さんすくみっ
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第一部
第二幕 畜生部活に入る
第二幕 畜生部活に入る
鐘の音が教室中に響き渡る。これは俺が産まれて初めて体験する放課後というものを知らせるものらしい。
俺はカバンに教科書を詰めていく。やっぱり英語やら国語やらはわからん。なんでジョンは自分の出身がわからなくて、友人のキャッシーがその答えを知っているんだよ。周りはそれについてまるで疑問に思わないのも気持ちが悪い。『ありがとう』と『いただきます』の時といい、もしかしてこの英語というやつはエスパーかなんかを育てるものなのだろうか。
「はは」
思わず自嘲してしまうくらい馬鹿な事を考えながら、俺はふと、隣の席を一瞥した。結局女は帰ってこなかった。……まあ、胃袋が出て半日で帰ってきたらそれはそれで怖いではあるのだが。
「巳上!」
「あ?」
何やらモッサリとした声が俺を呼ぶ。
教室に入ってから三十分でセルフミステリーサークルを形成した俺の名前をこんなにもっさりとした声で叫ぶ奴呼ぶ奴というと……ああ、ゴリラ(もっさり)か。
「巳上聞いているのか」
「はいはい。聞いておりますとも。ところでゴリラ、顔がもっさりとしているのだからといって、声までもっさりとする必要はないと思うんだ」
「……何が言いたい?」
「たまには、その顔でキャワイイ声を出しても罰は当たらな……あー」
言いながら、ちょっと想像してしまった。予想外に酷い。公害レベルだ。
「イタイイタイ病の再ら──いだっ!?」
今、ゴリラがグーで俺の頭を殴りやがった! 体罰反対! 親父にも殴られたことはないのに。
「まあ、俺の親父にゃ殴る腕なんざ無いんだけどな」
「何を言っている?」
「何でもないでーす。それより要件をお願いしまーす」
「……ったく。まあいい。お前は今から用事はないな?」
「は? ふざけんなよ? あんたが出した宿題片付けなきゃならないんだけど?」
なんだよ、漢字の書き取り百回って。ふざけんなよ。腕の筋肉壊死するわ。
「それは夜12時以降にやれ」
「睡眠時間は!?」
「お前、元夜行性だろ?」
「現在バリバリの朝型じゃ!」
「いいから、ちょっと来い」
そう言って拉致られ……もとい連れて行かれた場所は、ぱっと見、便所よりも小さな教室の前だった。なんじゃここは?
ゴリラは教室のドアを二度ノックし「入るぞ!」との言葉と共にドアを開ける。ふと思ったが、ノックしようが断りを入れようが、中の人間の許しが出る前にドアを開けるのはいいのだろうか?
中にあったのは、予想通り小さな部屋と、その三分の一を占める長い机。そして、
「こんにちは五里先生。なんだかお久しぶりです。そんな顔をされても、ボクはまだこの部室を潰す気はありませんよ?」
部屋の奥でそんな事を言いながら分厚い本を読む一人の生徒がいた。
……男?
俺がそう思ったのは、単純に俺と同じ学ランというものを、そいつが身につけているからだ。ボクとも言ってるし。
ただ、何かおかしい。
他の身体的特徴をあげると、長い髪を後ろで縛った髪型……なんちゃらテールだっけか? あとは薄くて、フレームのないメガネ。…………そして、クソでかい胸。
あれ?
哺乳類になりたての俺の中にある常識に、胸部が肥大化するのは女性だけというのがある。ただ、そいつのそれは明らかにその法則から外れている。あれか? 俺の知識がミスってたのか?
あのクラスで途中退場した女もかなり小さかった気もするし……なるほど、胸は男の方が大きくなるのか。……少なくとも人間は。
俺はそっと、自分の胸に触れてみる。……薄い。それに硬い。……これが貧乳というやつなのか。…………何故だろう。何だか死にたくなる。
ホロリと涙を流す俺を他所に、ゴリラは話を続ける。
「私はそんな話を持ち出したことはない。この部活は我が校には必要不可欠だ。……そして、私がどんな顔をしてるって?」
「もっさりって言いたいんじゃ──ぶほっ」
体罰二回目!?
「フフ。 なかなか面白そうな子だね。それでは今回はご依頼で?」
男?は決して、本から目を離さずに言った。ふてェ野郎だ。
「こいつは依頼人ではない。この部の新入部員として推薦しに来た」
そう言ってゴリラは俺の背中を叩く。ああ、新入部員ね。新入部員……はあ!?
「おい! 聞いてないぞ!」
「まあ、言ってないからな」
「ふざけんな!」
このゴリラ、頭にバナナ吊り下げて永遠に走らせてやろうか。
「大体ここが何の部なのかもわかんねぇんだけど?」
部活……例の如く知識だけはある。
放課後に、仲のいい人間たちが集まって、スポーツや文化活動に勤しむものらしい。
つまりはそんなもんに参加すると、俺の十時間がゴリゴリと減るわけで。
「ここはだな──」
「ああ先生。ボクが説明しますよ」
そう言いながらも、そいつは本をしまう様子はなかった。
「ここは『人助け部』。君は元々人間じゃないね?」
「………………」
俺は無言で肯定する。この『学園』に来る時、注意事項として、自分が元畜生であることを人間にバラすなと言われていた。けれど、目の前にいる奴はその口ぶりからして、ゴリラと同じ『知ってる』側の人間? らしい。そんな奴にまで隠し通す意味は無いだろう。
「ボクもそうなんだよ」
「…………へぇ」
まあ、そうなんだろうな。
「何のの動物だったか興味はない?」
「ない」
んなもん知ったところで、俺の学園生活にプラスがあるとは思えない。つか、これ以上お近づきになりたくない。もう帰りたい。
「まあ、ナメクジなんだけどね」
「興味ないつってんだろ!」
なんだこいつ。なんなんだこいつ。ああ、もう。帰りたい。激しく帰りたい。産卵準備中の鮭の如く帰りたい。
つか、ナメクジってなんだ?
