空を駆ける姫御子
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第十二話 ~わたしの帰る場所 -Home-【暁 Ver】
前書き
『暁』移転版の第十二話。ブログ版では、前後編の二部構成でしたが、一本に纏めました。
──────── その日、わたしの帰る場所がなくなった
両親の事も憶えていないし、あまり楽しい思い出もなかったけれど。そこには確かに、わたしの居場所がありました。わたしの『力』は強すぎるらしい。強すぎる力は災禍と破壊しか生まない、と。こうしてわたしは帰る場所がなくなり……一人になった。
「確かに珍しい特殊技能ではありますし、強力ではあるんですがねぇ。如何せん、制御が出来ないんですわ。使い道としては殲滅戦に放り込むしか」
「お名前は?」
その日。わたしを迎えに来たと言った綺麗な女の人は、綺麗な声で男の人の言葉を遮るようにわたしに話しかけました。わたしに目線を合わせるようにして。
……知ってますよね?
「うん、確かに私はあなたの名前を知ってるけど、直接聞きたいな」
……キャロ・ル・ルシエです。
「可愛い名前だね。私はフェイト。フェイト・T・ハラオウン。さ、行こっか」
「ま、待ってください」
男の人が綺麗な女の人……フェイトさんを呼び止める。男の人へ向けたフェイトさんの瞳は、雪のように冷たかった。
「何か?」
「何かって……私の話を聞いていましたか?」
「……あなたの方こそ、私が今日訪れた目的を聞いていませんか? 私は、彼女を引き取りに来たんです。何か問題が?」
「い、いえ」
「行こう? 『キャロ』」
わたしを迎えに来た綺麗な女性……フェイトさんはそう言って、男の人に向けていた顔とは別人のように、わたしに笑いかけました。なぜかは、わからないけど──── 涙が溢れそうになりました。
強すぎる力。人を傷つける力。もし上手く出来なかったら……また居場所がなくなってしまう。今度は何処に行けば良いんだろう。とても、後ろ向き。わたしの悪い癖だ。わたしがこんなことじゃいけないと、頭を振ろうとしたとき。ヴァイスさんの緊張した声が、空気を揺らした。
「なのはさんっ、六課から通信。航空型のガジェットが、こちらへ向かってるそうだ。数は……二十機前後!」
「フェイトちゃん来てる?」
『来てるよ』
「了解。わたしとフェイトちゃんで、空は抑えるからヴァイス君、ハッチ開けてくれる?」
ヘリ後部のハッチが、ゆっくりと開けられ冷たい風が舞い込んでくる。
「それじゃ、ちょっと出て」
そこまでなのはさんが口にした時。ヴァイスさんが慌てたように声を上げた。
「後方から凄いスピードで、一機ヘリに向かって接近してくるっ」
わたしの小さな心臟が、意思とは関係なく跳ね上がる──── 怖い。
「何が近づいてるのっ」
「……識別コード未確認、通信での反応無し」
「すぐに出るから」
「だめだっ、間に合わない。接触するっ。……5、4、3、2、1」
ヴァイスさんの切羽詰まった声と同時に何かが、ハッチから飛び込んできた。ふわりと飛び込んできた『それ』は高いところから落ちた猫のように、四肢を着いて音もなく降りたった。女性らしいラインが、はっきりとわかる青色のバリアジャケット。雲のように真白なプロテクター。『空』を体に纏ったその人は、ゆっくりと立ち上がると──── 可愛いくしゃみをしました。
「アスナ、勘弁してくれ。せめて通信入れてくれるとか、識別コード出してくれるとかさ」
「……ヘリのにーちゃんは、フェイトのお尻をときどきガン見してるな?」
「いきなりなんだっ」
「ヴァイス君、ちょっと」
なのはさんの顔がちょっと怖くなりました。いつもの喧噪、いつものやり取り。早鐘のようだった胸の鼓動もいつの間にか落ち着いている。でも────
「……こわい?」
はっと顔を上げる。アスナさんの……じっと見つめられると、少し落ち着かなくなってしまう瞳が、わたしを見つめている。はい、怖いです。
「……そこにお座りなさい」
え、えっと……もう座ってます。わたしがそう言うとアスナさんが、目の前の床にぺたりと座り込んだ。そして、アスナさんの口から発せられた言葉は、少なからず、わたしが驚いてしまうものでした。
