外伝 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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追憶 ~ 帝国歴486年(前篇) ~
帝国暦 489年 8月 6日 オーディン 新無憂宮 シュタインホフ元帥
「ええい、何故それを早く言わぬ!」
「小官も昨日思い至りましたので。それでこうして御相談しております」
「卿らしくないではないか」
「申し訳ありません」
国務尚書の執務室に老人の苛立たしげな声とそれを落ち着かせようとしている若い声が上がった。目の前でリヒテンラーデ侯がヴァレンシュタインを叱責しヴァレンシュタインが侯を宥めているのだがどう見ても国家の重臣同士の会話というよりは口煩い祖父と出来の良い孫の会話のような雰囲気だ。祖父が孫の久々の失態に癇癪を起した、そんなところか。となると同席している私とエーレンベルク元帥はどうなるのだろう。癇癪持ちの老人の茶飲み友達? 余り嬉しい設定とは言えない。
「それで、どうするのじゃ」
「……」
「見殺しにして開戦のきっかけにするのか?」
リヒテンラーデ侯が帝国軍三長官に視線を向けてきた。視線は冷たい、こちらを試す様な視線だ。見殺しにしても非情とは言えまい、もしレムシャイド伯が殺されれば反乱軍は一切言い訳は出来ない。そして帝国はこれ以上無いと言って良い開戦の大義名分を得る事が出来るのだ。
「司令長官は将来的には下策であろうと言っております」
エーレンベルク元帥が答えるとリヒテンラーデ侯がフンと鼻を鳴らした。
「フェザーン方面軍総司令官はメルカッツです。政治面での配慮は決して得手では有りません。レムシャイド伯にはフェザーン方面軍に同行してもらい助言をしてもらってはどうかと。私も統帥本部総長も同意見です」
「フェザーン占領後は行政の責任者にするべきかと思います。長年フェザーンに居たのです。適任でしょう」
私が後を続けるとリヒテンラーデ侯がジロリとこちらを見た。相変らず目に威圧感の有る方だ。
「フェザーン征服後の後始末とフェザーン遷都の下準備をさせるというのじゃな。ふむ、人使いが荒いの、……まあ良しとするか」
「……」
「レムシャイド伯には帰還命令を出す。卿らもそろそろ出兵の準備にかかれ」
「はっ」
「抜かるなよ、陛下もフェザーン遷都を楽しみにしておいでだ」
「承知しました、必ずや陛下の御意に沿いまする」
軍務尚書が軍を代表して答えるとリヒテンラーデ侯が満足そうに頷いた。
執務室を出るとそれぞれの副官が直ぐに近寄り少し離れて後に付く。しばらく歩くと軍務尚書が“そろそろかな”と話しかけてきた。大きい声ではない、副官達には聞こえないだろう。
「統帥本部と宇宙艦隊で遠征計画の摺合せを行うべきだと思うが」
「そうですな、フェザーン方面は統帥本部が担当していますがイゼルローン方面は宇宙艦隊が担当しています。フェザーンで動乱が起こる前に早急に行うべきだと思います」
ヴァレンシュタインに視線を向けると頷いた。
「同意します。遠征期間は約一年に及ぶでしょう。作戦だけでなく補給、そして出兵後の国内の警備体制も含めて検討するべきだと思います」
「そうだな、だが先ずは」
「はい、小官と元帥閣下の所で」
「その後で兵站統括部、憲兵隊、そして政府か」
「最終的には陛下に御臨席をいただき御裁可を」
私とヴァレンシュタインの打ち合わせを軍務尚書は黙って聞いていたが陛下の御裁可の所で大きく頷いた。
「では先ず卿らで話を纏めてくれ、私は先に失礼する」
何時の間にか出口近くにまで来ていた。軍務尚書が出口に向かうと軍務尚書の副官が後を追った。同時には出られない、テロの被害を出来るだけ小さくするために五分後に出る。もっとも一番狙われるのは隣にいるヴァレンシュタインだろう。この男が最後に出る。その分だけ私と軍務尚書の身は安全だ。
妙な男だ。何度かこの五分間を共にしたが会話らしい会話をした覚えがない。こちらに含むところが有っての事では無い。話す事が無い、或いは何を話して良いのか分からない、そんなところだろう。無駄話の出来ない男なのだ。我々よりも副官の方が居心地の悪そうな顔をしている。五分経った、微かに頷くとヴァレンシュタインも頷き返した。それを見てから出口に向かった。副官がホッとした様な表情で付いて来た。
邪魔な男だった。危険な男だとも思った。何度も排除するべきだとも思った。だが気が付けばもっとも頼りになる男になっている。何時からだろう、あの男を敵ではないと思い始めたのは……。あれはベーネミュンデ侯爵夫人が死んだ年、四百八十六年の八月か、今は四百八十九の八月、もう三年になるのか。月日が流れるのは早いものだ……。
「先日起きましたヴァレンシュタイン中将襲撃事件ですが新たに判明した事実が有ります。御報告に上がりました」
