少女1人>リリカルマジカル
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第十四話 幼児期⑭
平和なことはいいことだ。
あの日、頑張ると自分で決めた日からだいぶ過ぎた。俺の行動も考えも特に変わりはないと思う。だけど、自分の足でちゃんと未来を歩いているという実感は得られた気がする。とりあえず、今は俺の目標のために頑張ろうと思っているけどね。
まぁ、そんな風に考えるようになってからか、季節が過ぎるのも早くなった感じだ。気づけば秋も冬も通り過ぎ、新暦39年になった。最初は、ついに年も越したか……と感慨深く、自分なりにシリアスしていた。うん、していたんだけどさ…。
「……おのれ。ここまでこの俺のシリアス空気をべこんばこんにしてくるとは」
『相変わらず訳がわからないことを口走っていますねー』
そして相変わらず、コーラルは俺に容赦ないねー。
「だって春だぜ、春。出会いやらおいしいやら、雪が溶けたら何になるでしょう? という素敵回答も完備していらっしゃる春様だぜ」
『確かに春になりましたけど、それがますたーのシリアス(仮)と何の関係が?』
「……よーし、その喧嘩買ってやるぞー。このインテリデバイス(仮)」
『ちょッ、僕にとってその(仮)は、本当に笑えないのですけど!?』
と、こんな騒がしくも平和な日常を過ごしております。
だが、春になったというのは結構重要だ。去年俺が事故の予想の1つに数えていた時期である。駆動炉の開発もかなり大詰めになってきたためか、母さんも慌ただしく働いている姿を見かけるようになった。帰りも遅いし、顔色にも疲れが出ている。
俺もできるだけアリシアから目を離さないようにしているし、警戒は行っていた。だけど、正直きつくはある。人間、ずっと緊張感をもったままでいるのは難しい。常時そんなふうにいられるような訓練もしたことがない。
いつ起きるかわからないというのは、精神的にすごく疲れやすいのだ。原作知識で大よそ事故が起きそうな時間に見当はついている。母さんがいる朝方や、夕方以降は大丈夫だろうと判断し、その時は一応休憩している。原作のシーンでは、母さんはアリシアの傍にいなかったし、外は明るかったはずだからだ。
『ところで、ますたーもアリシア様も、それにリニスさんもどうしたのですか。さっきから床に転がって』
「力尽きているだけ」
「うにゅー」
「にゃふー」
俺とコーラルが話している場所より少し離れた所で、アリシアとリニスもまた、俺と同じようにリビングの床の上に転がっていた。スライムみたいにべちゃぁ、とまさに張り付いています。リニスさんもモップみたいになっている。
「俺たちはなめていたのさ、春からのとある攻撃に。今は三度のご飯といい勝負な放浪にすらいけなくなっちまったぜ」
『いい勝負なんだ…』
ご飯は食べないと駄目だろう。1日の活力だし。
しかし、この陽気な温かさは俺たちの思考能力を絶対吸い取っている。跳ね返す気力もわかないせいか、我が家にスライムが3体出来上がっちゃったんだしな。もうとにかく今はぐだぁー、としたくて仕方がない。春が俺のシリアス思考を攻撃してくるー。
「悲しいけどこれ、五月病なのよね」
『それでいいのか、5歳児』
「あれ、キャストも実は揃ってるんじゃね? これは『テスタロッサ家が五月病にかかったようです』がいけるかも。ツンデレ要因もちゃんといるし」
『本当に希望は捨てませんよね…』
スライムになっても、俺の口はなんだかんだと回るようです。
いや、だってさ。俺軍人でもないし、極々普通の一般人だよ。うん、一般人。頑張ることはするけど、無理はできねぇよ。だって俺が体調崩したら、家族に心配かけさせちまう。
なによりもずっと緊張しぱなっしだと、それこそ消耗も激しいし、あまり効率的ではない。たまには休むことも必要だ。まだ大丈夫だろうし、休める時に休むことは大切なことなんだから。身体壊したり、精神的に参っちゃう方が本末転倒だよね。だから特に問題は―――
「―――えっ」
『ますたー?』
俺はうつ伏せに転がっていた体勢から、勢いよく起き上がる。俺の突然の行動とこぼれた言葉に、不思議そうにコーラルが呼びかけてくる。だが、俺はそれに答えるよりも先に思考の海に沈む。
俺は今何を考えた? なんで当たり前のように納得しているんだ?
