銀河英雄伝説~悪夢編
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第二話 余計なことはするんじゃない
帝国暦 485年 10月 10日 オストファーレン エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
「参謀長、出撃しなくとも良いのかのう?」
「……」
「自由裁量権を頂いたのだし多少はそれらしい事をせねば……」
指揮官席に座っているグリンメルスハウゼンが目をしょぼしょぼさせながら問い掛けてきた。
分かってないよな、そんなことをして大負けしたらどうするんだよ。ミュッケンベルガーの思う壺だろう。俺はそんなことをするつもりはない。大体この艦隊の練度だが決して良くない。多少はましになったが艦隊戦は不安だ。兵力差が有るならともかく同数では結構きついだろう。俺だけじゃない、司令部要員は皆そう思っている。
「確かにその通りですが余り勝手を致しますと総司令官閣下も御不快に思われるかもしれません」
「ふうむ、そうかのう」
「いずれ反乱軍は要塞に押し寄せてきます。こちらから敵を求めなくても向こうからやってくるのです。それを待ちましょう」
「ふうむ」
不満なのかと思ったがそれ以上は何も言ってこなかった。ミュラーに視線を向けると彼が微かに頷いた、俺も頷き返す。出来る限りミュッケンベルガーの目の届くところで戦う、それが俺とミュラーの考えた基本方針だ。いくら自由裁量権を与えたからと言って目の前で劣勢にある俺達を見殺しにする事は無いだろう。
もっとも周囲にはそうは言っていない。司令部要員のクーン中佐、バーリンゲン中佐、アンベルク少佐には艦隊戦には不安が有るから単独行動は避けようと言っている。連中も反対はしていない、不安が有るのは事実だし何と言っても俺がミュッケンベルガーのお気に入りだと思っている。
遠征軍内部ではあの自由裁量権はミュッケンベルガーの俺に対する信頼の証と噂されているらしい。将官会議で俺とシュターデンの諍いで叱責されたのはシュターデンだけだった。普通は宇宙艦隊司令部の権威を保つために俺に対しても一言有って良いんだがそれが無かった。お気に入り説は真実となりつつある。そのうち俺まで信じてしまいそうだ。
妙な事は俺達が動かない事に宇宙艦隊司令部が何も言ってこない事だ。普通なら戦意不足とか難癖付けて無理矢理出撃させてもおかしくはないんだがな。積極的にこちらの敗北を望んでいるというわけではないのかもしれない。ただ関わり合いになりたくない、そんなところか……。
気持ちは分からないでもない、俺だってこれ以上グリンメルスハウゼンと関わり合いになりたいとは思わない。誰かこの老人に現役引退を勧告してくれないかと思うのだが後ろにいるのが皇帝だからな、なかなか難しいのだろう。軍上層部に同情はするが現場に皺寄せを押し付けるのは止めて欲しいものだ。
戦況は良くない、要塞付近に誘引するのが目的ではあるが出撃した帝国軍が劣勢に陥るケースが多いのだ。ラインハルトがいない所為だな、その影響がここで出ている。ミュッケンベルガーも頭が痛いだろう、あまりに劣勢だと遠征軍の士気にも関わる。さて、どうなるかな……。
帝国暦 485年 10月 13日 オストファーレン ヘルマン・フォン・リューネブルク
厄介な事になった。シェーンコップが俺を挑発している。強襲揚陸艦で敵艦に接触、乗り込んで占拠すると通信装置で俺を名指しで呼び出すのだ。ヴァレンシュタイン参謀長は気にするなとは言っているが、周りの俺を見る眼は決して好意的なものではない。
今俺はオストファーレンの艦橋に向かっている。宇宙艦隊司令部からオストファーレンに通信が入った。俺を呼べと言っているらしい。多分この件についてだろう。嫌な予感がするが行かざるを得ない。
驚いた事に艦橋のスクリーンにはミュッケンベルガーは映っていなかった。シュターデン少将とオフレッサー上級大将が映っている。二人とも嫌な笑みを浮かべていた。益々嫌な予感がする。そしてグリンメルスハウゼン艦隊司令部の人間も皆が揃っていた。
「ヘルマン・フォン・リューネブルク、参上しました」
『うむ、リューネブルク少将、卿も反乱軍が聞くに堪えぬ悪罵を放って卿を呼び出している事は知っているな』
「はっ」
『聞けば彼らはローゼンリッターと呼ばれる裏切り者どもらしい』
