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ソードアート・オンライン 穹色の風

作者:Cor Leonis
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アインクラッド 後編
  Monochrome

 
前書き
 遅くなってしまい、申し訳ございません。ようやく最新話更新です。
 では、どうぞ。 

 
 ダイヤモンドの輝きと、クリスタルの透明度。地面に敷き詰められた氷製のレンガたちは、その二つを掛け合わせたような美しさで空の蒼を映し出す。冷たくも美しい雰囲気のそれで作られた街道の両脇には、同じく氷で作られた建物が立ち並び、冬の鈍い光を乱反射させて煌いている。並ぶ建築物には平屋が多いものの、宿屋など複数階建てのものもちらほらと見え、どうやって作ったのだろうかと一瞬考え込んでしまうほどに精巧だ。それらに加え、噴水やベンチ、果ては広場そのものや転移門まで氷だけで形作られた街並みは、神秘的なまでに美しい。
 あえてただ一つだけ問題点を挙げるとするなら、あまりにも冬を意識させる光景のせいで、寒さが肌だけでなく目からも染み込んでくることだろうか。実際、もう昼前になると言うのに、現在の最前線であるここ第五十五層主街区《トランスペアレント・シュタッド》は、見た目どおりの氷のような冷たさに覆われていた。

「はぁ……」

 午前中の間わたしの胸に溜まりに溜まった溜息が、ようやく吐き出されて木枯らしに吹かれていった。続けて何度か深呼吸して身体の中の空気を入れ換えようとしてみるものの、どうにもすっきりしない。

 遡ること三時間前。わたしはこの街で行われていた攻略ギルド首脳陣による会議に、参考人として出席していた。議題は、『《穹色の風》マサキの処分と、これからの処遇について』。第五十層のボス戦後すぐから、実に一ヶ月以上にも渡って開かれ続けていたものだ。
 この会議がそれほどまでに長期化した理由は、マサキ君が攻略組の中でもトッププレイヤーであり、さらにユニークスキルである《風刀》スキルと専用武器《蒼風》を所持しているから。彼そのものよりもそれらを巡って、無罪を主張する《血盟騎士団》やソロを中心としたグループと、有罪、しかも厳罰を主張する《聖竜連合》を中心としたグループが激しく対立した。
 紛糾した議論は多数決までもつれ込んだ。最後はヒースクリフさんが提出した『マサキが殺したプレイヤーは全て殺人者(レッド)であった』という情報と、厳罰派が《風刀》スキルや《蒼風》の処遇を巡って内部分裂を起こした結果、何とか彼は罪に問われずに済んだ。
 もちろん、その結果に対して何か不満があるわけじゃない。ないのだけれど……。

「わたし、何であんなに必死になってたんだろ……」

 わたしはその会議の中で、終始無罪派に属し続けた。周囲の顔色を覗って、八方美人であり続けて。何を聞かれても玉虫色の答えしか返せなかったはずのわたしが、初めて自分の考えを表に出した。彼が最後に見せた、泣いているような背中を。最初に見せた、縋るような瞳を思い出しながら。
 今だって、冷たい氷の道と埃っぽい空との間に、あのワイシャツとスラックスが見えて――。

「……え?」

 はっ、と気がついて、わたしは小走りで駆け出した。
 違う。今のは、わたしの作り出した想像じゃない。
 最前線のこの街に攻略組トッププレイヤーである彼がいることは当たり前のはずなのに、わたしはチラリと見えた薄青いワイシャツを追って走る。何故追いかけているのかも分からないままに、小走りだった脚の動きは全速力に変わっていく。
 そして、街の外へと繋がるゲート前の広場、氷に覆われた雑踏の中に、わたしは彼を見失った。渦巻く雑音の中で、自分の上がった息だけがやけにうるさく耳に障る。
 やがて、目の前にメッセージ受信のアイコンが光った。それと一緒に、今日はこれから中層プレイヤーの狩りの手伝いをする予定だったことを思い出した。わたしはメッセージウインドウを呼び出して端っこのデジタル時計を見た。十分遅刻だ。
 わたしは急いで受け取ったメール――わたしが約束の時間になっても来なかったのを心配してのものだった――に返信すると、マサキ君が消えた方向を一度だけ見て、転移門へ向かった。その途中で浮かんできた彼の後ろ姿はやっぱりどこか寂しそうで、今のわたしによく似ていた。



「はあっ!」

 威勢のいい声と共にシステムアシストを受けた身体が滑らかに動き、右手に握られた片手直剣が四角形を描くように振るわれた。《バーチカル・スクエア》をまともに喰らったハチ型Mobは、甲高い断末魔を上げて爆発する。

