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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第十章 イーヴァルディの勇者
  第一話 少女の名前 

 
前書き
 リアルが色々と忙しくて……更新遅れて済みませんm(__)m。 

 
「はぁ~……確かにこれは凄いわね」
「ふふんっ、凄いでしょ」

 周りを見渡したルイズが、思わずといったように感嘆の声を漏らす。それを横目で見ていた隣に立つキュルケが、その大きな胸を張って得意げに鼻を鳴らすと、眉を顰めたルイズが睨み上げる。

「何であんたが威張るのよ」
「いいじゃない。『オストラント号』はコルベール先生がいなければ生まれなかったけど、ゲルマニアとツェルプストー家の力もなければ出来なかったからよ」

 ルイズとキュルケがぐるりと周りを見渡す。広々とした甲板の姿が目に入る。ルイズとキュルケたちは今、巨大な船『オストラント号』の甲板の上にあった。甲板には他にも大勢の生徒が甲板の上を駆け回って何やら騒いでいる。

「やっぱり大きな翼ね」

 『オストラント号』の甲板から伸びる翼は、通常の船の三倍はあるだろう。その巨大な翼を支えるため、支柱には木材ではなく鉄のパイプを使用されていた。百メートルを超える巨大な鉄パイプ。それも翼を支えられるだけの強度と歪みがない鉄パイプを作る冶金技術は、トリステインでは作ることはできない。出来るのは、冶金技術に優れたゲルマニアにしかなかった。そして、この巨大な船を作れるだけの資金をポンッと出せるだけの資産を持つツェルプストー家の力。
 キュルケの言葉の通り、この『オストラント号』は、コルベールの知識、ゲルマニアの冶金技術、ツェルプストー家の資金の三つがそろって始めて生まれたのだった。

「まあ、翼はともかくそれ以外はコルベール先生抜きでは出来ないわね。出来たとしても作れるのは外側だけで、中身はさっぱりみたいだから」
 
 お手上げと言うように肩を竦めてみせるキュルケ。
 例えば、翼の丁度中間にある巨大なプロペラに設置された機関室。コルベールが以前授業で見せた『愉快なヘビくん』を雛形に誕生したハルケギニア発の『水蒸気機関』であった。ゲルマニアは、設計図通りに『水蒸気機関』作り上げることはできるが、その機能を理解することは出来ない。なので、例えゲルマニアが新たな『オストラント号』を作り上げようとしても、形だけが同じのハリボテが出来るだけ。『水蒸気機関』を全て把握するコルベールの指揮の下でしか、『水蒸気機関』―――『オストラント号』は出来ない。
 
「……ま、まあ、でも、確かにあんたの言う通り、ゲルマニアの冶金技術がなければそもそも形にならなかったし」
「ん? ふ~ん、ま、ありがと」

 そっぽを向きながらぼそりと呟いたルイズの声に、キュルケはニヤリと笑みを返す。

「って、そう言えばあなた誘拐されかけたって聞いたけど。……見たところ大丈夫だったみたいね」
「……お陰様でって言いたいところだけど、実際のところ何がおこったのかわかんないのよ……寝ていた間に全部終わっちゃってたから」

 ぷぅっと頬を膨らませるルイズ。

「そうなの? でもあなた、陛下に事の詳細を説明しに行ってたんでしょ?」
「うっ……そ、そうなんだけど」

 びくりと身体を震わせたルイズの様子に、キュルケは眉をひそめる。

「……何か隠してないあなた」
「な、何もか、隠してなんかい、いないわよ」
「嘘ね」
「う、嘘じゃないわよっ!」

 背けていた顔を戻しキュルケを睨み付けるルイズ。
 う~と唸りながら睨み付けるルイズを、キュルケは腕組みして見下ろす。

「いえ、絶対に嘘ついているわね」
「だからう―――」
「嘘ですね」
「わかり易す過ぎなのよあなた」
「嘘はダメよルイズ」
「いや~バレバレでしょ。嘘下手ねルイズって」
「って、何時のまにッ?!」

 ルイズを囲むように、何時の間にかシエスタ、ジェシカ、カトレア、ロングビルの姿があった。
 咄嗟に逃げようとするルイズだったが、逃げる先にジェシカとロングビルが先回りする。