休むのはいい。体調を崩す訳にはいかないのも当然だからいい。
だけどなんで、『まだ大丈夫』だなんて、根拠のない考えが出てくるんだ?
『どうかされたのですか?』
「あ、……大した、ことじゃない。あれだよ。あんまりごろごろしていたら、まじで床に貼りついちゃいそうだし、どっか気分転換に放浪しようかなって」
「ふえ、どっか行くの?」
「にゃー?」
ごろごろしていたアリシア達が俺の提案に反応する。俺は2人の質問にうなずくことで返し、ゆっくりと立ち上がった。さっきの俺の返答が不自然に感じられたのか、コーラルが無言で俺の様子を見ている。
「よーし。せっかくだから、アリシアが前に行きたいって言っていた、『どうぶつのおうこく』みたいなところに連れて行ってやろう」
「えー! 本当に!?」
さっきまでのたれアリシアから、元気が舞い戻って来たらしい。やったー、と腕をばんざいしながら嬉しそうに声をあげる。リニスもぶるぶると身体を振り、毛を舐めながらモップのようになっていた毛を整えていた。
「それじゃあ、それぞれ準備ができたら出発しようか。アリシア、帽子と水筒は忘れないようにな。お手洗いもきちんと行っておくように」
「はーい。行こう、リニス」
「なーう」
アリシアは俺の注意に大きな声で返事をして、早速行動を開始した。リニスもそれについていきながら、楽しそうにしている。俺は2人を見送り、先ほどから静かになっていたコーラルへと向き合った。
「えっと、コーラル」
『ますたー、僕も準備してきます。デバイスにもお出かけするときに、実はいろいろ支度があったりするのですよ』
「……ありがとう」
『はいはい』
コーラルはふわふわと飛んで、リビングから離れていった。気を使わせてしまったみたいだ。コーラルのこういうところは本当に助かる。俺が触れてほしくないことを察して、動いてくれるところがある。心配掛けさせちゃったし、俺も気をつけなくちゃいけない。
でも正直、俺自身でも疑問だらけだ。もしコーラルに聴かれていても、どう答えればいいのかもわからなかったと思う。
「もう……春なんだよな…」
俺の呟いた言葉が、頭の中で反芻する。そんな考え事をしながら、俺もお出かけの準備はしておく。
これは俺だけが知っている分岐点。駆動炉に視線を向けながら、俺はさっきのことを思い出す。まだ大丈夫という考え方。平和ボケしていた? あるかもしれないが、そういう感じでもなかった。
なんといえばいいんだろう、この感覚。まるで俺とは別に、俺の中の何かが答えを出していた感じだ。それを俺は自分の考えだと思い込んでいた?
俺は事故がいつ起きるのかわからない。だから警戒はしている。けど、それなのに何故か俺は漠然とまだ大丈夫という気持ちがあるのだ。まだ事故は起きないような気がすると、違和感なく。
そのせいか、さっきみたいにふと力を抜いてしまう時があった。もういつ事故が起きてもおかしくないというのにだ。その理由を、自分でもなんと表現したらいいのかわからない。
近い感覚でいうと、『事故は確実に起きる』という理由もないのに確信していたあの時と似ている気がする。『今年は事故が起きない』と考察だけでそのまま終わらせていた時もあった。それと、『アリシアと星空を見る約束をした』時にも、そんな感覚があったような気もする。
今思うと不思議だ。何故必ず事故が起きると言えるのだろう。希望的観測とはいえ、起きない可能性がないわけでもないのに。それに、事故が早まる可能性だってある。俺は自分の存在がイレギュラーだってわかっているのだから。それを探ってみても、やはりなんとなくとしか言えない。なんでだ?
