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銀河英雄伝説~悪夢編

作者:azuraiiru
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第六話 そんな事を言ってるんじゃねえよ!



帝国暦 486年 1月 15日  オーディン  新無憂宮 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



納得したとも思えなかったがラインハルトは深く追求する事も無く離れて行った。これからヴェストパーレ男爵夫人の邸でアンネローゼと会うらしい。俺なんかに構っている暇はないわけだ。正直ホッとした。次の遠征では呼んでくれとか言われるんじゃないかと内心ヒヤヒヤだったからな。

暫く待っていると女官が俺に声をかけてきた。
「少将閣下、皆様がお待ちでございます。こちらへ」
女官と言っても五十歳を超えた樽みたいな腹をした女だ。多分甘い物の食べ過ぎだろう。宮中の女官は四十を過ぎると急激に太ると聞いた事が有る。出入りの業者達が何かにつけて甘い物を持ってくるかららしい。若い頃は新陳代謝が激しいから太らないが年を取ると覿面に出る様だ。

「皆様と言うと?」
「皆様でございます」
馬鹿にしてんのか、樽女。若造だと思って舐めんなよ。思いっきり眉を寄せて女を睨んだ。

女官は地位は低いが色々と宮中の秘密に通じている事が有る。そのため機嫌を損なうと厄介だという判断からチヤホヤする奴が多い。その所為だろう、女官の中には慇懃無礼な態度を取る者も居る。ふざけるなよ、樽女。俺は出世なんか興味ないんだ。お前らの機嫌なんか損ねたって全然怖くない。

女が穏やかに笑みを浮かべた。
「誤解なされませぬよう、皆様と申し上げましたのは御名をお伝えするのを憚る上(かみ)つ方(かた)の皆様がお待ち故にございまする。周囲に聞こえましては閣下にとっても御為にならぬかと」

なるほど、そういう意味か……。多分俺を待っているのは帝国軍三長官とリヒテンラーデ侯、そんなところだろう。まあ、あやされている様な気もするが素直に受け取るか。
「分かりました、案内をお願いします」
「こちらへ」
女がまた笑みを浮かべた。手強い女だな、宮中の女官ってのはこんな女ばかりなのかな。

女官は廊下を南苑の方向に歩いて行く。良いのかな、そっちは皇帝のプライベートなんだが。困惑しながら後を歩いていると彼女が
「閣下はミューゼル少将と御親しいのですか?」
と彼女が話しかけてきた。あらあら、このおばさんラインハルトに興味が有るのか。もてるんだなあ、若い女だけじゃなく熟女もメロメロか。

「ヴァンフリート星域の会戦で一緒でした。特別に親しいというわけではありませんが同じ戦場で苦労を共にしましたから……」
「左様ですか。……副官のキルヒアイス少佐が昇進したのは閣下のお口添えが有ったと御聞きましたので」
良く知っているな。もしかするとラインハルトじゃなくてキルヒアイスのファンかもしれない。感じの良い好青年だもんな。

「私の二階級昇進の代わりに彼を昇進させて欲しいと頼んだのです。良くやってくれましたからね。ですがどういうわけか私も二階級昇進しました」
「それはそれは……」
女官が首だけを回して俺を見た。穏やかな笑みを浮かべている。……妙な感じだな、ただの好奇心じゃないようだ。

「失礼ですが貴女をここへ寄こしたのはどなたかな?」
「さあ、それは……」
また女が笑った。
「軍人ですか?」
「……いいえ、違いますわ」

なるほど、リヒテンラーデ侯か……。どうやら俺とラインハルトの関係が気になるらしいな。それでこの女を使って俺に探りを入れに来たか……。皇帝の寵姫の弟、微妙だよな。軍ではまだ少将だがこれから出世すれば厄介な存在になる、そして協力者が居れば……。

「この先の突き当たりを右に御曲がり下さい。そのまま進みますと奥に部屋がございます。そこで皆様がお待ちでございます」
「有難うございます」
礼を言って先に進む。突き当たりを右に曲がる時、さりげなく来た方向を見ると女官が丁寧に頭を下げるのが見えた。

指定された部屋は何とも薄暗い部屋だった。五メートル四方程の部屋に四人の男が居た、軍人が三人、文官が一人。予想通りだ、帝国軍三長官とリヒテンラーデ侯、どいつもこいつも不機嫌そうな表情で疎らに置かれた椅子に座っている。“座ってくれ”とミュッケンベルガーが言ったから一礼して適当な所に座った。