「っく!」
「ふふんっ、逃げられると思っているの?」
「さあって、きりきり話してもらいましょうか」

 わきわきと手を閉じたり開いたりして迫るジェシカたちの姿に、怯えたようにジリッと後ずさるルイズ。

「は、話せるわけないでしょっ!」
「むふふ、やっぱり何かあるってわけね」
「にょほほ、その硬いお口を開かせてもらいましょうかにゃ」
「くぅぅぅ~」

 ぎりぎりと歯を鳴らし、追い詰められた猫のようにルイズが威嚇するように髪を逆立てる。そんなルイズに対し、ジェシカたちはじりじりと距離を縮めていく。気付かれないように、ルイズはゆっくりと足に縛りつけた杖に手を伸ばす。
 緊迫の一瞬。
 ジェシカたちの足に力が入り、ルイズの指先に杖が触れる。
 ―――瞬間。

「あら? あの方ってもしかして……アンリエッタ陛下?」

 ポツリと呟かれたカトレアの言葉に、ピタリと動きが止まる。カトレアの言葉にルイズたちが顔を上げ、視線が同時に動く。視線の先には、護衛を引き連れたアンリエッタの姿があった。アンリエッタは生徒たちに船の説明をしていたコルベールに向かって歩いていく。
 甲板の上にいる生徒たちから、アンリエッタの来訪に対する歓声が上がる。生徒たちに囲まれたコルベールが、慌てて頭を下げたため、前に立っていた生徒の頭とぶつかってしまう。
 生徒と一緒に頭を抑えて甲板を転がるコルベールの姿に、アンリエッタの足が一瞬止まる。しかし直ぐに微笑みを浮かべながら、未だ甲板を転がるコルベールに向かって歩き出す。笑みは引きつっていたが。

「だ、大丈夫ですか?」
「は、はい。し、失礼しました」

 何とか立ち上がったコルベールであったが、その広すぎる額は真っ赤に染まっていた。
 何度もぺこぺこと頭を下げるコルベールに対し、アンリエッタが笑って首を振る。そんなコルベールとアンリエッタの会話を遠目で見るルイズたちの中、シエスタがはぁっとため息を吐いた。

「はぁ、こんな近くでお顔を拝見できるなんて……やっぱり女王陛下は綺麗ですね」
「確かに……他の貴族と何処か違うわよね」

 シエスタの目には、アンリエッタが笑う度に溢れる光が見えた。学院には様々な美しい貴族の子女がいるが、やはり王族であるアンリエッタは別格に感じる。流石はトリステインの花と呼ばれるだけはあるとシエスタは思わず溜め息を吐き、その隣でジェシカも同意するように頷く。

「そうですね。何よりも気品が違いますし」
「あら、それってわたしたちには気品がないってことかしら?」
「ふふふ……本っ当に―――いい度胸ね」
「あは、あはは、は……」

 無意識に溢れたシエスタの言葉に、キュルケとルイズが笑みを浮かべた顔を近づける。ルイズたちの笑みに、シエスタは硬い乾いた笑みを返す。
 ルイズたちの笑みの圧力に押されるように、今度はシエスタがじりじりと後ずさり始める。キョロキョロと視線を動かし、シエスタが逃げるタイミングを図っていると、

「あっ、シロウさん」

 色濃い喜色が混じったカトレアの声に、その場にいた全員の視線が一斉に移動する。
 カトレアの、ルイズたち全員の視線の先に、水精霊騎士隊(オンディーヌ)のマントを纏い歩くシロウの姿があった。
 アンリエッタを囲んでいた生徒たちが、現れた士郎に道を譲る。士郎の前に、アンリエッタへと続く道が開く。甲板に集まった全員の視線を受けながら、堂々とした姿でアンリエッタの元に向かう士郎。生徒たちが分かれて生まれた道を歩く士郎の前に護衛の騎士が立ち塞がろうとするが、それをアンリエッタが手を上げて制する。

