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ヴァレンタインから一週間

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第27話 龍の巫女

 
前書き
 第27話を更新します。

 次の更新は、
 8月27日 『蒼き夢の果てに』第70話。
 タイトルは、『王の墓所』です。

 その次の更新は、
 9月1日  『ヴァレンタインから一週間』』第28話。
 タイトルは、『誓約』です。
 

 
「――起きて」

 …………何処か、向こう側の世界から、無機質な口調で話し掛けられる俺。
 ただ、声音や抑揚などに表現される事のない何処か深い部分に、何かとても優しい物が含まれている。
 そのような雰囲気の彼女の声。

 これは、長門有希の暮らす世界にやって来てからの、朝の日課のような物。
 但し、逆に言うと、今晩の羅睺(ラゴウ)星との戦いの後に元々住んで居る世界への帰還が出来るように成る可能性が高いですから……。

 今朝が最後の可能性も有りますか。

「朝」

 そして、浅い眠りとも、覚醒とも付かない曖昧な状態の中で続けられる毎朝の日課のような言葉。

 ただ……。
 ただ、本当に、毎朝、誰かに起こされる生活と言うのも悪くはない。
 微睡の中、何時ものように腕の中に有る布団を少し強く抱きしめる俺。

 そう。起きなければならない事は判って居ても、簡単に目が覚める事など出来る訳がない。

「早く起きて」

 妙にくぐもった声で、そう話し掛けて来る有希。

 しかし、何故か今朝に限っては、このやり取りに多少の違和感が存在した。
 確かに、寝起きですからそんなに鋭敏な感覚を持って居る訳でも有りませんし、その上、今の俺の状態は、病み上がりの状態。昨夜、眠りに落ちた時の状態から考えると完調と言う訳ではないのですが。

 それでも……。

 先ず違和感の第一点。有希の声が妙に近い位置から聞こえて来る事。
 更に第二点。この鼻腔を満たす香りは、彼女の…………。
 そして最後の第三点は、普段の朝ならば、声を掛けて来るのと同時に、ゆっくりと揺り起こされるはずなのですが……。

 まして、それ以外にも……。

 自らの腕の中に存在する温かく、そして、それなりの大きさを持つ物体の感触を確かめる俺。
 適度に湿り気が有り、抱きしめた感触が妙に腕に馴染みが有る物体。
 少し強く抱きしめると、その物体から俺の良く知って居る少女と同じシャンプーや石鹸の香りが漂って来る。

 普段の朝ならば、これは被っていた布団。偶に寝相が悪かった。寝苦しかった朝などは、枕……なのですが。

 そう考えながら、ゆっくりと、その温かな、そして柔らかい物体をまさぐる俺。
 ………………。
 …………。

 ――――って、そんなモンの正体など、判り切っている!

 もう少し眠って居たいと文句を言い続ける瞳と、呆けた頭を無理矢理に覚醒状態に持って行く。
 その俺の瞳を、やや上目使いに見つめる彼女の瞳。その距離は、おおよそ二十センチメートル程度。
 但し、未だ発育途上のその少女の身体は、俺の左腕に抱き寄せられて距離はゼロ。

「おはよう」

 普段と何も変わらない落ち着いた雰囲気で、そう朝の挨拶を口にする有希。もっとも、俺の右腕を枕代わりにして、俺の肩の直ぐ傍からの言葉。

 つまり、現在の状況は、狭い布団の中で俺の瞳を彼女の瞳が支配し、右腕の動きは彼女の頭が押さえ付けている状態。
 但し、その彼女の動き自体を、彼女を抱き寄せた俺の左腕が阻害する。

「若干の血圧の上昇。及び体温、心拍数の増加がみられる」

 お互いの吐息の掛かる距離。更に、彼女の鼓動を直に肌で感じられる距離からの言葉。
 そして、

「しかし、誤差の範囲内」

 僅かに首肯いた後に、そう口にする有希。その時に初めて、右腕に乗せられた彼女の頭部を感じた。この事実から推測すると、詳しい理屈は判りませんが、何らかの方法で彼女自身が俺の腕に重さを伝えないようにして居るのでしょう。
 但し、この状況下ではいくら低血圧の俺でも、少々血圧が上昇したとしても仕方がないとは思うのですが。