こんな理由もわからない、信用していいのかもわからないような「勘」に似た感覚。俺は前世でそんなに勘のいい人間ではなかった。というかそんなに勘がよかったら、前世で死んでなかった気がする。転生してから身につけたものなのか?
『転生することはできる。願いも世界観を壊さないなら、ある程度聴いてやることもできるだろう』
あの時、死神はこう言っていた。その後に願いを確かに口にしたが、勘が良くなりたいとは言ってなかった気がする。ちゃんと願い通りに転生できているあたり、真面目な性格なんだろうけど。余分にオマケをしてくれるような感じではなかった。
まぁ真面目だから、あんなことになっちゃったんだろうけどさ…。
『とりあえず、俺って好きなように生きて大丈夫なのか? エ○ヤさんとか来ない?』
『来ない来ない……はず』
『はずって何!?』
『いや、お前の場合死に方が特殊だっただろ。世界には合わせるが、お前の魂はそのままなんだ。もしかしたら、転生した先でなにか影響がでるかもしれん。さすがにエミ○さんは来ないだろうが…』
死神とブラウニーで通じあえたことに、あの時は謎の感動をしていたが…。もしかして、ここかなり重要な部分だったんじゃね? 他にも色々話をした気がするけど、5年以上も前のことだからな…。
「お兄ちゃん、準備できたよ!」
「え、おう。バッチシだな」
頭に麦わら帽子と肩に小さな水筒をさげた妹のお出かけルック。リニスもさらさらもふもふの毛を流している。俺も考え事をしながら、動かしていた手を止めた。
あれだな。はっきりいって、悩んでも全然答えが出ない。なら、もうこれ以上悩んでも仕方ないだろう。時間がたてば、何か思い出すかもしれないし。これは一旦保留かな。
『ますたーもいけそうですか?』
「いけるいける。さっきはごめん。俺の中で一応、区切りは付けたから」
『そうですか』
とりあえず、信用していいのかもわからないが、この勘も考慮に入れながら行動していこう。俺なりに注意しておけばいい。今回はこの違和感に気付けただけでもよかったと思うべきだ。
それに、案外本当に俺の気のせいや思い込みの可能性もある。そんな深刻なことでもないかもしれないし。問題ごとが増えないならそれに越したことはない。
俺はリニスを抱っこしたアリシアの背に手をおきながら、今日の放浪先について考えを巡らせることにした。さて、それじゃあ出発するか!
俺の中にあるもやっとしたもの。俺がこの違和感を正しく認識できるようになった日は、そう遠くはなかった。
******
「見ろ、アリシア! これこそ動物の王国だろ!」
「わぁー、いっぱいだぁー!」
『……確かに動物はいっぱいいますね』
「……にゃー」
おかしい、目の前に広がる光景に間違いはない。だというのに、コーラルとリニスに何故かあきれられている気がするのは俺の気のせいか?
というか、リニスさんの目が俺の中で一番つらい。俺泣きそう。でも泣かない。だって男の子だもん。
「いいじゃん。危なくないし、アリシア喜んでいるし」
『それは確かに。サファリパークやら、ジュラシックパークに転移しなかっただけ褒めるべきでしょうか』
「にゃう」
「お前らの中の俺って…」
絶対泣いてやるもんか。……しゃんなろぉ。
俺の扱いがだんだん適当になってきたというか、スルースキルを身につけてきた気がする面々はほっておこう。それよりも今だ。俺だって1回ぐらいたわむれてみたかったんだよ。かわいいじゃん。もふもふじゃん。
「なんかこいつらって存在自体で癒してくるよな。こうオーラっていうか」
「すごくもふもふだもんねー」
『ますたーもアリシア様も本当に動物が好きですよね』
「うん、ナマコ以外」
『むしろナマコで何があった』
まずは、俺の許容範囲の広さを褒めろよ。しかし、こういう雰囲気はやっぱり好きだな。のほほんとしているし、春の温かさともいいコンビだ。ぽかぽかだ。
こうして目を閉じて耳を澄ますと、緑のにおいや空気のおいしさがわかる。まるで風と一体になって、ここら一面を吹き抜けているようだ。さらに、草原に響く動物達の鳴き声が優しく俺の耳に入って来る。ふっ、今日の俺は詩人になれるな。
「めぇー」
「めぇー! めぇー!」
「うめぇええええええええええ!!」
「らめぇええええええええええ!!」
「なんか似て非なるものが紛れこんでいるんだけど!?」
ぶち壊しだよ! いろいろと!?
