| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第百十四話 暗闘




宇宙歴 796年 1月 10日  フェザーン  第一艦隊旗艦  アエネアース   マルコム・ワイドボーン  



「慌ただしくなってきたな、ヤン」
『そうだね、思った以上に慌ただしくなっている。もっともある意志の元に慌ただしくなっているけどね』
「……」
『見ていると面白いよ。誰が何を考えているかを想像するとね』
スクリーンに映るヤンは笑みを浮かべている。面白がっている場合か! 当事者意識の欠片も無い奴だ。

年が明けてから慌ただしくなっている。一月三日、サンフォード議長がサンフォード前議長になった。理由はフェザーンへの国家機密漏洩罪、それと収賄。後任の議長はトリューニヒト国防委員長が就任した。一月六日、同盟軍はフェザーンにて門閥貴族連合軍を叩き潰した。そしてハイネセンではトリューニヒト議長が勝利報告と帝国との講和論をブチ上げている。

七日には同盟軍はフェザーンの八十人委員会、別名長老委員会のメンバーを地球教の関係者として全て逮捕した。同日、ハイネセンではトリューニヒト議長がフェザーンを占領するつもりはない事、その独立を保証することを宣言。そして八日、帝国は劣悪遺伝子排除法を廃法にする事、国内改革を推し進める事を宣言した……。それにしても不便だな、人目を避けて自室で通信をしているとは。

「ここで講和論を言い出すとは思わなかったな。もっと政権基盤を固めてからだと俺は思っていたんだが」
ヤンが髪の毛を掻き回した。予想外の事態か。
『私もそう思った。だがここで言ったという事は政府内部はある程度帝国と和平を結ぶという事で纏まっているんじゃないかと思う。実際閣僚から反対意見が出ているとは聞かない』
そうだな、その通りだ。

「トリューニヒト政権の基盤は意外に強固か」
ヤンが頷いた。
『サンフォード前議長の解任以前からトリューニヒト国防委員長を議長へという合意が最高評議会内部で有ったんじゃないかな。おそらく合意事項の中には帝国との和平も含まれていたのだと思う、そう考えないと手際が良すぎるし不自然過ぎるよ』

確かに手際が良すぎる。サンフォード前議長時代、最高評議会内部は必ずしも纏まってはいなかった。トリューニヒト議長とターレル副議長、ボローン法秩序委員長の関係は決して良くなかった。結構激しい対立が有ったと聞く。だが今はそれが見えない、対立は解消している。

政治家達は戦争から平和へと舵を切ろうとしているようだ。サンフォード前議長がフェザーンに通じていたという事は予想以上に政治家達の心を震え上がらせたのかもしれない。今更ながらだが地球教の恐ろしさを再認識したか。同盟市民の間でも問題視している声が有ると聞く。

「しかしこのタイミングで和平論を公表するか……。勝ち戦の喜びなんてぶっ飛ぶな」
ヤンが苦笑を浮かべた。
『まあ負けてから和平を結ぶより勝っているうちに和平を結んだほうが有利なのは確かだ。そういう意味では言い出すタイミングは間違っていない。なかなか難しい事だけどね』

ヤンの言う事は正しいだろう。負けてからの講和は極めて難しい。条件が厳しくなるのだ。それは講和に納得出来ない強硬派をより強硬にさせるだけだ。
『それに放置すれば主戦派が帝国領侵攻を主張すると危惧したのかもしれないよ。同盟市民もそれに同調するんじゃないかとね。だから先手を打って和平論を打ち上げたのかも』

「なるほど。しかし主戦派はどう出るかな? このまま和平をすんなり認めるとも思えんが……」
『巻き返しは有るだろうね。戦争継続を訴える筈だ。簡単に和平とはいかないはずだ』
ヤンが難しい顔をしている。トリューニヒト議長は如何考えているのか、そしてヴァレンシュタインは……。

「よく分からんのがフェザーンの扱いだな。ボルテックは死んだし八十人委員会は事実上消滅した。どうなるんだ?」
ヤンが“うーん”と唸って髪の毛を掻き回した。

『自治領主を選出する事が出来なくなった。統治者が居ない以上占領して併合するのかと思ったけど政府は独立を保証すると言っている。しかしだからと言って総司令官代理はフェザーンの統治者を選定しているような気配もないようだ。政府からの指示待ちかな?』
「ほう、間違いないのか?」
『選定しているような気配がないのは事実だと思うよ。キャゼルヌ先輩が言っていたからね。先輩も困惑していたよ』

