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無明のささやき

作者:ミジンコ
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第十章

 石倉の死体が発見されたのは、センターの敷地内にある関東物流の事務所である。この事務所の入口はセンターのそれとは別で、その前は鬱蒼とした雑木林になっており、石倉の死亡推定時刻、午後8~9時は、闇に閉ざされた無人地帯となっていたはずである。
 石倉はロープで首を吊って死んでいた。早々と出勤した女性事務員が不幸にも第一発見者となった。石倉は事務所に入るために、石で窓ガラスを割って内側の鍵を開けている。現場に遺書はなく、自ら蹴ったと思われる椅子が転がっていたと言う。

 石倉の自宅は朝霞市内で、センターまで自家用車で通勤していた。その日、石倉は自宅に戻って夕食を済ませ、駅前のパチンコ屋に出かけた。それがセンターに異動してからの日課であったという。しかし、その日、石倉をパチンコ屋で目撃した者はいない。
 警察は、自殺の原因を端からリストラと見ており、細君はこれに反発しているという。確かに、石倉には南の後ろ盾があり、異動が一時的な処置であることを本人も女房も知っていたはずで、自殺のケースは考えられない。
 しかしながら、他殺の証拠があがらない限り、警察としては自殺と判断せざるを得ないようである。事務所には争った痕跡はなく、本人の指紋のついたワンカップが2個テーブルに置いてあった。石倉は、事務所に不法侵入し、寂しく酒を飲み、そして自殺した。そうとしか考えられない状況なのである。


一週間に及ぶ社内での聞き取り捜査でも収穫らしきものは一切なかったらしい。飯島は、前日の喧嘩のことを刑事にしつこく質問されたが、りっぱなアリバイがあった。その日は、駅前の焼き鳥屋で11時過ぎまで飲んだくれていた。証人には事欠かなかったのである。
 飯島は、この事件に佐久間が関係していることを確信していた。石倉は自殺するような男ではない。佐久間に殺されたのだ。何故なら、南を脅迫し、石倉をセンターへ異動させたのは佐久間なのである。
しかし、そのことを刑事に話せば、脅迫のネタである写真が表に出てしまい、南との約束、つまり、奥さんのプライバシーを守るという約束を破ることになる。しかたなく、石倉の異動が一時的なものであると主張するに止まった。
 さらに、飯島が和子襲撃事件に佐久間が関わっていることを話しても、刑事達は笑うばかりで、それ以上訊ねようともしない。飯島はジレンマに陥っていた。
 しかたなく、飯島は、帰宅後、自宅から和子襲撃事件担当の花田刑事に電話することにした。昨年末、飯島は彼に佐久間の件を告げ、佐久間の周辺を調べて欲しいと訴えたのである。その時、花田は、大喜びでその情報に飛びついた。

