少女1人>リリカルマジカル
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第五十三話 思春期⑦
『お母上よ、ヴィンヴィンを本当に1人にしてよかったのか?』
「そうね、……たぶん駄目だと思うわ」
「にゃ…」
アリシアたちが去った病院の中。イーリスに簡単に事情を話し、残ったプレシアたちは待合室で座って待っていた。女性と猫と本という、異色の組み合わせ。普段の生活でも、このメンバーだけが揃うのは珍しかった。
プレシアがそこまで焦燥感にかられなかったのは、子どもたち2人のパニックっぷりに逆に冷静になってしまったことがあげられる。彼女は端末から送られるコーラルからの報告と、アルヴィンに悟られないように放ったサーチャーの反応を確認しながら、病院で連絡を待っていた。
もし子どもたちに危険があれば、すぐにでも向かえるように転移魔法と攻撃魔法の準備は怠らない。無断での魔法の使用は咎められるかもしれないが、彼女にとってみれば些細な問題である。正当防衛っていい言葉。複数の情報を同時に処理しながら、プレシアはリニスを膝の上に乗せ、ブーフと会話をしていた。
「あの子って、変なところは私にそっくりよね…。なんでも1人で抱え込もうとして、周りと距離を置いてしまって、どんどん悪い方に転がっていきそうなところなんて」
『……ふむ。それは、ヴィンヴィンを1人にしたらまずいということでは?』
「一度、落ち着かせる必要があったのは事実よ。考える時間が必要なのは、アルヴィンとアリシアの2人でしょうから」
プレシア自身も思案した表情を浮かべながら、リニスの毛を優しく撫でる。1人になりたい、と頼んできた息子に不安がなかったわけではない。だが、混乱中に無理やり聞き出すやり方は逆効果になりかねなかった。ならばまずは、アルヴィンの中で考えをまとめさせ、その後できちんと話をしようと思ったのだ。
「あの子が考えたことを尊重しながら、正していく必要があるわね。アルヴィンは、意地っ張りなところがあるから」
『何故、そのような手順を? ヴィンヴィンは、……己の大切な人に少し似ている。あの方は昔から、悩まれても、誰にも……己にも本心を打ち明けてはくれなかった。ずっと笑っていらっしゃった。ヴィンヴィンも、話してくれぬかもしれん』
アルヴィンと同じ、癖のある黒髪を持っていた主。ヴェルターブーフのマスターは、ものすごい人見知りだった。気に入った相手には人懐っこい反応を返していたが、根っこは臆病で。優しくて。人を傷つけてしまうことを、人に拒絶されることを、何よりも恐れていた。
『なぁ、ヴェルター。こないな私でも、一緒にいてくれるような人がいつか―――』
戦闘や技術者としては、周りに恐れを抱かせるほどの実力者。なのにそれ以外の側面は、残念さが際立っていた。その所為かどこか自信がなく、己の力の大きさに押しつぶされそうになっていた。それでも、ブーフのマスターは笑っていた。寂しそうに微笑み続けた。
そんな潰れそうだった主を受け入れてくれた、『あの者』が現れ、それに感謝と寂しさと、そして―――
「ブーフ?」
『―――すまん、なんでもない。その時は、どうされるのだ?』
「大丈夫よ。その時は、リニスに喝を入れてもらえばいいわ」
「うにゃん」
シュッシュッ、と猫パンチを繰り出す姉御。プレシアの笑みを見て、ブーフは甦った記録との違いを感じ、思考を止める。アルヴィンとマスターは違う。揺れる黒髪と笑顔が似ていようと、違うのだ。少なくとも、アルヴィンには弱さを受け入れてくれる人間がちゃんといる。背中を押してくれる存在がいるのだから。
次に思考を開始した時には、先ほどまで思い出していたはずの記録がわからなくなっていた。己は、何を考えていた? と曖昧になった記録中枢に疑問を持つ。まるで霞がかかったように、隠されてしまったような感覚だった。
「―――あら」
