空を駆ける姫御子
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第十一話 ~空を駆ける【暁 Ver】
前書き
『暁』移転版の第十一話。本作オリジナルの桐生ですが、彼の役目はアスナを魔法世界から連れ出した時点でほぼ終わっています。これから単発での出番はありますが、大抵は工房でボブと世間話をしているという暇を持て余したリストラ寸前のサラリーマンのようなポジションとなります。
──────── 空を駆ける
「はやても、自分の車買ったら?」
八神はやては多忙である。部隊長としての仕事も然る事ながら、他部署との打ち合わせと任務遂行の為の摺り合わせ。はたまた、民間有力企業の責任者との折衝や会食という名の接待など、彼女のやらなければならないことは山積みだ。尤も、これは彼女だけが特殊なケースというわけではない。社会に出れば自ずとわかることだが、現代でも、ある程度の地位にあれば当たり前に熟さなければならないのだ。それを齢二十年にも満たない彼女が立ち回っているのは賞賛に値するはずだ。
本日はやては聖王教会へ向かう為、いつものようにフェイトの私用車に同乗していた。今日のフェイトの車はオープンカー仕様ではやての疲れた体には、爽やかな風が心地よかった。
「聞いてる?」
「聞いとるよ。……持っとるやないか。車」
ファイトは少し困ったように笑いながら眉を下げる。
「あの四輪駆動車? アスナに『十万馬力』ってイタズラ書きされたやつでしょ。あれ公用車だよ」
「私はそれほど車に興味ないしなぁ。……イタズラ書き落とすの大変やった」
「その前はなんて書かれたんだっけ?」
「……『蒸気機関』や」
「その前は?」
「『ミニ四駆』。真っ直ぐしか走れないやん。……別にええよ、可愛いイタズラや。ヴァイス君とこ持ってくたびに大笑いしとるしな。なんや最近楽しみになってきたわ」
はやてはちらりと、後部座席へ視線を送る。普段フェイトの車は2シーターであるが、今日はもう一人いる為に、トランクスペースである部分が後部座席となっていた。
「でも……良かったの? 同行させて」
「かまへんよ。どのみち帰ってきたら皆にも話さなあかんし。それに一度会わせろって五月蠅いんや」
どうやら、はやてが事実と虚構を混ぜた上に、面白おかしく話したことで興味を持ったらしい。考えてみれば、彼女と出会ってからそれほど時間は経っていない。不思議な縁だと思う。あの日──── 食堂でティアナとスバルと同席して彼女の話を聞かなければ、件の少女は六課にはいなかったかもしれないのだ。
一度、イタズラに困り果てティアナに聞いてみた事がある。何故こんな子供じみたイタズラをするのか? と。ティアナは少しだけ困ったように笑いながら、こう言ったものだ。
──── かまって欲しいだけですよ、あの娘は。
データ上は遙かに格上である魔道師と互角以上に戦ったかと思えば、子供のようなイタズラをする。他人を遠ざける癖に寂しがりや。本当に……不思議な娘だとはやては思った。もう一度、後部座席を見てみると彼女─── 桐生アスナは座席で膝立ちになっており、後方にいた一台の車に手を振っていた。見ると親子連れだろうか。助手席に座っている幼い少女が手を振り返している。
はやてはそれを微笑みながら見ていたが、放っておくといつまでも手を振っていそうな雰囲気だったので、声をかけた。
「アスナちゃん、楽しそうやな。せやけど、ちゃんと座っとらんと危ないで?」
「……や」
六課に来てからティアナとスバル以外とは殆ど接点を持とうとしなかったが、最近では皆ともよく話すようになってきた。その代わりというわけではないだろうが、我が儘も増えてきたようだ。……反抗期かとも考えたが、今更それはないだろうと思い直した。
「ちゃんと年上の言うことを聞かんと罰が当たるで?」