「……シロウさん」

 士郎とアンリエッタが向き合う。目と目がかちりと合い、頬を赤く染めたアンリエッタが顔を伏せる。

「「「「「え?」」」」」

 ルイズを除く五人の口から驚愕の声が漏れた。
 流石は恋をする女たちと言えばいいのか。四人は見てしまったのだ。顔を伏せる刹那に見えたアンリエッタの瞳。その中に自分たちと同じような熱が灯っていたことに。

「ど、どういうことかしら」
「る、ルイズま、まさかとは思うけど」
「あは、あはは……嘘でしょ」
「まあまあ驚きましたわね」
「いえ、あの、はは、え? うそ? まさか?」

 ギリギリと錆び付いた機械仕掛けの人形の様にルイズに顔を向ける四人。ただ一人、カトレアだけは頬に手を当て微笑ましげにアンリエッタと士郎の二人を見つめていた。
 刺すような四つの視線を向けられたルイズと言えば、ぶすっと見るからに機嫌の悪そうな顔を士郎に向けている。
 
「ちょ、ちょっとあれってどど、どういうことよ」
「……見てわかるでしょ。あんたたちの考えている通りよ」
「考えている通りって……ちょっと信じられないというか……いや、シロウならありえないこともないか、な?」

 顔を突きつけ合いながら、キュルケたちが言い合っている間も、士郎とアンリエッタの会話は続いている。顔を伏せた姿で士郎と会話していたアンリエッタの視線が、不意に下から横に、ルイズたちに向かう。ルイズたちに気付いたアンリエッタが、士郎に向かって何やら一言三言口にすると歩き出した。ルイズたちに向かって。
 まだ微かに赤みが残る顔に笑みを浮かべながら歩くアンリエッタは、ルイズたちの前で立ち止まる。

「ルイズ。わたくし、もうそろそろお城に戻らなければいけないのだけど、その前にあの件でもう少しあなたと話がしたいの。それで昼食でも一緒にと……よろしいかしら?」
「えっと、はい。大丈夫ですが、その……もしかしてシロウも」

 ルイズの視線がアンリエッタの後ろに立つ士郎に向けられる。
 ルイズの視線に導かれるように、アンリエッタの視線がその後ろ、士郎に向かう。
 アンリエッタとルイズだけではなく、甲板にいる全員の視線を受けた士郎は、気付かれないよう小さな溜め息をつくと、首を縦に振った。

「はい、シロウさんもご一緒に……それと、よろしければ」

 アンリエッタの視線がルイズの後ろに移動する。

「ミス・ツェルプストーもいらしてくださいませんか?」
「え? わ、わたしですか?」
「はい」

 予想外の誘いに驚きで目を見開くキュルケに、アンリエッタはニッコリと笑いかける。

「それは―――もちろん喜んで受けさせていただきます」

 突然の誘いに動揺したキュルケであったが、直ぐに微かに浮かんだ動揺を消し去ると優雅に笑い美しい所作で頭を下げてみせた。

「私事ですので食事の方は食堂ではなく、折角ですしルイズの部屋で致しましょう」

 目を細めてルイズを見るアンリエッタ。自分を見つめる瞳の中に含まれたものに気付いたルイズは、瞬きの如く一瞬だけ目を閉じ思考を巡らすと、背後に立つシエスタに笑いかけた。

「わかりました。それでは……シエスタ頼んでいい?」
「はい。直ぐに準備いたします」

 アンリエッタの提案に、ルイズが背後に控えるシエスタに顔を向ける。ルイズの言葉にシエスタは、アンリエッタたちに向かって直ぐに一つ礼をすると、ジェシカを伴って昼食の準備をするためその場を離れた。駆け出してもいないにもかかわらず、二人の背中は直ぐに見えなくなってしまう。あっと言う間にシエスタたちの背中が見えなくなると、ルイズはアンリエッタに振り返った。

「給仕は先程のメイド―――シエスタにさせます」
「もしかして、先程のメイド()あのメイド(・・・)ですか?」
「はい。あのメイド(・・・)です」

 アンリエッタの問いにルイズが答える。
 笑いながら頷くルイズを見たアンリエッタは、シエスタの背中が消えた方向に視線を向けた後、背後に立つ士郎に顔を向け。

「可愛い子ですね」

 ニッコリとイイ顔で笑った。


  


