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外伝 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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追憶  ~ 帝国歴486年(中篇) ~



帝国暦 489年 8月 6日  オーディン  新無憂宮  シュタインホフ元帥



地上車に乗り込むと副官に問い掛けてみた。
「卿はヴァレンシュタイン司令長官が苦手か?」
「と、とんでも有りません! 苦手だなどと! 小官は司令長官閣下とは言葉を交わした事も無いのです!」
座席シートから飛び上がるかのような勢いで否定した。まるで尻尾を踏まれた猫だな。これからは猫と呼ぶことにしよう。

「ふむ、そうか」
猫が露骨に安堵の表情を浮かべている。全く、最近の若い奴は胆力も無ければ芝居も出来んのか! この程度の男が統帥本部長の副官とは、いやこの程度の男だから副官が務まるのかもしれん。胆力、知力に優れていれば副官に甘んじはすまい。独立独歩、己の旗を掲げようとする筈だ。

「しかし先程司令長官と別れた時、卿はホッとした様な表情をしていたが」
「そ、それは、……少なからず畏怖は有ります」
「……」
表情が青褪めて強張っている、嘘では無いな。

「しかし、それは小官だけの事では有りません。多くの士官達が同じような畏怖を司令長官閣下に対して抱いております」
「なるほどな、畏怖か……」
畏怖か……、分からんでもないな。ローエングラム伯があのような事をしたのもヴァレンシュタインに対して畏怖の念を抱いたのが原因かもしれん……。いやそれはヴァレンシュタインも同じか。共に非凡な二人なればこそ互いに相手に畏怖を覚えた。それが二人の決裂に繋がった。外から見ていては分からなかったがあの二人は互いに葛藤を抱えていたのかもしれない……。



「閣下、ヴァレンシュタイン中将に動きが有りましたので御報告に上がりました」
情報部長、ヘルドリング中将がシュミードリン少佐を連れて私の執務室に現れたのは襲撃事件から三週間ほど経ってからの事だった。遅い! 動きが無い筈は無いとイライラしながら待った三週間だ。当然こちらの機嫌は良くない。

この二人の所為ではない、遅いのはヴァレンシュタインが悪いのだ。一体何を愚図愚図しているのか! 二人をソファーに座らせず執務机の前に立たせた。八つ当たりだとは分かっている。だが甘んじて受けて貰おう。それに無駄なお喋りは嫌いだからな、それの予防策でもある。安心しろ、二人とも。私が出来る個人的な嫌がらせはこの程度のものだ。上に立つ者は最低限公私の区別は付けなければならない。

「宇宙艦隊で次の出征のために新たに二個艦隊を編成する事は御存じかと思います」
「うむ、聞いている」
無駄な事をするものだ、新たに二個艦隊を編成するなど、そう思った。艦隊を編成するとなれば人員の異動、配置を含め大規模な作業になるのだ。そんな事をするより現有戦力で出兵した方が効率は良いと思ったが……、ヴァレンシュタインが絡んでいるのか。

「その二個艦隊編成の責任者がヴァレンシュタイン中将です」
「……」
「新艦隊を編成するにあたって九人の少将が宇宙艦隊司令部に呼ばれました。集めたのはヴァレンシュタイン中将、彼らは新編成二個艦隊の中核を占める男達です」
二個艦隊、九人の少将か、まさかとは思うが……。

「如何いう男達だ?」
私が問い掛けるとヘルトリングが“シュミードリン少佐”と声をかけた。少佐がブリーフケースから書類を取り出す。それを受け取りながら“要点を言え”と促した。最近の若い奴は紙さえ出せば良いと考えている。そして“お読みになりませんでしたか?”等と言うのだ、阿呆共が。書類には重要な部分とそうではない部分が有る。重要な部分は口頭でも報告するのが常識だろう! シュミードリン少佐が口を開いた。

