その魂に祝福を
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魔石の時代
序章
ある家族の肖像
前書き
ソウルサクリファイス デルタED後の読み手が主人公です。
供物魔法に関しても設定に変更がありますが、それは追々作中にて。
とりあえず、今作では追尾弾が基本的に砲撃魔法と同じような扱いです。
あと、空も飛べます。
1
「この子を救ってやって欲しい」
一体どうやって自分の居場所を掴んだのか。ずいぶんと久しぶりに姿を見せた妹は、唐突にそう言った。
「その子は?」
妹には娘がいる。その子は――今は、自分の娘として妻と共に家にいるはずだった。そ
れに、おそらく今彼女が抱きかかえているのは少年だろう。黒革のコートに包まれ、はっ
きりとは分からないが。
「ただの馬鹿野郎だ」
抱きかかえたその子を突き出しながら、妹は吐き捨てた。
だが、酷く優しい目をしていた。
そんなものは、『あの日』を最後に、永遠に失われてしまった。そう思っていた。
だからだろうか。その子を受け取るのを躊躇ったのは。
いや――それは詭弁だろう。
「血の匂いがする」
黒革のコートに包まれた――いや、全身包帯まみれのその子からは、はっきりと血の匂
いを感じた。意識はないようだったが、時々痛みに呼吸を引き攣らせるのが分かる。
火傷だろう。長年の経験がそんな事を囁いた。
「そうだろうな。私の……相棒だった」
その言葉に驚きを覚えた。妹が今何をしているのか、それを知っているからだ。
「こんな子どもをか!?」
思わず声を荒げていた。
その子はどう見ても一〇歳に満たない。妹の娘よりも、まだ年下だろう。
それを、殺し合いに巻き込んだというのか。拳に力が入るのを感じた。
それもまた詭弁だった。
たった一人の妹に、全ての業を押し付けた自分が言える事ではない。そんな事は分って
いた。だが、拳から力が抜けたのは、別の理由だった。
「その子が起きたら、渡して欲しい」
差し出されたのは、手紙とひと振りの古びた短刀だった。見覚えがある。
それは妹が嫁ぐ際に身に付けた、守り刀だった。
「美沙斗!」
気を取られすぎたらしい。気付けば、妹はすでにいなかった。
あとに残されたのは、相棒だったらしい少年と、彼に充てられた手紙。短刀。
そして、妹の涙の跡だけだった。
2
その少年の火傷は、明らかに異様だった。全身隈なく焼け爛れている。言うまでも無く
確実な致命傷だ。だが、少年は生きていた。しかも、回復の兆しさえみられるという。
火傷の原因も回復できる理由も全く見当もつかないが、何にしろ真っ当な状態ではない。身元を証明するものが何一つ存在しないと言うのも厄介だった。だと言うのに、何も聞かず病院の手配してくれた親友には感謝してもしきれない。もっとも――
「ボディガードとしては失格か……」
貸し与えられた客室に戻ってから思わず呻いた。護衛対象の手を煩わせるようではボディガードは失格だと言わざるを得ない。
『よう、どうしたシケた面して?』
げらげらとした笑い声と共に、男とも女ともつかない――いや、両者が重なり合った声がした。気分が余計に陰鬱に傾いていくのを感じる。
そもそもこんなものと出くわしてしまった時点で、今回の仕事は平穏無事とは言えそうにもない。
『うるせえな。おっさんの下着まみれにされてじっとしてられるかよ』
勝手に出てくるなと言ったはずだ。告げると、それはそう答えた。
『それより、今日は何人殺ったんだ? 真新しい血の匂いがするぜ』
殺していない。怪我人の介護をしただけだ。短く吐き捨てると、それをひっつかみタオルやシャツでぐるぐる巻きにする。
『おい! だからもっと丁重に扱えって――いや、待て。この血の匂い……』
何か言いかけたが、構わず鞄の奥深くにねじ込む。なおも騒ぐそれを鞄ごとクローゼットに放り込んだ。何ならこのまま鞄ごと捨てても構うまい。……もっとも、本当に捨ててしまえば騒ぎになるだろうが。