「それでは、そろそろ本題に入りましょうか」

 カチャリとティーカップをテーブルの上に置いたアンリエッタが、顔を上げ口を開いた。視線の先には、ルイズ、キュルケ、そして士郎の姿がある。
 女王の昼餐のため、ルイズの部屋に運び込まれた大きなテーブルには、窓を背にした場所を上座として、そこにアンリエッタ、その正面にルイズ、そして間にキュルケと士郎が座っていた。

「……昨夜のわたしの誘拐未遂について、ですか」

 アンリエッタの正面に座るルイズが、チラリと隣に座る士郎を見る。

「犯人について何かわかったのでしょうか?」
「はい。と、言いたいのですが、実のところまだわたくしも詳しい話は聞いておりません」

 ルイズの言葉に小さく頷いたアンリエッタが、首を横に動かす。アンリエッタの視線に導かれるように、テーブルを囲む他の二人の視線が移動する。テーブルを囲む三人の視線が向けられた士郎は、持ち上げていたティーカップを下ろすと、視線を下に向けたままギシリと椅子の背に身体を預けた。

「その前に、一つだけ確かめたいことがある」

 顔を上げた士郎は、正面に座るキュルケを見る。キュルケを見る士郎の目と、声は、何時もよりも何処か硬い。その声と視線に、キュルケは自分がここに呼んだのが士郎だと確信する。 

「あら、わたしに何か聞きたいことでもあるの?」

 ざわつく心を誤魔化すように、キュルケはティーカップに手を伸ばす。

「……タバサのことだ」
「タバサ?」

 士郎が口にした名前に、ティーカップに伸ばそうとしたキュルケの手が止まる。反射的に顔を上げ、士郎の顔を真正面から見てしまう。

「タバサは何者なんだ」

 士郎と目が合った瞬間、キュルケは心の中で溜め息を吐いてしまう。
 これは誤魔化すのは無理ね、と。
 キュルケを見つめる士郎の目は、一切の誤魔化しも、嘘偽りも許さないと口にしていた。
 何となくではあったが、予想はしていた。士郎がルイズの誘拐騒ぎで怪我をしたと聞いた時から……その怪我が氷の矢を背中に受けたことだと聞いた時から。
 
「……そっ、か。ま、薄々そうじゃないかと思ってはいたんだけどね」
「な、何よ、どういうことよ?」

 突然の状況に、ルイズはキュルケに視線を向け訝しげに眉を顰める。

「この誘拐騒ぎに、タバサが関わっているってことよ」
「そうだ。タバサはミョズニルトンがルイズを誘拐する間、時間稼ぎのため俺と戦った」

 シロウの言葉に、ルイズはテーブルを叩き立ち上がる。

「え? ちょ、シロウ。タバサと戦ったなんて聞いてないわよ!? えっ、もしかしてシロウの傷ってタバサにつけられたものなの!?」
「ん、いや、あれはまあ、俺の自業自得のようなものだが、いや、それは今は関係ない。今問題なのは、途中でミョズニルトンを裏切ってルイズの救出に力を貸してくれたとは言え、タバサがその誘拐に協力していたことだ」
「問題ないって……かなり深い傷だって聞いたわよ。ったくもう……はぁ……もういいわ。それで? キュルケ、あんたどうやら色々と知っているみたいだけど、それを教えてくれるのかしら?」

 どかりと椅子に腰を下ろしたルイズから、『言わないと何するかわからないわよ』との鋭い視線を受けたキュルケは、何かを諦めたようにふっと溜め息を吐くと、向けられる視線から逃げるかのように背もたれに身体を預け天井を仰ぎ見た。

「そんな脅さなくてもちゃんと教えるわよ、っぁ~……ったくあの子は……何でもう……本当に……」

 天井を仰ぎ見る顔を両手で覆ったキュルケは、ポツリと呟く。

「ねぇ……あの子がガリア人だって知ってた」
「……噂でなら、だけど」
 
 キュルケの顔を覆う両手の隙間から漏れる問いかけに、ルイズが小さな声で答えた。
 その小さな答えを聞いたキュルケは、天井を見上げていた顔を下ろすと、ぐるりとテーブルを囲む全員を見回す。

