約束
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第二章
第二章
「親父かよ」
「ああ」
俺はお袋似だとよく言われる。親父にはあまり似ていない。似ているのは髪の色位だ。その他は本当に似ちゃいない。岩石みたいな顔をしている親父だ。
「見ないと思ったらここにいたのか」
「法事は終わってるんだろう?」
「まあな。まあどれだけ飲んでもいいんだが」
「悪い、飲み過ぎた」
俺はそう言いながら起き上がった。
「何か里恵と話してたんだけどな。何の話だったかな」
「里恵ちゃんならまだうちにいるぞ」
「いるのかよ」
「やけに機嫌がいいがどうしたんだ?酒でもやったのか?」
「酒!?」
俺はまだ酔いが回ってどうしようもない頭で俺は考えた。
「一応勧めた記憶はあるけれどな」
「おい」
未成年に勧めたことを咎められた。
「幾ら何でも。しかも制服を着ている相手に」
「けれどあいつは飲まなかったぜ」
「そうなのか」
「確かな」
それはまだ覚えていた。
「林檎のジュースか何か飲んでたぜ」
「そうか、ならいいんだがな」
「で、あいつ機嫌がいいって?」
「うむ」
「何でなんだろうな」
「こっちこそそれを御前に聞きたいと思ったんだがな」
「俺にはわかりゃしねえよ」
本当に聞いたことを忘れちまっていた。
「あいつのことなんて」
「そうか」
「まあ何か他にいいことがあったんだろ」
そう思うだけだった。
「特に気にすることないんじゃねえか?どうせ大したことじゃねえしよ」
「じゃあいい。悪かったな、起こして」
「いや、いいよ」
酔い潰れてる方も問題があるのはわかっていた。
「こっちも飲み過ぎちまってるし。それでな」
「ああ」
「とりあえず酔いは醒ますから。それから叔母さんにも挨拶するから」
「早くしろよ」
「とりあえずシャワーでも浴びてくる」
「ああ、それですっきりして来い」
それで俺は頭から冷たいシャワーを浴びて頭をすっくりさせた。ついでにさっきの理恵との話も綺麗に忘れた。その日はそのまま別れた。これで何も無い筈だった。
それから二年経った。俺も何とか就職と卒業が決まりほっとしていた時期だった。またあいつが家にやって来た。今度は一人だった。
「そういや御前も卒業決まったんだよな」
「うん」
里恵は明るい声で頷いた。その時は親父もお袋も家にいなくて俺一人だった。俺は里恵をリビングに案内してソファーに腰掛けて話を聞いていた。この時はたまたま酒もなくてサイダーを飲んでいた。
「何とかね」
「何とかって言っていいのかよ」
俺はその言葉に口の端で苦笑いを浮かべて応えた。
「大学に受かったそうじゃねえか。それも推薦で」
「知ってたの?」
「お袋が電話でな。話してたのを聞いたのさ」
「そうだったの」
「それも結構いい大学じゃねえか。このままいったら将来は安泰だな」
「そうね」
里恵はにこにこと笑いながら頷いた。
「相手もいるし」
「相手!?」
「うん」
やっぱりにこにことしたまま答える。
「約束、覚えてるかな」
「何の約束だよ」
「ってとぼけちゃって」
「とぼけてる!?俺が!?」
「そうよ。ほら、私が十歳の時」
「十歳の時」
「それで高校入った時。覚えてるわよね」
「御前が十歳の時って」
言われながら頭の中で俺の歳と合わせて計算した。
「俺が中二の時だよな」
「それで二年前は」
「俺は二十歳だ」
「その時言ったじゃない」
「俺が!?」
「相手が働いている時に。結婚すればいいって」
「おい、待てよ」
何かやばい雰囲気だった。
「それって俺が御前と」
「そうだよ。結婚しない?」
「って従兄妹同士でか」
「従兄妹同士でも結婚出来るよ」
「俺と御前がそんなの言ってもな」
「うちのお父さんとお母さんはいいって言ってたよ」
何時の間に。それを聞いて顎が外れそうになった。
「なっ」
「あとはお兄ちゃんの方だけだけどそっちはどうとでもなるよね」
俺の親父もお袋も早く結婚しろとは言うが相手はどうしようもない女じゃなきゃいいって考えだ。ましてやこいつは俺の親にも受けがいい。よくいいお嫁さんになるとまで褒めちぎってやがる。それで向こうの親が話をしたらどうなるか。もう言うまでもないことだった。
「何てこった」
「紙はまだ持って来てないけれど」
「それを言いに来たのか」
「私じゃ駄目かな」
里恵は身を乗り出して俺に尋ねてきた。
「ずっと。何年も待ってたんだし」
俺の目を見て言ってきやがる。それは反則だと思った。目を見られて断ることが出来る奴はそうはいない。ましてや俺みたいにそれ程女を知らない奴にやったら。負けるに決まっている。
「お料理とかお洗濯も出来るし」
「断るなってことだよな」
せめてもの反抗だった。こう言ってやった。
「別にそんなのじゃないけど」
「俺に断る理由もねえしな」
「えっ!?」
それを聞いて思わず顔をあげた。その時の顔は多分一生忘れないだろう。
「それってつまり」
「俺なんかでもいいんだよな」
俺はこう問うてやった。
「俺でも。どうなんだよ」
「お酒・・・・・・入ってないよね」
「サイダーを酒って呼ぶんなら入ってるぜ」
「それじゃあ」
「いいよ、それで」
俺は言った。
「俺の方だってよ。そこまで想われてたらよ。悪い気もしねえし」
「いいんだよね」
「何度も言わねえぜ」
俺はまた繰り返した。
「俺の方こそ。宜しくな」
「うん」
その時里恵は本当に明るい笑顔になった。太陽みたいに明るいって言えば大袈裟だが本当に明るい笑顔だった。その笑顔が全てを決めちまった。
こうして俺は約束を果たした。そして結婚して今に至る。今じゃ里恵も大学を卒業して俺の側にいる。
「今日も早く帰ってよね」
「仕事次第だな」
朝家を出る時にこう答えた。
「けど、なるべく早く帰られるようにはするけれどよ」
「お願いね」
そう言う顔はあの時の顔と同じだった。あれから何年も経っているのに子供の頃の表情がそのまま残っていた。
「待ってるから」
「ああ」
そして俺は仕事に向かった。今日もやってやる。あいつの為に。
「もう一つ約束があるんだけれど」
「今度は何だよ」
俺は向かおうとする足を止めて尋ねた。
「子供・・・・・・だけれど」
「ああ、そのうちな」
俺はこう言葉を返した。
「こればっかりはそうそう簡単には出て来たりしねえからな」
何時までも変わらない子供のままだった。けれどそんなこいつだから俺は結婚した。
約束を覚えていたのは里恵だった。けれどそれを守ったのは俺だ。守らされたと言ってもいいかも知れない。けれどそれでもよかった。少なくとも悪い気はしなかった。
約束 完
2006・5・1
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