Fate/stay night -the last fencer-
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第二部
魔術師たちの安寧
遠坂凛とアーチャー
現在時刻は午前10時。
今日もそこそこの騒がしさで朝を過ごし、今はフェンサーを後ろに乗せバイクを走らせている。
朝食では玉子焼きに何をかけるかで戦争が始まりかけたが、フェンサーの『私日本人ではありませんの』の一言で終戦。
バイクを走らせている理由は、学園での事後処理の結果を聞くため直接遠坂邸まで出向こうとしているからだ。
わざわざ出向くのは、俺が凛の連絡先を知らないからである。
フェンサーにそう言ったら、何故か連絡先を交換しろなんていう別の任務まで背負うハメになった。
調べれば自宅番号くらいは分かるぞと言ったがそれでは意味ないらしく、このご時勢に携帯電話の一つくらい持っているはずだと聞く耳持たず。
断言しよう。コイツは、遠坂凛のアナログっぷりを嘗めている。
魔術師ながらも文明の利器というものに俺はそれなりに慣れ親しんでいるが、普通魔術師はそういった機械等に触れるのを極端に嫌う。
凛のソレも見事なもので、ぶっちゃけ機械音痴と言っていいレベルのあれは、恐らく家にテレビでもあれば奇跡に近いんではなかろうか。
ただ10年弱もの付き合いがありながら、連絡先の一つも知らないというのは問題あるかもしれない。
中学から同学の凛とは基本学校で顔を合わせるし、緊急案件があれば教会の言峰神父経由で伝えられたので不便はしていなかった。
改めてプライベートな連絡先交換が必要かと言われればそうでもない。
魔術師という点を抜きにしても友人ではあると思っているので、メールアドレスくらいなら知っていてもいいかもしれない。
思えば学校に何らかの理由で行けなくなり、かつ教会を利用することもできない状況というのは今回が初めてだ。
学園での事後処理に携わったのは、聖杯戦争監督官でもある言峰神父だろう。
ならば何故その本人に聞かないか。それは俺があの人を信用していないのと、教会への問い合わせが貸し一つになるのを避けてのことだ。
あの神父さんと知り合い少し話せば、容易に信用を置ける相手ではないことは誰にでも感じ取れる。
ちゃんとした話を聞ける保証などなく、後々に情報を聞いたことを減点対象とされては不都合しかない。
そんな理由もあり、少しでも早く正確な情報を得るために凛の元へと向かっている。
ちなみに最初から士郎は選択外。つまり論外である。
坂道を登った先、近隣では幽霊屋敷と名高い遠坂邸に到着。
凛の家に来るというのも実に久しぶりだ。
出会ってから数えても片手で足りるほどの訪問しかしていないが、初めて訪れたときから何も変わっていない。
とはいえ魔術師としての要件があるときしか訪れることはなく、今回もまたそうした来訪に近い。
いつか友人としてこの家に足を踏み入れることはあるのか…………
「なあ、普通に呼び鈴鳴らしていいと思う?」
(知らないわよ。少なくとも正面から堂々と訪ねているわけだし、出会い頭に即開戦ってことはないと思うけど)
「つっても呼び鈴鳴らすしか手段ないよな。敷地内に無断侵入したらそれこそ問答無用で戦いが始まっちまう」
事後処理の結果を聞く目的ばかり先立って、どう話をするかをあまり考えていなかった。
学園の結界をどうにかするまでの不戦条約も終了しているし、場合によっては戦うことになるかもしれない。
今居る場所は凛とアーチャーの陣地。自身のフィールドとして地の利はあちらにある。
俺とフェンサーの回復状況から考えても、戦闘になれば極端に不利な戦況になるのは目に見えてる。
原則として、門扉から向こう側は結界領域内。
まず玄関に辿り着くのだって、いくつかの魔術施錠を突破しなくてはならない。
確か遠坂邸は冬木に幾つか存在する霊脈の上に建っているはずで、この土地の主であり陣地とする凛はこの場の大源をある程度自在に扱えるはずだ。
戦闘になることを想定すれば、下手に接触することは危ぶまれるのだが………………
けれど個人的な直感として、今回の場合に凛が仕掛けてくるようなことはない気がする。
そう思う要因は多々あるが、ここはこの直感に従ってみよう。
意を決して呼び鈴を鳴らす。
「……………………」
出て来ない。どころか何の反応もない。
まさかまだ寝てるわけではないと思う……てことは、不在って線が濃厚だな。
魔術の痕跡を消す隠蔽や処理だけでなく、生徒たちを収容した病院を回っている可能性もある。
もしくは一度家には戻ったけど、早朝にまた何処かへ出かけたってことも十分考えられるか。
さて、どうしたもんか。
もしかしたら魔術実験でもやってて手が離せないとか?