もしかしたら、そんなに珍しい生き物ではないかもしれないが、少なくとも俺にはそのナメクジとやらの知識はない。
「ここ『寺子屋学園』には、君やボクのような人間もどきが沢山いるんだ。全校生徒が約600人に対して、お仲間が62人くらいだったっけかな」
約一割か。一クラス40人くらいだから、単純計算うちのクラスには俺とあの胃袋女以外に二人くらいはいる感じらしい。
「で、ボク達人間もどきが人間に馴染みきることができないというのは結構あることなんだ。君もそんな経験はあったりしないかい?」
……ミステリーサークルのことは言いたくない。
「ボク達はそんな人間もどきの皆さんを助けるお手伝いをさせてもらってるんだ。人間もどきを助ける部活、略して『人助け部』」
「…………」
なんだろう。略し方に半端ない悪意を感じる。
「ボク達ってことは、他にもいるのかよ?」
「ああ。あと一人かわいい女の子がいるよ」
ああそうかい。そりゃ良かったね。
「てなわけで、俺はこれで」
「待て」
くるりと回れ右をした俺の肩を、ゴリラががっしりと掴みやがる。痛い痛い。
「あの、俺どっかのゴリラに鬼のような宿題を出されたので帰らにゃならんのですけど?」
「大丈夫。そのゴリラはきっと許してくれる」
「え? 宿題しなくてもいいの?」
「いや、徹夜してでもやれ」
このゴリラ、生徒様をなんだと思ってやがる。
「フフ。じゃあ入部届け出すね」
「待て! 俺はこんな部活に入るつもりはない!」
「んー。それでだと、サインが貰えないね」
いや、そこは大きな問題じゃないだろうが、なるほどそのサインっつーやつをしなけりゃいいんだな。
「よし。サインは私が書こう」
「ふざけんなぁあああああああああああ!」
弁護士を呼んでくれ! ここに不正を働くゴリラとナメクジが!
俺はじたばたともがくが、ゴリラの万力のような上腕二頭筋が俺を完全にロックする。
放せ! 放してくれ! バナナとかあげるから!
そんな時だった。
「ケロッ! 遅れてごめんなさい! ちょっと内臓を戻すのに手間取っ……………………ケロォオオオオオオオオオオオ!?」
そんな茶番劇と共に、動けない俺の顔面に胃腸がブチまけられたのは。
………………もう一人ってお前かよ。
これが俺たち三人が顔を合わせた、一番最初の日だった。
うちの寮は学園から、100メートルも離れていないところにある、小さな男子寮である。
住んでいるのは15人。二人でルームシェアする用なのだが、奇数人なので一人あぶれる。そのあぶれたのが、一番新参者の俺だ。
「やっと帰ってこれたぁ」
全身に広がる疲労感。
結局俺は誰の弁護も受けられないままに、あの部活に強制入部させられた。明日から毎日行かないといけないというが、二度と行くわけがない。幽霊部員サイコー。
「ああ、そうだ」
弁当箱返さないと。
この寮は食堂があり、自前の弁当箱を持って行けば、次の日にはその弁当にこんもりのオカズを入れてくれるというシステムだ。つまりは、沢山食いてー奴はでっかい弁当を、そんなに要らない奴はちっこい弁当を持って行けばいい。ちなみに俺のは、男子にしては小さいが女子のと比べると大きい、まあ平均的なものだ。今日はこの量で多くも少なくもなかったから、明日からもこの弁当箱にしようと思う。
「おばちゃん」
「おお。巳上くん、おかえり。学校はどうだった?」
おばちゃんはムッチリとした体型の中年の女性だ。個人的には愛嬌のある人で嫌いではない。
「あー。いろいろあって疲れた。もう寝たい。そして明日から引きこもりたい」
「おやおや」
笑顔を浮かべるおばちゃん。人の不幸話がそんなに楽しいのかね。
「これ、弁当箱」
「はい。お粗末様でした」
……お粗末様。どういう意味だろう。今度誰かに聞いて見るか。
「……ああ。そうだおばちゃん」
「なんだい?」
「昼、俺の声聞こえた?」
なんとなくそんな事を訊いてみる。
「さあねえ? 何か叫んだのかい?」
「…………いや、何でもないよ」
馬鹿だな、俺。んなもん聞こえるわけ──
「強いて言うなら、『いただきます』と『ごちそうさま』くらいかねぇ」
「え?」
確かに俺は食べる前に『いただきます』と言い、食べた後も、ゴリラに習って『ごちそうさま』と言った。
「あんた、もしかしてそのことを言ってたのかい?」
「あ、ああ」
「あっはっはっは。そんなん料理を作ってる人間からしたら、聞こえて当然だよ」
「…………」
…………とりあえず、料理人は全員エスパーか何からしい。
「寝るのもいいけど、まずは風呂に入ってきたらどうだい?」
「ふぅ……」
俺は大きな湯船に一人その身を沈ませる。やべぇ。あったけぇ。溶けるぅ。何かダシとか出るぅ。
寮内にある共有風呂は、一定の時間ならいつでも入ることができる。ただ、基本カラスの行水な男子しかいないのだから、混む時間帯で無ければこんな風に一人で浴槽を占有することも可能だ。
そういや、あのナメクジ野郎はどこに住んでいるのだろう。
俺達『元』畜生には、当然ながら家族や親戚なんざいないはず。つまりは、あいつもどっかの男子寮にいるはずだ。
と、そんな事を考えていた時だ。
「誰かいるのかい?」
「…………ここかよ」
俺は思わず半眼になって、そいつを見た。
メロンやスイカの様な半球を垂れ下げた、髪の長い男。
噂すれば影もいい加減にしろよ。
「おや。誰かと思えば新人君じゃないか」
「……おや。誰かと思えばクソナメクジじゃないか」
そんな俺の言葉を「フフ」と微笑して流すナメクジ。そしてそのまま俺の横に浸かった。
「身体洗えや」
「ボクは汚くないんだ」
「じゃあ風呂入るな」
「寒いじゃないか」
……何かメロンがお湯に浮いてる。何だ、この劣等感。
肌はしっとりとしてきめ細かく、柔らかそうだった。黒くてゴツゴツした俺とは大違いだ。
「いつもこの時間に入っているのかい?」
「今日は偶然だ。明日から三時間は早めに入る」
「フフ。そうかい」
流石に風呂場でまで本は読まないようだ。そのくせ、何故か目は合わせない。
「今年の新入部員は一人かなと思っていたんだけど、君が入ってくれて嬉しかった。流石に部員二名だと他の部活動の皆さんに悪いからね」
「二人だろうが三人だろうが、大きく変わらんだろ」
一々キザったらしい感じが、なんか好きになれない。
「フフ。そうだね。欲を言えばあと二人は欲しかったな」
二人ねぇ。
あんな胡散臭そうな部に誰が入りたがるんだか。
「君は人間になってどれくらいになる?」
「答える義務がない」
「フフ。そうかい」
…………ああ、もう。
「半年ちょいだ」
去年の九月に人間になった。
それから、生まれて初めて眠らない11〜4月を過ごした。
その間の教育テレビ漬けや、基本動作の特訓はめちゃくちゃ面倒だった。何だって、今まで手足というものが無かったのだ。今だからこそ、こんなに便利なツールはないと思うが、当初は地獄だった。ようやく歩けるようになったのが、三ヶ月程経ってからだ。
「へえ。かなり最近なんだね。『技術』は進歩しているらしいけど、結局ボクは学園に通えるまで三年間かかったよ」
そう言いながら、ナメクジは持ってきた桶の中から、一冊の本を取り出す。……はあ?
