剣の丘に花は咲く
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第十章 イーヴァルディの勇者
第三話 空から女の子が?
前書き
……色々と済みませんでした。
締め切られた窓にはカーテンで隠された部屋の中は、テーブルの上に置かれたロウソクの明かりが唯一の光であった。ロウソクはテーブルの僅かな周囲しか照らすことはなく、テーブ
ルから少し離れると、伸ばした手さえ見えない程に暗い。
そんな仄暗い部屋の中、テーブルの前に座る士郎の姿があった。
椅子に浅く座りながら、士郎はロウソクの小さな明かりで手に握った紙を見つめている。
「……ふぅ」
溜め息を吐き、目の前のテーブルの上に読み終わった報告書を投げ捨てると、ギシリと音を立てながら、士郎は椅子の背もたれに寄りかかった。グッと身体を曲げ、天井を仰いだ士郎は、朝からずっと送られてくる報告書を読んでいたことから、凝り固まった目の周りの筋肉を指で揉みほぐす。
だが士郎の顔が顰められているのは、疲労のせいだけではなかった。
目の周りを揉みほぐしていた指を離し、士郎は天井を仰いだ姿勢のまま、目線だけをテーブルに置かれた報告書に向ける。
士郎の視線の先、テーブルの上に幾十も折り重なった報告書は、情報屋から集めたガリアの情報であり、その内容は多岐に渡っていた。
その報告書の山を見る士郎の顔色は冴えない。
「……これが事実なのだとすれば、ガリア王ジョゼフは……」
目の周りを揉みほぐしていた手を離し、その手で顔を覆う士郎。顔を覆った手の隙間から漏れた声は、何処か戸惑いの響きが混じっていた。
「ふぅ」と濃い疲労の色が見える溜め息を吐き、さて、これからどうしようかと士郎が首を傾げた時、その背中に、
「―――お疲れのようだね」
女性―――ロングビルの声がかけられる。
何時の間にか、音もなく部屋の中に入ってきたロングビルから声をかけられた士郎だが、驚きの声を発することなく首を回した。
「まあ、な。確かに流石に疲れた。内容が内容だから、見られると困るからな……おかげで余計に神経を使ってしまって」
あからさまに疲れたと言った溜め息を吐いて愚痴る士郎を、ロングビルはによによと何処か怪しげな笑いを浮かべながら見つめている。幸か不幸か? 疲労で目と思考が弱まっている士郎は、ロングビルが浮かべている笑みに気付いていない。
顔を前に戻し、首を鳴らす士郎に向かって、ロングビルは後ろ手に何かを隠しながら近づいていく。
「ふふふ……そんな頑張るシロウに、ほら、差し入れだよ」
「ん? 何だこれ?」
背中を向けた士郎の背後に立ったロングビルは、くふふと喉の奥で笑い声を上げながら背後から士郎を抱きすくめる。士郎の顔の前で組まれた手には、一冊の本の姿があった。
ロウソクの明かりに照らされ浮かび上がる表紙を見た士郎が、疑問というか呆れた声を上げた。
「最近トリスタニアで流行ってるんだってさ。わたしも読んでみたけど結構つかえるし勉強にもなるわよ。かたい報告書ばかり読んで固まった頭や身体を、これでも読んで少しは柔らかくしたらどう?」
「……『バタフライ伯爵夫人の優雅な一日』? ……何だこれ?」
目の前に掲げられた本の題名を口にして呆然とした声を上げる士郎。
呆れた声を上げる士郎に、しかし、ロングビルは全く気にせず、聞いてもいない本の内容を喜々と言葉にする。
「この前、シエスタが随分熱心に読んでいるのを見てね。で、内容を聞いたら中々面白そうだと思って借りたのよ。一章もいいんだけど、やっぱり二章からが本ば―――」