「……私もこわい」
スバルが驚いた顔してる。でもきっと、あたしも似たような表情をしてるはずだ。少し前まで自分とあたし達以外には、まるで無関心だったアスナが──── 彼女に何かを伝えようとしている。何度も口を開きかけて、そのたびに噤んでしまうアスナを見ながら、隣にいるスバルを見る。スバルは口べたで不器用な妹を見るような目で、落ち着かない様子だ。きっと、アスナは少しずつ──── 変わろうとしている。
スバルが言ったことをあたしが憶えているのか、それともあたしがそう思ったのか。よく憶えてはいないけれど、アスナには人を変える力があると思う。あたしは出来るだけ興味の無いふりをしながら、アスナとキャロを見守った。
「そ、そんな……アスナさんはあんなに強くて」
「……強くなれば、こわくなくなるわけじゃない。……殴られるのもイヤだし、出来れば殴るのもイヤ。それが、こわくない人は……動物とかわらない。……だから……キャロはこわくて、いいと思う。『自分が傷つく痛みを知らない人間は、人を平気で傷つける。それが言葉であっても』……とお兄ちゃんが言ってました。……お兄ちゃんは、ときどき良いことを言いましたみたいな顔をするので、ちょっとむかつく」
アスナさんが一生懸命たどたどしい言葉で、伝えてくれた言葉。でも────
「……それじゃ戦えません」
「……そういう時はこうする」
誰もが納得するような理路整然としたことを言ったわけじゃない。歴史に名言を残すような偉人から見れば、鼻で笑うかも知れない。だけど、アスナらしい正直で偽りのない言葉。そのアスナは今……キャロを抱きしめてる。キャロ、覚悟しなさい。散歩に出かけて『気に入ったから』という理由だけで、何でも拾ってきて──── 『宝物』にしちゃうような子だから。そうなったら……なかなか離してくれないわよ。
「……あたたかいな?」
「はい……暖かいです」
遠い昔。こうして誰かに抱きしめて貰った記憶はあるけど、よく憶えていない。とても暖かくて……懐かしい。アスナさんの鼓動。体温。気持ち。アスナさんの全部が伝わって来るみたい。怖かった気持ちが、波のように退いていく。首に掛かるアスナさんの吐息が少し、くすぐったい。
「……お兄ちゃんが、私が小さい頃に泣きそうになるとこうしてくれた」
──── 今はキャロにもいる。こうしてくれる人が。
あの日、あの時、寒い夜。行き場のなかった、わたしに笑いかけながら手を引いてくれた人。わたしに帰る場所をくれた人。わたしに─── 『家』をくれた人。
「……きっと、その人も……こうしたいと思ってる」
「そう、でしょうか」
「……そう、きっと」
もし、そう思ってくれていたら……とても嬉しい。わたしの大切な人たち。わたしの居場所。わたしの帰る場所。わたしの─── 家。わたしはそれを守るために、アスナさんと同じように怖いと思う気持ちを無くさないように──── 戦おう。わたしを抱きしめていたアスナさんが離れる。少し寂しい。アスナさんはくるりとエリオ君へ振り向くと、こう言った。こう、言ってくれた。
「……エリオは男の子だから、キャロを守って」
エリオ君は満面の笑顔で、任せろと言わんばかりに返事をしてくれた。それが、恥ずかしくて──── 少しだけ嬉しい──── わたしはもう、大丈夫。
「良かったね、キャロ」
なのはさんが本当に嬉しそうに、そう言ってくれた。なのはさんは、わたしの髪を梳くように撫でると、バリアジャケットを展開する。
「高町なのは、出ます」
なのはさんは一言だけそう告げると、白い流星のように飛び出していきました。
──── ありがとね、アスナ
なのはさんがアスナさんと擦れ違う時にこう呟いたのを、わたしは確かに聞きました。きっと、なのはさんにも心配をかけていた。少し前のわたしならもう心配掛けないようにと、変に気負っていたはずだ。だけど今は、気に掛けて貰えることが、ほんの少し嬉しい。
「さぁ、新人ども。降下ポイントへ到着だ。準備は良いか?」
ヴァイスさんの言葉を合図にして、全員の顔が引き締まる。
