少女1人>リリカルマジカル
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第十三話 幼児期⑬
ヒーローに憧れたことがある人は、実は結構いるんじゃないかなと思う。
俺もなんの根拠もなく、もしかしたら困っている人を助けられるかもしれない。危ない人相手に戦って勝てるかもしれない。とか、軽く考えたことならあった。実際はできないかもしれないし、ヒーローみたいにかっこよくは助けられないかもしれないけど。むしろそっちの方が、可能性として高いと思う。
だから俺は憧れたことはあっても、ヒーローにはなれないだろうな、と当たり前のように思っていた。というか、大体の人はそうなんじゃないかな、と思うんだけどね。誰だって、危ないのはいやだろうし。
とまぁ、何故いきなりこんな話をするのかというと、ぶっちゃけただの愚痴だと思う。自分の頭の中で、文句をたらたら垂れるぐらいには。
俺は今までたくさんの漫画や、一次小説も二次小説も読んできた。その中でもほとんどの小説がハッピーエンドを目指しており、本来なら助からないはずの人を救いだす場面を何回も見てきた。救われる命があるなら救う。そうやって助けていた彼らは、自己満足だろうとなんだろうと確かにヒーローだったのだと思う。
『魔法少女リリカルなのは』
この原作にも多くの二次小説があり、救われなかった人を救う場面がいくつもあった。それぞれやり方は違えど、ちゃんとハッピーエンドになっていた小説も多いだろう。
主人公高町なのはの幼少期の心の傷を癒す場面があった。
八神はやてを孤独から救う場面や、本来消滅するはずだったリインフォースを助ける話もあった。
そして、プレシア・テスタロッサとフェイト・テスタロッサとの和解。死んでしまったアリシアを蘇らせる、そんな場面もあった。
それらは、一概に必ず幸せだったと言えるかはわからない。人それぞれ感性も思いも違うのだから。それでも、間違いなく彼らの物語は、一つのきれいな終わりとして映ることができたであろう。
なのに、なんで俺の時はこんなに違うのだろう。なんで救ったら、それでハッピーエンドで終わらないんだろう。俺はただ1人を、ただ1つの家族を助けたいだけなのに。リインさんや原作の母さんたちを救うことと何が違う。何も違わないはずなのに、決定的に違う。
俺がここに転生してから、ずっと理不尽だと叫んでいた。ずっとふざけんなって思っていた。
ここがもうただの物語の世界ではなく、俺にとって現実の世界だってことは理解している。それでも、この世界は物語から切って離すことはできないんだ。
だって、どう考えても……アリシアが死ななければ、リリカル物語にハッピーエンドは訪れないのだから。アリシアの死が、この世界には必要不可欠なファクターなんだ。なかったら、全てが崩壊してしまうぐらい重要なものだから。
アリシアも母さんも本来なら、なのはさんたちと接点なんてないに等しい。むしろ、アリシアたちの幸せを糧に、なのはさん達が幸せになっているともとれたであろう。
俺がもっと図太ければよかったのかもしれない。そうすれば、アリシアを救った後も俺には関係ないことだと思えたかもしれないから。20年も先の物語としてだけ知っている彼女たちと、5年間共に暮らしてきたかけがえのない大切な家族。天秤に掛けるまでもなかったんだから。
それでも、未来を思うのが、前を向くことを俺がずっと怖がっていた理由は1つだけ。
ただ単純に、俺はそんな風に割り切ることができない、大切なもののために何かを犠牲にすることを考えられる覚悟もない、弱い人間であるだけだったんだ。
******
「俺ってかなり情けないよな…」
あー、久しぶりに泣いた気がする。ほんとアリシアにばれなかったことには安堵した。俺だって妹に泣き顔見られるのはちょっとな…。お兄ちゃんとしての尊厳とか、威厳とか…。うん、せめてものだけど。
「やっぱ暗いな。明かり明かりっと」
現在俺がいるのは、先ほどまでアリシアと一緒にいたベランダ。さすがにこの時間帯だと、光源が星だけなため、ほとんど真っ暗だ。ぼんやりなら見えるが、もう少し明かりが欲しい。なので、俺は寝室からちょっと拝借して来た照明ランプをつける。お、いい感じになった。