「―――いやいや、俺が聞いているのはそういうことじゃなくてだな」
「二章でね。このマダム・バタフライがお気に入りの騎士を自分の部屋に呼ぶのよ。で、そこでこう言うの『お前が望むやり方で、このわたしに奉仕しなさい』って」
「いや。いやいやいやいや……だから俺が聞いているのは―――」
「そう命じられた騎士が一体何をしたと思うっ!? それがも―――」
「待て待て待て待てッ!!? 何を言おうとして―――っひ?!」
薄暗い部屋の中でもハッキリとわかる程顔を真っ赤にしながら顔を寄せるロングビル。慌てて振り返った士郎は、冷や汗をまき散らしながら何かとんでもないことを言おうとするロングビルの口を両手で塞ぐ。
だがしかし、士郎に口を塞がれたロングビルは、一瞬戸惑った顔を見せた後、直ぐにニヤリと意地悪い笑みを浮かべるとペロリと自分の口を塞ぐ士郎の手の平を舐め上げる。動揺していた時に不意に受けた濡れた感触に、士郎は虚を突かれ少女のような悲鳴を上げてしまう。
「っ?! と、痛っ?!」
結果―――咄嗟に両手をロングビルの口から離した士郎は、その勢いが強すぎたのか椅子から転げ落ちてしまう。
士郎が椅子から転げ落ちると言うことは、士郎を背後から抱きすくめていたロングビルも同じく床に転げ落ちてしまうのだが、
「……ふ~ふ~ふ~……シ~ロ~ウ~」
何がどうなってそうなったのかはわからないが、士郎と共に床の上に転げ落ちたロングビルは、
「ちょ、おい、ロングビ―――」
床の上に仰向けに転がる士郎の上に、馬乗りに乗っかっていた。
「ね~ぇ~……シロウ……」
士郎の上に馬乗りに股がるロングビルは、ゆっくりと身体を倒し、しなだれかかると、そっと伸ばした人差し指の先を士郎の唇に当てる。
「わたしたちって今、この部屋にふたりっきりよね。で、何?」
顔一個分の距離で見つめ合いながら、ロングビルがニコリと士郎に笑いかける。
士郎は一瞬呆気に取られたように目を丸くしたが、直ぐに目尻を曲げると優しく目の前の少女の名前を呼んだ。
「俺の身体から離れてくれないかな『マチルダ』?」
「ダメ」
「へ」
士郎の顔がピシリと固まる。
優しく睦言の如く囁かれた言葉。
しかし、ロングビルの返事はそれを一刀で切り伏せた。
ロングビルの名前を呼んだ瞬間の顔で固まる士郎に、ロングビルは自分の豊満と言える胸を士郎の厚い胸板に押し付けながら囁きかける。
「『バタフライ伯爵夫人の優雅な一日』は色々と勉強になってね」
「べ、勉強?」
「そ、勉強……」
ヒクヒクと頬をヒクつかせる士郎の顔に、ゆっくりと顔を近付かせたロングビルは、
「あの本にも、丁度こんな場面があって、ね」
士郎の耳元で熱く濡れた声で囁く。
「お気に入りの騎士をこんな風に押し倒した伯爵夫人は、まず―――」
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待てっ!! いきなりどうした?!」
燃えるように熱くなったロングビルの肩に手を置いた士郎は、焦った調子で悲鳴のような声を上げる。
「いきなりも何も……いや~……実はわたしも最近の情報収集で色々と溜まってて……だから、ね、やらない?」
「やりません」
小首を傾げ、ニコリを清々しい笑いを浮かべながら口にしたロングビルの言葉を、士郎は仕返しとばかりにバサリと一刀両断した。
そんな士郎の返事に、ロングビルはぷぅっと頬を膨らませる。
「何よ。女が誘ってるっていうのに断るの?」
「……それが本気なら、な」
士郎の下腹部に跨るロングビルは、士郎を見下ろしながらフンッと鼻を鳴らす。
「六割は本気なんだけど?」
