亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百十五話 大義と利
宇宙歴 796年 1月 30日 フェザーン 第一特設艦隊旗艦 ハトホル アレックス・キャゼルヌ
ハイネセンでクーデターが発生した。おそらく主戦派が引き起こしたものだろう、それ以外には考えられない。ハイネセンは酷く混乱しているようだ。クーデター発生の第一報から三時間程経ったが詳細は未だに分からない。クーデターを起こした連中が自由惑星同盟愛国委員会と名乗っている事は分かっているが首謀者が誰かも分からないのが現状だ。
こちらから連絡を取ろうとしてもハイネセンとの通信は途絶している、もどかしいことだ。オルタンスは無事だろうか、娘達は……、大丈夫だとは思うが心配だ。ヤンもユリアンの事が心配だろう。ラップもジェシカの事を酷く心配している。意外に向う見ずなところが有るらしい。
ヴァレンシュタイン総司令官代理はクーデター発生を知ると直ぐに全艦隊に対して徒に騒ぐ事無く総司令部の指示に従うようにと命令を出しハトホルの会議室で将官会議を開く事を決定した。会議室には各艦隊から将官達が、そして総司令部の要員が集まっている。ここに居ないのは第一、第三、第十二艦隊の人間だけだ。
「そろそろ三時間ですか、意外に手際が悪いですな」
ウランフ提督のぼやきに近い口調に会議室には失笑が起こった。会議室に緊張感は欠片も無い。コーヒーを飲みながら続報を待っているうちにそんなものは何処かに行ってしまった。居眠りをしている人間が居ない事が奇跡に近いだろう。だがあと一時間もこのままなら俺が最初に眠りそうだ。
「準備期間が短かったのかもしれん。軍服を着てクーデター計画を練ったのだろう、パジャマにすべきだったな」
ビュコック元帥の言葉にさらに失笑が起きた。トリューニヒト議長がパジャマ姿で最高評議会を行って以来、同盟ではそれをネタにしたパロディやジョークが流行っている。
「近頃ハイネセンではデザインや材質に凝った高級パジャマとナイトガウンが売れているようですよ、ビュコック元帥」
「ほう、それはどういう事かな」
「身嗜みですよ、何時深夜に呼び出されても良い様にだそうです」
カールセン提督の答えに皆が笑い出した。俺もこの話は知っている。この話のオチはそれにかこつけて奥方達が自分の新しい寝衣をちゃっかり買っているというのが真相だというところだ。デパートや衣料店が奥様族をターゲットに売り込みをかけているらしい。商魂逞しい事だ。
「我々もパジャマを買った方が良いのかな?」
また笑い声が起きた。
「その必要は無いと思いますよ、ウランフ提督。帝国と和平を結べば平和がやってきます。そうなれば夜中に叩き起こされる事も無くなるでしょう」
総司令官代理の言葉に皆が口を噤んだ。クーデターが起きたのはその和平が原因の筈だ。その事を思ったのだろう。
ハイネセンから広域通信が入った。弛緩していた会議室の空気がたちまち引き締まった。スクリーンには壮年の軍人が映っている。
『ここに宣言する。宇宙歴七百九十六年一月三十日、自由惑星同盟愛国委員会は首都ハイネセンを実効支配の元に置いた。同盟憲章は廃止され愛国委員会の決定と指示が全ての法に優先する』
“見た事が有るな”という声が聞こえた、ブレツェリ准将だ。何人か頷いている人間も居る。“エベンス大佐じゃないか”という声が聞こえた。どうやら映っている人間はそれなりに有名らしい。
『同盟憲章に代わる新たな方針を発表する。一つ、銀河帝国打倒という崇高な目的に向かっての挙国一致体制の確立』
分かっていた事だが最初に和平を否定してきた。皆が総司令官代理を見たが総司令官代理は怒る事も無く黙ってスクリーンを見ている。
『二つ、フェザーンとの新たな外交関係の構築』
新たな外交関係の構築? 何だそれは? 独立ではないな、それならトリューニヒト議長が既に言っているから敢えて言う必要は無い、となると併合か?