「作戦内容は各自端末で確認したとおりだ。リニアに取り付いてるガジェットの掃討及び、レリックの確保。そして奪われた制御を取り戻しリニアを止める事。やり方はわかるよな? 今までおまえらがうんざりするほど座学でやったはずだ。空は心配するな、隊長二人が大暴れしてるぜ。さぁ──── 蹴散らしてこい」
『桐生、アスナ達が出る。アスナにとって、初めての本格的な実戦だ。顔色が悪いぞ、大丈夫かい?』
「……ええ、大丈夫です。おかしいですね。自分が戦うわけでもないというのに」
桐生はそう言って自分の手のひらを見つめる。じっとりと、汗までかいていた。自分の作り上げたデバイスをどれほど信頼していたとしても。アスナの強さをどれほど信じていたとしても。大切な妹が戦うという行為に慣れるわけもなかった。
『彼女達は強いよ、勿論アスナも。あのような『おもちゃ』に後れをとる事はない』
「わかってはいるんですが、ね」
桐生は煙草へと手を伸ばそうとしたが、散々逡巡した挙げ句、吸わないことに決めたようだった。
『桐生。すまないが、アスナのサポートに集中したい』
「はい、お願いします」
『アスナに何か伝える事は?』
「決して無理はしないように、と」
『了解した』
モニターの中で物言わぬオブジェとなったボブを見ながら息を吐く。人格AIに気を使われるようではどうしようもない。もしかしたら……もう二十年近く姿を見せていない『彼女』も、ハラハラしながら見ているかも知れない。無事に終わったら何かしてあげようかと考えながら、アスナを孫のように可愛がっているバークリー本家にいる岩のような執事に連絡を取るべく、桐生は工房の扉を出て行った。
アスナさんはいつもと変わらない足取りで、後部ハッチから両手を広げながら空へと歩き出しました。その姿はまるで、ダンスのステップを踏んでいるようで──── そして、わたし達へと振り返ると手をパタパタと振りながらストンと落ちていきました。
わたしが慌ててハッチへ駆け寄って下を見ると、アスナさんが螺旋階段を下るように空を駆けていきました。スバルさんのウイングロードを見た時も驚きましたが、アスナさんのあれは相変わらず不思議な光景です。
「スバルも、ほら。ウイングロードを螺旋状に展開して墜ちていけばいいじゃない」
「いやだよ、そんなアトラクション」
このお二人はいつもと全く変わりありません。
ティアさんはスバルさんに素気なく断られると肩を竦めて見せた。
「それじゃ二人とも先に行ってるわよ」
ティアさんはその言葉を合図にして、スバルさんと一緒に空へと身を躍らせた。エリオ君がわたしに向かってそっと手を差し出してくれる。
「行こう、キャロ……一緒に」
うん。この手のぬくもりを無くさないように。暖かな人たちを、暖かな場所を守るために──── キャロ・ル・ルシエと、フリードリヒ行きます!
「……行ったなぁ」
八神はやては作戦司令室にて独りごちた。正確には一人ではなかったが。
「はやてちゃん、リインは本当にこっちで良かったですか?」
「ごめんなぁ、リインにも行って貰おう思うとったんやけど」
八神はやては、リニアの制御を取り戻すのも新人組に任せようと考えた。現場にいるなのはと、急行しているフェイトには伝えてある。ガジェットに対応する者と、リニア側に対応する者の割り振りも現場の判断に任せた。ガジェットの増援が現れた場合は、なのはとフェイトが対応する。
地球での派遣任務と、なのはから報告を受けた先ほどの戦闘内容と結果を踏まえての判断で決して無茶ではないと考えたのだ。
「実践に勝る訓練は、ないからな」
わたしとエリオ君が列車の屋根へ降り立つと、先に出た三人があたし達を出迎えた。ティアさんとスバルさんはすでにバリアジャケットを展開済み。勿論、わたし達も。何気なく見たティアさんの左腕に若干の違和感。よく見てみると、ティアさんの二の腕に赤いリボンが結んである。スバルさんとアスナさんの左腕にも同じリボンが結んであった。
「あぁ、これ? おまじないみたいなもんよ。正真正銘、普通のリボン。さて、説明するわよ? あたしとスバルは列車内へ侵入。ガジェットを破壊しつつ、あたしは列車の制御系統を取り戻し列車を止める。スバルはレリックの探索と確保。エリオとキャロは、周囲の警戒及び外に溢れたガジェットへの対処」