目を離した隙に何かが暴発して家がドカン! なんて事になったら困るしな。
もう少しだけ呼び鈴を鳴らしてみよう。居なければ居ないで諦める。
「……」
1回。2回。3回。
「…………」
4回。5回。6回。
「………………」
7回。8回。9回。
居なければ諦めると言ったがあれは嘘だ。
しつこいくらいに鳴らし続ける。
ぶっちゃけ普通の家でこんなことをすれば、ただの迷惑行為だ。
それから10回目に至る(俺としては最後のつもりの)呼び鈴を鳴らそうとしたそのとき──────
屋敷の中で微かにだが物音が聞こえた。
ついでガッシャーンという何かを壁に叩きつけたような音が響き、少しの後に静寂が戻ってくる。
誰かが中に居ることは間違いない。しかしこちらから内部を確認する術はなかった。
中からの反応を窺うに、俺の呼び鈴攻撃で多少なりとも怒っていると思われる。
さすがにこれ以上鳴らすことは躊躇われるし、何よりあまり機嫌を損ねて話をしてもらえなかったら本末転倒だ。
この家は幽霊屋敷と名高き遠坂邸であり、99%中にいるのは遠坂凛その人なのだから、これ以上余計な真似をした場合における後の報復が怖い。
「……? にしては出て来ないな?」
最初は出て来れない事情があったにせよ、これほど気に障ること(命名:呼び凛アタック)をされれば文句の一つも言いに出てくると踏んでいたのだが。
(逆に誰が出てやるもんですかって思っちゃったんじゃない?)
クスクスとフェンサーが他人事のように笑っている。
なるほど、そういう考えもアリっちゃアリか。
でも遠坂凛という少女の気性を鑑みれば、そういう消極的対応よりは何かしらのアクションを起こすはずだ。
中に居ることは分かっている。
分かっている以上、居留守を許すつもりは毛頭ない。
とうとう俺は、都合10回目になる呼び凛アタックを発動した。
そうして数分の間を置いて、ガチャリ、と。
今まで頑なに沈黙を保っていた、遠坂邸の玄関扉がついに開かれる。
だが中から現れた人物は、予想の少し斜め上だった。
「先程から何度も呼び出して何用かね。普通はすぐに諦めるものだと思うが」
「えっ……?」
何かあかいのが現れた!