「あの少年は後で考えるとして……」
頭痛の種は増える一方だ――思わず吐き捨てそうになった。いつになく攻撃的な気分だった。妹との再会は思った以上に自分に衝撃を与えていたらしい。ため息をつき、頭を冷やしてから呻く。
「この本はどうするかな? まさか持って帰る訳にもいかないだろう」
そう。今まで騒いでいたのは一冊の本だった。
……――
『オイ、そこのオマエ』
それを手に入れたのは――出くわしたのは、妻への土産を見つくろおうと入った、近くの街の古びた骨董店だった。その片隅、埃をかぶった棚に、それは置かれていた。
『オマエだよオマエ。どこ見てんだ』
気のせいだと思おうとした。だが、他に誰もいない。それ以外には。
『血の匂いがする。オマエみたいな人間を探してたんだ』
ぎょろぎょろとして、大きさの違う左右の眼。牙の並ぶ口。おおよそ悪趣味なデザインの本だった。まして、それが言葉を話すなど、悪い夢としか言いようがない。
『決めたぜ。次の持ち主はオマエだ』
困惑する自分を他所に、それは相棒を探していると言った。
(こんな化け物の相棒……?)
それは一体どんな狂人だ。それが偽らざる本音だった。
自分はすでに殺し合いからは手を引いている。そんなものとは関わりたくはない。
告げるが、結局は根負けした。この本は思った以上に弁が立つ。
せめてもの慰めは、大した値ではなかったことくらいだろう。
『ったく、どいつもこいつも二束三文で買い叩きやがって』
紙袋の中で、それが毒づくのが聞こえた。
『これでも昔は、オレを狙って殺し合いまで起こったくらいなんだぜ? まぁ、結局誰にも読みとけなかったけどな! ヒャハハハハハ!』
それはそんな事を言うが、この本がどこから来たものなのか、店主自身にも分らないらしい。気付いたら店にあったと言っていた。よくもまぁ、今まで捨てられなかったものだ。そう思わずにいられない。
『オレの中身に興味があるのか?』
部屋に戻ってから、それを取りだした。改めて触ってみれば、素材は表紙は革、頁は羊皮紙のようにも感じた――が、実は人の皮だと言われたところで驚きはしなかっただろう。好き好んで確認もしなかったが。
『まぁ、ただ読むくらいなら良いけどな。本気で読み解こうとするなら、それなりに覚悟をするんだな』
その本の内容は――物語のようだった。
黒く塗りつぶされた箇所が多く、断片でしか理解できないが、魔法使いが活躍する物語のようだ。だが、娘達に読み聞かせるような夢のある話ではない。
見た目にふさわしく、血にまみれた殺し合いが淡々と、そして延々と綴られていた。
いや――これは、物語ではないのかもしれない。表紙の裏側にはこう書かれていた。
『この日記を捧げる――いずれ必ずこの空と大地の間へと還る、次の自分へ』
3
「すまない。桃子」
その瞬間に、思い浮かんだのはその言葉だった。
親友である上院議員を狙ったテロ。ボディガードをしていた自分は、犯人を鎮圧した直後に発生した爆発に巻き込まれた。
それも仕事のうちだ。覚悟はしていた。
親友が、救急隊員や医者に――そして、自分に何かを叫んでいるのは分かった。
だが、それ以上にはっきりと分かっていたのは、自分が死ぬであろうと言う事だった。
生と死の狭間を行きつ戻りつしながら、ぼんやりと医者や看護師の声を聞く。妻たちが来るまでの延命が精一杯であるらしい。
ありがたいと思う。覚悟はしていたが、未練がない訳ではない。
最期に妻たちに会えるなら――それは感謝すべき事だろう。それまでは死ぬわけにいかない。まぁ、もっとも……
すでに死んでいるのか、それともまだ生きているのか自分でも分からなかったが。
それでも必死に、この世界にしがみつき続ける。まだ、まだ。まだ死ねない。せめて最期にひと目、彼女達に。その執念だけが、自分の心臓を動かし続けていた。
「――――」