考えている間にも方針の発表が続く。言論の統制、軍人への司法警察権付与、無期限の戒厳令布告、議会の停止、反戦、反軍部思想を持つ者の公職追放、恒星間輸送、通信の全面国営化、良心的兵役拒否の刑罰化、政治家及び公務員の汚職に対する刑罰の強化、有害な娯楽の追放、必要を超えた弱者救済の廃止……。
途中から総司令官代理がクスクス笑い始めた。発表が終わりスクリーンが切れてもクスクス笑っている。
「帝国はルドルフの亡霊から逃れようとしているのに同盟はその亡霊に執り付かれようとしている。亡霊はしぶといですね、お祓いが必要だな」
なるほど、確かにそうだな。愛国委員会がやろうとしている事はルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが行った事と同じだ。皆も頷いている。それにしても総司令官代理は余裕が有る。またハイネセンから通信が入った。広域ではない、直接の様だ。おそらくは愛国委員会の決定に従えというのだろう。スクリーンにさっきの男が映った。
『自由惑星同盟愛国委員会、エベンス大佐である。ヴァレンシュタイン中将、貴官の総司令官代理の任を解く。以後各艦隊司令官は愛国委員会の指示に従うように』
随分と上から目線だな。会議室の中には不愉快そうな表情をしている人間も居る。しかし総司令官代理に反発している人間は如何思っているか。場合によっては軍が割れる可能性も有る……。
「条件次第では従っても良いですよ、エベンス大佐」
『……条件とは』
総司令官代理はニコニコしている。エベンス大佐は訝しげだ。
「愛国委員会の代表は誰です? 信頼出来る人物が代表なら私だけじゃない、皆も安心して指示に従うでしょう」
エベンス大佐の顔から表情が消えた。
『……委員会は合議によって全てを決めている』
会議室がざわめいた。代表が居ない? ざわめきの中でエベンス大佐は無表情を保ったままだ。総司令官代理が笑い出した。
「なるほど、代表を務めるだけの人材が居ませんか。或いは調整不足で一本化出来なかったかな。どちらにしろ決定権を持つ人間が居ないとは組織としては問題です、それでは不安ですね」
エベンス大佐の顔面が強張った、顎に不自然なほどに力が入っている。どうやら総司令官代理の指摘は図星らしい。
「トリューニヒト議長は当然ですが最高評議会のメンバーを拘束出来ましたか?」
『……』
「シトレ元帥、グリーンヒル大将は如何です?」
『……』
ざわめきがさらに大きくなった。政府、軍の重要人物を拘束できていない。これではクーデターに成功したとは言えまい。随分と上から目線だったがあれは虚勢だろうな、そうとしか思えん。
「おやおや、クーデターは起こしたが政府、軍の要人拘束には失敗しましたか。クーデター発生の第一報から随分と時間がかかっていますが善後策を検討したが決定権を持つ人間が居ないため右往左往した、そんなところでしょう。これでは私だけじゃない、誰も愛国委員会に参加しないと思いますよ。良くそれでクーデターを起こしましたね」
総司令官代理の嘲笑にエベンス大佐の顔が引き攣った。
『黙れ。我々を貶めて優位に立とうというのか? そんな小細工は通用せんぞ。艦隊司令官達は貴官の指示には従わん。貴官は嫌われているからな』
エベンス大佐が憎々しげに言うとヴァレンシュタイン総司令官代理が声を上げて笑い出した。
「嫌われている? そんな事は大佐に言われなくても分かっています。誰が私のような若造に命令されて喜ぶと思っているんです。私はそこまで御目出度くは有りません」
『……』
「ですが人間というのは好き嫌いの感情だけで行動する生き物ではないのですよ、エベンス大佐。貴官はその事が分かっていないようだ」
明らかに馬鹿扱いされてエベンス大佐の体が強張った。懸命に怒りを抑えているらしい。