アスナはまるで聞いていないようだった。相も変わらず電車に初めて乗った子供のように、リアウインドウから景色を眺めていた。その数分後。少々乱暴な運転をする他車の所為で、フェイトが慌てて急ブレーキをかけた為に、アスナは後部座席から見事に転がり落ち……はやての言う通り罰が当たる事になった。
「聖王教会、ですか。管理局……というか六課って聖王教会と仲良しでしたっけ?」
桐生は丁度ユーザーから預かったデバイスのフルメンテを終え、一息入れようとしていたところだった。皺苦茶になったソフトケースから、よれた煙草を一本取りだし燐寸で火をつける。硫黄の臭いと共に、紫煙を肺一杯に吸い込むと生き返るようだった。
ボブは好き好んで煙を吸う人間の気が知れないと言うが、『工房』以外では一切吸わないし、誰にも迷惑をかけているわけではないので、好きにさせてくれと桐生は思う。
『桐生……仮にもアスナが属している組織なのだから、もう少しだな』
説教が始まりそうな雰囲気を感じ取ったのか、桐生は下手に出ること決めたようだ。ボブは説教を始めると長い上に、最後は決まって桐生に対する愚痴へと変わるのだ。
「あなたが優秀ですから。これから勉強しますよ。で?」
『仲良しと言えば、仲良しなのかも知れないね。聖王教会のカリム・グラシア女史と、ミス・八神は旧知の仲だそうだ。機動六課設立時にも力添えしたと聞いている』
「なるほど」
感心したような返答をしたものの、桐生にはさほど興味を惹かれる話題ではなかった。
『……真面目に聞いて欲しい』
「聞いてるじゃないですか。……仲良しと言えば、あまり仲が宜しくない方もいましたね、確か。レジアス……何でしたっけ」
『レジアス・ゲイズ。確かに、ミス・八神を含め彼女達を煙たがっているようだね』
「男は呼び捨てですか。武闘派と呼ばれるほど強引な方ですよね」
「噂に違わない人物のようだよ。『地上での正義の守護者』などという人間はいるが、それと同時に黒い噂が何かと絶えない男だ」
「手段を選ばない『正義』など最早正義とは呼ばないんですが。時として強引な手段を取ることも必要でしょう。ですがね、そうやって得られた平和のつけは必ず払うことになります。そして大抵の場合、そのつけを払うことになるのは、『彼女』達のように未来に生きている若者だというのに。愚かな事です」
『親の借金を子供が肩代わりするようなものか』
あまりにも人間らしくも生々しい表現に桐生は苦笑する。桐生は火を付けたまま燻らせていた煙草を、口に咥えた。
『桐生がまともな事を言ったのは久しぶりのような気する』
「……あなたは最近凄い失礼ですよね? 育て方を間違えたでしょうか。さて、作業の続きを」
『待って欲しい。桐生と話していると本題からどんどん外れていくんだ。それは間違いなく桐生の所為だよ。君はそれを故意にしている節があるから始末が悪い』
そう。ボブの言う通り、レジアス・ゲイズの名を出して話題を逸らし、適当にお茶を濁そうとしたのだった。日本人の大半がそうであるように桐生もまた、宗教組織やそれに属している人物に興味が持てなかったのである。
「アスナを八神さんが連れ出したんでしょう? 聖王教会へ。問題は無いと思いますよ。八神さんはあまり腹芸が得意だとも思いませんし、他意は無いと思います。何よりアスナはそんな方には決して心を許しませんからね」
何の脈絡もなくアスナを聖王教会へ連れ出したことをボブは懸念したのだった。アスナの完全魔法無効化能力を何かしらに利用されるのではと考えたのだ。だが、アスナは登録上『近代ベルカ式』の『騎士』で登録している魔導師だ。例えそれがデータ上だけのことであっても、事実であることには変わりない。その関係でアスナが聖王教会へ出入りしたとしても不思議なことではないと桐生は諭す。
桐生は自らが作り上げた人格AIの過保護ぶりに呆れかえると同時に頼もしくも思ったのだった。