 しかし、何人かの中継を経て、ようやくたどり着いた花田の声は、いかにも迷惑そうな響きを帯びていた。
「もしもし、ああ、飯島さん。どうもしばらく。いったい、今度は何なの。」
そのぞんざいな口のきき方に、飯島はかちんときたが今は下手に出るしかない。
「どうも、その後、佐久間の件はどうなったかと思いまして。」
「飯島さん、佐久間は白だよ。ホテルにチェクインした二人の男は、佐久間とは似ても似つかない男だった。ホテルのフロントがそう証言している。奥さんを襲ったことを佐久間が認めたと言っていたけど、裏が取れない。例えば、売り言葉に買い言葉ってこともあるだろう。」
写真のことが脳裏を駆け巡った。言えば花田も納得するだろうが、南との約束もあり、まして奥さんのことを思うと気の毒な気がする。
「花田さん、今回の石倉の件ですけど、あれは自殺ではありませんよ。あの男が自殺するなんて考えられません。センターの誰もがそう答えたはずです。そうじゃありませんか。」
「ああ、誰もがそう言っていたようだ。でもね、自殺っていうのは心の病だ。前にも自殺した人がいたじゃないですか、確か坂本さんとか言いましたよね。心の病は誰にも分からない。」
「ええ、坂本さんは確かに自殺しました。あれは、間違い無く覚悟の自殺です。でも石倉の場合は自殺する理由なんて全くないですから。」
「それはどうかな。企画部長からセンターのリストラ要員に降格されたんでしょう。相当ショックだったんじゃないですか。」
「でも、石倉の場合、あくまでも一時的な異動で、元に戻る可能性が強かった。いや、間違い無く戻る予定だったんです。」
「ああ、あんたともう一人、石倉の細君もそう言っていたらしいが、いいですか、飯島さん。担当刑事が南常務にそのことを確かめているんです。南常務はそういう風評を一切否定している。つまり、戻すつもりはなかったと、本人がそう言ったそうです。」
「そんな馬鹿な、あいつは、」
と言ってから、言葉を濁した。南は脅迫の事実が表にでることを警戒しているのだ。花田が言った。
「この事件の担当刑事もあんたのことを、ちょっとナーバスだと言っていた。いいですか、殺されると思えば誰でも抵抗する。そして何処かにその痕跡が残るんだ。しかし、奴の体には擦過傷も圧迫痕も爪の間にも何も残されていない。きれいなもんだ。誰かに殺されたなんて可能性は全く無いんだ。」
三日前に飯島を尋問した稲葉刑事のちょび髭面を思い出した。飯島は稲葉に、同じことを主張したのだ。花田はさらに畳み掛けた。
「いいかい、飯島さん。確かに奥さんの襲撃事件と石倉の自殺は、時期的にもまた人的関係が近いってことも確かに言える。あんたは両方とも佐久間がやったと言う。でも、今回の事件でも、佐久間にはアリバイがある。」
これを聞いて、飯島は押し黙った。花田は哀れむような声で言った。
「それに、石原さんは弁護士だ。怪しい会社の顧問弁護士も引き受けていた。だからヤクザと全く関係ないわけじゃない。奥さんの事件は、その線の可能性の方が濃い。」
「だけど、石原さんは良心的な弁護士だと聞いている。」
「ああ、確かに石原さんは堅物だ。でも、親父さんは、そうでもなかった。かなりのやり手で、怪しい会社とトラブルを起こしている。あんたの元奥さんもそれを認めているんだ。」
こう言うと、溜息をついて続けた。
「しかし奥さんが、ショックで犯人の顔を全く思い出せないのは、返す返すも残念だ。ヤクザっぽい顔って言われても、それだけじゃ如何ともしがたい。」
 飯島はまたしても押し黙るしかなかった。写真のことが表に出せないのでは、何を言っても説得力に欠ける。ややあって聞いた。
「さっき、佐久間にはアリバイがあるって言っていましたけど、佐久間さんの居所を掴んでるんですか。」
「ああ、ようやく掴めた。佐久間は入院していた。立川市立病院だ。その日、つまり石倉が自殺した日、佐久間は膝の手術を受けている。今、姉さんが面倒を見ているがね。」
飯島は、それでも食い下がった。
「でも、誰かに命令することは出来たはずだ。和子を襲ったヤクザっぽい奴に命令すれば何とでもなる。」
「飯島さんよ。それは考えすぎだって。ヤクザは金が絡まなければ動かない。そう言う連中なんだ。だから無一文の佐久間がそんなこと出来るわけがない。」
飯島は「それは違う」と心の中で叫んだ。佐久間は5000万円という大金を手中に収めた。それだけのお金があれば、ヤクザに殺しを依頼することは可能だ。しかし、それを言えば南との約束を破ることになる。飯島は、花田に対し、とうとう金のことも写真のことも言い出せず、電話を切るしかなかったのである。