ここでかっこよく魔法使って、『見ろ、これぞまさに自家発電』みたいなエコな取り組みをしたいけど。……あれだ、わざわざしんどいことしなくていいよね。うんうん。
あれから誕生日パーティーも終わり、寝室へ行き、みんなでベットに入った。のだが、ぶっちゃけ目が冴えてしまっていた俺はみんなが寝静まった後に、こうして抜けださせてもらった。もう何回も思ったけど、転移便利すぎるよ。凡庸性って大切だな。
「それはそれとして。……やりますかね」
ちゃんと向き合うと決めた。いつかは向き合わなくちゃいけないとわかっていたが、今の今まで後回しにしてきたこと。目を背けてばかりじゃ、駄目だってわかったんだ。
俺はいつもポケットにいれているメモ帳を取りだす。やっぱり考え事や考えをまとめるには、俺にはこれが1番だな。俺ってよく考えてることが横道にそれまくるらしいし。
「新暦がえーと、今は38年か。なんか不思議な感じだな…」
《新暦38年 秋 NO.67》とメモ帳に書き込む。今でも思うけど、暦の書き方がなんかこう、うん、変な感じ。別にいいんだけどさ。なのはさん達の時代には、これが新暦60年ぐらいにはなるのかなー。
……数字にすると実感するけど、原作開始時には俺……もしかして今の母さんと年あんまり変わらない? これ下手したら、結婚していてもおかしくない年だったりするのか。うわぁ、実感ねぇ。
―――って、もう考えが横道にそれているし。
「題名は、『未来予想図』……かな」
呟いた言葉通りに題名を書き込み、一息つく。これからどうするかも大切だが、まずはこのまま未来が進めばどうなるかを考えるべきだと思う。
そうすれば、俺がいることによる変化や変わらないこともわかるはずだ。何が起こり、何が原作との違いとして出て来るのか。やばそうというのは、漠然と理解しているけれど。
それでは最初に、俺の行動方針を決めようと思う。これから先、俺が必ずすることを定めておく。そして、もしそのまま決めたこと以外に、俺が特に動かなければどうなるかを予想していこう。うーん、俺が絶対にすることか…。
第1に、アリシア・テスタロッサを救うこと。事故をなんとか回避して、アリシアを死なせない。これから先も家族として、ずっと一緒に生きていきたいからな。
第2に、家族を護ること。これは、第1の目標にも関連している。言葉にしたら簡単だ。ただ普通に笑って、みんなでご飯食べて、おしゃべりして、そんな楽しい毎日を過ごしていきたいだけだ。
第3に、大きくなったらいろんなところを放浪してみたい。もともとリリカル物語に転生したいと思えた大きな理由の1つだしな。ドラゴン見たり、宇宙見たり、遺跡とか見たり、もしかしたら妖精とかエルフとかもいたりするんだろうか。記念写真一緒に撮ってくれるかなー。
第4に、ぶっちゃけ死にたくない。そのために転移っていうレアスキルを選んだんだ。危なくなったら即逃げる。放浪する時だって、無茶はするつもりないしな。人生楽しく往生が俺のモットーだ。
後は、……これといって絶対やることは今のところ思いつかないな。友達作ったり、もふもふ王国作りたいとか、こうしたいなと思うものはいくつかあるけど。まぁ、ただの願望か。とりあえず、この4つかね。家族のことと、見事に自分のことばっかりだな。いやはや。
それじゃあ、この4つを必ず実行するようにこれから先、俺は動くとする。そうなったら原作はどうなるのか。1つずつ潰しながら考えていくべきだな。
正直第3、4の目標に関しては、気をつけさえすれば問題ない気はする。放浪する時は、原作開始時は地球に近寄らないようにすればいい。そんで、ロストロギアには関わらない。もし職に就くにしても、管理局には就職しない。危ない職業にも就かない。こんなもんか。
そして第1、2の目標だが、ある意味アリシアが生きていること、アリシアが幸せでいることに関しては、問題はないんだ。
