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さんすくみっ

作者:noonpa
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第一部
第一幕 畜生中学生になる
  第一幕 畜生中学生になる

 俺は頭が良かった。
 食う寝る卵を産む(産ませる)くらいしか考えることのない仲間たちと比べると、より多くのことを考察することができる……のだけれども、それを有効利用する機会はない。
 逃げるカエルなんかを追い詰めるのが多少効率的になるくらいで、結局食う寝る卵を(以下略)以外やることのない俺達にとって、こんなもの無用の長物以外の何物でもない。
 そんな無意味なスペックをもつ俺に、卵を産ませたいと思うメスができた。
 基本的にはオスがメスを選ぶことなんかない。メスの方がオスを選ぶのだ。
 けれど、俺がそんな常識と少しばかり異なるのは、やはり俺がこの無用の長物を有していたからなのだろう。普通のオスはメスのニオイを重視する。といっても、そのニオイにメスごとに大きな差があるわけではない。強いて言うなら自分に近いニオイ(逆に遠過ぎるニオイも)がとんでもない異臭に感じるくらいだ。
 俺はそんなよくわからん物にはまるで興味がなかった。多くのオスはそのニオイを嗅いだだけで子供の元を出したくなるようだが、俺にはまるでそんなことがなかった。そういうわけなので、俺には子供なんてできないのだろうとぼんやり考えていたのだが、そいつを一目見たとき、俺は生まれて初めて卵を産ませたいと思うようになった。
 俺の目を奪ったのは綺麗な肌。
 本来保護色や、警戒色としての意味合いが強いそれであるが、そいつの肌は明らかに他の奴らとは一線を画していた。
 あまりに鮮やか。
 決して保護色警戒色に必要なステータスではないが、俺はそれを見て産まれて初めての感覚を覚えた。
 脳みそがブルブル震え、なぜか涙まで出てきた。
 俺はすぐにそいつに卵を産ませようとした。
 大してあるわけでもない力強さを必死にアピールしたし、早く走ったり、沢山のカエルを捕まえたりもした。
 そうしたら、そいつは案外あっさり卵を産む準備をした。
 あまりにあっさりとしていたんで、しばらく呆気に取られていたが、なんてことはない。そんなことをくよくよ考えるのは仲間の中でも俺くらいというだけなのだから。すぐに俺はそいつに絡みつき、丸一日ほどお互いにぐねぐねとした。
 何故かそいつは俺達の仲間にしてはかなり大きかったのもあって、非常に疲れたではあったが、産まれてきた丸いそれを見ると、また目から涙が零れた。
 伝えたい。
 この途轍もない、頭の中に広がる何かを、胃から逆流するかの様に込み上げてくる何かを、産まれてくれた卵と、卵を産んでくれたこいつに伝えたい。……だけれども、残念なことに、俺達の間でそんな方法は存在しない。
 それでも居ても立ってもいられなくなった俺は思わず近くに寄り──

 グシャ。

「!?」
 卵が……潰れた。
 一瞬で。
 バラバラに。
「……? …………??」
 何が起きたかわからない。
 俺は恐る恐る、卵を潰したそいつを見上げた。
「おー」
 俺たちよりガラガラとした声で、そいつは鳴いた。イヌやネコとも違う初めて聞く鳴き声だった。
「でーじいい色のヘビじゃないか」
「!?」
 先程と鳴き声が違う。
 音の高さは同じだが、俺達や他の畜生よりも明らかに複雑な鳴き声。身体は俺が生きていて見た中でも最もでかい。一体なんなんだ。なんなんだこの生き物は。
 だが、そんなことを考える余裕を、その生き物は与えてはくれなかった。
「大きさも素晴らしい。こんなのは初めてさー。これなら私が長い間夢見た──」
 何やらブツブツと鳴きながら、ひょいと、とても器用そうな前足で、卵を産んだばかりで衰弱している俺のパートナーを掴み上げたのだ。こいつ、何をしやがる?
「ああ、二匹いたのか。でも、こいつは色が悪いな」
 俺を一瞥後、その生き物は背中に持った何かにパートナーを突っ込み、俺のことは完全に無視して何処かへ行こうとした。
 待て。ちょっと待ってくれ。
 なんなんだお前は。
 俺のパートナーをどうするのだ?
 俺達の卵を割って、更にパートナーまで奪うのか。
 やめろ。
 やめてくれ。
 やめてくれぇええええええええええ!