「……ふぅ」

 《索敵》スキルで周囲にこれ以上の敵がいないことを確認して、わたしは小さく息を吐いた。腰元の簡素な鞘に剣をしまって、後ろで沸き立つパーティーメンバーに振り返る。どうやら、また誰かのレベルが上がったみたいだ。
 わたしはすっかりと傾いた夕日を仰ぐと、彼らに歩み寄る。

「あ! エミさん、聞いてくださいよ! またレベルが上がったんスよ! 手に入るコルの量も段違いだし、やっぱ“上”は一味違うッスね!」

 すると、それに気付いた一人の少年が、自分の胸元辺り――恐らくステータスウインドウだろう――に向けた瞳を輝かせながら、興奮気味にそう言った。大方、残金か手に入れたアイテムでも見ているのだろう。

 現在わたしたちは、最前線より三つほど下層のフィールドに出てきていた。ほんの三十分前まではここより五層下にいたのだけれど、唐突な「一度でいいからもっと上に出てみたい!」という頼みに流され、ここまで上がってきたのだ。
 このパーティーの平均レベルは、攻略組であるわたしを除けば高くはない。彼らのレベルはいわゆる中層プレイヤーとしては高いが、この層の安全マージンにはまだ4つほどレベルが足りておらず、この層で余裕を持って戦えるとは決して言えない。
 それでも主街区に程近く出現するモンスターも比較的弱いこの辺りなら何とかなるだろうと考えてこの場所で狩りをしてきたのだが、残りのポーションの量などからしてそろそろ引き上げることを考えないといけない。……だから、そろそろその話を切り出したいのだけど……。

「あ、う、うん。おめでとう」

 相手の勢いに押されたわたしは、いつも通り、笑って頷いた。そうじゃないって思うけど、口から出てくるはずだった言葉は、それよりももっと前で冷たい雲に呑み込まれて消えてしまう。
 ……これも、いつも通り。

「――ねぇ、皆」

 その後しばらくして、彼らの熱気が段々おさまってきた隙に、ようやくわたしは口を開いた。呼びかけを耳にした彼らが、一斉にこちらを向く。わたしはそれを確認すると、今まで胸のうちで燻っていた言葉をゆっくりと噛み締めながら吐き出そうとして――、

「うわあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 不意に響き渡った悲鳴に声を遮られた。

「ここで待ってて。何かあったらすぐに転移して!」

 わたしは咄嗟にそう言い換えると、再び剣を抜いて叫び声に向かって走った。



 声の主は、思っていたよりも早く見つかった。元の場所から五十mほど先、小さな丘を一つ越えた辺りで、一人の男性がハチ型Mob数体に取り囲まれて襲われていた。男性は時折反撃するものの、慌てているのか全く当たる様子はなく、逆に技後硬直の隙に更なる追撃を喰らってしまう。頭上のHPバーは既に黄色に変色しており、猶予はなさそうだ。

「やあぁぁぁっ!!」

 剣を担ぐように構え、全力で地面を蹴り飛ばす。《ソニックリープ》が発動し、システムアシストに背中を押されたわたしの体が空中のハチめがけて飛翔する。

 男性を襲っていたハチがこの層に出現する敵の中では最もレベルの低いMobだったこともあり、わたしは特に苦戦することもなく数匹のハチを蹴散らした。最後の一匹を倒した後、《索敵》スキルで辺りに他の敵がいないか確かめる。

「あの……あ、ありがとうございました……」

 すると、襲われていた男性が声をかけてきた。わたしは剣を鞘に納めて振り返る。尻餅をついた状態でやや呆然とした視線を向けてきていたのは、線の細い、少し気の弱そうな青年だった。

「いいえ。……それよりも、大丈夫ですか? 大分消耗してるみたいですけど……」
「はい、何とか……」

 わたしが近寄って問いかけると、男性はポーションを飲みながら立ち上がった。が、その足取りはフラフラと覚束ない。

「本当に大丈夫ですか? 転移結晶を使ったほうが……」

 憔悴しきった様子の男性を心配に思ったわたしは、若干躊躇(ためら)いがちにそう言った。
 今飲んだポーションによって彼のHPは回復しつつあるが、それで精神的な疲労まで取れるわけではない。そして敵Mobとのエンカウントや罠など、様々なイレギュラーに瞬時に対応することが必要なこの世界では、精神的疲労は文字通り命に関わる。Mobとの連戦で疲れ果てたところをネームドモンスターに見つかり、そのまま……などと言う例は、挙げようとすればキリがない。

