銀河英雄伝説~悪夢編
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第九話 お願いだから退役させて
宇宙暦795年 4月 13日 総旗艦アイアース ラザール・ロボス
「まだ報告は入らないか」
「各艦隊からはまだ帝国軍発見の報告は有りません」
「そうか」
グリーンヒル参謀長が軽く頭を下げて参謀達の元に戻った。
焦るな、予想会敵時間には未だ二時間も有るのだ、焦る必要は無い。敵は二万隻、味方は六万隻、しかも味方は四方向から敵を包囲する陣形を取っている。最初に中央の二個艦隊が帝国軍に正面から接触、そして両翼の二個艦隊が側面から接触、最終的には敵を三倍の兵力で包囲する。このままでいけばダゴン殲滅戦の再現になるだろう。味方の勝利は間違いないのだ。
問題は帝国軍がどう動くかだ。あの艦隊は帝国でも最も厄介な艦隊だ。ここ最近の戦いでは常にあの艦隊にしてやられている。大人しく包囲されてくれるだろうか……。そうは思えん、こちらの思惑に気付かないほど愚かではあるまい。
先ず考えられる事は撤退だな、敵わないと見てイゼルローン要塞に撤退する。その場合は追撃しつつ要塞攻防戦に持ち込むしかない。グリーンヒル参謀長は反対するかもしれんが皇帝フリードリヒ四世が重態であるなら帝国軍は積極的な軍事活動は行えない筈だ。要塞への増援は無いと見て良い。攻略は出来ずとも帝国軍の艦隊に大きな損害を与える事が出来れば……。
負ける事は出来ない。今度負けたら間違いなく更迭だろう。そして帝国軍を無傷で撤退させることも出来ない……。これまで勝ち戦続きなら問題ない、しかし負け戦続きなのだ。三倍の兵力を用意しながら無傷で帝国軍に撤退を許したとなれば何と言われるか……。
ロボスは頼りない、ロボスは戦争が下手だと言われるだろう。必ず更迭論が出るはずだ。シトレもそれを後押しするだろう。ここはどうしても敵を撃破しなければ……。
「正体不明の艦隊が急速に接近してきます!」
何? どういう事だ? 正体不明? オペレーターは一体何を言っている?
「艦艇数約二万! おそらくは帝国軍と思われます!」
「馬鹿な、どういう事だ、それは! 敵は前方に居るのでは無かったか!」
立ちあがって周囲を見渡した。誰もが顔を強張らせている。
正面スクリーンに映像が映った。夥しい光点が映っている。そして近付くにつれて大きく、そして多くなっていく。
「閣下、どうなさいますか?」
グリーンヒルが問い掛けてきた、顔色が良くない。しかし、なんなのだ、その質問は!
「どうなさいますかとはどういう事だ! 参謀長」
「戦うのか、それとも後退するのかです!」
互いに怒鳴り合いになった。指示を出せと言う事か。ならば最初からそれを言え! 出す指示など決まっているだろう、イライラさせるな!