「政府と総司令官代理の間で意見の相違が有るのかな? 一致していたのは地球教の排除までだったとか」
ヤンがまた唸った。
『なるほど、その場合対立点は真に独立させるか、それとも傀儡を立てて名目だけの独立にさせるか、そんなところだろう』
「……どっちがどっちかな?」
『さあ、どっちがどっちかな?』

お互い、はっきりしない言い様だ。だが大体は想像がつく。おそらく政府は傀儡を立てることを望んでいるのだろう。フェザーンの経済権益を手中にしたいに違いない。ヴァレンシュタインはそれに反対している。だから傀儡を選ぶようなこともしていない。しかしこのまま放置するのか? それはそれで問題が有りそうだが……。

「帝国が劣悪遺伝子排除法を廃法にしたな。随分と踏み込んだものだ」
『門閥貴族が没落し帝国政府は遺伝子の妄信を否定した。同盟から見れば和平のハードルはかなり低くなった。同盟市民への説得もし易い。それにしてもフェザーンの独立を保証した直後の発表というのが意味深だね』
ヤンが含み笑いを漏らした。
「確かに」

『多分総司令官代理は帝国との間に和平を結ぶことを優先させるべきだと考えているんじゃないかな。フェザーンの経済権益を得ても戦争が続いては意味が無い』
「戦争の継続か……。ヤン、フェザーンの属領化を望んでいるのは政府では無く主戦派という事は考えられないか。表向きは経済的権益を主張しつつ真の狙いは帝国領侵攻……」
俺の指摘にヤンが“なるほど”と頷いた。

『可能性は有るね。政府、或いは産業界の一部がそれに同調しているのかもしれない。だとすればトリューニヒト議長も思うように身動きが出来ない可能性は有る。劣悪遺伝子排除法の廃法は帝国からトリューニヒト議長への援護射撃か。こっちが本筋かな?』

そうかもしれない、首を傾げるヤンを見ながらそう思った。フェザーンの扱いが今一つはっきりしないのもその所為だろう。まるで三次元チェスだな。同盟、帝国が一手一手相手の動きを確かめながら手を進めている。ヴァレンシュタインは如何考えているかな。俺やヤンが気付いた点に奴が気付いていないとは思えない。政府から状況報告が無いとも思えん。

単純ではないな。三次元チェスと違う部分が有るとすれば奴の存在だろう。個人でありながら何処かで同盟、帝国の動きに絡んでいる。そして十三個艦隊を率いてフェザーンに居る。まるで帝国、同盟の動きを見定めようとしているようにも見える。同盟、帝国、そして主戦派、いずれも奴を無視できんはずだ。

受信ランプが点滅している。
「ヤン、通信が入った。一旦保留にするぞ」
『こっちもだよ、ワイドボーン』
お互いまじまじと顔を見合った。偶然か、それとも必然か。ヤンとの通信を保留にしてから受信ボタンを押下する。映ったのは副官のスールズカリッター大尉だった。総司令部から至急ハトホルに出頭するようにと連絡が有ったようだ。ヤンも同じ話だった。俺達二人だけか、それとも艦隊司令官全員にか……。


ハトホルに出頭したのは俺とヤンだけだった。妙な事に艦橋にヴァレンシュタインは居ない。訝しんでるとミハマ中佐が“総司令官代理は自室で提督方を御待ちです”と言って案内してくれた。どうやら今日は訪問客が多いらしい、中佐の話ではほんの少し前までパエッタ中将がハトホルに来ていたようだ。どんな話をしたのやら、さぞかし居心地が悪かっただろう。

彼女に礼を言って部屋の中に入る。先客が居た、ビュコック元帥とボロディン元帥だった。三人でソファーに座っている。ビュコック元帥がヴァレンシュタインと並んで座りその正面にボロディン元帥が居た。ヴァレンシュタインは俺達を見ると“こちらへ”と言って前を、ボロディン元帥の隣を指した。ヤンと顔を見合わせた、嫌な予感がしたが断ることは出来ない。“失礼します”と言ってボロディン元帥の隣に座った。