「来て貰ったのは他でもない、あの老人の件だ」
ミュッケンベルガーが“あの老人”と言った。口調が苦味を帯びている。どうやら調整は不調だったか……。予想通りだが気が滅入った。
「どうも上手く行かぬ、そこで卿の考えを聞きたい、そう思ったのだ。不本意ではあろうがな」
「……」

その通り、不本意だ。分かっているなら俺に振るな。お前らがあの爺さんの首に縄を付ければ済む話だろうが。俺が押し黙っているとエーレンベルクが口を開いた。
「陛下にお願いする事も領地の件も上手く行かぬ。あの老人の処遇が決まらねば今回の戦いの総括も賞罰も出来ぬ。身動きが取れぬのだ」

泣くなよ、全く。泣きたいのは俺の方だ。
「陛下へのお願いは何故駄目なのです?」
皆がリヒテンラーデ侯に視線を向けると侯が顔を顰めた。
「別に寂しくないと仰せでの。正直に卿らの苦衷を訴えたのだが勝っているのだから問題あるまいと。残り少ない人生、好きにさせてやれとの仰せだ。……少々鮮やかに勝ち過ぎたの」

嫌味か、このジジイ。他人事みたいに言いやがって。勝たなきゃ負けるだろう、どれだけの犠牲者が出ると思っている。残り少ない人生だから好きにさせてやれ? 俺の人生の方が残り少なくなりそうだ。敗北か、或いは疲労か、目の前に死神が迫っている気がするよ!

「領地は如何です?」
ジジイが首を横に振った。
「それも駄目だ。領地は本来他に与えるべき賞が無い時に与えるものだ。元帥になってからならともかく現時点では大将であろう、上級大将に昇進させるのが至当だ」

馬鹿野郎、そんな事を言ってるんじゃねえよ!
「何が至当かなんてどうでもいいんです。あの老人に領地を与えて軍から遠ざけろと言っています。このまま軍に置いておけばとんでもない事になりますよ」
「……」

黙り込んでどうする! 段々腹が立ってきた。
「戦争で負ければ何十万、何百万という人間が死にます。グリンメルスハウゼン提督の存在がそれを引き起こしかねないと言っているんです。それでも恩賞には昇進が至当だと言うのですか!」

ジジイども四人が顔を見合わせた。
「そう怒るな、一応あの老人に領地を与える事を非公式に打診はしたのだ。だが要らぬとの事での……、無理に与えても返上しかねぬ。それでは意味が無かろう」
リヒテンラーデ侯が不機嫌そうに答えた。

「昇進が至当と言うのもその時にグリンメルスハウゼン提督が言ったものだ。正論ではあるな、無理押しは出来ん」
シュタインホフが後に続いた。皆がウンザリした様な表情をしている。ウンザリなのは俺の方だ、つまりあの老人を軍から引き離す事は出来ないってことだ。じゃあ俺を呼んだのは何故だ? 御守りを続けさせようってのか?

「小官の異動はどうなりますか」
おいおい、帝国軍三長官が顔を見合わせてどうすんだよ。押し付け合いか?
「後任者が決まらん、何人かに当たってみたのだが皆辞退した。無理に押し付ければ軍を辞めるだろう」
エーレンベルクが伏し目がちにボソボソ答えた。他の連中も俺と視線を合わせようとしない。

「小官はもう無理です。それは副参謀長のミュラー准将も同様です。一年も務めたのです、異動は当然でしょう」
俺は引き受けんぞ、断固断る。この問題で妥協は無い、このまま済し崩しにズルズルなんて断じて御免だ。

部屋に気不味い空気が充満した。
「負ければ良いではないか? その責めを取らせて退役させる。それしか有るまい」
おいおい、とんでもない事を言いだしたな。正気か、リヒテンラーデ侯。

「簡単に言わないで頂きたい。グリンメルスハウゼン提督一人に責めを負わせて済む問題ではありませんぞ」
エーレンベルクが反駁した。
「その通りです、敗北が小さければ叱責が精々でしょう。退役させる程の敗北ともなればミュッケンベルガー元帥にも責めは及びます」
今度はシュタインホフだ。仲が悪い筈だけどな、政治家達の理不尽には協力できるか……。

でもまあミュッケンベルガーに責めが及ぶと言っても叱責が精々だろう。軍からはグリンメルスハウゼンは重荷だとフリードリヒ四世に言ってあるのだ、重い咎めは出来ない筈だ。むしろ彼らが反発しているのは負けるという事だろうな。それを文官が事も無げに言う、その事が不快なのに違いない。

俺も不愉快だ、わざと負けろというが兵を無駄死にさせろというのと同じだ。軍人の考える事じゃないし人間としても間違っている。悪い意味で権力者の考えそうな事だ、人を人とも思わない、踏み躙る事に慣れた権力者の考え……。