「はい、みんなお疲れ様。今日もよく頑張ったね。じゃ最後にちょっとだけ、遊ぼうか?」
いつもの早朝訓練終了後になのはさんが、あたし達新人組へそんなことを言い出した。制限時間は五分。あたし達四人がかりで、なのはさんに一撃入れることが出来れば勝利。入れられない場合は、更に五分延長。いずれにせよ、訓練後の疲労困憊な体には罰ゲームに他ならない。
しかもタイミングが悪い。一番火力が大きいアスナは、八神部隊長と一緒に聖王教会に行っている。おまけにスバルのローラーブーツは、時々不安になるような音をさせていて、あたしのアンカーガンも耐久力が既にダンボール並みだ。後、三発……いや二発撃てるかどうか。
<ティア……>
<あんたはまだ見せちゃダメよ。制御出来るようになったばかりでしょ。ここで見せるのは勿体ないわ。違う札を切れば良いだけの話よ、わかった?>
<うん、了解>
さて──── やりますか。
合図と共に四人は散開。スバルは展開したウイングロードの上を疾走しながら、わたしに向かってまっすぐに突っ込んでくる。相変わらずだね、スバルは。繰り出された右正拳を、わたしは右の手のひらで難なく受け止める。良い攻撃だけど、馬鹿正直に正面からは減点だよ。
その時。わたしは本当に無意識に上体をスウェーバックさせる。その瞬間、わたしの頭があった場所をスバルの左足が唸りを上げながら吹き抜けていった。最初の大振りはフェイクでこっちが本命? スバルの手を離し距離をとろうとして……出来なかった。右手首を掴まれる。掴まれると同時にスバルの右腕が、蛇のように絡みついてくる。サブミッション! 心の中で驚愕の声を上げる。シューティングアーツにこんな関節技は……
まずい。完全にわたしのミス。スバルのようなタイプとは距離をとって『魔法』で戦うのが定石だ。完全に舐めていた。接近戦でスバルに対応出来るほどのものは『インパクト・キャノン』程度しかない。それに、今までの訓練で見せていた戦い方と違いすぎる。これじゃまるで──── 考えるのは後だ。魔力弾を叩き込むには密着しすぎている。わたしは舌打ちしながら『障壁』を─── 『オーバーロード』させた。
参った。障壁を展開させたかと思ったら、吹飛ばされた。アスナだったら障壁そのものを無効化している。うん、違うな。手首を掴んだ時点で終わらせている。なのはさんの強みはやっぱり、使う魔法の多様性だ。デタラメだよね、ホント。だけど、あたしもただ吹飛ばされただけじゃないけどね。
おかしい。スバルに掴まれた手に力が入らない。スバルから後で話を
「考え事ですか?」
わたしは振り向きざま待機させていた魔力弾を撃ち込む。それは陽炎のように、ゆらりと形を歪め……消えていった。シルエット、か。
「Bingo」
わたしの横から聞こえたその声に視線を向けると、訓練場へと縦横無尽に張り巡らされたウイングロードの上にいつの間にかティアナがいた。ティアナは勝利を確信するように笑い、アンカーガンの銃口をわたしへと向ける。放たれた魔力弾はわたしを射貫かんと迫るが、わたしは難なく防いだ。シルエットを使った撹乱は見事だけど、後ろがお留守だよ。
わたしは容赦なく魔力弾を撃った。狙いは寸分違わずティアナへと着弾。彼女は一瞬苦悶の表情を浮かべたが……口角をつり上げながら消えていった。
ティアナが消えた。いや、消えたのはシルエットだ。シルエットが消えるのは良い。幻術の強度は基本的に高くない。……問題はシルエットが実弾を撃った。間違いなく本物を。わたしは障壁で防いだのだから。……像は幻で攻撃は実体。これも訓練中には一度も見せたことはない。
その時。多少なりとも混乱していた、わたしの隙を突くように小さな影が弾丸のようなスピードでわたしに迫る。間一髪で防ぐが……重い。大した突進力だ。わたしは小さな影……エリオに対処するべく意識を切り替えた。