生死の狭間……地獄の入口あたりで、妻の声を聞いた気がした。返事を返す事はおろ
か、眼を開く事も出来そうにない。だが、彼女が泣いていることくらいは分かった。
せめて一言、何かを伝えたかったが――それだけの力も残されていないらしい。あがききった先に待っていたのは、やはり未練だった。
「すまない。少しいいだろうか?」
未練と共に地獄の門をくぐる直前、そんな声を聞いた。
……――
「一体、何を……?」
妻の声で目が覚めた。相変わらず身体は酷く痛むが――どうした事か。
地獄から引きずり戻されたらしい。それとも、追い出されたのか。
少なくとも、死に損なったのは間違いないようだ。
「心配しなくていい。この男は死なないし、俺の用事はすぐに済む。それほど時間は取らせないし、それが終われば俺は二度と姿を見せない」
はっきりと眼を開くと、病室には妻の他にもう一人の人影があった。
「君は……」
赤い文様が刻まれた黒い大きな外套。それには見覚えがあった。
妹から託されたあの少年が包まれていたものだ。
「相棒……御神美沙斗はどこにいる?」
鼻先まで覆うフードの向こうから、その少年は、酷く大人びた口調で問いかけてきた。
妹ならここにはいない。何とかそう答えると、その子は重ねて聞いてきた。
「どこにいる?」
追いかける気か?――自分も、その質問に訊き返す。
「当たり前だ」
何の迷いも無かった。そのまま、その子は最後の質問を投げかけてきた。
「相棒は今、どこにいる?」
分からない。君を預けてどこかに消えてしまった。告げると、舌打ちが聞こえた。
「あの薄情者め……」
忌々しそうに毒づいてから――その子は自嘲した。
「だが、この様じゃ仕方がないか……」
言われてようやく思い出した。その子は命に関わるほど酷い火傷を負っていたはずだ。
「火傷の事で、今のアンタにとやかく言われる筋合いはないな」
その子は笑ったようだった。乾いた皮肉と共に。
「まぁ、いい。自分で探す。邪魔をしたな」
待ってくれ!――病室を出て行こうとする少年に向けて、精一杯の叫び声をあげる。
呼び止めてから、呻く。俺の荷物は、どこにある?
「今すぐ届けてくれるって」
親友に連絡を入れてくれた妻が言った。
実際、すぐに荷物は届いた。さすがに親友は忙しいらしく、届けてくれたのは別の人間だったが。それは仕方がない。死人に付き合っていられるほど彼は暇な身分ではない。
「見舞いならあとでゆっくり受ければいい」
それまで無言で部屋の片隅に座っていた少年が言った。引き止めた事で、少し苛立っているのかもしれない。
その荷物を開けてくれ。鞄の一つを指差し、妻に頼む。だが、腕が酷く震えていたせいだろう。妻が開けたのは自分が示した鞄ではなく、その隣の鞄だった。あるいは、それこそが運命とやらの誘いだったのかもしれないが。
『だからテメエはもっと丁重に扱えって言ってるだろうが、このバカ野郎!』
その罵声に、妻の悲鳴が重なる。そう言えば、その本の事を忘れていた。
『ったく……って、お?』
その本は、少年を見て眼を瞬かせ――そして、言った。
『間違いねえ。久しぶりだな、相棒。オレの事覚えてるか?』
4
「思い出した」
その本を数ページめくってから、その子は呟いた。
『そいつはよかった。それじゃ、改めて。久しぶりだな、相棒』
「ああ、久しぶりだな。リブロム」
どうやら、本当にその子は、その本――『偽典リブロム』の相棒だったらしい。
『つーか、テメエ。今までどこほっつき歩いていやがったんだ? その間こっちは、燃やされそうになるわ二束三文で叩き売られるはおっさんの下着まみれにされるわで大変だったんだぜ』
「そいつは悪かったな。こっちも色々と事情があったんだ」
その子は小さく笑って、言った。
「取りあえず感動の再会だ。涙の一つも見せてくれないか?」
毒づくリブロムの、その眼から、その子は光輝く何かをすくいあげる。