「何で風呂場で本なんか読めるんだよ」
「この本は特別性で、紙でできてないんだよ。ついでに言えば、このメガネも曇らない仕様」
わざとらしくメガネをくいくいっとさせる。
「何読んでるんだよ?」
「ファンタジー系の小説さ。タイトルに興味はあるかい?」
「毛ほどもねえ」
「フフ」
小説ね。
活字を見るだけで頭が痛くなる俺には、まるで縁のないものだ。
「そんなんが面白いのかよ?」
「ボクの『人生』さ」
『人生』ときたか。
「決して、ナメクジ時代には出会うことが無かったものだからね。これを読むことでボクは今人として生きていると実感できるのさ」
そりゃあ、ナメクジってのがどんなもんか知らんが、人間のために作られたそれを、人間じゃないもんが読めるわけもあるまい。
改めて考えると、人間の頭脳はずば抜けている。
言葉、文字、数字、道具、その全てが人間による発明であり、同時に人間以外がまともに操ることができない。
「そんな文字の羅列の何がいいんだか」
「おっと。それは聞き捨てならないね。君は小説を読んだことがあるからそんな口を効くのかな?」
口調が変わる。あー。もしかして地雷?
「……いや、ねえけど?」
「なら、短いのでいいから、名作と呼ばれるものを一冊読んでみるといい。なんなら、ボクのオススメを何冊か貸してあげるよ。そして、その後にまた同じ言葉が吐けるのなら、今度は真剣に討論しよう」
「…………あー。おっけ。わかった。じゃあすこぶる短いのを一冊今度貸せよ」
「フフ。吠え面かく君が今から楽しみだよ」
誰が吠え面なんざかくか。
「文字の羅列には違いないだろうに」
「いや、全然違うさ。これは至高の『詩』だ」
……また『詩』かよ。
「『ありがとう』なんかと同じやつか?」
「……ほう。『ありがとう』が『詩』か。それは誰が言ったんだい?」
「ゴリラだよ」
「…………フフ。あの先生、相変わらず顔に似合わず面白いことを言うんだね」
「何を言っている。ゴリラは顔も面白い」
全くもって失礼だ。
「あっはっはっは。成る程その通りだ。……ふむ。確かに『ありがとう』は素晴らしい『詩』だ。それに疑い用はない。多少方向性は違うかもしれないが、小説の究極系が『ありがとう』と言ってもいいかもしれない」
「いや全然違うだろ」
あんなクソ長いもんと一言が同じ筈がない。
「ふむ。例えばこの本にあるこの一説、『雨がやんだ』にはどんな意味が含まれていると思う?」
「はあ?」
雨がやんだに雨がやんだ以外の意味があるかよ。
「正解は『私は房子とお昼にイタ飯屋で食事をする時に、不倫の約束を取り付けようと決心した』だ」
「はぁあああああああああああああああああああ!?」
なんじゃそりゃ。雨がやんだが、どうなりゃそんなよくわからん決心になるんだよ。
「フフ。それが『ありがとう』と同じところだよ。短い文の中にその何倍もの『心』を入れている。そんな文を人間は『詩』なんて表現するんだ。けれども、小説はそれだけじゃない。逆の特性も持っている」
「逆の特性?」
「この本『雨の日の午後』は前六百以上のページ数を持つが、最終的にこの本が語りたかったことは『朝ごはんは毎日食べましょう』ってことなんだ」
…………最早何が何やら。
「それだけなら、それだけ言えばいいじゃないか」
「フフ。確かにね。でもそれじゃあ、聞いた君には深く心に残らない。違うかい?」
「……そりゃあ」
はいはいとしか思わんがな。
「他にも読み手に考えさせたりとか、何かを共感してもらったりとか、そんな沢山の役割が本一冊に詰まっているんだ。まあ、君は頭も良さそうだからすぐにわかるさ」
そう言って、ナメクジは立ち上がる。
「そろそろ身体を洗ってくる」
「逆だ馬鹿野郎」
身体洗ってから風呂入れや。
「フフ。君に渡す本は一週間くらい吟味させてもらうよ。最高の一冊を用意したいからね。じゃあ、また部室で」
「………………」
正直、その時の俺にはその言葉が耳に入ってはいなかった。
……なんだ、こりゃ。
俺は、そいつの股間を見た。
別にそんなもんを凝視する趣味はないんだが、これは見ざるをえない。
………………デカ過ぎる。
パッと見で拳三つ……いや四つ分はあった。
胸もデカいやつは股間もデカイのか。
……なんか、すげぇ負けた気がする。
風呂から上がり、部屋に戻ったらすぐに漢字の書き取りを始めた。流石に徹夜は嫌だ。
「『轟』とか一体どんなタイミングで使うんだよ……くたばれクソゴリラ」
そんな事を言いながら十分くらい経った頃だろうか。あの声が聞こえたのは。
「ケッケッケ」
ペキン。
「…………………」
シャーペンの芯が折れた。突然のそれに思わず力を入れてしまったらしい。
あの声だ。
あの俺を人間に変えた『呪い』の嘲笑が、俺の部屋を包んだ。
「感心感心。ちゃんと学生してんじゃねえか」
人間になってわかったことがある。
この無駄に不気味な笑い声は、音の高さから察するに人間の小さな女の子のそれだ。
この自称『呪い』は、大体一週間か二週間に一回ほどの割合で俺の部屋に現れる。声だけであり、その姿を見せたことは一度もない。何処かに装置のようなものがあるのではと疑ったが、それだと思うようなものは結局見つけることはできなかった。
「俺は真面目ちゃんだからな」
最早音源の所在を捜すのも諦めている。
俺は一瞥もすることなく(したくてもできねェし)、シャーペンの頭をノックする。
「ケッケッケ。部活にも入ったらしいじゃねえか」
なんか知らんが、色々筒抜けのようだ。別に構わない。そりゃ気持ちのいいものではないが、こいつについて考えることは、全て無駄だということは、とうの昔に悟ってる。
どうでもいいが、あのナメクジの時も思ったのだが、会話というのは相手と目を合わせないと存外やりにくいもんだ。
「『人助け部』いいじゃねえか。偽善者臭がプンプンするぜ」
偽善者ねぇ。個人的にはそれ以上にブラック企業臭がするけど?