「ヴァンフリート、イゼルローン、勝つ事で反乱軍に大きな損害を与えました。帝国は優勢を保持している。負ければその優位が消し飛んでしまいます。軽々しく負けろなどと口にしないで頂きたい」
リヒテンラーデ侯が不機嫌そうな表情をしている。だがミュッケンベルガーの言う事は正論ではある。皮肉なのはその勝利をもたらしたのがグリンメルスハウゼン艦隊だという事だな。

「損害が小さければ良かろう、負けたという形を作るのだ。それを以ってグリンメルスハウゼンを退役に追い込む。それしか有るまい、なんとかならんか」
帝国軍三長官が渋い表情をした。勝手な事ばかり言う、そんな表情だ。

損害は小さく負けた形か。負けた形を作るのは難しくは無いだろう。敵が大軍だと言って撤退すれば良い。しかしそれでは退役に追い込めないしグリンメルスハウゼンも戦場に出る事を諦めないだろう、大体爺さんの責任に出来るのか、そこが問題だ。

いや、待てよ……、退役でなくても構わんわけだ。戦場に出さない事でもかなり違う、それなら可能かな……。戦場に出さない、いや戦場に出ても無駄だと思わせる、帝国のためにならないと思わせる……。可能性は有るな、グリンメルスハウゼンはヴァンフリート、イゼルローンで大功を立てた。同盟軍もあの老人に注目しているはずだ。

やるなら今かな。メッキが剥げる前にピカピカのグリンメルスハウゼンを同盟軍の前に放り出す……。このジジイどもを助けるのは不本意だがこれ以上あの老人に振り回されるのはもっと不本意だ。やってみるか……。



帝国暦 486年 1月 15日  オーディン  オストファーレン  ナイトハルト・ミュラー



新無憂宮から戻ったエーリッヒは直ぐに俺を参謀長室に誘った。新無憂宮に行く時は憂欝そうだったが今は表情が明るい、どうやら例の件は上手くいったようだ。ようやくこれでこの艦隊から離れられる……。席に座るなりエーリッヒがニコニコしながら話しかけてきた。

「昇進が決まった。私は中将に、卿は少将に昇進だ」
「なるほど、それで」
「グリンメルスハウゼン提督も上級大将に昇進だ。退役は無い」
退役は無い、にも拘らずエーリッヒの表情、口調は明るい。

「では俺達は異動か」
思わず声が弾んだ。エーリッヒが声を上げて笑う。
「いや、異動は無い。我々はグリンメルスハウゼン艦隊に所属する」
「……」
大丈夫か? 何でそんなに明るいんだ。とうとう壊れたなんてことは無いよな。

「次の出兵が決まった」
「……」
「遠征軍の総司令官はグリンメルスハウゼン上級大将だ」
「おいおい、正気か。俺をからかってるのか」
エーリッヒがまた声を上げて笑った。

「からかってなどいないさ、気が狂ってもいない、本当だ」
「しかし」
俺が言い返そうとするとエーリッヒが手を上げて遮った。
「まあ聞いてくれ。グリンメルスハウゼン提督が率いる戦力は一個艦隊、二万隻だ。反乱軍はどう出るかな?」

一個艦隊、二万隻? どういうことだ、随分と中途半端だが……。
「……叩き潰す良い機会と思うだろうな」
「それで、どうする」
「そうだな、二個艦隊、いや最低でも三個艦隊は迎撃に出すだろう」
反乱軍の正規艦隊は一万二千隻から一万五千隻程度だ。確実に勝利を求めるなら最低でも三個艦隊は動員する。俺ならそうする。エーリッヒも同感なのだろう、頷いた。

「では反乱軍の三個艦隊を相手に我々はどうする?」
「さてどうするかな。反乱軍は我々の倍近い兵力を持っている。正直勝利を収めるのは厳しいだろう」
俺の答えにエーリッヒが笑い出した。

「厳しい? 不可能だよ。我々は撤退する」
「撤退?」
「ああ、撤退だ」
「しかし……」
「撤退後、帝国軍三長官は皇帝陛下に次のように奏上する」
「……」

「ヴァンフリート、イゼルローンで大功を上げたことによりグリンメルスハウゼン提督は反乱軍に酷く恨まれている。今後戦場に出れば集中的に反乱軍の攻撃を受けかねない。提督を戦場に送る事は危険である……」
「それは……、つまり狙いはそれか」
エーリッヒは笑みを浮かべて頷いた……。



 
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