銀河英雄伝説~悪夢編
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第五話 呆れてものが言えん
帝国暦 485年 11月 13日 イゼルローン要塞 グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー
イゼルローン要塞の会議室、戦闘前に将官会議を開いた会議室だがその会議室に今また大勢の将官が集まっている。
「第六次イゼルローン要塞攻防戦は卿らの奮戦により帝国軍の勝利に終わった。御苦労であった」
会議室の将官達が一斉に敬礼した、私も礼を返す。私の言葉に嘘はない、第六次イゼルローン要塞攻防戦は誰が見ても帝国軍の圧勝に終わった。酷い混戦のなか、グリンメルスハウゼン艦隊が戦場を迂回して反乱軍の後背に出ようとすると慌てた反乱軍は混戦状態を維持したまま後退しようとした。要塞主砲トール・ハンマーの攻撃を受ける事を恐れたのだろう。
だが反乱軍は混戦状態の維持に失敗した。イゼルローン要塞駐留艦隊、私の直率艦隊の後退を許してしまいトール・ハンマーの斉射を受け戦意喪失、潰走した。駐留艦隊、私の直率艦隊は潰走する反乱軍を追撃、かなりの損害を与えた。グリンメルスハウゼン艦隊は退路を断つ事よりも駐留艦隊、直率艦隊と協力して後方より反乱軍に損害を与えた。反乱軍の損害は二万隻に近いだろう。充分過ぎるほどの勝利、いや大勝利だ。
「グリンメルスハウゼン提督」
「はい」
私が声をかけるとグリンメルスハウゼン老人はキョトンとした表情を見せた。さてもう一仕事だ。
「この度の要塞攻防戦におけるグリンメルスハウゼン艦隊の働き、真に見事であった」
「おお……」
「帝国軍が勝利を収めたのもグリンメルスハウゼン艦隊の働きに因る処が大きい。その武功、並ぶ者無しと言って良かろう」
会議室がどよめいた。“その武功、並ぶ者無し”、つまり武勲第一位というわけだ。会議室の将官達は殆どが納得した表情をしているが一部に口惜しそうな表情をしている人間が居る。もっともその人間達も不平を言う様子はない。当然だ、公平に見て武勲第一位は至当と言える。私も選ぶ言葉には苦労しない。
もっとも私は老人の武勲を第一位とは言っていない。老人の艦隊の武勲を第一位と言ったまでだ。あの艦隊を動かしたのは目の前で喜んでいる老人ではない、参謀長のヴァレンシュタインだ。今は老人の後ろで大人しく控えている。表情は明るい、笑みが有る。もう一押ししてやろう。
「グリンメルスハウゼン提督、この事をお知りになられれば皇帝陛下もさぞかしお慶びであろう」
「おお、陛下が……」
グリンメルスハウゼンが感極まっている。
いいぞ、喜べ、喜べ、喜ぶのだ、満足だろう。だが分かっているかな、私は卿に今後の働きを期待しているとは言わない。そんなものは無いからな。いかん、どうにも顔が綻んでしまう。いや構わんか、私が老人の武勲を喜んでいると老人を含めて皆が思ってくれるだろう。
「オーディンに戻るのが楽しみで有るな、グリンメルスハウゼン提督」
「総司令官閣下……」
「陛下も卿が戻るのを楽しみにしておいでであろう」
グリンメルスハウゼンが泣きそうな表情をしている。そうか、私も涙が出そうだ。ようやく頭痛の種から解放される。
「このグリンメルスハウゼン、これまで生きて来て今日ほど嬉しい一日は有りませぬ。もはや我が生涯に思い残す事無し……」
その言葉が聞きたかった……。そうか、そう思ってくれるか……。
「この上はなお一層粉骨砕身し、陛下の御宸襟を安んじる事、それだけが我が望みにございまする」
「……」
それは、戦場に出るという事か……。いや、私の思い過ごしだ、卿は一言も戦場に出るとは言っていない。そうだな、グリンメルスハウゼン? 泣いてないで答えろ! 陛下の御名を出したのは拙かったか? いや間違ってはいない、老人を感極まらせるには必要だったはずだ。