そこまで立板に水を流すように説明していたティアさんが少しだけ考え、アスナさんを見る。
「……アスナはエリオとキャロのフォロー。ここまでで何か質問は? ないわね。それじゃ」
ティアさんが何かを言いかけたのと同時。破砕音と共に、列車の屋根に開いた穴からガジェットが次々と飛びだしてきました。その樣子を片方の眉をつり上げながら見ていたティアさんは、
「あたしの台詞が終わるまで待てなかったのかしらね。出待ちのタイミングがわかってないわ、こいつら」
ガジェットにダメ出ししました……。
「リテイクを要求したいところだけど、そうもいかないか」
ティアさんはホルスターから『クロスミラージュ』を引き抜くと、狙いをつけるように構えます。二度、三度と銃身がブレ……それがぴたりと治まると同時に、銃口に集まる魔力の奔流。それは瞬く間に魔力弾を形成し
「Shoot.」
ティアさんの呟きと共に文字通り『弾丸』のような魔力弾は、いとも簡単にガジェットの装甲を撃ち抜きました。
「さ、みんな準備はいい? いくわよ……Engage!」
もう既にガラクタと成り果てたガジェットを見ながら、スバルは新しい『相棒』へと問いかけた。
「優秀だね、『マッハキャリバー』。おまえと会えてとても嬉しい」
『当然です。私はあなたをより速く、そしてより強くするために生まれました』
「より速くより強く、か」
脳裏に浮かぶのは、一人の少女。これで少しは追いつけたかも知れないと考えていると、想像の少女が無表情に舌を出した。
「あったまきた。行くよ、マッハキャリバー」
『どこまでも』
微妙な照準のズレも即座に修正される。体を巡る魔力も実にスムーズ。魔力弾の生成も以前より遙かに負担が少ない。
「あなたは優秀ね? 『クロスミラージュ』。これからもあたしの力になりなさい。そうすれば……ずっと使ってあげるわ」
『ありがとうございます。私は常にあなたと共に。あなたの力になる事を誓います』
いいお返事ね。あたしが改めて優秀で従順なパートナーに満足しているとスバルから通信が入った。
『ティア、そっちはどう?』
「概ね順調よ。ただ、ガジェットを破壊しても制御が取り戻せないわ。やっぱり直接『弄る』しかないわね。八神部隊長には報告済み。今から『メイン』に向かうわ。そっちは?」
『こっちも順調。レリックは三両先かな。ねぇ、ティア? あの子達大丈夫かな?』
「大丈夫じゃなきゃ困るわ。何のためにアスナを残したと思ってるの」
八神部隊長にどんな思惑があって、誰のサポートも付けずに新人のあたし達だけにまかせたのか……いや、考えすぎか。あたし達の実力を評価してくれたからだと考えよう。
「あの子達なら大丈夫よ。今は自分のやることに集中しなさい」
『了解。通信終わり!』
あたしは端末のスクリーンを閉じると、列車の制御を取り戻すべく再び疾走を始めた。
八神はやてがオペレーターとモニタから送られてくる状況に目を走らせていると、グリフィスから通信が入る。
『八神部隊長。その、警備担当の人間から連絡がありました。機動六課宛てに荷物が届いていると』
「警備から……六課宛に?」
はやては、不機嫌そうに眉を寄せる。彼女が暗に時と場合を考えろと言っているのを察したグリフィスは、恐縮したように身を竦める様子を見せた。
『作戦遂行中につき後にするよう言ったんですが、荷物の中身がおかしい、と』
「なんや、これ……」
受付にいた警備担当からの通信に八神はやては絶句した。基本的に六課に届けられる荷物は、個人宛ではない限りNDTされる。中にあったのは血痕が認められる一枚の局員用IDカード。そのIDカードに刻まれた名前はこう、読めた──── 御堂刹那。
列車内の平々凡々とした空気を、肌がちりちりと焼きつくような空気へと変えていく。生き物であれば生存の危機を本能が訴えるほどの気迫。惜しむらくは──── 彼。いや、あるいは彼女かも知れないが。機械であるが故に理解する事は叶わなかった。だからこそ、与えられた命令を遂行することが存在意義だと言わんばかりに、そこを動くことはなかった。
「どいて。って言っても無理だよね。だけど、おまえの後ろに欲しい物があるんだ。無理にでも通させて貰う」