「個々の名前、経歴は資料をご確認ください。幾つか気になった点が有ります。その九人ですが何れも下級貴族、平民階級の出身です。そして年齢は二十代から三十代」
「二十代から三十代? 若いな」
「はい」
二十代から三十代、下級貴族、平民階級出身、少将……、あの男が選んだという事は貴族の後ろ盾など有るまい。若いが武勲を上げて昇進したという事か、間違いなく能力は有る筈だ。

「何れも実戦指揮官、或いは参謀として高く評価されている将官達です。但し、その評価の割に恵まれた立場にいるとは言えません」
「うむ」
不遇を囲っている、やはり有力者の後ろ盾は無い。実力の有る男達なら現状に不満を持っている筈だ。そこにあの男が手を伸ばした。

「四人で一個艦隊を編成します。一人が司令官、もう一人が副司令官、残り二人が分艦隊司令官です」
「八人で二個艦隊か……、待て少佐、集められたのは九人だったな」
確認するとシュミードリン少佐が頷いた。
「はい、残りの一人、メックリンガー少将は総司令部に作戦参謀として迎えられます」
メックリンガーか、資料を確認した。“幅広い戦略眼を持ち参謀として得難い資質も持っている”、そんな評価が書かれていた。

「その九人とヴァレンシュタインの関係は?」
ヘルトリングとシュミードリンが視線を交わした。少し間をおいてヘルトリングが話し始めた。こいつが部下を連れて来るのは部下で私の反応を確認しているのかもしれない。私が関心を示せば自分が話す、そうでなければ部下に任せる、或いは言い辛い事は部下に言わせる、そんな気がした。姑息では有るが隠し事をするよりはましだろう。用心深いと評価する事も出来る、好意は持てないが。

「九人の内三人が何らかの関わりが有ります。メックリンガー少将、クレメンツ少将、ワーレン少将です。しかし残りの六人には接点は有りません」
「……」
接点は無い、つまり選んだというわけだ。あの事件から三週間、しかし新規に二個艦隊を編成すると決めたのは最近だ。となるとかなり以前から目を付けていた可能性が有る。

いや、目を付けていたと見るべきだ。ケスラー、ミッターマイヤー、ロイエンタール、ミュラーもそうだ。ミッターマイヤー、ロイエンタールはコルプト大尉の件でヴァレンシュタインと繋がりを持った。だがそれ以前からヴァレンシュタインは二人に関心を持っていた、コルプト大尉の一件はあの男にとっては渡りに船だった、そう考えるべきだ。

「うーむ」
「閣下?」
ヘルトリングが声をかけてきたが睨みつけて黙らせた。ヴァレンシュタインはかなり前からある男達を選抜していた。能力が有り貴族階級出身ではなく現状に満足していない男達、このままでは軍主流を歩めない男達……。ヘルトリングを見た、怯えた様な表情をしている。この馬鹿が! 訳も分からずに怯えた様な表情をするな、それとも私の危惧を察知して怯えているのか?

「ヘルトリング情報部長、卿はこの件を如何思うか?」
「好意的に考えればヴァレンシュタイン中将は実力のある人材を活用しようとしている、そう考えられますが……」
恐る恐ると言った感じでヘルトリングがこちらを窺っている。何が“が”だ、思った事をはっきりと言え!

「好意的に考えなければ如何なる?」
「閥を作ろうとしている、そう受け取れます」
「なるほどな、閥か。閥を作ろうとするなら目的が有る筈だ。その閥は何を目的とした閥だ?」
ヘルトリング、卿はただの権勢欲からヴァレンシュタインが閥を作ろうとしている、そう思っているのか?

「先日のベーネミュンデ侯爵夫人の事件が引き金になっている、そう考えますと……」
「……」
一々私の顔色を窺うな! 鬱陶しい!
「ミューゼル大将を抑えにかかった。或いは彼ら九人の働き次第ではミューゼル大将の排除にかかった、そういう事では有りますまいか」
「……」
全く見えていないわけではないか。

「年が明ければミューゼル大将はローエングラム伯爵家を継承する事になります。もし次の戦いで大きな武勲を挙げれば彼の影響力は一層強まるでしょう。それを避けようとしているのだと思います」
「まあそんなところか」

ヘルトリングが嬉しそうな表情をした。阿呆! そんなところと言うのはお前への評価だ。見えているようで見えていない、点数を付ければ五十点は超えるが八十点には届かない、そんなところだ。もどかしいにも程が有る、消化不良を起こしそうな男だ。全く、腹が立つ!