問題は彼女が死んだことによる世界の変化だ。特に母さんの存在が大きい。原作との乖離点は、ヒュードラの事故が起きてからの母さんの行動全てだ。母さんが原作までに行っていた行為の全てが行われない、とそう考えるべきだろう。
①プレシア・テスタロッサはミッドチルダを追放され、アリシアを蘇らせるために行動し、違法な研究にも手を染めていく。その折に、研究の無理がたたり病を受ける。
②プロジェクト『F・A・T・E』というクローン技術を完成させる。フェイト・テスタロッサが生まれる。
③ジュエルシードをめぐるPT事件が起きる。なのはさんとフェイトさんとの戦い。
④最後はフェイトさんを拒絶し、プレシアはアリシアと共に虚数空間に身を投げる。
俺が思いつくのはこんぐらいだな。第1期以降、母さんやアリシアが実際に登場することはない。おそらく、第3期から先も出てくることはないと思う。母さん達の物語は、この時全て終わってしまったと考えるべきだろう。
なので母さんが主にやったことといえば、この4つになる。その中で、母さんの行動の内1つだけどうしても物語上必要不可欠なものがある。母さんがミッドを追放されなくても、PT事件の内容が変わっても、最後に生き残ることになっても物語は進められる。
だけど、フェイト・テスタロッサがいないリリカル物語はありえない。
アリシアが生きているということは、フェイトさんの物語は永遠に来ない。フェイトさんという人物が消えたまま、物語は進んでいくのだ。
一言で言うとあれだ。「無印? そんなものはなかった」という状態だ。母さんいい人で、ユーノさんはホクホク顔で宇宙を渡って、なのはさんは普通に小学3年生していて、アースラは素通りしてる。『普通少女高町なのは、始まります』だ。
事件が起きるよりも平和に終わるというね。しかし、なのはさんにとって魔法と出会うことと出会わないこと、どっちが幸せだったんだろうか。これはなのはさんにしか、わからないことなんだろうけどさ。
「……まぁ、わかっちゃいたけど結構きついな」
フェイトさんは生まれない。これが、俺が行動することで起こる結果。彼女のことで知っていることは、そんなに多くはないと思う。小説や動画、漫画ぐらいでしか知らない少女。それでも優しくて、強くて、ちゃんと前を向いて生きることを選べた、勇気を持っている……寂しがり屋の女の子。
そんな彼女の存在そのものを消す。彼女が消されたことを知るのは、消した俺だけしかいない。他の誰も彼女を知らないのだから。親友のなのはさんもはやてさんも、兄になったクロスケくんも、引き取られたエリオさんもキャロさんも。そして、背中を押してあげたアリシアも生んでくれた母さんでさえもだ…。
時々、原作知識なんてなければよかったと思う時がある。けど、なかったら事故があることも知らず、全て失っていたかもしれない。結局、俺1人が救える人は限られていたんだ。
……ごめんなさい。それだけしか、俺が彼女に伝えられる言葉はなかった。
******
無印が終わっても、物語は終わらない。フェイトさんという歯車を失ったままでも、世界は回っていく。負の連鎖は立て続けに、少女たちの幸せを壊していく。
第1期が終わった半年後ぐらいに、第2期A’sが始まる。1人の少女と1冊の魔導書を廻る悲しい闇の物語。俺と同じ、家族を護りたいと願う幼い少女の物語。
舞台は同じ地球であり、八神はやてという、『闇の書』と呼ばれるロストロギアの主に選ばれた少女が登場する。天涯孤独で足が不自由な少女は、それでも優しさと温かさを持っていた。誕生日に発動した闇の書の騎士たちを受け入れ、家族として幸せな日常を暮らしたいと願った女の子。
「こうして考えてみると、はやてさんも理不尽な人生送ってるよな」
はやてさんの願いは、家族となった守護騎士たちと幸せに暮らしていきたい。俺の願いとなんだか似ている。
闇の書の守護騎士として、今まで多くの人の命を奪ってきた彼ら。本来は物語として死ななければならない妹と狂う母親。それでも、俺とはやてさんにとっては失いたくない、かけがえのない存在。それを護りたいと思うその心は、決して間違ってないと俺は思う。ただ彼らを取り巻く状況が、それを許さなかっただけで。