「その噂は本当よ。あの子はガリア人。だけど、ただのガリア人じゃ……ただの貴族じゃないわ」
「……では、彼女は何者なのですか?」

 アンリエッタが落ち着いた声音で問いかけると、キュルケは顔を横に、真っ直ぐに視線を向け。
 アンリエッタを見つめる。
 
「彼女は……王族です。ガリアの王弟の……娘です」
「っ?!」
「う、うそ、タバサが王族だったなんて……」

 キュルケの言葉に、アンリエッタとルイズの顔が驚愕に染まる。しかし、ただ一人士郎だけが、冷静さを保った顔でキュルケを見ていた。

「タバサが王族……か、だがキュルケ、そうだとしたらいくつか疑問があるんだが?」
「何?」

 士郎の問いに、キュルケは顔を前に戻す。

「タバサが王族と言うが、なら何故タバサはこの学院にいるんだ? いくらトリステイン魔法学院が有名だとはいえ、王族が他国の学院に通うとは思えない」
「……一言で言えば厄介払いよ」
「厄介払い? それってどういう事よ?」

 キュルケが顰めた顔を逸らし呟いた言葉に、ルイズが疑問の声を上げる。

「あの子の父親だけど、何で死んだか知ってる?」
「ガリアの王弟と言えば、オルレアン公シャルル様でしたか……確か、狩猟の際毒矢を受けて亡くなったと聞きましたが」

 キュルケの言葉に、アンリエッタが考え込むように細い顎先に手を当てながら小さな声で答える。

「そう、あの子の父親、オルレアン公シャルルは暗殺された。兄……現国王ジョゼフにね」
「っ、そんな……」

 はっと、息を飲んだルイズが顔を俯かせる。
 実の兄に暗殺される弟。
 貴族の世界ではそう珍しい話ではないが、それでもそんな話を聞くたびにルイズの胸はズキリと痛む。兄弟が家督争いのため互いに殺し合う。幸いと言っていいのかわからないが、ヴァリエール家には姉妹しかいない。そのため、そのような家督争いが起きることはないとは思うが、そんな話を聞くたびに、何時も思ってしまう。
 家族なのに何故―――と。
 そんなことを思ってしまうのは、自分が女だからなのか―――何時も……思ってしまう。
 
 しんっと静まり返った部屋の中、キュルケの言葉は続く。

「父親だけじゃ……ないの。あの子の母親も殺されはしなかったけど、代わりに……心を狂わされた」
「―――心を狂わされた?」 
 
 声を上げたのは、腕を組み目を閉じていた士郎。
 閉じていた目を開け、その鷹のような眼光でキュルケを見る。

「……タバサの母親は、タバサが飲むはずだった毒を自分が代わりに飲むことで、あの子の身代わりになったのよ。その飲んだ毒というのが特別なもので、心を狂わす水魔法がかかった毒で、解呪することも出来ないまま、あの子の母親は今も心を病んだまま……」

 テーブルに両肘を立て、組んだ両手に額を当てたキュルケは、顔を俯かせたまま震える声で呟く。

「ねぇ、あの子の名前……知ってる」
「……タバサ、でしょ」

 顔を俯かせたまま当たり前のことを聞くキュルケ。消えかけの火のような、力のないキュルケの様子に、ルイズは恐る恐ると返事を返す。

「そう……タバサ……だけど、それはあの子の本当の名前じゃないのよ」
「本当の名前じゃないとは、どういうことだ」

 視線を逸らさないまま、ずっとキュルケを見たいた士郎が小さく問いかける。

「……さっき、あの子の母親が心を狂わされたって言ったわよね」
「え、ええ」

 声を震わせながらルイズが頷く。

「どんな風に狂っていると思う……」

 顔を伏せたまま、誰にでもなくキュルケが問う。

「あの子の母親はね、人形を……自分の娘だと思い込んでいるのよ」
「―――っ」
 
 口元を手で覆い息を飲むアンリエッタ。
 独白のようなキュルケの言葉は続く。

「……あの子の母親は、心が狂った今も、必死に自分の娘を守ろうとしているわ。だけど、心が狂っているから、胸に抱いた守ろうとする娘が人形だと思いもしない……で、そのあの子の母親が娘だと思い込んでいる人形の名前が……ね」