「シャァアアアアアアアア!」
「うおっ!?」
 俺はその生き物の後ろ足と思しき部分に噛み付く……が、硬い。なんだこれは? 少なくとも生物の皮膚や鱗の硬さではない。ニオイも嗅いでいて気分が悪くなる。俺の毒の牙も刺さった気がしない。
「ぬぅ! どっかいけ!」
 その生き物は、後ろ足を大きく振り、俺を吹っ飛ばす。別段痛みがあるわけではないけれども、そんなことはどうでもいい。
「フン! 見逃してやったんだ。感謝しろ」
 そう鳴くと、疲れきった俺には到底追いつけない速度でそいつは何処かへ行ってしまった。もちろん、俺のパートナーを連れて。
 その場に残ったのはバラバラになった卵と、その場で呆然とした俺だけだった。
 なんなんだ。
 なんなんだあれは。
 俺は必死に考えた。
 けど、答えなんかでない。
 あまりに考えるための材料が少ない。
 どれだけ頭が良かろうと、こんなあまりに予想外のことを考えることはできない。
 何故。
 何故だ。
 何故、俺は一瞬でパートナーも卵も全てを失った!?
 一体何故なんだ!?
「シャァアアアアアアアア!」
 パートナーを見つけた時とはまるで違う脳の振動、それに合わせて思わず声が出てしまう。
 もう何が何だかわからない。
 わからないけど、叫ばずにはいられなかった。
「シャアアアアアアアアアアアアアア!」
 ……そんな時だ。
「ケッケッケ」
「!?」
 不思議な……あまりに不思議な鳴き声がした。
「面白い力を感じてこんなとこまで来たが、その正体がトチ狂ったミミズとは、オレも運が無いぜ」
 ……一体何だ、この鳴き声は。
 その鳴き声には意味があった。
 あの生き物と同類のもの(その割りには高さも大きさも全然違うが)のようで、あまりに複雑で規則とも言えないような規則性の音である。だが、何故だかその複雑な音が何を表現しているのか、俺にははっきりわかった。
「ほう。言霊を感じることができるか。しかも知力も他の畜生と比べたらずば抜けているようだ。ちょっとした化け物だな」
 そう鳴いて、またケッケッケと笑いだした。
 体温は感じない。だから、生き物ではない。どこから発せられているのかもわからない鳴き声。あまりに気味が悪い。
 疲れきった身体にムチをうち、なんとか臨戦態勢を整える。
「無駄だ。お前じゃオレは殺せない」
「シャア」
 殺す?
 つまりこの何かは生きているのか? 生きるための最低限の体温も発せずに?
「この程度の情報で思考までするか。少し修行すれば、言霊や呪術も操れそうだ。そうなりゃ、八岐大蛇再来だな。ケッケッケ。まあ、そんな暇はないがな」
「!?」
 突然俺の身体が光を発した。
 なんだ? 一体何が起きた?
「オレは『呪い』だ」
「シャア」
 呪い? なんだそれは。
 俺は少なくともそう表現されるような生き物を知らない。
 身体が熱い。
 夏の一番暑い時よりもさらに熱い。
「今から呪いであるオレはお前に、死ぬより辛い、生きるよりも笑える、そんな呪いをかける」
 熱い。
 熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!
「シャァアアアアアアアア!」

 次に目が覚めた時俺は人間になっていた。


 寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い。
「ガチガチガチガチガチガチ」
 噛み合わない奥歯が、無機質な音色を奏でる。
 寒い。死ぬほど寒い。
 まだ四月もまだ頭。ボチボチ起き始めるやつもいるとは言え、『元』変温動物からしてみれば、あまりに寒すぎる。
「お前大丈夫か?」
 そんなことを言ってくる男。毛むくじゃらでマウンテンゴリラに良く似たそいつは驚くことに、『今』の俺と同じ人間らしい。
「これが平気に見えるんなら、眼球取り替えた方がいいぞ?」
「…………一応、私は今日からお前の担任なんだが」
 男はそう言って溜息をつく。
「担任だからなんなんだよ」
「はあ。まあ、そういうのもゆっくり学んでいけ。ここは、そのための場所だ」
 学ぶ……ねぇ。



 俺が人間になって、気がつけば既に半年を優に超えていた。その間、別段何を勉強したわけでもない。
 人間になったその時には、最低限の言語と知識が頭の中にあった。
 細かい理屈についてはわからないものも多々あったが、とりあえずそれは別に大きな問題ではない。
 知識があれば思考ができる。
 俺はあの男が何をしたのかを考えた。
 少なくとも、人間というのには(ごく一部の調理法を除いては)俺の『元』仲間を食べるという思考はないらしい。加えて、あいつは俺のパートナーを素晴らしい色だと表現した。
 俺は首に巻いているマフラーという長い布を見る。