そうだろう、ヴァレンシュタイン? ……ヴァレンシュタインは無表情に私を見ている。もしかすると私を責めているのか? 皆が勝利に沸き立つ中、天国から地獄に突き落とされた私だけが、いや私とヴァレンシュタインだけが喜べずにいた……。
帝国暦 485年 11月 20日 オーディン 軍務省 エーレンベルク
「戦闘詳報は読ませてもらった。見事な勝利だ、先ずは目出度い」
『うむ、反乱軍にはかなりの損害を与える事が出来たと思う』
ミュッケンベルガー元帥の口調は満足そうだが表情は幾分硬い。私も同様だろう、目出度いとは言ったが本心からは喜べずにいる。
「こちらに戻るのは何時頃になるかな」
『明日、イゼルローン要塞を発つから早ければ年内にはオーディンに戻れるだろう』
「それは良い、将兵達も喜ぶだろう。新年を家族と共に祝えるのだからな」
『うむ』
将兵達もクリスマスと新年くらいは家族と共に祝いたいだろう。クリスマスは無理だったが新年はそれが出来る。しかも帝国軍の大勝利だったのだ、喜びは大きいだろう……。
「気になっている事が有りそうだな、例の老人の事か」
私が話を向けるとミュッケンベルガー元帥は渋い表情で頷いた。
『どうも上手く行かぬ』
「武勲を上げたようだな、あの老人が帝国軍の勝利を決定づけた様だが」
ミュッケンベルガー元帥の顔が益々渋くなった。
『いや、それは良いのだ』
「?」
『あの老人に十分な功を立てさせ心置きなく軍を退役させる、そう思ったのだ……』
「なるほど、面白い案だが卿の発案かな?」
ミュッケンベルガー元帥が首を横に振った。
『いや、ヴァレンシュタイン少将の発案だ。あの老人が出兵に拘るのは周囲に認められたいからかもしれぬ、そう思い試してみる価値は有ると思ったのだが……』
「上手く行かなかったか……」
『上手く行かなかった』
ミュッケンベルガー元帥が渋い表情で頷いた。
『もはや我が生涯に思い残す事無し。そう言ったのだがな、その後でこの上は陛下の御宸襟を安んじる事だけが望みだと……』
「……御宸襟を安んじるか、それは出兵を望むということだろうな」
ミュッケンベルガー元帥が溜息を吐いた。気持ちは分かる、出来る事なら我らの宸襟も安んじて欲しいものだ。
『ヴァレンシュタイン少将が悲鳴を上げている、これ以上は勘弁してほしいと。……異動を希望している』
「それは……」
難しいと言おうとしたがミュッケンベルガー元帥が先に言葉を続けた。
『戦闘終結後、熱を出して倒れた。……あの艦隊と老人は帝国軍にとってはお荷物でしかない。背負わせるのはもう限界であろう』
「……」
なるほど、ミュッケンベルガー元帥の表情が暗いのはそれも有るか……。溜息が出た。
「しかしヴァレンシュタイン少将の異動を認めたとして後任はどうする。戦場に出さぬのなら誰でも良いがあの老人が出兵を求めている以上、それなりの人物が必要だが……」
私の言葉にミュッケンベルガー元帥が首を横に振った。
『無理であろうな』
「……」
『あの艦隊がお荷物であることは皆が知っている。その艦隊を背負って少将は大功を立てたのだ。後任者は当然だが比較される事を覚悟せねばならぬ』
「それは厳しい……」
気が付けば呻き声が出ていた。
『誰も引き受けようとはすまい。無理に押し付ければ逃げ出すだろう、後任者を選ぶなど無理だ』
常に無く力の無い声だ、思わず溜息が出た。確かにミュッケンベルガー元帥の言う通りだ。私だとてその荷物を背負いたいとは思わない。それを一年も背負わせたか……。
『なんとかあの老人を退役させねばならん、或いは出兵を諦めさせるか……』
「しかし、手が有るかな」
私の問いかけにミュッケンベルガー元帥が頷いた。手が有るか……。
『畏れ多い事ではあるが陛下を上手く利用出来ぬかと考えている』
「陛下を?」
これまで陛下を利用してきたのはグリンメルスハウゼンだ。それを今度はこちらが利用する?