『それにしても、一面羊だらけですね…』
「まぁ、牧場だからな」
「めぇー。めぇー。お兄ちゃん似てた?」
「かわいいから100点満点です」
「やった!」
コーラルに答えた通り、現在俺たちは牧場にいる。以前に妹が行きたいと言っていた、『どうぶつのおうこく』という絵本みたいに動物に囲まれています。それにしても羊の毛って弾力あるよな。意外に硬い感じはあるけど、手触りは面白い。
「まさにもふもふ祭りだぜ。ん、待てよ。どっちかというと、もこもこ祭りか? うーむ、これははたしてどちらの表現が羊にふさわしいのだろう」
「む! それは、むずかしいね」
「あぁ。羊たちの良さを伝える大切なポイントだ」
「もふっ、もこっ、むむむ…」
『楽しそうですねー』
かなり投げやりなコーラルはさておき、妹と悩むが答えは出ない。羊たちに「どっちがいい?」と聞いてみるも、「知るか」というように普通に草食ってるだけだし。
異世界の動物だからって、地球とあまり変わらない動物もいるんだな。みんなが、リニスさんみたいな感じじゃないんだ。むしろ、リニスになにがあった。原作の感じじゃ、おとなしいと思ってたんだけど…。
お、そうだ。ここは元祖もふもふであるリニスに意見を聞いたらいいんだ。動物同士の方がわかり合えるかもしれないし。おっしゃ、これで問題解決だ。
「ん? そういえば、リニスはどこにいったんだ?」
『あ、そういえば静かでしたね』
羊の群れに流されたかと思ったが、即刻否定。あのにゃんこがそんな軟なわけがない。俺は羊の群れから抜けだし、辺りを見回す。すると、さほど時間をかけることもなくリニスを発見することはできた。
「……にゃ」
「……わん」
牧羊犬とエンカウントしていたが。
「……なぁ、コーラル。俺の目には、5歳の子どもでも抱えられてしまうぐらいの子猫と、すごく元気そうな大きめの犬がにらみ合っているんだが」
『はい、僕にも見えます』
「常識的に考えれば、子猫に加勢する場面だよな」
『常識的に言えば』
俺はもう一度、2匹に目を向ける。穏やかな牧場に佇む姿。風が静かに2匹の間を通り過ぎ、サラリと草が舞う。時間が経つにつれ、緊張感はさらに増しているように見える。
まさに一触即発。だが、俺たちは動けない。その動けない理由はただ1つ。
「……やべぇ、犬に加勢してあげるべきか。このままじゃ犬のプライドバキバキに折られるぞ」
『しかし、僕らが加勢したぐらいでリニスさんに勝てる気がしないのですけど』
「というか、そんなことしたら後が怖いよな。でもリニスに加勢すると、もはや弱いものいじめだし」
『止めるのも、僕らではきっと無理ですよねー』
テスタロッサ家での序列がよくわかる会話だった。
「つよくいきろよー、わんこ」
『ふれーふれー』
結論。俺たちはひっそりと応援することにしました。小声で棒読みになってしまったが、それは仕方がないということで。 応援はしたんで、決してただ見捨てた訳ではないよね。うんうん。
******
羊たちとたわむれた後、少し牧場を探検することにした。ちなみにもふもこ議論は、羊はもこもこにしようで話はまとまった。やっぱりもふもふクイーンであるリニスにこそ、ふさわしい言葉だと認識したからである。うん、奥が深い。
あっ、そういえばもこもこしている間に、ちょっと思いついたことがあったんだった。
「なぁなぁ、コーラル。魔法のことで少し聞いてもいいか?」
『魔法で? 珍しいこともありますね』
