出した。
初めて女の歌声を聞いたのは七年前、拓也は大学生で、女は十歳だった。
教会の庭で、何時も歌って居た。拓也がピアノを弾けば一緒に歌った。何かあると直ぐに歌った。
女の横には何時も、美しい歌があった。
五年前の今日でも。
拓也が現実を見失った、七年前の夏の日にも。
救われた、女の歌声に救われた。
少女の歌声に、拓也は人生を決めた。開いた心の空洞を、子供達で埋めた。
此の女に会わなければ、今の拓也の活動は無かった。
「ダディって未だ、支援活動してんの?」
「嗚呼。」
「ダディって変わり者だよね。」
女は笑い、星達に、五年前星になった兄弟に歌った。
星に、女の歌声に、魂が吸い込まれそうだった。
此の教会が今も尚残されるのは、此処の周辺住民と女の呼び掛けである。
死者数十二人、聖夜に起きた惨劇の魂を守ると周辺住民が取り壊し撤回の署名を集め、此の五年間、天気関係無く毎週日曜、朽ち果てた此の教会に住民と神父が集まる。そして女と一緒に賛美歌を歌う。
たった其れだけの、一時間程の時間だが、一週たりとも此の五年、無かった事は無い。
庭だった場所に植えられる樹齢五十年の見事なソメイヨシノ、此れは拓也が実家から、弔いの意を込め植え替えた。女のCDジャケットには、毎回此の木が映っている。女がカントリーシンガーソングライターとして活動を始めたのも、此の教会が関係する。
三年前に此の教会の実態がニュースの特集で組まれ、あの少女は一体なんなんだ?と、女の歌声に反響が起きた。容姿も日本とイギリスのハーフ、と云うので受けた。加えて此処が教会を改造した養護施設で、女は唯一の生き残り、何故だか判らない、テレビを見ていた過半数が十四歳の少女の姿と歌声に涙を流した。特番を組んでいた番組のキャスターやコメンテイターも呆然と映像を眺め、枠が終わっても暫く次に進めなかった。
女は拓也同様、自分が手にした金の一部を除いた全てを養護施設に寄付した。拓也の姿を見ていたからこそ、此の行動を起こしたと云って良い。
歌手になりたく歌って居た訳では無い、歌う事が唯単に好きで、今では兄弟達に向かってしか歌わない。
ライブ活動も、テレビ出演も一切しない、女は此の場とCD、動画共有サイトでしか歌わない。此れは事務所が管理する公式では無く、女個人のアカウントで、女は所謂ユーチューバーである。
再生百万回で漸く十万円と云われる世界だが、女の動画再生は平均で五百万回、週に一本上げたとして月二百万円、其れを毎月、全て養護施設に寄付している。凄まじい再生回数と金額である。
女が生み出す金を合計すると毎月五百万程だが、女は月に二十万しか貰っていない、其の送金先は拓也だ。残りは事務所が管理し、女の指示通り寄付している。事務所、と云っても、女の活動を支える者がスポンサーとなり、其の内の一人が法人にしただけのもので、全員の共同経営となる。
其れが中々に頼もしい連中で、此れも十二人だ。彼女は一般人で有名になりたい訳じゃない、と雑誌やテレビの依頼を全て断っている。彼女は過度の露出をしなくても充分我々の目に届く、そんなに見たいならYouTubeでも見てろ、と。
カントリーシンガーと云ったらラフでカジュアルな格好を想像するが、女は常に漆黒、シスターの様な装いに裸足でアコースティックギターを弾き乍ら淡々と美しい歌声を乗せる。
女の信者は、オーロラ姫、と女を呼ぶ。
勿論、スリーピング ビューティーから来ている。其の姫も、又裸足だ。
死者は全員で十二人、此れが妖精に例えられ、女の美貌と歌声でそう呼ばれる様になった。十三人目の呼ばれなかった妖精…最悪の魔法を掛けたとした妖精は、女が大嫌いなサンタだった。
紡ぎ針、指を刺すだけ、目覚める眠り、眠れる王女は真実の愛で再び時が動き出す…。
信者は物語通り、女が十六歳の誕生日の日没を迎える迄に死ぬと考えて居たが、女は今十七歳である、詰まり、真実の愛を知ってしまったのだ。
拓也と云う、漆黒の愛を。
毎回CDジャケットに桜木を写すのは、此の王女を纏うのは荊では無く、桜の花弁であると云う事。
女の見せる世界は正にオーロラの神秘的世界で、桜の美しさだった。
又海外からも沢山のコメントが送られる。
アメージング、こんな美しい歌声聞いた事が無い。
彼女は妖精か?