執務室で報告書に目を通していると情報部長のロルフ・フォン・ヘルトリング中将が来た。まだ若い士官を連れている。どうせ報告はこの男にやらせるのだろう。ソファーに座らせず執務机の前に立たせた。無駄話をせずに終わらせるにはこれが一番だ。
ヘルトリングが自ら報告したのは最初の一度だけだ。良く内容を理解もせずに報告してきたのでこっぴどく叱りつけたら次からは部下に説明させるようになった。慎重なのか臆病なのかは分からんが次の人事異動で補給基地か哨戒部隊の司令官にでも転出させた方が良いかもしれない。情報部長にはいささか不適任だ。しかし後任がこいつ以上の馬鹿だったら……、なんとも頭の痛い事だ。頭の良い奴に限って前線に出て死んでしまうのだろう、最近では使えない馬鹿が増えているような気がする。
「それで、何が分かった」
「シュミードリン少佐、元帥閣下に報告し給え」
ヘルトリングの言葉に若い士官が姿勢を正した。そんなに緊張するな。
「はっ。元帥閣下も御存じかと思いますが先日のヴァレンシュタイン中将襲撃事件、その直前にベーネミュンデ侯爵夫人に関して或る噂が流れました」
「うむ」
~ベーネミュンデ侯爵夫人とコルプト子爵が密かに情を通じている。事態を重視した皇帝は「皇帝の闇の左手」であるヴァレンシュタイン中将を使って事実関係を確認するだろう。貴族に対して非好意的な中将がどのような結論を出すかは言うまでもない。二人の運命は決まった~
「そんな噂だったな」
確認すると少佐が頷いた。
「はい、ですが元々はベーネミュンデ侯爵夫人とコルプト子爵が密かに情を通じている、それだけの噂でした」
「……」
「その噂を流したのはリヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン中将だと思われます。おそらくはベーネミュンデ侯爵夫人とコルプト子爵を押さえつけるためでしょう。グレーザー宮廷医からの手紙でその必要があると御二方は判断したのだと思います」
「……」
あの二人、陛下御不例より密接に繋がっている。襲撃されたヴァレンシュタインを救出したのがリヒテンラーデ侯だった、少佐の言う事は十分に可能性が有る。おそらくは妙に噂が捻じ曲がったのでその善後策を検討した、そんなところか。だが侯爵夫人達にとっては自分達を始末するための打ち合わせ、そう見えたのだろう。それで襲いかかった。
「しかし噂は膨らんだな。尾ひれはひれが付いた、そういう事かな、少佐」
「いえ、偶然ではなく何者かが故意にヴァレンシュタイン中将を結びつけた、そしてそこに皇帝の闇の左手を付け加える事でベーネミュンデ侯爵夫人とコルプト子爵を追い詰め暴発させたのではないか。情報部ではその可能性を探りました。少々鮮やか過ぎます」
「うむ、あの二人を暴発させるために仕組んだ、そういう事か」
「或いはヴァレンシュタイン中将を謀殺するために故意に噂を捻じ曲げたかです」
「なるほど、有り得る話だな。あの男も敵が多い」
情報部というが気付いたのはこの若者かもしれん。自分の名前を出すとヘルトリングが嫉妬すると思ったか。だとすればなかなか使えそうな男だ。
「噂の出所を追いますと一人の人物に行きつきました。オスカー・フォン・ロイエンタール少将です」
「ロイエンタール? ……待て、少佐。その名前は……」
私が問い掛けると少佐が頷いた。
「はい、ロイエンタール少将はヴァレンシュタイン中将の推薦でミューゼル大将閣下の下に配属され分艦隊司令官を務めています」
「そうだ、確かミッターマイヤー少将を助けるためにヴァレンシュタインに助けを求めた、そうだったな」
「はい、その通りです」
思わず唸り声が出た。ヘルトリングが得意げな表情をしたのが不愉快だったがそれ以上に驚きが有った。そんな事が有るのか、事実ならあの事件の真の狙いはヴァレンシュタインの謀殺、侯爵夫人とコルプト子爵は利用されただけとなるが……。
「間違いないのか」
「間違いありません」
その言葉にもう一度唸り声が出た。思わず“信じられん”と声に出していた。
「その噂だがミューゼル大将の指示によるものと思うか、それともロイエンタール少将の独断だと思うか、卿らは如何考えている」
もう少しで卿と少佐に問い掛けるところだった。多少はヘルトリングの面子も立ててやらんと。それにシュミードリン少佐の立場もある、上官の顔を潰しては後々やり辛かろう。……なんで私がそんな事を心配しなければならんのだ! やはりヘルトリングは異動だ。上官に不自由な思いをさせる、その一点だけでも正当な異動の理由になる!
シュミードリン少佐がヘルトリングに視線を向けた。ヘルトリングの立場を慮っての事か。多少は話に参加させないと拙いという事だな。
「ミューゼル大将の指示によるものと判断しています」
「情報部長、卿がそう判断した理由は」
多少声を厳しくした。如何する? 少佐に振るか、それとも自分で答えるか。
「噂が流れる前ですがヴァレンシュタイン中将がミューゼル大将の司令部を訪ねているそうです」
「それで?」
自分で答えたか、少しはまともな所も有るようだな、褒めてやろう。だが後を続けられるかな?