『グリンメルスハウゼンが傍におらぬのは寂しいと言って貰う事は出来ぬかな。陛下のお言葉が有ればあの老人も出兵するとは言えぬはずだ』
「なるほど」
上手い手だ。その上で侍従武官長にでもしてしまえば良いだろう。大将、上級大将であれば階級的にもおかしくはない。
『或いは今回の武勲の恩賞として領地を与えるか……』
「領地?」
『うむ、その上で領地の発展に努めよとでも言っていただければ……』
上手い! あの老人を領地に縛り付けることが出来る!
「なるほど、それであれば出兵は出来ぬな」
声が弾んだ。ミュッケンベルガー元帥も頷いている。
『希望してもそれを口実に却下できよう。領地を与えてもおかしくないだけの功績は立てている』
「上手い手だ、考えたのはヴァレンシュタインかな? 司令長官」
私が問い掛けるとミュッケンベルガー元帥が苦笑を浮かべた。
『その通りだ、あの男も逃げるのに必死でな』
私が笑うとミュッケンベルガー元帥も声を上げて笑った。ようやく笑うことが出来た。
「リヒテンラーデ侯に相談してみよう、侯も我らの苦衷には薄々気付いている。正直に話せば力になってくれるはずだ」
『宜しくお願いする。それとシュタインホフ元帥にも話していただきたい』
「統帥本部総長にもか」
ミュッケンベルガー元帥が頷いた。あの男とは決して関係が良好とは言えぬが……。
『リヒテンラーデ侯には帝国軍三長官からの頼みとした方が良いと思うのだ』
「なるほど」
『それに万一出兵となって功績を挙げればあの老人は帝国元帥という事になる』
あの老人が元帥、悪夢だ。ミュッケンベルガー元帥も同様だろう、スクリーンに映る彼の表情は渋い。
『その場合、何処にあの老人を押し込むか……。一艦隊司令官という訳には行くまい?』
「確かにそうだな、それが有ったか……」
『軍務次官、統帥本部次長、宇宙艦隊副司令長官、或いは帝国軍三長官の一つを占めるかもしれぬ』
思わず顔が引き攣った。
「冗談は止せ、司令長官」
ミュッケンベルガー元帥が首を横に振った。
『冗談ではない、現実にそうなりかねぬのだ、軍務尚書。幕僚総監でも良いがその場合はクラーゼン元帥をどうするかという問題が起きるだろう』
「……」
『もはや私と軍務尚書だけの問題では無い。軍、そして帝国の問題として対応すべきだ』
ヴァレンシュタインだな、あの小僧がミュッケンベルガー元帥に吹き込んだ。あの老人を自分だけに押し付けるな、上で対応しろという事だろう。だが確かに此処までくれば帝国の問題として対応しなければならぬのも事実……。
「分かった、シュタインホフ元帥に話そう。彼も分かってくれるはずだ、その上でリヒテンラーデ侯に相談してみよう」
『宜しくお願いする』
「うむ」
やれやれだ、あのようなボケ老人一人に帝国が振り回されようとは……。悪夢以外の何物でも無いな。
帝国暦 486年 1月 15日 オーディン 新無憂宮 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
オーディンはようやく新年の喧騒から解放されつつある。遠征軍は昨年の暮れにオーディンに戻ってきた。皆は新年を家族の元で過ごせると喜んでいたが俺にはどうでもいい話だ。オーディンが賑やかな中、俺は年末年始を家でひたすら惰眠を貪る事で過ごした。非難は受け付けない、当然の権利だ。俺はもう精神的にも肉体的にも限界だ。