……ちょっと感傷的になりすぎたか。とりあえず、原作の流れを簡単にまとめてみよう。
はやてさんが9歳になり、ロストロギアである闇の書が目覚めたことで物語は始まる。幸せな生活を送っていたが、はやてさんの足の麻痺が闇の書のせいだと知る。このまま何もしなければ、はやてさんは死んでしまう。それに納得できない守護騎士達が、はやてさんを助けるために魔力の源であるリンカーコアを狩り出した。
……まじめに書いていたが、長いしダイジェストでいいか。
シグナムさんが剣ブンブン振り回し、シャマルさんが鬼の手使ってて、ヴィータさんがロリハンマーで、ザッフィーがワンコしながら、騎士達蒐集する。なのはさん落ちて、フェイトさんも落とされた。グレアムさんと猫が暗躍。でも、クロスケ君頑張った。闇の書が実はバグってて、本来は夜天の書という魔導書であり、はやてさんがその管制人格に「リインフォース」という名をつけた。バグの原因をふるぼっこビームして、はやてさんの幸せのためにリインフォースはさよならした。
ちょっと悲しいけど、ハッピーエンド。それが、俺が読んでいたA’sの感想だ。別れはあった。けど、はやてさんは守護騎士達と暮らし、友達もできた。涙を流しながらも、それでもはやてさんは前に進み、笑顔で未来に向かっていった。
では、歯車が抜けた世界ではどう変わる?
フェイトさんがいなくても世界は回るのだ。そう、なのはさんが普通の女の子で、フェイトさんがいなくても、はやてさんが闇の書の主であることは変わらないように。
はやてさんを救うために、騎士達はいずれ蒐集する。原作での管理局の対応が早かった理由は、第1期のPT事件という地球で起こった事件があったのが大きい。本来管理外世界である地球に、主がいるかなんてそうそうわかるはずがない。
闇の書は邪魔者なしで完成する。それを後押しする存在もいるのだ。そして、はやてさんは闇に飲まれ、グレアムさんによる永久凍結を受け、冷たい氷の中で生涯を閉じることになるだろう。
もっと最悪な結果なら、闇の書が暴走し、地球は滅ぶだろう。はやてさんはただ破滅を呼ぶ化け物に代わり、世界を壊し続ける存在になるかもしれない。
原作通りなら、はやてさんは幸せになれた。守護騎士達も罪を受け入れ、救う側へと歩めた。俺にとっても心の故郷である地球が、崩壊するなんて未来は冗談ではなかった。それでも、この未来はほぼ100%の可能性で起こることになるだろう。
「まじでやってらんねぇ…」
俺はぱたんと一旦メモ帳を閉じ、空を仰ぐ。ため息をつきたくなるが、それはやめておく。ため息吐いたら幸せ逃げるっていうし。絶対逃がさん。俺は結構こういう迷信は信じる方だ。気持ち的になんか軽くなる気もするし。
というか、愚痴ぐらい出てしまっても仕方ないと思う。なんで女の子1人救うだけで、世界崩壊の危機にまで発展するんだよ。おかしいだろ。
もしなんらかのきっかけでなのはさんが魔法に覚醒しても、フェイトさんがいない穴を埋められるとは思えない。むしろ暴走エンドで終わる可能性が高まる気がする。原作は綺麗に終わっていたが、正直奇跡の連続だ。かなりの綱渡りだったと聞いたこともある。
「3人娘の中で、まだなのはさんはましなのかな…。魔法に会わず、暴走もない場合、彼女は地球で翠屋を継げそうだし」
いくらすごい魔力を持っていても、管理外世界ならそのまま一般人として過ごせるだろう。地球の日本でそうそう女の子が危険な目に会う可能性は……。
地球で、日本というか海鳴市で、すごい魔力。
おい、待て。これって下手すると。俺はメモ帳を開きながら、必死に思い出して原作知識を探る。
もしかしたら、俺の思うような未来は起きないかもしれない。俺が知らない原作設定があるかもしれない。それでも、今の俺にあるのはこの継ぎ接ぎだらけの原作知識だけだ。守護騎士たちが集めていたもの。彼らのその入手の仕方。彼らははやてさんを救うためなら……なんでもやること。
なのはさんはリンカーコアを鬼の手で取られ、落とされた。その時、彼女は魔導師として覚醒していた。だから覚醒していないのなら、なのはさんは狙われない。そんな都合のいいことあるか?
