碁神
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囲碁部は俺の宝物です。
囲碁部の部室は校舎一階の端にある。
一見普通の教室だが、ドアに『囲碁部☆』『来たれ新入部員!』『目指せ全国!』などの張り紙がベタベタ貼り付けられ、囲碁部の部室であることを全力でアピールしている。
直接落書きしなければ好きにしていいと言った結果、随分派手なドアにされてしまった。
ドアについている窓から中を覗くと、みんな対局中のようだ。
感心感心。
「着きました。 ここが囲碁部の部室ですよ」
「はは、随分にぎやかなドアですね」
「いやぁ、自由にして良いと言ったら自由にされすぎました。 それでは、俺が先に入りますから少々お待ちいただいて良いですか?」
「わかりました」
随分遅くなってしまった。
まずは謝るのが先だな。
その後で美鶴先生に失礼なことをしないように言っとかないと。
ガラッとドアを開けて片足を部室に踏み入れる。
「すまん、遅くな――」
「あーー!! シーナちゃんきたー!」
開口一番の謝罪は、女子生徒の大きな声にかき消された。
「あ? マジだ! おっせーよシーナちゃん」
「おーし! じゃあお片づけしますか!」
「ちょっ、おまっ! 卑怯だぞっ、自分が負けてたからって!」
「しぃちゃんっ! 香坂美鶴は!? 今日だよな!?」
「イケメンなんでしょ!? チョー楽しみー!」
つい先ほどまで静まり返っていたのが夢か幻に感じられるほど、あっという間に話し声と片付けの音で部室内がワイワイガシャガシャと騒がしくなる。
矢継ぎ早に質問を投げかけられ軽く頭を抑えながら声を張り上げた。
「ええいっ! ちゃんと説明するからちょっと待てっ!」
子ども達が口を閉じ、期待に目を輝かせて俺の言葉を待つ。
まだ一学期間しか見ていないクラスの生徒達よりも丸一年見てきた部活の生徒達のほうが関わりが深く、長い。
そのせいか、こいつら俺に遠慮という物を全くしなくなってしまった。
信頼の証と思えば嬉しいんだが、教師として正しい姿かと問われれば微妙なんだよな……。
一先ずは静かになり、ほっと一息ついて俺は口を開いた。
「えーまずは来るのが遅くなって悪かっ――」
「はいはいどーせまた誰かにお悩み相談でもされたんだろ」
「前置きはいーから本題本題!」
……俺、何かもう先生扱いされて無くないか……?
地味に心にくるんだが……。
「……先生の話は最後まで聞くように……。 それじゃあサクッと本題に入るが、みんなも知っての通り、今日はあの香坂美鶴先生が指導をしてくださる。 もう二度とあるか分からない貴重な機会だ。 この機会を無駄にしないよう、香坂先生の話は真剣に聞くこと! く・れ・ぐ・れ・も! 失礼な態度をとるんじゃないぞ! 特に女子!」
「えー失礼な態度なんかとんないし!」
「何で女子だけなんですか!」
「てかイケメンって本当ですか!?」
「だからそのイケメンがどーとか言うのが失礼な態度なんだって! いくら香坂先生がかっこよくてもキャーキャー言うんじゃないぞ!」
「キャー! かっこいいって!」
「やだ、あんたシーナちゃん一筋って言ってたじゃん!」
「何言ってんの、イケメンは別腹っしょ!」
両手で頭を抱えた。 駄目だこいつら何とかしないと……。
「椎名先生。 香坂先生はもういらっしゃってるんですか?」
一人の男子生徒に話しかけられ顔を上げる。
唯一の三年生で部長の安藤太一が真剣な表情でこちらを見ていた。
短髪でストイックな雰囲気のイケメンだが、生真面目すぎるくらい真面目で俺のことをとても慕ってくれている。
元々は趣味で囲碁を打っていた子だが、最近はプロになることも視野に入れて練習をしている。
去年の関東大会では後一歩で入賞を逃したが、今年は間違いなく全国で入賞を狙えるだろう。
香坂美鶴が来ると聞いて一番喜んでいたのが安藤だ。
そうだ、こうやって真面目に教えを受けようとしている子もいるんだ。
もし失礼なことをやらかした子がいたら俺が責任を持って誠心誠意謝罪しよう。 美鶴先生は良い人っぽいし、きっと許してくれるはずだ!
あまり待たせたらそれこそ失礼になる。
もう、腹を括るしかない……!
「ああ、今廊下で待ってもらってる。 それじゃあ今から中に入って貰うけど、大きい声でキャーとか叫ぶのだけは絶対に無しだからな!」
「「はぁーい」」
ま、これだけ釘を刺せば大丈夫だろう。
ドアを開け、待っていた美鶴先生に「お待たせしました」と声をかけ中に入るよう促す。
美鶴先生が部室内に入った途端、女子が小さく「キャー」と黄色い悲鳴を上げ、同時に小声で「ちょ、やばい、超イケメンだよぉ」などの私語が交わされた。 こ、これくらいなら許容範囲……! と、思ったら男子が一人ピュゥ♪っと口笛を吹きやがった。 それアウトーー!