 こいつは化学繊維というやつで、よくわからんものをよくわからん行程で、よくわからん加工をしたものらしい。特にこれは防寒的役割を持っており、お陰で俺はこうやって行動できており(無かったら死ぬ)、多大なる恩恵を受けている。
 だが、人間が身につける衣類というものの中には、生物の毛や、皮膚を使ったものがあるとか。
「………………」
 答えはわかった。
 わかったけどわからなかった。
 わかりたくもなかった。
 人間になった日、俺は人間が嫌いになった。



 まだ朝会とやらが始まるまで結構時間があるらしい。さすがに座って待つのもかったるいので、適当に散歩をすることにした。
「面倒は起こすなよ?」
「生まれてから、面倒事の類に巻き込まれたことはあっても、巻き込んだことはねーよ」
 俺が人間になったのだってそうだ。『呪い』だとかなんとか言っていたが、正直今でもわけわからん。
 わからないことというのは、わかるための思考力、もしくはそもそもの材料が足りないことであり、これは明らかに後者だ。無知な俺がどんだけ頭を悩ませても真実を導くことはほぼ不可能なので、考えることすらしなかった。
 散歩をすると言っても、そんなに遠くへ行こうとは思わない。少なくとも外に出る気は更々なかった。理由は単純、寒すぎるからだ。
「ほんと、人間っておかしいだろ。なんでこんな気温で走り回れるんだよ」
 窓の外では、俺と同じくらいの(といっても年齢の概念がかなり違うので一概にこの表現が正しいとは言えないのだろうが)生徒たちが極寒の外で犬よろしくなはしゃぎっぷりを披露していた。おかしいだろ? 馬鹿なんじゃね?
「…………はは。まあ、今や俺もそのおかしな連中の仲間入りってわけなんだけどね」
 一体どこで何を間違えたからこうなったのだろう。あれかな? ラジオ体操とかやらなかったからかな。あれ面倒なんだよね。
 そんな馬鹿なことを考えていると、
「てぇのひらをたいよーにー」
「ん?」
 後ろの方から、何やら声が聞こえた。それも、ただの声ではない。何かの複雑な規則に合わせて、音の高低等を変化させながら、声を出してる。
「…………よし」
 別に行く当てもないし、ちょっと行ってみるか。

 歩いて数十秒もしない部屋に、そいつはいた。
「ミミズだーって、オケラだーって、アメンボだぁって」
 そいつは耳に若葉色の大きなヘッドホンをあて、大きく胸を逸らし、力強く息吹く様に声を発していた。……これは、『歌』か。
 人間には、明らかに生きるために必要のない行動をとったりする。その一つが『歌』だ。
 何らかのメロディに合わせて、決められたセリフを口ずさむ。
 概念としては知ってるし、テレビでも聴いたことがあるが、実際に生で聴くのは初めてだ。
「みんなみんな生きているんだ」
「………………」
 なんつーか。
 そんなに悪くない。
 というか、いい気分な気がする。
 森ではよく鳥の連中が甲高い音で喚いていたが、これはそんなものとは比べものにならないほど、俺の心に響いてくる……そんな感じがした。
「友達なーんーだー。……ふぅ」
 声が止む。どうやら、これで終わりらしい。なんとなく名残惜しく感じてしまった。
 歌い手は軽く頬を上気させ、耳からヘッドホンを外し首にかけると、気持ちよさそうな表情を浮かべる。……と、そこでそいつは俺に気づいたらしい。
「ケロ! あなたはだれ!」
「あ、ああ。俺は今日からここに来た──」
「ケロ! 転校生さん!」
「……まあ、みたいなもんかな」
 大分違う気もしなくはないが、訂正するのがめんどくさい。
 何やらケロケロとよくわからない相槌をうつそいつをじっと見てみる。
 スカートとかいう、いかにも寒そうなもんを着けてることから、そいつが人間のメス……女だということがわかる。
 『元』畜生の俺には人間の美貌云々についてはよくわかないが、本能? 的に見ててそこまで不快になるようなツラではない。むしろ和む? 部類だ。
 背はかなり低い。人間は女のが小さいらしいが、それを加味しても更に小さい気がする。大きなヘッドホンも、そう見えさせる要因の一つだろう。
「ケロケロ! じゃあ寺子屋学園にようこそ!」
「お、おう」
 てか、さっきからうるさい。背丈に反比例でもしてんじゃねーかってくらいデカく響く声。歌として聞く分にはいいかもしれんが、こうやって喋ってる時はもう少し小さくできないもんだろうか。
 ……と、そんな俺の気持ちが通じたらしい。女は慌てて両手で自分の口を塞ぐ。
「ケ、ケロ。ごめんなさい。うるさかったですよね? ちょっと切り替え忘れてました」
 切り替えって、お前はロボットか何かか。
「今のは、『歌』ってやつなんだよな?」
「ケロ!? 聴こえてました!?」
「…………そりゃあ、あんだけ大きな声を出されれば」
「ケロォ。ヘッドホンしてたのにぃ」
「…………いや、声の大きさはヘッドホン関係ねーだろ?」
「え? …………あっ!?」
 何? 今気づいたのかよ?
