MA芸能事務所
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偏に、彼に祝福を。
第二章
八話 昨年の冷たさ
前書き
ここからまたプロデューサー、平間達也の目線になります。七話までと日付は同じです。
その日、私は日光に居た。時刻は、午前八時だ。
最後の寝床としたビジネスホテルには、買ったばかりの中古のバイクを置いてきた。嘗て私と美香、そしてちひろさんと共にバイクで色々な場所を巡ったことを思い出したので、このゲームの後、ちひろさんにでも使ってもらおうかと思って。
私は早くからこの近辺を回った。人の少ない榛名神社をひと通り見て、二荒山神社にお詣りをする。間々に、買ったばかりのデジタルカメラで周りを写して行った。
時々、忘れないように携帯からメールを送りながら、私は観光を楽しんだ。夕方には、以前泊まった中禅寺湖の旅館の側にある足湯に浸かりながらのんびり夕日を眺めた。今日は特別天気がいい。夜になれば、きっと満天の星空を見ることができるだろう。山地で、また大都市が近くにないここいらは天の川も見ることが出来るだろう。以前皆と来た時はそんなことを気にしていなかったので、俄然私は気になった。
この付近には二十四時間営業のコンビニはないので、私は日が暮れて閉まらぬ内にすぐコンビニに向かい、お酒を買ってきた。軽い食事も買って、私は湯の湖の畔に車を走らせた。
二十一時、メールを送った後遅い夕食を食べてのんびりと時間を過ごし、二十二時を待った。今日は大型連休の前週の休日、天気のいい快晴の日、デジタルカメラには沢山の風景写真。財布には十分なお金。全くもって、私を自殺しにここに来たと思う人間はいないだろう。
二十二時、最後のメールを送った後、私はお酒を飲んだ。生まれてこの方、御猪口一杯以上は飲んだことのない私は直ぐ様酔い、眠気が襲ってきた。私は車からレジャー用の折りたたみ椅子を取り出して、駐車場からかかる木の橋を渡った先に下ろし、また側にカメラをつけた三脚を置いて、何枚か写真を撮った。
眠気が段々と強くなってくる。寒いが、今なら寝れそうだ。
私は自身の意識を離した。
夢。これは夢だろう。明晰夢というやつだろうか。だがこの明晰夢は私の思い通りにはならず、ただ物事が進んでいく。景色は雪が積もった神社。これは昨年の元旦のことだ。
「達也! ほら、真ん中歩かない」
美香に言われて、私は参拝道の端を歩いた。一月一日のまだ暗い時間帯、美香とちひろさん三人で神社にお詣りをしていた。
「『神は人の敬いによりて威を増し、人は神の徳によりて運を添う』って言うんだよ?」
「何だ、それ?」
美香の言葉を、私は聞いたことがなかった。ちひろさんに問うが、彼女もまた知らないらしい。
「ようは神を敬えってこと。神様だって謙虚な人には優しくするんだよ」
彼女の言葉に、私ははいと二度答えた。彼女は私の一つ上だ。時々、こんな感じでまるで出来の悪い弟を構うように彼女は私に接してきた。
「ちひろさん、境内で煩いこいつをなんとかしてくださいよ」
ちひろさんは困ったような笑みを浮かべた。彼女は美香の更に一つ上で、この三人の中のリーダー格だ。
「まぁまぁ。美香は久しぶりに三人で出かけられて燥いでいるのよ」
「ちょっとちひろさん!? 何言ってるんですか!」
騒ぐ美香を、私とちひろさんで弄くりながら境内を進む。最近はやっと仕事が入ってきて、三人で嘗てのように出かけるのは少なくなった。最後、三人でバイクで中禅寺湖に行ったのはいつだっただろうか。
三人で順にお詣りする。私は特に何も考えてはいなかったが、どうやら二人は色々と考える所があるらしく、その黙祷の時間は長かった。
「こら、真ん中歩くなって」
二人を待つ間、後ろから聞こえた聞き覚えのある声に振り向いた。
「乾じゃないですか。久しぶり」
こちらの声を聞いて、彼はこちらを向いた。
「ああ、平間か。どうも」
「そっちは?」
彼の側に居た、二十歳に満たない程の少女を尋ねる。
「連れ。昔養った奴だよ。今ではこちら側だけど」
少女は私に小さく頭を下げた。
乾は施設で、何人かの子供を養っていた。親なしの子らしい。彼も見た目二十程の人間だから違和感があるが、以前会った何人かは明らかに日本人ではなかったので、私は深い詮索をしないでいた。
彼と顔見知りになったのは、彼が養う中で数名の少女が美香の事を慕っていたからだ。彼としても子供が美香の名前を出すと黙るのもあって都合のいいことだっただろう。美香としても慕われるというのはいい自信がつく。いい関係と言えた。また彼自身も私と気があった。
美香とちひろさんが返ってくるのに気づいた乾は、邪魔したら悪いからと二人に会う前に去っていった。
周りの景色がぐるりと変わる。これは、忘れもしない二月の事だ。
「達也さん。達也さん?」
ちひろさんの言葉で意識を戻す。ぼぅっとしてしまっていたらしい。
「どうしたんですか?」
彼女に何でもないと答えて、私は業務に向かった。
私がこのような失態を犯すのには理由があった。美香のことだ。彼女の父親から私の元に、昨日連絡が入った。
娘は、もう長くない。その後に続いた言葉はさほど覚えていない。ただ、悪性リンパ腫という名前は微かに聞こえた。私に伝えた理由は、美香が私に伝えるように言ったらしい。
私はその日の業務を終え、美香の元へ向かった。彼女に会った私は、昨日までと変わらない彼女に安堵を覚えた。