それはその言葉さえも、理解することは無く。唯々……レリックを守る為だけに行動を起こす。青髪の少女はそれを一瞬だけ哀れむように見て、表情を引き締めた。
距離は五メートル。青髪の少女──── スバルは拳闘士のように両腕を構えながら、距離を詰めようとした時。スバルよりも早くそれ──── ガジェットが動き出した。何の熱をも宿さない瞳でスバルを捕らえると、灼熱の閃光を放つ。だが、それはスバルの体に風穴を開ける事は叶わなかった。
ガジェットに感情という物があったなら、驚愕していたことだろう。何故ならば、スバルの右腕が既に自分の体を貫いているのだから。
マッハキャリバーが、熱い吐息を吐き出す。スバルが短く吐いた息と共に、腕を引き抜く。それにタイミングを合わせるようにマッハキャリバーの車輪が火花を散らしながら逆回転を初めると、スバルの体を後方へと運んだ。オイルの血潮と機械の内蔵を撒き散らしながら、ガジェットは創造主から与えられた命令から解放された。
「かわいそうだね」
『あれは機械です。そのような感情は無用と判断します』
スバルは頭の固い相棒に少しだけ残念そうに、微笑みながら告げる。
「今にわかるよ、おまえにも」
『……努力します』
──── スバル・ナカジマ、レリック確保。
右手と左手が別々の生き物のように、淡々と作業をこなしていく。眼球は忙しなく左右へと行き来し、思考を分割し、並列処理しながら彼女──── ティアナ・ランスターは列車の意思を取り戻すべく一人静かな戦いに身を投じていた。
「うん、何とかなりそう。サポートありがとう」
『ありがとうございます。ですが、私があなたを助けるのは当然の事です』
相も変わらず従順なパートナーに少しだけ苦笑する。
「クロスミラージュ? あたしに敬意を払ってくれるのは嬉しいけど、もう少しフレンドリーでも」
ティアナはそこまで口にしたところで頭を振った。彼女は考える。違う、そうじゃない。これが普通なのだ、と。何処の世界にマスターを正座させて説教をするデバイスがいるというのだろう。自分も随分と毒されてきたものだと考えながらティアナは笑った。
ティアナはそこで一端思考を切り替えると、少しだけ感じていた疑問をぶつける事にした。
「ねぇ? この事件をどう思う?」
『申し訳ありません。質問が些か抽象的です』
ティアナは苦笑しながら答える。
「うん、そうよね。……レリック一つ奪うのに三十機ものガジェットを投入。航空型のガジェットまで。そもそも、列車のコントロールを奪ったのはなぜ? 人気のないところまで運ぶため? あたしならそんな回りくどい事はしないわ。とっとと奪って逃げる。それだけ重要なレリックだと考える事も出来るけど」
『マスターの仰る通り貴重なレリックだという可能性も十分あります。ですが、それを差し引いても過剰戦力のように思います。何より、最初から秘匿しようという気がないようにも感じられます』
八神はやてから最初に事件の内容を聞いた時、彼女が感じた違和感。手を伸ばしてもするりと逃げられてしまうような──── そんな感覚。もし、そうだとするならば。導き出される答えは、それほど多くはない。
「目的はあたし達?」
何の為に? 単純に考えれば、あたし達の戦力を図る為だ。……それを知りたいという人間はいったい誰だ。
『マスター。今は列車のコントロールを取り戻すのが、先決かと思われます』
昏い海の底を泳ぐ深海魚の如く、思考の海へ潜り続けていたティアナの意識はパートナーの忠告により急速に浮上した。ティアナは一瞬、呆けたような表情を見せると、僅かに頬を緩めた。
「何だ、やれば出来るじゃない」
『何のことでしょうか?』
「今にわかるわ、あなたにも。きっとね」
桐生アスナは、疾走する列車の上で胡座を組みながら、大空を見上げていた。彼女にしては珍しく大きく瞳を見開いている。ついでに言えば、餌を待つ雛鳥のように口も開いているが、不幸にもそれをいつものように注意してくれる少女は傍にはいなかった。
彼女の保護者兼パートナーを自認する『ボブ』は本当に虫が飛び込んできても気がつかないのではないかと、少々不安になる。注意してもいいが、件の少女に下手なことを言うとへそを曲げるばかりで、言うことなど聞きはしない。こんな時、桐生の無駄によく回る口が、心底羨ましいとボブは思った。