 確かに、俺自身は出来るだけ平静を保てるように訓練や修行を行っては居ます。しかし、流石にこの異常な状況下では……。

「え~と、な、有希。少し疑問が有るんやけど聞いても良いかな?」

 若干の血圧やその他の上昇が有るらしいのですが、それでも、意外に冷静な心理状態で有希に問い掛ける俺。
 まして、慌てて跳ね起きるのも何かが違うような気もしますし……。
 それに寝間着に関しては、お互いにちゃんと着て居るような感触を肌に伝えて来ていますから大きな問題はないように思います。……と言う事は、俺だけが泡を食って狼狽えるのでは、何か人間としての格や度量の差を見せるようで少し癪ですし。

 俺と視線を合わせるように見つめた後、有希は微かに首肯く。
 それならば、

「この状況下で、有希は何故そんなに冷静なのか、最初に其処の部分を教えて貰えるかな?」

 更に言うと、何故、俺の両腕が彼女の感触に慣れているのか、と言う重要な問題に関しても同時に教えて貰えたら、非常に有り難いのですが。
 出来る事なら、俺の方から問い掛ける前に。

 確かに、昨夜眠りに就いた時の状況を思い出すと、彼女が俺と同じ寝具の上で就寝していたとしても不思議では有りません。
 そして、この目覚めた時の状況は、同じ寝具の上に眠っていた彼女を寝ぼけた俺が抱き寄せた。この辺りが無難な予想でしょう。

 しかし、状況的に見て不思議ではないとは言っても、この状態がさも当然と言う雰囲気で俺を見つめ返している彼女の雰囲気が不思議ではない事への説明には成り得ませんから。

「あなたは眠りに就くと手近な物を抱き寄せる癖が有る」

 有希が半ば予想通りの答えを返して来る。俺の右腕の上に自らの頭を置いた状態。更に、お互いの吐息が届く距離で。
 この状況下に置いて彼女の発して居る気は、どう考えても幸福感。彼女に取って、この状況は幸福な感覚に包まれる状況だと言う事なのですか?

 そうして、更に発生した俺の疑問を他所に、有希が言葉を続ける。
 抑揚のない彼女独特の口調、更に表情も普段の彼女が浮かべる透明な表情のまま。

「確かに最初の夜は驚いた。
 しかし、あなたに抱き寄せられて、あなたの鼓動を近くに感じた時に不思議な感覚を覚えた」

 但し、同時に彼女が発して居る気は陽の気。ここまで、幸福感に包まれた状態の彼女を感じた事は今までには有りませんでした。

 それに……。
 確かに、心臓の鼓動は人を落ち着かせる効果は有ります。
 更に彼女の言うように、俺には寝ている最中に手近な物に抱き着く癖は確かに存在して居ます。
 夜、寝る前には確かに被っていた布団が、翌朝には自らの腕の中に存在していた、などと言う事は日常茶飯事。大して珍しい出来事では有りませんから。

 ……と、言う事はつまり、

「俺は、毎晩のように有希を抱き枕代わりにして寝ていたと言う事なのか?」

 恐る恐る問い掛けた俺の言葉に対して、小さく首を上下に動かして肯定する有希。
 つまり、この答えの意味するトコロは、

「俺は、俺の式神たちの目の前で、毎晩のように有希を抱きしめて寝ていたと言う事ですか……」

 思わず天井を見つめて、嘆息するようにそう呟く俺。
 何故ならば、これは、式神使いとしての威厳もクソも無くなって仕舞ったと言う事ですから。
 元々、お互いの友誼の元に交わされている俺の式神契約はそれ程拘束力の強い物では有りませんし、俺自身の人間としての成熟度が低い為に初めから式神たちから尊敬されている訳では有りませんが……。
 それにしたって、ある程度の威厳……と言うか、説得力と言う物は必要だと思うのですが。

 俺はそう考えながら、再び、その視線を天井から、自らの腕の中に居る少女へと移した。
 何故、行き成り黙り込んで彼女の事を見つめ出したのか判らないのか、少しの疑問符を浮かべながらも、頑ななまでに現在の体勢を変えようとしない彼女が、少しマヌケな顔で彼女を見つめる俺の顔をその澄んだ瞳に映し出した。