『卿の昔の仲間だな、リューネブルク少将』
嫌な事を言うな、オフレッサー。こいつら二人一体何を話していた? 嫌な予感が益々募った。
『リューネブルク少将、宇宙艦隊司令部は反乱軍との戦いに総力を挙げて対応しようとしている。卿ならずとも、たかだか一少将の身上などにかかわってはおられんのだ。総司令官たる元帥閣下を悩ませるようなことは控えるべきではないかな』
「では小官にどうせよと仰いますか」
シュターデンが嫌な笑みを頬に浮かべチラっとヴァレンシュタインに視線を向けた。なるほど、シュターデンの真の狙いは先日の会議の意趣返しか。俺とヴァレンシュタインが親しいとみているのだ。そしてオフレッサーは俺を危険視している。手を組んでこちらを痛めつけようというわけらしい。
『知れた事だろう。卿自身の不名誉、卿自身の力を以て晴らすべきであろう』
「なるほど……」
俺はこの艦隊の弱点と見られている、これまでか…。
突然クスクスと笑い声が聞こえた。ヴァレンシュタインがいかにも可笑しいといった表情で笑っている。
『何が可笑しい!』
シュターデンが怒声を上げたがヴァレンシュタインは可笑しそうに笑うのを止めようとしない。
「いえ、この程度の挑発でおたおたするとは宇宙艦隊司令部も頼りにならない、そう思ったのですよ」
艦橋が凍りついた。皆が信じられないといった表情でヴァレンシュタインを見ている。
『貴様、愚弄するか!』
「愚弄? 愚弄しているのはそちらでしょう。元帥閣下はこの程度の事で悩むような器の小さな方では有りません。自分の器量で元帥閣下を量るとは……、シュターデン少将、いささか僭越ではありませんか」
上手い言い方だ、正直感嘆した。シュターデンが顔を真っ赤にして口籠っている。
「元帥閣下を悩ませているのは頼りにならない何処かの司令部参謀でしょう。その程度の事も分からないとは……、元帥閣下も嘆いておられるでしょうね、部下に恵まれないと」
『き、貴様……』
シュターデンが怒りでブルブルと震えている。止めを刺された、そんな感じだな。それにしてもヴァレンシュタインは度胸が有る。以前から思っていたがただの秀才参謀ではない。シュターデン、残念だがお前じゃこの男の相手は無理だ。
『しかし、帝国軍の名誉が貶められているのだ。無視はできまい』
唸るような口調でオフレッサーが助け船を出した。シュターデンもようやく態勢を立て直して“そうだ、名誉だ”と続ける。突破口を見つけた、そんな感じだ。
「名誉? 冗談は止めてください。戦争は勝つためにやるものです。負けても名誉が保たれたなどというのは馬鹿な参謀の言い訳ですよ。歴戦の勇士であるオフレッサー閣下ならこの程度の事はお分かりでしょう。小官をからかっているのですか?」
ヴァレンシュタインが呆れた様に言うと今度はオフレッサーが言葉に詰まった。馬鹿な参謀と当て擦られたシュターデンはまた顔を真っ赤にしている。
「グリンメルスハウゼン提督」
「何かな、参謀長」
「宇宙艦隊司令部は少々困っているようです。我々の手でそれを解消して差し上げたいと思いますが提督は如何お考えでしょう?」
オフレッサーとシュターデンの表情が強張った。何時の間にか立場が逆転していた。これでは二人がグリンメルスハウゼン艦隊に何とかしてくれと泣き付いた事になっている。前代未聞の珍事だ、俺だけじゃない、皆が目を丸くして見ている。
「そうじゃのう、味方が苦しんでいるときは助けるのが当然の事じゃ」
本心からか、それとも皮肉か、多分本心だろうな。だがスクリーンの二人には何ともきつい皮肉にしか聞こえまい。
「分かりました、ではこれから出撃します」
「うむ」
提督とヴァレンシュタインの遣り取りに艦橋の空気が緊張した。
「オフレッサー閣下、シュターデン少将、グリンメルスハウゼン艦隊はこれより出撃します。これは貸しですよ、いずれ返して頂きます。お二方は元帥閣下に事の経緯をきちんと説明してください」
『……』
二人とも苦虫を潰したような表情だ。それを見てヴァレンシュタインがにっこりと笑みを浮かべた。また何か考え付いたな。
「戻り次第小官から元帥閣下に報告を致します。その際、お二方が自由裁量権を得た艦隊の士官に対して押し付けがましく指示に従うように強要してきた等と言いたくなるようなことが無いようにお願いしますよ」
『……』