まず、地球で魔力の存在を彼らは捜すはずだ。魔法文化がないとはいえ、はやてさんという存在がいたのだから。すぐにはなのはさんに気付かなくても、いずれ気づく可能性の方が高い。
普通少女高町なのはでも、リンカーコアはあるんだ。しかも、彼女は原作のような戦いを経験していない普通の9歳児。そんな子が、いきなり見知らぬ大人に胸を一突きされて、意識を失わされたら? 原作でだってひどく消耗していた。『普通少女トラウマなのは、始まります』ぐらいの心の傷を被るかもしれない。
さらに、はやてさんの足が動かないのは、リンカーコアに闇の書の力が浸食されていたからだったはず。もし襲撃で無事だったとしても、なのはさんのリンカーコアに不調が出たら、どうなる。
原作では、アースラですぐ治療されていた。でも、地球でそんな治療はできない。下手したら、彼女は障がいを持つかもしれない。命を、失ってしまうかもしれない。
これが、俺がいることの、俺というイレギュラーな存在が生きていくことで起こるかもしれない『未来予想図』なんだ。
「……あぁ、うん。そうだよ。わかってたんだよ、こんなの」
彼女達を不幸にしてしまうことぐらい、わかっていた。なのはさんも、フェイトさんも、はやてさんも、これから先彼女達に関わる人たちも。
それでも、俺はいやなんだ。家族を失うのは、今の日常が壊れるのは。だから、受け入れなきゃ駄目なんだ。彼女達を不幸にしてしまう未来に進むことを、俺が1人の人間の存在を消すことを。
俺が進む未来は、間違いではないんだ。アリシアを救うことが、家族を救うことが間違いだなんて俺は思わない。これは、仕方がないことなんだ。割り切らないといけないことなんだ。
だから……、俺はこのまま突き進めばいいんだよな?