「人間というのは地位や名誉を得れば無意識にそれを守りたいと思うものです。同時に自分の行動が功利的に見える事を酷く恐れる。自分の判断、行動が正当なものであるという大義名分を欲しがるのです。人を動かすには利と大義、その二つを用意すれば良い。そしてそれを得た後の安定を保証できれば言う事無しです」
皆が顔を見合わせた。困ったような表情をしている。気持ちは分かる。そこまで露骨に言わなくても、そう思っているのだろう。
総司令官代理が書類を手に取った。ミハマ中佐に “読んでください”と言って差し出す。中佐は書類を受け取ると文面を確認したが驚いている。総司令官代理とエベンス大佐を交互に見た後、声を出して読み始めた。
「発、宇宙艦隊司令長官シドニー・シトレ元帥。
宛、第一特設艦隊司令官エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中将。
本官が負傷療養中の間、貴官を総司令官代理に任命する。貴官には直属の第一特設艦隊、並びに宇宙艦隊に対しての指揮権を委ねる」
「宇宙艦隊行動命令、貴官は委ねられた指揮権を用いて以下の命令を果たすべし。
一、 ヴァレンシュタイン総司令官代理は旗下の艦隊を率い貴族連合軍を撃破、自由惑星同盟の安全を確保する事。
二、 貴族連合軍撃破後、貴官はフェザーンへ進駐し地球教を根絶せしめる事。
三、 同盟領内にて政治的、軍事的に混乱が生じた場合、貴官はその持てる全ての兵力を使用して混乱を収め法秩序を回復させる事。尚、貴官が執る全ての行動はすべからく承認されるものである。貴官は最善と思われる行動を執られたし」
彼方此方からざわめきが起きた。反乱は予測されていた? ミハマ中佐が読み終えると総司令官代理はエベンス大佐に見せるようにと命じた。中佐が命令書をスクリーンに向ける。呻き声が上がった。
『馬鹿な、どういう事だ、それは。……何故そんなものがそこに有る』
エベンス大佐が喘いだ。同感だ、俺も驚いている。だが妙なのは艦隊司令官達には驚いている人間が居ない事だ。知っていた?
「シトレ元帥がフォーク中佐に襲われた時、裏に地球教が居るのではないかと思いました。狙いは同盟の混乱でしょう。追い詰められた地球教は同盟を混乱させる事に活路を求めた。指揮系統が混乱し貴族連合軍と潰し合ってくれればと考えたのだと思います」
『……何を言っている? 何故そんなものが有るのかを訊いているのだ』
エベンス大佐が反問したが総司令官代理は意に介さなかった。
「当然ですがそれが上手く行かなかった時は如何するかを考えたでしょう。帝国が当てにならない以上、次に狙うのは主戦派を煽っての同盟の混乱かテロによる混乱しかありません。どちらにしろ軍において絶対の存在であるシトレ元帥は邪魔だった。だからあの事件が起きた。……分かりましたか? 貴方達は利用されたのです」
エベンス大佐が愕然としている。無理も無い、総司令官代理の言葉が真実ならエベンス大佐達はうまうまと操られた事になる。
『馬鹿な、そんな事は有り得ない、有り得ない! 我々は崇高な大義の元に決起したのだ! 出鱈目を言うな!』
悲鳴のような声だった。総司令官代理が苦笑を浮かべた。
「出鱈目ですか、そう思いたければそう思えば良いでしょう。しかし愚かである事は認めたほうが良いですね。トリューニヒト議長が和平を、フェザーンの独立を表明したのは帝国との和平を本気で考えていたからですが同時に貴方達を焦らせ暴発させるためでもあった。トリューニヒト議長は全て知っています、だから貴方方は誰も拘束出来なかった……」
エベンス大佐は口を開け、そして閉じた。呆然としている。総司令官代理は憐れむような目でスクリーンを見ていた。その事がエベンス大佐を激高させた。
『そんな目で見るな! 我々の大義に偽りはない! 各艦隊司令官は愛国委員会の指示に従う事を表明せよ!』