「ミューゼル大将に動きは」
「有りません。出兵の準備に余念がないようです」
「ヴァレンシュタインの動きに何も気付いてはいないのだな?」
「はい」
ミューゼルはヘルトリング以上に周囲が見えていない。或いは武勲を挙げて昇進すれば何とかなる、そう思っているのか……。二人に引き続きヴァレンシュタインとミューゼル、そして選ばれた九人の動きを追うように指示を与えて執務室から追い出した。少し考えなければならん。

ヘルトリング、ヴァレンシュタインはミューゼルを抑えようとしているのではない、排除しようとしているのだ。艦隊を動かす八人の男達は明らかにミューゼルの代わりだ。そして総司令部に配備されたメックリンガーは自分の代理人だろう。あの九人がミュッケンベルガーを助けて軍を動かす、であるならばミューゼルはもう不要なのだ。

おそらく、ミューゼルとの関係が壊れなければミューゼルが宇宙艦隊司令長官に就任した時点であの九人は宇宙艦隊に呼ばれる筈だった。彼らは軍を掌握し帝国を制覇し新たな王朝の成立を目指しただろう。ミューゼルの狙いは簒奪だ、ヴァレンシュタインはそれに協力する事で自らの望みを果たそうとした。 

あの男は両親を貴族に殺されている。貴族を嫌い憎んでいるのは確かだが国務尚書との関係を見れば全ての貴族を憎んでいるというわけではない。エーレンベルクやミュッケンベルガーとの関係も良好だ。となれば真に憎んでいるのは貴族を優遇する帝国の体制そのものかもしれん。あの男の狙いは新王朝樹立による体制の変革、そんなところだろうな。簒奪も改革も力が無ければ出来ない、そして両方とも旧勢力の排除を必要とする。だからあの二人は結びついた、そうだったはずだが……。

ヘルトリングがそこまで洞察出来ないのは軍の階級に縛られているからかもしれん。ミューゼルは大将、ヴァレンシュタインは中将、階級で判断すればミューゼルの方が上ではある。ヴァレンシュタインがミューゼルの足を引っ張ろうとした、そう思ったようだ。ヘルトリングは実よりも名に拘るのかもしれない。報告にも影響が出るとすれば注意が必要だな。

ヘルトリング、情報部長なら名ではなく実を見るのだ。軍内部での影響力でいえばミューゼルは一個艦隊の司令官でしかない。しかも寵姫の弟だから出世したという中傷も有る。必ずしも実力は評価されていない。だがヴァレンシュタインは兵站統括部、憲兵隊、宇宙艦隊に影響力を及ぼしている。そしてその実力を疑う者は居ない。軍だけではない、政界、宮中でもそれは同じだ。

ミューゼルがローエングラム伯爵家を継ぐ等と言っていたがそれに何の意味が有る? 伯爵家を継げば貴族達がミューゼルを受け入れるとでも思うのか? 否だ、貴族達は新しい伯爵を成り上がりと見て蔑むだろう。そして軍内部でもその蔑みは同じように広まるに違いない。唯一味方しそうな男達はヴァレンシュタインが手を差し伸べた。要するにミューゼルは孤立し味方は居ないという事だ。そんな相手をヴァレンシュタインが恐れるわけがない。ミューゼルを担いで何かをしようとした。しかし信用出来ないと判断して担ぐのを止め切り捨てにかかったのだ。

いや、待てよ、ヘルトリングはミューゼルの野心に気付いているのかな。鈍そうな男だから気付いていないと判断していたが気付いた上で言っているのだとすれば奴の意見はなかなかに含蓄が有る。奴の口からはミューゼルが簒奪を考えているとは言い辛いか。相手は皇帝の寵姫の弟だ、正面から敵に回すには厄介な存在では有る。そして間接的にヴァレンシュタインもそれに関与していたとなりかねない。ふむ、鈍いのは私か? ええい、腹が立つ! ヘルトリング、なんで卿はそう面倒なのだ!