『アスナ? 可愛いらしい口が開いているぞ』
「……きもい」
どうやら失敗したようだ。結局ボブは複数ある選択肢の内、最も無難な答えを出した。
『それにしても、彼女はたいしたものだな。あの年齢であれほどの竜を従えるとは』
視線の先には──── 白竜。体躯はそれほど大きくはないが、白銀に輝く翼を羽ばたかせながら、威風堂々と空を泳ぐ姿は正しく──── 竜の名に相応しい者だった。その背中にはそれを成し遂げた小さき召喚士が、最初からここは自分の場所であると主張するかのように座っていた。桜色したショートヘアを風に遊ばせながら竜の背に座る姿は、御伽話の主人公のようにも見えた。
相変わらず竜を見上げている桐生アスナは──── 恐らく彼女と苦楽を共にしてきた、親友の二人であれば気づけたかも知れないが──── 大興奮状態だった。『ボブ』もそれには当然気づいていたが、こういう場合下手に刺激すると、火に放り込んだ栗のように弾けるだけなので沈黙を選択するしかない。
「……キャロは白魔道士じゃなかった。召喚士だった。風評被害、だまされた」
『……アスナは何を言ってるんだ?』
二人の間に沈黙という名の幽霊が通り過ぎている間に、何故このような状況になったのか、少し時間を戻そう────
「キャロ、下がってっ!」
それは、エリオから発せられた緊張を孕んだ声から始まった。突如として現れたガジェットドローン。それは彼女達が、二手に分かれたところを狙い澄ましたかのように、列車の屋根を食い破って現れた。エリオやキャロが見上げるほどの巨躯。体から這い出ている幾本もの触手が、まるで別の生き物のように蠢いている。データベースの照合結果は──── UNKNOWN。つまりデータにはない種類であった。
エリオがストラーダを構えると同時に動き出そうとした時。体を通り抜けていった不快感。体に満ちていた物が霧散していくような理不尽な感触。キャロを見ると、彼女は自分の足下を呆然と見つめていた。エリオをサポートするべく展開した魔方陣が、蜃気楼のように揺らめきながら消えてしまったのだ。間違いない────
「AMF!」
その叫び声はエリオの物かキャロの物か。あるいは両方だったかも知れない。その声を合図として、小さき騎士の初めての戦いが、今始まろうとしていた。自らの愛槍を握りしめながら敵と対峙し、そして──── アスナの言葉を思い出す。
──── エリオは男の子だから、キャロを守って
エリオは嬉しかった。彼女のような出鱈目な人に託されたのだ。他の誰でもない自分が。だから嬉しかった。ならば──── それに答えるだけなのだ。新たに決意をしたエリオの隣には、いつの間にやってきたのか、桐生アスナがいつものように茫洋とした視線のまま、棒立ちになっていた。
「……エリオ」
「はい」
「……キャロ」
「は、はいっ」
「私がアレのAMFを発生させている部分を破壊する。合図をしたら、攻撃。キャロはエリオのサポート。いい?」
矢継ぎ早にアスナから出される指示に、ほんの少しの違和感を憶えながらも二人とも頷首した。二人がその違和感を考える前にアスナが動き出す。アスナは普段と変わらない歩調で、巨大なガジェットへと近づきながら──── 視る。無造作に近づいてくるアスナを笑うように光学兵器が放たれた。
目も眩むほどの閃光。エリオとキャロは一瞬でも想像してしまった、アスナの無残な姿を振り払うように視界を取り戻す。二人の視線の先には、アスナが変わらず佇んでいた。アスナの周りには、六枚の盾。亀の甲羅を思わせる六角形の透明な盾は、アスナを守るようにゆっくりと旋回している。
ガジェットが何度、熱光線を放とうとも結果は変わらない。フラッターによって展開され『ボブ』によって着弾地点を計算される盾は、エリオとキャロを狙ったものでさえも瞬時に移動し、防ぎ、弾く。アスナは暫くそれらを他人事のように見ていたが、やおら腰の鞘から大型のナイフを取り出すと、ガジェットへ投げた。
投げられたナイフは寸分違わずそこへ突き刺さる。それと同時に、ぬるま湯のように空間を覆っていたAMFも霧散していった。アスナは風のようにガジェットへ近づき、ナイフを引き抜くとエリオへ合図を送った。