「第一艦隊の状態は如何です?」
「補給は済んでいます。先の会戦で破損した艦の修理が済んでいませんがそれを除けば何時でも艦隊を動かす事は可能です」
俺が答えるとヴァレンシュタインが視線をヤンに向けた。ヤンが“第三艦隊も同様です”と答えた。第一、第三両艦隊は後方遮断に就いたため破損した艦はそれほど多くない。ヴァレンシュタインがビュコック元帥、ボロディン元帥に視線を向けた。二人の元帥が頷く、本題か。

「貴官達には私と共にウルヴァシーに行って貰う」
ボロディン元帥が言った。ウルヴァシー? 今回の戦いでは補給拠点として使っている所だが現時点でウルヴァシーに艦隊を動かすというのはどういう事だ? 単なる警備とも思えんが何か問題でもあるのだろうか? ヤンも訝しそうな表情をしている。それに“私”と言った。ビュコック元帥は関係ないのか?

元帥達は訝しんでいる俺達を見ていたが顔を見合わせると微かに苦笑を浮かべた。ヴァレンシュタインも苦笑を浮かべている。立ち上がると執務机に向かい引き出しから何かを取り出した。封筒の様だ。ソファーに戻って来るとその封筒を俺に差し出した。

嫌な予感は強まる一方だが拒絶は出来ない。受け取って中の紙を取り出した。……なるほど、三個艦隊を動かす理由はこれか。有り得ないことじゃないな。ここで選ばれたという事はそれなりに信頼されているという事だろう。ヤンが俺と紙を気遣わしげに見ている。喜べ、お前さんも信頼されているらしい。紙をヤンに差し出した。



宇宙歴 796年 1月 30日  フェザーン  第一特設艦隊旗艦 ハトホル   ジャン・ロベール・ラップ



「どうなるんですかねぇ」
「さあ、どうなるのかな」
コクラン大佐とウノ少佐が首を傾げながら話している。二人だけじゃない、ハトホルの艦橋には他にも首を傾げている人間が居た。俺も首を傾げたい、これからどうなるのか……。総司令官代理が居れば尋ねるのだがあいにくと自室に籠っている。

「我々は何時になったらハイネセンに帰れるんです?」
「政府から帰還命令が出れば帰れるよ」
「出るんですか、それ」
ウノ少佐が疑わしげな声を出すとコクラン大佐が“さあね”と肩を竦めた。艦橋には脱力感が漂っている。

「今のままじゃ帰還は難しいだろうな、フェザーンの扱いだって決まっていないし」
コクラン大佐の答えに皆が顔を顰めた。フェザーンをどうするのか、政府の方針ははっきりとは決まっていない。同盟政府はフェザーンの独立を保証するとは言ったがそれ以上の事は何もしていない。

「このまま帝国領に攻め込めとか無いですよね」
「……ハイネセンにはそう考えている連中もいるみたいだな」
「戦争継続となったら総司令官代理は如何するんですかね。この間は辞めると仰っていましたが」
「難しいだろう、軍が簡単に総司令官代理の退役を認めるとは思えんよ」
「そうですよね」
コクラン大佐とウノ少佐の会話が続いている。皆が頷いている。

「総司令官代理の気持ちも分からんでもないよ。この戦いだけでも二千万人近くが死んでいる。イゼルローンやヴァンフリートを入れれば死者は三千万人近いだろう。いい加減嫌になるさ、そうじゃなきゃおかしいよ」
ブレツェリ准将の言葉に彼方此方から溜息が出た。俺も溜息を吐きたい、三千万人? 途方もない数字だ。

「しかしハイネセンでは主戦論が勢いを増しているようだ。フェザーンの扱いが決まらないのも帰還命令が出ないのも今が帝国領へ攻め込むチャンスだと考えている人間が少なくない所為だろうな」
チュン総参謀長の言葉に皆が顔を見合わせた。渋い表情をしている人間が多い。俺も当分は戦争をしたくない、もう沢山だ。

現在銀河帝国は混乱状態にある。帝国政府は今回の貴族連合軍に参加した貴族達に対して敗戦の責任を取らせると声明を出した。具体的には爵位、領地の剥奪だ。そして貴族連合軍に参加した貴族達、より正確には貴族達の遺族や親族は納得がいかないと政府に対して抵抗している。それを帝国の正規軍が討伐している。主戦派の言い分はその混乱に付け込もうというものらしい……。

