少女1人>リリカルマジカル
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第五十二話 思春期⑥
『アリシア様には、僕がついていきます。だから、いつでもご連絡をください』
アリシアが出て行った病室。それを追いかけようとするウィンクルムについて行くと宣言したコーラルは、アルヴィンに一度念話を送った。自分の主の様子がいつもと違うのは、わかっていた。妹が勝手に出て行ったというのに、彼はずっと俯いていたのだから。
だが、コーラルはそんな主と離れ、独自に動くことを決める。アルヴィンの傍にいたいという気持ちはあっても、いても何か力になれるかはわからない。それなら、デバイスである自身がアリシアを追いかけることで、状況を正確にテスタロッサ家に届けられる。アリシアの位置を伝えられる。何より、アルヴィンを安心させてあげられる。
アリシアのことは自分が見ているから大丈夫だと、だから自身のことに集中してほしい。落ち着いたら、こちらに知らせてくれればいいから。短い言葉に中に、込められた思い。冷静になったプレシアは、コーラルの意図に気づいたからこそ、その足を止めたのだから。
『……さて、どうしたものでしょうか』
走るウィンクルムと並行して飛翔する、緑の宝石。ミッドチルダの法律で、無許可の飛行は禁止されているが、デバイスにその規定はない。故にコーラルは、空中からアリシアを探索し、ウィンクルムに念話を送っていた。
飛行魔法もそうだが、クラナガンでの勝手な魔法の行使は管理局に止められている。正当防衛だったり、やむ得ない事情がある場合は、大目に見てくれることはあるが、見られたら確実に注意を受けるだろう。念話のような危険性のない魔法や、職務上必要な魔法ならば大丈夫だが、個人的な理由で使うのは注意の対象だ。そのためウィンクルムは、自身の足でアリシアを追いかけていた。
ウィンクルムの身体は、3歳の子どもと同じぐらいであるため、普通ならとても8歳の子どもの足に追いつけるはずがなかった。だが、彼女は人間ではなく、使い魔。そのスピードは魔法を使わずとも、確実にアリシアとの距離を縮めていた。
『ウィンクルム様、次の角を右に行ってください。そのまま進むと分かれ道がありますが、そこも右に進みます』
『うん。……でも、このあたりは初めて来たよ』
『大丈夫ですよ。ご心配には及びません』
不安そうな末っ子の声に、コーラルは安心するように声をかける。アルヴィンが地上部隊で働いている影響で、クラナガンの地図が記録されているからだ。コーラルがいる限り、迷子になることはない。いくら力や技術や思考能力があっても、ウィンクルムの精神は3歳の子どもなのだ。知らない場所というだけでも、気がかりを覚えるのは仕方がないことだろう。
アルヴィンに、プレシアに、アリシアに、ウィンクルム、と4人のフォローにコーラルは全力を出す。縁の下の力持ちというか、苦労性というか、もうデバイスの仕事じゃないよね、的なことが思い浮かぶが、気にしないであげることが一番だろう。
『……おそらく、アリシア様自身が、知っている場所を避けているのかもしれませんね。学校やちきゅうや、公園にご友人方の家。そのどれとも離れています』
『ねぇね、誰とも会いたくないのかな…』
『そうかもしれませんね。でも、アリシア様を放っておく訳にはいきません。僕たちに何ができるかはわかりませんが、傍にいてあげることはできます』
アリシアに拒絶されるかもしれない。それはウィンクルムにとって、かなりの痛みを伴うことだろう。コーラルはできる限りそうならないように立ち回るつもりだが、いかんせん情報が足りない。プレシアからの連絡で、「アリシアが魔法の練習をしていて、魔法が暴発してしまい、病院で休んでいる」という簡単なことしか聞いていなかったからだ。
アリシアの魔力資質は、コーラルも知っていた。だから、それが原因ではないかと推測はしている。しかし、それならば母と娘の喧嘩になっているのが自然ではないだろうか。プレシアが2人に魔法を教える時に、危惧していたことが起こってしまった。アリシアの怒りが、自分を産んだ母に当たってしまうことは予想がついたからだ。
それなのに何故、兄妹喧嘩のようなことになってしまったのか。病室の雰囲気的に、アルヴィンとアリシアの間に何かがあったのは間違いない。コーラルは、それが不思議だった。言っちゃなんだが、コーラルの主の神経は相当に図太い。大抵のことは笑い飛ばすし、怒られてもめげないし、落ち込んでも少しすれば復活する。誰もが認める超マイペースだった。