******
「うん…。アルヴィン?」
プレシアはふと目を覚ます。覚醒しきれない意識の中で、最初に浮かんだのは疑問。隣にいるはずの息子の存在が、感じられないことに気付いたからだ。彼女はそれを理解すると、ベットから身体を起こし、辺りを見回す。
暗い室内に、プレシアは傍にあるはずのランプに手を伸ばす。しかし、その手の先には何もない。それに少し眉をしかめたが、次の瞬間、部屋にうっすらとした明かりがともった。
『目が覚めたのですか? マイスター』
「コーラル」
緑の淡い光が室内を照らす。ふよふよとプレシアの望みだろうと、自身を発光しながらコーラルは声をかける。プレシアはそれにありがとう、と声をかけながら、改めてきょろきょろと視線を巡らせた。
やはり先ほど手を伸ばしたはずのランプも、アルヴィンの姿もなかった。最初は焦ったが、少なくともアルヴィンが危険なことをしている事はなさそうだと思い直す。もし勝手にアルヴィンが行動しているなら、コーラルが必ずプレシアに知らせているはずだからだ。
『ますたーなら、ベランダにおられるようですよ。ちょっと眠れないから、風に当たって来るとのことです』
「1人で?」
『はい。1人がいいと言われました』
声のトーンから、ちょっと落ち込んでいるようにも感じた。それでも、律義にこうして部屋で待っているあたり、この子らしいともプレシアは思う。今の彼女のように、風邪をひかないか等心配しているのかもしれない。
「それじゃあ、私も行かない方がいいかしら。アルヴィンなら自分で戻ってくるでしょうし」
そこにあるのは、信頼だった。何をしでかすかわからない子だが、しでかすにしてもなんだかんだと1本筋は通っている。それにあの子なら、体調管理もしっかりできるだろう。そう判断してプレシアは口にしたが、コーラルはその答えにしばし沈黙した。
『……いえ。よろしければ、ますたーの様子を見に行ってあげて下さい』
返ってきた答えは、プレシアの言葉とは真逆のものだった。
「1人がいいってアルヴィンは言ったのよね?」
『はい、確かに。でもマイスターなら大丈夫だと思います』
「あなたは行かないの?」
『僕じゃ……たぶん駄目です。傍にはいれても、それだけですから。適材適所というものですよ』
会話が少し噛みあわないことに、プレシアは訝しげにコーラルを見る。リニスのおもちゃになってどっか壊れた? とすごく失礼なことを考えてしまった。そんな風に思われているとも知らず、コーラルはそれ以上何かを言うつもりはないのか静かになった。
プレシアはそれに肩を竦めると、ベットから立ち上がる。コーラルの態度はよくわからないが、アルヴィンが気になるのも事実だ。少しだけ様子を見に行こうと思ったのだ。
眠っているアリシアとリニスを起こさないように、プレシアは寝室の扉に向かい足を踏み出す。電気を付けると起こしてしまうかもしれないため、足元に注意しながらリビングへと移動した。
「……かってたんだよ、こんなの」
「アルヴィン?」
コーラルの言うとおり、アルヴィンはベランダに座っていた。その傍には寝室のランプも置いてある。窓に背中を預けているため、こちらから顔はうかがえない。プレシアは真っ直ぐにアルヴィンのもとへと歩んだ。
早く寝なくちゃだめよ、と簡単に声をかけるだけのつもりだった。だが、プレシアは言葉を発するのをやめる。淡いランプの光がアルヴィンを照らしているが、その性かどこかおぼろげで寂しそうに映る。それがまるで、迷子になってどこか泣き出しそうな幼子のようにも映った。
「アルヴィン」
今度は先ほどよりも、はっきりと名前を呼ぶ。それにびくりっ、と肩を跳ねさせ、アルヴィンは驚いたようにこちらに振り向いた。その顔は泣いてはいない。彼は目を大きく見開き、途端にあわあわと慌てたように何かをポケットの中に入れたり、立ち上がる時にランプを倒してしまい、また慌てだす。
こんなに落ち着きのないアルヴィンは久しぶりに見たかもしれない。それに小さく笑ってしまったが、それでも先ほどの様子がプレシアには忘れられなかった。彼女はベランダに出て、落ち着くように息子の背中を優しく撫でた。
「あ、あー。うん、えっとこんばんは? 母さん」
「その挨拶は何か違う気がするけど…。眠れなかったの?」
「あー、確かにそうかも。いやー、ちょっとね。星がすげぇ綺麗でさ、つい見ちゃってた」