「事はグリューネワルト伯爵夫人の安全に関わりますから突き詰めればミューゼル大将の将来にも関わります。おそらくは事前に噂を流す事の了承を取ろうとした、そういう事では有りますまいか。或いはこの一件は自分とリヒテンラーデ侯で片付ける、だから関わるなと釘を刺したとも取れます。変に介入され混乱するのを恐れた……」
そんなところだろうな、合格点をやるか。いや、待て。
「なるほど、それで」
「もしミューゼル大将がそれに同意したとするとロイエンタール少将はミューゼル大将、ヴァレンシュタイン中将の二人を敵に回す事になります。貴族達がロイエンタール少将、ミッターマイヤー少将に面白く無い感情を持っている今、そのような事をするでしょうか?」
取り敢えず次の人事異動での転出は無しとしよう、もう少し様子を見るか。
「すれば味方が居なくなるな、一少将の身では生き残れん。となるとミューゼルは一旦ヴァレンシュタインの要請を受け入れた後、それを反故にした。ロイエンタールに噂を捻じ曲げるように命じた、そんなところか」
「おそらくは」
ヘルトリングが重々しく頷いた。少し演技過剰だ、上司の前ではもう少し控えめにしろ。シュミードリンは小さく頷くだけだったぞ。
「ヴァレンシュタインはその事を知っていると思うか?」
此処が一番肝心なところだ、何処まで調べた?
「シュミードリン少佐の調べによればヴァレンシュタイン中将は知っているとの事です。そうだな、少佐」
ヘルトリングの問い掛けに少佐は“はい”と答えた。
「事件後ですがヴァレンシュタイン中将はミューゼル艦隊の司令部を訪ねています。但し、ミューゼル提督が居ない時を見計らってです」
「……それは、意味深だな」
「はい、そして中将は参謀長のケスラー少将、そしてロイエンタール少将と会っています」
「なるほど、益々意味深だ」
事実確認をした、少佐はそう判断している。同感だな、となると問題は今後の動きだな。
「他に報告は?」
「いえ、現状では特に有りません」
「……」
「この後の御指示を頂きたいと思います」
当たり前の事を聞くな! こいつは状況が分かっておらん! やはり転出させるか。
「ヴァレンシュタイン、ミューゼルの二人から目を離すな。どんな些細な事でも動きが有れば報告しろ、以上だ」
二人が“はっ”と答え敬礼して部屋を出て行った。全く、あの阿呆、使えそうで使えん。苛々する。
ヘルトリングは何も分かっておらん。分かっていれば指示を頂きたい等という事は有り得ない。おそらくは私がヴァレンシュタインに不快感を抱いている、ミューゼルに不快感を抱いている、その程度の認識なのだろう。個人レベルの嫌悪、そう思っているに違いない。確かにあの二人には面白くない感情は有る。特にヴァレンシュタイン、あれには手酷く顔を潰された。
だがそれだけであの二人を敵視しているのではないのだ。ミューゼルは危険だ、ヴァレンシュタインも危険だ。それ以上に両者の連携は危険だ。いずれ簒奪を目指すのではないかと思われる野心家とそれを支える政戦両略に有能な参謀。これが危険でなくて何が危険だと言うのだ? ヘルトリングはそれが分かっていない。
そして帝国はかつてない危機的な状況にある。皇帝フリードリヒ四世陛下の健康状態は良くなく後継者問題で帝国は揺れている。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、リヒテンラーデ侯、三者が三竦みの状態で睨み合う中で当然だが軍の存在、影響力は極めて大きいものになった。その特殊な状況下であの小僧が軍内に力を伸ばしてきた。そして誰もがそれを認めざるを得ない状況になっている。ミューゼルに宇宙艦隊を掌握させれば簒奪への道筋を作るのは必ずしも難しくは有るまい。武勲を上げさせれば良いだけだ。そして認めたくない事だがミューゼルにはそれを為すだけの器量が有るようだ。
あの小僧、そのためにミューゼルをミュッケンベルガーに推薦しケスラー達有能な男達(特に彼らが下級貴族、平民というところが重要だ。彼らは既得権力階級ではない、簒奪に容易に賛成するだろう)を配下に押し込んだと見ていたが……。どうやら両者の間には溝が有るようだな。最初から殺すつもりだったとは思えん。階級は下でも実力は同等以上、その事にミューゼルが反発したのだろう。その溝が思いもかけぬ事件を引き起こした。
さてヴァレンシュタインはどう動く。真相を知ったようだが知らぬ振りで通すかな。それとも切り捨てにかかるか。外見は穏やかだが内面にはかなり激しいものが有るようだ。このままで済ますとも思えん。となれば何らかの動きをするはずだが……。そしてミューゼル、奴はどう動く。ヴァレンシュタインに頭を下げる事が出来るのか、関係修復を図れるのか……。
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