そんな彼が、笑えていなかったのだ。悩みがあっても、困っていても、笑えていた彼が、笑顔を作ることができなかった。コーラルとしては、アリシアに怒りを向けられれば、落ち込みはしても、笑みを崩すことはないだろうと思っていた。「ごめんな」と言って、困ったように笑いながら、妹の怒りを受け止めるだろうと思っていたからだ。
それぐらい、コーラルの主は取り繕うのが上手かった。
アリシア様、一体どんな地雷を踏んだのだろう…。もしコーラルに身体があったら、冷や汗を流していたかもしれない。あのマイペースをあそこまで落ち込ませた妹様に、ちょっと戦慄する。軽い現実逃避であった。
『……おや?』
ふと、コーラルはアリシアが向かう進路に意識がいく。この先は、住宅地や商店街から離れ、クラナガンの魔法研究所などが並ぶ仕事の区間であった。会社や研究施設、工房などが見え始め、休日ということもあり、人通りが少ない。今この区間にいるのは、それこそ残業に発狂しそうな可哀想な人か、仕事大好きなワーカーホリックぐらいしかいないだろう。裸足であるため舗装された道を通り、人が少ない方へ向かって走っていたため、ここにたどり着いてしまったのだろう。
そんなこの場所に、コーラルは見覚えがあった。プレシアたちの開発局は、開発特区と呼ばれる別の場所にあるため、ここではない。管理局の施設もここらへんにはないはずだ。それなのに、何回かここに訪れたことがある。
改めて地図を確認し、コーラルはようやく思い至った。そして、少しばかり思考に耽る。そうだ、今回の喧嘩は彼にも関わりがあることですよね、と。無言になったコーラルに、ウィンクルムは不思議そうに上空を見上げた。
『どうしたの、コーラル?』
『いえ、ただこのあたりに協力してくれそうな方の心当たりがありまして。その方に、メッセージを送ろうかと』
『えっ…。でも、巻き込んじゃっていいの?』
他人を巻き込んでしまう申し訳なさと、余計に事態が悪化してしまわないか、とウィンクルムの瞳が揺れる。コーラルも彼女の不安がわかるため、本来ならこのような手は使わない。だが、今回は緊急事態である。正直な話、コーラルは自分とウィンクルムだけで、アリシアを説得できるとは思っていなかった。精々、彼女を落ち着かせることしかできないだろうと考えていたのだ。
アリシアは、特に家族に対してガードが固い。彼女にとって大切な人であればあるほど、アリシアは心を閉ざしてしまうだろう。それに友人や知り合いの人たちも、当然含まれる。だが、ただの知人程度では、余計にアリシアを傷つけてしまうかもしれない。
しかし、コーラルの中に不安はなかった。彼はおそらくプレシア並みにアリシアを愛しており、アリシアの魔力資質を知っている。それでいて、アリシアに顔を知られていない、他人に近い人間なのだ。彼女との接点は、誕生日に送られるカードとプレゼントだけなのだから。
『心配はいりませんよ。ちょっと頼りない人ですけどね。でも、今回のことを後で報告するよりも、巻き込んだ方が、きっといいはずです』
テスタロッサ家に関わることは、極力避けようとするヘタレ。おそらくアルヴィン以外には、顔を合わせることすら考えていなかっただろう。それでも全てが終わった後に聞かされるよりかは、彼なら話を聞けば、自分から行動に移すはずだ。
少しずつ距離が縮まっていく道。コーラルは、今日も仕事をしているであろうワーカーホリックに向けて、メッセージをとばした。
******
「……何やっているんだろ、俺」
右手に握る端末を眺めながら、アルヴィンは空を仰いだ。彼が今いるのは、先ほどまでいた病室ではなく、屋外。病院から離れ、目的地もなく、ただふらふらと見慣れた道を歩いていた。
今すぐに、自分がやらなければならないことなんて、わかっている。アリシアを追いかけて、ちゃんと話し合って、みんなで仲直りして、それで……。やるべきことは思いつくのに、行動に移せない。アルヴィンは何度も連絡をとろうとしては、端末にメッセージを送ることができないでいた。
完全に失敗した、とアルヴィンは眉をひそめる。アリシアの言葉に動揺しすぎて、何もかも後手に回ってしまった。あの時自分が、アリシアの言葉を飲み込み、受け止めるべきだったのだ。受け止める振りだけでもするべきだった。そうすれば、アリシアにあんな顔をさせずにすんだ、と彼は小さく頭を振った。
アルヴィンの態度が、アリシアが放っていた言葉が、相手を傷つけるものであることに気づかせてしまった。本来ならゆっくりと冷ますことができた熱へ、冷水を一気にぶっかけてしまったのだ。唐突な怒りと罪悪感に、8歳の子どもの思考が追いつくはずがない。アリシアが飛び出した原因の1つは、アルヴィン自身にもあっただろう。
