銀河英雄伝説~悪夢編
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第八話 なんでそうなるの?
帝国暦 486年 4月 13日 オストファーレン エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
「如何思われます?」
「さて……」
クレメンツ副参謀長が問い掛けてきたが俺にも“さて”としか言いようがない。参謀達は皆不安そうな表情か困惑した様な表情を浮かべている。
面白そうに俺を見ているのはリューネブルクだけだ。こいつはオーディンに残れば良いのにどういうわけか志願して付いて来た。前回の戦いで中将に昇進している。理由は反乱軍を混乱させる事に功が有ったと評価されての事だ。あの碌でもない通信が評価されたらしい。
装甲擲弾兵を一個師団任される立場になったんだがどうもオフレッサーと上手く行っていないらしい。こっちの方が居心地が良いようだ。困った奴だよ、この艦隊は無くなるというのに……。それを話したのにこっちに来ると言うんだから……。
「参謀長」
「はっ」
「その“皇帝陛下御不例”と言うのは本当かのう」
指揮官席からグリンメルスハウゼン提督が不安そうな表情と声で問い掛けてきた。頼むよ、指揮官なんだから周囲を不安にさせるような発言はしないでくれ。皆が顔を顰めているだろう。ヴァレリーだって呆れてるぞ。
「今、皆でそれを話し合っています。少しお待ちください」
「そうか……」
溜息が出そうになったが堪え参謀達に視線を向けた。
「どう思いますか」
俺が話しを振ったが参謀達は顔を見合わせたままだ。判断が着かない、そんなところか……。
偵察部隊が情報を持ってきた。それによって分かった事は同盟軍の動員兵力は四個艦隊という事だった。四方向からこちらを包囲するように進んでいる。兵力は約五万五千隻。その後方に五千隻ほどの艦隊が有る、おそらくはロボスの直率部隊だろう。合計すると六万隻の大部隊だがその事自体は問題無い、元々戦わずに撤退するのが目的だ、兵力が三倍なのも包囲しようとしているのも有難いくらいだ。誰もが撤退を妥当な判断だと言ってくれるだろう。
だが情報を収集しているうちに偵察部隊は妙な情報も拾ってきた。“銀河帝国皇帝フリードリヒ四世重態”、この情報が俺達を悩ませている。
「謀略、でしょうか」
「……」
「オーディンから何の連絡も有りませんし……」
クナップシュタインの意見に皆が顔を見合わせた。有り得るかな、グリンメルスハウゼンは皇帝の信頼厚い臣下。かなりアピールしたからな、フェザーンが同盟に伝えた可能性は十分にある。それを利用しようと考えたとしても不自然ではない。
本当ならオーディンに問い合わせれば良いのだが誰もそれを提案しない。“反乱軍が銀河帝国皇帝フリードリヒ四世重態と言っています、本当でしょうか?”とは訊き難いのだ。間違いの場合”馬鹿かお前は“と叱責されるだろう。
第一、それほどの重大事ならオーディンが報せて来ないはずはないという思いもある。しかしこの遠征軍は戦わずに撤退する事が決まっている。ならば敢えて知らせる必要は無いとオーディンは判断した可能性も有る……。皇帝陛下御不例による撤退ではグリンメルスハウゼンを軍から引き離せないのだ。
「勘違い、ではないかな」
今度はベルゲングリューンだ。髭を撫でながら周囲を見回している。何処か困ったような表情だ。
「陛下はその、何と言うか、時折体調不良になられるだろう、それをフェザーンが反乱軍に伝え、連中は大袈裟に受け取った」
皆が困ったような表情で頷いた。これも有り得ないとはいえない、二日酔いが何時の間にか重態になった……。
謀略説、勘違い説、どちらも有るな。しかし……、
「もし事実だとしたら、如何です」
俺が問い掛けると皆が深刻そうな表情をした。フリードリヒ四世は後継者を決めていない。場合によっては内乱になるだろう。拙いな、もし事実なら極めて拙い事態になる……。同盟軍がそれに付け込んでくれば……。放置は出来ない。
「オーディンに確認を取りましょう」
「宜しいのですか」
クレメンツが俺を気遣ってくれた。嬉しいけど俺が言わなきゃならんだろう。グリンメルスハウゼン老人は頼りにならん。