「お前明日からバックレる気だろう?」
「はは。スーパーウルトラ真面目ちゃんの俺が、そんなことするわけないじゃないか」
「ケッケッケ。ああ、そうだったな。じゃあ、そんなスーパーウルトラ真面目ちゃんなお前に、スーパーハイパーウルトラギガミラクル優しいオレがプレゼントをやろう」
「……プレゼント?」
人を勝手に霊長類に改造するような奴が言うと、軽く背筋が凍るんだが?
「ああ、明日部活に出てのお楽しみというやつだ」
「……………」
…………うん。すげえ行きたくなくなったよ。
因みに、こんな時のために、人間の世界には素晴らしい風習がある。その名もけびょ──
「ちなみに、もし明日部活に出なかったら、この部屋爆破するから」
「ちょっと待てぇえええええええ!」
今このアホ何つった!?
「なんだよぉ。何か文句かよぉ」
うわっ。ムカつく。握り潰してぇ。
「文句無いよなぁ?」
「あ……ああ。これっぽっちも無いね」
ああ、頭の血管がピクピクしてるのがわかる。
反抗したいのは山々だが、この『呪い』に本気で楯突いてはいけない。
俺を霊長類に改造することができるのだから、寮……いや列島爆破くらい、鼻くそほじりながらでもできるのだから。
「はーやく明日が来ないかなー」
死んでくれないかな。なんか最も苦しい方法とかで死んでくれないかな? 三日ぐらい苦しむ感じの死に方で。
次の日の朝、結局俺は目の下に大層立派な隈をつけて教室のドアを開ける羽目になった。
朝日というものが無情にも昇る。
宿題は終わった。
深夜になる前には終えられたが、今日のことが気になり過ぎて殆ど眠れなかった。
一体何が起こるというのだろう?
目の前で胃袋女が爆発でもするか? いや、それならまだ笑い話で済まされる。
じゃあ、ナメクジが串刺しか?
スーパーハッピーエンドじゃねぇか。
「はは。んなわけないよな」
夜中、眠気がまるで起きなかった俺は苦し紛れに、インターネットを開く。もちろん、こんなもん見たところであの『呪い』のことが一欠片でもわかるとは思っていない。
俺は検索ワードのところに『なめくじ』と入れる。興味がないと言ったのだが、なんとなく気になってしまったのだ。
「うぷ……」
すぐに後悔することになった。何だこの気持ち悪い生き物は。
カタツムリやアフリカマイマイの中身にみたいな感じだが、あの背中の殻が無くなるだけで、こんなにも気色悪くなるのか。
俺は何とか襲いかかる吐き気を堪え、スクロールしていくと……今度は別の意味で奇妙な記事に出会う。
『雌雄同体』。
なんでも、一匹の中にオスの器官とメスの器官とが同時に存在し、各個体における、雌雄の差、どころか雌雄すら存在しないらしい。
俺はあの巨大な胸部を思い出す。
やっぱりあれは女の……やめよう。気持ち悪い。とりあえず、もう二度と一緒に風呂なんか入るもんか。
またもう一つ気になる記事に『三竦』というものがあった。
なんでも、3つの者が互いに得意な相手と苦手な相手を1つずつ持ち、それで三者とも身動きが取れなくなるような状態のことを言うのだとか。
その一例として、挙げられたものが、ヘビ、カエル、ナメクジの三竦である。
ヘビはカエルを軽く一飲みにする。ヘビには負けるカエルだが、相手がゆっくりとしか動けないナメクジであれば、舌でとって食べる。けれどもカエルに食われるナメクジは、ヘビの毒が効かず、身体の粘液でヘビを溶か……すだと?
「………………」
ナメクジこぇえええええええええええええ!?
何? 身体に硝酸でも纏っているわけ? そんなん、最早生物じゃねぇだろ。
「……そういや」
ナメクジではないが、昔何を考えたのか(まあ、何も考えてないんだろうが)カタツムリを食って、三日後に骨になったバカがいた気がする。もしかして、それが原因か?
何にせよ、もうあのナメクジには近づかない方が…………。
『この部屋爆破するから』
クッソォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
余計眠れなくなった。
俺が現れると、クラスの奴らは一旦一時停止したかと思うと、例のミステリーサークルを作りだした。……俺の席の隣を除いては、
「………………」
「ケロケロケロケロケロケロ」
……なんか、緑色の物体がプルプルしてる。卵の黄身もそうだが、こういうのを見ていると、すぐに尖ったもので突き刺してしまいたくなるのは何故だろう。
そんなバカな事を考えながら、俺は自分の席についた。
「ケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロ」
うわぁ。すごくウザい。
部活のこともあるというのに、これから数時間こんな空間にいたら、精神が崩壊するのも目に見えていた。
「おい」
「ケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロ」
「おいってば」
「ケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロ」
ああ、もううっぜぇええええええええ。
もういい。一方的に要件話して聞かなかったら、こいつを便所にでも流す。
「実はな、嘘なんだ」
「ケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロケロ」
俺の中で便所行きのカウントダウンが始まる。
「俺は全然カエルなんか好きじゃなくてな? むしろ嫌いっつーか、舐めただけで吐くというか」
……まあ、吐くのは大量のヨダレだけど。
「ケロケロケロケロケ……ロ? それ、本当ですか?」
チッ。存外早くに反応しやがった。
「こんなとこで嘘をついてどうするってんだよ」
嘘だけどな。
「…………わ、私を食べたりしませんか?」
「食わねえよ」
流石に『元』が何であろうが人間になったやつを食う気は起きない。
「じ、じゃあ、指切りしてくれますか?」
「…………………はあ?」
今、このボケなんつった?
この善良で将来のある少年に指切れと?
「ケ、ケロ!? もしかして、指切り知りませんか?」
「……お前の言いたいことが俺にはわからん」
国語とか好きなやつは、わかったりするのかねぇ。あのナメクジとかならわかりそうだ。
「そっか。確か、あなたは私たちと同じなんですよね」
「同じ……まあ、そうなんだろうな」
正直一日に二回も内臓吐き出すような奴と同類扱いされたくないけどな。
「あの……右手を出してください」
「はあ?」
「ケロ! お願いします!」
「……わかったからボリューム下げろや」
俺は女の前に右手を差し出す。
「次にグーを作ってください」
「ん」
「次に小指だけ、少し浮かせてください。小さな輪ができるくらい。……ああ、そうです。そのくらい」
……おい。近い。
胃袋女の顔面と俺の右手の距離は数センチもない。…………ちょっとイタズラをしたくなってしまうじゃないか。
まあ、これ以上ややこしくするのも面倒だし、我慢するが。
そんなことを考えていると、俺が作った小指の輪に、女が自分の小指を通した。
「あ?」
何してんのこいつ。
俺が数秒ぼーっとしてると。
「ゆーびきりげんまん」
なんか繋がった手を振りながら歌いだした!?
