銀河英雄伝説~悪夢編
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第一話 自由裁量権って何だよ
帝国暦 489年 4月30日 オーディン 宇宙艦隊司令部 ナイトハルト・ミュラー
「閣下、これをお願いします」
俺が艦隊司令部の人事考課表を提出するとエーリッヒは無言で受け取った。顔色が良くない、疲れているのだろうか、婿養子の様なものだからな、家では結構気を使うのかも……。
「大丈夫か? 顔色が良くないぞ」
顔をエーリッヒの耳元に寄せ小声で囁いた。周囲には女性下士官達が大勢いる、あまり大声では言える事では無い。エーリッヒは俺を見るとちょっと顔を顰めた。
「フイッツシモンズ大佐、私はミュラー提督と相談しなければならない事が有ります。会議室に居ますので何かあったら呼び出してください」
「承知しました」
フイッツシモンズ大佐が答えるとエーリッヒが席を立って会議室に向かった。正直驚いたが何事も無いように後に続いた。
会議室に入り適当な場所に二人で座った。
「どうした、何が有った、トラブルでも有ったのか?」
流石に家で上手く行っていないのかとは訊けない。エーリッヒは“そうじゃない”と言って首を横に振った。
「悪い夢を見たんだ」
「悪い夢?」
エーリッヒが頷く。悪い夢? どんな夢だ? 戦争で負けた夢か? あるいはローエングラム伯のクーデターが成功した夢? まさか汚職に関わった夢とかじゃないだろうな。
「……グリンメルスハウゼン艦隊が解体されなかったらどうなっていたと思う?」
「はあ?」
「私が参謀長で卿がずっと副参謀長だったら……」
「……それは……」
帝国暦 485年 5月25日 オーディン 軍務省 尚書室 グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー
「少々拙い事態になったようだ」
「というと」
「グリンメルスハウゼン大将が次の遠征にも参加したいと希望を出している」
「冗談だろう、軍務尚書。今回だけという事で先日の遠征にも参加させたはずだ」
冗談だ、冗談に違いない、エーレンベルクは私をからかって楽しんでいるのだ。しかし軍務尚書は無情にも首を横に振った。
「冗談では無い、事実だ」
「……」
安心しろ、希望が出ただけだ。希望だけなら誰でも出せる。悲観する事は無い。だが私の希望は軍務尚書の言葉に無残に打ち砕かれた。
「陛下からは武勲も上げている故参加させてはどうかとの御言葉が有った」
「それは……」
「断る事は出来ぬ……」
溜息が出た。またこれか……。前回もそうだった。陛下の御言葉が有ってはどうにもならない。形式は打診だが内実は命令に等しい。
「現実にあれだけの武勲を上げているのだ、例え陛下の御言葉が無くとも本人から希望が有れば無碍には出来ん」
「それはそうだが……、已むを得ぬという事か」
「そういう事になるな」
また溜息が出た、私だけでは無い、軍務尚書も溜息を吐いている。
「軍務尚書、正直に言う、私はあの艦隊をどう扱ってよいか分からぬのだ」
軍務尚書が顔を顰めた。グリンメルスハウゼンが全く当てにならぬことは分かっている。だがあの艦隊はどう考えれば良いのか……。帝国軍の問題児、役立たずを集めた艦隊、どうみてもお荷物の艦隊のはずだった。ヴァンフリートでは武勲を上げたがどこまで信じて良いのか……。
「当てにせぬことだ、当てにして失敗すればとんでもないことになる。戦力としては数えず遊軍として扱う。それ以外にはあるまい」
「遊軍か、功を上げれば儲けもの、そういう事だな」
「そういう事だ」
酷い話だ、一個艦隊を遊軍として扱うか。しかし確かに当てには出来ぬのだ、となれば已むを得ぬことではある。軍務尚書の表情が渋い、おそらくは私も同様だろう。
「それよりヴァレンシュタイン大佐の事だがどうする。卿は宇宙艦隊司令部への異動を希望していたが……」
それが有ったか……、思わず舌打ちが出そうになった。
「取り下げざるを得まい、あの艦隊を少しでもまともにするためにはあの男が必要だ。当てにするわけではないが全くのお荷物では困る」
何をしでかすか分からぬところはあるが負けるよりはましであろう。軍務尚書が“その通りだな”と言って頷いた。
「ところで軍務尚書、グリンメルスハウゼン艦隊から外して欲しい人間がいる」
「ほう、誰かな?」
「ミューゼル少将だ」
「ミューゼル……、なるほど、グリューネワルト伯爵夫人の弟か。確かに外した方が良かろうな」
軍務尚書が二度三度と頷いた。
「それでどうするかな、卿の直属部隊に組み込むか」
賛成しないと言った表情だ、もちろん私もそんな事をするつもりはない。
「いや、お荷物は一つで十分だ、二つは要らぬ。持ちきれぬよ」
「それが良かろう、では留守番だな」
「うむ」
まったくどうして帝国軍にはわけのわからぬ荷物が多いのか……。口には出せぬが持たされるこちらの苦労を少しは陛下にも考えていただきたいものだ。