 ……重い、空気が部屋に満ちる。
 ルイズは、まるで部屋に満ちる空気が鉛に変わったかのように感じ、思わずテーブルに両手をついてしまう。

「―――『タバサ』って……言うのよ」

 組んだ両手から額を離したキュルケは、椅子の背もたれに背中を預け、再び天井を仰ぐ。

「元々その人形はね、あの子の母親が仕事で忙しくて一人ぼっちにしてしまう娘のために、一人で街に下りて手ずから選んでプレゼントした人形らしいわ。そのプレゼントされた人形を、あの子はずっと妹みたいに可愛がっていたそうよ……『タバサ』っていう名前を付けてしまう程に、ね」
「…………」

 黙り込み、再び静まり返った部屋の中、キュルケは天井を仰ぐ目を塞ぐように開いた手の甲を当てる。
 テーブルを囲む三人には口しか見えない。
 静まり返った部屋の中、キュルケは不意に、口元を釣り上げると、喉の奥でくっと、笑い声を上げると小さく呟いた。

「―――皮肉な話……ね。心を狂っても娘を守ろうとする母親……でもその母親が守ろうとするのは、かつて自分が娘が寂しくないようにとプレゼントした人形で……本当の娘は、自分たちを狙う敵だと思い込んでしまう…………」

 顔を覆ったまま呟くキュルケ。

「本っ当に……皮肉な話……笑ってしまうほどに……ね」

 すっ、と顔を覆うキュルケの手の隙間から涙が一筋頬を伝い―――褐色の頬を伝った涙が、珠となって床に落ちる。
 床に落ちた涙の粒は、直ぐに床に染み込み、後には小さな染みが残るだけ。

「……最後に一人残されたあの子が、今も生きているのはね、ガリア王家からの命令に素直に従っているからよ。自分の命を、何より、心を病んでしまった母親のため、あの子は三年もの間、誰もが忌避する達成不可能な仕事や汚れ仕事を受け続けていた。常人なら……とっくに死んでいたでしょうね。だけどあの子は生き残った。殺すつもりで命令した仕事でも、しぶとく生き残った彼女の扱いに困ったんでしょうね……だから反国王派に持ち上げらる前にと―――」
「―――トリステイン魔法学院に留学させた、と」

 キュルケの言葉を、アンリエッタが先に口にする。
 
「……想像でしかありませんが」

 アンリエッタの言葉に、小さく頷くキュルケ。
 
「え、ちょっと待って。じゃあ……タバサがミョズニルトンに従っていたってことは」
「そうね、今回も命令を受けたんでしょ。だからあなたの考えている通り、多分そういうこと」

 はっと顔を上げたルイズが焦った声を上げると、キュルケその通りだと小さく頷いてみせる。

「つまり、ルイズを誘拐しようとしたのは……ガリアということですか」

 目を閉じたアンリエッタが、深い溜め息を吐く。
 アンリエッタの脳裏に、宰相の険しい顔が蘇る。以前から宰相はガリアの動向に酷く警戒していた。周囲から無能王と呼ばれるあのジョゼフを、アンリエッタが信頼する宰相は誰よりも警戒していたのだ。以前何故そこまで警戒するのか聞いてみたことがある。確かあの時宰相は『分からないからです』と答えていた。『無能』と呼ばれながら、更に貴族の大半から嫌われているにも関わらず、あの男―――ジョゼフは今も、あの国の王のまま。その理由が分からないからだとマザリーニは言った。
 わからないから怖いのだと……。
 あの男がアルビオンの分割の際、港一つだけ手に入れた時、アンリエッタは無能と呼ばれるのは真実であったのだなとしか思わなかった。しかし、今思えばあの男にとって、そんなことは瑣末なことだったのだろう。トリステインと違いガリアは大国である。元々アルビオンなど必要としない。あの何も考えていないような笑みの下で、あの男はルイズの『虚無』を狙う算段を考えていたのだと今思い、背筋が粟立つのをアンリエッタは感じた。
 『何を考えているか分からないから怖い』……その言葉の意味を、アンリエッタは身を持って感じた。