突然あがったプレシアの驚く声に、リニスとブーフは意識をそちらに向けた。
「にゃー」
「ふふ、ごめんなさいね。アルヴィンの方は、どうやら大丈夫みたいだわ」
サーチャーが映し出した光景を、プレシアは微笑ましげに見る。アルヴィンがナチュラルに奇行に走ったときはどうしようかと思ったが、それはそれ。そっと目を逸らしてあげた。さすがに盗み聞きをするつもりはなかったため、表情しかわからないが、この様子なら大丈夫だと安堵が胸に広がる。リニスとブーフにも見えるように視覚化させ、映像として見せた。
それにリニスは、小さく鼻を鳴らすと、欠伸をしてプレシアの膝の上から降りた。まったく手がかかるんだから、と肩を竦めるように身体をふるわせた。ブーフはアルヴィンとエイカの様子に、どこか既視感を感じながらも、心を占めるのは嬉しさだった。
「……行きましょうか。アルヴィンと合流して、アリシアを迎えに」
「にゃう」
『ふむ』
コーラルから届いた連絡に、プレシアは一度目を瞑り、スッと立ち上がった。それに、腰まで伸びた黒髪が宙へと流れる。迷いのない足で、彼女たちは出口へと歩みを進めた。
******
「ひっく、うぅ…」
アリシアは服の袖で涙を拭きながら、街を歩いていた。塗りつぶされたような思考と、足の裏の痛みが、彼女の足を止めようとしていた。いくら整備されている道とはいえ、裸足で走り続けることはできない。拭いても拭いても溢れてくる涙が、アリシアの気力を削っていた。
人通りがなくてよかった、とアリシアは腕で目元をさすりながら思う。誰かいれば、間違いなく心配をかけてしまっていた。でも今なら、どれだけ声を枯らして泣いても大丈夫かもしれない。そんな風に考えても、彼女は黙々と涙を拭き続ける。涙と一緒に、もっと別の何かも流れ出してしまいそうで、それが怖かった。
「お母さん…、お兄ちゃん……」
そして、どうしようもなく、寂しかった。時間が彼女から、落ち着きを取り戻させていた。温かかった家族の仲を、自分のわがままが壊してしまったかもしれない。嫌われてしまったかもしれない恐怖。どうして隠せなかったのか、抑えられなかったのか、と自己嫌悪が広がる。
アリシアに自我が芽生えたころから、彼女は一度も不満を口にしなかった。それを飲み込み、昇華することができたのは、彼女の生来の性格と、周りの優しさ。彼女が真っ直ぐに育つことができた、大切な要素。だがそれは同時に、アリシアに負の感情の扱い方を授ける機会がなかったことと同じだった。
アリシアにとって、負の感情は「悪いこと」と直結していた。立派な姉になる、と努力してきた彼女は、「良いこと」を絶対視していたのだ。行動だけでなく、自分の考えですら、アリシアは負の思いを封印し続けた。それが正しいと、ずっと思っていた。
それが崩れてしまった今、アリシアには「自分」がわからなかった。何をしたいのか、何をするべきなのか、何もわからなかったのだ。
「ねぇね…!」
「……ぁ」
だから、後方から聞こえてきた声と姿に、アリシアは蒼白になった。彼女にはもう走る体力はない。今にも倒れ込んでしまいそうな自分には、もう妹から逃げ出すことはできない。向き合わなくてはならない。「自分」すら見失ってしまっている自身が、ウィンクルムに何をするかがわからなかった。
その思いが、アリシアの足を動かした。すぐに捕まると理解していても、少しでもその時間を伸ばしたいと足掻いてしまう。涙に濡れた顔を俯かせ、ただ前へと駆け出した。
そして、それは起こった。
「えっ、待ッ―――ごほォッ!!」
「ッ、……? うえぇッ!?」
「ね、ねぇねーー!」
『……相変わらず、タイミングが悪いと言いますか、お約束と言いますか』
アリシアはウィンクルムに集中していたため、実は前方から人が走ってきていたことに気づかなかった。その人物はアリシアを見つけ、急いで向かっていたのだが、突然走り出した少女に見事に鳩尾をクリティカルヒットされた。