 なんつーか……頭の残念なヤツだ。
「……ケロロ。恥ずかしい」
「あ? 何が恥ずかしいってんだよ」
 つか、俺には恥ずかしいというもの自体未だによくわからん。人間の感情というやつはあまりに多彩すぎて、俺はまだその一割も理解ができていなかった。少なくとも畜生時代はそんなことがわからなくても、ほどほどに充実した生活を送れていたからだ。
 そんな俺でも、こいつが今の『歌』を自分で馬鹿にしているのは伝わった。
「ケロロ。私は歌が上手じゃないないので」
「…………」
「昔はその、自分は世界で一番歌が上手とか、そんな馬鹿なことを本気で思っていたんですが、ここに来て、ああ私は井の中の蛙だったんだなんて…………ケロっ!? ち、違いますよ! 私は蛙でもカエルでもないですよ!」
 突然取り乱す女。必然的に声のボリュームも数段階上がる。
「ケロケロケロケロ!」
「落ち着け」
 そう言って俺は女の額を軽く小突いた。
「ケロ!?」
「別に俺はお前がカエルかどうかなんざ興味はない」
 俺と同じような境遇のやつが複数人いると聞いている。もしかするとこいつもその一人かもしれない……が、だからと言ってどうというわけでもない。それこそまるで興味がなかった。それよりも……。
「あとな。俺はそんなに多くの『歌』を聴いたことはないんだが、お前のそんなに悪くなかったと思うぞ」
「……ケロ?」
「他のやつがどれだけ上手くやれるのかは知らん。知らんが、少なくとも、今さっき俺の脳を揺さぶったのは、他の何でもない、てめェの『歌』だったんだ。そんなてめェの『歌』が馬鹿にされるのはイライラする。たとえ歌った本人であるてめェが言ったんでもな」
「ケ、ケロ」
 ……なに言ってんだろ俺。
 何か変なモヤモヤが胸の中で広がって、気がついたら自分でもわけのわからんことを口にしていた。
「ああ、もういいや。なんか考えるのも面倒い。つか、ちょっと時間もちょいやべえな、こりゃ」
「ケケロ!? 本当だ。遅刻しちゃう!」
「俺は先に行くぞ?」
「ケロ。どうぞです」
 俺はくるりと、女に背を向け、先ほどいた職員室という場所へと歩き出した。
 すると。
「あ、あの!」
 また女がボリュームをフルにした。う、うるせぇ。俺の鼓膜破れてないよな?
「ん? まだ俺になんかあるのか?」
「ケ、ケロ! ありがとうございます!」
「…………ありがとう?」
「ケロ! そしてよかったら、これからもっと練習して、今よりもっと上手になったら、また私の『歌』を聴いてもらってもいいですか!」
「あ、ああ」
「では、これからもよろしくお願いします!」
 女は言葉と同時に腰を直角近くまで曲げる。……たしか、お辞儀とかいうやつだったか?
 ……ありがとう……ねえ。
 これまた少なくとも俺達の世界には無い概念だ。
 感謝というものを伝える言葉であるようで、つまりは俺は何か感謝を伝えられるようなことをしたらしい。
 ……ただ。何だろう。この気持ちは。何というかむず痒いような、そんな……。
「……よーわからん」


「今日からこのクラスに新しい仲間が加わる」
 大体、40人くらいの人間がいる部屋。この『教室』なんて呼ばれる場所で、若い人間は物事を学ぶのだとか。そして、今日から俺もその一人として加わるわけだ。
「新入生、自己紹介を」
「はあ? 自己紹介って?」
 なんとなく、ゴリラに無茶ぶりされてるのは伝わる。
「文字通り、皆に自己を紹介するのだ。何かあるだろ?」
「何で?」
「皆、お前のことを知りたがってるんだ」
「………………」
 俺はゆっくりと目の前で座ってる生徒達を見渡す。……何かウザいぐらい注目されてる。目が爛々と輝いてるやつまで。
 ……まあ、なんとなくわからんでもない。
 例えば、生まれて初めて見る動物が目の前にいた時、そいつのことについて可能な限りの情報を欲しがるのは、有る意味当然のことだ。その辺りを適当にして死んだ奴を俺は多く見てきてる。……まあ、だからといって、わざわざ俺の方から自分の情報を晒すのは間違ってる気もするが。まあ、それも人間独自のスタイルなのかもしれない。まあ、ここは言われた通りにするか。……郷に入っては郷に従えだっけか?