「グリンメルスハウゼン提督、小官がオーディンのミュッケンベルガー元帥に確認を取ります、宜しいですか?」
「ああ、それが良い、頼む」
もし間違っていたら怒られるんだけど分かって無いだろうな……、世の中は鈍い方が生き易く出来てる。
オペレーターに命じてオーディンのミュッケンベルガー元帥を呼び出した。スクリーンに元帥が映ったが表情は厳しい、良くない兆候だ。
『どうしたかな、反乱軍と遭遇したか』
「偵察部隊が反乱軍の情報を収集してきました。四個艦隊、約六万隻の大艦隊です」
俺の報告にミュッケンベルガーがホッと息を吐いた。知らない人間が見たら溜息にも見えるだろう。だが俺から見ると予定通り、そんな感じだな。
『そうか、では撤退だな』
「それを決断する前に教えて頂きたい事が有ります」
ミュッケンベルガーが訝しげな表情を見せた。予想外、かな。
「偵察部隊が収集した情報の中に反乱軍が皇帝陛下御不例と通信しているという物が有りました」
『馬鹿な……』
愕然としている。
「事実なのですね、閣下」
『……』
「司令長官閣下、では陛下は……」
グリンメルスハウゼンが悲痛としか言いようのない声を出した。ミュッケンベルガーが溜息を吐く。
『事実だ』
ミュッケンベルガーの答えに今度は皆が溜息を吐いた。
「おお、おお、何故教えて下されぬのです」
『……卿らの心を乱したくなかったのだ、提督。戦場ではほんの少しの油断、気の緩み、混乱が命取りになる』
グリンメルスハウゼンの非難めいた問い掛けにミュッケンベルガーは弁解がましい口調で答えた。まあそう言うしかないよな、負けて帰って来るのを待っていたとは言えん。
『お倒れになられてからもう五日になる』
「皆が知っているのでしょうか」
ミュッケンベルガーが渋い表情で頷いた。
『隠し通せたのは最初の二日だけだ。後は已むを得ず宮中において公表した』
宮中において公表したか……、貴族どもを集めて状況を説明した、そういう事だな。しかし三日で同盟にまで知られている、早すぎるな、早すぎる。宮中内部にフェザーンに通じているネズミが居るのかもしれん。或いはネズミは貴族の中に居るのか……。
「オーディンは混乱しているのしょうか」
周囲の人間が緊張した。
『いや、今のところは大丈夫だ』
じわりと空気が緩む。誰かがホッと息を吐く音が聞こえた。
『地上部隊もこちらの味方だ。今のところは問題は無い。しかし綱渡りではあるな、何かきっかけが有れば暴発しかねん』
ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が何処まで自制できるかだな。お互いにかかっているものが大きい。娘を皇帝に出来れば帝国を手中にする事が出来る。だが失敗すれば破滅だろう。お互い引けない所まで来ている。ミュッケンベルガーの懸念は杞憂では無い。
「参謀長、撤退した方が良くはないかのう。反乱軍は大軍じゃし、陛下が御不例では……」
『そうだな、提督の言う通りだ。撤退するべきであろう』
「……撤退は出来ません。現時点での撤退は危険です」
周囲がざわめいた。皆が何を言っているのだという様な表情で俺を見ている。
『どういうことだ、ヴァレンシュタイン。ここは撤退するべきであろう』
言外に話しが違うという響きが有った。気持は分かる、だが前提が狂った。もう撤退は出来ない……。
「このまま撤退すれば反乱軍がイゼルローン要塞に押し寄せる危険性が有ります」
皆が凍りついた。艦橋の空気が痛いほどに緊張している。
「反乱軍は皇帝陛下御不例を知っているのです。おそらく帝国が内乱の危機の有る事も推測しているでしょう。四個艦隊を動員した彼らが我々の撤退だけで満足するとは思えません。これを機にイゼルローン要塞攻略を再度行う可能性が有ります」
彼方此方で呻き語が起きた。ミュッケンベルガーも呻いている。
当初はグリンメルスハウゼン艦隊の撃破が目的だっただろう。だがフリードリヒ四世が重態だと知った、だからこちらに情報を流している……。要塞を攻めたいと政府に言っても先日負けたばかりだ、許される可能性は小さい。だがこちらが撤退するのを追う形で要塞攻防戦に持ち込めれば……。俺の考え過ぎだろうか?