いやぶっちゃけ凛も赤いんだけどそうじゃなく。
どう見ても目の前に居るのは、凛が契約した弓兵のサーヴァント。
出てきたのが凛ではなくアーチャーであることを確認した瞬間、フェンサーも警戒態勢に入った。
俺が聖杯戦争に関わることになったあの夜。
バーサーカー相手の共闘で、フェンサーもセイバーもお構いなしに吹き飛ばそうとしやがった奴だ。
あの時点で凛がまとめて潰せなんて指示を出したとは思えない。
ならばアレはこの弓兵の独断。
時と場合によっては、己が主の意にそぐわぬ事も平気で行うということ。
自分たちの利になれば、己の理に適えばあらゆる手段を躊躇しない。
アーチャーは確か別の日の夜にも、柳桐寺で見かけたことがある。
元々どういうつもりだったのかまでは知らないが、キャスターとの交戦は凛の命令外の行動だ。
つまり凛に戦闘意思がなくとも、ここでアーチャーが何らかの行動を取れば開戦せざるを得なくなる。
これは完全に想定外だった。
仮に凛と揉めるようなことがあっても説得する、場を収める自信はあったのだが、まさか出迎えに来るのがアーチャーだなんて。
「────────」
思わず緊張で硬直する。
様々な思考、言葉が頭の中を駆け巡るが、どういう対応が適切か判断できない。
「ふむ。フェンサーとそのマスターか。こうして直接言葉を交わすのは初めてかな」
「……そうなるな。中に凛は居ないのか?」
「答える義理はない……と言いたいところだが、そういうわけにもいかなくてな。
ある程度の察しは付いているが、そちらの用件はどのようなものだ?」
あれ、何か話は通じるっぽい。
俺の勝手なイメージだと『自分からノコノコやってくるなんてなぁヒャッハー!』なサーヴァントだと割と本気で思っていた。
状況から推察するに、恐らく何かしらの理由で出て来れない凛の代わりに、しつこい来客に応対してこいとでも言われたんだろう。
場合によっては最悪、即時撤退戦も考慮していただけに少し気が抜けた。
「昨日は途中で帰っちまったからな。学園についてどうなったか聞きたかったんだ。
あー、そうだな。よければキャスターとバーサーカーについての意見とかも交わせればありがたいかな」
隠してもしょうがないので、ありのまま用件を述べる。
ついでにアーチャーを見て改めて考えてみると、割と今の戦況は難しいものになっている。
現状柳桐寺に篭っているキャスターとアサシン。
所在は不明だが相対せば最強と断言できるバーサーカー。
単独で攻略するのは非常に困難で、どちらも戦略上誰かとの共同戦線が必須だ。
そこらへんの話をまとめて出来れば、こちらとしては助かるんだが…………
「なるほど。概ね凛との交渉のために、わざわざ敵地にまで赴いたと」
「そーですよ。戦闘意思はないし、無理を強請るつもりもない。出来ればでいいんで、アンタのマスターに取り次いでもらえないか?」
「いいや、その必要はない」
なんかお断りの言葉をスゲー即答された。
ここまでスパッと言うあたり、追い払ってこいとでも言われたんだろうか。
駄々を捏ねても仕方ない。多分呼び凛アタックで怒らせたばかりなのに、更に機嫌を損ねる訳にもいかない。
ここは一旦諦めて帰ろう。どうせ一日暇なんだから、学園を見に行けば多少はどういう状況かは分かる。
今日は無駄足かと溜め息を吐く──────
「何をしている、入らないのか?」
「…………え?」
見ればアーチャーが玄関を開いて、執事よろしく俺たちの入場を待っている。
地味にその姿が様になっていることに少しイラッとした。決して他意があるわけではないが。
「玄関先で立ち話する内容でもなかろう。生憎とリンは手が離せない状態ゆえ、しばらく待ってもらうことになるが」
「お、おう。それなら中で待たせてもらうか」
予想外のことが連続したせいで思考が上手く働いていない。
敵意があればさすがに感じられるはずなので、現状アーチャーに戦闘意志がないのは間違いない。
(ねえ、いいの? ちょっと信用し過ぎじゃないかしら)
(何のためにここに来たんだよ。これがキャスターとの交渉とかなら警戒するが、今の状況的に凛まで疑ってたら身動きできなくなるぞ)
自分たちに有利な場所へ引き込まれているという見方もあるが、まさか好んで自分の家を戦場にしようなんて凛が考えるとは思えない。
こちらが万全な状態でないことは知っているはずだし、もしも撃退が目的なら凛の性格上真っ向から挑んでくるだろう。
最悪の想定としては、アーチャーが一人でこちらを倒す算段を立てている場合。
マスターの了解なし援護なしで戦うなら、土地としての優位性を利用することも考えられる。
以前に一度、指示にない共闘者ごと巻き込む爆撃を経験した立場としては、懸念事項であることは確かだ。
学園での情報交換のときに話を聞いただけだが、士郎が釣られた夜の柳桐寺でのキャスターとの戦闘以前に単騎出撃自体が独断だったというし。
…………現状の理知的な姿とは裏腹に、なんか言うこと聞いていない印象が強いな。
(ヤダ、よく考えたら怖くなってきちゃった……フェンサーさん先行しておねがーい)
(いきなり女々しくなるのやめてよ気持ち悪い)
ちょっとふざけただけなのに今のはひどくね?