「うそついたら針千本のーます」
針千本!?
あまりに尋常でなく、かつ非人道的な所業。んなもん飲んだらハリネズミになるわ!
「指切った!」
そう言って、女は俺の右手を解放する。……………今の何?
当然だが俺の指には傷一つない。こんなんで切断できるほどこの女は筋肉質でもない。
「今のは?」
「ケロ。指切りっていう、人間((私達))の文化です」
「…………」
文化……なんたっけそれ。
「ケロ。もし自分の言ったことに嘘をついたり、約束を破ったら、針千本飲まされても文句を言わないというおまじないです」
次々とよくわからん単語を出してくんなや。
「…………小指の意味は?」
「…………ケロ。その辺はスルーで」
なんかスルーした!?
……なんつーか、おっかない文化(おまじない?)とやらもあったものだな。嘘ついたら針千本って、俺の先祖は基本的に嘘つきだしな。なんか、人間に絶対食ってはいけないリンゴを騙くらかして食わせたらしいし。身体の模様なんかも、有る意味では獲物を騙くらかすためにあるしな。
まあ、今回の場合、目の前の胃袋を食わなけりゃいいだけの話らしいが。
「ケロ。ミーくんもやってみませんか?」
「…………ミーくん?」
「ケケロ!? その、友達になったから、それで巳上くんって呼びづらいし。可愛くないし」
なんか名前が可愛くない呼ばわりされた。……つか、いつから俺たちは友達というのになったんだよ。
「め、迷惑ですか?」
「迷惑ってわけでもないが…………ああ、面倒い。それはもういいや。呼びたいように勝手に呼べばいい。……で、俺が何をやるって?」
「ゆ、指切り」
「今やったじゃねえか」
「そ、その。私だけ約束させるのは不平等だから。ミーくんも何か私に約束させてください」
「…………」
約束ねえ。
数学や科学の世界にも約束はごまんとある。かけ算や割り算は足し算や引き算よりも先にするとか、薬品の臭いを直接嗅ぐなとか。
ルールと言ってもいいかもしれないが、それとはちょっと違う気がする。……その違和感が一体なんであるかなんて、わからないけど。
……きっと、これも『いただきます』なんかと同じ、無駄に色んな何かが籠められた言葉の仲間なのだろう。少なくとも、言葉も無けりゃ、小指どころか手足も無い『元』俺等の世界にこんな約束なんてもん存在しなかった。
「ケロ? 指切りしないですか?」
「……いや、しよう」
俺が再び右手を差し出すと、胃袋女も同様に右手を出す。
「どんな約束にしますか? ……あんまり酷いものはダメですよ」
「酷いものねえ。……二度と俺の前で胃袋を出さないとか」
「ケロロ!? 極悪非道!?」
ハードル低いなぁおい。
こいつと約束したいことねぇ……。
「そういや、この間また歌を聴かせてくれるとか言ってたよな?」
「……ケロ。それはもうちょっと待って欲しいというか、もっと上手くなってからというか」
「………………」
女はダイナミックに目を逸らす。どんだけ自信が無いんだよ。
「よし。じゃあそれを約束しろ」
「ケロ?」
「お前の歌がまた聞きたいんだ。だからとっとと上手くなって聴かせやがれ」
「ケ、ケロォ……」
おい。何俯いてるんだよ。……そんなことされたら、こっちまでこっぱずかしいだろうが。
「ケロ。わかりました。頑張ります」
「ん」
そして、俺たちの小指を交差させる。
「「ゆーびきりげんまんうそついたら針千本のーます」」
昼食時間になった。
「ケロ。部室にいきませんか?」
「はあ?」
授業の片付けをしていると、隣の胃袋が目を輝かせながらそんなことを言ってきた。
「いやだ」
「ケロ?」
何が悲しくて昼休みまであんな地獄に赴かにゃならんのじゃ。そんなとこに行くくらいなら、昨日と同じくゴリラとタイマンで飯食ってる方が幾分かマシだ。
「で、でも部長さんも待ってますよ?」
「行かん」
ぶっちゃけ、それが一番嫌なんだよ。あんな気持ちの悪い生命体にゃ、もうできる限り会いたくない。
「ケロォ。どうしたら行ってくれますか?」
いや、むしろどうしててめェはそんなに行かせたいんだよ。ああ、もうめんどくせえ。
「……よし。じゃあお前が──」
まさか本気でやるとは思わなかった。
「ケロケロケロ。私の勝ちですね」
いや、負けだよ。もっと大切な何かでお前の負けだよ。なんでシンキングタイムゼロであんなことができんだよ。クラスの連中ドン引きだったじゃねえか。もっと自分を大切にしようぜ?
言った手前断ることも出来ずに、渋々俺は例の部室へ行くハメになった。
「つか、この学園って合唱部とかあるんだろ? なんでお前はあんなブラック臭のする部活に入ってるんだよ?」
「ケロ。私もあの部活に助けられたんです。それで私もこんなことができたらなあって思ったんです」
……そんなことをしてたら、年中誰かに助けられていそうなお前は、一人何役するってんだよ。
「……なあ?」
「ケロ? 何ですか?」
「お前の好きな『歌』も『詩』だったりするのか?」
「ケロ?」
胃袋女は首を傾げる。どうやら質問の方法を間違えたらしい。
「あー、『歌』には、意味やら心やら詰まってるのかってことだ」
「ケロ。当然ですよ。むしろ、それがなければ『歌』ではありません」
「……ああ、そうかい」
そうこう言っているうちに、俺たちはあの地獄の門の前に辿り着いた。
可能な限り部室内で呼吸をしない。
それが俺の出した結論だ。
濃硝酸だかフッ化水素だか知らんが、体内に入れなければ最悪のことは起こらないはずだ。
「なあ? ちょっと深呼吸を──」
「失礼しまーす!」
「深呼吸をぉおおおおおお!」
俺の雄叫び虚しく開いたドア。
中にいたのは、相変わらず分厚い本を読んでいるナメクジ……あと、誰だあいつ?
その見覚えのない男子生徒の特徴を一言で言えば、出っ歯である。
もう、それは関西人からしてみたら羨むような立派な出っ歯を持った男子だった。きっと、漫才の掴みネタにするには十分だろう。
「やあ。ケロちゃんとミーくんじゃな…………ミーくんは、そのアクロバッティングな体制で何をやっているんだい?」
うるさいナメクジ喋りかけるな。毒の濃度が上が…………ん?