『イゼルローン要塞での防衛戦はどうか?』
「無理です。指揮系統が確立していない以上混乱するだけでしょう。閣下がオーディンから増援を引き連れ総指揮を執るのであれば別ですが……」
それでも一カ月は指揮系統がグチャグチャなままで戦う事になる。それがどれだけ危険かは第五次イゼルローン要塞攻防戦を思えば良い。
『無理だ、そんな余裕は無い』
ミュッケンベルガーが力無く首を横に振った。そうだろうな、そんな余裕は無い筈だ。そしてグリンメルスハウゼンにはミュッケンベルガーの様にイゼルローンの防衛体制を一つにまとめ上げるだけの力も権威も無い。
「この場にて戦うしかないと思います。反乱軍に痛撃を与える。それが出来れば反乱軍に皇帝陛下御不例はデマだと思わせる事が可能でしょう。例えそうでなくてもイゼルローン要塞攻略には二の足を踏ませる事が出来ると思います」
沈黙が落ちた。誰も口を開こうとしない。二万隻で六万隻の大軍に達向かう、内心では運命を呪っているだろう。
『卿の言う事はもっともだと思うが……、出来るのか、そんな事が?』
「……難しいと思います。しかし、やらなければ帝国は危険な状況に陥ります」
ミュッケンベルガーは眼を閉じて考えている。色んな事を思っているだろう、帝国の事、グリンメルスハウゼンの事……。
『分かった、已むを得ん事だ、卿の判断に任せる』
「有難うございます」
『だが、無理はするなよ』
「はっ、それと念の為ですがイゼルローン要塞に周辺で哨戒任務に就いている艦隊を集めて頂きたいと思います」
『良いだろう』
これでラインハルトとシュターデンがイゼルローンで一緒になるな。お互い不本意だろうが俺だって不本意だ。なんでこんな事になったのか、帝国はグリンメルスハウゼンとフリードリヒ四世という呪縛霊に祟られているとしか思えない。通信が切れ何も映さなくなったスクリーンを見て思った。
「グリンメルスハウゼン提督、これより作戦会議を開きます。各分艦隊司令官に旗艦への集結を命じますが」
「ああ、分かった。なるべく早く帝国に戻れるように頼む」
「はっ」
気楽でいいよな、爺さん……。泣きたくなってきた……。
帝国暦 486年 4月 13日 オストファーレン オスカー・フォン・ロイエンタール
艦橋の空気は痛いほどに強張っている。皇帝陛下御不例、六万隻の反乱軍との戦闘。予想外の事態、そして理不尽とも言える戦力差。しかも戦って勝たなければならないという圧力。状況は極めて厳しい。そんな中、リューネブルク中将だけが不敵な笑みを浮かべている。
「このまま反乱軍に包囲されるのは愚策ですね」
ヴァレンシュタイン参謀長の言葉に皆が頷いた。
「となると急進して各個撃破、ですか」
「ええ、それが最善だと思うのですが……」
ヴァレンシュタイン参謀長とクレメンツ副参謀長の会話に皆が顔を見合わせた。言うは容易い、しかし現実に可能なのか……。戦術コンピュータには四方から進んでくる反乱軍とそれに対して進む帝国軍が表示されている。
「リューネブルク中将、笑うのは止めて頂けませんか。いささか不謹慎だと思うが」
レンネンカンプ少将が眉を顰めて注意した。
「これは失礼。だが本気の参謀長を見られると思うとつい嬉しくてな。悪く思わんで頂きたい」
皆がヴァレンシュタイン参謀長に視線を向けると参謀長は迷惑そうに眉を顰めた。
「変な事を言わないでください、私はいつも本気です」