 人工生命体で有る以上、かなり整った顔立ちで有るのは当然。そして、就寝時で有る事から、現在、彼女の容貌を語る上での重要なパーツを装備していないので、視線も、そしてその表情も普段以上に柔らかく感じる。しかし、それでも尚、整い過ぎた容貌。体型に関して言うのなら、発展途上の少女を模した存在で有る点を差し引いたとしても、やや女性らしい体型とは言い難いけど、ある程度の未来は予感させる身体。
 結論。現時点でも、彼女は非常に魅力的な少女で有る事は間違いない。
 そんな相手を、毎晩のように抱き寄せて、その挙句、不埒な行いに及ぶと言うのなら男性としては何となく納得出来るような気もするのですが、抱き寄せて、その温かさや心地良さに安心してぐっすり眠るって……。

 俺は幼稚園児ですか。
 それだけ、一人で眠るのは寂しくて、心細かったと言う事なんですかね?

 この世界にやって来てからの俺は……。

【何を朝からごちゃごちゃと細かい事を言っているのです】

 突然、くそ生意気な少女の【声】が心の中に響いた。
 この声は俺の式神。ソロモン七十二魔将第七十席。魔将ダンダリオンの声に間違い有りません。

【彼女には、シノブの体調を整える為に同期(シンクロ)して貰っていたのですから、これで良いのです】

 クソ生意気な少女の【声】で、そう伝えて来るダンダリオン。
 そう。魔将ダンダリオン。その職能はあらゆる学芸を教授すること。更に遠く離れた場所に居る人間の姿を鏡……ダンダリオンの鏡に映し出す能力も持つ存在。
 つまり、声の雰囲気からは判り辛いのですが、このクソ生意気な少女は智慧の女神さまと言う事に成ります。

 ただ……。

「ダンダリオン。その同期と言うのは一体、何の事なんや?」

 どうも、不吉な予感しかしない内容を聞き返す俺。
 まして、その前の部分。体調を整える為に、と言う部分がどうにも気に成るのですが。

【シノブがヘタレでムカデなんかに負けたから問題が有るのです。その癖、無茶な事を言い出すのは判って居たから彼女にシノブと完全に同期をして、オマエの霊道を活性化して貰って居たのです】

 霊道の活性化。完全な同期。
 同期と言うのは、基本的には意識を完全に同調させる行為の事を指すのですが……。但し、俺が眠って居る間に意識を同調させる事はおそらく不可能。
 ならば、其処に至るまでの前段階。

「呼吸を合わせて、鼓動も合わせたと言う事か」

 どちらに問い掛けたのか判らない質問に対して、
 有希の方は、相変わらず俺の腕の中からやや上目使いに俺を見つめた後に、微かに首を上下させ肯定を示し、

【肯定。鈍いシノブでも、偶には真面な答えを返す事が出来たと言う事ですか】

 相変わらず口が悪く、更に一言多い黒い少女神の【声】が聞こえて来る。

 しかし……。

「成るほど、俺がムカデの毒に倒れてから、ずっとそうやって、俺の霊道を活性化させる事で回復を早めてくれていたのか」

 伝承に伝えられて居る化けムカデと龍の関係は、一方的にムカデの方が龍を捕食する関係で、龍がムカデを退治したと言う話は聞いた事が有りません。
 それぐらい、龍に取ってムカデの毒と言うのは危険な存在だと言う事です。

 その毒を全身に浴びた俺が、逆に言うとたった三日程度で回復した事の方が不自然だったと言う事ですから。
 生命を繋ぎ留めるのは確かに蘇生魔法が存在するから可能でしょうが、体調……。特に、霊道を穢されたなら、その場所の穢れを取り去るにはどれぐらいの時間が掛かるのか、実際、知って居る範囲内で残されている資料や伝承などでは判りません。

 例えば、本当の龍神には寿命と言うべきものは存在しないのですが、人と関わる事によって、多くの龍は死すべき定めと言う物を与えられます。
 これは、有る面から言うと大自然の力の象徴で有る龍が、人と関わる事に因って人の業や穢れに侵されると言う事でも有り、その事に因って穢れを取り去る事が出来なく成り、自らが生きるのに必要な霊気を生成出来なくなると言う事ですから。

