トリスタンとイゾルデ
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第三幕その三
第三幕その三
「今船が来ている。コーンウォールの方からだ」
「まさか」
「嘘ではない。旗がマストにひらめいていく」
こう話す。
「船が。今ここに来る」
「笛の音は」
なかった。それはなかった。クルヴェナールはそれを確かめて落胆した。そしてそれはトリスタンも同じだった。彼も沈んだ顔になってしまっていた。
「昔馴染みの悲しい調べ」
トリスタンは笛の音に対して言った。
「私は父も母も知らない。私が生まれる前、生まれてすぐに世を去った」
それが彼のはじまりだった。
「夕風に暁にあの笛は聴いてきた。父と母のことを想う度に」
「はい、いつもあの笛の音が」
聴こえていたのだった。彼には。
「あの声は父や母の心にも伝わっていたのか。そして私にも問い掛けていた。私はどの様な運命に定められ生まれたのか。そして私の運命は」
そのことを今言葉に出していた。
「夜の世界にいる我々は死に憧れその休息を求める。あの男と闘い傷を負った時にも聴いたあの声はやはり死への憧れの誘いの声だったのか」
今そう考えていた。
「私は生きていたが昼の世界にいた。私は死という休息を望んだが昼の中に戻った。光の中に休息はなく私を苦しめるだけのものでしかない」
ここでも光を拒むのだった。
「この灼熱のもたらす憔悴を癒せるのは何か。この苦しみは私が作ったものなのか」
「それは」
「父の苦悩と母の陣痛を与えた私が。愛の涙から、笑いや泣き声、歓喜や痛苦からこの苦しみを見出したのか。その私には呪いこそあれど救いはないのか。夜の救済は」
ここまで言ってそのまま沈もうとする。だがその彼に対してクルヴェナールはまた言うのだった。
「イゾルデ様が」
「イゾルデが?」
「あの方がおられます。ですから」
「夜が来ないと思うなと」
「そうです」
彼が言いたいのはそういうことだった。
「ですから」
「では船は」
クルヴェナールの言葉に応えるようにして問うてきた。
「来るのか?」
「今日のうちには」
あえて主を元気づけるようにしての言葉だった。
「来られます。必ず」
「来るのか」
「間も無くです」
また彼に告げた。
「ですから。それは」
「イゾルデ」
その名を口にする。
「あの気高く優しい姿が。柔らかい波の快い花に乗って」
「来られるのです」
「夜の慰めと憩い、そして微笑を私に送り」
さらにいう。
「私に最後の力を与えてくれる。クルヴェナール」
「はい」
「見に行ってくれ」
こう彼に告げた。
「イゾルデの船が何時来てもいいように」
「はい、それでは」
こう話をした時だった。ここであの牧童の笛の声が聴こえてきたのだった。
「この笛の音は」
「間違いない」
クルヴェナールもトリスタンもそれぞれ言った。見るともう海に船が見えている。
「来られました」
「来たのだ」
またそれぞれ言う。
「あの方が」
「イゾルデが」
トリスタンは今にも起き上がらんばかりになった。そのうえでまたクルヴェナールに言うのだ。
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