疲れたわ。札を切ってしまったが、仕方ない。しかし、あっちは手を抜きまくってるというのにあたし達は多少なりとも見せてしまった。これが力の差か……まぁ、いいわ。派手に戦ったのは、この為なのだから。後は頑張りなさい、男の子。
「惜しかったね、エリオ」
本当に惜しかった。エリオの攻撃は、わたしの障壁を抜いたけど、体までは届かなかった。そろそろ五分。可哀想だけどルールだからね。わたしが更に五分の延長を宣言しようとした時に、俯いていたエリオが顔を上げた。
「いえ、その必要はありません」
エリオがそう言うと同時に、わたしの背中へ軽い衝撃。少しだけ前に蹌踉めきながら振り返れば、そこにいたのは、フリード。ここでわたしは全てを悟った。ティアナとスバルが普段見せたことのない戦い方をしたのも、エリオが正面からわたしへ突進してきたのも。全て、彼女──── キャロを完全にわたしの意識の外へ追い出す為。
「一撃入れたら勝ち、ですよね」
その通りだ。他の皆の攻撃は全て防御したし、デバイス以外を使ってはいけないとも言っていない。発案は恐らく……間違いなく、ティアナだろう。自分でも大人げないとは思うけど、悔しい。だけどそれ以上に、わたしの全身を喜びが包み込んでいた。
「うん、合格。頑張ったね」
わたしがそう宣言するとティアナは大きく息を吐き、スバルとエリオは天へ拳を突き出す。本当に楽しみな新人達だ。実力で勝る相手と戦う場合は、逃げること。それを許さない状況であれば、相手の虚を突くこと。そして──── 皆で力を合わせること。
わたしが今まで彼女達に教えてきたことを実践してくれた。後はティアナとスバル? さっきの戦闘で聞きたいことがあるから、ちょっとお話しようか。二人ともこの世の終わりみたいな顔をした理由がわからなかった。
『騎士カリム。騎士はやてが、御見えになりました。それと……』
「ええ。もう一人いるのよね? 大丈夫、六課の子よ。失礼のないように。それとお茶を用意してちょうだい。確か熱心な教徒の方から紅茶をいただいたわね?」
『はい。GFOPのセカンドフラッシュだとか』
「それをお出しして。お願いね」
日々の仕事に忙殺されていたカリム・グラシアは、二人の来訪を心待ちにしていた。オーバーSランクの魔道師をも圧倒する戦闘力。日常のように引き起こす様々な騒ぎ。時折、心底困っているような表情をしながらも、楽しそうに話すはやてを見て興味を持った。彼女が屋根から落ちてきたと聞いた時は、絶句したものだ。カリムはいつもよりも軽い足取りで。ノックされた扉へと歩いて行った。
「後で戦技教官室へ集合ってなんだろうね、ティア」
現在、彼女たち……辛くもなのはの掲示した条件をクリアし、勝利をもぎ取ったティアナ、スバル、キャロの三人は若く瑞々しい肢体を惜しげもなく晒していた。とは言っても、決して如何わしい行為に及んでいるわけではなく、シャワールームにて汗を流していただけであったが。
「さぁ? 新しいデバイスのお披露目とかだったら嬉しいけど」
普段は左右で結わえている髪を掻き上げながらスバルの問いに答える。スバルはティアナの形の良い乳房へと視線をやりながら声のトーンを少しだけ落として答えた。
「うん……とうとう壊れちゃったもんね」
あの戦闘後にスバルのローラーブーツが火花と煙を上げると、うんともすんとも言わなくなったのだ。ティアナのアンカーガンも耐久力が段ボールからティッシュペーパー並みへと落ち込み、撃てば暴発は必至という状態だった。こうして彼女たちを訓練校時代から支えてきた二つのデバイスは、その役目を終えたのだった。
その二つのデバイスは彼女たちが新しい『相棒』を手に入れた後も、彼女たちの部屋の一角へ誇らしげに飾られる事になる。
「お二人ともご自分で作られたんですよね?」