そして何より、アリシアを追いかけることができなかったこと。アルヴィンが意識を引き戻したのは、コーラルから念話を送られた後だった。その時には、ウィンクルムたちは視界から遠ざかっていく。追いかけるべきだと動かそうとした足が、あの時は何故か鉛のように重く、気づけば彼女たちを完全に見失っていた。
「謝ったらいいのか…? でも、何に対して俺は、アリシアに謝ればいいんだよ」
本来ならアリシアの言葉は、ただの癇癪ですませられるものだった。何もかも平等なものなんてない。どうしようもないことなんて、世界には数えきれないほどある。アリシアが言った言葉は、そんな理不尽を受け止めきれなかった子どもの思いなのだ。
それを大事にさせてしまったのは、間違いなく己自身。アリシアもプレシアも、他の家族も、いや……この世界にいる誰にも、アルヴィンは『転生』のことを言っていない。当然、魔力やレアスキルを望んだ人間であることもだ。
そこまで特別を望んだつもりはなかった。恵まれているとは思うが、魔法が使える人間なんて、この次元世界にはたくさんいる。レアスキルだってすごいものだが、万能なものじゃない。世界最強の力なんてまったくないし、頭脳もない。猫に負け、金魚にも負けるような戦闘力だ。
……それでも、ずるいことに変わりはなかった。この世界の人間の誰に言われても、おかしくないこと。
アルヴィンは一度、リンカーコアがないことに悔やんだ話をした青年に対し、同じようなことを思ったことがあった。だがその時にはすでに、彼は自身の持つ強さで、自ら乗り越えてしまっていた。アルヴィンはその時に考えていたことを、なかったことにするしかなかった。
できることなんて、何もなかったからだ。そのことに、自分が傷ついたり、罪悪感を持つのは、本当にバカなこと。罪悪感を持つぐらいなら、最初から何ももらわなければよかったのだ。そうすれば、誰にも責められる理由なんてない。
謝ったって、相手も困るだろう。転生のことを話さなければ、相手の方が申し訳なく感じるし、混乱だってするはずだ。それこそ、もし転生のことなんて話したら、……軽蔑されるかもしれない。だいたいそのことを話して、誰が幸せになるというのか。
「うわぁ、最悪な思考回路だ。完全に鬱っているよ、俺」
アルヴィン自身は笑ったつもりだったが、笑えていたかどうか、本人はわからなかった。いくら考えたって、どうしようもないことなのはわかっている。もう自分はここにいて、特別をもらって生きているのだから。今更返すことなんてできない。
もらった力があったから、今の自分がいる。転移がなければ、アリシアを助けられなかった。魔法がなければ、闇の書に立ち向かうことができなかった。今の記憶を持ったまま、過去に戻っても、アルヴィンは力を持つことを望んだだろう。
だったらこれから先、使わない様にすればいいのか。そんなことを思って、首を静かに横へ振る。そんなことは、おそらくできないだろう。何よりも、アリシアが気に病むに決まっている。そんな選択を選ぶぐらいなら、テスタロッサ家から出ていくことが一番簡単だろう。少しずつ疎遠になるように距離を図っていけば、これ以上アリシアを傷つけることはないかもしれない。
「ははっ…」
アルヴィンは乾いた声をあげ、ガシガシと頭を掻いた。……本当に、どうしようもないことを考えてしまっている。それを自覚し、心底バカだとも思っている。それでも、他に考えられなくて。
プレシアたちに無理を言って、1人にさせてもらったのに何も解決しない。色々整理をしたいから、と出てきたアルヴィンは、虚空を眺める。歩き出して、まだ10分ぐらいだろうか。1人でいるリミットは、おそらく1時間が限界だろう。
こんな風に自暴自棄になって、鬱っているよりも、まずはアリシアを元気づけなければならないのに。彼女を安心させてあげることが、最も大切なことだ。自分が怒っていないこと、傷ついてなんていないこと、彼女は何も悪くないのだと伝えなくてはならない。
……そのためなら、ちゃんと笑顔を作れる。
見慣れた街並みの一角。アルヴィンは、商店街のショーウィンドウのガラスに映る、自身に目を向ける。母と同じ色を持った、少年の姿が目に入った。そのまま口元に笑みを作ろうとするが、引きづったようになったため、両手で無理やり横に伸ばす。眉を指で上下にいじるが、なかなか山のようなカーブの形にならない。
そこまで無心でやっていたアルヴィンだが、ふと思いつく。面白いことを考えたら、笑い方だって普通に思い出すんじゃないか、と。とある副官さんの数々のリアクションを頭に巡らせ、とある先輩の学校改革の仕方にツッコんだり、とある友人たちの行動力のすごさに驚いたり……。むしろ、さらに頬が引きつった。