「あの電話、本当なのか?」
「ええ。長くて五年だって」
私は頭のなかが真っ白になった。今のプロデューサーという立場は彼女が居たから就いたのだ。もし彼女がいなくなるのなら私がそこにいる理由はない。
「これから入院するのか?」
「まだ。痛み止めも貰ってるし、本当に辛くなったら入院かな」
私はその言葉にひっかかりを覚えた。
「痛み止め、今飲んでいるのか?」
「え? うん。鈍痛が楽になったよ」
笑みで返す彼女を見て、私は本当に、どうしようもなく、偏に……自身を殺したくなった。
「いつから?」
「え?」
「いつからその鈍痛が始まったんだ? 昨日今日じゃないだろ」
彼女は自身の口を抑えた。彼女にとって、鈍痛が楽になったというのは私に心配するなという意味で使ったのだろう。ただ私にとっては違う。彼女の不調を見抜けなかったのは私なのだから。
「……どれくらい前だっけ、もう忘れちゃったよ。いつかは治るかな、何て思ってずっと我慢して、我慢して、我慢して、倒れちゃって。それが昨日」
諦めたのか、恐らく本当のことを彼女は言った。
息を短く吐く。自己嫌悪に苛まれるが、今はそれを振りほどく。
「治るのか?」
「無理みたい。それに、延命措置をすればするだけ苦しむって。だから私は―――」
その先の言葉は、私の意識の中に入ってはこなかった。
彼女と一旦別れ、彼女の父親と二人で話した。
「達也君、娘はどうだった?」
「見た目はいつも通りです。ただ、鈍痛が昔からあったと。……申し訳ございません。私がもっと前から気づければ」
私は床に額を付けた。そうだ。もっと早く、もっと早く私が気づけていれば!
「やめてくれ。気づけなかったのは君だけじゃない。私も、誰しもが気づけなかった。君が謝れば謝るだけ、私は情けなくなる」
額を床から上げる。
「治療はどうなるのですか? 私が出来ることならば何でも致します。お金をどれだけ頼まれようが工面してみせましょう」
「……難しい、というかな、無理だと医者にきっぱり言われたよ。
娘は、延命治療には前向きではない。結局……これから、私が、私達ができることは少ないんだよ。彼女を、死ぬまで笑顔でいさせる」
それだけなんだよ、そういった彼女の父親は、全くもって納得していない顔だった。ともすれば今までの彼の言葉は、彼自身に言い聞かせるものだったのかもしれない。
「だから、私は頼みたい。あいつの父親として、一人の男として、頼みたい。
美香の側にいてやってくれ。烏滸がましいだろう、無責任だと思うだろう。ただ、美香は私よりきっと、君を望んでいる」
私は無言で頷いた。プロデュース業が疎かになったとしても、彼女の側にいるんだと決意した。
「ええ。勿論ですとも」
その決意が、その後あんな事件のきっかけになるとは知らずに。
その翌日も、その翌日も彼女の元へ赴いた。最低限の時間事務所にいるだけで、その他は全てずっと彼女の側に居た。きっと、今思えばこの間に、彼女は決心したのだ。
更にその翌日、美香は事務所に顔を出した。
「こんにちは」
「あ、こんちには美香。体調不良って聞いてたけど、もう治ったの?」
ちひろさんが明るく返す。
「はい。今まで心配をお掛けして申し訳ありませんでした」
「いいのよ、元気になってくれたなら」
いつもと変わらぬ会話を交わす二人を見ながら、私は一言も言葉を発せられなかった。驚きと、疑問によって。
「美香、ちょっと」
彼女を手招きして、近くの空いている部屋に入る。入ってきた彼女に注目する。いつも通りだ。
「何故今日来たんだ?」
「達也ずっと私のところにくるでしょ? 本業はプロデューサー。ほら、私に構わずに新人でも見つけてきなって」
「そんなことを言うために来たのか?」
やや語尾を強める。こっちがどれだけ心配していると思っているのか。
「そんなことって……。あのね、達也。私は貴方にプロデュースされて嬉しかった。ちょっとしたお仕事しかしたことがないけど、それでも自身が輝けるその瞬間は楽しかった。そういうことを色んな女の子にするのが達也なんだよ?
忘れないで。例え私が道半ばで倒れても、他には輝きたい女の子が沢山いるの」
私は次の言葉に窮した。彼女に面と向かって、お前が居たからこの職業に就いた、何ては言えない。
「だとしても、お前が倒れたならそれは……」
「そういうと思って直接ここに来たの。大丈夫、まだ体力はあるから自主トレくらいならしておく。ちひろさんにはいつも通りって風で来てるんだからさ。
私はアイドルとして頑張るから、達也もプロデューサーとして頑張ってよ」
私はどう返答するか迷ったが、大人しくああと返した。
「よろしい。約束だよ? きちんと、プロデューサーとして頑張る」
「分かっているって。けど、もしお前が本当に辛くなってしまったその時はお前の元から離れないぞ?」
この言葉を言うのには、随分な勇気が必要だった。一種のプロポーズ何だから。
彼女は一瞬顔を歪めた。それは少し悲しそうな顔だったと思った。
「うん……けど、それ以外の時はきっちりプロデューサーとして」
「約束する。約束するよ。……ほら、そろそろ戻ろう。ちひろさんが、変な勘ぐりでもしていたら困る」
「そうだね。ほら、行こう!」
駈け出した彼女は、部屋を出る短い間、私の手を握っていた。
後書き
需要がないまさかの過去編
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