オフレッサーとシュターデンの顔が引き攣った。つまり頭を下げて頼んだと説明しろという事だ。それ以外は認めないと言っている。当然だがミュッケンベルガーはグリンメルスハウゼンに感謝する事になるだろう。屈辱以外の何物でもないはずだ。
「元帥閣下は総司令官の権威を冒すような行為をした人間を不愉快に思われるはずです。お分かりですね」
『……』
駄目押しだな、ぐうの音も出ない。
これで二人に残っているのはミュッケンベルガーの権威を踏み躙るような行為をしたとして叱責されるか、ミュッケンベルガーのためを思って余計な事をしたとして叱責されるかだ。どちらを選ぶかは彼らの自由だが大体想像はつく。
通信はこちらから切った。本来なら上級者である向こうから切るのが礼儀だが何も言って来なかった。二人にはミュッケンベルガーからの厳しい叱責が待っている。おそらくはその事で頭が一杯だったのだろう。今頃二人の間で責任の擦り合いでもしているかもしれない。
「参謀長に助けられましたな、礼を言います」
「余り気にされることは有りませんよ」
危うい所だった、この男がいなければ俺は死地に追いやられていただろう。俺の謝意に対してヴァレンシュタインは柔らかく笑っている。そうしていると穏やかな若者にしか見えない。
「しかし大丈夫ですか、あの連中を止める手段が有りますかな。探すのも容易ではないと思いますが……」
探し続ければ反乱軍との遭遇も頻繁になる。場合によっては奥深く入り込まないとならないだろう。艦隊戦に自信のないこの艦隊には危険が大きいはずだ。
「策は有ります。ただリューネブルク少将の協力が必要です」
「それは当然の事ですが、一体何を?」
ヴァレンシュタインがにっこりと笑みを浮かべた。いかん、どうやら碌でもないことのようだ、寒気がしてきた……。
帝国暦 485年 10月 15日 オストファーレン ナイトハルト・ミュラー
グリンメルスハウゼン艦隊は三千隻程の反乱軍と遭遇、これを撃破しつつある。艦隊戦に自信がないとはいえ、戦力にこれだけの差が有れば勝つのは難しいことではない。艦橋の中央にリューネブルク少将が立った。そろそろあれが始まるか……。
「自由惑星同盟軍の兵士諸君。小官はヘルマン・フォン・リューネブルク帝国軍少将、かつてはローゼンリッター第十一代連隊長を務めた男だ。これから話すことをローゼンリッター第十三代連隊長、ワルター・フォン・シェーンコップ大佐に伝えてもらいたい」
反乱軍は驚いているだろうな。いや、ある程度は予測しているか。これで三度目だからな。
「悪いことは言わない、帝国に亡命しろ。ローゼンリッターは上層部から疎まれている。そのことは誰よりも俺が理解している。同盟では貴様は所詮連隊長止まりだ、それ以上の出世は難しいだろう。だが帝国なら武勲を上げれば正当に評価してもらえる。俺を見れば分かるだろう、少将閣下だ。貴様なら中将、いや大将も可能だ」
「貴様だけではないぞ、シェーンコップ。なんなら連隊ごと亡命しても良い、帝国軍は喜んで受け入れてくれるはずだ。別に同盟軍の作戦などを手土産にする事は無い、身一つで亡命しろ。帝国軍はヴァンフリートで善戦したお前達を高く評価しているのだ」
「良く考えろ、シェーンコップ。貴様だけの問題ではない、ローゼンリッター連隊隊員すべて、いや亡命者全体の問題でもあるのだ。俺は貴様と肩を並べて戦える日が来ることを望んでいる。待っているぞ」
流石に三度目ともなると上手いものだ。なかなか情感が籠っていた。
まあこれで反乱軍は連中を前線に出すのは躊躇うだろうな。リューネブルク少将の話ではローゼンリッターは必ずしも良い待遇を受けていないらしい。本人達が前線に出たがっても上層部は逆亡命を恐れて許さないはずだ。
しかし何ともえげつない手だな。オフレッサー、シュターデンを手玉に取った事といい司令部内では皆がエーリッヒを畏れている。おそらくは宇宙艦隊司令部でも同様だろう。まあウチは今微妙な立場にあるからな、侮られるよりはましな筈だ。
さて、この後はイゼルローン要塞に帰還か。ミュッケンベルガー元帥は今頃何を考えているかな。シュターデンの更迭か、それとも俺達が全滅してくれればとでも思っているか……。
あの二人、元帥にどう説明したのだろう……。自業自得ではあるが多少は気の毒だな。まあこれであの二人も理解しただろう。エーリッヒに喧嘩を売る事は止める事だ、碌なことにならないからな。
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