そして、それをどこかのページに振りかけた。
「これでいい」
言って、その子は顔の包帯をむしり取った。
思わず言葉を失った。あれほど酷い火傷が、跡も残さず消え去っている。
黒髪に、黒い瞳。年の頃なら、精々十歳程度。幼いその顔には、それに似つかわしくない寂寞とした達観があった。そこで初めて実感を得る。なるほど、確かにこの子は妹の相棒だったのだ。この子なら、確かにそれが務まる。
その子はそのまま残りの包帯をはぎ取る。だが、奇妙な刻印が刻まれた右腕の包帯だけは解かなかった。おそらく、普段から身に着けていたのだろう。
『オレのありがたみが分かったか?』
「ああ、改めて痛感した」
言い合ってから、その子はこちらに向かって一礼した。
「感謝する。お陰で相棒と……もう一人の相棒と再会できた」
『もう一人? 何だ、誰かいんのか?』
こちらが何か言う前に、リブロムが言った。
「ああ。今回もまた、大したバカ野郎だよ。女だけどな」
『オマエよりもか?』
「かもな」
『そりゃ性質が悪りぃな。しかもまた女かよ。オマエの女運の悪さも大概だな』
「きっと先代から受け継がれてるんだろ」
口々に言い合い、その子たちは病室を出て行こうとする。
待ってくれ! 慌てて呼び止める。渡したかったのはそれではない。妻に手伝ってもらいながら、妹の手紙と短刀を引っ張り出す。
「これは?」
妹からの手紙だと告げると、その子は困惑したようだった。問いかける様にこちらを見つめてきた。視線だけで読むように促す。
妹の手紙には、封はされていなかった。それを免罪符に、自分も中身に目を通していた。あるいは、それを望んでいたのかもしれない。
その手紙には、巻き込んでしまったことへの後悔と、甘えてしまった事への謝罪が書き連ねられていた。
そう。甘えていたと、妹の手紙には書かれていた。妹の孤独は、彼が癒していたのだ。
そして、手紙の最後には、こう書かれていた。
『信じてもらえないかもしれないが、愛していたよ。息子として』
5
それからしばらくして、ようやく自分は故郷へと帰る事が出来た。もっとも、文字通り死にかけた身だ。家へと帰るにはまだかかる。妻や息子、娘たちにはまだ迷惑をかける事になるだろう。長男など、妙に気負ってしまって日がな一日道場に籠っているらしい。妻の店もようやく軌道に乗り、徐々に忙しくなってしまっているそうだ。妻と長女は、そちらにかかりきりだという。ありがたい話ではあるが、心配事もある。もちろん、三人の体の事もそうだが、まだ幼い末の娘だ。寂しい思いをしていなければいいが。
とはいえ、そちらもそこまで心配はあるまい。
「そう思うなら、恭也をどうにかしろ。あれじゃそのうちあっちも身体を壊すぞ」
妹の息子であり、我が家の次男であり――妻と二人がかりで口説き落とし、連れ帰った命の恩人がぼやく。その子を連れて帰った時の、息子たちの顔は見ものだったが。
その膝の上では、末の娘が眠っていた。つい先ほどまで話していたのだが、疲れて眠ってしまったらしい。ずいぶんと仲がよくなっているようだ。
そうだな。早く退院するさ。笑ってみせると、その子は肩をすくめて言った。
「待っている」
程なくして末の娘が眼を覚まし、息子たちは帰って行った。改めて、ずいぶんと仲が良くなったものだ。手をつなぎ歩く後ろ姿を窓から見送りながら、そう思う。だが、長男にしろ長女にしろまだいくらか思うところがあるらしい。やはり、妹の『息子』と言うのが原因だろう。特に美由紀にとってはなおさらだ。あの子は、妹の娘なのだから。
「早いところ帰ってやらないとな」
小さくなる二人の背中を見送り、呟く。
これでも俺は――高町士郎は我が家の大黒柱のつもりだった。だから、その役目を果たすためにも、いつまでもこんなところでのんびり寝ている訳にはいかない。
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