子どものタックルに、身体をくの字にして吹き飛ぶ男性。一応フォローするのなら、アリシアが怪我をしない様に、咄嗟に魔法ですべての衝撃を自身で受け止めたのだ。それでも子どものタックルを避けられないことや、その衝撃で吹き飛んでしまうことには目を瞑ってあげてほしい。キノコが生えそう、と息子に心配されるぐらい軟じゃ……研究熱心なお方なのだ。
「―――がふッ」
「わぁぁあぁッ! 頭から打ったぁーー!」
「ねぇね、落ち着いてッ! こういう時は、えっと、えっと、じ、じんこぉーこきゅーー!」
『ウィンクルム様。見た目3歳児がそれをやったら、社会的に止めを刺します』
受け身すら取れない男性に、コーラルは冷静だった。頭ばかりに栄養がいって、身体能力は置き去りになったような人物だが、耐久力は何故か高いことを知っていたからだ。妻からの調きょ……、愛、そう愛を耐え抜き、息子の空中突撃すら数分で復活する。
出会いがしらに突撃されるのは、もはや彼の宿命なのかもしれない。息子並みにシリアスをブレイクする父親に、血縁ってすごい、とコーラルはこっそり思う。アリシアは全く気付いていないが、6年ぶりに再会する親子の場面ではなかった。
「……その、すまないね。びっくりさせてしまったようだ」
「だ、大丈夫です。私がぶつかっちゃったのが、悪いですから」
アリシアは男性の謝罪に、慌てて頭を下げる。未だに戸惑いはあれど、彼女は真っ直ぐに相手の目を見た。おそらく目元は、真っ赤になっていることだろう。それでも衝撃の出会いのおかげか、どうやっても止まらなかった涙は、止まっていた。
「おじちゃん、お腹と頭大丈夫? 痛くない?」
「おじ……、うん、大丈夫だ。私は大丈夫だよ…」
ウィンクルムの言葉に、別の意味で胸が痛くなったようだが、彼は柔らかく笑って見せる。コーラルのおかげで、お縄にならずに済んだ男性は、近くのベンチにアリシアたちと一緒に座っていた。ウィンクルムに回復魔法をかけてもらい、早めに復活したのだ。
アリシアの傷ついた足を治療しながら、ウィンクルムは彼の笑顔に首を傾げる。どこかで見たことがあるような、誰かに似ているような。明るい金色の髪と赤い瞳は、どちらかと言えば姉とそっくりである。男性はアルヴィンたちと違い、癖っ毛のないストレートな髪を、後ろで一つ括りにしていた。
『髪、随分伸びましたね。以前は肩ぐらいまででしたのに』
「あははは、切る時間がなくてね」
『作らない、の間違いでしょう。大の大人が、女の子に突撃されて、気絶はまずいのではないですか』
「吐き出すことがなかっただけ、褒めてくれてもよくないか」
『吐き出すほどの食事を、取っていないからでしょう』
うぐっ、とデバイスにいじめられている男性に、アリシアとウィンクルムは驚きに目を見開く。コーラルの口調は丁寧ながら、明らかに棘がある。機械でありながら、喜怒哀楽を表現することができるが、本気で怒っている時は機械的に淡々と怒るのだ。あの兄でさえ、この時のコーラルには逆らえなかったりする。
コーラルとこの男性は知り合いらしい。ウィンクルムは先ほど話していた協力者の存在を思い出し、話をする2人の様子に大人しく成り行きを見守ることにした。アリシアは2人の掛け合いから、かなり親しい人物らしいと考えを巡らせる。コーラルが本気で怒るのは、心配の裏返しなのを兄を見て知っているからだ。
「あの、初めまして……じゃなかったりしますか?」
「……そうだね。こんな風に直接会うのは、6年ぶりかな。プレシアたちが、クラナガンを引っ越してからは初めてになる」
プレシア、と呼んだ声にアリシアは肩を揺らす。それに彼は困ったように笑いながら、追及することはなかった。心配性のコーラルが何も行動を起こさないということは、彼はかなり信頼されている。そう思って、初対面ではないのかもしれないと考えたが、見事に当たりだったようだ。