「……残りの四割は」
六割のことについて言及することなく、士郎は自分を見下ろすロングビルに対し続きを促してみせる。
顔を伏せるロングビル。
ロングビルを見上げる士郎の目にも、その顔を伺い知ることは出来ない。
訝しげに士郎の眉が僅かに寄る。
何かを言おうと士郎の口が開きかけた瞬間、ロングビルの口が開く。
「―――あのお姫さま―――って今は女王陛下、か……は綺麗で可愛いわよね」
「………………」
無言の士郎に、ロングビルはスッと目を細めるとポツリと呟く。
「あの子のこと……本気なの?」
「…………さて、ね」
「―――誤魔化すんじゃないよ」
士郎のため息のような返事を、ロングビルは鋭い声で切り裂く。
その目と声は、言葉以上にごまかしを許さないと示していた。
「…………タバサも、よ」
「……………………」
士郎はロングビルと見つめ合いながら、じっと黙り込んでいる。
「ねぇ、シロウ……あなた……大丈夫?」
「…………大丈夫―――とは」
ポツリと、問う。
「何でもかんでも背負いすぎじゃないかって言ってるのよ」
両手を伸ばし、士郎の両頬に手を添えると、起こしていた身体を、ゆっくりと倒しながらロングビルは士郎に顔を近付ける。
どちらかがクシャミでもうすれば、キスしてしまうほどの距離で見つめ合う士郎とロングビル。
「……あなたに助けられたわたしが言うのも何だけど、ね……少し……心配になって」
「……………………」
「……アルビオンでのこともそうだけど―――」
一瞬言葉に詰まったロングビルだが、ぐっと歯を食いしばった後、顔を俯かせながらポツリと呟いた。
「……………………あんたは自分の命を軽く考えすぎてないかい」
「…………………………………………」
黙り込む士郎に、ロングビルはふっと吐息と共に鼻を鳴らした。
「はぁ……ねぇシロウ。あんたは知っているわよね、わたしが元アルビオン貴族ってこと」
「? ……ああ」
「だから、貴族がどういったものなのかは、よく知っているわ。貴族は綺麗なだけじゃないってことを……どれだけ汚く……醜いかを、ね」
「マチルダ?」
戸惑った声を上げる士郎に、ロングビルは顔を上げる。
「王族なんてものは……それの極みみたいなものなんだよ」
コツンと、ロングビルは額を当てる。
「王族っていうのはね……始点じゃなくて終点なのよ。王族本人がどれだけ綺麗でも、国にいる貴族の権力が集まる場所だから……本人がどんな考えを持っていても関係ないんだよ。そりゃ貴族にもいい人は確かにいるさ……だけど、そんな奴よりも、やっぱりどうしようもない奴の方が圧倒的に多いんだ……だから、互いに想い合っていても、周りがそれを邪魔をする……貴族が、と言うよりも……王族という国の終点に渦巻く様々な欲望が、ね」
「……………………」
士郎は口を開かない。
何も……言葉にせず……黙り込んだまま……。
「このまま王族に関わっていれば……何時か本当に取り返しのつかないことになるかもしれない」
「それは……」
「……七万のアルビオン軍……ルイズの誘拐事件……あんたの命が危機に陥ったどちらの件も……王族が関わってる」
「……偶然だ」
「……かも、しれない……けど……偶然じゃ……ないかもしれない」
部屋の中に、ぎりっと小さな音が響く。
ぐっと奥歯を噛み締めたロングビルが、何かを耐えるように顔を俯かせている。
「……あんたが正義の味方を目指しているのは……知ってるよ。だけど……ね。見てるこっちは……不安で仕方ないんだよ。あんたが事件に首を突っ込むたびに……どれだけ……」
「…………」
