まぶらほ ~ガスマスクの男~
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第四話
前書き
お待たせしました。
朝食は自室ではなく、先日老人と対面した一室で取ることになった。
部屋の中には長テーブルを挟む形で老人が対面しており、その背後には見知らぬメイドさんが三人控えている。対して俺の背後にはリーラとエレン、エーファさんが控えていた。
昨日と違う点は壁際にメイドさんたちの姿がないことか。
「こちらが本日のご朝食です」
テーブルには既に食事の用意が済まされており、パンの香ばしい匂いが漂っている。パンを中心とした欧米風の朝食だ。ジャムではなくマーガリンを塗って食べるらしい。
ここでも甲斐甲斐しく給仕をしようとするリーラに丁重にお断りを入れると、エレンが笑いを噛み殺している姿があった。エーファは相変わらず目を泳がせてオロオロしている。
つつがなく食事を頂き、食後のお茶を楽しむ。今朝はクラシックブレンド。苦みと渋みのバランスが絶妙だ。
「ゆっくりできたかね?」
「ええ、お陰様で。快適な寝心地でした。……ところで昨夜は随分と騒がしかったですが」
「ふむ、やはり戦闘は分かったかね」
「まあ、あれだけ派手にやれば余程の難聴でもない限り分かりますよ。大掛かりな対応をしていたとなると、ここにはあなたたち以外にも誰か居ますね? それも団体様で」
「そこまで分かるか、流石だな。察しの通り、この島には我々以外にも在住している。残念ながらな」
老人はテーブルに両肘を乗せると組んだ手で口元を隠した。その只ならない雰囲気に気を引き締める。
「MMMのメイドたちは末端に至るまで戦闘技能を習得して日々戦闘訓練をしている。我々からしてみれば常識の範疇だが、式森君からしてみれば奇異に映るかもしれん」
「ええまあ、少しばかり驚きましたね」
実際は少しばかりというものではないが、どちらかと言えば驚愕したというより面食らっただな。
俺の知っているメイドは主の身の回りの世話をしたり、家の管理を任される者たち全般を指す。曲がり間違っても銃器なんて手にしないし、どこぞの歴戦の兵士のような風格を漂わせたり、身のこなしに隙が無かったりもしない。
聞くところによるとMMMは世界規模の組織らしい。すべてのメイドがそうとは限らないが、少なくともMMMに属するメイドは『戦うメイドさん』と考えた方がいいかもしれない。
「これらの訓練は当然意味がある。実際君も昨夜耳にしただろう。これら不断の準備が突発的な事態に陥っても臨機応変に応対できるのだ」
「はぁ……しかし、一体どこと戦っているんです?」
「気になるかね? そうだな……君には知っていてもらわなければならん」
……なんですと
なにやら不遜な一言が飛び出てきました。雲行きが怪しいです。
「奴らは時には密かに、時には大胆不敵に公然と我々――いや、メイドたちに攻撃を仕掛けてきた。当然、MMMも戦い幾度の勝利を収めてきた。が、奴らを幾度撃退しても、息の根を止めるには至らなかった。それどころか勢力を拡大してきている」
老人の強張った手が微かに震えていた。それは怒りからくるものか、はたまた恐怖から来るものなのか、その心中は計り知れない。
「奴らは我らMMMの敵、宿敵とも呼べる存在だ。その行いは情け容赦なく、残酷無比。まさに血も涙もない鬼のようなテロリスト……。世界中に拠点を持つ世界有数の凶悪集団だ」
ふむ、世界規模のテロリストとなると【アルバ】や【バーレン団】、【紅蓮の夜】辺りが浮かぶが。
老人の握りしめた手がかすかに震えていた。それは憤怒から来るものか、恐怖から来るものか……。
「MMM本部に提出された報告書では奴らのことをこう書かれていた。『妥協の余地のないテロリスト集団』。――わかるかね、この言葉の意味が。奴らは時には影のように密かに、時には公然と戦争を仕掛けてきたのだ。もちろん我々も応戦した。果敢に戦い幾多の勝利を収めてきた。しかし、やつらの息の根を止めるには至らなんだ。それどころか、より一層勢力を拡大してきている」
広い室内を重々しい空気が支配した。リーラたちもそのテロリスト集団と戦ったことがあるのか、皆難しい顔をしている。
「当然ワシも戦った。ある時は勝ちある時は負け、決着はまだついていない。この島に移り住んでからは交戦する機会が減ってきてはいるが、それでも奴らは近くに潜んでいるのだ」
「その奴らというのは?」
老人は口の中で何度も言葉を転がし、重々しくその名前を口にする。
「……パジャマ」
「は?」
「パジャマ至上主義、マーキュリーブリゲードだ」
「……」
なにを言ってるのだろうか、この老人は。認知症?