「司令長官、あの男、ヴァレンシュタイン大佐だが二階級昇進に異議を唱えているようだな」
「というと?」
「副参謀長を務めたミュラー中佐も二階級昇進させて欲しいと言っているらしい。そうでなければ自分の二階級昇進は受けられぬと」
「ほう」
ふむ、以前にも思ったが出世欲の塊というわけではないわけか。それがせめてもの救いだ。
「差支えなければ昇進させてはどうかな。あの二人にグリンメルスハウゼンの面倒を見させる。お守り代だ、苦労するだろうからな」
「そうだな、そうするか」
軍務尚書が頷いた……。私なら昇進よりも異動を願うだろう。そう思うと少しだけ可哀想だと思い、同時に少しだけいい気味だとも思った。
帝国暦 485年 6月 1日 オーディン ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ
「拙いことになったみたいだよ、ナイトハルト」
「そうだな、拙いことになったみたいだ」
「妙にこっちの要望が通ると思ったんだ」
「おかしいよな、どうみても」
目の前で男二人が顔を顰めている。一人は私が副官を務めるヴァレンシュタイン少将、もう一人はナイトハルト・ミュラー准将。二人ともまだ若い、少将は二十歳、准将は二十四歳、私より年下だ。
二人とも前回の戦いで大功を上げ二階級昇進した。帝国でもっとも注目を浴びる若い将官、前途有望な将官だ。その二人が顔を顰めている。
「あの、何が拙いのでしょう」
私の言葉に二人は答えなかった。ほんの少し私を見て溜息を吐いた。
「昇進はしたが異動は無しか。私の宇宙艦隊司令部入りの話は消えたらしいよ、ナイトハルト」
「そうか、そう言えばミューゼル少将は国内の哨戒任務に就くことになったな。次の遠征に参加したいと希望を出したが却下されたそうだ」
「グリンメルスハウゼン提督が次の遠征にも参加を希望したという噂が有る」
また二人が溜息を吐いた。
「軍内部では妙な噂が流れている。卿はミュッケンベルガー元帥、エーレンベルク元帥のお気に入りだそうだ。いずれはグリンメルスハウゼン提督の艦隊を卿が引き継ぐそうだ」
「一週間前なら笑い飛ばしたんだけどね、どうやら冗談じゃなくなったらしい」
また二人が溜息を吐いた。これで三度目だ。
「あの、良いお話ではないのですか? 上層部から高く評価されて将来も明るい、次の出兵も決まったのですよね?」
二人は私を見て四度目の溜息を吐いた。視線が痛い、お前は何も分かっていない、そんな視線だ。
「グリンメルスハウゼン艦隊は帝国でもっとも期待されていない艦隊です」
「はあ?」
どういうこと? ヴァンフリートで最大の武勲を上げた艦隊が期待されていない?
「エーリッヒの言うとおりだ。あの艦隊は帝国の問題児、役立たずを集めた艦隊なんだ。まともに戦争なんて出来る艦隊じゃない」
「武勲を上げていますが……」
恐る恐る問い掛けると二人の表情がますます渋くなった。
「運が良かった。運だけじゃないけどとにかく運が良かった」
「卿の力量もあるさ」
「だといいけどね」
「……」
信じられない、何かの間違いだと思いたい。同盟軍はそんな艦隊に敗れたの? でも目の前の二人を見ているととても間違いだとは思えない。
「グリンメルスハウゼン提督は次の出兵への参加を希望したと聞いています。そこまで悲観することはないのではありませんか?」
二人の要求するレベルが高すぎるのだ、そうに違いない。一縷の希望を込めて訊いてみたが返ってきた二人の答えは悲惨としか言いようがなかった。
「提督には軍事的才能は皆無です。だから艦隊の状況をまるで分かっていない」
「……」
「グリンメルスハウゼン提督が先の出兵に参加できたのは提督が皇帝陛下と親密な関係にあったからだ。そうでなければとっくに退役になっている」
“この艦隊の司令官はお飾りでな、それこそお前の言う貴族のお坊ちゃま、いや御爺ちゃまだ”
リューネブルクの言葉だったけどあれは本当だったんだ。帝国って信じられない……。
「時間がないな、艦隊の訓練をしなければ……」
「そうだな、俺はまだ死にたくない」
「私もだ、生き残るために努力しようか」
「ああ」
二人が五回目の溜息を吐いた。どうしよう、私とんでもない所に来てしまったみたい……。
帝国暦 485年 10月 3日 イゼルローン要塞 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
帝国軍は今イゼルローン要塞の会議室で将官会議を開いている。遠征軍約五万隻以上、イゼルローン要塞駐留艦隊も含めれば総勢約七万隻の艦隊を率いる将官が会議室に集まった。もっともその頂点に立つ総司令官ミュッケンベルガー元帥の表情は必ずしも明るくはない。彼にとって状況は不本意なものになりつつある。
「反乱軍はイゼルローン回廊の出口を封鎖したようだ。残念だが叛徒どもの勢力範囲に踏み込んでの艦隊決戦は不可能になったと判断せざるを得ない。思ったより彼らの軍の展開が速かった……」