「いえ、それが……実は、さっき追い掛け回された時に使おうとして、落としてしまって……」
「予備は……?」
「……ありません」

 男性は俯き加減に首を振って呟いた。柔和そうな顔には疲労が色濃く浮き出ていて、見るからに辛そうだ。

 わたしは一度周囲を見回して、どうしたものかと首を捻った。このエリアは確かに主街区からも近く出現する敵も弱いが、ここから街まで一度のエンカウントもなしに帰れるかと言えば微妙なところ。そして、今の状態では、彼は次の戦闘には耐えられないだろう。
 わたしたちのパーティーと合流して全員で帰ると言う手も、一応あるにはあるけれど……。

「……あの、よければこれ、使ってください」

 わたしは一度首を左右に振ると、腰につけたポーチから一つの結晶を取り出して、青年に差し出した。目の前に差し出された青い結晶を見て、彼の目の色が一瞬で変わる。

「そ、そんな! これ、転移結晶じゃないですか!? こんな高価なもの、受け取れませんよ!」
「大丈夫。わたし、一応攻略組だから」
「で、でも……」
「いいから使って。ね?」

 男性はなおも拒否しようとしていたが、わたしが強引に彼の手に転移結晶を握らせると、「ありがとうございます」と小さく呟いて転移していった。

「……ふぅ」

 わたしは息を吐くと、待たせている皆のもとへ小走りで向かった。顔にぶつかる黄昏時の空気が、妙に冷たく感じた。

「……あ、エミさん。大丈夫だったッスか?」
「うん、大丈夫。こっちは?」
「問題ないっす。エンカウントもなかったですし」
「そう。よかった」

 それから間もなく皆のところに戻ったわたしは、その報告を聞いて安堵した。HP残量や表情にも特に変わったところは見られないし、嘘ではなさそうだ。

「それじゃあ、そろそろ日も傾いてきたし、今日はこの辺で――」

 今がちょうどいいチャンスだと感じたわたしは、出来るだけ笑顔でそう切り出そうとした……のだが……。

「あ、実は今俺らで話してたんスけど、この近くにダンジョンとかないッスかね? この際だし、ついでにダンジョンアタックとか行ってみよーぜ! って盛り上がっちゃって」
「え、あ、えっと……」

 またも遮られた。
 ダンジョンともなればここよりも難易度は上がるし、時間帯を考えればそうそうチャレンジもできないのだが……。

「……分かった。でも、ちょっとだけだからね?」

 彼らの期待を込めた視線に流されて、わたしはいつものように、笑顔でそう言ってしまうのだった。
 ――このとき自分が、致命的なミスを犯していることにさえ気付かずに。



「……大丈夫?」
「う、うっす」

 わたしたちが近場のダンジョンに入ってから十分くらいが経った頃。わたしは彼らに対し、そう声を掛けた。すぐ後ろの少年が肯定の返事を返してきたが、その声色には力がない。ダンジョンに入ってから遭遇する敵も手強くなっているのに加え、一日の疲労が出てきたのだろう。

「……ねぇ、皆。そろそろ、帰ろっか」

 流石に限界だと判断したわたしは、少し小さめの声で言った。口元がピクッと引き攣り、(のど)の奥から苦い唾液が湧き上がってくる。

「……そうっすね。流石にこれ以上はキツイっす。皆も、それでいいよな?」

 少年が首だけで振り向いて問いかけると、他のメンバーも頷いた。どうやら、全員思うところは一緒だったらしい。

「それじゃ、出口はあっちだから――」
「あ、エミさん。その前に、あそこの宝箱だけ開けてきてもいいっすか?」
「うん、分かった」

 何とか上手く話を持っていけたことに安堵の息を吐きつつ、わたしは答えた。ウインドウからダンジョンマップを呼び出しながら、小部屋の宝箱に向かう彼らの後に続き――ふと、足を止めた。

 このゲーム(SAO)には、大雑把に分けて三種類の宝箱がある。一つ目は、レアアイテムやレア装備品が入ったもの。難易度の高いダンジョンの奥深くに設置されていることが多く、開けられるのは一度だけ。
 二つ目は、ポーションや結晶、素材アイテムなどが入ったもので、こちらはダンジョンやフィールドのあちこちに存在しており、一定期間後に中のアイテムが復活するため何度もアイテムを得ることが出来る。
 そして三つ目。アイテムや装備品ではなく、その代わりに様々な(トラップ)が詰め込まれた恐怖の箱で、ダンジョンの小部屋などに配置してある場合が多い。……そう。今まさに彼らが触れようとしている、あの宝箱みたいに。