「っ、で、でも、本当にガリアが関係しているかなんてまだ分からないじゃないっ。ほ、ほら、ミョズニルトンがガリア王家を脅すか何かして、タバサに命令させたなんてことも考えらえるし、そ、そうだっ! 直接本人に聞けばいいじゃないっ。何よ、そんな簡単なこと忘れていたなんて、ダメね、まだ魔法の効果が切れてないのかし―――」 
「タバサはもういない」

 重苦しい空気を晴らそうと、ルイズが勢いよく喋り始めたが、それを士郎の一言が止めた。

「どういうことシロウ?」

 キュルケの視線が士郎を向く。

「……目が覚めて直ぐにタバサに会いに行ったが、既に部屋はもぬけの殻だった」
「もぬけの殻って……もしかしてさらわれたんじゃ」
「その可能性は低いと思うわ。あの子はそんな間抜けじゃない。多分……だけど姿を隠したんでしょ。迷惑をかける前にってね……全くあの子は何でも一人で背負いすぎなのよ」
 
 ルイズが心配気に呟くと、キュルケは忌々しげに鼻を鳴らすとテーブルに爪を立てた。

「そのうち連絡が来ると思うから、それまで待っているしかないわね」

 微かに震える声でそう言ったキュルケは、ティーカップに残っていたお茶を勢いよくあおぐ。
 ゴクリとお茶を一口の飲んだキュルケは、乱暴に皿の上にティーカップ置くと深い溜め息を吐いた。

「っはぁ~……わたしってそんなに頼りないのかしら……少しは力になっていると思っていたんだけど……」

 力なく呟くキュルケに、誰も何も言えなかった。誰もが押し黙るそんな中、声を上げたのは、やはりと言うか士郎であった。

「大切だからだろ」
「え?」

 何処か笑みが混じった士郎の声に、キュルケは俯かせていた顔を上げた。キュルケと目が合うと、士郎はふっと笑みを浮かべ、言葉を口にする。

「大切だから、巻き込みたくない。そんなこと、キュルケもわかっているだろ」
「……それは、だけど、少しぐらい頼ってくれたって」
「頼っているさ」
「え?」
 
 士郎の言葉に、鳩が豆鉄砲を撃たれたような顔になるキュルケ。どういうことだと目で問いかけてくるキュルケに、士郎は笑いかける。

「キュルケは、さっきの話を誰から聞いたんだ」
「……それは、前にタバサが実家に帰る時についていった時に聞いたのよ。タバサの実家、オルレアン家の執事にね。ほら、覚えてない? ラグドリアンでの一件。実はあの時の一件も、ガリア王家の命令を受けてたんだけど、その時よ。タバサとガリア王家との関係を聞いたのは……でも、それがどうかしたの?」
「何時も鋭いお前が珍しいな。まだ分からないのか?」

 首を傾げる士郎に、キュルケが苛立ちが混じる声を返す。

「分からないって……だから何が」
「タバサはキュルケの同行を許したんだよな」
「そ、そうだけど」
「で、もちろんタバサは実家に自分の事情を知っている執事がいるってことを知っているよな」
「当たり前でしょ、自分の実家なんだか―――ぁ……」

 士郎の言葉に苛立たしげに頷いていたキュルケの顔がピタリと止まる。目が、気付いた事実に大きく開く。
 
「そしてもちろんタバサはお前の性格も知っている。実家に連れていけば執事から自分の事情を聞き出すことも理解できていた筈だ。自分が王弟の娘で、父を殺され、母を狂わされ、そしてそんな相手の命令に従っていることを……な。なのに、知られると分かって実家への同行を許した。つまりそれは―――」
「―――わたしにそのことを知って欲しかった……」

 顔を俯かせポツリと呟くキュルケ。

「まあ、想像でしかないがな。辛いことや悲しいことは、話すことで楽になることもある。まあ、もちろんそれも相手次第だが。信頼出来る相手ならば、話すことで一緒に悩み、支え合い、乗り越えることが出来る……寄りかかることも、な」
「ったく、馬鹿じゃないのあの子は、わかりにくいのよ……」