いや先行してほしいのは割りとマジなんだけどさ。
(引き返す気はないんでしょ。ほら、行くわよ)
あまり警戒する素振りも見せず、スタスタとアーチャーの後に続くフェンサー。
とりあえずフェンサーが歩いた場所に罠はないはずだ。
人間にだけ効く罠もあるかもしれないが、その場合サーヴァントに侵入を許す時点で優先順位がおかしい。
(トラップは無しか……それより随分無警戒に進んだな、おまえこそ気にしなさすぎじゃないのか?)
(失礼ね。ちゃんと進路は精査したわよ。そもそも今回はアーチャーが内側から開いてる時点で罠なんてないの)
けど断言はできなくないか? と言いたかったが実際に罠が無いので、論負けしそうだからやめることにする。
現在地、遠坂邸宅内。
日本とは思えない洋館の内装に感心しつつ、客間へと案内されソファに腰かけた。
玄関先からここまでは何も起こらなかった。
後はアーチャーがこの館の主である凛を連れてきてくれれば、心配の種が一つ減るのだが…………
「………………」
「………………」
「………………」
待て待て、待ってくれ。
客間に案内されたまではいいが、何でアーチャーは凛を呼びにも行かずここで待機してるんだ。
俺とフェンサーは座っているが、アーチャーは立ったままで何もしない。
話をするでもなく黙ったままでは、せっかくここまで来た意味がないぞ。
まさかここで待てというのは、本当に凛の都合がつくまで待機していろということか?
「おい、アーチャー……」
「────」
呼びかけに視線で返す。
寡黙なのは結構だが、こちらとしては喋ってもらわなくては困る。
「いや、あのさ……案内してくれたのはいいんだけど、ほら。こう……何かないのか?」
己が主を呼びに行くというのはもちろんの事、現状について話をするとか昨日のことについて教えてくれるとか。
凛が居ないなら居ないで、アーチャーが代行できる部分があるのではなかろうか。
そういう意図の発言だったんだが、返ってきたのは的を外した答えだった。
「……茶でも出せと? 仕方あるまい。今は客人という扱いだ、要望には応えよう」
やれやれ、なんて溜め息を吐くこの色黒白髪。
コイツわざとか? わざとなのか?
さすがに一応の敵地で敵が用意したものを口にするのは有り得ないし、用意する側もどうかしてる。
フェンサーもなんか言ってやれという意思を込めて視線を向けるが、同じく飛び出す理解不能の返答。
「あ。私紅茶ね。インスタントなんて出したらここで宝具解放するから」
「おいこのバカふざけろ! 何考えてんだおまえ! てかむしろおまえら二人だ!」
平然ととんでもねーコトをのたまうこの色白白髪。
英霊二人が揃いも揃ってなに普通に和んでんだ。
即座に戦闘開始なんてことになってもそりゃイヤだけどよ。
「サーヴァントに下手な毒物なんて効かないもの。それに彼自身の口から客人と言った以上、最低限の礼節は弁えているでしょう」
毒物云々てそれ、生身の人間のボクには当てはまらなくないですか?
客人扱いに関してはアーチャーのモラルとかの信用度次第なのでは?