「……ねぇ……シロウ……死んでしまったらそこで終わりだよ。あんたが死んだら、あんたしか助けることが出来なかった奴らが……全員死んでしまうのかもしれないんだ……よ……」
顔を俯かせたままのロングビルは、何かを言おうと口を開こうとしたが、直ぐに小さく頭を振って閉じてしまう。が、瞼と唇を一度グッと閉じると、唇を震わせながら、小さく呟くように―――縋るような声を―――
「あんたは……一人を救うために、これから救えたかもしれない人を殺すのかい」
―――上げた。
「すまない、な」
沈黙が満ちていた部屋の中に、ポツリと、士郎の小さな呟きが響いた。
「シ、ロウ?」
士郎の呟きに、ロングビルの戸惑った声を返した。
予想外……だったからだ。
余りにも勝手な理屈―――まだ見ぬ助けを求める人のため、今助けを必要とする者を見捨てろと―――本当に……呆れるほどに勝手な言葉。
なのに……彼の……シロウの言葉は、非難や侮蔑ではなく……謝罪だった。
非難の言葉を予想し、ロングビルの身構え硬く固まり冷えていしまっていた身体と心が、予想外の優しげな囁きにぐらりと揺れる。
「っあ」
何時も間にか、肩にシロウの大きな手が掴まれていた。
逆らえない。逆らう気のない力で引き寄せられ、抱きしめられる。
「んぅっ」
くぐもった声が漏れる。
厚い胸板に顔が当たって。
息を吸う。
口に、鼻に、彼の匂いと味が広がる。
ロングビルは、それが好きだった。
汗と油の混じった人間の―――男の臭い。
シロウの―――香り。
苦いような、しょっぱいような―――男の味。
シロウの―――味。
何度も……何度も感じたことがあるそれは……わたしにとって、もう魔法と同じ。
固く冷たかった身体に、熱が点る。
お腹の下辺りから起きた熱が、じわじわと全身を犯し出す。
無意識に、顔を押し付けてしまう。
「っは」
熱く、甘い声が口から溢れる。
驚き固まっていたというのに、身体は無意識にもっとと言うかのように、自分から身体を押し付けていた。
ぎゅっと、抱きしめる。
「ぁ」
肩に置かれていた手が、腰に回った。
肩から手が離れた時、悲しげな声が漏れ、腰に手が回ると、甘い声が漏れた。
―――漏れてしまう。
思考が―――定まらない。
ぐるぐると―――回っている。
シロウの予想外な優しげな声に、突然の行動に―――心と身体が……戸惑うように揺れ動く。
そんな時。
「なぁ……マチルダ」
シロウに声をかけられる。
とても……とても優しく。
甘やかに。
腰に回されていた手の一つを離し、わたしの頭を撫でながら、シロウは囁きかける。
「俺は……『正義の味方』になりたい」
小さな子供にするように、わたしの頭を撫でながら。
「ぇ?」
意味が分からず、戸惑った声しか返せなかった。
何で、突然そんなことを言うのか?
わたしの戸惑った声に、シロウは軽くわたしの頭上に置いた手を離す。
「だから、俺は一人たりとも見捨てる気はない」
「……シ、ロウ?」
何を、言っている?
『正義の味方』になりたいから見捨てない?
何故?
どうして?
それは、どういうこと?
一人でも見捨てたら『正義の味方』とは言えないから?
しかし、大を救うため小を切り捨てるというのは……別に悪ではない―――正義の一つだ。
例え救えなかった者がいたとしても、より多くを救うことが出来れば、それは正しいことだ。
考える。
シロウがどう言う意味でこの言葉をかけてきたのか。
考えてみる。
だけど……わからない。
情報が足りない。
そっと、顔を動かす。
シロウの胸元に押し当てていた顔を上げ、目線を上に。
シロウの顔を―――表情を見る。
わらって……る?
