赤城と烈風
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防衛の要
13試艦上戦闘機『陣風』、試製重戦『疾風』
前書き
改定前
史実では昭和13(1938)年、13試艦上戦闘機の試作指示を三菱が辞退していますが。
当世界では優先順位を下げ、12試艦上戦闘機の開発を最優先とする白紙委任状へ変更。
機体の性能に関する条件を総て撤廃、設計に着手する時期も担当者へ一任。
三菱の設計陣に配慮する形で条件が緩和され、開発を委託する事になりました。
A8金星を装備する前提で次期主力戦闘機、後の12試艦戦『烈風』を開発中。
制空戦闘機『烈風』は国防の要、96式艦上戦闘機『強風』の後継機です。
三菱の設計陣に同時開発の余力が無い事は、一目瞭然でした。
A10火星を装備する為、13試艦上戦闘機は更に大型の機体となります。
高速の一撃離脱戦法《ヒット・アンド・アウェイ》に対応可能な重戦闘機を意図。
発着艦性能が難問となる事も、当初から想定されていますが。
将来出現の予測される合州国の新型艦上戦闘機は、2000馬力級発動機の装備が予測されます。
軽量小型のA9瑞星や中型のA8金星を装備する機体、『烈風』では対抗不可能です。
大型のA10火星を装備する機体、13試艦上戦闘機は可及的速やかに設計開始を要望されますが。
1940年に12試艦上戦闘機『烈風』制式化の直後から、本格的な開発が開始されました。
空冷単列9気筒のA9瑞星を装備する前提で設計された試作機、9試単座戦闘機の発展型。
96式艦上戦闘機『強風』は、14気筒のA8金星へ換装が不可能でした。
A9瑞星10型は離昇600馬力、20型は800馬力。
超1000馬力級の発動機を搭載する戦闘機には、対抗出来ません。
零式艦上戦闘機『烈風』は、A14金星を装備する予定で設計。
A8金星40型は離昇1000馬力、50型は1300馬力。
1941年に『烈風』22型はA8金星50型へ換装を実現しますが、機体強度は不足しています。
13試艦上戦闘機は共同開発とせず、名戦闘機『強風』と『烈風』の再来を期待。
両機を手掛けた堀越二郎技師を中心とする設計陣、三菱へ開発を一任。
2000馬力を超える発動機の搭載が推定される強敵、合州国の戦闘機を想定。
仮想敵に対抗する為、1400馬力のA10火星を装備する前提で設計を開始。
ところが、13試艦上戦闘機の開発に重大な障害が生じます。
設計陣の中心的存在、堀越二郎技師が体調を崩してしまいました。
13試艦上戦闘機の開発に加え、零式艦上戦闘機『烈風』設計者として性能改善も兼任。
過労で倒れてしまいましたが、心理的重圧も見逃せません。
冬の戦争で森と湖の国を救ったフォッカーD21同様、1936年の危機に登場した名機。
96式艦上戦闘機『強風』も、堀越二郎技師が設計者でした。
零式艦上戦闘機『烈風』は、96式艦上戦闘機『強風』の後継機です。
国防の鍵を握る全責任が堀越二郎技師、1人に掛かったと言っても過言ではありません。
自己管理能力の不足、自己責任と非難する事は誰にも出来ませんでした。
堀越二郎技師の盟友、土井武夫技師も複数の業務を兼任。
13試双発局地戦闘機『天雷』、15試局地戦闘機『紫電』開発の中心的存在です。
陸軍も仮称双発襲撃機『屠龍』、海軍名称『天雷』を対爆撃機の主力邀撃機と期待。
中戦『飛燕』、海軍名称『紫電』も主力戦闘機と重視しており引き抜く事は不可能ですが。
13試艦上戦闘機の開発遅延は、数年後の日本戦闘機隊壊滅に直結します。
次期主力艦上戦闘機の早期完成を支援する為、同業他社の競争相手を招聘。
菊原静男技師を始め、川西の設計陣が参加する事になりました。
14試局地戦闘機『雷電』は1941年、既に試作機が完成し審査が進行中。
不具合箇所の改修、発動機の換装は他の技師が担当。
96式艦上戦闘機『強風』、零式艦上戦闘機『烈風』も同様です。
責任と重圧は分散され、全員参加で国難に対処する体制が構築されました。
13試双発局地戦闘機『天雷』の開発主任も、他の技師に任されました。
土井武夫技師は複数機種の開発を同時進行、主任を兼ねる激務から解放。
情報の錯綜する状況を改善、14試局地戦闘機『紫電』へ全力投入が可能となりました。
単機毎の旋回運動戦、個人戦の技量に頼る一騎打ち。
1936年の空中戦では編隊の波状攻撃、集団戦術を駆使するソ連空軍には対抗できませんでした。
最強の戦闘機を目標とする13試艦上戦闘機は、一撃離脱戦法でも対等に戦い得る高速の重戦闘機。
9試単座戦闘機と同様に艦上機の制約を排除、離着陸性能に囚われない機体を設計。
陸軍は重戦闘機を『疾風』と仮称、海軍では艦上戦闘機『陣風』の名称を予定していますが。
A21土星を装備する性能向上型は発動機直径の増大により、機首が太くなる事は避けられません。
発進時に噴射ロケットを装備する案も提出されましたが、前下方視界の不良は根本的解決が困難です。
着艦時の事故多発が懸念され空母搭載を断念、陸上戦闘機として使用の方向で運用を検討。
空母の飛行甲板を拡張するにも限度があり、着艦時の制動装置を工夫する予定ではありますが。
空冷星型14気筒A10火星の発展形、18気筒A18木星の直径は更に増大します。
1940年6月に内部構造の改良を試み、仮称A18木星E型の設計も開始。
1941年5月には更に大型のA21土星、22気筒の大馬力発動機が計画されました。
13試艦戦『陣風』もA18木星、A21土星へ換装を想定し改設計に着手していますが。
発動機を換装した性能向上型は機首の直径が増大する為、空母の運用は不可能と判断。
対重爆撃機用の邀撃機、局地戦闘機には分類していません。
飽く迄も制空用の戦闘機と認識しており、陸上戦闘機『陣風改』と仮称されています。
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