「ちょっと待て」
なんで、てめェがその呼び方を知ってるクソナメクジ。
「フフ。ボクはテレパシーとか使えるからね」
「マジでか!?」
『いただきます』のおばちゃん達といい、ナメクジといい、実は人間の世界にはテレパシーが使える奴らで溢れているとでも言うのか。
「まあ嘘だけどね」
「ピキッ」
殺してぇ。脳みそとかぐちょぐちょにしてぇ。でも毒こぇえええええええ。
「ケロちゃんからメール貰ったのさ。ああ、ちなみにボクのことはヌーちゃん、もしくはヌーさんでいいよ」
いや、語呂が悪い。つかヌーちゃんって、元々の名前なんなんだよ?
「ケ、ケロ。わ、わたしはケロちゃんでいいですよ?」
「…………」
俺はゆっくりと隣でオドオドとする女を見る。
「ケロ?」
「お前は胃袋女だ」
「酷すぎる!?」
いや、正直お前のイメージの八割は胃袋だ。顔の造形よりも以外と桃色な胃袋の方が印象深い。
「ボクは?」
「ナメクジでいいだろうがよ。つか、そこの出っ歯、お前は誰なんだよ」
「!?」
ビクッとなる出っ歯。うわっ。こいつ胃袋女と同じ類の奴か? 胃袋とか出さんよな?
「この人は、ボク達のお客さんなんだよ」
お客さん……ってことは、こいつも『元』畜生ということか。……ますます内蔵を出す気がしてきた。
「まさにジャストタイミングさ。お悩みも今から聞くところだったんだ」
「あ、あの、ちょっと訊いて欲しいことが」
出っ歯が話し始める。
「僕……その……い、」
「い?」
「イケメンになりたいんです!」
「……………………………はぁ?」
「だ、だからイケメンになりたいんです!」
いや、叫ばんでも聞こえてるけど……。
「イケメンって……あのイケてる面のやつ?」
「イケてるmenでも可です」
「…………」
うん。
「わりぃ。ちょっと、席外すな?」
俺は一旦部室から出て、廊下の窓を開ける。
やっぱり寒い。俺が前にいたところよか10℃近く気温が低い気がする。
だが、決して悪いことばかりではない。
この空気の中で浴びる太陽の光は、気温とちょうどいい感じの対称性を生み非常に心地いい。
また、その日差しの元でゆっくりと流れていく雲をぼーっと眺めるのも悪くない。
「ふぅ」
……。
…………。
………………。
「……………………」
くっっっっだらねぇえええええええええええええええええ!
どうしよう。すごく帰りたい。
おそらく俺は元々人だか何だかを助けるよりも帰宅部の才能があるのだろう。なんたってこんなに帰りたいのだ。
「ミーくん、もうそろそろ帰ってきてね」
「………………はぁ」
何でこんな事になったんかなぁ。
俺が部室に戻ると、ナメクジがそのキザったい声で質問を再開する。
「ふむ。では出っ歯さんは何故イケメンになりたいのですか?」
あんたの呼び方も酷ぇなあ、おい。
「僕……元々ビーバーだったんです」
ビーバー……ってなんだっけ。確か齧歯類、つまりネズミの親戚だったのは覚えてるけど。
「その、ビーバー界では、どれだけ立派な前歯を持っているかがモテるかモテないかの分かれ目だったのです」
「ケロロ。だったら出っ歯さんは昔は凄くモテたんでしょうね」
おい。いいのか、出っ歯さんで確定して。
「そうなんですぅ!」
「!?」
突然出っ歯さんは大きな声で泣きはじめた。
「僕は昔はモテてモテてモテまくっていて。三十匹の現地妻と八十匹の愛人がいたのです」
いや、それは絶対いくらか盛ってるだろ?
「それで、人間になれたらもっとモテるかなと思って、この素晴らしい遺伝子は後世に引き継がなきゃと思って」
そんな後世嫌すぎる。
「そして、いざ人間になってみたら、何故かこの有様で。昨日いい感じの女の子に告白してみたんですが、『前歯キモい』って言われて」
多分、それは前歯だけがキモかったわけじゃないと思う。
「だからとりあえず、イケメンになればオールオッケーなんです!」
帰りたいなあ。でも帰ったら寮だか列島だかを爆破されるからなあ。
「お話はわかりました。では、この案件は期待の新人ミーくん&ケロちゃんコンビに解決してもらいましょう」
「ちょっと待てこの腐れナメクジ!」
何押し付けようとしてんだ!
こんなにも帰る気満々の俺の何処に期待が持てるっつーんだよ!?
俺は尚も本を読み続けるナメクジの肩に右腕を回す。
「何か文句かい?」
尚もキザな口調が背筋をこめかみを刺激するが、今はそれをどうこう言っている場合じゃない。
「ありまくりじゃ! いきなり何押し付けようとしてやがる!?」
努めてその他多数に聞かれないような声でヒソヒソと話す。
「大体俺はこの部の勝手がわかんねぇんだよ」
「基本的にお客様のお悩みを解決してもらえたら特に問題は無いよ。 手段は問わない」
「じゃあ何か? ここを美容整形外科かなんかと勘違いしたあのバカのために、催眠音波的なもんを発生させて全校生徒の脳を改造してもいいのかよ?」
「できるものなら、催眠音波でも人類補完計画でも無問題さ」
「なんだよ、そのもまんって」
「ああ、補完の方は知ってるんだね」
はあ? 知らねえし。自分の腹をぶっ刺して光悦な顔してたら、人間が二人だけになるなんて話知らねえし。
「……つか、こういうのって、最初はクラスのイジメや部活の新人イビリを解決するもんじゃねぇのかよ? いきなり顔面どうにかしろってのは、流石にイロモノが過ぎるぞ?」
「その手の問題は、クラスでミステリーサークルを作ってる人には荷が重いんじゃないかな」
「てめェ、なんでそのこと知ってやがん──」
くいっくいっ。
「あ?」
突然俺のマフラーがグイグイ引っ張られてる。俺は横にいる胃袋を見た。……こいつの目なんか潤んでね?
「ケロロ。ぐすっ。ミーくん、解決してあげましょうよ」
「……お前泣いてんの?」
「だ、だって、出っ歯さん可哀想じゃないですかぁ。ケ、ケロォオオン」
わからん。
今の話の何処に可哀想要因があったかまるでわからない。
あれか? 俺が理系だからか? なんか、ゴリラの言っていた行間とやらを読まなきゃならんかったのか? なんだよ行間って。
「…………で、具体的にどうしろと?」
泣こうが行間読もうがどうでもいい。問題はそこだ。
改造音波だろうが補完計画だろうが、俺達にはそんなことをする技術なんざない。
具体策としてこいつには何か考えでもあるというのか。
「ケロン。前歯を金属バットで破壊するとか?」
この胃袋こぇええええええええ!?