しかし、さすがに6年前では記憶がないにも等しい。アリシアは昔、クラナガンに暮らしていたと聞いていたが、当時の記憶はまったく思い出せない。研究者のようだから、母の仕事関係の人だったのかもしれない。開発グループのみんなには、とてもかわいがってもらったのは覚えている。
そのようにアリシアは思ったのだが、何か違う気がすると男性を見ていて感じる。彼の眼差しは、どこかむず痒いのだ。懐かしいような、不思議な感覚だった。
「私は、知っているかもしれないですけど、アリシアって言います。その、お、お兄さんのことは何と呼べばいいですか?」
「名前はエルヴィオだけど、おじさん、でいいさ。思うと、お兄さんと呼ばれる年でもない。……8歳の女の子が、もうすぐ40の男をお兄さん呼びするのはちょっとまずい」
傍から見たら、幼女2人といる中年男性。しかも、幼女の1人には涙の跡があり、さらにもう1人の幼女は、油断すると汗をかいたからと服を脱ぎかけるのだ。人通りがないことに一番救われたのは、果たしてどちらだろうか。
『……エルヴィオ様、と今は呼んだ方がよろしいですか?』
「その、……頼む」
気まずそうに顔を逸らす男性に、コーラルは呆れながらも従う。アリシアに「おじさん」と呼ばせたということは、父親と名乗る気がないということだ。普段は「マイスター」と呼んでいるが、コーラルがプレシアと離婚したその夫が作った機体であることを、アリシアは知っている。
記憶にはないが、家族と繋がりがある男性に、アリシアは少し肩の力を抜いた。全然知らない相手なら、他人行儀に緊張しただろう。友人や知り合いの人なら、今の自分を見られたくなかっただろう。だが目の前にいるのは、幼い頃の自分を知っているだけという、魔法で怪我をしないように守ってくれた優しい人。
「おじさんは、どうしてここに?」
「あぁ、私はこの近くで働いていてね。休憩ついでに歩いていたら、知っている女の子が見えたんだ。泣いているようだったから、心配になってしまって」
「あっ」
アリシアは泣いていた姿を見られたことに恥ずかしくなり、顔を赤くして俯く。休憩なのに、実は全力疾走で現場に向かっていたことはなんとか隠す。体力がないのに走った所為で、めちゃくちゃ息切れを起こしていたのだが、気絶のおかげで気づかれなかった。6年前の幼児と今の姿に見分けがつくのか、と色々ツッコミどころはあったが、あわあわしていたアリシアは幸い気づかなかった。
嘘が下手なマイスターに、コーラルの内心は冷や冷やしぱなっしだったのは、仕方がないことだろう。身体があったら、きっと胃痛でももらっていたかもしれない。
「ご、ごめんなさい…」
「謝る必要はないさ。ただ……そうだね」
固くなったアリシアに、エルヴィオは小さく笑うと懐に手を入れる。カチッ、とスイッチが入った音が響き、それに少女たちは不思議そうな顔をした。すると何かが彼の服の隙間からごそごそと動き出し、次には驚きと感動が広がった。
「うわぁー!」
「かわいい!」
彼の懐から出てきたのは、ぬいぐるみのような愛らしい動物たちだった。犬に猫に馬に羊に兎、とたくさんの種類がおり、それが子どもの手のひらに収まるぐらい小さなサイズであった。動物たちは鳴き声をあげると、一斉に空へと飛びあがる。そして、アリシアとウィンクルムの周りを楽しそうにくるくると回った。
アリシアが恐る恐る触ってみると、ほのかに温かいことにさらに驚く。こんなに小さな動物は見たことがなく、しかも自由に空を飛ぶなんて、初めて見た。アリシアの手が気に入ったのか、嬉しそうに頬ずりをしてきてくれる。それがかわいらしくて、気持ちがよくて、彼女は笑顔を浮かべていた。
『これは、デバイスですか』
「えっ、そうなのっ!」
コーラルの言葉に、アリシアは思わず抱いていた動物たちを見つめる。この子たちが、コーラルや学校に置いてあるデバイスと同じ? アリシアにとって、デバイスとはまさに機械そのものだった。固くて、無機質な材質のもの。それがこんなにも柔らかく、温かいのかと。