悪逆非道のテロリスト集団が、パジャマ?
念のため後ろを振り返り視線で――マスクがあるから見えないだろうけど――確認を取ると、お三方は頷かれた。えー、なにそれー……。
「君たちの国では【水銀旅団】と呼ぶ。この世界では有名なテロ組織だ」
「それは、なんとまあ……」
水銀旅団、聞いたことないよなぁ。
「我らMMMが結成されたのに触発され世界各地でコスチューム愛好団体が作られた。ナイチンゲールで有名なコスチューム【ナース愛好団体】。アメリカで根強い人気を誇る【】。つい最近イギリス女王から叙勲を受けた【小悪魔親衛隊】。このようにコスチュームをこよなく愛する組織は数多く存在する」
言葉もないとはまさにこのことか。
なんとも言い知れない脱力感が全身を支配し、いっそこのままテーブルに突っ伏したい思いに駆られた。
「水銀旅団は国際コスチューム会議に出席せず他との連絡を絶っている唯一の組織だ。彼らは歪んだ民族思想を抱いており、パジャマ以外のコスチュームを一切認めないと公言している。彼らは『メイドに死を! すべてのメイドに神罰をっ!』のスローガンを元に、六十年ほど前、捉えたメイドの耳に水銀を流し込むという拷問をかけた。これが水銀旅団の由来なのだよ」
「水銀を耳に……」
「まさに悪魔の所業だ。わかるかね、奴らを宿敵と呼ぶ理由が。彼の者たちを駆逐しない限りメイドたちに安寧が訪れないのだ」
「なるほど」
話半分で聞くわけには――いかないんだろうなぁ。遠い星での出来事のように思えるよ。
もはや相槌を打つことしかできなかった。
「それで、ここ数日交戦している相手はその水銀旅団?」
「うむ。リーラからの報告によると墜落した君を捜索する際に彼奴らの先遣隊と交戦したようだ」
「ああ、あの……」
ようらく状況が呑み込めてきた。あの時にリーラと銃器を所持していた女の子と遭遇したのはそういった理由だったのか。
となると、リーラが追っていたあの二人が水銀旅団かな?
「機密事項がどこからか漏れたらしい。この先、奴らの攻撃は一層激しさを増すだろう」
「どこも情報漏洩の予防はなかなか難しい課題ですねぇ」
なにかと電子化されている昨今、オンライン上の情報は漏洩される危険性がある。そのため、俺は仕事で扱うデータはすべて紙面化した上で消去している。
水銀旅団とやらがそのデータを掴んだことで攻撃を強めるということは、余程彼らにとって不都合な情報が載っていたのだろう。
「奴らは、もうすぐこの島で誓約日が訪れることを知ったのだ」
「――って、いいんですか? 俺に喋って」
「構わん。むしろ、君には知ってもらわねば困る」
「はぁ」
また意味深な……。なにを考えてるのやら。
「メイドたちは一年に一回、誓約によって主人に忠誠を誓うことになっている。一般社会における年次契約のようなものだが、MMMでは古来より行われてきた伝統儀式なのだ。その儀式が近々、この島で行われる」
「ふむふむ」
「本来なら当然儂と誓約を交わすのだが、見ての通り儂も年だ。そのためこのメイドたちを託せる後継者を常々探していたのだ」
「ほうほう」
なんだか嫌な予感がしてきたぞ?