「ひぃっ!?」
ほら、出っ歯ビビってんじゃねえか! 俺だってあいつの立場ならかなりビビるぞ。
「ケロン。でもそれくらいしないと、あの造形の改造は不可能です」
いや、それはわかるけどさ。
「あー。元のビーバーに戻るとかはムリなわけ?」
前歯を粉砕するよりはかなり人道的だと思うが。
「いえ、その、もうあそこには戻りたくないというか」
「はあ?」
「その、人間になる直前に現地妻や愛人達に、私が百十股をかけていることがバレてしまいまして」
「自業自得過ぎる!?」
もういいんじゃね?
こいつ、このまま不幸でいた方が良くね? 人間界的にもビーバー界的にも。
「そ、その、ご存知ないかもしれませんが、私達ビーバーの中では三桁股くらい普通で──」
「だったら堂々と齧歯類にもどれや!」
「さっきから」
ナメクジが本から目を逸らさず口を開けた。
「ミーくんは簡単に元に戻れると言っているけど、そんな方法知っているのかい?」
「いや、知らんが、人間になれたんなら、元にも戻る方法があるってのは──」
「それは文系のファンタジーな考え方」
…………ああ、そうだな。
一番簡単な例で言うと、死んだアリンコを生き返らせることはできない。いかに簡単にA→Bができたところで、B→Aにできるとは限らない。むしろ可逆よりも不可逆なことの方が多いはずだ。
「てめェも理系かよ」
「いや? ボクは見てのとおり文系さ。ただ、君があまりにボク達みたいなことを言うもんだから、ちょっとびっくりしてしまったよ」
…………ああ、確かに今のは俺らしくなかったのかもな。
「じゃあ訊くが、俺たちが元の畜生に戻ることは絶対に無理なのか?」
「さぁ?」
「…………」
別にその答えに怒りはしない。
こいつがあの『呪い』について知っているとは到底思えない。
「話の論点がズレてきてるね」
「ズラしたのはてめェだナメクジ」
とりあえず、こいつの顔面をどうにかするのが今回の議題である。
「前歯はそのままがいいのか?」
「これは僕のアイデンティティです。むしろ全面的に押し出す形で」
いいのか?
そんなこと言うと、最終的に芸人しかできなくなるぞ?
「……ちなみに芸能界に入る気は?」
「ジャニーズなら」
吉本だ馬鹿野郎。
「ケロォ。前歯にリボンを付けるとか?」
「胃袋、お前の面白い性癖は訊いてない」
「胃袋って呼び方はやめて!?」
「……面白い性癖ってのは否定しないのな」
……イケメンねえ。
「つか、やっぱり沢山の女にモテたいわけ?」
正直俺にはよくわからない価値観だ。
「そりゃ、折角男に産まれたのだから」
……まあ、普通はそういうもんなんかもしれないな。……とか言うと俺が普通じゃないってことになって軽くムカつくが。
「一人の相手と、長く付き合っていくんじゃダメなのかよ」
「……最悪、それでも構いません」
最悪ってなんじゃ。
「おっけ。じゃあ極論を言えば、イケメンになれなくても、昨日告った奴と交尾できりゃ終いでいいんだな?」
「ケロッ!?」
「それしかないのであれば、仕方がありません」
「ケロロッ!?」
「うっし。じゃあ、とっととレイプをしに──」
「ケロォオオオオオオオオオオオ!」
「ぎゃぁあああああああああああ!」
雄叫びと共に胃袋が俺の顔面にドロップキックをかましやがった。
狭い部室で俺の身体が宙を舞う。
どういうわけか、非常にゆっくり時間が流れたかと思うと、すぐに頭から地面に追突した。
「ぐあっ!」
う……あ……。
「い……ってぇえええじゃねえか! この胃袋女!」
「ケロロ。だって……」
あん?
「今のは、ミーくんが悪いよ」
ああん?
「僕も流石に引きましたわぁ」
ああああああん!?
ブチン!
出っ歯の一言に何か太い管がブチ切れる音がした。
「誰のためにやってると思ってんだ、この出っ歯野郎ォオオオオオオオオオオオ!」
そう叫んで俺は出っ歯の顔面をぶん殴る。
「ぬぉおおおおおおおお!?」
バキン!
「「「!?」」」
……………バキン?
恐る恐る地面を見てみると、……そこには血塗られたカルシウムの塊的なものが。……ってか、巨大な前歯が。そして俺の目の前には……
「あいたたたた」
「「「!!?」」」
後頭部をさする…………イケメンがいた。
確かに超巨大な前歯ばかりに目が行き、他の場所に注意をはらえなかったであるが、前歯以外のパーツは悪くない……というか、むしろいい?
「な、何をするんですかぁ!」
「い、いや、そのな?」
思わずたじろいでしまう俺。
起き上がった胃袋も、さっきまで本から目を離さなかったナメクジでさえも俺と似たようなリアクションである。
「な、なあ?」
「なんですか?」
「今からな? もう一度だけ、昨日告った人のとこへ行ってこい」
「レイプはダメですよ!」
元畜生のくせに。
「ああ。レイプはやめだ。俺が間違ってた。つことで昨日と同じように告ってこい」
「そ、そんなの無理に決まって」
「いや、大丈夫だ。きっといける。騙されたと思って行ってこい。気に食わない結果になったらすぐに戻ってきて俺をボコボコにしてくれても構わん」
「……そこまで言うのなら」
出っ歯……もといイケメンは頭の上にクエッチョンマークを浮かべながら、人助け部を後にした。………………そして、この昼休み以降二度とこの部室に訪れることはなかった。
余談だが、この数ヶ月後に学校内外含めて300股を達成する直前に、背中を巨大な出刃包丁で刺された奴がいるなんて噂が流れたが、それは今回の件とは全く関係ない話だと信じたい。
そう言えば、と思う。
あの『呪い』は、放課後に部室に来いと言ったんだったな。
……めんどくさっ。またあのイケメンみたいなのが来たらどうしよう。
無情なことに、もう既に放課後になっていた。
ゴリラからは例の如くふざけた量の宿題が出ていた。なんでも、俳句を百個作れと。…………教育委員会とかに訴えればいいのだろうか。
俺はカバンの中に教科書等を詰め込み、席を立つ。
「おい、胃袋行くぞ」
「ケ、ケロ。……あの、右頬大丈夫ですか?」
「………………」
俺の右頬には顔の半分を覆う巨大なガーゼが貼られてある。理由は勿論、あのドロップキックだ。
「……睨めっこでもできそうか?」
「…………ケロ。全勝できそうす」
……あとで覚えてろよ?