 飯島は考え込んだ。確かに佐久間は総務部長という仕事柄、裏街道の男達と交渉を持っていた。そんな男達の一人をスカウトし、復讐のために先ず南の女房を、次に和子も襲わせた。これは確かな推理である。
 南の女房、飯島の妻、和子、そして石倉、三者とも佐久間の復讐の対象となりうる。佐久間が復讐を遂げようとしているのは確かであり、その最終的な狙いは飯島である。何故なら、飯島は長年章子と関係を持ち続け、佐久間に多額の保険金を掛けて、その死を待っていたのだから。
 飯島には身に覚えのないことだが、佐久間がそう信じているのだからどうしようもない。相手は狂人なのだ。

 ふと、背筋に冷やりとするものを感じ、ぶるっと震えた。不安が徐々に胸いっぱいに広がっていった。もし、例のヤクザが石倉を殺したとするなら、和子はその唯一の目撃者であり、命を狙われる可能性があるということだ。
 飯島は間髪を入れず、石原の事務所に電話を入れた。幸い和子が出た。いつもののんびりとした声で答えた。
「はい、石原弁護士事務所でございます。どちらさまでしょうか。」
「和子か、俺だ、飯島だ。どう説明したらいいか分からないが、どうも変な状況になってきた。あの石倉が自殺したんだ。」
「えっ、あの石倉さん、自殺したの、またどうして?」
石倉は一度、飯島の家に遊びに来たことがあった。和子はそれで覚えていたらしい。
「つい最近、石倉はセンターへ左遷された。警察はそのショックで自殺したと見ている。だけど、俺は、石倉は佐久間に殺されたと思っている。何故なら、石倉をセンターへ送ったのは佐久間なんだ。お前を襲ったのも佐久間だし、みんな佐久間の仕業なんだ。」
飯島は興奮していて、言いたいことが上手く喋れない。
「待って、待ってよ。何を言っているのか分からないわ。だって、佐久間さんは、あの事件、私が襲われた事件とは無関係だったそうよ。刑事さんが言っていたわ。それに、石倉さんをセンターに異動させる力なんて佐久間さんにはないはずよ。」
「いや、それがあるんだ。警察には言ってないが、お前を襲う前、佐久間は南の女房を襲った。実は、あの写真の女は南の細君だ。佐久間はあの写真をネタに南から5000万円脅し取った。そして、その次に石倉をセンターに送るよう指示したんだ。」
「えー、本当なの。あの写真の女性は常務さんの奥さんだったの。」
「ああ、お前もどっかで会ったことがあるような気がするって言っていたが、俺達の結婚披露宴でお前より目立った派手な女がいただろう。あれがそうだ。」
「でも、何故、私が襲われなければならなかったの。」
そう聞かれて飯島は言葉に詰まった。言いたくない事柄が多すぎた。あれこれ考えを巡らせ、ようやく口開いた。
「実は、佐久間は、俺がずっと奥さんと浮気していて、しかも子供も俺の子供ではないかと疑っている。」
「待って、本気で言っているの。奥さんの浮気の相手が、たとえあなただとしても、そんなことで、ヤクザを使って人を襲わせたりするかしら。あなたに対する復讐だと言いたいのだろうけど、それでは動機が曖昧過ぎるわ。」
「ああ、確かにそうだ。でも、奴は狂っている。狂人なんだ。動機なんて必要ないのさ。あいつは、お前を襲ったと、間違い無く俺に言ったんだ。」
和子は押し黙った。飯島は、本題に入ることにした。命を狙われているなどと刺激的な言い方は避けたほうが良さそうだ。とにかく相手は妊婦なのだから。口を開こうとした矢先、和子が言った。
「ちょっと待ってて、誰か来たみたい。ねえ、ちょっとまっててね。」
「ああ。」
と言って待っていたが、しばらくして不安になった。誰かって誰だ?まさか、あのヤクザではないか。言い知れぬ不安が、飯島を襲った。
「おーい、おーい。」
飯島は叫び続けた。もっと早く、ヤクザが狙っていることを忠告すべきだった。はらはらと時間は過ぎてゆく。叫べども返事がない。突然、和子の声が聞こえた。
「ご免、待たせて。小包だったわ。」
飯島の頭は疑惑が渦巻いた。こんな時間に小包なんて届くのか。既に8時を回っている。そして「小包だって何が入っているか分からん。最近はやりの小包爆弾ってこともある。」と言う佐久間の言葉を思い出し、咄嗟に叫んだ。
「おい、その小包は開けるな。差出人は誰だ。」
「えーと、榊原和人。ああ、石原の依頼人よ。でも何で。」
「馬鹿、もし小包爆弾だったらどうする。」
「何言っているの。ねえ、どうかしてるわ。今日のあなた、少し変よ。」
「とにかく、今から、そっちに行く。開けずに待ってろ。」
飯島は自宅から駆け出し、車に飛び乗った。