それまで彼女たちの均整のとれたプロポーションを羨ましげに見つめながら話を聞いていたキャロが、二人へ問いかけた。
「そう。訓練校で杖型の簡易デバイスが支給されるんだけど、あたしやスバルの魔法、戦闘スタイルには合わなかったから自作しちゃったのよ。アスナのデバイスはお兄さん謹製だし、オリジナルデバイスなんか使ってる人間は殆どいなかったから凄い目立ってたわ、あの娘」
それを聞いたスバルが笑い声を上げた。
「また、訓練校時代のお話を聞きたいです」
「そうねぇ。今度はとびっきりの、ドタバタを話してあげる」
そう言いながらティアナはキャロへ向けて片目を瞑った。
「数え上げたらきりが無いもんね。クリスマス騒動、ゴキブ……」
「先、上がってるわよ」
「あ、うん。キャロおいで、髪を洗ったげる」
一足先に上がったティアナは、髪を丁寧にバスタオルで拭きながら考える。その騒動の殆どはアスナ絡みだった。ティアナがアスナを叱る。アスナは何処吹く風。スバルが止めに入るというのが、いつものパターンだった。
彼女達たちの御陰で世界が変わった。世界に色が付いた。いつか感謝の言葉を伝えたいなどと恥ずかしい事を考えたりするが、伝えるのはもっと恥ずかしいので実現出来ないでいる。
ライムグリーンの下着を身につけながら、またサイズを変えなければいけないと考えていると、ふと今日は朝から姿を見ていない彼女を思い出す──── あの娘、失礼なことしてないでしょうね。
「……だれだ」
割と失礼真っ最中だった。はやてと共に豪華ではあるが嫌みの無い一室へ案内されたアスナは、部屋の主と思われる女性を認めると開口一番に問いかけた。はやての背中へ半ば隠れるようにして。ここまで案内してくれたシャッハに対しても警戒していた。アスナにしてみれば、はやてと一緒に来た理由をよくわかっていなかったので、護衛程度にしか考えておらず、こんな場所まで案内されるとは思ってもいなかったのだ。
「相変わらず人見知りやなぁ。危ない人やないよ。私の友達でとっても偉いんやで」
「……はやてよりもえらい?」
「そやで。管理局で言えば少将さんやからな」
アスナは小首を傾げながら暫く考えていたが、
「……はやてがいつもお世話になっております」
と、まるで会社員のような挨拶をした。この辺りは間違いなく桐生の影響だろう。カリムは口元に手をやりながらとても楽しそうに笑ってる。
「ごめんなさい、笑ってしまって。私ははやてのお友達だけど、別に偉くないのよ?」
「……なんで嘘ついた」
「嘘付いてへんよ。カリムは謙遜してるだけやで?」
「……三国志?」
「ん? ……それ『孫権』や。わかりにくいわ。なんや、その顔。カリム……笑うとらんで助けてや」
彼女──── カリム・グラシアは本当に楽しそうに笑っていた。
八神はやては内心で気怠げに息を吐いた。カリムから齎された情報は少なくとも、はやてを喜ばせるようなものではなかった。AMF。新型のガジェット。そして……レリック。決して楽観視出来るような状況ではないが、不思議と大丈夫なような気もしている。死線を共にした親友。自分の家族。そして……頼もしい新人達。特にあの二人。これは自分の感でしかないが、恐らくあの二人は─── 強い。データや魔道師ランク以上に。
魔道師ランクは一つの目安に過ぎない。戦いで一番強いのはランクが高い人間ではなく……相手に怖いと思わせることが出来る人間だと言う事を八神はやては今までの経験で学んでいたし、自分の隣で栗鼠のようにクッキーに齧り付いている少女が、典型的な例だと感じていた。
以前からはやてが疑問に思っていたこと。彼女は八歳か九歳の頃から修行を始めたと、はやては聞いていた。アスナは現在十五歳。シグナムと互角以上に戦える戦闘技術。そしてあのとんでもない威圧感。あんなものが高々、六年か七年かそこらの修練で身につくものなのだろうか?