シロウは、笑っていた。
微笑んでいた。
柔らかく……優しい笑みを浮かべてわたしを見つめていた。
……見ているこちらが恥ずかしくなるくらい。
だから、直ぐに顔を伏せてしまう。
逃げるように。
赤らんでいた顔が、更に真っ赤に染まったのを隠すために。
まるで憧れの騎士に笑いかけられた幼い少女のように。
顔をシロウの胸元に押し当てて。
「なぁ、マチルダ」
「ッ!!」
声も、優しく……甘い。
心臓が危険な程高鳴っている。
優しい笑から逃げても、優しい声からは逃げられない。
心臓の音……身体をピタリと押し付けているから、きっとシロウにも伝わっている。
恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい……でも、離れない―――離れたくない。
紛らわすように、返事を返す。
「なっ、何でっ、『正義の味方』になりたいからって誰一人見捨てないって話になるのよっ。っ、わ、わたしは例えシロウが大を救うため小を切り捨てたとしても悪い何て思わないわよ」
「だけど、悲しい、よな」
「ぇ?」
え?
悲し、い?
それは、どういう……意味?
「だから、俺は誰一人として見捨てることはない」
何時の間にか、彼の胸から顔を上げ、シロウの顔を見つめていた。
彼は、変わらない優しい目でわたしを見ている。
―――その瞳の中に、一瞬悲しげな色が見えた気がした。
「見捨てるようになったら……それはもう、俺がなりたい『正義の味方』じゃなくなるからな」
「―――え」
シロウは瞳に浮かんだ悲しみを隠すように目を細めた。
そんなシロウの目を見つめ、わたしは彼の真意を図ろうとする―――けど、やっぱりわからない。
何で、一人でも見捨てるようなことがあれば『正義の味方』とは言えないなんて……。
何故?
シロウがなりたい『正義の味方』って……?
ぐるぐると回る、思考が回る。
一瞬だった。
だけど、間違いない。
シロウの目に過ぎったものは悲しみ。
だけど、何で?
何でそんなものが?
考える考える考える……でも、全て空回りする。
だから、何時も何かシロウがわたしの身体を床に下ろしていることに気付かなかった。
何時の間にか、シロウが立ち上がっていることに気付かなかった。
「マチルダ」
「っ?! あっ」
シロウに呼びかけられ、やっと自分が一人床の上に座り込んでいることに気付く。
慌てて後ろを振り返ると、そこにはドアノブを握りながらわたしを見るシロウが。咄嗟にわたしの口が動く。
「―――ちょっとシロウっ、あんたのなりたい『正義の味方』って、それは―――」
伸ばした指先で、シロウは笑っていた。
何処か……寂しげに。
「俺は、な、マチルダ。守りたいものがあるんだ」
バタン、と音を立てドアの向こうに姿を消してしまった。
「……守りたいものって……何よ」
一人取り残されたわたしは、両膝を開いた姿で座り込んだままぽつりと呟く。
「はっきり……言いなさいよ、もう」
シロウの最後の言葉の意味がわからず、ため息のように声を零す。
視線は、シロウが出て行ったドアに向けられたまま。
「『正義の味方』……か」
知らず口の端から溢れた言葉がかすれて消えた。
『正義の味方』。
よく聞く言葉だけど……とても―――不安定な言葉。
何故ならば『正義』とは国によって違い、街によって違い、家によって違い……人によって違うからだ。
そう……『正義』とは決して一つではない。
わたしはそれをよく知っている。
薄暗い部屋の天井を見上げる。
暗い天井。
しかし、ロングビルの目に浮かぶのは別のもの。
それは過去。
己の主のためエルフを守ろうとして死んだ父。
そして父を殺した騎士。
互いに正義があった。
どちらも主の命を守るために戦った。
どちらかが……悪だった訳ではない。
ただ、互いの正義が相いれることが出来なくて……ぶつかってしまった。
だけど、それも仕方がない。
何故なら各自がそれぞれ持っている正義っていうのは、みんな違うものだから。