「あー。俺は一応人間だ」
「見ればわかる」
「お前らを食べる気はない」
「クラスメイトを食う奴なんざいない」
「お前らに興味はない」
「そんなことを堂々と言うな」
 ……さっきから、ゴリラがうるさい。
「とりあえず『名前』から言え」
 ああ、なるほどね。確かにそれは重要かもしれない。
 『言葉』なんて複雑なものをつかう性質上、同じ人間を区別するために『名前』なんてものをそれぞれ持っている。俺も、一番初めに何か教えられた。
「あー。おれの名前は 巳上だ」
「他に言うことが無いのか?」
「他ってなんだよ」
「例えば好きな食べ物とか、そんなんだ」
「好きな食べ物? 強いて言うならカエルは美味いと思──」
「ケロォオオオオオオオオオオオオ!?」
 突如と教室内を爆音が包んだ。
 ……ああ、同じ教室だったのな、お前。
「うるさいぞ! 蛙門!」
 んー。距離的にゴリラのがうるさい。つか、登校初日から鼓膜へのダメージが甚大だ。
「ケ、ケロ! ごめんなさい!」
 ボリュームの壊れた声。
 俺はゆっくりとその発信源へと目を移す。
 そいつは、超ミニマムサイズのくせに一番後ろの席についていた。ついでに言えば、顔を緑色に変えて超高周波数で振動してる。超音波でも出す気なのだろうか。
「もうそろそろ自己紹介ってやつをやめてもいいか?」
「はあ…………。ああ、構わん。だが、二度とカエルがプリプリしていて美味いとは言ってはならんぞ」
 プリプリとは言ってねえがな。
「お前の席は…………あの、現在胃袋を嘔吐している女生徒の隣だ」
「はあ?」
 なんか、ゴリラが目尻をピクピクさせてる。
 ったく、なんだよ胃袋って…………うわぁ。さっきの女が何かピンク色でヌルヌルした感じの物を吐き出している。元々が何の生物かは知ったことじゃない(まあなんとなくわかるが)が、人間の身体でそれはダメだろ?
 俺は畜生時代に持っていた特色の多くを失った。
 垂直の木に手を使わずに登ることもできないし、脱皮をすることもなくなった。
 だが、その反面何故だか残ってる力も幾つか存在する。
 俺が寒さに異様に弱いのもその一つだ。おかげで首に巻いてるマフラーを外すことができない。
 女の胃袋芸? もその類の一つだろう。
 俺は女の右隣にある席まで歩いていく。
「よう」
「ゲロォっ!?」
 ……胃袋が出てるくせによくそんな声が出せるな。……つか、とっととしまえ、そのグロテスクなもん。


 ゴリラは適当に注意事項を話した後、何処かへ行ってしまった。
 見れば見るほどゴリラだった。明日あたり、バナナでも買ってきたら懐くかもしれない。
「君!」
「あ?」
 何やら俺の席の周りを、教室の半数の生徒が取り囲んでいた。
「どこから来たの?」
「好きな芸能人は?」
「スポーツとかやってた?」
「女の子のタイプとかある?」
「男の子でもいいぜ!」
 ……なんじゃこりゃ。
 自己紹介の時も感じたが、人間っつーのは、そんなにも他人に興味があるのか。別に危害を加える気は無いって言ったじゃねえか。ああ、もううっとおしい。
「そんなに一気に聞かれてもわからん。答えてやるから、一人ずつ順番にだ」
「どこから来たの?」
「オキナワってとこだ」
「えー! 凄いじゃん! じゃあ、沖縄弁とか喋れるの?」
「一身上の都合でまるでしゃべれん。ただ、沖縄弁というと、沖縄の人間はキレるから気をつけろ」
「スポーツとかやってた?」
「やってない。身体よりも頭を動かす方が好きだ」
「じゃあ、勉強とか得意なの?」
「数学や科学は面白いと思ったが、国語や英語とかいうやつは意味がわからん」
「身長高いね。何センチくらいあるの?」
「170くらいだと聞いている」
「誕生日は?」
「9月8日」
「好きな芸能人は?」
「バカ殿は素晴らしい」
「女の子のタイプは?」
「その類はよくわからん」
「男でもオッケーとか?」
「それだけは断じてない」
「罵ってください!」
「このブタが!」
 ……ってちょっと待て。最後のは質問じゃなかっただろ?