「ダメッ!」

 はっと気付いたわたしは、大声で叫んで駆け出した。このタイプのトラップは《罠看破》スキルでトラップか否かを確認できるのだが、彼らのレベルから推定できる熟練度では、この層で通用するかどうかはかなり微妙だ。

「え?」

 わたしの声を聞いた彼らが頭上に疑問符を浮かべて反応するが、その手が止まるより一瞬だけ早く、宝箱の蓋を持ち上げてしまって。

 ――ウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥッッ!!

 そして、次の瞬間。けたたましいアラーム音とともに大量のゴーレムが出現し、わたしたちの背後にある部屋の出入り口を埋め尽くした。

「ちょ、お、えぇ!? アラームトラップ!?」
「落ち着いて! あいつらがこっちを囲んで攻撃してくるまでには、まだ時間があるから! 皆、慌てずにこの層の主街区に転移!」
「は、はいッ!!」

 わたしは鞘から剣を抜くと、宝箱の蓋についたアラームを壊しながら精一杯声を張り上げた。わたしの記憶どおりなら、このダンジョンに《結晶無効化空間》のトラップはなかったはず。だとすれば、今すぐに転移すれば無傷で逃げ帰れる。
 アラームが停止したのを確認し、剣の切っ先を出入り口でたむろしているゴーレムたちに向ける。後方で、パーティーメンバーが無事転移したことを告げるサウンドエフェクトが、きっちり五回鳴り響く。
 一先ず他の皆が無事に帰還できた事に安堵しつつ、わたしは自分が転移するべくポーチを漁った。十メートルと少し先ではゴーレムの群れがこちらに向かって雄叫びを上げているが、足の遅いゴーレムから攻撃を受けるまでにはもう少し時間があるため、十分に間に合う……はずだった。
 わたしはポーチに手を突っ込むと、手に触れた結晶を掴み取った。が、それは青色の転移結晶ではなくピンク色の回復結晶だった。再び手を入れ、結晶を掴む。今度は緑色の解毒結晶。

「もう! こんなときばっかり!」

 苛立ったわたしは、剣を鞘にしまって両手でポーチを漁りながら中を覗き込んだ。散乱するポーションの瓶や結晶を乱暴に引っ掻き回して転移結晶を探す。
 ――だが。何度ポーチの中身を掻き分けて探しても、青色の結晶がその中から出てくることはなかった。

「ウソ、そんな……なんで……!」

 唇から漏れ出したその言葉は、自分でも驚いてしまうほどに震えていた。冷たい不安が背中をゾクリと駆け抜け、頭で恐怖に変換されて指先を振動させる。

 ――ウソだ。絶対にありえない。
 真っ白に染まった頭の中で、現実を拒否する言葉だけがぐわんぐわんと鳴り響いていた。前にフィールドに出たときは転移結晶は使わなかったから、ポーチの中には前に持って出たものがそのまま残っているはずで、今日はまだ使ってないのだから……。

「あっ……」

 そこまで考えた瞬間、漂白されていた頭の中に、突然先ほどの記憶がフラッシュバックした。……見知らぬ青年に転移結晶を握らせた、たった十分前の光景が。

「あれが……最後の一個……?」

 言いながら、わたしは自分の顔から血の気が引いていくのが分かった。ポーチの中身を搔き回していた手が硬直する。直後、ぼんやりと映っていた視界に黒い影が射した。
 はっとして見上げると、いつの間にか目の前にまで接近していたゴーレムが、灰色の岩石がレンガ状に積み重なった右腕を振り上げていた。咄嗟に後方に跳び退く。僅かに遅れて、ゴーレムの腕が唸りを上げてわたしがいた空間を貫く。それを合図にするように、周囲のゴーレムが一斉に雄叫びを上げながら突っ込んできた。剣と盾をフル活用して殺到するパンチをいなしていく。が、一人で捌ききるにはあまりにも数が多すぎた。徐々に後ずさっていき、やがて部屋奥の壁に背中がぶつかった。
 ふと首を巡らせると、視界を埋め尽くす灰色のゴーレムたちが、重い巨体を引き摺りながら、ゆっくりとわたしに向かって歩を進めてきていた。何処を見ても、他のプレイヤーはいない。この逃げ出せない檻の中に居たのは、わたし一人だけだった。
 そう感じた瞬間、言いようのない孤独感がわたしを覆った。頭の先から足先まで、身体全部が金縛りにあったみたいに硬直し、震えだす。コントロールを失った指から剣が抜け落ち、乾いた音を立てて床に転がる。脚から力が抜け、壁にもたれるようにしてその場にへたり込む。目の前で、ゴーレムが平べったい足裏を振り上げた。