エベンス大佐の言葉に反応する指揮官は居なかった。無言でスクリーンを見ている。
『何故だ、何故何も言わない! パエッタ中将、貴官はこの男を憎んでいるはずだ。ビュコック元帥、本来なら総司令官代理には元帥かボロディン元帥が就くはずだった。何故皆何も言わない! ヴァレンシュタインの事を嫌いだと言っていたはずだ! あれは嘘だったのか! こんな若造の指揮に従うというのか、何故だ!』
眼が血走り髪を振り乱している。無駄だ、この状況で愛国委員会に参加するなど有り得ない。自ら滅亡を選択する様なものだ。
「無駄ですよ、エベンス大佐。各艦隊司令官にはフェザーン占領後全てを話しました。彼らは愛国委員会のクーデターが利用されたものだと知っているのです。そして反乱討伐の大義名分が私に有る事も理解している。内乱終結後、ハイネセンに戻れば昇進も待っている」
『……』
「愛国委員会は彼らに利と大義を用意する事が出来なかった。そして私はその両方を用意する事が出来た。貴方方は敗れたのです」
『しかし、我々の接触には……』
足掻くエベンス大佐に総司令官代理が手を振って遮った。
「未だ分かりませんか? 貴方達から接触が有った場合、私に対して反発している事、帝国との和平に反対である事を言うように命じたのです」
彼方此方からざわめきが起きた。黙っているのは艦隊司令官だけだ。
『貴様ら、俺を嵌めたのか!』
怒声が響いた。スクリーンではエベンス大佐が血走った目でこちらを睨んでいた。
「このまま戦争を続ければ同盟も帝国も共倒れです、何処かで戦争を終わらせるしかありません」
『だから国力を結集して帝国を潰すのだ、今なら出来るはずだ!』
力説するエベンス大佐に総司令官代理は“無理です”と否定した。
「人口百三十億の同盟が二百四十億の帝国を征服するなど不可能ですよ。同盟の国力では宇宙を統一する事は出来ない、反って混乱するだけです。となれば和平による共存を選ぶしか有りません。帝国貴族は叩き潰しました、地球教も力を失った。和平を結ぶのに残っている障害は同盟に居る主戦派だけです。それも今回の反乱で力を失う」
ダーンという激しい音がスクリーンから聞こえた。エベンス大佐が両拳を握りしめ振り上げるともう一度机に叩き付けた。
『貴様、卑怯な……』
総司令官代理が笑い声を上げた。皆が驚いて総司令官代理に視線を向けた。総司令官代理は心底可笑しそうに笑っている。
「卑怯? 卑怯というのは正規な手段に寄らず違法な手段で政権を奪取し市民を支配する人間の事を言うのです」
『……』
「貴官達は民主共和政の軍人でありながら掲げた施政方針はルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの行ったものと同じでした。弱者の切り捨てと力による圧政、不見識にも程が有る。貴官達を嵌めた事に罪悪感など感じませんし憐れみも感じない。いっそ清々しい気分ですよ、私はルドルフが大嫌いなんです。貴官達は出来の悪い模造品かな」
『……我々にはアルテミスの首飾りが有る』
ねっとりと絡みつくような口調だった。妄執、そう思った。
「アルテミスの首飾りは防御兵器です。ハイネセンは守れても自由惑星同盟全土は守れない。愛国委員会は自由惑星同盟の掌握に失敗したのです」
エベンス大佐がまた呻き声を上げた。総司令官代理が立ち上がった。表情には笑みが有る。震え上がる様な恐怖を感じながら起立した。
「これより愛国委員会を名乗りハイネセンを圧政下に置く反逆者を討伐する。全軍バーラト星系に向けて出撃せよ」
「はっ」
全員が敬礼で総司令官代理に応えた。エベンス大佐の蒼白になった顔がスクリーンに映っていた。
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