 つまり、それぐらいに龍とは神聖な存在で有り、穢れに弱い存在で有ると言う事でも有ります。
 穢れとは、気枯れるにも通じる、神格を持つ存在からは最も忌み嫌われる状態ですから。

 相変わらず俺の腕の中に居る少女の整い過ぎた容貌を見つめる俺。
 瞳のみで首肯く有希。ただ、矢張りこの体勢を変える心算がないのか、起き上がろうとする雰囲気を感じる事はない。

 それならば仕方が有りませんかね。

 そう考え、右腕に彼女の頭を置いたままで、左腕で彼女の身体を抱え、起き上がる俺。
 その瞬間、彼女の柔らかい身体に自らの身体のより多くの部分が触れた事により、俺の鼓動が更に大きく成り、逆に二人の距離が完全にゼロ距離と成った事で、更に強く香るように成った彼女の香りが、少し俺の精神を落ち着かせた。
 成るほど。どうやら、毎晩のように寝ている間に彼女を抱き寄せていたのは事実だと言う事らしい。

 起きて居る間の記憶には存在して居ませんが、それでも、腕や身体が彼女の形を覚えて居り、
 更に、嗅覚が彼女の香りを覚えて居ますから。

 その上……。
 その上、身体を動かした瞬間にも昨夜、目覚めた時に感じた強張りのような、違和感のようなモノを覚える事はなかったので、ダンダリオンの言うように俺の霊道の穢れが昨夜よりも更に浄化されたのは間違いないのでしょう。

 羽根のように、……と言うのは言い過ぎですが、見た目通り軽い有希の身体を、割れ物を扱うような優しい扱いで抱き上げ、起き上がってから自らの目の前に座らせる。
 そして、

「どうやら、色々と気を使わせたようやな。
 ありがとう」

 流石にゼロ距離では無くなりましたが、それでも膝と膝が触れ合う距離で有る事は間違いない場所に座る少女の瞳を見つめてから、俺はそう言った。
 少しの空白。何故か、やや迷ったような気配を発した後に、それでも微かに首肯いて答えてくれる有希。
 この迷いの時間は、もしかすると彼女は、俺を回復させなかった方が、俺が死地に赴く可能性が低かったのかも知れないと、この時に考えたのかも知れません。

 しかし、それでも、それは今考えた結果論。結局、彼女は、俺が倒れた段階では俺の治療を優先させ、しかも、水晶宮に俺が連れて行かれる事を拒否して自らの手元で回復させる事を選んだのですから。

 そして……。

「それに、俺の穢されていた霊道の治療が出来たと言う事は、有希は俺の霊気の制御が有る程度出来るようになった。そう考えても問題ないな?」

 俺は、かなり落ち着いた様子及び真面目な雰囲気で問い掛けた。そう。この質問の答えの内容如何に因っては、対羅睺(ラゴウ)星戦闘の際の重要な要素に成りかねない。そう言う類の質問と成りますから。
 まして、ダンダリオンが主導したのなら、間違いなくその目的の為に行って居るはずです。

 彼女。俺が連れて居る黒き智慧の女神ダンダリオンとはそう言う類の神霊ですから。

 俺の質問に対して、彼女。長門有希と言う名前の少女にしては珍しく、大きな仕草で首肯いて答えてくれたのでした。


☆★☆★☆


 少し重いドアが閉まる瞬間に、この手の店ではお決まりのドアベルの軽やかな音が小さく成った。

 大きな窓に面したテーブル席からは、通りを行き交う人々の日常と、冬の夕刻が近付く近代都市の少し物悲しい雰囲気が伝えられて来て居た。
 氷空は相変わらずスッキリと晴れ渡る事もなく、やや曇り空の下に、冷たい真冬の風が吹き抜ける。
 間違いなく、冷たい冬の一日。二月二十一日と言う日に相応しい情景。