「全艦戦闘準備! 各艦隊に帝国軍と接触したと連絡しろ!」
オペレーターがコンソールを操作しているが直ぐに顔を上げて私を見た。表情が強張っている。
「駄目です! 帝国軍の妨害電波で味方に通信が出来ません!」
「ええい、連絡艇を出せ! 各艦隊に二隻、八隻を出すのだ!」
「帝国軍攻撃してきます!」
「こちらも攻撃だ! 持ちこたえるんだ、味方が来れば挟撃できる!」
彼方此方から力の無い声が上がった。駄目だ、将兵達は持ちこたえる事が出来ないと見ている……。
スクリーンに映る帝国軍は圧倒的な威容を見せている。そして味方は為す術も無く打ち砕かれている……。何故だ、何故こうなった。三倍の兵力で帝国軍を包囲するはずだった。だが気が付けば四倍の兵力でこちらが攻撃されている……。負けるかもしれない、絶望が胸に込み上げてきた。
帝国暦 486年 4月 13日 オストファーレン エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
帝国軍は奇襲に成功した。戦況は一方的と言って良い。艦橋は歓声で爆発しそうだった。だが皆が喜ぶ中ヴァレリーだけは表情を消している。辛いんだろうな、小さな声で話しかけた。
「部屋で休んではどうです?」
「いえ、大丈夫です」
「無理はしなくても良いですよ」
ヴァレリーは笑みを浮かべた。大丈夫って言いたいんだろうけど引き攣ってるよ。このまま帝国に留めるのは可哀想だ。いずれ同盟に返してやらないと……。結構俺の事を気遣ってくれるんだ。前回の戦いで倒れたからな、心配してくれてるらしい。
捕虜交換か、或いはフェザーン経由でこっそり返すか、難しいな。後でミュッケンベルガーにでも相談してみようか? 随分貸しが有るよなあ、少しはこの辺で返してもらわないと……。でも戻しても大丈夫かな、スパイ扱いされたら可哀想だし……。
「兵力差も有りますが一方的ですな」
「そうですね」
クレメンツ副参謀長が話しかけてきたので頷いた。やっぱり双璧は凄いわ、動きがまるで違う。容赦なく同盟軍を叩き潰している。レンネンカンプも良い、練達、そんな感じだな。ミュラーも良くやっている。始めての艦隊指揮なのにあの三人に遅れることなく着いて行っている。
この艦隊、帝国でも精鋭部隊と言って良いだろうな。あの問題さえなければ……。その問題を見た、指揮官席で嬉しそうにスクリーンを見ている。溜息が出そうだ。
「提督、そろそろ反乱軍に降伏を勧告したいと思いますが」
「おお、そうじゃのう。弱い者苛めは可哀想か」
「……降伏を勧告します」
弱い者苛めじゃなくてさっさと終わらせて撤退しないと危ないだろう。同盟軍の方が俺達より兵力は多いんだ。連中が戻ってくる前にこの戦場から離脱しないと……。オペレーターに命じて降伏を勧告するとそれほど間を置く事無く同盟軍は降伏を受諾した。オストファーレンの中で爆発したかのような歓声が上がる。良いよな、喜べる奴は。俺は少しも喜べん、この爺さんが元帥だ。帝国はどうなるんだろう……。
捕虜を帝国側の艦船に移乗させると直ぐに戦場を離脱した。そろそろ同盟軍の艦隊は俺達が予想宙域に居ない事に気付いた筈だ。最初に考えたのは撤退だろうな。だが本隊に連絡を取ろうとして不可能だとなれば真実に気付く。慌ててこちらに向かって来るのは目に見えている。捕捉される前に逃げないと……。
「捕虜の引見ですが如何しますか」
「引見?」
クレメンツ副参謀長が小声で話しかけてきたのは戦場を離脱して一時間も経った頃だった。そういうの有ったな、形式だけど捕虜の代表と捕えた側の代表が直接会う。“宜しくね、乱暴しないでね”、“分かったよ、安心して良いよ”、そんなところだ。
「反乱軍の方はロボス大将になりますが……」
そう言うとクレメンツは困ったような表情で視線をグリンメルスハウゼンに向け、そして俺に向けた。意味ありげな仕草と表情だ。
「……私ですか? 若過ぎると向こうが傷付きませんか?」
「他にはいないと思います」
そうだよな、この爺さんに任せたらロボスはもっと傷付く。いやそれ以上にこの爺さんの正体を同盟側に知らせる事は出来ない。居眠り爺さんが元帥になる、帝国軍の最高機密だ。なんでこうなったんだろう、溜息が出た。“お気の毒とは思いますが宜しくお願いします”、クレメンツの声が聞こえた……。
帝国暦 486年 4月 24日 イゼルローン要塞 ラインハルト・フォン・ミューゼル