「訓練などで時間を無駄に費やした艦隊が有りますからな、困ったものです」
ミュッケンベルガーと宇宙艦隊司令部作戦参謀シュターデン少将の会話に皆が俺達グリンメルスハウゼン艦隊の人間を見た。シュターデンは露骨に蔑むような目で俺を見ている。上等だな、シュターデン。訓練の邪魔をしたのはお前だろう、あれが無ければもっと早く訓練を終わらせることができた。大体原作だって要塞攻防戦になるんだ。それを俺達の所為にするか、ケンカ売るなら買ってやるぞ。
「シュターデン少将の仰る通り無駄に時間を費やした艦隊が有るなら問題だと小官も思います、厳重に注意すべきでしょう」
あらあら皆信じられないものを見たような目で俺を見ている。
「シュターデン少将、一体その艦隊は何処の艦隊ですか、指揮官は誰なのか、小官に教えて頂けませんか」
シュターデンが顔を真っ赤にして口籠った。ここでグリンメルスハウゼンの名前は出せないよな。何と言っても老人はフリードリヒ四世のお気に入りだ。心の内でどれだけ軽蔑して罵っても口には出せない。出せるんだったらミュッケンベルガーだって苦労はしないのだ。
爺さんを怒らせれば後々厄介なことになりかねない。皆が気不味そうに視線を逸らした、巻き添えは喰いたくない、そんなところだな。何人かはシュターデンを蔑むように見ている。皇帝の寵臣を愚弄した思慮の足りない愚か者、そんなところだろう。
「両名とも止めよ」
ミュッケンベルガーが不機嫌そうな表情で俺達の諍いを止めた。シュターデンがホッとしたような表情を見せたがミュッケンベルガーに“言葉を慎め”と注意されると顔を蒼白にして“はっ”と答えた。言葉を慎め、意味深だな。
ミュッケンベルガーはシュターデンの発言を否定はしていない、言い過ぎだって事だ。運がいいよな、シュターデン。グリンメルスハウゼンは何も気付いていない、或いは気付いていない振りをしている……。隣に座っているミュラーに視線を向けたが微かに笑みを浮かべていた。しょうがない奴、そう思ったかな。
「反乱軍が回廊の出口を封鎖している以上、こちらとしてはイゼルローン要塞を利用した攻防戦に持ち込むのが最善だろう。おそらくは反乱軍もそれを望んでいるはずだ」
その通りだ、同盟軍はミサイル艇でのイゼルローン要塞攻略を考えている。
「各艦隊は適宜に出撃して反乱軍を挑発、イゼルローン要塞へ誘引せよ」
ミュッケンベルガーの言葉に皆が頷いた。さて、俺達はどうするべきかな、勝手に動くのは怒られそうだが……。多分予備かな。
「グリンメルスハウゼン提督」
「なんですかな、総司令官閣下」
「貴官には自由裁量権を与える。我が軍の勝利に貢献して欲しい、期待している」
会議室がざわめいた。なんだって? 自由裁量権? ミュラーを見た、愕然としている。俺の聞き間違いじゃない!
「自由裁量権! 有難うございます、総司令官閣下、御信頼に必ず応えます!」
喜んでいる場合か! 皆が驚く中ミュッケンベルガーだけは無表情にこちらを見ていた。最初からそのつもりか! 背筋に寒気が走った!
将官会議の終了後、旗艦オストファーレンの参謀長室でミュラーと話をした。ミュラーの顔色は良くない、おそらくは俺も同様だろう。俺達は以前からミュッケンベルガーは自由裁量権をグリンメルスハウゼンに与えるつもりだったのだという推測で一致した。
「自由裁量権か……。一つ間違えば指揮権の分割だな。どう考えても有り得ない話だ。そうだろう、エーリッヒ」
「……」
ミュラーの言う通りだ。どんな指揮官でも指揮権の分割を嫌う、自ら言い出すなど有り得ないしそれを言い出したのがミュッケンベルガーというのも有り得ない。となるとどう受け取るべきか……。
「勝手にやれ、勝とうが負けようが自分は関知しない、そんなところかな?」
「そうだろうね、そう考えるとミューゼル少将が異動になった理由も分かるような気がする。皇帝に縁の深い人間を一挙に二人失うのは将来に差支える、元帥はそう判断したんだと思う」
「なるほど、俺達を失うのは想定内か……」
「そういう事になるね」
これ以上俺達に振り回されるのは御免だというわけだ。ヴァンフリートであれだけの武勲を上げた以上信頼して自由裁量権を与えた。俺達が勝てば問題はない。負けた時は信頼に応えられなかった、そういう形で俺達を葬り去ろうとしている。あくまで責任はグリンメルスハウゼンにある……。
厳しい戦いになるな。味方は何処にもいない、そう考えるべきだ。自由裁量権、こいつをどう使うか……。使い方次第では大きく役に立つが一つ間違うと大きな損害を受けることになる……。諸刃の剣と言って良いだろう、問題は誰が切られるかだ。俺達か、それとも同盟軍か、或いはミュッケンベルガーか、三つ巴の戦いになりそうだ……。
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