(嫌……止めて……)

 喉が言うことを聞かないわたしは、胸の中で必死に願った。けれど、ゴーレムがそんな願いを聞いてくれるはずもなくて、複数体から踏み付け(ストンプ)を喰らってしまう。一応、この層でこのゴーレム相手なら、多少の不利をひっくり返すのはそんなに難しくない程度の装備とレベルをわたしは持っているし、一発や二発攻撃を喰らったくらいではピンチにはならない。でも、今みたいに全てがクリーンヒットになってしまえば話は別で、わたしのHPは今の攻撃で既に黄色く染まっていた。

 ――わたし、死ぬんだ。こんなところで、たった独りで。
 頭上から強く叩きつけられたことによる眩暈(げんうん)の中、わたしは続けて振り下ろされるゴーレムの腕をぼんやりと眺めながら、冷たい壁に身体を預けた。直後――。

 視界の端で蒼い欠片が微かに舞い、ほぼ同時に一陣の風が音もなくゴーレムの間を駆け抜けて、わたしにぶつかる寸前のゴーレムの腕を貫いた。そのままわたしの眼前で立ち止まると、同じように振り下ろされるゴーレムの腕を片っ端から逸らし始めた。半透明の風の刃がゴーレムの腕すれすれを滑り、そのベクトルを僅かに変える。だが、それは決して楽なことではなかったらしく、最後の一本を刀身ではなく柄の部分で殴りつけるようにして逸らすと、ミシッ、と言う嫌な音に鋭い舌打ちが上乗せされた。
 それでもほぼ同時に振り下ろされた腕を全て逸らしきると、手に握った刃を高速で真一文字に薙いだ。すると、その軌跡から風が吹き始め、竜巻となってゴーレムの追撃を封じてしまう。更に数秒もすると、いつの間にか竜巻の中に紛れ込んでいた数本の投剣が一気に白い煙を噴出し、部屋の視界を消した。ここでようやく我に帰ったわたしは、あまりの煙の量に思わず口と鼻を腕で覆ってしまう。

 ――そして、数十秒後。竜巻と煙が晴れ、クリアになった視界にあったものは。部屋中を浮遊しながら消えていくゴーレムたちの蒼い残骸と、薄青いシャツと黒のスラックスを身にまとった一人の青年、マサキ君だった。

「……あ、あの……」

 わたしは彼に声を掛けようとしたが、言葉が続かなかった。彼は一度こちらに視線を向けると、すぐに正面に戻し、部屋の中心に何事もなかったように鎮座している宝箱の蓋を開けた。再びけたたましいアラートがゴーレムと共に部屋に出現する……などと言うことはなく、彼は箱の中から幾つかのアイテムを取り出した。どうやらこの宝箱、罠を解除すると中にアイテムがポップするタイプのものだったようだ。

「発見者報酬だ」

 彼はチラリとわたしを見ると、ピンク色の結晶を投げた。それは緩やかな放物線を描きながら飛んできて、慌てて出したわたしの両手にすっぽりと収まった。それを確認すると、彼は立ち上がって足早に立ち去ろうとする。
 段々と小さくなっていく背中を目にした瞬間、氷のように冷たい恐怖と不安が再びわたしの背中に手を伸ばしてきて。

「お、おい、一体何を……」
「……行かないで……」

 気付くと、わたしは部屋の半分を駆け抜けて彼の身体に縋りついていた。頭上から、彼の声が聞こえた。途中から聞き取れなかったのが、彼が言葉を止めたせいなのか、それともわたしの耳が言葉を受け付けなくなったせいなのかは分からない。
 わたしは凍えた子供みたいに彼の背中に縋りつきながら、身体と同じくらい震えた声で言った。

「独りに……しないで……」 
 

 
後書き
 さて、いかがでしたでしょうか。今回はちょっぴり趣向を変えて、エミさんの一人称視点で話を進めてみました。それに伴い、元々拙い文章がさらに見るに堪えないものとなっておりますが、何卒ご容赦を。
 はてさて、ようやくこの物語の表舞台に上がってきた本作のヒロイン、エミさん。彼女を主軸に据えたストーリーは、もう暫し続きます。お楽しみいただければ幸いですね。

では。 
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