 なんかブヒブヒ言ってる女がいるが……まあ、気にするのはやめとこう。
 つか、これはいつまで続くんだよ。どんだけ俺のことを……ん? 待てよ。もしかして。
「お前ら、俺の子供を産みたいのか?」
「「「「………………」」」」
 突然、その場が硬直した。なるほど……図星か。
 考えてみりゃ、俺も畜生時代は幾度となく、バカなメスに奇襲されたものだ。メスからしてみりゃ、オスのことをよく知りたい、また、オスからしてみれば、ライバルのことについて知りたい。それは当然のことだ。女関係の質問もあったしな。
 脳みそがデカくても考えることは畜生も人間も変わらないということらしい。
「宣言しておくが、俺はお前らと子供を作る気はさらさらない。だから安心してくれて構わ……あれ?」
 気がつくと、俺の周りには人っ子一人いなくなっていた。なんで?

「早速ボッチか」
「うるせえゴリラ」
 あれから昼休みになったが、結局俺に喋ってくる奴は、このゴリラくらいという現状だ。
 授業というのは結構楽しかった。
 脳の使い方を学ぶのは、こんなに充実していることだとは。
 ちなみに、あの女は結局胃袋が元に戻らなくなって保健室に行った。……何だろう、この罪悪感。
「私は教師というのは、余程のことがない限り生徒同士の人間関係に首を突っ込むものではないと考えている」
「そりゃご立派」
「でも、流石にこれは酷い。……お前、クラスメイトに何を言った?」
「別に。質問に親切丁寧に答えて、あとは図星を突いたら、ミステリーサークルができただけだ」
「図星?」
「お前らただ交尾したいだけの脳みそスカスカ野郎だろ? つっただけだ」
「…………はぁ」
 ゴリラは大きく溜息をつく。対面だと臭いからやめてほしい。
「センチメンタルな年頃の子達に何を言うんだ、お前は」
「センチメートル? 全員がメートルくらいの身長はあると思うが」
「センチメンタルだ」
 なんだよ、センチメンタルって。なんの単位だ。
「だから私は言ったのだ。あと一年は人の社会を学ばせてから、合流させるべきだと」
「一年もあんな退屈なビデオ見てられるかよ」
 俺が人間になったあと、まず三ヶ月ほどかけて歩く書くなどの人間特有の動作の練習をした。それに加えて見た、頭の悪そうな子供が頭の悪いことをしてる『教育番組』なるものを延々と見せられた。知識の補充的な意味があったのだろうが、最初の頃は学べるものも多少あったが、一月を越えると見るのが苦痛にしかならなかった。
「これからどうするか、また考えにゃならんな。はあ。腹も減ってきたし、昼飯にでもするか」
「バナナか?」
「……飯食い終わったら、もう少し話をしないとならんな」
 そう言ってゴリラは、意外にもまともな弁当箱を取り出した。……ば、バナナが無いだと!?
「お前も食えや」
「あ、ああ」
 大丈夫なのだろうか。
 ゴリラはバナナを食わなければ死ぬのではなかろうか。
 こんなところでゴリラの屍体を作られたら誰が埋めるのだろうかと、気が気でなかったが、自分から死ぬほど、このゴリラもアホではないだろう、きっとあのおにぎりっぽいものも、実はバナナに色を付けたものだと無理矢理納得しながら、俺の弁当箱を開けた。
 弁当は寮のおばちゃんが作ってくれる。これがなかなかに美味しそうだった。
 俺は添え付けされたフォークを手に取る。
「箸じゃないのか?」
「………………あれは、家に置いてきた」
 本当は、まだ箸をマスターしてないんだが、その事はこのゴリラに死んでも言いたくない。
 腕というものだって最近できたんだ。正直あの動きは複雑すぎる。
「……そうか」
 そう言ってゴリラは、突然両手を合わせたかと思うと。
「いただきます」
 と、言い出した。
「いただき?」
「……お前、いただきますを知らないのか」
「知らん。なんじゃそりゃ」
「………………はあ。だから私は──」
「それはいいから。何だよ、いただきなんちゃらって。それを言わないと食ってはいけないのかよ?」
「少なくとも私は人間の身でありながら『いただきます』も言えんような人間に、米の一粒も食う資格はないと思っている」
「はあ?」
 意味がわからん。そんなことを口にすることでどんな資格とやらが手に入るのだというのだ。
「『いただきます』にはなあ。例えば米を作ってくれた人、その人への感謝が込められている。あなたの作ってくれたもので俺は栄養を蓄えることができますって気持ちを『いただきます』の一言に込める。だが、それだけじゃない。米から握り飯にしてくれた私のかみさんにも当然感謝をするし、米自体を作ってくれた人、またこの米自体にも感謝をする」
「……感謝」