 テーブルの上に置いた手を握り締めながら、キュルケは噛み締めた口から声を漏らす。
 身体を、声を震わせたキュルケは、勢いよくテーブルに額を当てる。
 ゴンッと、硬い音を立てテーブルが微かに揺れた。

「でも……本当に馬鹿なのはわたしね……あの子の口数が少ないことなんて、ずっと前から知っていたのに……」

 テーブルに額を当てたまま、小さく震える声で呟き続けるキュルケ。

「もっと早く気付いていれば、何か変わっていたのかしら……」

 力なく呟かれた言葉は、今にも消えてしまいそうなほど小さく弱々しかった。

「さて、な。変わっていたかもしれないし変わっていなかったかもしれない。そんなことは終わった今考えても仕方がない。今言えるのは、これからどうするかと言うことだ。キュルケは……どうする?」
「……わたしは……」

 腕を組み、背もたれに深く腰掛けた士郎が、視線だけをキュルケに向ける。士郎の視線を受けたキュルケは、テーブルに額を当てたまま深く大きく息を吸うと、

「はぁ~……まぁ、まずは一言文句を言ってやりたいわね」

 大きなため息と共にボソリと呟いた。

「文句?」
「そ、文句よ文句……あの意地っ張りに……ね」

 ルイズの疑問に、キュルケは頭を掻きながら顔を上げる。その口元に苦笑を浮かべながら、キュルケはルイズに顔を向けた。

「でもまあ、それにはまず本人に会わないといけないんだけど、ね」
「手がかりがない今は、タバサからの連絡を待つか、何か手がかりを掴むまでは動けない、な」
 
 目を細め窓の向こうに視線を向けるキュルケ。士郎はキュルケの言葉に頷くと、同じように視線を窓の向こうに向けた。

「……ま、確かに今は待つしかないわね」

 チラリと士郎に視線を向けたキュルケは、小さく顎を引いて同意を示す。
 キュルケは「待つしかない」と言ったが、姿を消したタバサからの連絡が来る可能性は低いだろうと、この部屋にいる者たちは考えていた。ミョズニルトンの裏にガリアという大国がいるとすれば、いくら腕が立つとは言え、メイジ一人が何とか出来るわけがない。自分一人で何もかも背負い込むタイプのタバサならば、学院に迷惑がかからないように、このまま黙っていなくなってしまう可能性は高いと、この場にいる全員が考えていた。
 もしかしたら、このままタバサと会えないかもしれない……嫌な予感が少女たちの胸を過ぎる。
 
「っ……ぇ、ねえ、さっきから気になってたんだけど」

 言葉が切れ、静まり返った部屋の中、沈鬱な雰囲気が満ち始めた部屋の空気を変えようとでも思ったのか、少し焦った調子で、ルイズが疑問の声を上げた。

「何よ?」
「『タバサ』って言う名前が偽名なら、本当の名前って何ていうの?」

 ルイズの疑問の声に、キュルケが少し青ざめた顔を上げる。キュルケに見つめられたルイズは、顎に人差し指を当て小首を傾げると、タバサの本当の名前について問いただす。

「タバサの本当の名前? それは―――」

 ルイズの質問に何気なく答えようとしたキュルケだったが、 

「―――キュルケ」

 疑問の答えは、するりと滑り込むように響いた士郎の制止の声によって遮られた。

「そういうのは、な―――」

 うんっと背筋を伸ばしながら背もたれから背中を離した士郎は、沈鬱な空気が満ちる部屋の雰囲気を散らすように何処か笑みを含んだ声を上げる。テーブルを囲む全員の視線を受けながら、士郎は組んだ腕を解くと目の前に置かれたティーカップに手を伸ばす。カチャリと音を立て、ティーカップを持ち上げた士郎は、顔を上げぐるりとテーブルを囲む全員に視線を向けると、

「直接本人から聞くものだ」

 ふっ、と口の端を曲げ、カップに口を付けた。
     

 
   
 

 
後書き
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