「正解だ。といっても、外装に力を入れ過ぎて、デバイスとしての効力はほとんどない。古代ベルカ時代にあったユニゾンデバイスの研究データを取り込んで、多少の感情を作ってはみたんだが、それに処理が一杯になってしまい、知能はストレージ並みでな。飛行機能はついているが、魔法の補助具としての力はない」
「それって……」
エルヴィオの説明に、アリシアはギュッと動物たちを抱きしめる。デバイスは魔導師の手助けをするために存在する、魔法の補助具だ。だけどこの子たちは、開発者から使い物にならないと言われたも同然だった。アリシアの様子に、心配そうに動物たちが鳴いた。
「それでも、私は作ってよかったと思うよ」
「えっ?」
「何故ならその子たちは、とても難しいことを成し遂げたんだ。他のデバイスや私では、どうすることもできなかったかもしれないことをね。……泣いている女の子に、笑顔を届けたんだ」
それは、本当に些細な力。このデバイスたちは、魔導師の補助をすることができない。戦う力も、守る力も、知能もほとんどないため、話をすることもできない。ただ柔らかい身体と、温かさ。そして小さな魔法の力と、人に寄り添うことしかできない感情。それだけしか、彼らは持っていない。
「あっ……」
だが、そんなちっぽけな力が、アリシアという少女に笑顔をくれた。
「ありがとう。この子たちを心配してくれて。この子たちに、生まれた意味を持たせてくれて」
デバイスマイスターとしては、この動物たちは失敗作だろう。何もできない無力なものだろう。しかし、エルヴィオとアリシアはそうは思わなかった。彼としては、動物好きの彼女なら喜んでくれるかもしれない、と研究所から持ち出しても問題のないものをたまたま選んだだけだった。最初は、本当にそれだけの気持ちしかなかった。
自身が作り出したデバイスたちを、彼は優しく撫でる。それに気持ちよさそうにゴロゴロと鳴く動物たちを見て、不意にアリシアの目から一筋の涙がこぼれた。病室で流した涙とも、1人ぼっちで街を歩いていた時に流した涙とも違う。悲しくてこぼれたものではなかった。
エルヴィオと目が合い、涙を流していることに気づき、慌てて袖で拭こうとした。だがそれよりも早く、彼はアリシアの金の髪に恐る恐る手を置き、先ほどの動物たちのように優しく撫でてくれた。それが温かくて、どこか懐かしくて、嬉しくて、―――我慢しなくてもいいんだ、と思えた。
包み込んでくれるような温かさが、幼い少女の中にあった氷を融かし、外へと溢れ出させた。腕の中にいた小さな存在を抱きしめ、彼の白衣に強く顔を埋めた。濡れて汚れてしまった白衣に、男性は仕方がないなぁというように微笑みながら、少女の金糸をあやす様に撫で続けた。
******
『マイスター、早く復活してください』
『コ、コーラル。君には私を心配する心がないのか?』
『ありますよ。ただ、数分間同じ姿勢でいただけで、筋肉が悲鳴をあげるような軟じゃ……、軟弱な方に、さすがにいちいちフォローはできません』
『濁さず、断定された!? 私への扱いが、だんだんひどくなっていないか!』
『おや、そのようなことを言われますか。アリシア様をあやしている間、誰が周りに見えない様に結界を張ってあげたとお思いで。僕は僕なりに、一生懸命頑張ったのですよ?』
大泣きする幼女を抱きしめる、中年男性の絵。
『付け加えると、その時の映像記録はデータにバッチリと』
『ごめんなさい、本当にごめんなさい。公開は勘弁してください。そして後で、研究所にこっそり送って下さい』
『……あ、もしもし総司令官殿ですか?』
『うわぁぁあああぁぁ!!』
という、少女たちに気づかれない様に念話でやり取りが行われていたらしい。ご飯をちゃんと食べる、しっかりと身体を動かす、という密約の下、色々取引があったことは完全に余談である。