 時刻はそろそろ午後の三時半。平日故か、それとも、世界自体の滅びを敏感に感じ取っているのか、閑散とした喫茶店の中には、香りだけは楽しめるコーヒーの香りと、先ほど出て行った俺たち以外の最後の客が残した甘いケッチャップの香り。そして、バイトらしきウェイトレスの女の子が先ほど出て行った客の食器の後片付けを、カウンターの中では店主らしき中年の親父がグラスを磨いて居た。

 そして最後。その流行っていない喫茶店の外が一望出来る大きな窓に面したテーブル席には、この店の売り上げに貢献すべき唯一の客として、俺と有希が差し向かいと成って座っている。

 そう。本日は前々からの約束通り、彼女を連れて午前中は図書館に。そして、昼食を挟んで少し街をぶらつき、午後のお茶の時間に、偶々通りに面した場所にひっそりと存在していた喫茶店に入ったと言うのが現在の状況説明と言うトコロですか。

 俺の前には紅茶。但し、別に飲みたいから注文した訳ではないので、品物自体に関しては何でも良かったのですが、残念ながらお子様味覚の俺にはコーヒーの苦みは理解出来るのですが、あの独特の酸味と言う味が理解出来ないので、シナモンティーと言う何の面白みもない選択に。
 片や有希の方は、この店のお薦めのケーキと紅茶のセットが並ぶ。

 少女がカップを口に運びながら、自然に窓の外へと視線を向けた。そのメガネ越しの澄んだ瞳に映る冬枯れの街路樹と主要幹線道路を行き交う車の群れ。そして、冷たい風に吹かれてコートの襟を立てる人々の姿。

 会話の途絶えた二人の間に落ち着いた冬の午後に相応しい雰囲気のみがゆっくりと流れて行く。照明を絞り込まれた店内は喫茶店独特の香り。更に、外界から隔絶されたエアコンにより調整された温かい空気。
 そして、地元のFM局が流す懐かしい音楽が支配する世界と成って居る。

 そう。店内に流れるのは音楽のみ。柔らかい高音域の女性ヴォーカルが優しい演奏に乗る当たり前の恋の歌。本当にそうなればとても素敵な事だと思う、とても幻想的な歌詞を優しい女性ヴォーカルが歌い上げる。

 本当に、愛しい誰かを抱きしめたくなるような、そんな気がして来る……少し昔の流行歌。

 そのような、今晩には、世界の命運を賭けた戦いが行われる事など想像すら出来ない日常を表現するワンシーン。

 ――――頃合いかな。

「有希、これを受け取って貰えるか?」

 ハルファスを起動させ、周囲から俺と有希を認識させ難くする結界を施した後に、テーブルの上に三種類の白い小さな箱を並べる俺。
 ひとつは手のひら大……一辺がおよそ十センチ程度の立方体。もうひとつは、長さが二十センチ程の細長い直方体。そして最後は、両者の中間程の大きさの直方体。

 いや、もっと判り易い表現をするのなら、この箱の中には明らかに何らかのアクセサリーが入って居るだろうと言う雰囲気がありありと伝わって来る小さな箱だと表現した方が良いですか。
 まして、日本人なら、こう言う場合は矢張り形式から入るべきかと思い、趣が有るとは言え、こんなあまり流行っていなさそうな昭和の雰囲気の漂う喫茶店に入って見たのですから。

 正面に座る紫の少女が、彼女に相応しいメガネ越しの澄んだ瞳で、テーブルの上に並べられた三つの箱と、そして、それを取り出した俺を順番に見つめて行った。
 そう。彼女に相応しい、とても冷たい、何の感情も籠らない表情で……。

 そして、

「理由の説明を要求する」

 ……と、短く問い掛けて来たのでした。

 半ば予想していた反応でしたが、それでも軽い落胆に少し肩をすぼめて見せる俺。
 但し、むしろその俺の反応の方に、有希から発せられた雰囲気はやや不可解、と言う疑問符に溢れた物で有った事は言うまでも有りません。

「確かに、有希には装飾品の類で身を飾りたてる必要はあまり無いかも知れないな」

 俺が、ため息に近い息を吐き出した後、そう言う台詞を切り出す。
 但し、彼女が最初に発した雰囲気はむしろ興味に近い色。まして、普段の彼女ならば、興味のない事に関しては、素直に無視をするか、それとも頭から、必要ない、と否定するかのふたつのパターンの対応が基本です。