 石原の事務所に着くまで、気が気ではなかった。万が一の可能性であっても、用心にはこしたことはない。とにかく相手は気違いなのだから。エレベータを待つのももどかしく階段を駆け登った。扉のガラスに石原弁護士事務所という文字を認めると、ノブを回し中に入った。

 事務所に一歩入り、目の前に広がる光景を見て、飯島は拍子抜けして言葉を失った。石原と和子がテーブルを挟んで座っている。そのテーブルの上には小包が置かれているが、既に開封され、その中に夫婦茶碗が納まっていた。
 包装紙はびりびりに破かれ、テーブルの周りに散乱している。石原と和子は、突然飛びこんできた飯島を不安そうに見上げている。飯島は言葉に詰まった。無言で立ちつくすしかなかった。その場を救ったのは和子である。
「とにかく、今、お茶を入れるから。さあ、そんな所につっ立ってないで。さっさとここに座って。」
と言うと立ちあがり、台所に消えた。飯島は言われるがままに石原の前に座ったが、気まずい雰囲気はいかんともしがたく、おもむろに煙草を取り出し、火を点けた。煙草をせわしなく吸い、同時に乱れた息を整えるべく深呼吸までしなければならなかった。

 やや、あって和子がお茶を持って二人の前に現れた。お茶を飯島の前に置き、自分は石原の横に腰掛けた。それは和子にとってはごく当たり前のことなのだが、飯島は何故か敗北感に打ちのめされた。和子が口を開いた。
「さあ、詳しく話して、何もかも。夫婦喧嘩までして、私はこの小包が、あなたの言った通り小包爆弾かもしれないって言い張ったわ。でも、この人は、あなたがまだ私に未練を持っていて、私と接触したいがために、訳の分からないことを言い出しているって。」
飯島はぎょっとして石原を見つめた。石原のそんな思いなど想像もしていなかったからだ。石原が慌てて言った。
「おい、待てよ。そんなことは言ってない。ただ、」
「ただ、何なのよ。ヒステリックに包装紙を破って、箱を開けたじゃない。もし、それが爆弾だったら二人とも死んでしまったわ。」
「だけど、爆弾じゃなかった。こうして二人は生きているじゃないか。爆弾なんかじゃなかったんだ。」
と言って、石原は飯島をちらちらと見る。石原の眼鏡のレンズが汗で曇っている。飯島はようやくこの場で起こった事態が理解できた。飯島がぽつりと言った。
「二人には本当に申し訳無かった。いたずらに不安を煽り立てたようだ。確かに僕の考えすぎだった。こうして二人が無事だったのだから。」
こう言って、飯島は二人を交互に見た。ようやく、飯島も平静さを取り戻していた。一呼吸置いて、飯島が話し始めた。この数日に起こったこと、そしてこれまでの経緯の全てを語った。最後にこう結んだ。
「佐久間が石倉をセンターに左遷させた。そして、その石倉が移籍直後、センターで自殺した。どうみても、佐久間が関係しているとしか思えない。」
じっと聞き耳を立てていた石原が口を挟んだ。
「飯島さん、あなたはご存知ないと思いますが、私の親父はヤクザと関わっていました。この一年、私はそのヤクザとのやり取りで、神経が磨り減っています。200万もの金をヤクザに支払った。和子襲撃はそっちの線の可能性もある。」
「でも、石原さん。もしあの時、和子が実際に襲われ、子供が流産でもしていたら、あんたは、そのヤクザの言いなりになって、金を払い続けるか?絶対にそのヤクザと対決しようとするだろう。あんたは、そっちの方のプロなんだから。」
こう言って、飯島は石原の同意を待った。石原が頷くのを見て、話を続けた。
