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MA芸能事務所

作者:高村
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偏に、彼に祝福を。
第二章
  二話 小細工

 
前書き
前回のあらすじ
「彼の計画」 

 
「達也さん!」
 私達はレッスンを済ませると、早速達也さんの元へ向かった。彼はいつも通り労いの言葉をかけてくれる。
 だが、この先はどうしよう。何も考えていなかったことに今痛烈に後悔する。
「辞めないでください」
 結局口をついて出たのはいつもと変わらない言葉で、彼はその言葉を受け取るとやっぱりいつも通りの困ったような笑顔を浮かべた。
「すまないな。けど、そう我儘を言わないでくれ。お前たちは十分力をつけてきた。俺が居なくても大丈夫さ」
 いつも通りの彼の言葉は、先の話し合いのせいでいつもとは全く違う響きで私に聞こえる。それは、ともすれば人形から発せられる合成音声のような……。
「達也様、いつ頃から辞めようと思っていたのですか?」
「一月頃だな。それくらいから俺の業務を他に回せるようにしてきた」
 一月頃、達也さんが倒れ、慶さん達が、彼を変えると宣言した頃。彼の異常性が事務所内で広まった頃。
 そして、何人ものアイドル達が動揺のあまり仕事を失敗していた頃。好意からの逃亡と彼の最後の奉仕の決意が固められたのはその時期。辞める動機は分かった。ならば、後聞きたいことは一つだけ。
「なら、もう一つ質問です。達也さんは何故プロデューサーになったのですか?」
 彼は軽く驚いた顔をして、暫し黙った。核心を突いた感覚。
 彼は、初めから辞めることを前提としていないと思う。彼の一月から辞めることを決心したという発言もそれを裏付ける。なら、プロデューサーを始めるに至ったその瞬間の彼を知りたい。
「一人の女性を、アイドルにしようと思った」
 無機質な言葉は、私には本当かどうか区別がつかない。唯一知りうる程の観察眼を持つクラリスさんを見ると。微笑みを湛えていた。恐らくは嘘ではない。
「誰ですか?」
 食いついた慶さんを一瞥すると、彼は首を横に振った。
「お前たちは名前を知らないさ」
「教えてください。何もかも」
 達也さんは慶さんの肩を両手で掴んで離し、私達を見回す。
「教えるわけにはいかない」
「では、どうすれば教えて下さいますか?」
 駄目だ、と口を開いた彼に、横合いから声が掛けられた。
「ゲームをしてはどうですか?」
 声の主に私も、慶さんもクラリスさんも驚いた。この事務所にいつも居て、そして達也さんと一番近い立場で一番近くに居て、そうして今の今まで彼に業務以外の話をしてこなかった人。
 千川ちひろ。達也さんの退職について何も言わなかった人が、ここに来ての発言。何か理由があるのだろうか。
「……ゲームですか」
「ええ。彼女たちが勝てば彼女のさっきのお願いをきく。貴方が勝てば……それはお互い話し合って。挑まれた貴方がルールを決めればいいでしょう? 貴方が退職後に何を話しても私は関与しませんよ」
 それだけ言うと、ちひろさんは離れていた。
 急な出来事に唖然とする私と慶さん。畳み掛けるように、一人クラリスさんが口を開く。
「お願いします。どうか」
 彼は天井を仰いで、嗚呼、と呟いた。そうして顔をまたこちらに向けた時、彼は笑っていた。
「分かった。ゲームをしよう。さっきのちひろさんが言ったとおり俺がルールを決めていいな?」
「勿論です。ただ私達が勝てば……」
「分かっている。その代わり俺が勝ったらお前たちは一切今後俺と関わらない。いいよな?」
 ええ。ええ。有難うございますと頭を下げる彼女は、満面の笑みだった。


 その後仕事が入っていたクラリスさんを寮で待ち、彼女が帰宅してから私の部屋に招いた。
「クラリスさん、どういうことですか?」
「どういうとは?」
 彼女は本当にわからないわけではない。続きを促すための問い返しなのだと、私は気づいた。人と長く接する職業故のテクニックだろうか。
「彼が辞めた後に全て知ったところでどうするんです! 手遅れじゃないですか」
「そう思っていたから、達也様は受け入れたのです。彼は負けても勝っても自身の目的が完遂するので。私はそうはさせませんが」
 彼女の発言に違和感を覚える。一つは、彼女にしては意志の強さが見える最後の言葉。もう一つは一言目の―――。
「そう思っていたから?」
「ええ。彼は直前の慶さんからの詰め寄られたこと、そして泰葉さん、貴方に核心を突かれたことで動揺していたんですよ。彼は、てっきり詰め寄ってきた慶さんの『全てを話すこと』だと思った。だけれど違います。ちひろさんはきちんと言いましたよ? 『彼女たちが勝てば彼女のさっきのお願いをきく』としっかり貴方を見て」
 私の、お願い? 私は何と発言した? 始めた理由は何ですかと尋ねた。だがこれはお願いではない質問で、既に答えは得られている。ならその前の私の発言の中に答えはある。
「あ……つまり」
 最初の、一言。
「私達の勝利報酬は、泰葉さんが言ったお願いです。貴方は質問こそしてもお願いは一度しか言っていません。あの時、達也様を見つけた泰葉さんが初めに言ったお願い、『辞めないでください』です」
「ですが、ゲームは彼が辞めてからスタートと……」
 けれど、辞めた後に辞めないでくださいの願いは叶うのだろうか? そもそも辞めているなら私の願いは破綻する。
「僅かに違います。彼が退職届を提出した後、恐らくは今月の暮れのにゲームは行われます。ですがゲームの開催条件に彼の退職は入っていません。……先ほどちひろさんに掛けあって、正式な彼の退職をゲームの後にしてもらいました。私はゲームの後責任をどんな形でも取りましょう。ちひろさんも思いは同じです」
「っ! 私も勿論一緒に罰を受けます。……ですがちひろさんも?」
「そもそもこの状況は彼女が作り出したのです。彼女の質問によってこの流れができた」
 今まで何も行動を起こさなかった彼女がここに来て? 彼に嘘の退職を演じるという汚れ役すら買って出て。
「何故、今になってちひろさんが……」
「理由はわかりません。ただ、私達に一つの目標ができました。彼のゲームに勝つことです」
 私はその言葉に強く頷いた。例え私達が彼の過去を知らなくとも、彼の最後の奉仕の邪魔をしても彼が私達の側にいるならば、私達は幸せなのだ。現に今まで彼にプロデュースされて幸せだったのだから。
 其処まで思って、私の背中を寒気が過ぎった。自身の思いを改めて考えた時に、私が酷く醜悪な生き物に思えて仕方なかった。
 違う、違う。それだけじゃないと自身に言い聞かせる。彼を幸せにしなければ、私達の目的は完遂されないのだから。
 私はクラリスさんを見つめながら、願った。聖書も読んだ事もない人間だけれど、人形ではなく人間として、強く、強く。
 偏に、彼に祝福を。 
 

 
後書き
幸福や祝福という言葉を使いたいがためにわざわざクラリスを出したりしました。私自身は聖書をきちんと読んだ人間ではないので何か違和感のようなものがあるかもしれません。 
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