過去に名を馳せた英傑であるなら嘘や騙し討ちの類を嫌うようなイメージがあるが、逆にそういう手段を用いることを常套とする英霊も存在するだろう。
アーチャーがどういう性質かはまだ測れていないが、己の戦術眼において合理的であれば、迷いなくそれを実行する果断さは持ち合わせているように思う。
ならばここでアーチャーが飲食物を用意するのはどういう心算なのか。
本当にもてなす為だけなのか、もしや他の意図があるのか。
ぶっちゃけ相手陣地に既に入っている時点で、もう細かい事気にしてもしょうがないだろと思わなくもなかったりする。
「わかったわかった、マスターが飲む分は私が先に毒見してあげるから」
「そういう問題じゃ…………」
おかしい。邸宅内に入る前は俺とフェンサーの見解は逆だったはずなのに。
…………もういっそのこと俺も開き直るか。
「それで、結論は出たかね」
明らかにめんどくせぇなと言わんばかりのレッドな弓兵。
元はと言えばコイツも原因なわけだが、もはや突っ込んだら負けだ。
「よし、そこな弓兵。茶を持てい」
ドカッとソファにもたれながら言い放つ。
ここまで来たらなんでもこい、と腹を括った。
アーチャーは一瞬だけ微妙な表情をしつつ、キッチンがあるのだろう部屋へと姿を消した。
さては自分から茶を出すと言ったことを少し後悔したな?
小っさい勝利に優越感を感じながら大きく息を吐く。
しかしすぐにこれが敗北感に変わるとは思ってもみなかった。
「くそ、くそっ」
何だこれは、どういうことだ!?
なんで弓兵なんかが淹れた紅茶がこんなに美味いんだ、不条理にもほどがある!
「んー、まぁ及第点かな」
俺の紅茶の毒見をサッと済ませ(そもそも同じポット)、優雅な仕草でティーカップを口に運ぶフェンサー。
飲むというだけの仕草がここまで様になっているのは見惚れるが、腹立つのは食器運んだり紅茶を用意するアーチャーの姿も様になっていたことだ。
あれか、英霊たるものこの程度の教養は持ち合わせてマースってことか!
「フッ、素直じゃないな。君のマスターはお気に召していないようだが」
ニヤリ──という擬音が聞こえてきそうなくらい、ニヒルな笑顔を浮かべて俺を見やがる。
本音を言えば、サーヴァントが用意する物に味とかそういうのは特に期待していなかった。
ただ飲んだ瞬間『あ、違う』と思わされた時点で、形容しがたい敗北感を植え付けられたのは筆舌に尽くしがたい。
ヒトとサーヴァントという区切りなく、人間としての可能範囲で差を見せつけられた感じだ。
まさか英霊としての武勲を立てる前は執事でもしていたのかなどと考えてしまうレベルだった。
「さて、まだ残っているが────」
「いいからさっさとおかわりいれろよバトラー!」
「黙って注ぎなさい」
「────随分と横柄な客人だ」
もう何度目かになる溜め息を吐きながら、律義に2杯目を用意するバトラー……もといアーチャーだった。
三人でお茶し始めてから2時間ほど。
色々と考え様々な可能性を考慮しつつ、1時間経ってもアーチャーが不穏な動きを見せることはなかったので緊張を解いた。
残り一時間は完全に優雅なティータイムとなっており、俺とフェンサーは都合3杯目の紅茶を飲み終えたところ。
ティータイムと言っても、ぶっちゃけアーチャーは待機しているだけである。
ただ黙々と紅茶のおかわりを注いでくれる。
その様子を見ていて、俺の中でこの赤い弓兵の評価が上がったのは否定できない。
何故かアーチャーに対して不遜な態度を続けるフェンサーの評価が下がったのも否定できない。
そうしてさすがにそろそろ出直そうかと考え始めていたそのとき──────
「うぅ~…………」
──────凄まじい顔をした誰かが2階から降りてきた。
形容しがたい遠坂凛のようなその少女は、こちらに気づかず客間を通り過ぎる。