「先日、電子新聞に亡命者を軍の重要な地位に就けて良いのかって書かれてましたよ。所詮は帝国人で信用できないとか。どう見ても総司令官代理の事ですよ、あれは。書かせたのは主戦派でしょう。ヴァレンシュタイン総司令官代理が和平派に繋がっている事が面白くないらしい」

「まあ繋がっているというより和平派の中核という評価が正しいだろう。だから邪魔なんだろうな。気にすることは無い、面と向かって総司令官代理を非難出来ないから陰口を叩いているだけだ」
ブレツェリ准将と総参謀長の遣り取りに皆が頷いた。戦えば必ず勝つ指揮官を非難できる奴等確かに居ない。むしろ睨まれれば口籠って俯くだけだろう。俺もその記事を読んだが余りに露骨で馬鹿げていて幼稚なのに呆れた。

「大体攻め込む必要が有るんですかねえ、このままいけば総司令官代理の言った通りになるんじゃないですか?」
ビロライネン准将が皆に同意を求めるかのように問い掛けた。何人かが頷いた、それを見て准将が言葉を続けた。

「十二兆帝国マルクですよ? あれって国債の償還とは言ってますけど実際には賠償金みたいなもんでしょう。貴族は壊滅状態で帝国政府は改革を行うと宣言している。劣悪遺伝子排除法は廃法、国債の償還という形で賠償金を払う。これ同盟が勝ったって事ですよ、帝国は負けを認めたんです。もう十分でしょう、帝国が改革を進めるなら攻め込む事なんて無いですよ」
“そうだよな”、“俺もそう思う”という声が彼方此方から上がった。

「主戦派は国債が償還されるとは思っていないようだな。それよりも同盟政府の発行した十五兆ディナールの国債が事実上無くなった事の方が嬉しいらしい。借金が無くなったんだからその分軍事費を増やして帝国領へ攻め込めという事のようだ。二千億ディナールの臨時収入も有った……」

「二千億ディナールか、大きいですな、総参謀長。今回の軍事行動ですが政府は一千億ディナールを予算として計上していました。純粋に経済活動としてみれば黒字ですよ。国債の件も含めればぼったくりに近いです。主戦派が喜ぶのも無理はない」
キャゼルヌ先輩の言葉に彼方此方から溜息が漏れた。戦争で儲ける? 一体何時の話だ?

「それ、みんな総司令官代理がやった事ですよ」
「……」
「まあぼったくりというか火事場泥棒みたいなものですけど本人は和平のためにやったのにそれで戦争継続とか……、自分だって辞めたくなりますよ」
ブレツェリ准将のぼやく様な言葉に皆が頷いた。同感だ、俺も一言言わせてもらおう。

「大体何時まで戦争するんです? 今和平が見えているのに戦争継続しろって言うなら終わりを示してもらわないと……。このままズルズル行くのは御免ですよ、命が幾つ有っても足りやしない。自分は未だ死にたくありません、婚約者が居るんですから」
俺の言葉に彼方此方から同意する声が上がった。皆和平が見えてきた事で死にたくないという思いが強くなっている。

「まあトリューニヒト議長は戦争継続には反対の様だ。議長の踏ん張りに期待するしかないな」
「当てになると思いますか、総参謀長。元は主戦派ですよ、あの人。どこまで主戦派を抑えられるのか……」
俺の言葉にチュン総参謀長が肩を竦めた。

「頑張っているみたいだぞ。主戦派はかなり苛立っているとセレブレッセ大将から聞いた。電子新聞の件も連中の苛立ちが原因だろう。ストレス発散だな、憤懣をハイネセンに居ない人間にぶつけたのさ。大体あれを書いたのはイエローペーパーの類だ、誰も信用せんよ」
キャゼルヌ先輩の言葉に皆が曖昧な表情で頷いた。今一つ信用出来ない、そんな感じだ。

「緊急通信です!」
突然オペレータが大きな声を張り上げた。顔が引き攣っている、良くない兆候だ、何かが起きた。瞬時に艦橋の空気が緊張した。帝国領侵攻、その言葉が頭の中にチラつく。俺だけではないだろう、皆が苦い表情をしている。総参謀長が“何が有った”と声をかけた。
「ハイネセンでクーデターが起きました!」
クーデター? 皆が顔を見合わせた……。



 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