彼女程美しい女性他には居ない。
僕が見て来た中で一番に美しい女性だと云える。
此の美貌に此の歌声は反則だ、正に彼女は現代のオーロラ姫だと云える。
サクラとオーロラの美しさが今俺の中で爆発してる。
フィリップに立候補する。
……全世界の王子達が噂を聞き付け、女の虜になった。
十六歳を迎えた女に全員絶望したのは云う迄も無いだろう。
止まった歌声に拓也は、漆黒の目に星を反映した。踵を返した拓也の後ろを女は付いて行き、トランクにギターを乗せると助手席に座った。
「真冬にガブリオって如何なのよ。」
寒いから屋根閉めてよ、と云う女の言葉等聞かず拓也は車を走らせた。
其処から三十分程で車は停まり、時間は十時を回っていた。
教会から聞こえる歌と音楽、拓也達は横にある建物に入った。エレベーターで屋上迄上がり、人影を見付けた拓也は一礼した。
「お見えになったようですよ。」
黒い影は動き、墓石にそう囁くと入れ替わるようにエレベーターに乗った。
教会の横のある建物、其れは納骨堂で、七年前から足を運ぶようになった。二年前から女も拓也に同行するようになった。
「相変わらず寒いね、此処は。」
拓也は云い、墓にマフラーを巻くとしゃがんだ。
「マミィ、久し振り、元気してた?」
女も拓也と同じにしゃがみ、膝を抱えた。黒い毛皮を着ている為、遠目で見たら馬鹿でかい真っ黒クロスケだろう。或いは馬鹿でかい毛玉。
女が十六歳の日没迄に眠らなかった理由、真実の愛、煙草に火を点けた拓也の肩に女は頭を乗せた。
此の二人、実は親子である。
女が十五歳になった二年前、高校に入学する前に拓也と養子縁組を組んだ。事情が事情で高校に行かないと云った女を如何しても高校、大学に行かせたかった拓也はそうした法的処置を取り、誰に文句も云わせず面倒を見る事にした。
一年に一回だけ会うのは、女が学校の寮に入って居るからだ。本当は一緒に住もうと思って居たのだが、女が其れを拒否した、其処迄拓也を縛るつもりは無いと。然も傑作で、ダディと一緒に住んだらどっちが世話するか判んないじゃん……自分を顧みない拓也の身の回りの世話を女は云ったのだ。

ダディ、自分を大事にしなさ過ぎ!そんな人のお世話なんかしません!

女に云われて初めて気付いた程だった。
他人の命は大事にする癖に自分の命を一番に放置する、助けに行って死んだ人みたい、究極のマゾヒストだよね、そう女は云った。
子供には有りっ丈の愛情と金を注ぐ拓也だが、自分の事になるととことん無頓着、無関心、無執着になる。だからアイロン掛けされていないワイシャツだろうが、スーツが揃っていなかろうが、冷蔵庫が空っぽだろうが、電球が切れていようが拓也は気にしない。
因みに拓也、スーツでは無い。所謂セミフォーマル的な服装で、ワイシャツに時期でジャケット、当然ジャケットとスラックスは対では無くタイも無い。きちんと一式揃ってるのは喪服だけである。
尤も、七年前に一度着たきりだが。
「なんでダディって何時も真っ黒なの?」
「なんで御前も真っ黒なの?」
「ダディが真っ黒だから。」
「やだ何此のファザコン、嬉しいじゃねぇか。三万の予算を五万にしてやろう。」
女は黒目を上げ、拓也の顎を確認すると笑い、腕にしがみ付いた。
「幸せだね。」
「だな。」
拓也はしっかり女の額にキスし、三本目の煙草を消すと立ち上がった。
「又来年ね、お姉様。」
女の額にしたように、拓也はしっかり墓石にキスし、女もしっかり墓石を抱き締めた。
「あったかいわ、マミィ、大好きよ。」
女の伸ばした手を拓也は握り、エレベーターを降りるとミサの終わった静かになった教会を見た。
「如何する、学校迄送るか?」
「近いから歩いて帰る。」
クリスマスの時位自宅に来ても良いんじゃないか?と拓也は思うのだが、女は頷かない。拓也の自宅に行くのは高校を卒業したら、と決めている。所謂大学生になったら、世間からきちんと大人として認められる気がする。其れ迄は如何やっても子供で、故に甘んじてしまいそうだった。拓也が優しい程何処迄も子供になってしまいそうだった、其れを拓也が許してくれるから。
拓也の愛情に頼りはするが甘えたくはなかった。
「ねえ、ダディ。」
「うん?」
「時間って、早いね。」
つい此の間迄十歳だと思って居たのに、次の誕生日を迎えたら十八になる、まさか自分が十八歳になる等とは、十歳の頃には考え付かなかった。未来等、考える時間も作る時間も無かった、其れを与えてくれたのは拓也。
「だな。」
煙草を吸っていた拓也は口元に手を置いた侭小さく笑った。
黒い身体に白い煙。其れが最初羽に見えたと云ったら拓也は笑うだろうか。
ギリギリ迄吸った煙草を地面で消し、拾うとドアーを開けた。
「又画面でな。」
「いっぱい愛送ってあげるわぁ。」
両手を出し合い、キラキラキラぁと揺らした。此の変な動きは女の別れの挨拶で、動画が終わる時何時も、又画面でね、キラキラキラぁ、と伸ばした腕を振る。女はカメラと視聴者に向かってしているので然程不思議では無いが、視聴者迄も画面に向かって此れをするので、側から見たら不審者である。
女が毎週のように動画をアップするのには訳がある。
女にとって一日は酷く長い時間であった。早く夜になりますように、早く母親が出掛けますようにと、一秒が一分、一分が十分、十分が一時間、一日の長さ等永遠に思えた。永遠は終わらない、終わらないからこそ永遠で、世の中に時間が存在しているのを知った時の衝撃。
女の世界時間で一週間は一年に値した。
週一の動画アップは其の意味がある。実際の一年に一度しか自分は拓也に会えないが、女の世界の一年であれば一週間に一度、自分は会えないが拓也は会ってくれる、其れだけで嬉しかった。
車を見送った女はギターを背負い、カメラを取り出すとレンズを進行方向に向けて起動させた。
繁華街の夜景が遠くに見え、女の周りは暗い、女の足音とアメージンググレイス、遠かった光が段々と近付く、通りには疎らに人が居る、停まるタクシー、運転手の背中と女の歌声がミスマッチ、歌い終わった女は静かにカメラを停止させた。
十二人の妖精、オーロラ姫を育てた内三人の妖精、そして十三人目の妖精…マレフィセント。
瞼を閉じた女はゆっくり息を吐き、写真でしか見た事の無い妖精の姿を浮かばせた。
拓也は漆黒…マレフィセントに仕える烏である。 
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