 そう。少なくとも頭から否定された訳では有りませんから、興味を持って貰えたのは間違いないのでしょう。

 但し……。

【アガレス。時空結界を頼む】

 但し、彼女の求める理由の説明を行うと、其処には色気も何もなく成って仕舞う……実用本位の事情が並べられるから、あまり好ましくはないのですが……。
 まして、その部分に少しの遊び心を用意して、こう言う場所に拘って見せたのですが。

 もっとも、それも仕方がないですかね。

 時空結界が施された瞬間、世界を包む違和感と、その後に語られる内容の重要さに考えが及んだ有希から、かなりの緊張を伴った気が発せられた。
 もっとも、この雰囲気や気分の方が俺と彼女には相応しいですか。

 今の俺と彼女の関係は恋人同士のような甘く切ない関係などではなく、共に死地に赴く戦友。お互いの背中を預け合う相棒と言う関係に成りつつ有る間柄ですから。

「それなら、先ずは首飾りの説明から始めるかな」

 俺は、彼女の目の前に並べられた三つの箱の内、細長い長さ二十センチ程の直方体の箱の中から、青い、如何にもアクセサリーの類が入って居ますよ、と言う雰囲気の箱を取り出す。
 そして、その青い箱の中から取り出したのは……。

「この首飾りには、俺と同じ属性が付与して有る。一種の護符(タリスマン)だと思って貰った方が良いかな」

 手にした首飾り。直径三センチほどの紫水晶と銀を使用したネックレス。シンプルなデザインながらも、華美な装飾が似合わない彼女の胸元を飾るには相応しいと思われる一品。
 それに、俺の属性。つまり、青龍と同じ属性と言う事は、木行に属する攻撃すべての無効化が存在しますから、護符としては非常に効果の高い一品。

「伝承上の羅睺(ラゴウ)星にどんな能力が有ったかは定かではない。しかし、一番危険な光の速度で届く攻撃。雷属性の攻撃を完全無効化出来るのなら、それ以外の攻撃に対しては有る程度の対処は可能やからな」

 一応、そう伝えて置く俺。それに、有希の身を護る防具の類は、水晶宮の方に準備を頼んで有る分も存在して居ますから、これで余程の事が無い限り大丈夫だと思いますしね。

 有希が普段通りに微かに首肯いて答えと為した。ただ、何となくその微かな仕草に、少しの不満に近い物が含まれて居るような気もするのですが……。
 もっとも、その不満に関しても、彼女の心がより人間に近付いた証。悪い兆候では有りません。

 そう考えながら、紫水晶の首飾りを彼女に手渡す。
 まして、紫水晶とは別名、愛の守護石。宝石の持つ意味は真実の愛で有り、誠実の証でも有る。また安らかな眠りを守護する石とも言われ、更に、恋人を呼ぶ石だとも言われている。

 そう。先ほどまで、この喫茶店内を流れていた曲のように、恋人を自らの夢の世界へと呼び寄せてくれる、そう言う事なのかも知れません。
 この宝石を常に身に付けて居る、と言う事は……。

「そうしたら次。このプラチナの指輪について」

 俺はふたつ目の箱から、何の変哲もないプラチナ製の指輪を取り出して、有希に手渡した。
 彼女の手の平の上で、プラチナに相応しい光を発する小さな指輪。

「これは仙術を発動させる際の触媒。今までは多分必要が無かったと思うけど、これから先は違う。おそらく、最初はその触媒となる法具が有った方が仙術を発動させ易いと思う。これは、その為のアイテムだと言う事」

 彼女の場合、今までどのような原理で世界に影響を与えて魔法に類する能力を行使していたのか、正直に言うと俺には判らないのですが、その能力が思念体の元を去ってからでも行使可能かどうかは判りません。
 そして、彼女の立場では、身を護る為にも魔法に類する能力は必要不可欠で有り、まして、水晶宮の現在の長史の見立てでは有希には仙骨が存在しているようですから、このまま捨て置かれる事はないはずです。