頭の中でまとめるのが苦手だったことを先に思い出し、それなら口に出してみようと考える。この際、苦笑だろうと、失笑だろうと、なんだっていい。バカなことをやっている、と呆れたような笑みでもいい。いっそ、声だけでも笑い声を出してみるのも1つの手かもしれない。
「あー、えっと、面白いこと……ギャグとか、か? ふ、ふとんがふっとんだー。こんどるがめりこんどるー。あ……あははは、ははっ…ははははは―――」
様々な商店が並ぶ場所、商店街。それなのに、何故か人通りが少ない一角。だからアルヴィンは、練習に最適だと思って行動したのだ。だが、冷静になって考えてみると、何かがおかしいことに気づく。何故、休日の商店街なのに、ここだけ客足が少ないのか。
その答えは、すぐ後ろにあった。
「…………」
「…………」
巨大で、道の半ばぐらいを塞ぐようなはた迷惑な置物が、堂々と鎮座していた。その置物には、そのお店のおすすめ商品が吊り下げられ、異様な空間を作り上げている。和洋混じったテレビの音が響き、野球やらサッカーグッズなどのスポーツ用品が並び、何故か全身スーツから日用品まで売られている。混沌すぎて、何をしたいのかがわからない。
そんなお店から、視線を感じた。いや、その店の入り口付近で、ちょっと前に管理局の局員からもらった、撤去願いの用紙を握っていた人物からの視線だった。後ろを振り返ったアルヴィンと、その従業員はちょうど目が合ってしまい、無言の時が流れた。
「……こんちわ」
「……あぁ」
ナチュラルに始まった奇行を目撃してしまったエイカと、今回ばかりはさすがに穴に入りたくなったアルヴィンは、アイコンタクトでお互いにさっきまでのことをなかったこととして処理し合った。
……もちろん、これ以上ないほどに、気まずかったのは言うまでもない。
******
動きやすさを重視した服に、長ズボン。夏以外はいつも身に着けている薄手のコートは、今は店の中に置いてある。彼女の少し明るめの茶色い髪は、光の反射で赤く見えることもあった。アルヴィンより少々長いだけの短めの髪と、意志の強そうな瞳を持つ子どもは、パッと見ではなかなか性別を判断しづらいだろう。
アルヴィンですら、最初は口調のこともあり、男だと思っていた。首からかけてある銀色のペンダントぐらいしか、装飾はない。時々出てくる少女らしい反応以外は、男友達と遊んでいると思うぐらいだろう。それぐらい、彼女はさばさばした性格であった。
子どもであるためか、性格なのか、彼女は自分の欲求には割かし素直だ。アルヴィンも似たようなところはあるが、彼は考えてから行動に移すことが多い。その行動が相手にとって、気分を悪くさせるようなことなら理性で止めてしまうのだ。
一方エイカは、考えるよりも先に行動に移してしまうタイプである。面倒だと思ったら、すぐにやめようとするし、からかわれたら、猫のように毛を逆立てる。それで後悔することはあれど、彼女は細かいことはあまり気にしない。相手を気遣って難しく考えるよりも、自分の考えで突き進む道を選ぶ。アルヴィン並みに、エイカの神経も図太かった。
「……で、今度はどんなアホなことを始めたんだ」
「エイカさんが容赦ないです。その、えーと、え、笑顔の練習?」
「疑問形で聞かれて、俺がわかるか」
「自分で聞いといて、バッサリ切りやがった」
知り合いとのいきなりのエンカウントに、アルヴィンは脳内でパニックになりながらも、言葉はポンポンと出てきた。習慣とは恐ろしい。会話を交わしながら、少しずつ冷静さを取り戻していったアルヴィンは、いかにエイカと自然に別れるかを考える。彼女を巻き込む訳には、いかないと思ったからだ。
いつも通りの会話の応酬をしながら、考え事をしていたのはアルヴィンだけではなかった。エイカもまた、話している内に違和感を感じとる。エイカは基本、アルヴィンに遠慮や容赦をすることはない。その理由に関しては、アルヴィンの完全な自業自得が主だが、最初の邂逅が大きな要因だろう。
彼と出会ったことで、何もかもが変わった。2年前のあの時が、エイカにとってターニングポイントだったのは疑いようがないことだった。盗みをし、1人で生き、時に誰かを傷つけていた世界。そんな世界が、たった1人との出会いで崩れた。人と関わり、仕事をして、友達ができて、笑って―――考えたこともなかった世界が今、彼女にはあった。