「先程、理事長様が来てくれてね」
ナメクジは相変わらず本から目を離さず、机の上に三枚の紙を置く。……なんじゃこりゃ?
「これは?」
「今度の日曜日に開催される『沖縄展覧会』さ。いつも頑張ってる私達に是非だって」
…………いつも頑張ってるっつっても吉本系殴ってジャニーズ系にしただけなんだが。
それに沖縄って……。
「嫌な予感しかしねぇ」
世の中というものは不思議なことで溢れている……なんてかなり今更感漂う事を考えてみたりする。
事実は小説よりも奇なりなんて、昔の人間は言ったそうで、それは実は大正解だ。少なくとも俺は畜生が人間になったり、小娘が定期的に胃袋を吐いたりするよりも奇妙……というか珍妙な作り話と出会ったことはない。
「フフ。それは単純にあなたの読書量が足りないからだよ」
「お前基準で喋ってんじゃねえよクソナメクジ」
チケットを貰ったその日、部活が終わった直後に俺と胃袋はナメクジに呼び出された。何でも大切な話があるとか。
「屋上なんて初めての来たぜ」
「ケロ。私はたまに来てます」
もう夕日もくれ始め、辺りはすっかり真っ赤に染まってる。こんな明らかに寒そうなとこ、誰が来るかと思っていたが、案外悪くない気もする。
「罠だよ」
「ケロ?」
「………………」
唐突にナメクジから切り出された言葉。……もう少ししみじみと空を見る時間もないのか。
「あの人が善意百パーセントで、こんな事をする筈はない。何かしらの、トラップがあるはずさ」
ナメクジは例のリーディングスタイルを保ったままのたまう。
トラップ……ねぇ。
「はは。じゃあ、てめェはどうすればいいと思ってんだよ。つか、わざわざご忠告いただかなくても、こいつが罠だってことくらい、あの『呪い』のことを知ってりゃ、この胃袋だってわかるんだよ」
「ケロ。胃袋言わないで」
「………………」
ナメクジはしばし沈黙する。……何を思考しているのだろうか。
ここに俺を呼び出したのは、そんな事を言うためではないのだろう。それこそ、あの残念な胃袋にだってわかるような事を並べてもしょうがないのだ。
「君達は、ミーくんの言うところの『呪い』さんについて、どれだけのことを知っていて、そして考察してるんだい?」
「ケロロ。あ、あんまり良くは知りません……」
「知る必要、考える必要、ついでに言えば、仮に何かを知っているか考えるかしてたとして、それをお前に伝える必要、その全てが無いと俺は思ってる」
足し算しか知らない奴に、外積の計算をさせたところで何の意味もない。仮にできたところでそれを有効利用することもできない。ならばあえてその問題を解かせる意味はない。それと同じようなものだ。
「必要が無い。…………ハハ」
「!?」
ナメクジが……本を閉じた。
あれ程までに本から目を離さなかったあいつが、じっとこちらを見つめている。底の見えない黒い瞳。不意に震える足。
「ケロ? ミーくんどうしたの?」
「うるせぇ」
畜生の頃、比較的食物連鎖のてっぺん付近にいた俺があまり味わうことがなかった感覚。
喰われる。
「…………ハハ。なるほど。これが天敵という奴か」
「フフ。違うよ? ボクは君の天敵じゃない」
「……じゃあ、なんだっつーんだよ?」
「決まってるじゃないか」
そう言って、ナメクジは右手を前に出す。
…………なんだ? 何をす──。
「今から君達に、死ぬよりも辛い、生きるよりも見惚れる、そんな呪いをかけてあげる」
ギュゥウウウウウウウウウウン!
「なっ!?」「ケロロ!?」
突然、ナメクジが差し出した手の平にすっぽりと収まる小さな、しかし見るからに強力な水の渦ができた。なんだ……それ。
「えいっ」
ナメクジはそう言って、その水の渦を自身の真上に投げ上げる。
数メートルほど上空へと跳ぶと、渦は大きく、しかし弱くなっていく。そして最後には弾けて消えてしまった。
……そして、そこには。
「ケロォ」
「……………………」
「フフ」
暮れる夕日を環状に囲む七色の光──虹ができていた。
俺と胃袋は思わず、それに目を奪われる。
さっきの渦による水を広範囲に撒き散らすことによって、夕日を屈折させた?
「……そいつは、ナメクジの力か?」
少なくとも人間業ではない。だったら消去法的にそれしかないはずだ。
「フフ。こんな素敵なことができるナメクジなんていないさ」
「じゃあ、なんなんだってんだよ!?」
「言っただろう?『呪い』さ」
「ケロ?」
……『呪い』だと?
「ボクは、君達と違って、どうしてもあの力が欲しかったんだ。だから、無い知恵を絞って、色々と試して……できたものは、こうして虹を作る、ただそれだけの『呪い』」
「………………」
「ミーくん、君の言う通りだったわけだよ。『呪い』についてどれだけ調べて、考えて、実践してみたところで、できたのはこんな一発芸」
ナメクジは自嘲するように言う。
……一発芸。はは、謙遜が過ぎるぜ。こんな大それたもん、そんな言葉で片付けられてたまるかよ。
「悔しかったさ。ボクの夢がぁ叶わないと知った時は。でも今は」
「ケロ? 今は?」
「とても感謝をしているんだ。ボクや君達をこんな姿にして、またこんなただの虹を作るだけの、このとても素敵な『呪い』に。なんて言ったって、本来天敵同士であるはずのボクが、君達の部長になれたのだからぁ」
「……………部長」
天敵じゃなくて……部長。
いや、だって、俺たちは全員『元』畜生で──
「ケロ。私、ヌーちゃんの言いたい事がわかりました」
「はあ?」
俺は胃袋を見た。胃袋は未だに瞬きもせず、あの虹を見つめている。
一体何がわかったって──
「今日初めてこのメンバーで、一つの依頼をこなすことができた。これはボクからの餞別さ。二人とも……『人助け部』にようこそ!」
俺の疑問はそんな言葉に、かき消された。
「このメンバーなら、これから起こる色々な困難、直近のものだと、意地悪な『呪い』の罠だって乗り越える事が出来るとボクは信じてる」
………………はあ。
なんともまあ、信頼されたことで。
そして俺達三人による『人助け部』の幕は開かれたのだ。
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