遠征軍が戻ってきた。六万隻の大軍に包囲されそうになったが敵の本隊を降伏させて戻ってきた。反乱軍に与えた艦艇の損害は少ないが人的損害はかなりのものだ。宇宙艦隊司令長官を始め司令部要員を丸ごと捕虜にした。反乱軍は頭脳を失ったのだ。連中は暫くの間は積極的な軍事行動を控えざるを得ないだろうと皆が言っている。
遠征軍は今日から一週間要塞に駐留し補給、修理を行うらしい。俺達イゼルローンに集められた哨戒部隊もそろそろお役御免だろう。元の辺境警備に戻るはずだ。有難くもあり残念でもある。これ以上シュターデンの顔を見ずに済む事は有難いが反乱軍が押し寄せてくれば武勲を上げる機会だった。中央に戻る事も出来たかもしれない。それなのに……。
グリンメルスハウゼンは元帥か……。どう考えても不条理だ、あの居眠り老人が元帥で俺が辺境警備の少将……。
「どうなさいました、ラインハルト様。溜息を吐かれるとは」
キルヒアイスが心配そうな表情をしていた。最近は何時も心配させてしまう。
「いや、何時まで辺境に居なければならないのかと思ったのだ」
「……一度ヴァレンシュタイン中将に相談してみてはどうでしょう。ラインハルト様の力になってくれるのではないでしょうか」
「……止めておこう、気が進まない。それに向こうは向こうで大変だろうしな」
良く出来るものだ、あの老人の参謀長など俺には到底耐えられない……。
帝国暦 486年 6月 25日 オーディン 新無憂宮 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
オーディンに戻ると皇帝フリードリヒ四世は回復していた。死んでいてくれればあの老人に遠慮はいらなくなる。しかし帝国は内乱に突入しただろう。多くの人間がフリードリヒ四世の快癒を喜んでいるが本当に目出度い事なのかどうか、俺は今一つ判断が出来ずにいる。
ラザール・ロボスを始め同盟軍の宇宙艦隊司令部要員は全て捕虜になった。しかしヤンとキャゼルヌは居なかった。どうやらシトレに近い事でロボスによって追い払われたらしい。ロボスにしてみればあの二人は冷めた目で自分を批判的に見ている嫌な奴なのだろう。余計な事を……。
代わりに捕えたのがグリーンヒル中将とフォーク中佐だ。同盟軍の癌をごっそり削ぎ取ったって感じだよ。これじゃあ馬鹿みたいな帝国領出兵もクーデターも起きる可能性は皆無に近いんじゃないだろうか。一つ躓くと滅茶苦茶になるという見本だな、これは。
ミュッケンベルガー元帥に新無憂宮に来いと呼び出された。そしてまたあの女官に案内されてあの部屋に向かった。待っていたのはあの時と同じ面子、帝国軍三長官とリヒテンラーデ侯だ。四人とも渋い表情をしている。多分俺も同様だろうな。
「今回の遠征、御苦労だった。卿の危惧した通りだった。反乱軍のロボス大将はイゼルローン要塞の攻略を考えていたらしい。危ない所であった、卿が気付かなければ帝国は酷い混乱に陥ったであろう。良く防いでくれた」
「はっ」
エーレンベルクが俺を褒めた。気を付けろ、この程度で油断すると足元を掬われるぞ。大体誰一人として笑顔を浮かべていない。
「グリンメルスハウゼン上級大将は元帥に昇進する」
まあしょうがない事だな。そうは思っても気が重い。帝国は一体何処に行くのか……。
「そして宇宙艦隊副司令長官に就任する」
「はあ?」
正気か? 思わず四人の顔をまじまじと見た。冗談を言っているようには見えない。いや待て、権限の無いお飾りという事か。それなら納得できる。今後はオーディンで御留守番だな。
「ヴァレンシュタイン中将、卿は大将に昇進する」
「はっ」
「そして宇宙艦隊総参謀長に就任する」
「はあ?」
なんだ、それは。俺が総参謀長? 良いのか、そんな事して。古参の大将クラスで総参謀長をやりたがっている奴は幾らでもいるだろう。俺なんか総参謀長にしたらブウブウ言い出すぞ。
俺が戸惑っているとミュッケンベルガーが後を続けた。
「卿の最初の任務はグリンメルスハウゼン副司令長官率いる遠征軍に同行し反乱軍を撃破する事だ」
「……それは、もう一度アレをやるという事でしょうか?」
俺が問い掛けるとミュッケンベルガーは溜息を吐いた。え、違うの? 俺の疑問に答えてくれたのはシュタインホフだ。咳払いをして答え始めた。
「今回捕虜から尋問して分かったのだが反乱軍は相当にグリンメルスハウゼン提督を危険視しているようだ。つまり彼の存在は反乱軍に対し抑止力足り得る。積極的にこれを用いるべきだろう」
はあ? あの爺さんが抑止力? 積極的に用いる? 正気か? 頭おかしいんじゃないのか?
