無慈悲な時の流れ
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第三章
第三章
「ピッチャー牛島」
そして主審に告げた。ここが勝負の分かれ道と見た彼は守護神を投入してきたのである。
牛島和彦。浪商においてドカベンと仇名された香川伸行と共に甲子園で活躍し中日ではその伝家の宝刀フォークボールでもって抑えとして活躍してきた男である。浪商においては不良達を取り纏めていたという話もある程の気の強さと頭脳も併せ持っていた。落合博光とのトレードでロッテに来ていた。
その牛島がマウンドに上がった。仰木もその目を光らせた。
「牛島ァ!」
三塁側にいる近鉄の応援団が彼に声を浴びせる。
「御前も関西出身やろがぁ、勝たせろやあ!」
近鉄ファンの野次の汚さはこの時から有名であった。だがこの時は只の野次ではなかった。そこには熱い想いがこもっていた。
見ればこの川崎球場を埋める三万の観客の殆どが近鉄ファンである。それを聞いていたのはここにいる者達だけではなかった。
「これは大変な試合だぞ」
それを見たテレ朝の幹部の一人が言った。
「放送できるか」
そしてスタッフに言った。
「予定を変更してですか!?」
その言葉には思わず誰もが驚いた。
「これを見ろ」
彼はそう言ってテレビに映る試合を見せた。
「うあわ・・・・・・」
それを見た誰もが思わず息を呑んだ。
「野球は巨人だけじゃない、高校野球だけじゃない」
彼はスタッフに対して言った。
「今こうして戦っている死闘、それも野球なんだ」
彼の言葉には熱気があった。
「俺の言いたいことはわかるだろう、いいか」
「・・・・・・はい!」
彼等は頷いた。
「よし、社長には俺が話をしておく」
彼はそう言うと社長室に向かった。
「・・・・・・わかった」
社長もそれを認めた。そしてこの死闘は全国で中継されることとなった。
だが両軍の戦士達はそのことを知らない。ただグラウンドで火花を散らすだけである。
バッターボックスには鈴木貴久が入る。強打が売りの男である。
「鈴木ィーーーーーッ、打てやぁーーーーーーっ!」
観客達の声が響く。鈴木はそれに応えるべきバットを握り締めた。
牛島のボールを引きつける。そしてそれを思いきり打った。
「いった!」
それを見た中西が叫ぶ。ナインはベンチから出た。
佐藤は三塁を回った。三塁ベースコーチの滝内弥端生も我を忘れてホームへ駆け寄る。
だがロッテのライト岡部明一がその打球を上手く処理した。そしてホームへダイレクトで投げ返す。
「何っ!」
それを見た近鉄ナインが思わず硬直した。何と佐藤が挟まれたのだ。
必死に生きようとする佐藤。だが逃げ切れるものではなかった。彼はあえなくアウトになった。
「何でこうなったんや・・・・・・」
近鉄ナインだけではなかった。観客達も、テレビの前にいる者達も呆然とした。
「終わったか・・・・・・」
誰もがそう思った。一人を除いて。
仰木が黙ってベンチを出た。そして代打を告げた。
「代打、梨田」
それを聞いた観客達が皆地を揺らす程の驚愕を見せた。
「梨田かぁ!」
梨田昌孝。近鉄の正捕手を長い間務めてきた男である。西本幸雄のキャッチャーとしての在り方を一から教わり時には鉄拳制裁も浴びた。だが彼はそれに応え近鉄の守りの要となったのだ。
その打撃もパンチ力があった。だがそれよりもその独特の打法で知られていた。
こんにゃく打法。身体をぐにゃぐにゃと動かすその打法は一度見たら忘れられないものであった。
「わしの打撃理論から見たら反対やけれどな」
西本はそれを見てこう言った。
「そやがあれで結構打ってくれとるしまあええやろ」
西本は選手の個性を否定するような男ではなかった。確かに炎の如き厳しさを持つ人物であったがそれ以上に温かい人物であった。
その西本が育て上げた弟子の一人、だが寄る年波には勝てずこのシーズンでは限界が囁かれていた。実際に彼は今シーズン限りで引退するつもりであった。
(これが最後かもな)
彼はそう思いながらバッターボックスに向かった。牛島は梨田から目を離さなかった。
「どうするか、やな」
彼は逡巡していた。歩かせるか、それとも勝負か。彼は常に物事をクールに考える男であった。
だが同時に熱い心を持っていた。そうでなければストッパーは務まらない。
「梨田さんは引退するかも知れん」
それは彼も聞いていた。
「これが最後かもな」
そう思うと何か熱いものがこみあげてきた。そしてグローブの中の白球を見る。それは無言で白く輝いていた。
「よし」
彼は決意した。こんな状況で逃げては男がすたる、彼は勝負を挑むことにした。
「勝っても負けても全部俺の責任や」
今は同点である。そして今二塁にいる鈴木は彼が出したランナーである。ここまできて悩むこともないな、と思った。
梨田は無言でバッターボックスに立っている。二塁にいる鈴木は足は決して速くはないが勘がいい。おそらくヒットで帰ってこれるだろう。
梨田はそれ以上考えなかった。ただ無心に近くなってきた。
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