アルヴィンは唯一、あちらの世界にいたエイカと今のエイカを知っている人間なのだ。堂々と真正面から遠慮なく世界をぶっ壊してきた人間に、何故こちらが遠慮しなくてはならない。今の自分に不満はなくても、そんな思いがエイカにはあった。
あの時のように、こいつなら笑って受け止めてくれるはず―――そんな無意識な期待も、含まれていたのかもしれない。
「……何かあったのか」
「ん、あぁ。ちょっとな。でも、大丈夫大丈夫。エイカには関わりがないことだよ」
「…………」
違和感がまた、エイカの中に芽生える。やんわりとしているが、明らかに今拒絶された。本当にいつも通りなら、彼はもっと言葉を選ぶ。普段のアルヴィンなら、「エ、エイカさんが俺を心配してくれるなんて……!」とわざと大げさにリアクションをして、怒らせていたことだろう。
アルヴィンが困っていても、エイカは基本的に手を貸さない。理数がわかんねー! と発狂していようが、無視して隣で黙々と問題を解く。妹の脱ぎ癖に悩んでいようと、「見ているのか、変態」と罵ってオーバーキルしたことすらある。
今回だってそうだ。エイカはめんどうなことには、関わろうとしない。アルヴィンが悩んでいようと、自分にはどうでもいいことだから。そう思う気持ちがあったから、彼の困り顔を面白く見ていられたのだ。それなのに、関わりがない、と本人から避けてくれたというのに、それにもやもやした気持ちがエイカの中で生まれる。
さっきから、何かが足りない。それが、エイカの中で何故か苛立ちになっていた。
「(……こいつ、全然笑ってねぇのか)」
笑顔の練習をしている。アルヴィンが言った言葉を思い出し、ようやく違和感の正体に気づく。相手は、無表情という訳ではない。困ったような、おどけたような顔だってする。声だって平坦ではなく、起伏や強弱、感情も籠っている。ただ、笑みがないだけ。
違和感に気づくと同時に、エイカはアルヴィンの目を見据えた。それに不思議そうな顔をされたが、知ったことではない。エイカの瞳に、ふつふつとした怒りが映ったことに、今度こそアルヴィンは狼狽した。
「あの、……エイカさん?」
「…………むかつく」
「えっ、えぇーー」
いきなりの文句に呆然としたアルヴィンを睨み付け、エイカは苛立ちでくしゃくしゃになっていた紙を広げ、ポケットに入っていた鉛筆で書き殴る。『休憩する』とだけ書いた紙を丸め、店の中へ全力投球。後におっさんの悲鳴が聞こえた。
友人の突然の行動に、もはや冷や汗しか出ない。何か地雷を踏んだだろうか、と記憶を探るアルヴィンは、エイカが近づいていたことに気づかなかった。ガシッと握られた腕に意識が戻り、次に無遠慮に引っ張られ、引きずられる。女の子が男の腕を引くという、シチュエーションでありながら、全く嬉しくない。むしろ怖い。
怒りの原因がわからない女性ほど、下手な行動は取れない。見当違いのことをすれば、怒りが増幅するからだ。前世の人生経験を含め、思考したアルヴィンは、抵抗せずにおとなしくついて行くことにした。女系家族の男は、女性に対してフェミニストなんだ、と訳の分からない言い訳を頭の中で並び立てていた。
なんてことはない。8歳の女子にビビる、ただのヘタレであった。
******
「5秒以内に、何があったかを簡潔に言え」
「いや、エイカ。いつもの公園にわざわざ来て、座って第一声がそれって」
「5……4……3…」
「妹と喧嘩をしました」
プライドも何もなかった。今のエイカなら、5秒経っても何も言わなかったら、何をしてくるかわからない。彼女がここまであからさまに、怒りを見せたことにアルヴィンは戸惑いしかない。からかったわけでもないため、結構本気で焦っていた。
それとは別にエイカは、―――実は内心、肝を冷やしていた。考えなしに、ムカついたから行動してしまった。店の前で当り散らす訳にもいかないため、公園に移動したが、ここからどうしよう。とりあえず、顔には出さないようにしよう、とプライドだけは総動員していた。
「……は? 妹って、あいつと?」
「まぁ、うん。……俺が、全体的に悪いんだろうけどさ」
苦笑、のようなものがアルヴィンの口元に浮かんだ。その様子を見て、エイカは狼狽していた心を抑える。彼の言葉に、「冗談」と茶化して笑ったり、「そうだろうな」と適当な相槌をすれば、そこで話は終わると直感したからだ。
エイカは自分が、誰かを助けたり、救ったりできる……できた人間だとは思っていない。そんな役目は、もっとふさわしい人間がいるはずだ。ちきゅうやの店主の奥さんは人格者だから、押し付けたっていい。店主もあれはあれで、一応頼っていい大人だろう。ちきゅうやに来る客の中には、人生経験が豊富な者だっている。