「ヴァレンシュタイン」
「はい」
「今後、遠征軍の総指揮は私ではなくグリンメルスハウゼン提督が採る事になる」
「……ミュッケンベルガー元帥、よく分からないのですが、それは何の冗談です?」
ミュッケンベルガーが顔を顰めた。飲み込み悪くて済みません、でも本当によく分からないんです。どうなってるんだ?
「冗談ではない、陛下の御健康は必ずしも安定していない。私はオーディンを離れるわけにはいかんのだ」
「……」
なるほど、あれは一時的な物ではないという事か。つまり何時フリードリヒ四世が倒れるか分からないと……。となるとだ、俺が総参謀長と言うのは……。
「分かるな、卿は総参謀長として全軍を指揮し、反乱軍を撃破するのだ」
「冗談でしょう、小官には到底無理です」
声が震えた。冗談じゃない、あの老人の面倒を見ながら全軍の指揮を執れ? 俺を過労死させる気か? 帝国軍は何時からブラック企業になった!
「退役します! 昇進は要りません、年金も辞退します、だから退役させてください!」
「それは認められぬ。帝国軍は卿の用兵家としての力量とあの老人をあやす才能を必要としているのだ」
勝手な事を言うな、エーレンベルク。俺は介護士じゃない!
「ヴァレンシュタイン中将、既に次の出兵に関しては陛下の御内意を得てある。グリンメルスハウゼン元帥を総司令官に、卿を総参謀長にだ。断る事は許されぬ」
「リヒテンラーデ侯……」
このクソジジイ共、俺を嵌めやがったな。全部俺に押し付けるつもりか! 絶対辞めてやる! 絶対にだ!
帝国暦 489年 4月30日 オーディン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
「そういう夢を見た」
「……」
「最悪だろう?」
「確かに……」
顔色が悪いな、ミュラー。でもな、俺は目が覚めたときに夢だと分かって嬉し涙が流れたよ。そして眠るのが怖くなった、多分これからは毎日そう思うんだろうな。なんだってあんな夢を見たんだか……。疲れてるのかもしれない……。
「エーリッヒ」
「うん?」
「夢はそれで終わりなんだな、他には無いんだな」
ミュラーがじっと俺を見ている。まさかな、こいつ、俺と似た様な夢を見たんじゃないだろうな。その先を見たとか……。
「……無い!」
そんなものは無い! ベーネミュンデ侯爵夫人の馬鹿げた騒動に巻き込まれかかっただの、どっかの貴族の令嬢に想われて貴族の馬鹿息子に嫉妬されただのそういう事は一切無い! そんな夢は見なかった!
「ナイトハルト、私は仕事に戻る。卿も仕事に戻るんだな」
「ああ、そうするよ」
そうだ、仕事だ。こんなところでお喋りをしてるなんてどうかしている。俺には仕事が有るのだ。先ずはこのミュラーが持ってきた人事考課、こいつを片付けよう……。
ページ上へ戻る