なんだろう、見てはいけないモノを見てしまった気がする。
例えるなら白鳥が水の中で必死に足掻いているところとか、おとーさんおかーさんのラブラブしてるところとか。
「今朝はまた一段と……リン、早く顔を洗ってきたまえ」
「アンタに言われなくても行くわよ……」
ゆらゆらと浮浪者のような足取りであかい誰かさんは多分洗面所の方へと消えた。
曲がりなりにもアレが学園ではアイドルとされている事実。
全校男子生徒、いやそれどころか女子や彼女の友人を含めても、この姿を見た者は他にいまい。
俺も本音を言うならば見たくはなかった。
一男子として綺麗な花は散ることなく枯れることなく、という夢は見続けていたい。
「凄い顔してたわね。レディにあるまじきよ」
「とんでもなくしんどい作業でもしてたのか、昨日の一件で疲れているからなのか……」
「本人の名誉のために私は黙秘しよう」
逆にそれは語れば名誉毀損になると明言したようなものではないだろうか。
二階から降りてきた時点で、思わず声を掛けるのを躊躇うほどのお顔をしていらっしゃったので、戻ってきたときどう対応したらいいかわからない。
しかし何が理由であんな顔になっていたにせよ、話をしにきた以上ようやく出てきた凛を無視するわけにはいかない。
俺たちの前を通り過ぎてから10分。幾分かマシな顔になって戻ってきた。
わーい僕らの遠坂凛が帰ってきたぞー。
気怠そうなままに対面に座る。
「おは……もうこんにちはの時間か。随分待たせたな」
「今起きたからおはようでも構わな…………?」
「え、どうした?」
「────────」
まるで幽霊でも見たような顔をしている。
さっきの凛を見ていた俺も同じような顔をしていたかもしれない。
この反応を見るに、ここに俺がいるのはとんでもないことなんだな。
寝起きってことはコイツ人待たせながら寝てたのかと思ったが、そもそも待たせている予定ではなかったのか。
そのあたりアーチャーと打ち合わせ済みかと思っていたんだが、家の中に引き入れているのは凛の想定外だったと。
寝起きのあの有様でありながら、学園では完璧女子を演じてるのか。
女って怖い。怖すぎる。
それからなんとなく次の展開が予想出来るので、答えは事前に用意しておく。
「ちょ、まっ、なんでアンタ家に居るのよ!!?」
「訪ねてきたからだが?」
「そういうことじゃないわよ! どうやって中に入ったのよ!」
「アーチャーが通してくれたわけだが?」
「何ですって!!」
間髪入れずに返答する。
俺の最後の返答から、体ごとアーチャーへ向き直る。人を倒せそうなほどの眼力を込めてアーチャーを睨み付ける凛。
そこらの一般人ならビビッて怯んでしまうほどのレベルだが、已然として飄々とした態度を崩さないアーチャー。
その様子に凛も怒涛の剣幕を一旦収め、努めて冷静になる。
「アーチャー、これはどういうこと」
「フェンサーとそのマスターが客人として訪れている」
「じゃあ何故その二人が家の中に入って、あまつさえ私のお気に入りを飲んでいるのかしら。私、そんな許可出した?」
「いいや。だが一つ指示は受けたな。代わりに来訪者の応対をしろと」
「それで仮にも敵のマスターとサーヴァントを勝手に家に招き入れたの。いよいよアンタとの関係も決着をつけなきゃなんないみたいね」
極めて落ち着いた様子での言い争いだったが、実際は一触即発な空気。
今はまだ保たれているこの静けさも、嵐の前の予兆という感じがしてならない。
聖杯戦争という戦略上で見れば二人の仲違いは歓迎ものだが、今は交渉の為にここに来ている。
黙って見過ごすわけにはいかず、もしかしたら飛び火どころか矛先がこちらに向いてもおかしくない。
彼女らのケンカの原因の一端として、どうやら俺がこの場を収めねばならないようだ。
ふふふ、任せろ。我に秘策アリ!