そこまで考えたのに、エイカはこの場を放棄することができなかった。役不足なことは十分理解しながらも、それでも許せなかったからだ。先ほどからずっと、彼女の中にある怒り。何故これほどまでに、苛立つのかはわかっていない。それでも、それがエイカにとってたった1つの答え。
いつもへらへら笑っているこいつは、当然ムカつく。だけどそれ以上に、笑っていないこいつが、なんかよくわからないけど何よりも一番腹が立つ! アルヴィンにとってみれば、理不尽すぎる理由だった。
「……エイカ?」
「5分待て」
突然ベンチから立ち上がったエイカに、アルヴィンは目を瞬かせる。自分も立ち上がるべきかと、少し腰を浮かせると、人差し指を真っ直ぐに向けられ、言い放たれた。それに、つい自分も人差し指を伸ばし、「E.T. ごっこー」とアホなことをして頭を叩かれながらも、大人しく待つことにした。ちなみに彼は、無意識にやっていた。
エイカが帰ってくるのに、実際は3分もかからなかった。彼女の手の中には、何か袋のようなものが抱えられている。少し時間を置いたからか、目に見えるほどだった怒りはすでに鳴りを潜めている。エイカはアルヴィンの目の前まで来ると、逡巡しながらも、2つあった袋の内の1つを無理矢理握らせた。
「てめぇは、『こしあん』でよかったんだよな」
「えっ、……たい焼き?」
「この俺がわざわざ、買ってきてやったやつだ。だから、辛気臭い顔で食いやがったら、はっ倒すからな!」
ほかほかとした出来立てのおやつ。エイカはアルヴィンに手渡すと、再びベンチへ乱暴に座った。自身の手に持つ『つぶあん』のたいやきに齧りつき、おいしさに緩みそうになった頬を慌てて引き締めながら、黙々と食べ始めた。
一連のエイカの行動に、アルヴィンは全くついていけなかった。振り回すことはあっても、振り回されることは少なかったからだ。エイカの横顔とたい焼きを、何度も見比べ、恐る恐る口に含む。甘すぎず、滑らかな舌触りが感じられた。
一口食べながら、アルヴィンは考えていた。エイカの行動は、未だによくわかっていない。彼女は口で説明するよりも、先に行動へ移してしまうからである。何故、公園にいるのか。何故、たい焼きを奢ってくれたのか。何故、たい焼きを食べるのに、条件があるのか。それらの疑問を統合した時、1つの答えが出てきた。
……エイカは、俺を励まそうとしている? 確信を持てないが、アルヴィンはストンと腑に落ちた。彼女に聞いたって、きっと顔を真っ赤にしながら否定するだろう。ふざけたことを言うなって。
「―――ぷはッ」
その様子を想像してしまい、思わず吹き出してしまった。たい焼きの餡が気管に入り、盛大に噎せる。エイカに目を見開かれ、その顔にまたお腹が痛くなった。
「お、おい…」
「わ、悪い。ごほっ、くくッ…。えほっ。あー、涙まで出てきた」
噎せた苦しさと、面白さに目じりに涙が浮かぶ。励ますにしても、もっと他にも方法があるだろう。いや、でも、ある意味エイカらしい。そう考えると、アルヴィンはまた笑ってしまった。
たい焼き1つで、励まされた。
「……アリシアにさ、ずるいって言われたんだ。魔法とか、レアスキルを俺が使えて、なんで私は使えないのかって」
「それは…」
「わかっている。アリシアだって、それはきっと……わかっていると思う」
たい焼きを食べ終わったアルヴィンは、気づけば口に出していた。あれほど鬱々としていた思いを、こんなにもあっさりと話せたことに、また笑みがこぼれる。たい焼きパワー様様である。
またアリシアのことに、エイカは少し驚きながらも、小さくうなずいていた。アリシアの魔法を見たことが、何度かあったからだ。それに、思うところがないわけではなかった。
「俺がさ、アリシアの魔力資質を知っていたのに、幼い時から魔法に触れさせてしまった。誰だって、周りはできるのに、自分ができなかったら辛いに決まっている。アリシアのことを、もっとちゃんと見といてやるべきだった」
アルヴィンの中にあった後悔。気づいてやれなかった、傷つけてしまった。だけど、これからどうすればいいのかわからなかった。
「俺がもっと配慮してやったり、魔法とかレアスキルとか自重しておけば、アリシアがあんなに傷つくことはなかったかもしれない。だけど、今更過去は変えられないし、これから先でやめることはできないと思う」
持っている力を使わない。それは、言葉は簡単でも実行に移すのは難しいことだ。使わない努力をしても、持っていればいつかきっと使ってしまうだろう。アルヴィンは、自分がそこまで我慢強い人間だとは思えなかった。闇の書だって、今更投げ出せない。地上部隊との契約だってある。