ストラーダを胸の高さで中段に構え、腰を落とし、全身に力を込める。それは、限界まで引き絞られた弓の如く。全身が羽ののように軽くなり、ストラーダの魔力刃が、一層の輝きを放つ。キャロがしてくれたのだと理解する。小細工など必要ない。小さき騎士の体は文字通りの──── 矢と化した。
六メートルあまりの距離をたった二歩で詰める。列車の屋根がへこむほどの勢いで踏み込むと同時。もうすっかり手に馴染んだ愛槍を翻し、ガジェットの体ど真ん中へ烈火の如く突き立てる。──── ざくり、とした感触。だが、まだ終わらない。
壊れかけのおもちゃのように、ゆるゆると動き出そうとするガジェットを視界に納めながら更に一歩踏み込む。機械の内蔵を突き破っていく感触と共にガジェットの体を更に、深く、穿つ。エリオはそこで一端目を瞑り、ふうと息を吐いた。そして──── 目を見開くと、自分の全てを込めた咆吼を上げながら、ガジェットの体を上段に切り裂いた──── 物言わぬ機械は、回路がショートする断末魔の悲鳴を上げながら──── その動きを止めた。
私はその時。何だかエリオ君が、とても凛々しくてかっこいいなどと酷く場違いな事を考えていました。わたしが帰る場所を守るために戦おう。そう決意しても尚、『力』を使わないに越した事はない。このまま無事に、何事もなくみんなで帰る事が出来て──── 明日になれば、いつものような騒がしくも平和な時間を過ごすことが出来る。そんな甘えた事を考えていました。
だから。だからかも知れません。そんなあたしに神様が罰を与えたのかも知れません。だって──── わたしが瞬きをした次の瞬間。わたしの視界に飛び込んできたのは、動きを止めたとばかり思っていたガジェットに、したたかに打ち付けられ──── 谷底へ落ちていくエリオ君の姿でした。
桐生アスナの行動は疾かった。彼を助けるために空を駆けようとした刹那。彼女はその動きを止めざるを得なかった。キャロがエリオの名を喉が潰れんばかりに叫んでいる。それは魂が震えるような──── 慟哭。キャロの体から魔力が溢れ、それは嵐となり、やがて──── アスナが見たこともない不可思議な魔法陣を形成する。それはやがて太陽が爆発したかのような眩い光を放ち──── アスナが再び目を開けた時には、魔法陣はおろか、キャロでさえも列車の屋根から消えていた。
慌てて彼女を探すように周りを見渡しそれを見つけた時。アスナはほんの少しだけ目を見開き、惚けたように口を開けると、その場にぺたりと座り込んだ。アスナの視線の先には、なぜか自分を親しみを込めたような視線で見下ろしている──── 白銀に輝く竜がいた。
──── それは『魔法』のように予め決められたプログラムや、摂理に従った術式でもなく。ただ、大切な人を、愛しき人を助けたいという想いに彼の者が答えただけ。彼の者は決して答えない。人に失望し、組織に絶望し、人や世界を綺麗だと思えなくなり、誇りや信念すら亡くしてしまった人間には決して、彼の者は答えない。大切な者を助けたい。どんな時代でも、世界でも。その想いこそが──────『真理』なのだから。
意識を手放す瞬間、誰かの叫び声を聞いたような気がする。心を鷲掴みにされるような──── そんな声。いけない。女の子にあんな声を出させてはいけない。だから、早く目を覚まさないと。うっすらとした光と共に僕の目に飛び込んできたのは──── 鼻先に吐息すら感じられるほど近づいた、キャロの可愛らしい顔だった。その時のキャロの顔に心臓が跳ね上がったのは、内緒だ。
良かった。エリオ君が目を覚ましてくれた。私はほっと胸を撫で下ろす。でも、何だか顔が赤いし、酷く慌てている。どうしたんだろう? ちゃんと調べたから怪我はしてないと思うんだけど……。そうだ。今はやらなきゃいけない事がある。フリード、今までごめんね、もう大丈夫だよ。そして、エリオ君を助けてくれてありがとう。だから、もう少しだけ──── わたしに力を貸して。さぁ、いこう。