「……ごめんなさい、いっぱい泣いちゃって。せっかく、笑顔を届けてくれたのに」
泣き腫らした目元を拭いながら、アリシアは申し訳なさそうに話す。そして、心配そうに服の袖を握っていた妹の手を、そっと握り返していた。そんな少女の言葉に、引き攣る筋肉を無理矢理動かしながら、エルヴィオは向き合う。顔には絶対に出さない様に頑張った。
「うーん、そうだね。アリシア……ちゃんは、どうして謝るんだい?」
「えっ、だって、私泣いちゃって…」
「泣くことは、いけないことかな。悪いこと、なのかな?」
問いかけられた言葉に、アリシアは口を閉ざす。泣いたら駄目だと思っていたが、改めて問われると違うと思ったからだ。
「私はね、君が泣いてくれて安心したよ。きっとこの子たちも」
「どうして?」
「物事には、色々な見方がある。涙を見て、悲しくなる時や、嬉しくなる時もある。笑顔を見て、嬉しくなる時や、悲しくなる時もあるんだよ」
「えっ、笑顔も?」
笑顔が人を悲しい気持ちにさせる。ずっと笑い続けていたアリシアには、彼の言葉は大きな衝撃だった。悲しい顔や怒った顔は、してはいけないのだと無意識に思っていた。
「でも、それじゃあ、私はどんな顔をすればいいの? 笑顔だけじゃ、悲しい気持ちにさせてしまうなら、どうしたら…」
「笑いたいときに笑って、怒りたいときに怒って、悲しいときに悲しんで、楽しいときに楽しんだらいい」
「……おじさん、そんなことをしたら大変なことになっちゃうよ」
「あははは、そうかもしれないね。でも、そういうものだと思うよ。大人になると、なかなか難しくなってしまうんだ。悲しくても、笑わないといけない。笑いたいのに、怒らないといけない。本当に、我慢ばっかりだ」
感情のままに生きることはできない、と本人も認めている。からかわれたようで、アリシアはムッと頬を膨らませた。言葉使いも表情も、先ほどまでの自分とは違うことに、彼女は気づいていない。
「だけどね。だからこそ、子どもの内はそれでいいんだよ。我慢なんて、大きくなったら当たり前なんだから」
陽だまりのような声が、アリシアの耳に届いた。
「嫌なことがあったら嫌だと言って、そこからどうすれば嫌なことが起こらないかを考えたらいい。怒りがあったら怒って、そこから納得できる方法を探したらいい。悲しいことがあったら悲しんで、そこから立ち上がれるように足を踏み出したらいい。1人じゃ駄目なら、みんなで。そうやって、少しずつ覚えていったらいいんだ」
「それは、でもそれって、迷惑をかけちゃうんじゃ…」
「かけるだろうね。でも、そういうものだよ。嫌かな?」
「私は、……嫌かも」
アリシアの答えに、男性は小さく噴き出す。素直だね、という気持ちを込めて。
「優しいね」
「優しくないよ。お母さんとお兄ちゃんに、ひどいこと言っちゃったもん」
「どんなことを?」
問いかけてきた声に、アリシアは迷いを示す。母と兄のことは、最初から口にするつもりがなかったのだ。それなのに、口に出してしまった。だけどこの人なら、一緒に考えてくれるかもしれない。そんな思いが彼女の中で生まれる。だけど、それは迷惑だ。
「私が子どもの頃は、それはもう周りに迷惑をかけてしまってね」
「?」
「いたずらっ子だったんだ。作るのが好きで、それで発明しては困らせていた。大人になった今でも、迷惑をかけてしまう人たちはたくさんいる。不甲斐ないばかりの大人だけど、だからこそ決めたことがあるんだ。……他人の迷惑を、たくさん受け止められる人間になろうって」
だから、おじさんの成長のために1つ迷惑をくれないかい? 楽しそうな、いたずらっ子のような子どもの笑み。それが、自分の知っている人とそっくりで。
―――アリシアの迷いは、綺麗に消えてしまっていた。
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