「いいだろ。それよりも俺ってさ、母さんみたいに電気に魔法を変換することができるのか?」
『ますたーがですか?』
今まであんまり気にしていなかったけど、実際どうなんだろう。フェイトさんも母さんと同じように電気を使ってたし。
「確かあれって、遺伝的なものが大きいんだろ」
『はい。なので、ますたーも魔力変換資質を持っている可能性は高いと思いますよ』
ゲームとか漫画で、火属性の魔法とか、氷属性の魔法とか呼ばれるものがあるだろう。リリカルの魔法は、そういう属性に当てはめれば、一般的には無属性の魔法だ。けど、これに炎や氷の属性をつけ加えることはできる。属性を付け加えるには、魔力を変換して使用すればできるのだ。大変だけど。
この変換を、意識することもなく発動させられる魔導師がたまにいる。それが、魔力変換資質を持つ魔導師だ。つまり「炎」の資質があると、普通に魔力弾を撃っても、勝手に火炎弾に変わるのだ。すげぇ。まぁそのせいで、無属性の魔法を使うのは大変になるけど。それでも、メリットは大きい。
母さんは「電気」の魔力変換資質を持っているため、息子の俺にも使えないかどうか疑問に思ったのだ。もしも使えるのなら、ぜひ試してみたいことがある。
『しかし、いきなりどうしたのですか? 魔法のことですし、電気を使いたい理由があるのでしたら、僕も協力しますよ』
「大したことじゃないんだけどさ。……静電気を使って羊たちの毛を一気に上に立たせたら、面白い生き物が出来上がりそうだと思って」
『…………』
結局この日、コーラルが俺に協力してくれることはありませんでした。
「お、牛の乳搾り体験があるぞ」
「乳しぼりって?」
さらにぶらぶら歩いていると、牧場の片隅にぽつんと建てられている小屋があった。中には牛が何頭かおり、のんびりしている。先ほど目に付いた看板に目を向けると、やはり体験ができるらしい。……ん?
『牛の乳搾り ~体験しません? 魅惑の感触をその手で感じながら~』
「…………」
「お兄ちゃん? 看板に何か書いてあるの?」
転移。
「ふぅ。またつまらぬものを転移させてしまった」
『私有物勝手に転移させちゃ駄目でしょ!?』
後で妹と体験が終わった後に、元の場所には戻しておけばいいだろ。アリシアに内容聞かれたら、コウノトリ並みの夢物語語らないといけないだろが。いやだよ、そんなの。
とりあえず妹に乳搾りの内容を教えてみる。牛乳嫌いの妹は最初はえー、という感じだったが、体験はしてみたいらしい。乳製品とかは食べられるのに、牛乳は駄目なのか。俺にはその好き嫌いの基準がわからん。
あ、あれか? エビは嫌いだけど、海老フライなら食えるみたいな感じ? 機会があったら誰かに聞いてみよう。
「それじゃあ、早速体験するか!」
「うん!」
『あっ、ますたー。どうやら先客がいらっしゃるみたいですよ』
コーラルの言葉に、俺は小屋に向かっていた足を止める。本当か? それじゃあマナーとかに気をつけなくちゃな。小屋の中を覗くと、奥の方に確かに人影がある。先に挨拶しといたほうがいいかな。大人の人みたいだし、もしかしたらやり方教えてくれるかも。
もしものために、俺はアリシアに少しの間コーラルと待っておくように言っておく。そのまま挨拶をしようと近づくと、相手がおじさんだとわかった。何やらぶつぶつ呟いているが、怪しい人じゃないよな。俺はその呟きを聞こうとそろそろと近づいた。