どうしても相容れない。
だから、元々『正義の味方』なんてものはありえないのだ。
同時に二つの『正義』の『味方』になれないように……。
「なら、『正義の味方』って、一体何なのよ」
シロウの『正義の味方』。
シロウの……守りたいもの、か。
分からず、困り果てたかのように目を閉じるロングビル。
瞼を閉じて、闇が広がる中、ロングビルの脳裏にふと、ある光景が蘇る。
それは、あの二人だけの舞踏会が終わった時のことだった。
踊りを終えたシロウに、わたしはからかうように言った。
『悪党を見逃すなんて、正義の味方失格なんじゃないのかい?』
そんな言葉に対し、シロウはこちらも思わず笑い返してしまいそうな笑顔で。
『そんなことはない。間違いなく今の俺は正義の味方だ』
笑いかけてきた時のことを。
士郎がロングビルから襲われていた頃……トリステイン魔法学院から少し離れた草原に、四つの奇妙な影があった。何がどう奇妙かと言えば、その四つの影―――人がしている姿勢? が、である。
足を開き、腰を落とし、両手を前に出した、まるで馬に乗っているかのような奇妙な姿勢を四人はとっていた。どうやら彼らはその姿勢を長時間続けていたのだろう、大地を踏みしめる二つの足が、笑えるほどガクガクと揺れ、身体から吹き出た汗により、彼らが着ている魔法学院の制服がぐしょりと濡れそぼって身体に張り付いている。吹き出た汗に濡れそぼった服が身体に張り付く不快感を感じる余裕もないのだろう、ぷるぷると小刻みに震えている彼らは、もう限界とばかりに悲鳴じみた声を上げていた。
「そ、そろそろお、終わりにしないかね?」
「そ、そうで、です、ね、も、もうそろ、そろひが、く、く、くれ……」
「た、たし、かに、こ、このまま、だと、か、かえれ、な、なく、なりそ……うぇっ」
「…………」
四つの人影は、水精霊騎士隊の隊員であるギーシュ、マリコルヌ、レイナール、ギムリの四人であった。
「じゃ、じゃあ、お、終わりに」
「そ、そうですね」
「そ、それでは……」
「…………」
ギーシュ、レイナール、ギムリがこの拷問のような鍛錬を終えようと声を上げたが……。
―――…………―――
「……な、何でだれもやめ、ないの、だね?」
「そ、それ、は、こち、らの、セリフ……です、よ」
「……っお、ぅ、え……ぅぷ」
「…………」
―――誰も止める者はいなかった。
だがそれは仕方のないことであったのだ。
それはもはや条件付、いや、トラウマであったため。
何故彼らがそのようなトラウマを得るようになったのか、それを知るにはまず彼ら―――水精霊騎士隊の訓練について知らなければならない。水精霊騎士隊の隊員たるギーシュたちの訓練は、基本的に隊長である士郎に手により行われている。だがその訓練は、もはや訓練ではなく拷問といってもいいものであった。士郎が訓練に参加している時は竹刀で叩かれまくれ、いない時はいない時で、さぼっていると何処からともなく矢が襲いかかってくるなど、毎度毎度訓練後は文字通り彼らは死に体状態となってしまい、確実に水魔法のお世話になっていた。
余談だが、基本的にその水魔法の使い手はギーシュのガールフレンドであるモンモランシーが行うため、彼女の腕前が上がっているそうだ。
ともあれ、そういう訳で、彼らは例え足の感覚がなくなっていようとも、余りの筋肉疲労のため吐き気をもよおしてたとしても、気軽に止めることが出来ない身体になってしまっていたのである。止めるとしても、まず最初に勇気ある挑戦者で矢が飛んでこないことを確認しなければならないのである。
で、その勇気ある挑戦者の勝率は、現在のところ四十六戦四十六敗……つまるところ全敗であった。
おかげで現在彼らの頭の中には「訓練を止める=矢が飛んでくる」といった方程式が既に出来上がってしまっていた。
……誰も止めようとしないのも頷けるということだ。
「っく……と言うかほん、とにひが、しずみ、そうだ、ぞ、し、しろう、は、もしか、して、わ、わすれ、て、たりは……」