 おそらく、玄辰水星が彼女の仙術の師と成るのでしょう。
 もっとも、本来ならば、彼女の未来が確定したその時に仙術の師となる玄辰水星から用意される物なのですが、今晩の戦いから必要となる可能性も高いので俺の方から用意したのです。

 俺の説明に対して少し視線を落とし、自らの手の平の上に置かれた指輪と、そして俺の顔を交互に見つめた有希。
 そして、

「この指輪は、どの指に嵌めたら良い?」

 ……と聞き返して来る。
 やや真剣な雰囲気。ただ、魔術的な意味で言うのなら、この質問は強ち間違った、どうでも良い質問と言う訳では有りません。

「基本的にプラチナには魔力を強めたり、持ち主を守護したりする魔力が籠められて居る、……と言われている貴金属。
 そして、俺には有希の仙術の才能がどの方向への才能かが判らないのではっきりした事は言えないけど、この指輪を嵌めるのならば、創造を象徴する薬指が相応しいと思う」

 尚、左手ならば願いの実現に。右手ならば精神の安定と言う意味が有るので、指輪を嵌める手に関してはどちらでも仙術の発動に関しては良い影響が有る事は間違い有りません。

 俺の答えに、少しの空白の後、自らの左手の薬指に指輪を嵌める有希。何となくその動きに、別の意味も見出せるような気もしますが……。
 ただ、俺が彼女の指に嵌めた訳ではないので、これは、これで問題ないですか。
 そもそも、薬指が良いと言ったのは俺の方ですしね。

「そうしたら、最後。この青玉を使ったブローチに関してか」

 三つ目の箱から、銀の台座に少し大きい目の青玉をあしらったブローチを取り出す俺。
 このブローチも、清楚な彼女に相応しい非常に落ち着いた、しかし、精緻な造りのブローチで有った。

 もっとも、この有希にプレゼントした三点の装身具を製作したのは俺の式神のノーム。宝石などの細工を得意としていると言う伝承を持つ精霊だけに、彼が造り出した宝飾品は、それだけで価値が有ると言われている。
 まして、すべてに某かの魔法や魔力が籠められている以上、市場に流せば、その精緻な細工の出来よりも別の理由で、非常に高い値段で取引される事が間違いなし、と言う宝石類でも有ります。

 特にこの青玉製のブローチは、この三点の中でも価値が高い代物。
 何故ならば……。

「このブローチには運命の女神フォルトゥーナが封じられている」

 ……と、簡単に有希に対して告げる俺。
 そう。女神フォルトゥーナ。ローマ神話に伝えられる幸運の女神。
 このブローチの形自体が、タロットカードの運命の輪(フォーチュン)を暗示して居り、何となく幸薄そうな有希の最初の式神としては相応しい式神だと思われる存在。
 このブローチを持つ事が許された。つまり、女神フォルトゥーナに認められた存在に対して、幸運をもたらしてくれる事は間違いない。

 但し、認められない者が所持すれば、呪いの宝石(ホープダイヤモンド)と化す事が確実な魔法のアイテム。

 そんな俺の説明に対して、微かに首肯く有希。
 そう。彼女も気付いているはず。あのムカデと俺の戦いを見ていた彼女ならば。

 あの時の戦いの経緯を。……普通の人間には絶対に理解出来ないスピードでの戦いの内容を、彼女が完全に理解出来ていたのならば。
 あれが人ならざるモノ同士の戦い。……神に近い存在。いや、場合に因っては神そのものが争う刹那の時間の中で繰り広げられた戦いでしたから。

 そして、

「それにな。女神フォルトゥーナと有希の組み合わせは、ある意味、今回の戦いに於ける切り札と成り得る組み合わせなんや」

 ……と、この一連の会話の中でもっとも重要な部分を口にしたのでした。

 
 

 
後書き
 そろそろ終わりが見えて来たので、伏線の回収を行って居る話です。
 尚、その伏線に関しては、ゼロ魔二次の方にも当然のように登場して居ます。
 もっとも、最初にも言って有るように、ふたつ……。問題児たちが三次も含めてみっつの物語はすべて繋がって居ますから、物語の何処かでは類似の部分を確認する事が出来るのですけどね。

 それでは次回タイトルは、『誓約』です。
 
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