「ちくしょう、なんてこった。この近くの温泉にも混浴がねぇ。牧場近くなんだから、雰囲気にも開放的にしやがれよ。どっかに桃源郷がねぇかなー。最近じゃ、俺ほどの領域に辿り着けるやつもいねぇ。それより、本当になんで混浴温泉が全然見つけられないん…」
転移。
「ふぅ。またつまらぬものを転移させ―――」
『人を勝手に転移させちゃ駄目でしょォォ!!!』
あれは確実に怪しい人だった。だって、アリシアの教育上よろしくなさすぎる! 欲求不満すぎるぞ、あのおっさん! 水辺の近くに転移するようにしたから、運が良ければ水着のお姉さんに会えるかもしれないし、きっと許してくれるよ。春だけど。
なんだかんだあったが、とりあえず体験だけはした。牛乳は俺がおいしく飲みました。
******
「楽しかったなー」
「ねー」
『ですねー』
「にゃん」
あれからもう一回羊に突撃したり、のんびり歩いてみたりした。ちなみにリニスは無傷でした。こっそり覗きに行ったら、なんと仲良くなっていたのである。2匹で一緒にいたし。犬が服従のポーズのまま、しっぽが股の間でぶるぶる震えていたが、それは見なかったということで。
たくさん遊んだし、そろそろ帰ろう。こういうのんびりした場所って、時間の流れもすごくゆっくり感じられた。夕陽が空を赤く染めだしており、それが広い草地にも照らされている。なんだか幻想的だなー。
「あっ!」
「お?」
『どうしました?』
景色に気を取られていた俺の隣で、妹が何かを見つけたのかしゃがみこんだ。妹に抱っこされていたリニスも驚いたのか、妹の腕からとんっと抜け出し、足元に着地する。アリシアの行動に不思議そうに覗きこんでいた。
「うさぎさんがいた!」
「え、まじで。どこどこ」
「ここっ!」
妹が元気よく差し出してきたのは手のひら。そこには、小ぶりの小さな石が乗せられていた。ちなみにうさぎさんがライダーさんを怒らせて石化させられたとかではなく、もともと石なのであしからず。長い耳がついた様な丸い石。確かにうさぎの形によく似ていた。
「へー、かわいいな。四つ葉とかこういうのって見つけたらなんか嬉しくなるよな」
「うん! うさぎさん、お母さんに見せてあげるの」
「いいんじゃないか。せっかくだし、リビングのテーブルの上にでも飾ってあげようぜ」
『それはいいですね』
「にゃー」
アリシアはぎゅっと手のひらにうさぎの石を包み込み、大切そうに運ぶ。こんなにも喜んでくれる相手がいると、こっちも連れて来てよかったと思える。これだから、ぶらぶらするのをやめられない。
それに今日はいい気分転換になった。久しぶりにこんなにも騒いだよ。……なんだか気持ち的にも少しすっきりしたし。
「アリシア」
「なに?」
「ありがとな」
「え、なんで?」
なんとなく、と俺は笑って答えを返す。俺からのお礼の言葉に不思議そうにしながらも、アリシアはこくんと受け止めてくれた。その後妹は、石を持っている方とは逆の手を口元に持っていく。この仕草は、妹が何かを考え込む時によく出てくる癖である。
どうしたのか、と俺は思ったが、妹はすぐに手を下ろし、俺ににっこりと笑みを見せた。
「お兄ちゃんもありがとう」
「え?」
「なんとなく!」
俺の真似をしながら、アリシアも楽しそうに笑った。そんなやり取りに、最後はみんなでおかしくなって笑ってしまった。帰ろう、と俺に差し出された手。それに返事をしながら俺も手を伸ばし、その手を握り返した。
夕日が俺たちを包む中、静かに羊の鳴く声が聞こえた。
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