「さ、さすがに、それは……、ないと」
「ぅえ、ぉぅ、ぇろ……」
三人が息も絶え絶えと、全身をガクガクと震わせながら何時まで経っても戻ってこない士郎について言及していると、
「―――ふひ」
「「「……」」」
唐突に空気が抜けるような奇妙な音が鳴った。
何処か湿ったようなその音が響いた瞬間、先程まで震える声を漏らしていた三人の声がピタリと止まる。彼らの顔に浮かぶのは、疲労と言うよりも何か気味の悪いものを見たと言ったように歪んだ表情。三人の顔は示し合わせたように同じ方向を向き、それを見ていた。
「ふひょ、ふひひ、ひひ」
「「「……」」」
彼らの視線の先にあるもの。
それはマリコルヌだったものであった。
そう、だったもの……である。
もはやそれはマリコルヌ否、人間と言うにははばかれるものであった。
馬に乗っているような奇妙な姿勢を保ったまま、マリコルヌの身体はまるで暴れ馬に乗っているかのように激しく揺れ、全身から流れる汗を周りに振り撒き、虚空を見つめる瞳は激しく震え。微かに開いた口元からは、涎がだらだらと垂れ流れ、時折空気が抜けるような奇妙な音を響かせていた。
誰が見ても明らかにヤバかった。
そして色々と酷かった。
だがそんな状態であっても、それ……マリコルヌは士郎から指示された姿勢は保っていた。
げに恐ろしきは士郎の訓練……と言いたいところであるが、実のところそうではない。
そのことをマリコルヌを怯えた目で見るギーシュたちは知っていた。
そう、マリコルヌが明らかに限界を超えていながらも士郎から指示された姿勢を保っている理由は、士郎のお仕置きが怖い理由ではなく―――。
「おぅふ、ぁ、ああじょ、女王ひゃま、こ、この醜き豚めにこのようなお仕置きをを……ふひ、ひひ」
「あ~……今日は、女王陛下、か」
「こ、この前は、メイド、だったっけ?」
「めいど、って、どっ、ちだっけ?」
「エロいほうだよ」
「「どっちもエロいだろ」」
「―――ふひょひょ」
マリコルヌはこの拷問のような厳しい訓練を妄想によって耐えているのであった。
そう、美しい女性によるプレイであると妄想して……。
「い、いつ見てもこれは精神にく、くる」
「っく、み、みたくない、見たくないのに―――ッ」
「ぅえ、っおう、ぇぇろろろ」
逃げたくても逃げられない状況のギーシュたちが、魂消る悲鳴を上げている。そんな中、ただ一人現実から逃げ出しているマリコルヌだけが幸せな顔を浮かべていた。
「あ、ああ……ぼ、僕も目が霞んで……ん? ふ、ふふ、ど、どうやらげ、幻覚まで、見えてきてしまってようだよ」
「げん、かく?」
「っう、ぇぅぇ?」
焦点が合わない揺らいだ瞳で、赤く染まった空を見上げるギーシュがポツリポツリと呟くと、レイナールとギムリが同じく焦点の合っていない目でギーシュを見て疑問の声を上げる。
二人の問いに、ギーシュは限界を超えてしまった者がするようなヒクついた笑みを浮かべながら空の一角を見上げ、
「―――あ、ああ、裸の女の子が落ちてきているのが見えるんだよ」
答えると、
「それって、青い髪で」
「白い肌の」
「「胸の大きな女性」」
レイナールとギムリが続けるように言葉を紡ぎ、
「「「……は?」」」
と思うと同時に呆けた声を上げ、
「「「はあああああああああああああああああっ!!?」」」
そして最後に驚愕の声を張り上げた瞬間―――。
「きゅいいいいいいいいいいいいいいいいいい??!」
「びゅひいッ!?!」
空から落ちてきた青い髪で白い肌の胸の大きな裸の女性が、甲高い悲鳴を上げながら気色悪い笑い声をあげ続けるマリコルヌに激突した。
後書き
ドがつくほどのスランプです。
何とか書き上げましたが、何だかぐちゃぐちゃです……。
未だスランプから抜け出せておりません。
しかし、エタルつもりはありませんので、出来れば長い目で見ていただければ幸いです。
頑張ります。
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