「しかし、適任者がおらずこの島でのメイド歴史に終止符が打たれるかと悲観しておった。だがつい数日前、日本支部から興味深い調査書が届けられたのだ」
「おいおい、まさか……」
嫌な予感が確信へと変わる。頬が自然と引き攣った。
「日本の東京にある高校に通う男子生徒についてだった。この調査書によると、数人の女に囲まれた生活を送っているとのことだ。女好きの快楽主義者かと思えばこの女たちと関わってからはロクな目に遭っておらず、場合によっては命の危険にまでもさらされている。それでいながら社会生活を全うしているというではないか。この人物こそが、儂が探し求めていた後継者だと思った。そして、こうして対面してその思いは確信に変わった」
「それって、もしかしなくても――」
「そう、式森一樹君。君のことだ」
気が遠くなる思いだった。
MMMっていうわけのわからん組織の後継者? このメイドを引き取る? 若い身空でご主人様かよ……。
ちょっとだけいいかもと思ったのは高校生男児として間違っていない、と思う。まあこの場合話は違ってくるが。
「いやいやいや……ちょっと待って、待ってくれ。確かにあなたの言うことには心当たりがあるし、俺でも社会生活は送れていると思う。だけど、その確信に変わったっていうのはなんだ? なにを以て確信に変わったんだ? ただのガスマスクをつけた高校生だぞ俺は」
頭を振った俺は率直な疑問を述べた。
この老人は――MMMとやらは多少なりとも俺のことを調べてあるのだろう。しかし、そんな紙面化された情報からいったい何を探れるというのだろうか。
ただのガスマスクをつけた変人高校生にいったい何を見出したというのだろうか。
「うむ、君の疑問はもっともだ。しかし、数多の人間を見てきたこの儂を見くびってもらっては困る。これでも人を見る目はあるつもりだ。確かにマスクをつけてはいるが、それには何らかの理由があるのだと思うし、なによりその身に纏うオーラ。それだけでも君が一介の高校生ではないと雄弁に物語っているのだよ」
老人の言葉に室内にいるメイドたちが一斉に頷いた。えー、俺ってそんなオーラ出てますか?
「メイドの主になるにはその人格はさることながら、何事にも動じない胆力と、どんな困難にも立ち向かっていく強靭な意志が求められる。こうして会話しているだけでもその飄々とした言葉の端から常に思考を働かせているのが窺える。その冷静な判断力と言葉の裏を読み取ろうとする姿勢もメイドの主に求められる資質だ。君は十分にこれらの条件に合致している」
「いやぁ、たまたまじゃないですかねぇ。というか、その主とやらになることで俺にどんなメリットがあるんです?」
寧ろ人見知りの俺からすればデメリットしかないような気がするんだけど。百人以上のメイドさんに払うお金は――あるけど、メイドさんは入り用じゃないしなぁ。
老人はくわっと目を見開いた。
「メリット? そんなの一目瞭然ではないか! こんな美人のメイドにご主人様と呼ばれかしずかれるのだぞ? これほど男児にとって魅力的な話はないだろう!」
「……」
もうなにも突っ込まない、突っ込まないぞ。
老人は嬉々とした表情で言葉を続けた。
「幸い彼女たちと君の歳は近い。良き侍女として終生仕えてくれるだろう。メイドたちの新たな主になってくれたまえ」
これはいかにも裏がありそうな話だ。どこぞの馬とも知れない男――それもただの高校生にメイドを託そうというのだから。
この島の環境を見れば金銭的に余裕があるのは想像するに難くない。となれば、金が絡んだ話ではないだろう。
では、なにか利権的な問題かと言えばそれも否。実情はともかく表はただの高校生で通している。そんな俺が抱えている権利なぞなにもない。
思考が高速回転し考えられる限りの解答を浮かべては消去する。どれもありえそうでいて、しかし現実味のない話だ。
――俺の本質を知ったか?
いや、それはありえない。俺の本質を知っているのは高城家の人たちだけのはずだ。まだ誰にも見られてもいないから露見された疑いもない。
マスクのレンズ越しに老人の目を見る。
――なんて澄んだ瞳をしてるんだ……。まるで語ったことに絶対の信頼を寄せているかのようじゃないか。
老人の目を見る限り、彼が嘘偽りを述べた語った感じはしない。となると、本気で俺を主にふさわしいと思ってのことなのか……?
「どうかね?」
「……正直、まったく心が動かされなかったかと言えば嘘になる」
「おお! では――」
「だけど」
喜び勇む老人に待ったを掛け、言葉を続けた。
「すぐに頷けない話なのも事実。その誓約日というのはいつなんですか?」
「二日後だ」
紅茶で喉を潤していた俺は思わず茶色い液体を吹いた。
「二日!? 明後日ってもうすぐじゃん!」
「情報漏洩を最小にするため今日までひた隠しにしてきた。この誓約だけはなんとしても遂行せねばならん」
老人が断言するとリーラたちも頷いた。
「では、さっそく誓いの準備に入ろう。すべてのメイドたちを集め、新たな主人のことを伝えておくのだ。式森君は身を清め、誓約の言葉を考えておきたまえ。そうすれば、晴れて君もご主人様だ」
とんでもないことをすでに決定事項のように告げる老人。頭を抱えたい気分だったが、額を押えるに留めた。
「……少し考えさせて」
「ふむ……、まあいきなりこんなことを言われて混乱するのも当然だな。誓約の日まで気持ちを固めておきなさい」
誓約とやらまであと二日。
どうなるんだろ、俺の休暇は……。
後書き
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