「ヤクザだって、大切な金の成る木を切り倒したりしない。まして警察が動き出したら困るのはヤクザだ。警察は事件となれば間違いなく動く。ヤクザはプロだからそこまで読んで行動する。刑事事件にならない微妙な線で恐喝しているはずだ。」
 石原はまたしても黙って頷いた。飯島の言うことも一理あるからだ。飯島が続けた。
「佐久間が後ろで糸を引いているのであれば、石倉に直接手を下したのは間違いなく和子を襲ったそのヤクザだ。」
石原も和子も飯島の言葉に耳を傾けている。
「石原さん、これから言うことが、俺が一番心配していることだ。もし、そのヤクザが石倉を殺したとすれば、和子は、その殺人者の顔を知っている唯一の証人ということになる。和子は顔を覚えていないが、ヤクザはそんなことは知らない。」
 石原が冷静に答えた。
「目撃者を消せってわけですね。確かに、飯島さんの言う通りです。でも、反論があります。まず、彼らが和子を襲った動機は何ですか。」
「佐久間が私を恨んでいるからです。」
「何故、飯島さんではなく、妻の和子を襲ったのです。」
「佐久間は、私が彼の妻と出来ていたと勘違いしているからです。恐らく佐久間は、私に同じ苦しみを与えようとした。つまり寝取られた恨みを晴らしたかった。」
「では、そのヤクザが石倉を殺しのなら、それにはそれなりの報酬があったはずです。だからこそ危険を犯すことが出来た。しかし、和子はどうですか。一度失敗しているし、もう飯島さんの妻ではない。従って、佐久間が和子の殺害に金を払うとは思えない。」
一息ついて続けた。
「それでは、そのヤクザの身になって考えてみましょう。そいつは和子と偶然出くわさないように注意すれば良い。つまり出来るだけ八王子を避けるでしょう。それでも不安であれば顔を変えることも出来る。整形手術なんて安いものだ。」
 石原の言うことももっともで、飯島も思わず唸った。
「確かに、そのとうりだ。和子を襲った犯人がそんなアウトローであれば、顔を変えることなんて、何とも思わないだろう。」
「そうです、だから和子を殺すような危険をわざわざ冒す必要はない。勿論、殺人が強姦や窃盗くらいの重みしかないアメリカなら話は別ですけどね。」
 飯島は、じっと石原を見詰めた。こいつは見た目ほど馬鹿ではない。むしろ頭は良い。そう思った。和子が惹かれたのも分かるような気がする。
「いやー、参った。石原さんの言うことは尤もだ。俺もアメリカ映画の見過ぎで、ちょっと騒ぎ過ぎたようだ。でも、石原さん、もし、そのヤクザがアメリカ映画のファンだったらどうする。」
「飯島さん。私も最悪の事態は避けたいと思っています。だから、和子のためにも、お願いがあります。先程、佐久間が南常務の細君を襲ったことを警察に言ってないと仰った。どうしてです。」
「南と約束した。あの写真を公にしないと。」
「お願いとは、そのことです。南さんとの約束を反故にして、警察に話して下さい。それは和子のためでもあります。その写真については和子も証人になります。」
和子も頷く。石原が真剣な眼差しで飯島を見つめた。懇願する目だ。
「分かりました。一応、南に言ってから警察に話をしましょう。」
「どうも有難うございます。」
石原が頭を下げた。和子も慌てて石原に寄り添い、それに倣った。そんな和子の動作がストップモーションのように瞼に焼きついた。
 事務所を出て、飯島は孤独を噛み締めた。和子はすでに石原の女房になりきっていた。石原の慧眼には恐れ入った。確かに、和子に危険を知らせようとしたのは事実だが、飯島は心ときめかせ、和子に電話を入れたのだった。
 
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