「いやぁ"アーチャー"がやらかしちゃったかー、"あっちゃー"……なんつって──こッふっ!!?」
突如横から襲い掛かる強烈な衝撃。
肺の中の空気が押し出されるような嗚咽が漏れ、スロー再生のように頭からゆっくりと机に突っ伏した。
自分の身体を抱きしめるようにして左脇腹を抑えながら、突然の暴挙をくれやがった犯人を睨む。
「マスターへの評価はサーヴァントの評価でもあるの。自分の品位を下げるような低劣な発言は控えて頂けません?」
「っ! ……っ! っ…………」
反論しようにも声にもならない吐息が漏れるのみ。
痛みを誤魔化すために、無意識に頭をガン、ガンと打ち付ける。
声が出ない故に、抗議の意味を含めての机にガンガンでもある。確か似たようなフレーズのCMがあったような気がする。
痛みに悶えながらリンとアーチャーの方を見やる。
「────────」
「────────」
まるで捌かれる寸前の魚を見るような冷たい視線が二つ。
やめてください、そんな目で僕を見ないでください。
今すぐ冬木と新都を結ぶ鉄橋まで行って飛び降りたくなります、もう死にたい的な意味で。
「……君は、コレに真面目に敵意を抱くのかね?」
「起きたばっかりなのに頭痛くなってきた…………コレはともかくとして!」
代名詞で呼ばないで名前で呼んでください。
今すぐ言峰教会に全力疾走して懺悔しに行きたくなります、精神的に死にたい的な意味で。
つまりダメージ的に鉄橋飛び降り=言峰神父への懺悔である。
「現状は貴方の判断なんだから、マスターに対する説明責任は果たしなさい」
「……私が代行して訪問者に対応するよう命じられたが、それは直ちに追い返せという趣旨ではないと了解していた。
彼らは交渉の為に訪れたというため、凛が目覚めるまでの間応対をしていたまでだ」
「貴方の基準において、家の中へ招き入れるのは適切だったのね?」
「よもや攻め込みに来たわけでもない。昨日の一件に纏わる話はさておき、今後の状況についての話し合いは我々にも必要だ」
「そう。わかったわ」
ん? やけにあっさり納得したな。
内心かなりご立腹だと思ってたんだが、そうでもなかったのか。
さっきから声を出せない代わりに目で訴えているのだが、ようやくこちらを一瞥した凛が意思を汲み取ってくれた。
「代行させた以上、私はアーチャーを信用してそうさせた。つまり彼の判断は私の判断と同義なのよ」
思ってた以上に二人の信頼関係は強固なようだ。
アーチャーは凛の方針をあまり守っていない印象があったのだが、それも許容してこそのマスターだということか。
ウチのフェンサーは問題もなくはないが、基本的に俺の言い分は聞き入れてくれるのでまだ楽である。
「他意がないのなら、今の段階で黎慈と話すのは悪手ってこともないもの」
「……まぁ諸々の半分ほどは、主への嫌がらせだがね」
他意ありまくりだった。
俺たちを家に居れたのも凛のお気に入りの紅茶を出したのもそういうことなのだろう。
ソファに置いてあったクッションがばふっとアーチャーの顔面に叩き付けられる。
言わなければいいものをわざわざ付け足して、再度叱られながらもふてぶてしいことこの上ない弓兵。
けれど、先ほどのやり取りでわかったことがある。
彼は凛に対して、決して嘘を吐かないのだと思う。
時には勝手な行動を取るが、理由を問い質せばキチンとした答えを返す。
場合によっては凛が聞かずとも自らの考えを話すし、凛が決定した事でも不服があれば異議申し立てをする。
一見捻くれているように見えるが、別の側面から見ればバカ正直とも言える。
最初の共闘した夜、柳桐寺での交戦、今回の急な訪問。
黙っていれば分からない、隠したり誤魔化したり出来たことを凛が知り得たのはそういうこと。
俺や他の者からは扱いにくそうな性格をしているように思えても。
アーチャーと凛が一定以上の信頼関係を結べているのは、彼のそうした不器用さが影響しているのだと感じた。
少しだけ、この二人の在り方を知れた気がする。
そんな不器用さに、とある誰かの面影が重なる。
それ以外は似ても似つかないのだが、何故そんな気がしたのか。
どちらにも言えそうなのは、無意味に無駄な荷物を背負い込みそうだというところくらいか。
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