「持っているやつと一緒にい続けるのって、やっぱりきついと思うんだ。特に俺はアリシアに一番近いと思うし、これからも傷つけてしまうかもしれない。だから、その、離れた方がいいのかな……って」
改めて言葉にすると、苦笑しか出てこない。彼なりに考え、まとめてみた内容。そんなアルヴィンの話に、……エイカは半眼だった。
「ぶっちゃけ、言っていいか」
「え、はい」
「お前ら兄妹、アホだろ」
「超ドストレートッ!」
まさかのバッサリに、さすがのアルヴィンも頬を盛大に引きづらせた。
「別に妹の悩みとか、てめぇの後悔をバカにするつもりはねぇよ。ただ、いつかバカなことをやらかすだろうな、とは思っていた」
「俺とアリシアが?」
「お前ら、ずっとへらへら笑っていただろ。楽しいときに笑うなら勝手にしろ、と思うが、楽しくない時も笑って、ため込んで、誤魔化していただろうが」
絶句するアルヴィンに、エイカはつまらなさそうに頬杖をつく。笑顔の裏を考えるようになったのは、アリシアが要因だ。彼女の笑顔は、アルヴィンに比べたら拙いところがあった。無理やり笑顔を作っていると、昔から人を観察していたエイカだから気づいた。
何故そのように笑うようになったのか。その原因を考えれば、自然と兄であるアルヴィンの真似をしているのかと思った。彼もずっと笑っていた。別に、それはかまわなかった。詮索するつもりはなかったし、笑顔で誤魔化すことが悪いことだとは思わない。穏便に生きるには、むしろ必要なスキルだろう。
それでも、どこかで発散しなければ、いつか爆発する。その爆発が、今回の兄妹喧嘩に発展してしまった。
「妹は、ため込み過ぎ。お前は気づいてやればよかったって言うが、てめぇらは兄妹だろうと、他人だろうが。何でもかんでも、お前がやらないと、あいつは何もできないのか。本当にてめぇは、あいつが何もできない無力なやつだと思っているのか」
アリシアには、相談できる相手がたくさんいた。彼女もまた、十分に恵まれている。魔法の力は持っていなかったのだとしても、彼女は他にもたくさんのものを持っていた。それに気づき、それを生かすかは、持っている本人次第。
「てめぇもてめぇで、何が俺がいたら傷つくだ。知るか、そんなもん。傷つくやつが勝手に傷ついているだけだ。持っているやつは、持っていないやつの顔色をいちいち窺わないといけないのかよ」
「それは、違うかもしれないけど…。でも、さすがにそれは」
「特にお前は、逃げているだけだろ。話し合うよりもまず、離れることを考えている時点で、あいつと向き合う気がない」
「―――ッ」
エイカが言う言葉は、極論だ。相手のことなど関係あるか、と言わんばかりの乱暴なもの。アルヴィンにだって言い分はあるし、納得できないところはある。それでも彼女の言葉は、間違いではなかった。
「……だ、だけど!」
アルヴィンは、堰を切る。エイカの言葉に、心に生まれた衝動が、抑え込んでいたものを噴き出させた。
「持っていることが、最初から決まっていたらッ!」
「は?」
「……ッ、その、エイカが言っているのは、偶然持っていた場合のことだろ。最初から、本当に最初から、自分から望んで持った場合は、違うだろ。みんなは偶然もらったものを、もし、そいつだけ必然的にもらっていたら、それは……責められても仕方がないことだろ」
突然のたとえ話に、エイカは目を白黒させる。アルヴィンは、途中でまずいと思い、言葉を選んだ。それでも、本心の大部分を打ち明けてしまっていた。
突拍子のない、それも現実味のないこと。常人なら、「何を言っているんだ、こいつ?」と相手の頭の心配をしたことだろう。さっきまでの話をすり替えようとしている、と怒られても仕方がない。エイカとしても、頭大丈夫? 状態なのは変わらない。
だが、如何せん―――彼女は彼女だった。変人相手に、友人として付き合える相手を常人とは言わない。意外に律義な性格が、エイカに会話を続けるという選択肢を選ばせた。
「……つまりなんだ。お前が言いたいのは、魔法やレアスキルを最初から持っていることが決まっていた場合は? ってことか」
「お、おう。エイカだって、その、例えば生まれる前に『この世界で最強になれる力を下さい!』とかお願いしたら、叶っちゃった……、とかいう相手がいたら、ずるいと思わねぇの」
「…………」
「エイカは、魔法の勉強をして、強くなるために努力をしているだろ。それなのに、世界最強の力をもらったやつが、当たり前のようにそこにいる。それでもエイカは、それを見て勝手に傷つくやつがおかしいって言うのか」
アルヴィン自身、先ほどのエイカのように極端な話をしていると思うが、似たようなものだろう。最強の力なんて、ほしいとは思わないが、自分はそれを望めたかもしれない立場にいた。現に、もらっているものがある。