そう言って、アルヴィンは笑いながら手で頭をかく。アルヴィンはよく笑う。本人もそうだが、突拍子もないことをして、家族を笑わしてくれる。アリシアの面倒も嫌がることなく、しっかりお兄ちゃんをしてくれている。でも心のどこかでプレシアは、今の笑顔はいつもとは違う気がすると感じていた。
「そう。ねぇ、アルヴィン。どうかしたの? 何かあった?」
「いや、なんでもないけど。俺にだって、静かに星を見てたそがれる、クール系のかっこよさがあっただけだよ?」
アルヴィンは、新しい属性を俺は手に入れた! と喜ぶ。いつも通りのような姿。プレシアは思い出す。昔から周りを振り回したり、迷惑をかけてしまう困った息子。どこでそんな言葉覚えてきたの? と真剣に悩んでしまう時もあった。
それでも、誰よりも周りに敏感だった。困っていたら、そっと何でもないように手を差し出せる。だけど、逆に自分から周りに手を伸ばすのは下手な子だった。
「夜更かししてごめんね。もう寝よっか、母さ―――」
プレシアはアルヴィンの言葉が終わる前に、ぎゅっとただ抱きしめた。いきなりの行動に、アルヴィンも面喰らい呆けるしかなく、混乱しながらもそれを受け入れるしかなかった。
アルヴィンが頑固なことを、プレシアは知っていた。本当に悩んでいることは言わない、むしろ気付かれないように隠すような子どもだったと思いだした。3年前、離婚したプレシアたちを受け入れたアルヴィン。あの時ただ一言、「そっか」と笑ってうなずいていた。
その時の笑顔と似ていたのだ。もともと聡いところがあった。何も思わないはずはないのに、何も言わず、笑っていた少年。あの時は結局甘えてしまった。だからこそ、プレシアは今抱きしめる。せめて母親として、この子たちの大好きなお母さんとして、ちゃんと傍にいると伝えたかった。
「……ほんと、大丈夫なんだ。ただ、いっぱい頭の中で考えすぎていただけみたい」
「アルヴィン?」
その声は、プレシアに伝えているようで、どこか独白のようなものでもあった。俯いた顔からは表情はうかがえない。淡々とした小さな声音、だがどこか思いが籠っているようだった。
「難しく考えすぎなんだよ、俺は。いいじゃん、譲れないんだから。だったら、受け入れてやる。だけど、……全部受け入れてやる必要なんてないんだ」
1つ1つ言葉にしながら、アルヴィンは受け入れる。だが言葉通り、ただ全てを受け入れてやる気はさらさらなかった。傲慢な考えかもしれない。アルヴィン自身成功するのかなんてまったくわからない。見通しだってすごくあやふやだ。
「それでも、仕方なくなんてない。割り切ってもやんない。俺はそんな未来はいやだ。だったら、立ち向かうしかないじゃないか」
だんだんはっきりとした声へと変わっていく。それと同時に俯いていた顔が上がっていき、目には一切の迷いはなくなった。ずっと原作から目を逸らし続けていた、関わらないと決めていた。
それを、やめた。
「あのさ、母さん」
「ん?」
プレシアには、アルヴィンが何を決意したのかはわからない。何に悩んでいたのかも聴けなかった。それでも、彼女はこれでよかったのだろうと思えた。真っ直ぐにプレシアを見据える黒い瞳は、強い意志を宿していたから。いつも通りの笑顔が戻っていたから。
「俺なりに、頑張ってみようと思うんだ」
「……頑張れるの?」
「うん。出来ることは少ないかもしれない。結局何も変わらないのかもしれない」
少年の憧れたヒーローみたいにかっこよくは出来なくても、我武者羅で泥まみれのヒーローもどきになってみるぐらいなら出来るかもしれない。
「それでも頑張るだけの価値は、絶対にあるはずだから」
あの後、さすがにずっと抱きついたままは恥ずかしがったアルヴィンが、プレシアに顔を赤くしながらも離してもらった。プレシアは、さっきまでのアルヴィンの言葉を深く聞くことはしなかった。頑張りたいと、そう告げた息子に水を差すつもりはない。
それでも、母親として見守ることはできる。
「1人じゃダメな時や、疲れてしまったら、お母さんやアリシアのところにいつでも戻ってきなさい。ここはあなたの居場所なんだから、いいわね?」
プレシアは、小さく何度もうなずく少年の頭を優しく撫で続けた。「ありがとう、母さん」と囁くように伝える声が、夜風に響いた。
ページ上へ戻る