はやての疑問は尤もであった。はやてはアスナがミッドチルダへ来てから既に二十年ほど経っていることを知らないのだから。アスナの身に施されていた成長を阻害する処置。一般的に『異能』と呼ばれる力は幼少期が一番強く、成長するに従い失われていくことが多い。それを防ぐ為の処置だったと桐生は推察している。それもある年齢を境に効果が切れ始め、常人と同じように成長を始めたのは幸いであった。
生きている年数だけで言えば、はやてよりもずっと年上なのだ。……とてもそうは見えないが。アスナは、はやての視線に気付くと自分が持っているクッキーと、はやての顔を交互に見つめる。
「……あげない」
「いらん。アスナちゃんが食べとるクッキーよりこっちの方がおいしいねんで」
「……ちょうだい」
「やらん。アスナちゃんは片手に持っとるやろ」
「……そんなけちんぼだから、はやては小さい」
「関係ないわ。これからぐんぐん伸びるで? タケノコも真っ青や。……なんや」
「……私は、六課にきてからまた1㎝伸びました」
「うそ、やろ」
カリムは先ほどから、はやてとアスナのやり取りを見て忍び笑いを零している。そんなカリムとアスナを見ながらはやては思う。疑問はあるが、些細なことだと。先行きが不安になるような情報ばかり耳に入ったが、今は彼女達の楽しそうな顔を見られたけで─── 十分だ。はやてはそう自分を納得させた。
「新デバイスですかっ」
スバルが新しいおもちゃを買って貰えることに喜ぶ、子供のような声を上げる。目の前には……あたし達の新しいデバイス。キャロとエリオのデバイスにも手を加えられているようだ。何故だろう? あれほど熱望していたデバイスだと言うのに、何となく複雑な気分だ。アンカーガンを亡くしたばかりだからだろうか。スバルのようにデバイスに感情移入するような質ではなかった筈なんだけど。
あたしは恐る恐る手を伸ばすと、カード型のそれを手に取る。『クロスミラージュ』と言うらしい。幻術魔法を使うあたしには、相応しい名前だ。スバルは早速、相棒と呼び始めている。リイン曹長やシャーリーさんの話しによると、あたし達の性格や特性に併せチューニングされた、文字通りのオーダーメイドの逸品だ。
魔道師の強さは決して、デバイスで決まるものではないけれど……少しだけアスナに追いついた。その時、戦技教官室に響き渡る耳障りな警告音と、見る者の不安を煽るかのように明滅を繰り返す『ALERT』の文字。
動揺していたあたし達の目の前に、スクリーンが展開される。アスナを伴い聖王教会へ赴いていた八神部隊長だった。彼女はあたし達を視界に納めると、安心させるように微笑み……表情を変えた。
「手短に説明するで? レリックと思われる貨物を積んだリニアが、ガジェットの襲撃を受けとる。場所はエイリの山岳丘陵地区。対象は山岳リニアレールで移動中。ガジェットは三十体前後。制御系統を奪われリニアは暴走中や」
八神部隊長から告げられた状況は、少々厄介だ。
「高町隊長及びフェイト隊長は現場指揮。私は隊舎に戻って全体指揮を執る。リインは私のサポート。桐生三等陸士は既に現場へ先行しとる。シフトは『A-3』。詳細なデータはヘリの中で各自確認する事。以上や」
八神部隊長はそこまで指示を出すともう一度あたし達を視界に納めながら、初めての命令を告げた。
「機動六課フォワード部隊……『SCRAMBLE』」
さて、ミッドチルダでの初出動だ。新デバイスを実戦で試さなきゃならないのは痛い。
「どうしたの、キャロ」
「あ、あの、アスナさんが先行してるって……」
なるほど。アスナが現場へ先行しているとは言っても、こっちはヘリだ。上手く合流できるか心配しているのだろう。
「大丈夫よ、キャロ」
──── あの娘は空を駆けることに関しては誰にも負けないのだから。
風が身を切る。小さくなった街を眼下に見ながらアスナは、空を駆けていた。
『アスナ、何も考えず走れば良い。到達ポイントへの指示は私がする』
「……どっち?」
『二時の方向へ、そのまま真っ直ぐだ』
更にスピードを上げる。世界から音が消え失せ、ゴーグルから見える視界が、瞬く間に狭くなっていく。アスナだけがいる世界。空を飛べる人間が当たり前に見ている世界を、翼のないアスナは手に入れた。昔はこの感覚が好きだったが、今は少しだけ寂しく感じる。ふと、いつも怒っているような顔をしている彼女と脳天気そうに笑っている彼女の顔が過ぎる。
魔力が身に滾るのを感じながら更にスピードを上げる。さぁ、急ごう。アスナは小さな彼女が心配だった。時折ではあるが、とてつもなく不安そうな表情を見せるのが、気になっていた。
「……急ぐ」
更にスピードを上げる。魔力を与えられた細胞が、もっとよこせと言わんばかりに雄叫びを上げた。ひたすらに。ただ、ひたすらに空を駆ける。桐生アスナ。初めての『敵』と接触まで─── あと僅かである。
~空を駆ける 了
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