エイカを問いただすつもりはなかった。だけど、どのように踏ん切りをつけたらいいのかがわからない。アルヴィンにとってみれば、一生悩み続けたかもしれない疑問。
「ふーん、だから?」
エイカの返答は、それがどうした、言わんばかりだった。
「いや、だからって…」
「ずるいと思うやつは、そう思うだろうな。俺としてはチャンスがあったら、もらうのは当然だと思うが。それも1つの理不尽な世の中、ってやつじゃねぇの。ただ単に、そのチャンスがもらえたか、もらえなかったか、ってだけだろ」
「……それじゃあ、エイカは納得できるのか。そいつが世界最強で―――」
「お前、1つ勘違いしてないか」
呆れたような声で、目で、エイカは黒色の瞳を、見据えた。
「この世界の人間、舐めてんじゃねぇよ」
そして、ただ一言、言い放った。
「納得するか。嫉妬なんて可愛いもんだろ、反骨精神を舐めるな。力を持っているやつは、持っている。それに納得はしても、下に甘んじ続ける訳がないだろうが。例え本当に世界最強なんて力を貰ったとしても、貰っているだけのやつに負け続けるアホなんていねぇよ」
「……え」
「文句を言ったり、傷つく暇があるなら、いかにそいつを蹴落とすかを考える。10人中9人は、お前が言うようにずるいと言って、その力の前に甘んじるかもしれない。だけどな、10人中1人ぐらいは、世界最強の座を目指してくるかもしれない。武術、魔法、技術、戦略、人脈、知識、金銭、あらゆるもので仕掛ける。どんなにすごいものを貰っていようと、それを超えようとする人間ぐらいいるだろ」
古代ベルカ時代なんて、まさにそんな感じだ。反則級の兵器や魔法が作られ、それで世界を滅ぼし、それに対抗して、更なる反則級を相手が作り上げる。それの繰り返しだった。
「そんな人間たちがいるにも拘らず、ずっと世界最強になり続けているのならば―――それは、もはやズルでもなんでもねぇよ。実力だ。貰いものだろうと、なんだろうと、それが1つの答えなんじゃないのか」
貰いものは、どれだけいっても貰い物。だけど、それを自分の持ち物にできるかは、本人次第。武器は装備しないと意味がありませんよ、である。当たり前の、本当に当たり前の答えに、アルヴィンは言葉がなかった。
エイカのように、神経が図太く、唯我独尊的な考えを持っている相手なんて、少ないだろう。そう、……少ないのだ。いないわけじゃない。貰い物の凄い力だろうが、それがどうしたと粉砕してくる相手がいるのだ。そんなズルを許容してしまうような、バトルジャンキーの巣窟。さすがは次元世界。
「エイカさん、それ成り上がり思考がすごすぎね? 俺びっくりしすぎて、価値観が混乱中だよ」
「はっ、わけがわからねぇ質問をしたのは、お前だろ。まぁ、てめぇ程度なら、例えどんな貰い物をしていようが、俺が踏み台にできそうだけどな」
「……うわぁ、ひっでぇー」
エイカの言葉に、笑った。心から笑えた。おかしくて、涙が出そうになった。
「下らねぇ話は終わりだ。それで、妹とどう話を付ける気だ?」
「……そうだな」
先ほどまで散々悩み続けていたこと。だが今は不思議と、すっきりしていた。エイカが先ほど言っていた通り、自分は逃げていただけだった。アリシアが傷つくからって、原因を相手の所為にして、自分が傷つくことに怖がっていただけなのだ。そのことに、気づけた。
アリシアに言われたことは、間違いではない。言われても仕方がない真実だ。だけど、アルヴィンはアリシアの言葉に対して、何も返していない。言葉も行動も、何も。本心をさらけ出してぶつかってきた相手に、偽った言葉など何の意味もない。
目には目を。歯には歯を。本心には本心を。それ以外に、相手と同じ立場に立つ方法はない。
「なぁ、エイカ。俺とアリシアは現在進行形で、絶賛喧嘩中だ」
「ん? あぁ、そうだな」
「うん、だから決めたんだ。今から俺は、……真正面からアリシアと、もう1回喧嘩をしてくるッ!」
「…………は?」
理解不能。しかも喧嘩をしに行くのに、なんでそんなに嬉しそうなのか。完全にいつもの調子を取り戻したアルヴィンに、エイカは額を抑え、溜息を吐いた。慣れないことをしたと自覚しているため、疲れがドッと来たのだ。
人を疲れさせておきながら、へらへらと笑う友人の頭を、とりあえず一発ペシッと叩いておいた。最初に彼と会った時から胸に渦巻いていた怒りは、晴れ渡った空のように綺麗に消えていた。
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