昨年のイゼルローン要塞攻防戦の戦功に対する総括と賞罰は未だ終わっていない。新たな人事はまだ発表されていないのだ。悪い兆候だ、おそらくはグリンメルスハウゼン老人の扱いをどうするかの調整が上手く行っていないのだろう。勝ち戦なのだ、それも大勝利だと言って良い。恩賞など大盤振舞いでも良い筈だ。それが出来ないのはあの老人の扱いをどうするかで揉めているからとしか思えない。
悪い兆候は他にも有る。俺が新無憂宮に呼ばれた事だ。呼び出したのはミュッケンベルガー元帥、待ち合わせ場所は紫水晶の間と黒真珠の間を隔てる通路だ。俺は馬鹿面を下げて廊下に立っている。……なんか視線が煩わしいんだよな。皆が俺を見ている。
「ヴァレンシュタイン少将」
声がした方向を見るとラインハルトだった。そうか、新年だからな、オーディンに戻っていたのか……。ここに来たという事はあれかな、新年だからアンネローゼに会いたいとでも頼みに来たのかな、それとももう会っていて御礼言上に来たのか……。
「久しぶりですね、ミューゼル少将」
はてね、近付いて分かったのだがラインハルトの表情はあまり明るくない。どうやら頼み事は却下されたらしい、いや謁見そのものが却下された可能性も有るな。皇帝陛下は飲み過ぎで直ぐに病気になる。新年だからな、飲み過ぎは良く有る事だ。
「イゼルローンでは目覚ましい武勲を上げられたとか、羨ましい事だ」
新年の挨拶よりもそっちか、ラインハルトらしい。もっとも余り戦争の話はラインハルトとはしたくない、当たり障りなく答えるか。
「運が良かったと言えるでしょう。艦隊戦に自信が無いから混戦を避ける事が出来ました。結果的にそれが武勲を上げる事に繋がったと思います」
「運が良かったというのは謙遜だろう、卿の力量は皆が認めている」
「有難うございます、今日は謁見ですか?」
「ああ、次の遠征に自分を加えて欲しいと頼んできたところだ」
話題を変えたつもりだったが意味が無かったな。まあラインハルトから戦争を取ったら何も残らない事が証明されたわけだ……。
「次の遠征は決まったのですか?」
俺が問い掛けるとラインハルトがちょっとバツの悪そうな表情をした。
「いや、未だの様だ。だが私はまた哨戒任務で辺境に行かなければならない。だから今の内に頼んでおこうと思ったのだ……」
「なるほど」
辺境任務は出世を目指す若い士官にとっては島流しも同然だ。基本的に帝国では上級者にお願いをする時は直接会って頼むのが礼儀だ。となれば辺境に送られるのはそれ自体の機会を失うという事でもある。縁故や後ろ盾のない士官にとっては絶望その物だろう。姉が皇帝の寵姫であるラインハルトはまだ恵まれている方だ。もっとも本人はそんな事は認めないだろうが……。
「卿は何故ここに?」
「呼び出しを受けました」
「呼び出し?」
訝しげな表情だ。詮索されるのも面倒だ、適当に答えておくか……。
「ええ、ミュッケンベルガー元帥からです。総括と賞罰はまだ終わっていません、多分前回の戦いの戦果で不明な部分が有るのでしょう。ウチの艦隊は色々と問題が有りますから……」
「なるほど……」
ラインハルトが不得要領に頷いた。まるっきりの嘘でもない、あの老人をどうするかが決まらなければ総括と賞罰は終わらないのだから……。
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