キャロの呼びかけにフリードは力強く頷き、がぱりと顎を降ろす。白銀の竜の口に灯るは、些か頼りない小さき炎。だが──── すぐに変化が訪れる。フリードの口を中心として、複雑な幾何学模様が刻まれた円環が一重、二重と展開されていく。キャロから供給される魔力、自らの魔力、そして大気中の魔力素までも貧欲に取り込み、質量と熱量を爆発的に増していった。
キャロは空高く掲げた右腕をゆっくりと降ろし、ガジェットにとっては、死と同義な言霊を告げる。
「──── Blast ray.……Fire.」
体をも震わせる轟音と共に撃ち出された太陽の如き火球は、大気を焦がしながらガジェットを目指し──── 断末魔の悲鳴を上げさせる暇すら与えず、文字通り消し飛ばしてしまった。敵を失った火球は暴れ足りないとばかりに、そのまま谷底を目指し──── 二度目の轟音と共にその役目を終えた。
それぞれの役目を終えた彼女たちは、一部始終を見ていた。スバルはどこかの誰かさん同様、年頃の少女としては心配になるほど口が開いている。
「ティア?」
「……あれって、ちび竜よね。もう竜じゃないでしょ、あれ。怪獣よ、怪獣。アスナの好きな……なんて言ったっけ? ウルトラ何とか。いつ来るのよ。何処に電話すればいい?」
「知らないよ」
「で、レリックは?」
スバルは笑いながら戦利品を誇らしげに掲げて見せた。
「ん。こっちも制御は取り戻したから、もうすぐ止まると思うわ」
ティアナの言葉通り、列車はすでに減速し始めていた。ティアナは屋根の上でぽつりと立っているアスナへと近づき声をかける。
「どうしたの、ぽけっとして」
「……めがふれあ」
ティアナは特に何も答えず、いい加減にアスナへのツッコミは八神部隊長へ一任しようと、本人の承諾も無しに勝手な事を考えながらアスナの手を引くと、エリオやキャロ達と合流する。お互いに怪我一つない事を喜んでいると、フェイトが必死の形相で空から降ってきた。
「エリオっ、キャロ! 大丈夫? どこか怪我してない? お腹痛くない?」
最後のは明らかに違うと思うが、随分と心配していたのは二人に伝わったようだ。エリオとキャロはお互いに顔を見合わせた後、大丈夫ですと力強く頷いて見せた。大切な人を安心させるために。自分たちに居場所をくれた人を笑わせるために。そして──── 彼女に一番言いたかった言葉を紡ぎ出す。
────── ただいま
ティアナは少しだけ羨望を乗せた瞳で三人を見ていたが、ふと。アスナが何もない虚空を猫のように見つめているのが、視界に入った。その姿はあまりにもいつも通りな彼女だった為に、気にも留めなかったのだ。だが、ティアナは聞くべきだった──── その時、彼女が何を見ていたかを。
「レリックの確保に失敗しました。如何なさいますか?」
どこかの研究施設といった雰囲気な場所。複数のモニタに展開された『彼女達』の映像を男が見ていた。白衣を普段着のように着込み、知性的な顔立ち。だが──── それとは裏腹にその瞳には狂気を宿していた。
「放って置けばいい。あればあったで使い道はあるが、なくても困らないよ」
『では、彼女たちは?』
「ん? プロジェクトFの残滓かい? 『動いて』いるのを見るのは楽しいが、過去の成果には、然程興味はないな」
男はモニタに映し出されている一人の女性と少年を、まるで人形を見るような瞳で見つめていた。
「そんな事よりも彼女だよ。データは取れたかい?」
『『何もわからない』というデータであれば、取れています』
男はそれを聞いて心底楽しそうに嗤う。
「思わぬ拾いものだったね。魔法の発動は一切検知されていない。レアスキルかね? 一体どうやって空を駆けるんだろうな。そして……『AMF』が展開している中で、どうやってあれほどの強度を誇る障壁を使えるんだろうね。興味が尽きないな。是非とも──── 解体してみたいねぇ」
『……それでは、死んでしまいます』
「死ぬ? 死ぬと言ったかい? 一体何を以て、死んだと定義するのかな? 脳と脊髄。そして、それを生かす為に一部の臓器さえあれば、肉体など必要ないよ」
男はまた嗤う。本当に楽しそうに。新しいおもちゃを見つけた子供のように──── 男は嗤った。
~わたしの帰る場所 -Home- 了
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