「ああ、つまりそういう意味では『いただきます』は『ありがとう』に近い」
 ……また『ありがとう』かよ。
「……流石に『ありがとう』は知ってるよな?」
「感謝のことだろ?」
「では、感謝とは何だ?」
「…………『ありがとう』」
「………………なるほど」
 少し考えるかのような沈黙が流れた。
「確かに、感謝とは何かを説明するのは難しいな。私達は産まれたころから使っているから、何となくわかってはいるものだが、お前のように、そんなものが必要のない……いや、仮に必要があったとしてもその考えに結びつかなかった奴に伝えるのは、この上なく困難なものだと言わざるえない。これをしっかり論理的にやろうとすれば、論文が一つ書けるな」
「何をごちゃごちゃ言ってんだよ」
 ゴリラはそんな俺の言葉を無視して言った。
「簡単に言えば、自分が相手からしてもらって嬉しかった時に、私達人間はその気持ちを感謝と言い、それを『ありがとう』という言葉に乗せて相手に伝える。だが、こんな説明で足りるほど浅いものではない」
「…………」
「使う人間によっても異なってくる。まるで考えなしの人間が使うと殆ど無意味な言葉となるし、真に感謝をし伝えた『ありがとう』は、時に何万、いやそれ以上の意味を持つ言葉になることもある。……そういう意味では『詩』の一種と言ってもいいのかもしれない」
「『詩』……」
 ゴリラが言っていることが、なんとなくわかった気もする。そして、その感覚に覚えもある。
「習うより慣れよ、だ。どんな経緯にせよ、お前は折角人間になったのだ。絶対に機会はあるからどんどん使ってみるといい。そして、自分なりの答えを模索してみろ。そして、できることなら、その答えを私は聞いてみたい」
「……質問してもいいか?」
「なんだ?」
「あんたは、さっき『いただきます』の説明の時に、米に感謝をすると言った。それだと矛盾が起きないか?」
「……なぜそう思う?」
「米は生きていない。感謝なんてもんされても知覚できない。ある意味では、米を作った奴やお前のかみさんだってそうだ。お前がここでこそこそと、感謝をしたところで、物理的に聞こえるはずがない」
「…………ああ、お前の言ってることはわからんでもない。……そうだな」
 ゴリラはとりあえず持っていた箸を置き、ズボンのポケットから携帯を取り出す。……今時折りたたみかよ。
「何をする気だよ?」
「私は携帯を電話をする以外の用途では使わんよ」
 ゴリラは何度かボタンを押した後に、携帯を耳に持っていく。すると、数秒もせずに繋がったらしい。
「ああ、私だ。今大丈夫か?」
「誰にかけてんだよ?」
「私のかみさんだ」
 かみさんだぁ?
「少し私の生徒と話をして欲しいんだが。ああ、ありがとう」
 そう言ってゴリラは俺に携帯を渡してきた。
 わけもわからんが、とりあえず受け取ることにする。
「……代わったぞ」
『いつも主人がお世話になっています。妻の明子と申します』
 少ししゃがれているが、とても優しい声だった。
「……別に世話はしていない」
『フフフ。いえいえ。そんなことはないですよ。きっと』
「…………」
 まるで状況が掴めない。ゴリラは俺に何を話せというのか。…………いや、それはわかってる。わかってるが意味がわからん。何故こんな馬鹿なことをしなくちゃならん。
 俺はゴリラを見る。その表情からは余裕すら伺える。それはなんとなくムカついた。
 ……わかったよ。聞いてやるよ。
「今、ゴリラが何を言ったか聞こえたか?」
「ゴリラ……フフ。確かに動物園にいそうな顔ですよね」
 わかるわけない。
 あまりにも馬鹿らしい質問。
 このかみさんってのがどこにいるかは知らんが、少なくともゴリラの小さな声が聞こえる範囲にはいない。そう。わかるわけが──
『いただきます』
「!?」
 お、おい。
『主人はそう言ったのでしょ? いただきますって』
 なんだ。こいつは一体何を言っている?
「き、聞こえたのか?」
『はい。聞こえまし──』
「嘘だ!」
 思わず声を張り上げてしまう。
 ありえない。そんなことありえる筈がない。
「あんたは嘘をついている!」
『…………』
「あんたが今どこにいるのか知らんが、そんなもん聞こえる筈がない! ……そうか、メールというやつか。俺に隠れてゴリラがメールを」
 わかってる。そんな筈はない。
 そんなことができる暇はなかった。
 でも、そうじゃなければ、一体どうやって──
『確かに、音としては聞こえませんでした』
「……何を言ってる?」
『ですが、気持ちはちゃんと届きましたよ? いただきます。今日もご飯美味しそうだね。いつもありがとうって、気持ちが今でも届いています』
 …………気持ちだと?