「そうですかな、参謀長は苦しい時ほど力を発揮する。そう思っているのですが」
「買い被りですね」
参謀長が溜息を吐くとリューネブルク中将が軽く一礼した。妙な二人だ、皆が顔を見合わせた。
「……反乱軍は通信を制限している様子は有りません。自分達が大軍で有る事をこちらに教えようとしているようです」
「こちらが撤退すると想定しているという事かな……。ならば不意を突く事は可能かもしれない」
ビューロー中佐、ミュラー少将の発言が続いた。
「しかし上手く行きますかな、反乱軍に待ち受けられれば包囲殲滅されますが」
「中央は危ないな、レンネンカンプ少将の言う通り包囲される危険が有る。しかし両端ならどうだろう、どちらか一方の艦隊を叩いて離脱する、上手く行けば隣の艦隊も叩けるかもしれん。出来ない事ではないと思うが」
ミッターマイヤーの言葉に皆が頷いた。
「確かにミッターマイヤー少将の言う通りです。二個艦隊はきついかもしれませんが一個艦隊なら上手く行く可能性は高い」
俺の言葉に皆がヴァレンシュタイン参謀長に視線を向けた。参謀長は戦術コンピュータのモニターを見ている。
はて、何を考えているのか。ヴァンフリート、イゼルローンでグリンメルスハウゼン艦隊が圧倒的な存在感を示したのは参謀長が居たからだと聞いている。実際俺が見てもそう思う、指揮官席のグリンメルスハウゼン提督はどう見てもただの老人だ。軍の指揮などとてもできまい。
「反乱軍の本隊は叩けませんか」
「本隊?」
皆が唖然とした表情で参謀長を見た。
「ええ、迂回して本隊を叩く。五千隻ほどの部隊です、勝利を得るのは難しくは無い。本隊を撃破出来れば、ロボス司令長官を補殺出来れば反乱軍は兵を退かざるを得ないと思うのですが」
彼方此方で唸り声が起きた。なるほど参謀長は勝つ事よりも兵を退かせる事を考えていたか。一個艦隊の撃破では反乱軍が退かない可能性が有ると見た……。
「宇宙艦隊司令部が壊滅、一から再建となれば……」
「かなり時間を稼げるな」
クナップシュタイン、グリルパルツァーが興奮した様な声を出した。
「しかし敵中奥深く入るのは危険ではありませんか。無理をせず、一個艦隊か二個艦隊を撃破した方が良いのではないかと思いますが……」
クレメンツ副参謀長の言葉に参謀長は首を横に振った。
「普通ならそうしたいのですが今回は少々事情が特殊なのです」
妙な言葉だ、皆が参謀長に視線を向けた。
「反乱軍の総司令官、ロボス大将はヴァンフリート、イゼルローンで大敗し後が無い、今度失敗すれば更迭されるのではないかと思います。となると多少の損害を与えても兵を退かない可能性が有る。二個艦隊潰せれば良いですが一個艦隊ならこちらを追ってくるのではないかと思うのです」
彼方此方で唸り声が起きた。リューネブルク中将が嬉しそうに笑みを浮かべている。なるほど、本気のヴァレンシュタインか……。
「どう思う、可能だと思うか?」
「やってみる価値は有るだろうな、敵の本陣を急襲か、面白くなりそうだ」
ミッターマイヤーに問い掛けると楽しそうな声を出した。皆の顔を見ると同意するかのように頷いている。皆が自然と参謀長に視線を向けた。参謀長が頷く。
「反乱軍の本隊を叩きましょう」
皆が一斉に敬礼した。
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