「皆さん、こんにちは。 香坂美鶴だ」
「「こんにちはー!」」
しかし、美鶴先生は全く気にしていないように優雅な笑みを浮かべている。
前から指導のボランティアしてるということだし、こういうことにも慣れているのかもしれないな。
「短い時間だが、今日は縁あって君達の指導をさせて貰うことになった。 今日教えることが君達のこれからの碁に良い影響を与えることが出来れば嬉しい。 分からないことがあったら気軽に何でも聞いてくれ」
「「よろしくお願いしまーす!」」
「では、まずは君達の棋力が見たい。 早速だが多面打ちをするから碁盤の用意をしてくれ」
ガタガタと碁盤の用意をしながらもうっとりと美鶴先生を見つめている女子がチラホラいたが、対局が始まれば全員真剣な表情になるのが誇らしい。
去年、創部当初はルールも知らず碁石でおはじきしていたとはとても思えない。 碁の精神からみっちり教えこんだ甲斐があったというものだ!
部員数は12名。 12面打ちともなると随分壮観だ。
あまり人数が多いと混乱しそうなものだが、美鶴先生はどんな盤面でも適切に打ち返し、生徒の一手がより良い一手となるように導いている。
見事な指導碁だ。 流石プロ!
しかし、時々安藤のところで感心したように手が止まる。
ふっふっふっ、その子は俺の秘蔵っ子だからな!
中々やるだろ?っと内心鼻高々だ。
全員の指導碁が終わり、一人ずつに置石の数が指示されていく。
その数は俺がいつも指示している数と一緒だった。
自分の判断が日本一を争う人と同じとか……じ、地味に嬉しい。
「君、名前は?」
「えっ! あ、安藤太一ですっ!」
「安藤君ね。 君、なかなか筋が良い。 院生の一組に匹敵する。 もう少し研鑚を積めばプロ試験合格も夢じゃない」
「あっありがとうございます!」
安藤が大絶賛され声を上ずらせて感激している。
俺も今日は空気でいようと思いつつ、つい口元がにやけてしまう。
「そうだな、置石は六……いや五子に挑戦してみるか?」
「は、はいっ!」
そうして置石を置いての対局も終わり、全員がアドバイスを貰ったところで調度良い時間となった。
美鶴先生の打ち方は、思い切り手加減しているから分かり辛いが、どうやらどちらかと言うと攻撃的な打ち方で、やはりMituruを彷彿とさせる。
『Mituru』は本名なのかと思っていたが、美鶴先生をリスペクトしてあのハンドルネームにしているのかもしれないな。 今日会えたら聞いてみよう。
そんなことを思いつつ、美鶴先生に近づく。
「それでは、そろそろ良い時間になってきましたので――」
「ねーねー椎名センセー」
「ん? どうした?」
「俺、椎名センセーと美鶴先生の打ってるところ見たいなぁ」
「えっ」
急な無茶振りに目を丸くすると「あ、私も見たい!」「せっかくの機会なんだから打って貰えよ!」などと次々声が上がっていく。
「ちょ、お前ら何言ってんだっ。 俺はいーの! もう時間も無いし――」
「一手10秒とかの超早碁にすればいいじゃん」
「あれー? 何々シーナちゃん逃げんの?」
「あ゛?」
「――私なら、別に構いませんよ」
な、なんだって……!?
「もうこの後は帰るだけですから。 椎名先生のご迷惑にならないようであれば」
「う……美鶴先生がそうおっしゃるのなら……」
「よっしゃー! 先生対決きたー!」
「シーナ先生がんばって!」
くっ、好き勝手言いやがってもー……せっかく土曜日に約束して、子ども達の前で打たなくて良いと思ってたのにな。
でもまぁ、確かに中々無い機会なんだ。 前向きに考えることにしよう……。
美鶴先生が碁盤を部屋の真ん中に用意してにこやかに笑った。
「部活終了時刻があると思いますので、先ほど生徒さんが言っていた一手10秒の早碁にしましょう」
「ええ、すみません、子ども達のわがままにつき合わせてしまって……」
「気にしないで下さい。 それに――」
不意に美鶴先生が耳元に唇を寄せてきた。
「――ゆっくり打つのはまた土曜日にできますし、ね……?」
「ひゃっ、ひゃい!」
子ども達に聞こえないようにするためか低い声で囁かれ、思わず耳を押さえて飛びのいてしまった。
うはぁ……背筋がゾクゾクする……。
だからそういうのは女の子にやれって!
女子がキャーキャー言い始めたのを黙殺し美鶴先生と向かい合って座る。
置石なんて何年ぶりだろうか。 久しぶりすぎていくつ置けば良いのかさっぱり分からず悩んだが、美鶴先生が三子と決めてくれたので助かった。
そうして打ち始め、中盤に差し掛かってくると実力差が大して無いことが分かった。
もしかして、実力的にほぼ互角くらいなんじゃないか……?
早碁が特別苦手……というわけでもなさそうなんだが。
ともあれ置石のお陰でずっと俺が優勢だ。
ぶっちゃけ守ってれば勝てるのだが、困惑してるところに捨て身の猛攻が直撃し、地味に地を削りとられてしまった。 盤面は非常に細かくなっている。
子ども達にはどちらが勝っているか判断するのも難しいだろう。
最後まで油断は出来ない――って、あれ?
何か、この打ち方凄くデジャヴなのですが……。
あっ、ほら、この打ち込みの仕方なんか……そう思って見てみればさっきの捨て身な攻め方も――いや、でも……。
そっと美鶴先生の顔を窺うと、ニヤリと悪戯っぽく笑いかけられた。
ちょ、まさか――!
「――お、お前……Mituru……?」
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