 人間には五感というものがある。
 視覚聴覚嗅覚味覚触覚。基本的にはこのどれかを使うことにより物事を知覚するのだ。だというのにこのかみさんというやつは一体、今の『いただきます』を聞いたと言うんだ。しかも、今でもだと? そんな筈はない。だって、ゴリラは今明らかに無言であるからだ。
『人間にはね。聞こえなくとも伝わるものがあります。主人の『いただきます』も、その一つ。確かに私は受け取りました』
「…………意味がわからねえ」
『ふふふ。では、もっと簡単なたとえ話をしましょうか。あなたは算数はお好きですか?』
「……ああ」
『フフフ。では、超難問です。1+5755844-5755844+1は?』
「いや、2だろ」
『おお。早いですね。どんな風に計算をしましたか?』
「同じもんで足して引いてを除去しただけだ。あとは1+1をするだけ。簡単な計算だよ。なめんな」
『それと同じです』
「はあ?」
 今の簡単な計算と何が同じだというのだろうか。
『先ほどの計算では、あなたの言うような方法でもできますし、左から順番良く足したり引いたりをしても答えが出ます』
「当然だ」
 そんな面倒なことする馬鹿はいないがな。
『それと同様に、主人が『いただきます』と言ったことは、私の心にちゃんと届いたのです。ただ、あなたの計算のように、『聞く』という過程を省いただけ』 
「んなもんできるか!」
『……確かに厳密にはできていないのかもしれません。ですが、主人が『いただきます』と実際に言ったという前提があり、私はそれを知覚したという結果が生まれた。それは最早『いただきます』を聞いた事と何が違うというのでしょうか』
「………………」
 違うに決まってる。同じな筈がない。ゴリラから発せられた音で、このかみさんの鼓膜は1ミクロンだって動いてはいないのだ。同じ筈があるものか。
『私からの講義は以上です』
「ち、ちょっと待てくれ」
『これ以降のお話は、私の主人のお仕事です。何か質問があれば主人にお願いします。では、これからも主人のことをよろしくお願いします』
 ──電話が切れた。
 意味がわからない。
 まるで意味がわからない。
「終わったんなら、携帯返せ」
「…………」
 俺は無言で携帯をさしだす。
「市川先生から聞いた。お前は数学がなかなかできるらしいじゃないか」
「…………」
「私のかみさんも、今じゃ昼ドラ大好きな専業主婦だが、昔は一流大学でバリバリいろんな研究をこなす、科学者だった。文系な俺の言葉より、理系特有の思考回路を持つあいつの言葉のほうが、同じ理系のお前に合っていると思ったんだ」
 そう言ってゴリラは弁当箱に入っていたオニギリを一口頬張る。
「……なあ?」
「なんだ」
「……結局、その『いただきます』は誰に何を言いたいんだ?」
「この食に関わってきた人、食物、動物全てに、感謝を伝えたい」
「……そんなの、伝わるのかよ」
「ああ。当然伝わる」
「……仮に伝わったところで、例えば、あんたの弁当に入ってるウィンナー、その元になった動物があんたを許すと思うか?」
「許さないだろうな」
「…………」
 当然だ。いきなり食われて、それをよくわからん一言で許せるような、心の広い畜生なんざいない。
「だからと言って、何も言わないのは間違っている」
「……俺はいままで、たくさんの卵やカエルを食ってきた。だが、一度も『いただきます』なんて言ったことはない。そんな俺はメシを食う資格は無かったのか?」
「ふん。『いただきます』なんて言う動物がいたらおかしいだろう」
「じゃあ──」
「『いただきます』はな、言語と知能の両方を得た人間に与えられた権利であり義務であると、私は思う。私達はこの言葉で感謝と謝罪の両方ができ、しなければいけない」
「…………」
「最近は『いただきます』をちゃんと言える人間も大分少なくなってしまった。私はそれを快くは思えないが、無理矢理やらせるものでもない。お前も、やりたくないならやらなくていいぞ」
「………………」
 人間というのは実に面倒な生き物だ。
 きっと俺はまだ『ありがとう』も『いただきます』もまるで理解できていないのだろう。
 こんな、因数分解よりも難解なものを、毎日ちゃんと理解して使っているのであるのが人間というのであれば、俺は永遠に人間にはなれないと思う。
 俺はおばちゃんの作ってくれた弁当をみる。
 オニギリにシャケ、サラダ、玉子焼き。色鮮やかに並べられたそれらは、きっといろんなやつらの頑張りとか犠牲とかの上に成り立っているのだろう。
 俺はゴリラのやったように胸の前で手を合わせた。
 これから俺はこれらを全て食べ、そのエネルギーでまた元気に生きていく。
「いただきます」
 ああ面倒くさっ。
 これなら畜生の時のが万倍楽だったぜ。
「………………」
 俺はオニギリを一つ取り、口に運ぶ。
 …………うめェ。
「………………」
 そんな俺を、ゴリラが何かを決心したような目で見つめていたのを、俺は気づくことは無かった。
 
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