頭を切り替えよう、ヘルトリングの事はまた後で考えれば良い。もうしばらくは情報部長にしておいてやる。先ずはヴァレンシュタインとミューゼル、あの二人の事だ。次に動きが有るのは遠征後だろう。私の予測が正しければヴァレンシュタインは遠征後、ミューゼルを切り捨てる筈だ。ベーネミュンデ侯爵夫人、コルプト子爵によるヴァレンシュタイン襲撃事件の真相をリヒテンラーデ侯、エーレンベルク軍務尚書、ミュッケンベルガー司令長官に話すに違いない。どうなるかな、ミュッケンベルガーはミューゼルをそれなりに評価しているようだがリヒテンラーデ侯、エーレンベルク軍務尚書はミューゼルを評価してはいないだろう。むしろ危険視している節が有る。これ幸いとばかりに排除する方向で動く可能性は高い。

ヴァレンシュタインは陛下に万一の事が有った場合は国内の治安維持を担当する男だ、それを襲撃させたなどとなればそれなりの罰は与えられる。ローエングラム伯爵家継承の話は白紙撤回だな。あの九人が次の戦いで活躍すれば実戦指揮官にも不足は無い、となれば軍からも追放は免れん。グリューネワルト伯爵夫人も或いは宮中を下がる事になるだろう。皇帝の寵姫の弟だからといって全てが許されるわけではないのだ。それでも命を取られるところまでは行くまい。

陛下に縋ろうとしてもヴァレンシュタインは陛下の命の恩人でもある、その事は陛下も無視は出来ない筈だ。やはりミューゼルの処罰は免れない。ふむ、考えてみるとヴァレンシュタインと陛下の関係は思ったよりも深いな、何度かバラ園でも会っている。となると簒奪が嫌になった可能性も有る、簒奪せずとも体制の改革が出来るのではないかと考えた……。一度陛下とお会いしてみるか、拝謁ではなくバラ園で。その辺り、何か分かるかもしれん。もしそうならミューゼルとの決別は必然か。あの襲撃事件は迷っているヴァレンシュタインの背を押しただけだったという事も有り得る。

いやミューゼルもその辺りを察して噂を流した、後々邪魔になると判断してヴァレンシュタインを謀殺しようとした、その可能性も有りそうだな。いやいや、早まるな。それならばミューゼルにはもっと動きが有って良い筈だ。それが無いという事はやはりミューゼルにとっては思いがけない事件、そういう事だろう。但し、本人は気付いていないようだがもう取り返しは付かない状況になりつつある。

ヴァレンシュタインと国務尚書との関係を重視すべきだな。ブラウンシュバイク、リッテンハイムの二大外戚の抑制と体制の改革、それを結びつければリヒテンラーデ侯を動かせるとヴァレンシュタインは判断したか……。或いは国務尚書、軍務尚書の二人がミューゼルとヴァレンシュタインを分断し取り込みを図っている、その可能性も有る。

うーむ、ミューゼルを無力化しつつ外戚を牽制する。有りそうな話だ、国務尚書と軍務尚書、二人とも喰えない事では定評がある。一番厄介な男を味方にする事で自分達の影響力を高めようとしているのかもしれん。そして現状はそのようになりつつある。ヘルトリングに国務尚書、軍務尚書の動きを探らせるか。主としてヴァレンシュタインの動きとどう連動するかという観点からだが……。

徐々にだが情勢は煮詰まってきたな。ミューゼル、ヴァレンシュタインの一件では私も意見を求められる筈だ。さて、どう動くべきか……。ミューゼルの排除、これは問題ない。問題はヴァレンシュタインだ。この男をどう扱うか……。いささか力を付け過ぎたようだ。力を削いでおとなしくさせる、そして帝国の役に立てる、そういう形に持っていくのが上策だろう。しかしこちらの制御を嫌うようであれば、その時は……。


 
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